スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

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前回のおさらい
  • 【前回】RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月23日)
 歴代のラグビーW杯で歌い継がれてきた大会公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)。2019日本大会では、いきものがかりの吉岡聖恵が歌った。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2018-10-05


 しかし、世間では、吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は無視され、黙殺され、忘れ去られた。なぜか?

 通説では、日本ラグビー界の首領(ドン)こと元首相・森喜朗が、吉岡聖恵よりも、平原綾香の方を依怙贔屓(えこひいき)したために、日本ラグビー界がその意向を【忖度】したからだ……と伝えられている。

 しかし、おそらく元首相・森喜朗の存在は隠れ蓑(かくれみの)に過ぎない。日本ラグビー界の真の【忖度】の対象は他にある。

 独自のラグビー関連のタイアップ曲を持ってビジネスをしているNHK、日本テレビ、TBSといった日本ラグビー界をPRしてくれるマスメディア、独自のCMタイアップ曲を持つラグビー日本代表のスポンサー・大正製薬「リポビタンD」に対する【忖度】である。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうと、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうからである。

 タイアップ曲によるビジネスは、欧米の音楽業界には見られない慣習であり、日本の音楽業界、テレビ業界、スポーツ業界が孕(はら)む構造的な、好ましからざる慣習である。

 吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は、「タイアップ曲」という日本的な悪習*によって存在を隠され、潰されたのだ……。

世界的スポーツイベントとタイアップ曲
 ……こうした日本のタイアップ曲の慣習は、日本のスポーツ文化という観点から見て大いに弊害がある。

 例えば、2018年のサッカー・ロシアW杯の場合、その公式曲は、ドイツ人の作曲家ハンス・ジマー(Hans Zimmer)とスコットンド人の作曲家ロアン・バルフェ(Lorne Balfe,ローン・バルフとも)が作曲した「Living Football」という曲である。


【Hans Zimmer & Lorne Balfe - Living Football (The original 2018 FIFA World Cup soundtrack)】


【Hans Zimmer, Lorne Balfe - Living Football (Official FIFA Theme)】


【Hans Zimmer & Lorne Balfe - Living Football [FIFA 2018 Theme Music Visualization]】

 ところが、日本の公共放送たるNHKは、これとは別に日本のロックバンドSuchmos(サチモス)の「VOLT-AGE」(ボルテージ)なる楽曲を「2018年NHKサッカーテーマ」として(勝手に)選び、2018FIFAワールドカップ・ロシア™のテレビ中継のオープニングやエンディングにも被せてきた。


【FIFA ワールドカップロシア2018 NHK オープニング】

 NHK……に限らず日本のテレビ局は、公式のテーマ曲を蔑(ないがし)ろにすることで、サッカーW杯やオリンピックを、あたかも自局独自のスポーツイベントであるかのように、視聴者に印象付けようとしてきた。

 タイアップ曲というフィルターによって、日本のスポーツファン、テレビ視聴者は、日本のテレビ局によって、W杯でも五輪でも「世界」とは違ったものを見せられてきた。

 さすがにFIFAは、こうした事態を防ぐために、昨今、W杯公式曲をBGMとした、オリジナルのオープニング&エンディング用のアニメーションを制作し、これを試合中継や関連番組の前後に挟んで放送するようになっている(これはラグビーW杯でも同様である)。


【2018 FIFA World Cup Russia - OFFICIAL TV Opening (EXCLUSIVE)】


【2014 FIFA World Cup - OFFICIAL TV Opening】

 日本のテレビ局(NHKや民放)による、自局のビジネスのために発生した、W杯や五輪という世界的なメガイベントへの不遜や矮小化は、目に余るものがある。





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松任谷由実の「ノーサイド」ではなく…
 大晦日(おおみそか)恒例のテレビ番組「NHK紅白歌合戦」を視聴することが、さまざまな理由で個人的にも苦痛になって久しい。それでも、次のツイートをしたいばっかりに、松任谷由実が「ノーサイド」を歌ったパートのみをピンポイントで視聴した。



 要するに、ツイッターに当てこすりを投稿したかったのだが、では、そもそも「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)とは、いかなる楽曲なのか?

歴代のラグビーW杯で歌い継がれてきた名曲
 余程いたいけな人でもない限り、ラグビーワールドカップ2019日本大会(RWC2019)の公式テーマ曲は、いきものがかりのメインボーカル・吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)であったことを知っている。


【[ラグビーワールドカップ]この感動は一生に一度だ/オフィシャルソング『World In Union』/吉岡聖恵(いきものがかり)】(2019年 第9回ラグビーW杯)

 昔からのラグビーファンならば、「ワールド・イン・ユニオン」が、1991年の第2回大会(イングランドほか5か国で開催)から歌い継がれた、ラグビーW杯のテーマ曲であることを知っている。

 1991年大会は、ニュージーランド出身のオペラ歌手・声楽家のキリ・テ・カナワによって歌われた。


【Kiri Te Kanawa - 'World In Union' Music Video】(1991年 第2回ラグビーW杯)

 2011年の第7回ラグビーW杯ニュージーランド大会では、同国出身の歌手ヘイリー・ウェステンラが歌った。


【RWC 2011 Official Song - Hayley Westenra Recording World In Union】(2011年 第7回ラグビーW杯)

 いずれも素晴らしい。

 ところが、吉岡聖恵は、ラグビーW杯の開会式・閉会式を含めて、公衆の面前で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことは、ついぞなかった。そして、この曲がマスメディアを通じて流れることも、またなかったのである。*

異常なまでに詳しい『東京スポーツ』電子版の記事
 この辺の不可解な事情については、夕刊紙『東京スポーツ』電子版の2019年11月10日付で、無署名ながら、非常に詳しく、かつ拘(こだわ)った記事が掲載されている。
いきものがかり・吉岡聖恵 ラグビーW杯公式ソング〈消えた〉生歌 当日会場にいたのに
 なぜ肉声披露はなかったのか。大盛況で幕を閉じたラグビーW杯日本大会にあって、一部で疑問や残念な思いを呼んだのが、オフィシャルソング「WORLD IN UNION(ワールド・イン・ユニオン)」の歌手を務めた人気グループ「いきものがかり」の吉岡聖恵(35)が一度も公の場で歌わなかったこと。過去には著名歌手らが開会式を美声で彩ってきた中、吉岡が登場しなかった理由を大会組織委員会に尋ねた。

 W杯の「アンセム(祝歌)」と呼ばれ、1991年の第2回イングランド大会から歌い継がれてきた「ワールド・イン・ユニオン」。吉岡は昨年〔2018年〕9月、栄誉ある公式ソングの歌い手として発表された。ところが、閉幕まで公の場で歌ったことは「ございません」と組織委の広報担当者は本紙〔『東京スポーツ』〕の書面質問に答えた。

 英語による吉岡の歌唱は昨年10月に配信が始まり、今年9月にはジャケットを新調した開幕バージョンが流された。この間、大会PR映像を通じてウェブ、イベントなどで歌声が聞かれ、開幕後もPR映像とともに各スタジアムで響き渡った。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2018-10-05


 一方で生歌唱を期待していたファンからは「聖恵ちゃんのワールド・イン・ユニオンが聞きたかった」といった声や、実現しなかったことに「残念です」との反応がSNSで発せられた。

 公式ソングは今回、日本対ロシアの開幕戦直前に会場の東京・味の素スタジアムで行われた開会式で少年少女たちが合唱した。2011、〔20〕15年大会では女性シンガーが、〔19〕99年ウェールズ大会は世界的に有名なシャーリー・バッシーと男性バリトンが登場するなど、開会式で地元出身歌手によって歌われるのが恒例。吉岡は開幕戦を観戦した写真をインスタグラムに投稿しており、試合会場にはいたにもかかわらず、歌わないという状況だった。

 いわば異例のケース。開会式について組織委広報は「大会ビジョンから導き出したテーマ『Rugby For Tomorrow』を基調に演出プランを作成しています」としてこう続けた。

 「『World In Union』の歌詞にもある、団結した、一つとなった世界。新しい時代。このことをラグビーの、そして世界の明日を担う様々な人種の子供たちに声を合わせて歌ってほしい。この思いから、『子供たちによる大合唱』という演出スタイルをワールドラグビー(注・国際統括団体)及び組織委員会、開催都市を含む検討会議体との協議を経て選択しました」

 99年大会でも、当時の報道などによると子供と大人計1000人の合唱団が、サビの部分でバッシーらと声を合わせた。日本大会は「子供たちによる大合唱」を打ち出したことで、公式歌手の出番がなかったということになる。吉岡は決勝戦も観戦したが、閉会式はもともと歌手によるアトラクション等は設けられていなかった。

 この曲を巡っては、その存在感も一部で問われた。もっぱら話題を呼んだのは、開幕直前まで放送されたラグビー部を舞台とする人気ドラマ「ノーサイド・ゲーム」〔TBS系列〕の主題歌〔米津玄師の〕「馬と鹿」や、代表選手が出演のCMで使用された〔B'zの〕「兵、走る」、代表チーム発の「ビクトリーロード」など。SNSでは「間違いなくW杯を象徴する曲なのに」と公式曲の影の薄さを指摘する声もみられる。

 これまで恒例の大会公式アルバムも現時点では発売されていない。〔20〕11年大会盤には、公式曲の歌唱歌手による日本語バージョンも収録されている。

 本人のアルバムに収録されている吉岡バージョンは、日本語への翻訳版も出ていない。

 大会のマッチデープログラムでは「日本中のラグビーファンや彼女(注・吉岡)のファンを中心に支持を集め、ヒットすることでしょう」と紹介された。一方で、ネット上では「ラグビーソングといえば『馬と鹿』」なる見方も少なくない。

 組織委は「吉岡さんの素晴らしい歌声は、日本の皆様に広く届いたと思います」。吉岡はインスタグラムに「微力ながらこの大会に関わらせて頂けた事を嬉しく思います!!!」とつづった。

『東京スポーツ』電子版(2019年11月10日)
 どうしてこうなってしまったのか? 次のような不穏な「噂」が流布している。

定説…あるいは元首相・森喜朗の「鶴の一声」
 今度は週刊誌『フライデー』の電子版2019年11月10日付、同誌の芸能記者によるかなり具体的な署名記事である。
スクープ:森喜朗元会長「ツルのひと声」でラグビーW杯の国歌斉唱が平原綾香
 まさに「老いてますます盛ん」である―。
 〔2019年〕9月20日から日本で開催されるラグビーワールドカップ(W杯)。大会のオープニングゲームとなるのは、東京スタジアムで行われる地元・日本対ロシアの試合だ。

 その栄えある試合で国歌斉唱をするのが、『Jupiter』などのヒット曲で知られる平原綾香に決まったという。そこには、水面下で何やら「ラグビー界のドン」への〈忖度〉があったという。

 「W杯のオープニングゲームでの国歌斉唱を歌うことは、世界中から注目を集める大役です。そこに平原さんが決まったのは、ラグビー協会元会長で元総理でもある森喜朗さんの強いプッシュがあったからですよ。森さんが彼女の大ファンというのは、ラグビー界では良く知られた話。例えば、〔20〕18年8月に行われた釜石スタジアムのオープニングに平原さんを招待するくらい、彼女に〈お熱〉を上げていますよ」(ラグビー関係者)

 そんな森だが、今年4月にラグビー協会の名誉会長を突然、辞任。W杯誘致に先頭を切って働いてきた〈ドン〉の大会直前での退任には、様々な憶測が流れた。

 「協会内の〈若返りを図る〉ためとか、体調不安説などもささやかれたりしました。ですが、名誉会長を退任したとはいえ、協会内での森さんの発言力は絶大です。いまだに彼に対して忖度する協会幹部は多いですよ」(前出・ラグビー関係者)

 実はラグビーW杯を巡り、平原の名前が挙がったのは、これが初めてではない。ワールドカップの公式ソングである『World in Union』の歌手として彼女が取りざたされたことも…。

 「『World―』は91年の英国大会から開催国を代表する歌手が歌うことになっているのですが、実はこの曲は、平原綾香が歌った『Jupiter』と同じで、歌詞だけが違うんです。当然、森さんは彼女を強力にプッシュしたのですが、大会を取り仕切る広告代理店サイド〔電通?〕が、『Jupiter』で有名な平原が歌うことに〈新鮮味に欠ける〉と反対したのです。そこで、〈いきものがかり〉の吉岡聖恵に正式決定したのですが、森さんとしては、かなり納得いない様子だったようですよ」(レコード会社関係者)

 4年に1度のW杯で、公式ソングを歌えるのは世界でたった1人。しかも、日本とは比べものにならないほどラグビー熱の高い欧米やオセアニアへのアピールは絶大で、世界進出への足掛かりにもなる。

 それだけに、公式ソングの歌手選定では、かなり揉めた。本来なら18年春ころに発表のはずが、同年9月に発表にずれ込んだことからも、そのドタバタぶりがうかがえる。

 そこで、平原が所属するレコード会社にラグビーW杯での国歌斉唱の件と森氏の強力プッシュについて質問すると、メールにて、

 「ご質問の件ですが、両質問ともそのような事実はございません」

 という回答が寄せられたのだが…。

 「〈公式ソング歌手〉を平原にさせることができなかったことを、森さんはかなり悔やんでいたそうです。だからこそ、同じように世界的に注目されるオープニングゲームでの国歌斉唱に、なんとしても彼女を押し込みたかったのでしょう。それ以上に不思議なのは、吉岡さんが大会中に出演する予定がないこと。公式ソングを歌う場面でも、吉岡さんは出演しないそうです。過去の大会でも〈公式ソング歌手〉が出てこなかったというのは、ほとんどありませんよ。もしかしたら、森さんの気持ちを〈忖度〉して、あえて周囲が吉岡さんをW杯から遠ざけているのかもしれませんね」(大会関係者)

 いずれにせよ、日本を代表する2組のアーティストが、全く知らないところで行われた〈せめぎ合い〉。それが、ファンの声ではなく、森元会長への〈忖度〉で決まっていたとなれば、あまりに横暴ではないだろうか…。

文:荒木田範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)
『フライデー』電子版(2019年08月05日)
 ……というわけで、世上の風聞では、吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」が黙殺されたのは、老害と揶揄される元首相・森喜朗のせいであるということになっている(この記事が本当なら,電通の意向を突っぱねる森喜朗という人もある意味凄いが)。

 しかし、ラグビーファン、スポーツファンが吉岡聖恵に歌ってほしい曲は、基本的に「ワールド・イン・ユニオン」の方である。開会式で吉岡聖恵が「ワールド・イン・ユニオン」を歌い、開幕戦で平原綾香が「君が代」を歌っても、別にかまわない。

 それとも、この2曲を2人の歌手で歌い分けてはいけない、日本の芸能界的事情(テレビ業界の「裏被り禁止」の不文律みたいなもの)でもあるのだろうか?

 いすれにせよ、ラグビーやスポーツを愛する善男善女には関係ない話なのだが……。

やはり「ワールド・イン・ユニオン」は日本では黙殺されたはず?
 否。仮に平原綾香が歌っていたとしても、彼女が開会式で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことはなかったであろう。また、仮に平原綾香が歌っていたとしても、本来のラグビーW杯テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」は、日本では黙殺されていたであろう……。

 ……どうして、こんな憶測が言えるのか?

 ここで陰謀論を大きく広げて邪推を飛躍させてみよう。日本ラグビー界(この場合,公益財団法人日本ラグビーフットボール協会,およびラグビーワールドカップ2019組織委員会)にとって【忖度】の対象は別にある。元首相・森喜朗は、そのことから目を逸(そ)らすための体のいい風除けでしかない。

 むしろ、こういう時に悪役になれる森喜朗は、その意味では優れた政治家である……。

 ……それは一体どういうことなのか?

 日本ラグビー界が「ワールド・イン・ユニオン」を隠蔽することで、誰が得することができたのか? ……を考えるのである。

タイアップ曲とテレビのスポーツ中継
 日本の大衆音楽=ポピュラーミュージック(歌謡曲,ニューミュージック,Jポップ等々)の歴史は、蓄音機とSPレコードの時代から(インターネットによるデジタル音源配信の時代まで)、映画やテレビドラマ、企業や商品、CMと提携(タイアップ)し、これを宣伝する「タイアップ曲」の歴史であった……。

 ……とは、速水建朗著『タイアップの歌謡史』(2007年)が鋭く指摘するところである。

 この「タイアップ曲」の提携対象に、1980年代後半以降、オリンピックやサッカーW杯、各種競技(陸上,水泳,卓球など)の世界選手権といったスポーツのメガイベントのテレビ中継番組が加わるようになっている。

 何と言っても、スポーツ中継は視聴率が高いからだ。特に「日本代表」が「世界」と戦う……というシチュエーションならば、なおさら多くの日本人が感情移入しやすく、視聴率を獲得できる。特にネット時代に入って低迷が止まらない地上波テレビにとっては、スポーツは有力コンテンツである。

 ちなみに、こういうことをやって最も成功した(……というか,唯一成功した)のは、フジテレビのF1グランプリ中継である(日本のメーカーであるホンダ製エンジン搭載車に乗るブラジル人レーサーのアイルトン・セナは,いわば「日本代表代理」であった)。

TRUTH
Sony Music Direct(Japan)Inc.
2014-04-11


 ことわっておくが、あくまで「スポーツのメガイベントのテレビ中継番組」のテーマ曲であって「スポーツのメガイベント」そのもののテーマ曲ではない……ということである。読者諸兄は、くれぐれもこのことを念頭に置いて欲しい。

 この慣習を決定的にしたのは、1988年のソウル・オリンピックで、よりによって公共放送たるNHKが、自局のソウル五輪中継番組のタイアップ曲に、浜田麻里の「Heart and Soul」を採用したことである。

 以降、他の民放各テレビ局とも右に倣(なら)えで、五輪、サッカーW杯、各種スポーツイベントのテレビ中継の度に、有象無象のタイアップ曲で溢れるようになったのである。

他のタイアップ曲と「ワールド・イン・ユニオン」の微妙な関係
 この流れが、もともと商売っ気に乏しい、むしろ、これを遠ざけていた印象がある日本ラグビー界にも、遅まきながら及んできた。

 すなわち、2019年ラグビーW杯日本大会で言えば、NHKとのタイアップ曲は、Little Glee Monster(リトグリ)の「ECHO」という曲である。ラグビー日本代表(ジャパン)のスポンサーである大正製薬「リポビタンD」とのタイアップ曲は、B'zの「兵、走る」である(リーチ マイケル選手と堀江翔太選手のCMは,とても良かった)。

 あるいは、日本ラグビー界との直接のタイアップ曲ではないが、2019年のラグビーブームの地ならしをしたテレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」(TBS)の主題歌は、米津玄師の「馬と鹿」である。

 これら……NHKも、日本テレビも、TBSも、大正製薬「リポビタンD」も、日本ラグビー界およびラグビー日本代表(ジャパン)をPRしてくれる重要で大切なマスメディア、または重要で大切なスポンサーである。


 ……と、ここまで来れば「なぜ〈ワールド・イン・ユニオン〉がイチ押しされないのか?」という疑問の、おおよその見当は付く。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうと、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうからである。

テレビ局のステマとタイアップ曲
 こうしたタイアップ曲が放送等で流れると、各テレビ局は傘下に音楽出版社を抱えていて、その楽曲を流せば流すほど、音楽出版社に金が入ってくる仕組みになっている。

 NHKとラグビーW杯(および,その他のラグビー中継)のタイアップ曲、リトグリの「ECHO」の場合、傘下の出版社=日本放送出版協会(NHK出版)が「ECHO」の原盤権(著作権とは違う,音源に関する権利)を持っていて(たぶん)、これを流すたびにNHK出版にカネが入ってくるのである(たぶん)。

 こうしたことは音楽著作者間の公正な競争を阻害するとして、例えばアメリカ合衆国などでは禁じられている。この「タイアップ曲」の慣習こそ、日本のポピュラーミュージックが世界的になれない理由のひとつだとも言われている(そもそも,欧米の著名なアーティストがCMに出演したり,タイアップ曲を歌ったりする例は,非常に少ない)。

 なかんずく公共放送たるNHKは、放送法で「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。法に抵触しかねない。

 実際、NHKは、2004年のアテネ五輪・体操競技の中継で、アナウンサーが、自局のタイアップ曲の題名に結び付けた実況をして、それは違法性を孕(はら)んだ「ステルスマーケティング(ステマ)ではないか?」との疑惑を指摘されている。
テレビ局のタイアップ商法の行きすぎが問題視されている
 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」

 2004年のアテネオリンピック、体操競技の決勝の中継で、実況を担当していたNHKの刈谷富士雄アナウンサーが叫んだ言葉だ。これはアテネ五輪の名シーン、名セリフとして何度ものちに繰り返し放送された。

 しかし、これは決してアナウンサーの咄嗟の思いつきで生まれた言葉ではない。NHKはオリンピックを中継番組のテーマソングとして、ゆず「栄光の架け橋」という楽曲を起用しており、このテーマソングの題名と結びつけた実況だったのだ。

 それも、単に番組のテーマソングとして使ったというだけではない。上記楽曲の原盤権はNHKの子会社である日本放送出版協会が取得している。つまり、番組中で「栄光の架け橋」がかかるたびにNHKの子会社にお金が入る仕組みになっていたのだ。

 これを民放が行うのならタイアップにまつわる一般的なビジネスとして容認されるが〔本当にそうですかね?〕、〔公共放送たる〕NHKの場合は放送法により「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。

 音楽ライターの高橋健太郎はITジャーナリストの津田大介との対談の中で現在の音楽ビジネスとタイアップの現状についてこう指摘している。

 「米国では放送局が音楽出版を持つのは禁止されているのに、日本は大丈夫だからタイアップビジネスが主流になっちゃう。そりゃテレビやラジオ局は自分の子会社が出版やってる音楽をガンガン流せば使用料が発生して収益になるわけですから、レコード会社に対して、タイアップしてやるから出版権〔原盤権〕よこせって話になりますね」

 これは……〔19〕60年代の「帰ってきたヨッパライ」の時代からすでに行われたきたビジネスの手法ではあるが、昨今はその行き過ぎが問題視されるところまで来ている。

速水建朗『タイアップの歌謡史』215~216頁
 とにかく、日本ラグビー界としては、日本ラグビー界をサポートしてくれる、かつ独自のラグビー関係のタイアップ曲を持っているNHK様や日本テレビ様、TBS様、大正製薬「リポビタンD」様……等々のビジネスの邪魔をしたくない。ご機嫌を損ねたくない。



 だから、吉岡聖恵が歌った「ワールド・イン・ユニオン」は隠蔽されたのである。**

日本のスポーツ文化とタイアップ曲…
 こうした日本の慣習は、日本のスポーツ文化という観点から見て大いに弊害がある。

 ……と、これからもう少し続くのだが、長くなるので以降は次の機会に譲ります。

つづく




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 簡単な話だ。「ゆるキャラ」に譬(たと)えると、理解が早い。

 サッカーファンは、「ゆるキャラ」で言えば「ひこにゃん」や「くまモン」みたいな、みんなが愛らしいと感じるマスコットキャラクターを創作してほしいのである。



 ところが、アディダスジャパンのサッカー担当が仕上げてくるサッカー日本代表ユニフォームは、毎回毎回「せんとくん」みたいなキワモノばかりなのである。

せんとくん(奈良県公式)
【せんとくん:奈良県マスコット】(http://www.pref.nara.jp/36906.htm)

 「せんとくん」は賛否両論の嵐にさらされた。もっとハッキリ言えば散々な悪評を被(こうむ)った。

 一見して「せんとくん」は「気持ち悪い」、可愛くない。特に「せんとくん」で目立ったのは、仏教の尊格の頭に生やした「鹿の角」である。

 これは、明らかに「異様」であり、御仏への恭敬(仏教)を侮辱した「不謹慎」なものであるとされた。

 しかし、この「鹿の角」には作者のこだわりがある。

 それはアディダスジャパンの日本代表デザインの、あの醜悪な「結束の一本線」やら、雑巾の縫い目だの千人針だのと罵られた「勝色(刺し子)」やら、このたび酷評されまくっている「迷彩」だの……といった奇怪なオブジェへのこだわりと共通する。

 そして、このこだわりこそ、賛否両論の種である。

 先代のサッカー日本代表デザインである「勝色(刺し子)」モデルのデザイン担当、アディダスジャパンの山口智久氏は、「これまでどんなモデルを発表しても、必ず賛否両論は起こりました(笑)」などと嘯(うそぶ)く。




 だが、「賛否両論」が起こったということは、要は「せんとくん」と同じで非常に評判が悪いということである。

 一説に、やはり……というか「せんとくん」のライセンス料収入は芳しくないと聞く。


 アディダスジャパンも、つまり、「ひこにゃん」や「くまモン」のような、みんなが愛らしいと思えるキャラクターが創ることが出来ればもっと儲かって良いはずなのだが、あいにく「せんとくん」のような奇天烈な造形しかリリース出来なくなっている……。

 それは、日本のサッカーファンにとっても大いなる不幸である。

(この項,了)




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やっぱり「迷彩」ユニフォームへの悪評続出!
 2019年11月からのサッカー日本代表のユニフォームのデザイン、通称「迷彩」……おっと違った、自称「スカイコラージュ」または「日本晴れ(にっぽんばれ)」。案の定、背番号が見にくい、前面の胸番号が見にくい。例の「迷彩柄」は目がチカチカするようだ、とにかく視認性が悪い……と、SNS上では悪評で溢(あふ)れている。




 まあ、河治良幸氏も「個人的にユニ批判なんてしたくない」とか、つまらぬ申し訳を前置きしないで、アディダスジャパンの日本代表デザインがおかしいと思ったら、素直に「おかしい」と書けばよいのだ。実際、後藤健生氏や西部謙司氏といったベテランのサッカージャーナリストは、率直に違和感を表明するぐらいのことはやっている。

 こんなことを言っているから、やっぱり日本のサッカーマスコミは、サッカー日本代表のサプライヤーであるばかりでなく、大口のスポンサーでもある「アディダスジャパン」の批判はやり難(にく)いのではないか……という疑念が消えないのである。サッカーファンは、特に2018年のハリルホジッチ氏の更迭以来、かなり疑心暗鬼になっている。

 それはさておき、今回は、現行のサッカー日本代表デザイン「迷彩」モデルの背番号の視認性が悪い理由に絞って話を進める。その理由は、きわめて単純。デザイン(彩色,意匠)の理論に適っていないからだ。

サッカーのデザインは紋章や旗と同じである
 ふとしたきっかけで「西洋紋章学」の本をいくつか読むようになった。この「まなざし」から、欧米のサッカー(やラグビー)のユニフォームやエンブレムのデザインを観察すると、それは西洋紋章学(heraldry)や旗章学(vexillology)のデザイン理論ときわめて親和性が高いことに気が付く。

西洋の紋章とデザイン
森 護
ダヴィッド社
1982-04


 例えば、ユベントスやACミラン、インテルミラノのような縦縞、フラメンゴやセルチックのような横縞、リーベルプレートのたすき掛け、ベレスサウスフィエルトのV字、フェイエノールトの縦二分割……などといった意匠は、すべて西洋紋章学のそれに由来する。

『サッカー人間学』202頁
【『サッカー人間学』202頁より】

 要するに、サッカーのユニフォームのデザインとは、紋章や旗のそれと同じものだ。そのルールの基本は簡単だ。紋章学の基準に照らし合わせて「迷彩」ユニフォームの背番号の彩色は間違っている。だから、当然、視認性が悪いのである。

ドイツ国旗の黄色は実は「金」色
 西洋の紋章は多彩多色であるが、一方、使っていい色には厳格な決まりがあり、いくつかのグループに分かれる。まず「金属色」(metals)で、これには「金」と「銀」がある。金は「黄」で代用可、銀は「白」で代用可である。
金属色(metals)
  • 金(黄で代用可)
  • 銀(白で代用可)
 上から黒・赤・黄(■)の三色旗になっているドイツの国旗の黄色部分は、実は「金」である。金属の光沢が、昔の印刷技術では表現が難しかったために、金は黄、銀は白で代用できるルールになっている。

サッカーで使われる色,使っていい色
 続いて「原色」(colours)である。
原色(colours)

森護『西洋の紋章とデザイン』口絵4頁
【森護『西洋の紋章とデザイン』口絵4頁より】
 ……と、ここまで来ると、サッカーのユニフォームに使われている色が、おおむねこれでカバーされていることが分かるだろう。

 すなわち、茶系のようなくすんだ色、周囲から埋もれやすい色は、紋章や旗に用いられることは基本的になく、サッカーのユニフォームでもきわめて少ない。デズモンド・モリス博士の大著『サッカー人間学』でも、英国サッカー界にその実例はあるが、あくまで例外であることが紹介されている(下記の写真参照)

『サッカー人間学』201頁
【『サッカー人間学』201頁より】

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 ましてや、迷彩柄など「もってのほか」である。

「迷彩」ユニフォームの背番号はルール違反!?
 ここで、ひとつのルールが登場する。西洋紋章学では「金属色の上に金属色を重ねてはいけない=彩色ルール違反」また「原色の上に原色を重ねてはいけない=彩色ルール違反」という決まりがある。

 つまり「金=黄」(金属色)の上に「銀=白」(金属色)を重ねるのはいけない。彩色ルール違反である。その逆もいけない。あるいは「赤」(原色)の上に「青」(原色)を重ねてはいけない。彩色ルール違反である。その逆もいけない……等々(詳しくは下記の写真参照)。

森護『西洋の紋章とデザイン』口絵3頁
【森護『西洋の紋章とデザイン』口絵3頁より】

 その理由は簡単。視認性が悪いからだ。ここまで来て、勘のいい人は理解できたはずである。*


 現行の日本代表ユニフォーム「迷彩」モデルの背番号は、原色(青)の上に原色(赤)を重ねるという、わざわざ視認性を悪くする彩色ルール違反を犯しているのである(申し訳程度に白く縁取りがしてあるが,実際の使用では全く効果的ではない)。**

デザインの基本を知らないアディダスジャパンの西脇大樹氏
 西洋紋章学や旗章学には、デザインすなわち意匠・彩色に関して厳格なルールがある。一見するとそれは面倒で不自由な制約のようにも思える。

 しかし、そもそも紋章や旗は、いにしえの西洋の「野戦」において、両軍入り乱れて戦う敵味方の判別や自軍の忠誠心を高めるために創り出され、用いられたものであった。そのためにはデザインに優れた視認性や識別性がなければならない。

 西洋紋章学・旗章学のルールは、そのために歴史や文化の研鑽(けんさん)を積んできた。不自由なようであるが、むしろルールを守ることでそのデザインは優れた視認性、視認性、象徴性、品位、そして美しさすら放つようになる。

 フットボールの試合もまた「野戦」と言える。サッカー(やラグビー)のような競技場の中で両軍入り乱れてゴールを奪い合うゲームで、そのエンブレムやユニフォームのデザインが西洋紋章学・旗章学のルールに準じたものになるのは、理の当然であった。

 ところが、アディダスジャパンの「迷彩」モデルを担当した西脇大樹氏は、こうしたデザインの基礎を知らない。


 デザイン本来の在り方や視認性などの機能を犠牲にしてまで、アディダスジャパンの担当者が捻(ひね)り出す「コンセプト」を優先させるのである。

 だから、「迷彩」柄ユニフォームの背番号の視認性が極端に悪くなる。見にくい=醜い。美しくない。

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【アディダスジャパンの西脇大樹氏(1)】

デューダ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」
【アディダスジャパンの西脇大樹氏(2)】

 こうした悪辣(あくらつ)なやり方には、肚(はら)の底からウンザリさせられる。

(この項,了)




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『サッカー人間学』または「サッカー部族」とは何か?
 サッカーのユニフォームのデザイン(意匠,彩色)に関して「迷彩」は好ましくない……。

迷彩柄(サッカー日本代表ユニフォーム2020)
【迷彩柄?(サッカー日本代表ユニフォーム2020)】

 ……とハッキリ言及しているのが、動物学者デズモンド・モリス博士の大著『サッカー人間学』(1982年,原題:The Soccer Tribe=サッカー部族)である。

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 「サッカー部族」とは、サッカーというスポーツの文化や社会、生活様式などを、非文明または原始「部族社会」の狩猟採集生活のそれに譬(たと)えた、この本独特の呼び方。日本の場合だと、日本代表部族、浦和レッズ部族、柏レイソル部族……等々、存在する。


 したがって、『サッカー人間学』には「部族」という言葉が頻出する。その上で、あらゆるサッカーカルチャーを網羅して論じた浩瀚な一冊である。

サッカーにおける「色彩」とは?
 デズモンド・モリス博士が、サッカーのユニフォームのデザインについて論じているのは「色彩~部族の色の区分」という見出しの箇所である。
 部族の英雄〔選手たち〕が着用している鮮やかな色彩は、一見装飾的に映るが、そう思い込むのは誤解である。

 確かに芝生の上を目まぐるしく動き、変化するようすはみごとな絵を描いているようだが、観客の視覚に訴えるのがそれぞれの色彩の第一義的な機能ではない。実際には、きわめて重要な部族の信号なのである。多くの動物や花が色彩をディスプレイ〔体の色彩や特定の部分を強調して示す姿勢や動作をすること〕に用いるように〈所有者〉の重要なメッセージを伝えている。

 こうした機能上、〔色彩の〕多様性には制約が生じる。

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』199頁


『サッカー人間学』199頁
【『サッカー人間学』199頁より】
 西脇大樹氏(自称スカイコラージュまたは日本晴れ,こと迷彩柄)や、山口智久氏(勝色,こと雑巾の縫い目)といった、アディダスジャパンのサッカー担当は、サッカー(日本代表)のデザインには、ある種の「制約」があるというルールがあることに気が付いていない。単なる装飾としか思っていない節がある。

デューダ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」
【アディダスジャパンの西脇大樹氏(1)】

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【アディダスジャパンの西脇大樹氏(2)】

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(1)
【アディダスジャパンの山口智久氏(1)】

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(2)
【アディダスジャパンの山口智久氏(2)】

 その分だけ、サッカー日本代表部族の「重要なメッセージ」や、「信号」としての機能を大きく損ねている。
 例えば、紫色の渦巻きを下地に桃色の大きな斑点〔はんてん〕を散らしたシャツを着て試合に出るチームはない。灰色と茶色の縞柄を着せて、英雄〔選手たち〕を送り出すクラブもない。

 一見した限りでは誇大な色彩と柄を乱雑に配した不協和音と映るものが、綿密に検討してみると、厳しい制限を受けた一連の形式になっていることが分かる。

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』199頁


『サッカー人間学』200頁
【『サッカー人間学』200頁より】

『サッカー人間学』202頁
【『サッカー人間学』202頁より】
 アディダスジャパンの日本代表デザインは、サッカーのユニフォームにとって、好ましい「厳しい制限を受けた一連の形式」に則しておらず、サッカーファンに違和感を抱かせる「誇大な色彩と柄を乱雑に配した不協和音と映るもの」でしかない。
 ……色彩や柄に主流があるのは何故だろうか。英雄〔選手たち〕の着るシャツに花柄や大小の水玉模様、色の曲線やらせんが使われないのはなぜだろうか。多色多彩の大胆な抽象柄シャツがないのはなぜだろうか。

 こうした疑問に対する解答を得るためには、部族の色彩の基本的な機能について分析してみることが必要である。部族の色彩には〔着用する選手を際立たせるための〕視覚信号としての作用がある。

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』200頁
 どう見ても、西脇大樹氏が手掛けた「スカイコラージュ」または「日本晴れ」と自称する「迷彩柄」は、選手を際立たせるための視覚信号としての色彩ではない。
 このために、くすんだ茶系、灰色系や、淡く柔らかい、さめやすいパステル調の色は排除される。同様に不揃いやまだらの配色も、迷彩効果が出てしまい、選手の姿がまぎらわしくなるので、排除される。〔中略〕

 最も大切な要件は、シャツの色をはじめ、色彩は遠方から見て、できるだけ選手を際立たせるものではならないという点である。

 接近している場合には、何の問題もない。60~90センチしか離れていなければ、ごてごてした服装でも十分目に付く。

 しかし、味方にロングパスを送ろうとする場合には、1秒たらずの間に、時には目の隅でその所在を確認しなければならない。そんな時にこそ、明るい広幅の単純な色が瞬間的に飛び込んでくれば、それ以上の目標はない。その目的を……

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』201~203頁


『サッカー人間学』201頁
【『サッカー人間学』201頁より】

『サッカー人間学』203頁
【『サッカー人間学』203頁より】
 ほら見ろ。「迷彩」柄は、サッカーではだめだと言っているではないか。

モリス博士の嘆きは現代日本サッカー文化の悲劇と同じ?
 『サッカー人間学』の草稿が執筆されたのは1970年代だから、現在のサッカーカルチャーでは当たり前になっていることに、著者のデズモンド・モリス博士が違和感をもって評している箇所がある。
 近年に至って、ファッションデザイナーがスポーツウェアの分野に関心を寄せ、簡素だったシャツやパンツに奇抜な柄がいろいろと加わるようになった。

 特にアメリカ〔合衆国〕では、大きな革新が訪れ、星柄や稲妻模様のような装飾要素の強いものまで現れているが、他の地域には登場していない。

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』206頁
 ここで言及されているような事柄は、現在では、アメリカ合衆国のみならず、世界中に普及している。それがガラパゴス的に特異な発達(?)を遂げたのが、アディダスジャパンによるサッカー日本代表のデザインであるが。
 それよりはるかに一般化していながら、奇妙に魅力を欠く傾向として、選手のシャツに広告要素を加える動きが目立っている。大企業が巨額の資金を投じてクラブ〔または日本代表のようなナショナルチーム〕を後援し、そのかわりに社名をホーム・チームの選手の分厚い胸に書き込ませる体制を整えている。

 確かに営利事業としてはこれは正常な在り方かもしれないが、選手の備えるべき英雄的資質を大いに損ない、選手を単に動き回るサンドイッチマンに堕落させ、選手から部族的威信の大半を大いに奪うことになるという点はかわりはない。

 悪化する一方の財政問題を抱えて四苦八苦するクラブ〔または潤沢な資金を得たいサッカー協会〕の多い昨今では、残念ながらこの傾向に拍車がかかるばかりである。

デズモンド・モリス「色彩」@『サッカー人間学』206頁


『サッカー人間学』207頁
【『サッカー人間学』206頁より】
 アディダスジャパンは、単なるサッカー日本代表のユニフォームのサプライヤーではなく、有力なスポンサーでもある。一説に、一年あたり30億円。

 だからこそ、サッカー日本代表の選手やスタッフたちは、アディダスジャパンのサンドイッチマンに堕落している。だからこそ、サッカー日本代表の選手やスタッフたちは、アディダスジャパンを批判しにくい。

 その分だけアディダスジャパンは、「選手の備えるべき英雄的資質を大いに損な」わせ、「選手から部族的威信の大半を大いに奪」っている。

 デズモンド・モリス博士の嘆きは、現代日本のサッカーカルチャーの悲劇そのものである。

(この項,了)




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