スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:JFA

 サッカー日本代表、2022年1月~2月の活躍は素晴らしいものがあった。それを讃えるサッカー講釈師こと武藤文雄さんのツイートである。

>>100年の歴史が育んだ知性と技巧とフィジカルに優れた我らのサッカーエリート達が、ここまで戦ってくれるとは。(武藤文雄)
 さて、この「100年の歴史」とは何だろうか?

 JFA=公益財団法人日本サッカー協会が、1921年(大正10年)に創立してから2021年で100年経ったということである。

 しかし、それは日本のサッカーの歴史が100年とちょっとということではない。それ以前から、日本でサッカーは行われていた。

 日本でもっとも古くから活動している旧制東京高等師範学校フートボール部、現在の筑波大学蹴球部が創部されたのが1896年(明治29年)だから、そこから起算すると、2022年で126年になる。

 筑波大学蹴球部は、現在まで続いている日本の(日本人の)サッカーの直接のルーツと考えられる。全国各高校のサッカー部の淵源、あるいはその血脈(けちみゃく)をたどっていくと、東京高等師範学校~筑波大学の人材に連なるクラブは多いはずである。

 だから、武藤文雄さんが「100年の歴史」と書いたのは正しくないのではないか。

 さらにそれ以前から、日本の(日本人の)サッカーは行われていた。

 もっとも、日本の(日本人の)サッカーが「いつから」始まったのか? 諸説紛々かつ曖昧模糊としており、かつ解釈によってまちまちである。未だよく分かっていないことも多い。
  • 参照:明治最初のフットボールはサッカーか? ラグビーか?~後藤健生vs秋山陽一(2019年08月12日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38242980.html
  • 参照:公益財団法人日本サッカー協会(JFA)沿革・歴史 http://www.jfa.jp/about_jfa/history/
 この点、1899年(明治32年)、慶應義塾で行われたラグビーを日本の(日本人の)ラグビーの始まりという話が定説化しているラグビー界とは対照的である。<1>

慶応ラグビー「百年の歓喜」
生島 淳
文藝春秋
2000-09-01


 ともあれ、武藤文雄さんは「120有余年の歴史が育んだ……我らのサッカーエリート達が……」と書くべきだったのではないか。

(了)




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 1996年の日本サッカー協会(JFA)創設75周年には分厚い『財団法人日本サッカー協会 75年史~ありがとう。そして未来へ』が出た。

 はたして100周年の2021年、JFAの100周年記念本が刊行する気配はあまり無かったのだが、意外にも総合スポーツ誌『スポーツグラフィック ナンバー』の特集として出た。
  • Sports Graphic Number 1036号〈日本サッカー協会100周年記念特集〉日本代表、百年の先へ。(2021年9月24日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/849835
 なるほど、そういう手があったのね。JFAの経費も浮いたでしょう(笑)。

 とにかく、この特集号の目次、特集記事の数々を見ているといろいろ分かってくることがある。

 まずは、中田英寿への過剰な高評価である。何と当代のJFA会長・田嶋幸三氏と対談している。中田英寿は大変な特権の持ち主なのである。
●スペシャル対談 中田英寿×田嶋幸三「日本らしいサッカーとは何か?」
 しかし、中田英寿の評価については「〈ジョホールバルの歓喜〉のプレイヤー・オブ・ザ・マッチ」だけで十分なのだが。それにもかかわらず、人はありとあらゆる言辞を用いて中田英寿に過剰な高評価の尾鰭を付けたがる。

 中田英寿の言動・立ち振る舞いが「日本的ではなかった」からである。

 日本サッカー界の観念体系では「日本的であること」は「サッカー的でないこと」であるとされている。反対に「サッカー的であること」は「日本的でないこと」とされている。

 言動・立ち振る舞いが「日本的ではなかった」中田英寿は、日本サッカー界のこの二元論の度し難い劣等感を巧妙にくすぐった。これで中田英寿に過剰な高評価の尾鰭がついて回ることになった。

 それが日本サッカーを不幸にした。中田英寿は増長した。

 英国の大衆新聞からも酷評された2006年ドイツW杯における中田英寿の実に見苦しい引退パフォーマンス。サッカーというスポーツやワールドカップ、サッカー日本代表といった【公】の存在を【私物化】したワガママな行為であり、絶対に許してはならない振る舞いである。

フットボールサミット第2回「中田英寿という生き方」表紙
【2006年ドイツW杯における中田英寿の見苦しい引退パフォーマンス】

 もうひとつ、元ブラジル代表のジーコが対談記事に登場したこと。
●鹿島30周年記念対談 ジーコ×小笠原満男「次の〈ダイヤ〉を育てるために」
 これは、JFAの「公的史観」では今なおサッカー日本代表ジーコ・ジャパン(2002年~2006年)は間違っていなかったことになっているという意味である。2006年のドイツW杯ではさんざん嫌な目にあわされたというのに……。

 ラグビー畑のスポーツライター・藤島大氏は「シュートの下手なフォワード(柳沢敦)を監督(ジーコ)が選んでおいて,しかし緻密な戦術もなしにピッチに送り込んで,柳沢敦がシュートを外した! ……とジーコが柳沢敦を非難したら,それはアンフェアだ」と、よくジーコを批判し得た(次のリンク先参照)。
  • 藤島大「ジーコのせいだ」(2006年7月)https://www.suzukirugby.com/column/column984
QBK直後のジーコ(左)と柳沢敦
【ジーコ(左)とシュートを外した柳沢敦】

 しかし、サッカー畑のスポーツライターはこれができない。ジーコは、監督として無能だったが、先に出た二元論的な日本サッカーの観念体系では、緻密な戦術は「日本的であること」であるが「サッカー的でないこと」であり、ジーコの無能は「日本的でないこと」すなわち「サッカー的であること」と、無理やり変換されたからだ。

 中田英寿の神話、ジーコの神話……。このふたつは日本サッカーの悪い意味での「神話」である。これを打破するスポーツ評論、あるいは「スポーツ学」の登場を願ってやみません。

(了)




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今年の今月今日、来年の今月今日……
 「来年の今月今夜……再来年の今月今夜……」といえば尾崎紅葉の明治近代文学『金色夜叉』の主人公・間貫一の有名な台詞だが、日本のフットボール界には、去年の今月今日、今年の今月今日、来年の今月今日、再来年の今月今日……と、毎年決まった日に行われる恒例の試合が3つある。

 11月23日(祝日)に行われる大学ラグビー・早慶戦(早稲田大学vs慶應義塾大学)、12月第1日曜日に行われる大学ラグビー・早明戦(早稲田大学vs明治大学)、そして1月1日(元日,祝日)に行われる天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会決勝、いわゆる「元日決勝」である。

 先んじて書くと、本稿の目的は、このうち特にラグビー早明戦とサッカー天皇杯元日決勝の両者を比較しつつ、天皇杯サッカー「伝統の〈元日決勝〉神話」の虚構性を炙(あぶ)り出すこと、そして天皇杯サッカーがすべからく「元日決勝」から卒業するべき理由を明らかにすることにある。

ラグビー早明戦とは何か
 日本の大学ラグビー界の中でも随一の実力と権威と格式と伝統を誇る「関東大学ラグビー対抗戦グループ」、そのレギュラーシーズンの掉尾を飾る試合が「早明戦」だ。

早稲田大学ラグビー部(左)と明治大学ラグビー部
【早稲田大学ラグビー部(左)と明治大学ラグビー部】

 その始まりは1923年(大正12年)。早明戦は、いわゆるラグビーフットボール独特の「対抗戦思想」に基づき、英国ラグビー伝統の「オックスフォード大学vsケンブリッジ大学」の定期戦(毎年12月の第1火曜日開催)に倣って、毎年12月の第1日曜日に開催される。

 早明両校は対抗戦グループの中でも長らく実力筆頭であり、したがって「優勝」をかけた天王山の一戦となることが多く、数々の名勝負の物語を日本のラグビー史に刻んできた(2020年度も「優勝」がかかった大一番となる)。そして早明両校は日本ラグビー界に多数の有為な人材を輩出してきた。

 対照的な早明両校のチームカラーとキャラクターとプレースタイル。大学野球リーグと違いレギュラーシーズン公式戦の対戦は1回のみ、試合そのものの希少性。選手たちの母校へのロイヤリティと精神の高揚(試合前から感極まって試合前から泣いている選手も多い)、対戦相手へライバル意識とリスペクト。

 こうした数々の要素がラグビー早明戦を特別な試合にしている。

 Jリーグ以前、1970年代から1980年代、1990年代初めにかけて、日本でラグビーは野球のオフシーズンを穴埋めする人気を集めていた。また日本ラグビーは国内人気(や日本代表の活躍度)で日本サッカーに優越していた。当時は「ラグビーブーム」の時代だった。

 ラグビー人気→早明両校が強い→マスコミやスポーツファンの注目を喚起→マスコミ露出量が多い→さらなるラグビー人気を呼ぶ……という好循環。早明戦の入場券は、プレイガイドに1週間徹夜で並ばないと入手できない(!?)プラチナチケットとまで言われた。

 日本の「ラグビーブーム」を象徴するイベントが「早明戦」だった。

 ラグビー早慶戦の方は、早慶両校の関係者以外の人間が入り難い雰囲気があるのに対し(個人の感想です)、早明戦の方は早明両校の関係者の枠を超えてより多くの人々にラグビーを訴求するだけの力を今でも保っている。<1>

歴史的正当性を欠くサッカー天皇杯元日決勝の「伝統」
 ラグビー早明戦の伝統が本物あることに比べて、サッカー天皇杯元日決勝の「伝統」の方は歴史的正当性が甚(はなは)だ怪しい。日本サッカー協会(JFA)の公式サイト内「天皇杯の歴史」などの情報を参照しつつ、その概略を振り返ってみる。
  •  1921年11月 大正10年「ア式蹴球全国優勝競技会」として第1回が開催。
  •  1947年4月 ナイル・キニックスタジアム(明治神宮外苑競技場/旧・国立競技場)で行われた東西対抗に昭和天皇、皇太子が臨席。天皇杯下賜のきっかけに。
  •  1948年7月 宮内庁よりJFAに天皇杯が下賜される。戦後、各競技団体に下賜された中で最初の天皇杯(1949,1950年は東西対抗の優勝チームに授与)。
  •  1951年5月 この年から全日本選手権(カップ戦)に天皇杯が授与されることになり、天皇杯全日本選手権に改称。同大会優勝チーム(慶応BRB)が初の天皇杯を獲得。
  •  1969年1月 この年(年度としては1968年)から天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が元日に行われる。
  •  1992年1月 元日の決勝戦:日産自動車(現・横浜F.マリノス)vs読売クラブ(現・東京ヴェルディ1969)の試合で初めて国立競技場が満員になる。

天皇杯カップ
【サッカー天皇杯の優勝カップ】
 すなわち、今の天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会は、最初から「天皇杯」ではなかったし「元日決勝」でもなかった。2020年時点で、日本サッカーはハッキリ分かっているだけで120年有余の歴史がある。JFAは2021年には創立100周年を迎える。その歴史の中で「元日決勝」など、たかだか50年程度にすぎない。満員のスタジアムでの「元日決勝」に至っては、たかだか30年にも満たない。これは偽りの「伝統」なのである。

 ラグビー早明戦が本物の伝統であることに比べると、サッカー天皇杯元日決勝はとても「伝統」とは呼べない。そもそもサッカーにおける「対抗戦思想」など、英国においてもとっくの昔に消滅している。繰り返すが、これは偽りの「伝統」なのである。

 天皇杯「元日決勝」は、特に21世紀以降、サッカー日本代表の活動やAFCチャンピオンズリーグの開催による日程の過密化から、天皇杯の日程見直しを求める声が上がっている。JFAも2011年頃から天皇杯決勝を元日から11月~12月に前倒しする方針を示していたという。ところが、それから10年近く経つというのに状況は未だに改善されない。

 その理由のひとつに、サッカー天皇杯元日決勝は「伝統」だから、日程を変えない、変えられない、変えてはいけない……という、サッカー界やサッカーファンの間違った思い込みがある。

 明治時代(1868-1912)に欧米から舶来した近代スポーツは、大正時代(1912-1926)に本格的な興隆期を迎え、主要な競技団体が設立されたり、主要な競技イベントが始まったりした。大正時代から、せいぜい昭和戦前(1926-1945)に始まったスポーツイベントこそ本物の「伝統」のイベントである。

 例えば、戦前は旧制中学による中等野球と呼ばれた「高校野球」、もともと五輪マラソンに勝てるランナーを発掘・育成する競技会だった「箱根駅伝」、大学ラグビーの「早慶戦」や「早明戦」。これらは大正時代に始まり、21世紀の今日まで連綿と続く日本スポーツ伝統のイベントである。一方、これらのイベントは、それぞれのスポーツ本来の在り方を歪めている……という根強い批判が頻出している。

 それでもその抜本的改革に着手できないのは、高校野球も、箱根駅伝も、ラグビー早慶戦・早明戦ともに本当に「伝統」のイベントであり、変えない、変えられない、変えてはいけない……という無形の力が働くからだ。

 ところが、サッカー天皇杯元日決勝など、たかだか昭和戦後から20年以上たって始まった「偽りの伝統」でしかない。サッカー「元日決勝」は弊害だらけである。硬直化した恒例の日程を変更するのに何の躊躇(ちゅうちょ)もいらない。

 具体的には、サッカー天皇杯元日決勝の日程を、通常は12月第1週にJリーグ公式戦最終節ならば、その翌週12月第2週の土曜日か日曜日に移行する。このスケジュールは、かつて日本で行われ、日本のサッカー文化にも多大な影響を与えた旧「トヨタカップ」(ヨーロッパ/サウスアメリカカップ)の開催週でもあり、サッカーに縁のある日取りでもある。

 それによって新しい日本のサッカー文化を創造するのである。

語り草にならないサッカー天皇杯「元日決勝」の試合
 サッカー天皇杯「元日決勝」の日程を12月の前半に繰り上げるべき理由は、他にもある。

 ラグビー早明戦には語り草になる名勝負がいくつもある。例えば「大西魔術」(大西マジック)とか、「雪の早明戦」とか、「堀越正己(早大主将)vs吉田義人(明大主将)のライバル対決」とか……。ラグビーファンなら誰でも知ってる、ラグビーファンの枠を超えた訴求力がある名勝負がいくつもある。最後の「堀越vs吉田」の早明戦は、NHKが「伝説の名勝負 明治vs.早稲田」というテレビ番組まで作っている。

トライを決める明大・吉田(撮影日1991年01月06日)
【トライを決める明治大学・吉田義人:1991年1月6日】

 プロ野球(NPB)日本シリーズも、例えば「神様,仏様,稲尾様」とか、「江夏の21球」とか……。野球ファン、スポーツファンの語り草になる名勝負が多い(事例が古くて申し訳ない)。特に「江夏の21球」は、故山際淳司のスポーツノンフィクションや、テレビのドキュメンタリー番組「NHK特集」でも有名になった。

NHK特集 江夏の21球 [DVD]
NHKエンタープライズ
2010-10-22


江夏の21球 (角川新書)
山際 淳司
KADOKAWA
2017-07-10


 さらに甲子園の高校野球となれば、例えば「箕島vs星稜の延長18回戦」とか、「斎藤佑樹の早稲田実業vs田中将大の駒大苫小牧の延長・再試合」とか……。これまた野球ファンなら誰でも知ってる、野球ファンの枠を超えた訴求力を持った名勝負に枚挙いとまがない。

神様が創った試合―山下・星稜VS尾藤・箕島延長18回の真実
松下 茂典
ベースボール・マガジン社
2006-01-01


 翻って、天皇杯やJリーグなど、日本の国内サッカー(日本代表の国際試合,世界大会ではない)には、こうしたサッカーファンの枠を超えた訴求力がある名勝負の印象に乏しい。特に「元日決勝」にこうした名勝負物語のイメージが希薄なのはなぜだろう?

 後代の語り草になれそうな「元日決勝」がなかったわけではない。思い返すに、1992年元日(1991年度)の天皇杯決勝「日産自動車(現・横浜F.マリノス)vs読売クラブ(現・東京ヴェルディ1969)」は非常に興味深い試合であった。

 まず、前年まで空席が目立った国立競技場の元日決勝だったが、この試合は、いきなり約6万人の大観衆=満員になってサッカー関係者を驚かせた。選手も、三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、木村和司、井原正巳、柱谷哲二……と役者が揃っていた。試合内容も、サッカーを知らない人にも「サッカーって面白いかも」と思わせるだけの訴求力があった。総じて面白い試合であった。

 何より、それまで約20年低迷し「冬の時代」と呼ばれた日本サッカーは、ここでいきなり潮目が変わって人気スポーツとなっていく。その画期となった試合であった。同年に行われたJリーグ公式戦の前哨戦「Jリーグ・ヤマザキナビスコカップ」は盛況。同じく日本の広島で行われたAFCアジアカップ1992でサッカー日本代表(オフト・ジャパン)が優勝。いちやく日本代表は、翌年のW杯アジア予選の有力候補として躍り出る。

 そして、1993年のJリーグカップのスタートへと続いていく。

 ところが、この試合はスポーツファンの思い出話に上がることは少ない。マスコミなどで取り上げられるのは、20年余に及ぶ「日本サッカー冬の時代」から、いきなり「Jリーグの開幕戦」のシーンが持ち出され(しかし,肝心のマリノスvsヴェルディの試合内容そのものはあまり顧みられない)、そしていきなり「ドーハの悲劇」が持ち出される。

 ラグビーや野球と比べて、サッカー国内シーンの試合は、例えば1991年度の天皇杯決勝「日産vs読売」のような歴史的かつ面白い試合であっても、その物語を世間一般に、後代の人々にアピールする力が弱いのである。

 それもこれも、日本サッカー界が「元日決勝」に拘泥しているからである。元日では、マスコミがその試合を増進増幅して伝えてくれない。サッカー天皇杯には、NHKや共同通信といった大手マスコミが後援しているのに、そのメリットが充分に活かせていないのである。

早明戦と元日決勝のマスコミの扱いの違い
 例えば、ラグビー早明戦ならば、昔はスポーツ新聞が(特にラグビーを好意的に取り上げていた『サンケイスポーツ』紙なんかが)、1週間くらい前から「早明全勝対決へ向けて!」みたいなノリでその期待を煽り倒していた。

 試合はNHKが全国中継する。当日の夜はスポーツニュースでその試合を繰り返し伝える。翌朝はスポーツ新聞が、さらにその後、文春「ナンバー」のようなスポーツ雑誌がさらに余韻に浸らせる。
  • 参照:Sports Graphic Number 138号「冬の勇者たち」1985年12月20日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/118)
  • 参照:Sports Graphic Number 162号「選ばれしものたちの栄光」1986年12月20日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/164)
  • 参照:Sports Graphic Number 186号「早稲田,再びの栄光へ」1987年12月19日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/151)
 かくして、ラグビー早明戦の名勝負物語は後々まで人々の心に残り、伝えられていく。

 一方、サッカー天皇杯元日決勝はこのようなことはない。準決勝2試合は年末のあわただしい中で行われて、マスコミで大して宣伝されることがない。そして決勝に向けて期待を煽る報道がラグビー早明戦のようになされることもない。

 そして「元日決勝」そのものも、どんなに劇的で面白い試合をしても、大きく喧伝されることもない

 なぜなら、日本では、大晦日(12月31日)や元日ふくめ正月3が日は全てのテレビ局が特別編成に入っていて、スポーツ関連ニュースはごく短い時間でしか放送されないからである。加えて、翌日1月2日は新聞休刊日であり、元日に行われた天皇杯サッカーの報道は、新聞では1日遅れの報道となってしまうからである。

 どうしたって、年末年始のスポーツイベントの主役は、これも恒例1月2日~3日に行われる「箱根駅伝」になる。このイベントが報道される1月3日にはマスコミのスポーツ報道は、ほぼ通常に回復する。「元日決勝」である以上、サッカー天皇杯は箱根駅伝の風下に置かれ続ける。

 これでは、どんなに素晴らしい試合を展開しても、マスコミによって増進増幅されて人々に伝えられ、記憶され、繰り返し語られることはない。これでは何のためにNHKや共同通信が後援についているのか分からない。

 すなわち「元日決勝」は、日本サッカー界の過密日程、そこに由来する選手のコンディションの調整の難しさだけではない、他にも致命的に大きな欠陥を抱えている。

アマゾン検索で比較してもラグビー早明戦>サッカー元日決勝
 スポーツイベントとしてサッカー天皇杯元日決勝は、日本人一般に対するアピール度でラグビー早明戦に大きく負けている。そのことを確認することは難しくない。

 アマゾンで「早明戦,ラグビー」または「早明,ラグビー」と入力・検索をかけると沢山の本や雑誌などにヒットする。







日本ラグビー激闘史 第2号
ベースボール・マガジン社
2010-09-22


早稲田ラグビー 最強のプロセス
相良 南海夫
講談社
2020-08-28




 しかし、同じく「天皇杯,サッカー」と入力・検索しても大したコンテンツは出てこない。すなわち、JFAは、日本サッカー界は、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会、なかんずくその決勝戦のブランディングに失敗している。

 やはり日本スポーツ界における天皇杯サッカー「伝統の〈元日決勝〉神話」など、文字通り神話であり、虚構でしかない。

 すべからくサッカー天皇杯は堂々と「元日決勝」から卒業するべきなのである。

(了)




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西脇大樹さん,おめでとう!
 2019年11月の発表当初、サッカーファンから轟轟たる非難を浴びていた、サッカー日本代表のユニフォーム【迷彩】モデル……。

迷彩柄(サッカー日本代表ユニフォーム2020)
【2019年11月からのサッカー日本代表ユニフォーム】

 ……もとい! サプライヤーのアディダスジャパンに言わせると「日本晴れ(にほんばれ)」モデル*、または「スカイコラージュ」モデルの売れ行きが、あにはからんや! 極めて好調なのだという。
  • 〈日本晴れ〉の日本代表新ユニは大人気! 初動売り上げがW杯モデル以外では過去最高(2020.01.15)
 報道によると、W杯が行われない年のモデルとしては、初動1カ月のユニフォームの売り上げが過去最高を記録(!)。2018年のロシアW杯に向けて発売された「勝色(かちいろ)」モデルの初動で上回っており(!)、これはアディダスとして快挙とのことだ。

サッカー日本代表ユニ2018
【サッカー日本代表ユニフォーム「勝色」モデル】

 一説に、アディダスが直接販売している分だけでも、初動1カ月の売れ行きが前回比250%以上と考えられ、一般からの評価は高いと考えられる。さらには、2020年の東京オリンピックに関わる需要もあるのではないか?

 マーケティングの専門家ではないので、本当のところはよく分からないのだけれど。

 この「報道」は、おそらくアディダスジャパンからのリークなのだろう。しかし、この「一般からの評価は高い」という表現は微妙だ。つまり、「一般」ではない、コアなサッカーファンからの評判はやっぱり悪いのではないか、とも考えられるのだが……。

 とにかく、アディダスジャパンのサッカー開発担当の西脇大樹さん、おめでとう!

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【「迷彩」のプレゼンに臨む西脇大樹氏】

デューダ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」
【転職サイトでインタビュー記事に登場した西脇大樹氏】

 その昔、「♪コアなファンを捨ててでもタイアップでヒット曲が欲しい…」と皮肉って歌ったのは、筋肉少女帯の大槻ケンヂだった。
  • 筋肉少女帯「タイアップ」歌詞(アルバム「UFOと恋人」より)
 つまり、コアなサッカーファンからあれだけ反発を買っても、結局のところ、一般に【迷彩】ユニが商品として売れれば、何の痛痒も感じないのでしょう。きっと。

サンフレッチェ広島「#紫を取り戻せ」問題にも悪影響?
 これでアディダスジャパンはますます調子づいて……、もとい! 自信を深めていくのではないか。

歴代のサッカー日本代表ユニフォーム(「Wikipedia」より)
【歴代のサッカー日本代表のユニフォーム】

 何よりサッカー日本代表のユニフォームのデザインは、大仰なコンセプトを具象化してデザインに盛るトンデモ奇天烈路線が、今後とも継続しそうな気がする。

 アディダスジャパンも、本来のクライアントであるはずの日本サッカー協会(JFA)も、ライト層のサッカーファンも、完全に「薬が回っている」状態だ。

 さらにJリーグ・サンフレッチェ広島のサポーターを悩ませる「#紫を取り戻せ」問題にも悪影響を与えるのではないか?

サンフレッチェ広島2020年アウェイユニフォーム
【サンフレッチェ広島2020年セカンドカラー】

 もっとも、コアサポとライト層の比率が日本代表とは違うから、Jリーグのクラブはまた違うのかもしれないが。

結束の一本線~後藤健生さんの嘆き
 アディダスジャパンのサッカー日本代表のユニフォームのデザインで、トンデモ奇天烈路線が確立したのは、2012年の悪名高き【結束の一本線】モデルである。

結束の一本線_サッカー日本代表
【サッカー日本代表の「結束の一本線」モデル】

 今回、パソコンをいじくっていたら、後藤健生さんが【結束の一本線】モデルの論評している記事をサルベージした。
 そもそも、日本代表のユニフォームがどうしてブルーなのかといえば、元は東京大学(かつての東京帝国大学)のシンボルカラーだった。

 それが、日本代表(全日本選抜)がブルーのユニフォームになった理由だったのだ。

 つまり、本来なら、日本代表のシャツはライトブルーであるべきなのである。

 日本代表のユニフォーム……そう簡単に色調は変えないで、伝統を大事にしてもらいたいのである。

 もう色調の変化はストップしよう!

後藤健生「日本代表ユニフォームのブルーはなぜどんどん濃くなっていくんだろう?」
(2012年01月12日)
 昔からサッカーを見ているファン、コアなサッカーファンほど、アディダスジャパンのサッカー日本代表のデザインには不満を持っているのである。

サッカー文化~イタリアの洗練と日本の野蛮
 【迷彩】モデルの売れ行きを伝える、くだんのアディダスジャパンのリーク報道である)では、海外からの評価も非常に高く、外国人の訪日観光客(インバウンド)の売り上げも多いとの由……。

 ……さはさりながら。このインバウンドの中には、イタリア人やフランス人も含まれるのだろう。イタリア代表、フランス代表ともに、チームカラーは日本と同じ「青」である。

 しかし、イタリアやフランスが、日本みたいな【迷彩】柄にするなどと言われたら、嫌だろう。所詮は、東アジアのサッカー弱小国の代表チームだから「Fackin' Cool!」とかテキトーなことを言っていられるのである。

 例えば、アズーリ=サッカー・イタリア代表のユニフォームを見ていこう。

azzurri1968
【サッカー・イタリア代表1968年】

azzurri1990
【サッカー・イタリア代表1990年】

azzurri2006
【サッカー・イタリア代表2006年】

2019年U20W杯イタリア代表
【サッカー・イタリアU20代表2019年】

 イタリア代表のユニフォームは、いつの時代も見事なまでにイタリア代表としてのアイデンティティ=一貫性を持持っている。

 翻って、日本代表のそれは無節操きわまりない。

 当ブログは、本来「自虐的な日本サッカー観」を揶揄・批判するサイトである。

 しかし、ことデザインに関しては、日本のサッカー文化は浅薄なのではないかと暗澹たる思いになる。

(了)




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「迷彩」はサッカーのルール上問題はないのか?
 大本営発表で「全滅」「玉砕」と言い換え、「撤退」「転進」と言い換えては、日本国民を苦しめた旧日本軍のように……。

大本営発表
【大本営発表】

 ……アディダスジャパンKKは、当初リークした「迷彩柄」「日本晴れ」と言い換えては(しかも単語の意味を誤用している)、サッカー日本代表に、あの酷いデザインのユニフォームを、わたくしたちサッカーファンに押し付けてきた。

迷彩柄(サッカー日本代表ユニフォーム2020)
【「迷彩」改め「日本晴れ」日本代表新ユニホーム】

 ところで、この「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォーム。「迷彩のパターンが少しずつズレてるんですが,公式戦で問題にならないのだろうか?」という疑問の声が上がっていた。


 「公式戦で問題にな」るのか、ならないのかということは、ルール上、問題はないのか? ……ということである。

サッカーの公式ルールから見た「迷彩」ユニフォーム
 そこで、公益財団法人日本サッカー協会(JFA)のWEBサイトに掲載されている「サッカー競技規則 2018/19」を読んでみた。
サッカー競技規則 2018/19 第4条 競技者の用具.3[色]
  •  両チームは、お互いに、また審判員と区別できる色の服装を着用しなければならない。
  •  それぞれのゴールキーパーは、他の競技者、審判員と区別できる色の服装を着用しなければならない。
  •  両チームのゴールキーパーのジャージーが同色で、両者が他のジャージーと着替えることができない場合、主審は競技を始めることを認める。
 アンダーシャツは、シャツの袖の主たる色と同じ色でなければならない。アンダーショー ツおよびタイツは、ショーツの主たる色、または、ショーツの裾の部分と同じ色でなけれ ばならない。同一チームの競技者が着用する場合、同色のものとする。

 まず、話の本筋から直接関係ないところで。「ジャージー」(jersey)という、麗(うるわ)しい言葉が、公式の『サッカー競技規則 2018/19』に出てくることに感動した。この言葉は少々古めかしく、最近の日本語では、ラグビーでも「ユニフォーム」と言うらしく、残念に思っていたところであった。

 話を戻して。これを読む限り、あの「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォームが、完全にルールに抵触するわけではなさそうだ。

 だからと言って,肯定していいわけでもないのだが。例えば、エディー・ジョーンズ(ラグビーの人だが)みたいな、ハッタリをかますのが得意な監督だったら、このユニフォームのデザインにルール上の問題はないのか? ……と、無理筋でもイチャモンを付けてくる可能性がある。

 そうやって、日本代表の選手やスタッフを少しでも撹乱し、不安に陥れるのだ。

 こういう付け入る隙を与えている時点で、サッカー日本代表「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォームは既に駄目なのである。

「迷彩」ユニフォームの政治性~戦争・軍事のイメージ?
 さて、この「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォームは、戦争や軍事をイメージさせるという批判があった。これは、ルール上問題はないのか?

 サッカーのユニフォームに意匠・色彩について規定した『サッカー競技規則 2018/19』の第4条第5項には、「スローガン、メッセージ、イメージと広告」という条文がある。
同 第4条 競技者の用具.5[スローガン、メッセージ、イメージと広告]
 用具には、政治的、宗教的または個人的なスローガンやメッセージ、あるいはイメージをつけてはならない。競技者は、政治的、宗教的または個人的なスローガンやメッセージ、あるいはイメージ、製造社ロゴ以外の広告のついているアンダーシャツを見せてはならない。あらゆる反則に対して、競技者およびチームは、競技会の主催者や各国サッカー協 会、またはFIFAによって罰せられる。

 実際には、サッカーで「迷彩」柄のユニフォームは許容されているし、戦争についても、特定の戦争をイメージさせない限りは、問題視されないようだ。

 そもそも、サッカー(やラグビー)におけるエンブレムやジャージーの意匠・色彩・作図の作法は、銃火器が普及する以前の、近代戦争以前の「戦」(いくさ)のそれに準している。


 それは、より具体的には、西洋の紋章学の理論である。

西洋の紋章とデザイン
森 護
ダヴィッド社
1982-04


 だから、当ブログは、その方面での批判は基本的にはしない。もっとも韓国が、例の「旭日旗」との絡みで騒ぎだしている。やっぱり……。

 ……山口智久氏をチーフとする、アディダスジャパンのサッカー日本代表デザインスタッフは、そうした想像力にかけていたようだ。

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(1)
【山口智久氏(アディダスジャパン)1】

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(2)
【山口智久氏(アディダスジャパン)2】

 こういう付け入る隙を与えている時点で、サッカー日本代表「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォームは既に駄目なのである。

「迷彩」ユニをめぐるルール上の盲点とは?
 『サッカー競技規則 2018/19』の第4条第5項「スローガン、メッセージ、イメージと広告」という条文には、次のような補則が付けられている。
「スローガン、メッセージ、イメージと広告」競技規則の解釈
 スローガン、メッセージまたはイメージが認められるかどうかの解釈をするとき、第12 条(ファウルと不正行為)に目を向けるべきである。そこには、競技者が次の不正行為を 行った場合、主審は対応する必要があるとしている:
  •  攻撃的な、侮辱的な、または、下品な発言や身振りをする
  •  挑発したり、嘲笑したり、相手の感情を刺激するような身振りや行動
 これらの部類に入るスローガン、メッセージまたはイメージは、認められない。

 「宗教的な」また「個人的な」ものについては、比較的判断しやすいが、「政治的」なものについてはやや曖昧である。〔以下略〕

 アディダスジャパンがデザインした、サッカー日本代表「迷彩」改め「日本晴れ」ユニフォーム。

 実は、対戦相手ではなく、わたくしたち日本サッカーのファンに対して「侮辱的」であり、「下品」であり、「感情を刺激するような」代物である。

 自分たちを侮辱するユニフォーム……。ところが、これを取り締まるルール上の決まりはないらしい。

 まったく、意外なルールの盲点であった。

(この項,了)




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