• 前回のおさらい:勝利至上主義を疑ってみよう?~今福龍太と上野俊哉(2/4)(2023年01月11日)https://gazinsai.blog.jp/archives/48234779.html

現代思想とカルスタによるカタールW杯論
 カタールW杯が終わったすぐ後の2022年12月21日、和光大学で今福龍太氏(特任教授,文化人類学,現代思想家,批評家)と上野俊哉氏(教授,カルチュラルスタディーズ)による、カタールW杯にちなんだ講義(トークイベント?)が行われた。
今福龍太+上野俊哉「2022W杯を学び逸〔そ〕れる」2022年12月21日(水)
 フランス大会くらいからだろうか。

 今福龍太と上野俊哉はW杯のたびにパブリックビューイングの場をもったり、フットボールの試合や文化の細部について言葉を交わしてきた。

 コロナ以降、和光大学でなかなか即興的対話の機会を公的にもてなかった二人が2022W杯を語る。

  日時・場所
  2022年12月21日(水)
  First Half:13:00~14:30 J201
  Second Half:14:40~16:10 J401

https://www.wako.ac.jp/news/2022/12/1221-2022wc.html
 やれやれ、またまた現代思想(今福龍太氏)とカルスタ(上野俊哉氏)による現代サッカー批判、勝利至上主義批判、近代主義批判、現代文明批判、ナショナリズム批判、国民国家批判……か。

 ……とも思ったが、まぁ、いろんな意味で(笑)面白そう! しかし、この講義(トークイベント?)は学生以外には非公開のものらしく、YouTube等の動画配信でも一般の人が視聴することは叶(かな)わない。残念なことだ。

サッカーW杯とVAR,GLT,半自動オフサイド判定
 もっとも講義(トークイベント?)のフライヤー(チラシ)はネットで公開されている。

今福龍太+上野俊哉2022W杯を学び逸れる」2022年12月21日(水)
【「2022W杯を学び逸れる」のフライヤー(チラシ)】同PDF版

 今福龍太氏と上野俊哉氏がこの講義(トークイベント?)で、実際に何を話したのかは分からない。けれども、フライヤーに書かれてある煽り文句だけでも、読んでいて何だかいろいろ茶々を入れたくなってくるではないか。

 >VAR判定がフットボールをダメにする?

 21世紀に入って、サッカー……特にFIFAワールドカップでは、ヒューマンエラーからくる誤審を防ぐための判定テクノロジーがさまざま導入されている。2014年ブラジルW杯では「ゴールラインテクノロジー」(GLT)、2018年ロシアW杯では「ビデオアシスタントレフェリー」(VAR)、2022年カタールW杯では「半自動オフサイド判定」である。

 審判の肉眼では判断できないような、きわどく重要なシーンの判定。これをテクノロジーを導入することで、誤審を減らしたり、判定への不信感を取り除いたりして、選手や観客に試合の納得感を与えることにつながる。

 カタールW杯開幕戦のカタールvsエクアドル戦では、試合開始早々に半自動オフサイド判定が発動。話題になった(次のリンク先等を参照)。
  • 参照:THE ANSWER「W杯開幕戦で賛否両論 オフサイドが証明された最先端の証拠画像は〈大会を台無しに…〉」(2022.11.21)https://the-ans.jp/qatar-world-cup/282012/
 ところが、これがお気に召さない人たちがいる。

判定テクノロジーがサッカーをダメにする(?)
 例えば玉木正之氏(スポーツライター)だ。
2022年11月21日(月)
 昨晩ベッドに入るのが遅かったので爆睡して読書なしで朝目覚める。ワン。〔飼い犬の〕黒兵衛と散歩のあと〔カタールW杯開幕戦〕カタールvsエクアドルの前半を見る。AI〔人工知能〕の判定でのエクアドルのオフサイド。アレは人間の目の判定ではオフサイドじゃないですね。人間の未来は人間に従うのではなくすべてAIに従うようになることの最初の象徴的事件と言えるかもしれませんね。

 嫌な未来だと思う小生〔玉木正之〕は未来で生きていけないのでしょうね。そんな社会で生きていきたいとも思わないけど……。あ。開催国カタールに味方するためにAI判定を利用したというのなら「純人間的行為」として認めます。そういう未来なら生きていきたいとも思いますね(笑)。<1>

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ 2022年11月」http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2211.htm
 玉木正之氏がこんないやらしいイチャモンをつけることにはワケがある。玉木氏は、近代主義批判・現代文明批判・勝利至上主義批判……を旨とする「現代思想的スポーツ観」、そうしたスポーツ観の深い影響を受けているスポーツライターだからだ。

 今福龍太氏と上野俊哉氏の判定テクノロジー批判も、少なくとも今福氏の方はゴリゴリの「現代思想的スポーツ観」だから、文体としてはかなり晦渋になるだろうが、文脈としては玉木正之氏とほとんど一緒であろうことは想像がつく。

 すなわち、判定テクノロジーを導入する以前の、審判の誤審(ヒューマンエラー)もあるサッカーこそ生活や人生の豊かさである。一方、VARやGLTといった判定テクノロジーはそういった人間性を浸蝕する近代合理主義や現代文明そのものだ。

 あるいは、半自動オフサイド判定は数多の防犯カメラに囲まれた現代の監視社会の象徴……か。

 今福龍太氏がGLTを批判をした文章はある。
フチボルの女神への帰依を誓うこと
 しかも〔サッカー〕選手たちは、経済原理の犠牲となっただけでなく、いまやテクノロジーの奴隷でもある。〔2014年〕ブラジル大会からゴールラインテクノロジー(GLT)がワールドカップにも導入され、7台のハイスピードカメラがゴール周辺を撮影しながらボールの軌跡を電脳の鷹の目で捕捉しつづけた。

 この「ホーク・アイ」などとも呼ばれるテクノロジーが、もともとミサイル追尾システムの応用によって生まれたシステムであることを意識する人は少ないかもしれない。サッカーのデジタルな公正性といわれるものが、実は戦争を遂行するための軍事テクノロジーによって支えられているという事実を知ったとき、私たちはサッカーの判定の公平性がデジタル装置の導入によって保たれたといって真に喜ぶ事ができるのだろうか? <2>

今福龍太『サッカー批評原論』212~213頁


 だが、この理屈も何だかおかしい。

 コンピュータも、電子レンジも、GPSも、瓶詰・缶詰・レトルト食品にいたるまで、元々はずべて「戦争を遂行するための軍事テクノロジー」である。今福龍太氏もまた、そんな軍事から民生に応用した技術が一切合切存在しない、潔癖な世界で生活しているはずがないからだ。

三笘薫の奇跡の1ミリと鄭大世
 サッカー、カタールW杯と判定テクノロジーの話題といえば「三笘薫の奇跡の1ミリ」がある(詳細は割愛するが次のリンク先等を参照されたい)。
  • 参照:THE ANSWER「〈髪の毛1本レベル入ってる〉上から見たら分かる日本VAR弾の正しい証拠画像に海外喝采」(2022.12.02)https://the-ans.jp/qatar-world-cup/286956/
 「三笘薫の奇跡の1ミリ」を、判定テクノロジー否定派(?)の玉木正之氏や今福龍太氏や上野俊哉氏がどう感じたのかは分からない(玉木氏にとっては都合が悪いのか公式サイトでも言及されていない)。

 一方、判定テクノロジー肯定派である鄭大世氏(チョン・テセ,元朝鮮民主主義人民共和国=北朝鮮=代表)が、「三笘薫の奇跡の1ミリ」をテコにその賛意を説く。
鄭大世「三笘薫の奇跡の1ミリ」とVARに関するコメント
 〔三笘薫の奇跡の1ミリは〕すごいドラマチックですよね。でもVARへの批判ってやっぱり多いじゃないですか。今まで慣れてなくて、現状維持バイアスいうのが働いて、今までの〔誤審もある〕方がサッカーだろと言うんだけど。しかし現場の立場ではこういうことで泣きを見ることがすごく多かった。だからテクノロジー〔VAR〕が介入してくれることによって、今まで〔判定で〕泣いて、しかし発言をしたら審判批判になってしまう。その苦しさや涙が払拭された歴史的瞬間だったと、これは思います。

 ずっと思っていたのが、アシスタントレフェリー〔副審〕が向こうにいて、レフェリー〔主審〕がちょっと離れたところにいて、ゴールの脇のところでいつもゴールキックで出た出ないとか、コーナーキックかゴールキックか判断するじゃないですか。絶対分かっていないのに、なんとなく曖昧な判定をしているわけじゃないですか。でも、選手は目の前で見ていて分かるのに……っていう凄い嫌な気分だったですけど、でもこういうの〔VARほか〕すごい助かるなと思うんです。特にここ〔三笘薫の奇跡の1ミリは〕は死角だから。

 〔三笘薫の奇跡の1ミリは〕本人でもわからない世界観じゃないですか。出たか出ていないか。三笘選手的にはこれは絶対折り返したいっていう気持ちで行っているから、自分の印象で出ていないと思いたいから出ていないと思うけれども、それに介入するのがテクノロジー〔VAR〕で、数字でしっかり出すから。で、数字が出ることによって両方の選手が納得できるわけじゃないですか。ああ、じゃあしょうがないねってなるし。でもある程度そこを曖昧にしてしまったら、どっちかは絶対怒りが噴出してしまって、それが「ドラマ」という人がいるけれど、やっぱり泣きを見る人がいるから、こういうテクノロジーの進化で、ちゃんとミリ単位でやることはこれからもっと普及していくだろうし。テクノロジーの進化は早いから……。

DAZN「FIFAワールドカップジャッジリプレー#2前編:日本代表SP」2022年12月
 サッカーの判定にはヒューマンエラーがあることは重々承知しており、いろいろ泣きを見てきた。しかし、それを口にすれば審判批判となり、タブーとなる。そんな現場の立場、選手(FW)の立場で苦悩・葛藤をした経験から、鄭大世氏は判定テクノロジーを肯定している。

 これに比べれば、判定テクノロジー否定派の思想は「現状維持バイアス」(知らないことや経験がないことを受け入れられず,現状維持を望む心理作用)にすぎない。玉木正之氏(や今福龍太氏?)は「現状維持バイアス」に小理屈を重ねているだけなのである。

ブラジル代表リバウドの「狂言」はやったもん勝ち
 今福龍太氏といえばブラジルサッカーを偏愛している(贔屓の引き倒しをしているとも言う)ことで有名だ。サッカーブラジル代表の場合、判定のヒューマンエラーで泣きを見たといったことは少なく、むしろ反対に「サッカー王国ブラジル」というブランドのバイアスに守られて得をしてきたイメージがある。

 例えば、2002年日韓W杯、1次リーグのブラジルvsトルコ戦で、ブラジル代表リバウドの「狂言」によって、さして重い罪のないトルコの選手が2枚目の警告(イエローカード)で退場=レッドカードになってしまった(詳細は次のリンク先を参照)。
  • 参照:FOOTBALL ZONE「日韓W杯,〈笑いを誘う〉罰金71万円ダイブ再脚光〈タイソンに殴られたように…〉」(2020.06.06)https://www.football-zone.net/archives/265613
 マラドーナの「神の手」などに代表されるように、南米サッカーは審判の眼をあざむき、遣(や)り得(やったもの勝ち)なら、それでよしとする「文化」がある。

マラドーナ「神の手」1986年メキシコW杯
【マラドーナ「神の手」1986年メキシコW杯】

 そうだとしても、リバウドの例はちょっと後味が悪い。

サッカーブラジル代表への「バイアス」と「誤審」
 もうひとつ、これはもっと後味が悪い。これまた2002年日韓W杯、決勝トーナメント1回戦のブラジルvsベルギー戦。前半36分、ベルギー代表の主将マルク・ウィルモッツが、右クロスを頭で合わせる鮮やかな一撃で先制ゴールを決めたと思われた。が……。

 ……ところが、主審はシュートの前に反則があったとしてノーゴールの判定。ほとんど接触プレーもなかっただけに、この判定は疑問を呼んだ(詳細は次のリンク先を参照)。
  • 参照:THE ANSWER「〈私は審判を批難しない,これが人生だ〉誤審で先制弾が幻,敗退を毅然と認めた主将【W杯事件簿】」(2022.12.13)https://the-ans.jp/qatar-world-cup/290933/
 この誤審は、FIFA100周年記念の際に作成されたDVD「FIFA FEVER」の中で「サッカーW杯における世界10大誤審」の第3位として収録されているという。

 〈幻のゴール〉となったウィルモッツは、それでも「私は審判を非難しない.これが人生.これがサッカーだ.他のいかなるリーグでも起こり得ることだ」と毅然とした態度で敗戦を受け入れたと語ったそうだが……。

 ウィルモッツの「誤審」を受け入れたのは、技術的に判定テクノロジーが不可能だったからだ。鄭大世氏のコメントと同じように彼にも苦悩や葛藤があったと思う。そしてVARが定着した現在ならば、即座にその介入してゴールは認められていたはずである。

 この時に見たウィルモッツの諦観したような表情は忘れられない。

 サッカーブラジル代表は、動く金が大きいビッグビジネスである。ブラジルの勝利によって得られる莫大な経済的利益がある。よもやこの段階(決勝トーナメント1回戦)でブラジルが負ければ損失が出る。だから、あの主審はあえてブラジル贔屓の「誤審」をした……という邪推までしたくなる。

 「ああ,そうか.そういうことなんだな……」。ウィルモッツはそう言いたげにも見えた。

 むろん、当ブログは本気でブラジル贔屓の偏向判定があったとは思っていないが、しかし「ブラジル」というブランドへのバイアスは働いたかもしれないかな~とも思っている。

今福龍太氏がVARに反対する真の理由???
 昨今のサッカーにおける判定テクノロジー、あるいはカタールW杯で話題になった「長すぎるアディショナルタイム」(次のリンク先を参照)では、これまであった「ブラジルサッカー的インチキ」や「ブラジル代表に対する審判のバイアス」が通用しなくなっているのである。
  • 参照:CNN.CO.JP「カタールW杯,アディショナルタイムが桁違いに長い理由」(2022.11.25)https://www.cnn.co.jp/showbiz/35196559.html
 今福龍太氏が判定テクノロジーを批判・否定・反対しているのだとしたら、それは「現代思想的スポーツ観」のみならず、今福氏のブラジル贔屓からくる苛立ちみたいな感情が働いているのかもしれない。

つづく





【註】
 <1> そういえば玉木正之氏は「大相撲八百長肯定論者」だった。「純人間的行為」として「八百長」を肯定する。

「大相撲八百長批判」を嗤う
玉木正之
飛鳥新社
2011-06-04


 しかし、中東の「開催国カタールに味方する」ための「純人間的行為」のことは「中東の笛」と言うのである。これは不正な判定の代名詞にようなものである。

 <2> 引用に当たっては、読者の便をはかって適宜改行した。