スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:Jリーグ

反サッカー主義者=中尾亘孝
 けっして日本のラグビー人は、他競技、なかんずくサッカーに敵対的な感情を抱く人たちではないのだけれど、そうではない人がスポーツメディア上で目立っていたことも、また悲しい事実である。当ブログは、中尾亘孝(なかお・のぶたか)という、いささかならずヘソの曲がった、反サッカー主義者のラグビー評論家の言動を洗い出してきた。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】(正確な学歴は早大中退らしい)

 特に、1991年、時勢に応じた、きわめて侮辱的な文体で「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会に出られない」と罵詈讒謗を放ったこと。それが1997年の「ジョホールバルの歓喜」で現実に覆(くつがえ)された後も、「自分は間違ったことは書いていない.サッカーファンの読者はバカだからそれが分からないのだ」などと悪口雑言を発したことについては、しつこく論(あげつら)ってきた(下記リンク先を参照)。

▼絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥(1)[2019年09月10日]

▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言[2019年09月01日]

 日本サッカーの両輪といえば日本代表とJリーグだが、日本代表のみならず、Jリーグも絶対に失敗すると、かつて中尾亘孝は放言していたのであった。

プロサッカー「Jリーグ」は成功するわけがない
 この慇懃無礼(いんぎんぶれい)な物言いは、サッカー日本代表がW杯本大会に出場することは不可能であると嘲笑的に論じた、1991年刊『15人のハーフ・バックス』に所収されたものと同じ文章「サッカーはW杯に出られるか」である。
サッカーはW杯に出られるか
 ……「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーを強くすればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。……体協〔日本体育協会,現日本スポーツ協会〕ファミリーのずるずるべったりなやり方に馴れているぼくら〔中尾亘孝と,あと誰?〕にとっては、潔く諸手を挙げるべき英断かもしれません。

 といいながらなお一向に愁眉〔しゅうび〕がひらかないのは、プロ化案があまりにも理想主義的だからです。……問題はプロ化にあたって、虫のよすぎる条件が付いていることです。
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 全面的に賛成です。支持します。常々かくありたい、かくあるべしと思っていたスポーツのあり方です。欧米では当たり前のこうしたスポーツのあり方は、ここニッポンの土壌に移植しようとすると、それはそのまま〈革命〉に他ならないということを別にすれば、申し分のない到達目標です。

 回りくどいいい方をしてしまいましたが、「1.」「2.」「3.」のすべてが難問です。「2.」などは不可能でしょう。「1.」すらも、某航空会社〔全日空=ANA〕のごとくせっかく横浜の市民クラブ・チーム〔横浜サッカークラブ〕を乗っ取り、強化を重ねてきたら、九州をフランチャイズにしてほしいという依頼です。幸いにして九州地区の方から「お断り」をいってきたようですが……。*

 いずれにしても、簡単にクリアできません。

 「2.」が100パーセント不可能なのは某大日本ヨミウリ帝国〔読売新聞,読売サッカークラブ〕の野望と正面衝突するからです。その他JR〔現ジェフユナイテッド市原・千葉〕以下、宣伝のためにサッカー・チームを持っているのが企業チームの本性です。金を出さずに口だけ出すサッカー協会〔JFA〕の段どりは隙〔すき〕だらけです。いまは目前のニンジン、プロ化すれば何かおいしいことがあるという幻想で企業を抑えています。

 「3.」すらも、文部省〔現文部科学省〕管轄下の既得権益集団との全面戦争を覚悟しなければなりません。水泳や体操のような個人競技とは違い、多くの人間が参加する集団競技です。クラブ・チーム組織主体のピラミッド構造に作り変えるのは、10年20年のタイム・スパンで考えたとしてもかなり難しいでしょう。それでも成功する可能性は高いとは言えません。〔略〕

 サッカー協会の決断は立派ですが、協会首脳にこうした改革が〈革命〉だという認識があったのでしょうか。まったくもって不可解なプロ化騒動です。企業アマ制度のみならず、学校体育をも否定しているのですから、否定した相手に甘えることは許されないはずです。あるいは凡人には窺〔うかが〕い知れない高度な政治的駆け引きでもあるのでしょうか。こうした穿鑿〔せんさく〕はどうでもいいことですが……〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』239~240頁


 引用のためにテキストを起こしていて、中尾亘孝の上から目線の嫌味な文体には毎度ウンザリさせられるが、これもまた時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。

Jリーグの「成功」
 2019年現在、日本の公共放送たるNHKのストレートニュース、特に午後7時のニュース(NHKニュース7)で、話題性や内容のいかんにかかわらず、結果・途中経過が必ず放送されるプロスポーツは、大相撲、プロ野球(NPB)、Jリーグ(サッカー)の3つのみである。

 人気上昇中と言われているバスケットボールのBリーグも、あるいはラグビーフットボールを含めた他のスポーツも、これほどの待遇を受けていない。

 つまり、控えめに言っても、日本のプロサッカー=Jリーグは、国民的な娯楽なり、興行なりとして、成功を収めている部類に入る。しかも……
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 ……この3つの「理念」の看板を外すことなく、である。

 Jリーグの創始と成功については、既にさまざま論じられている(下記リンク先の著作などを参照)。天の時・地の利・人の和にそれそれ恵まれたといえるが……。

ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 ……「1.」と「2.」について言えば、ちょうど「即効的な販売促進・広告宣伝効果を求めるのではなく,社会貢献の一環として行う企業の芸術文化支援」という「企業メセナ」という概念が日本に登場した時で、これはJリーグの理念の実現に幸いした。日本経済・日本企業にまだ余力があったことも幸いしたかもしれない。

 「3.」については、読売サッカークラブ(東京ヴェルディ1969の前身)や、JFAのトレセン制度、静岡県清水市(当時)における地域社会を巻き込んだ高校サッカーの疑似的クラブ的選手育成などといった「クラブ的なジュニア育成」を、日本サッカー界は既に経験していた。この点は、ラグビーや野球などとは違っていたのである。

 中尾亘孝が「某大日本ヨミウリ帝国」と呼ぶ、すなわち読売新聞とその総帥たる渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏による、読売サッカークラブ=ヴェルディのサッカー「巨人軍」化の野望は、Jリーグの創始者のひとりにして初代チェアマン・川淵三郎氏が退けた。**

当たらない予言者=中尾亘孝
 中尾亘孝の表現を借りれば、サッカーによる日本スポーツの〈革命〉は成就したということになるのだろう。

 中尾亘孝の「予言」である「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない」は、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で覆(くつがえ)った。もうひとつの「高い理念を掲げた日本のプロサッカーリーグ(Jリーグ)は失敗する」という「予言」も、また外れた。

 中尾亘孝のサッカーに関する「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 むろん、〈革命〉というものは、それが起こるまでは、そんなことは絶対に起こらない、起こらないはずだという代物なのではあるが。そうなのだとしても、しかし……。

 ……実は、中尾亘孝自身が、日本のラグビーフットボールのいわば「Jリーグ」化を、あるいは〈革命〉を夢想していたのである。

中尾亘孝が夢想した日本ラグビーの〈革命〉
 日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が、日本体育協会(体協,現日本スポーツ協会)を脱退していた時期があった。メルボルン五輪(1956年)の選手派遣費用の調達のために、特別競輪・特別競馬を実施することを体協が決定したが、JRFUは、これを不服として、1956年7月、体協を離脱した。

 中尾亘孝は、この史実をふまえて、次のように評する。
 「ケイリン〔競輪〕のテラ銭で五輪派遣選手費はとんでもない」と一度は体協を脱退した〔日本〕ラグビー協会〔JRFU〕が、あのまま脱退したままでいたら〔結局,1957年6月に復帰〕と思うのはぼく〔中尾亘孝〕だけでしょうか。理由は学校体育の枠を離れれば英国風クラブ組織のラグビーが生まれる可能性があったということです。

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』44頁


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11

 オリンピック競技でもないのに、オリンピックの日本選手団派遣のための公営競技開催に異を唱える。さらには日本体育協会を脱退する。かつての日本ラグビー界は、事ほど左様に頑迷固陋で自尊心が高いアマチュアリズムと、金や広告に対する潔癖主義があった。こうした文化から、中尾亘孝のような鬼っ子も生まれるのだけれど。

 それはともかく、JRFUが体協を脱退すると、どこがどうなって、学校体育の枠を脱して、日本にも英国風クラブ組織のラグビーが生まれる……のか? 話の筋道が今ひとつ分からない。中尾亘孝の白日夢の方こそ「いささか飛躍した結論」である。

 要するに、中尾亘孝も「日本ラグビーの脱企業スポーツ・脱学校体育→英国・欧州的なクラブ制度への移行」=〈革命〉を心の奥底で夢見ていた。そんなところへ、サッカーが「Jリーグ」として〈革命〉を始めるという。反サッカー主義者でありサッカーが嫌いで嫌いでしかたがない中尾亘孝は、嫉妬に狂い、『15人のハーフ・バックス』の中で「分析」と悪口雑言が入り混じったヒステリックな放言をしたというワケである。

中尾亘孝の「Jリーグ」へのコンサルティングは間違いだらけ
 この人の日本サッカーの批評・分析が本当にあてにならないなぁとつくづく思ったのは、いわゆるラグビー狂会本である1998年12月刊『ラグビー最前線』、その中尾亘孝による「あとがき」を読んだときである。
 サッカーの話が出たところで……ヨミウリ〔読売新聞〕の独裁者ナベツネが吠えています。Jリーグ崩壊とか好き勝手を言いたい放題。ヨミウリ以外の他紙がスポーツ文化破壊者ナベツネの暴挙を面白おかしく引用するだけなのだからだらしない。市原平塚大阪(セレッソ)神戸……どんどんつぶせばいい〔!〕。横浜(フリューゲルス)も当然つぶすべきだし、川崎(ヴェルディ)は除名。徹底的にヨミウリ帝国の影響力を排除すべき時が来たと思います。鹿島浦和の二大ロール・モデルがしっかりしているうちに、そして2002年W杯という人質があるうちにドラスティックな改革を行わないと永久にできなくなります。***

中尾亘孝「あとがき」@日本ラグビー狂会編著『ラグビー最前線』273頁


ラグビー最前線
日本ラグビー狂会
双葉社
1998-12-01


 これまた、サッカーファンが読んだら不快きわまりない文章ではある。さまざま文句はあるが順序だてて言及すると……。

 ……思い返すに、1998年当時は、中尾亘孝が列挙したようにJリーグの中堅クラブのいくつかが経営危機であるとして問題視されていたのである。実際に横浜フリューゲルスは、横浜マリノスに吸収合併されるという形で消滅した。しかし、2019年の日本サッカーは、そうした苦難を乗り越えて存在している。この辺は、いろいろと感慨深い。

 それにしても、である。ジェフユナイテッド市原・千葉ベルマーレ平塚セレッソ大阪ヴィッセル神戸東京ヴェルディ1969……といったクラブを、中尾亘孝が言うとおりに「つぶし」て、Jリーグを鹿島アントラーズ浦和レッズといったビッグクラブだけを残した10~16チーム程度ののクローズドリーグでやっていたら、実に彩りに乏しい日本サッカーの光景となったであろう。

 特にヴィッセル神戸を「つぶし」てしまうと、三木谷浩史さんがJリーグに参入してきて、楽しい話題をサッカーファンに度々振りまいたりすることはなかったのである。

 この意味でも、中尾亘孝の「予言」あるいはJリーグへのコンサルティングは間違っていたのだ。

 もうひとつ、中尾亘孝は、渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏のことを非難している。ナベツネ氏は「読売新聞」の「独裁者」で、サッカーまたはJリーグを憎悪し、「Jリーグ崩壊」などと罵っているという。しかし、それは中尾亘孝も同じだろう。

 中尾亘孝は、「日本ラグビー狂会」という日本のラグビー論壇に一定以上の影響力を持つサークルの「独裁者」である。そして、サッカーまたはJリーグを憎悪し、ひとりだけ放埓な駄文で「Jリーグの市原も,平塚も,セレッソも,神戸も……つぶせばいい」などと罵っている。

 こと反サッカー主義者にして独裁者という意味では、ナベツネ氏と中尾亘孝は目糞鼻糞を笑う五十歩百歩なのである。

中尾亘孝というラグビーファン・サッカーファンの不幸
 あらためて……。中尾亘孝の日本サッカーに関する数々の「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 その昔、東西冷戦時代、ソビエト連邦(ソ連)とアメリカ合衆国(米国)が激しくいがみ合っていた頃、ソ連による米国研究が、他のどの国の米国研究よりも詳しいという説があった。一番の敵だからこそ、他のどの国よりも徹底的に詳しく米国を研究するという理屈である。

 ところが、中尾亘孝の日本サッカー論は、全く反対に反サッカー主義の感情が入り混じり、分析としての冷静さを欠いてしまっている。意外に日本のサッカーのことを知らない。だから、サッカー日本代表にせよ、Jリーグにせよ、評価(予言)を誤るのだ(小林深緑郎=こばやし・しんろくろう=さんの方が,はるかに意味のある評価をするだろう)。

 その結果、ラグビーファンも、サッカーファンも、まるで役に立たないゴミのような愚かな評論を読む羽目になる。日本のフットボールにとって、日本のスポーツにとって、実に不幸な情況が続いているのである。

(了)




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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会は、いよいよ今月20日となりました。ジャパンのスコッドも発表されました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

期待される「日本代表」はラグビー?
 1989~1991年頃の日本スポーツ界の状況……。オリンピックの正式種目だった野球の日本代表にプロ野球(NPB)は関わることはなく、アマチュアのみで編成されていた。その分、国民的な関心が高かったとはちょっと言い難い。

 サッカー日本代表はアジア予選でモタモタしていて、W杯や五輪といった「世界」の大舞台に出ていけなかった(←日本のサッカーマスコミが大好きな「日本代表は○○を勝ち抜く力を持っていなかった」的な評価とは少し違う.この件,後述)。

 したがって、当時、日本のスポーツ界で、期待される「日本代表」といえば、もっぱら「ラグビー日本代表・宿沢ジャパン平尾組」(宿沢広朗=しゅくざわ・ひろあき=監督,平尾誠二=ひらお・せいじ=主将)であった。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 この「ジャパン」は、第2回ラグビーワールドカップのアジア予選を突破して、英・仏・アイルランドで開催されたW杯本大会に出場している。1991年10~11月に行われた本大会では、スコットランド、アイルランドにそこそこ善戦しながら最後は完敗。最終戦のジンバブエには勝ったが……簡単に言えば「世界の壁」に跳ね返されたのである。

 しかし、日本サッカーは「世界と戦う」ことすら出来なかったのだから、サッカーファンは心境は複雑であった。

本来は小林深緑郎氏が書くべきだった『15人のハーフ・バックス』?
 この大会の直前、1991年9月に満を持して刊行されたのが、「日本ラグビー狂会」または「ラグビーの〈目利き〉」を自称する、中尾亘孝(なかお・のぶたか)による『15人のハーフ・バックス』である。

 公平に見て、この本は中尾亘孝のラグビー関連著作の中でも最も力の入ったものである。もっとも、コンテンツに必要な情報やデータは、ほとんど、日本ラグビー論壇の良心=小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)氏らから提供されたものだが。

 中尾亘孝本人は、自身ではめったに現場に足を運んで取材しない。すなわち『15人のハーフ・バックス』は、本来、小林深緑郎氏によって書かれ、上梓されるべき本だった。そうはならなかったのは、辛辣で刺激的にみえる中尾亘孝の思想や語彙、文体が(当時のラグビーファンの)読者にはウケが良いだろうという版元の読みがあったからである。
前回のエントリーから…
▼ラグビー宿沢ジャパン衝撃の登場と反サッカー主義者=中尾亘孝の台頭(2019年08月28日)

 1989年、いきなりスコットランドを破って注目されたラグビー日本代表「宿沢ジャパン」。それに合わせたかのように中尾亘孝はラグビー論壇にデビューする。だが、その内容は刺激的なラグビー評論と醜悪な反サッカー主義が入り混じった異様なものだった。
 一方、そんな中尾亘孝の個性が、イヤラシイ形で表出しているのが、『15人のハーフ・バックス』本文のあちらこちらから滲(にじ)み出る「反サッカー主義」である。

日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
 その逐一は紹介しないが、今回の採り上げるのは、同時期に世上の話題に上った、日本サッカーのプロリーグ化構想(現在のJリーグ)に対する、中尾亘孝の言及である。

 『15人のハーフ・バックス』を脱稿しようかどうかというタイミングで、この話が沸き上がってきたものだから、反サッカー主義のラグビー評論家=中尾亘孝としては、ついつい茶々を入れずにはいられない。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

 日本サッカーのプロリーグは成功するのか? サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は居丈高に答える。
サッカーはW杯に出られるか
 ここで……看過できない問題が発生したので触れてみようと思います。

 それはサッカーのプロ化〔Jリーグ〕です。〔略〕

 ……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。

 それでもこうした閉塞状況は、たった一人の天才の出現によって解消してしまうものですから、簡単には見放せないものです。

 当面の大問題をさし置いて、ほとんど無謀ともいえるプロ化に取り組むサッカー協会〔JFA〕は、意外な決断力と実行力を見せてくれました。これほどのリーダー・シップがどうして代表チーム強化の際に発揮できないのか、傍目からはさっぱりわからないのですが、それでも現状改革に心掛けているだけマシです。

 プロ化構想発表から実行までの移行期間が短すぎる点に、ナニやら公表されていない背景がありそうです。とまれここは、大いに手心を加えて前向きに考えてみましょう。サッカー界がこれほどまでに劇的な改革を必要とする理由は「もっと強くなりたい」という願望からなのはだれの目にも明らかなのですから。

 でも、「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーをプロ化すればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。こうすれば、あれよあれよという間に、規格外れの天才がどんどん生まれてくるというわけでしょう。〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~239頁
 さらにこの後、中尾亘孝は「Jリーグは絶対に失敗する」という話を延々続けるのだが、今回は割愛する。サッカーへの敵意丸出しの上から目線には本当にウンザリさせられる。

 中尾亘孝の本当のイヤラシサは元の書面に当たってこそ、より深く味わえる。『15人のハーフ・バックス』の該当部分はPDFにしてアップしたので、詳しくはそちらを参照されたい。
 時勢に乗じた、反サッカー主義者による、まことに傲岸不遜な「ご託宣」である。

ドーハの悲劇,ジョホールバルの歓喜、ブルームフォンテーンの悪夢
 ラグビーがサッカーに優越していた1991年当時、中尾亘孝の「ご託宣」は、いかにももっともらしく聞こえた。しかし、間違っていたのは、読者も承知の通りである。

 [1991年]1989年のイタリアW杯アジア予選の敗退など、あまりの成績不振で、サッカー日本代表の横山謙三(よこやま・けんぞう)監督に対して、サッカーファン、サポーターから解任要求運動が起きる(俗に言う「横山やめろ」運動)。

 [1992年]横山謙三監督、ついに辞任する。

 [1992年]サッカー日本代表初の外国人監督として、オランダ人のハンス・オフト氏が就任する。

 [1992年]8月、オフト・ジャパン(当時からの習慣ではないが,便宜的にこのように呼ぶ)が、韓国、中国、北朝鮮などに競(せ)り勝って、東アジアの王者に。サッカー日本代表は、戦後初の公式タイトルを獲得する。

 [1992年]10~11月、オフト・ジャパンが、イラン、中国、サウジアラビアを破ってAFCアジアカップで初優勝。最優秀選手は日本代表の三浦知良。翌年のアメリカ合衆国W杯アジア予選でも、日本が有力候補として躍り出る。

 [1993年]10月、オフト・ジャパン、アメリカ合衆国W杯アジア最終予選で3位。いわゆる「ドーハの悲劇」でW杯本大会出場権獲得は逃すが、ギリギリもう一歩まで迫った。

 [1996年]サッカー日本五輪代表、アジア最終予選を突破してアトランタ・オリンピック本大会の出場権を獲得。五輪本大会では、1次リーグでは、いわゆる「マイアミの奇跡」でブラジルを破る金星を上げる。

 [1997年]11月、サッカー日本代表=岡田ジャパンは、フランスW杯アジア予選第3代表決定戦でイランを下す。いわゆる「ジョホールバルの歓喜」で、日本はサッカーW杯本大会の出場権を初めて獲得した。

 ……日本代表を中心に、それからの日本サッカーの大まかな流れを折っていくと、以上のようになる。日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られないという「ご託宣」は、たった6年で打破されたのである(本当はもっと早く打破できるはずだった.後述)。

 この中尾亘孝発言がいかにも不味かったのは、サッカー日本代表がW杯本大会に出場できる確率は「ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低い」などと放言してしまったことだ。

 なぜなら、1995年、南アフリカで行われた第3回ラグビーW杯で、皮肉なことに、ジャパンはオールブラックスと対戦し、17対145(!?)という大惨敗を喫してしまったからだ。この惨めな試合を、人呼んで「ブルームフォンテーンの悪夢」と呼ぶ。

ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームブルームフォンテーンの悪夢】

 この試合をあえてサッカーにたとえれば、ドイツかブラジルを相手に、2分に1本の割合でシュートを打たれるか、フリーキックかペナルティキックかコーナーキックを与えるかして、90分間フルタイムで23~24失点する(!?)ようなものだ。

 この敗北で、日本ラグビーは二度と立ち直れないかのようなダメージを負った。

 真面目なラグビーファンには申し訳ないけれど、こと反サッカー主義者の中尾亘孝一個人に関しては「因果応報」という言葉を思い出してしまう。

横山全日本…停滞の時代の罪
 日本サッカーは、オフト・ジャパンになってから急に強くなったようにも見えるが、これは正しくない。

 1980年代、日本のサッカーは、1985年にメキシコW杯アジア最終予選まで進出した森孝慈(もり・たかじ)監督の日本代表(森全日本)、1987年にソウル五輪アジア最終予選まで進出した石井義信(いしい・よしのぶ)監督の日本代表(石井全日本)……と、曲がりなりにも「良い流れ」を作っていた。

 ところが、これを継承した横山謙三監督のサッカー日本代表(横山全日本,1988~1992年)は「流れ」を停滞させてしまった。横山監督が、山っ気に走らず、しかるべき指導力を発揮していれば、1989年のイタリアW杯アジア最終予選には進出できた。

 最終予選は6か国総当たりで、たとえ全敗でも5試合経験できる。それだけの「経験値」があれば、サッカー日本代表は「ドーハの悲劇」もなく、1994年のアメリカ合衆国W杯本大会に出場できていたかもしれない……。

 ……こう言っていたのは、たしかブログ「サッカー講釈」の武藤文雄氏だったような気がするが、インターネット上でソースが見つからない。武藤氏がネット進出以前のコピー刷りのミニコミ誌の時代だったか?

 スポーツの勝負事に「タラレバ」はないというが、タラレバ談義を上手に突き詰めれば、これは立派な敗因分析になると述べていたのは、中尾亘孝だったはずである(たしか1989年刊の『おいしいラグビーのいただきかた』だった)。

 要するに、中尾亘孝が「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップに出られない」と大見得を切ったのは、横山全日本の「停滞」の時代である。つまり、この人は「目利き」を自称する割には、日本のサッカーに関して、大変な鑑定違いをおかしてしまっていたのだ。

意外と日本サッカーを知らない(?)中尾亘孝
 ダメ押しに、サッカー日本代表が絶対にW杯本大会に出られない条件として、中尾亘孝が掲げていた3か条のひとつ「日本独自の理論の不在」の正否について、軽く検証してみる。

 この「日本独自の理論」というのがサッカーファンには分かりにくいが、具体的に日本ラグビーでいえば、大西鐡之祐(大西鉄之祐)氏が提唱した「接近・展開・連続」理論に基づいたのオープンラグビースタイルのような戦法のことである。



 それでは、サッカーにそのようなプレースタイルが存在しないのか……というと、それは正しくない。しかも、その萌芽は第二次世界大戦前から見られた。1936年「ベルリンの奇跡」のメンバーのひとり、サッカー日本代表・松永行(まつなが・あきら)選手が、大会後、体育専門誌に寄せた一文がある。
 ……ショートパスの速攻法をあくまでも伸ばし、之〔これ〕に加へるに遅攻法をとり、緩急よろしきを得て、始めて日本蹴球の完成の時は来るのであると同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである。〔以下略〕

松永行「オリムピック蹴球の回顧」『体育と競技』1936年11月号69~72頁


ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
竹之内響介
東京新聞出版局
2015-11-23


 この文章が「再発見」されたのは、Jリーグ以降の日本サッカー史の見直しからだった。そうだとしても、中尾亘孝という人は、英国のラグビー史・サッカー史にはそれなりに詳しくても、日本のサッカー史は意外に調べていない、知らないようである。

偏屈な中尾亘孝は日本サッカーに対して謝罪するか?
 とにかく、中尾亘孝の「ご託宣」は実践でも理論でも完全に間違っていたのである。

 「ジョホールバルの歓喜」の後、少々意地の悪い興味ではあったが、真面目なラグビーファンやサッカーファンからは、中尾亘孝が自身の誤りを認めることと、日本サッカーへの真摯な謝罪が求められた。

 ところが、この人はさらに底意地の悪く、自身の非礼を一切合切謝罪しない人間だったのである。そんなわけで、中尾亘孝への糾弾は今回限りでは終わらない。

つづく




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まだまだ馴染み薄いサッカー用語「スカッド」
 Jスポーツで、サッカーのU-20ワールドカップを見ていると、実況担当のアナウンサーが、さかんに「スカッド」という耳慣れない単語を使っていた。

 日本のサッカー界にとって、この「スカッド」が新しい、なじみの薄い言葉であることは、まだ2年前、2017年9月12日付でアップされた、渡辺文重氏の「[J論]サッカーの記事で見かける〈スカッド〉の意味を調べてみた」というコラムの存在からも、分かる(下記ツイッターリンク先参照)。


 日本では、サッカーを題材にしたテレビゲーム「ウイニングイレブン」で使われてから、広まったのだろうか。

 インターネット検索をすると、もっと詳しい解説が出てくる。
 少し紛らわしいのが……「スカッド」〔Squad〕です。

 『Squad』(英語ではスクウォッド、のように発音される)ですが、これは日本語で言うところの『メンバー』が一番近いと思います。

 単に『Squad』と言えば、出場機会がほとんどない選手なども含めて、チームに登録されている全選手を指します。

 だからこそ、アーセナルファンにはおなじみですが、ベンゲル監督は頻繁に

 「我々には強力なスカッドがある」

 と口にしたわけですね。

 したがって「層の厚さ」のことを英語では「厚さ」ではなく「深さ(depth)」というのですが、当然ながら『チームの「depth」』という言い方はされず、

 『depth of the squad』

 が正しい言い方となります。

山中拓磨「チームとスカッド、英語では微妙に意味が違うって知ってた?」(2019.02.01)
https://premierleaguepub.jp/?p=7000
 Jスポーツは、サッカーもラグビーも放送するが、ラグビーも見るサッカーファン、サッカーも見るラグビーファンは、「スカッド」には別の意味で違和感を持ったかもしれない。実は「squad」は、ラグビーでは「スコッド」として、広範に使われていたからだ。

以前から使われているラグビー用語「スコッド」
 先述の渡辺文重氏は、ウィキペディア日本語版で「スカッド」を引いたら、軍事用ミサイルの「スカッド」(Scud)が出てきた……などと冗談交じりに書いていたが、ラグビー用語としての「スコッド」は、ウィキペディア日本語版にちゃんと立項されている。
スコッド
 スコッド(英語:squad)は、おもにラグビーにおいて国代表などのチームを編成する際に、これに先立って代表に選出される可能性の高い者を選抜して編成する選手集団を指す呼称。選手団、強化選手の集団、強化選手集団、候補選手集団、選手集団、候補選手グループなどとも説明される。また、文脈によっては、候補、補欠、出場登録メンバーを意味する用語とも説明される。

 代表選手の選出にあたっては、スコッドに選ばれていなかった者が選出される場合もあり、「スコッド外からの選出」などと表現する。

ウィキペディア日本語版(2019年5月27日閲覧)
 しかし、この「スコッド」は、いつから使われ始めたのだろうか?

 あれだけラグビーに思い入れがあったスポーツ総合誌、1980年代の文春ナンバーでは使ってなかったような気がする。同じく、末冨(末富)鞆音(すえとみ・ともね)氏や、佐野克郎(さの・かつお)氏も使っていなかったような気がする。


 さすがに、池口康雄氏や宮原萬壽氏まで古くなると、全く分からない。

「スコッド」を広めたのは中尾亘孝?
 記憶する限り、ラグビー論壇で「スコッド」を公に使い始めたのは、1980年代終わりから1990年代初めの頃。これを流行らせ、定着させたのは、インチキラグビー評論家(にして札付きの反サッカー主義者)として知られ、今では肝心なラグビーファンからも全くリスペクトされなくなった中尾亘孝(なかお・のぶたか:1950年生)ではなかったか。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

 例えば「大西鐡之祐=おおにし・てつのすけ=は,ラグビー日本代表を率いるにあたって,試合毎に選手を寄せ集めるそれまでのやり方を改めてスコッド方式を採用した」などという言い回しが、1991年刊『15人のハーフバックス』に登場する。

 ただし、『15人のハーフバックス』の情報の多くは、ラグビー評論界の重鎮にして良心の小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)さんに寄っているので、小林さん辺りではずっと前から使っていたのかもしれない。

 余談だが、自身ではほとんど取材せず、小林深緑郎さん、大友信彦さん、永田洋光さん、生島淳さん、藤島大さん、秋山陽一さんなどが取材してきた情報を基に、好き放題に放言してきたのが、中尾亘孝である。

「スカッド」は「スコッド」に統一するべきではないか
 もっとも、最近の中尾亘孝は「スコッド」のやめて「スクォッド」などと表記し始めている。正しい発音は、なるほどこれに近い(正しい,ではない)。が、中尾は、ベトナムではなく「ヴィエト・ナム」などと表記するような極端な原語読み主義者である。こういうやり方が些(いささ)かならずウンザリさせられる。それはともかく……。

 ……テレビゲームのクリエイターや、スポーツ専門チャンネル、若手のサッカージャーナリストあたりが、英語のサッカー論壇の文脈にあった「squad」を「スカッド」として使い出したら、実は既にラグビーで「スコッド」が使われていました……ということなのではなかったかと、勝手に憶測する。

 それにしても、サッカーの「スカッド」、ラグビーの「スコッド」と表記が揺れているのは、何とも居心地が悪い。


 ラグビーの「スコッド」の方が古く、日本語でも定着しているのだから、サッカーの「スカッド」も「スコッド」に表記を統一するべきではないか……などと、つい考えてしまったのであった。

(了)



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タマキの蔵出しコラム「スポーツ編」
 この原稿は、2015(平成27)年に新潮文庫より出版した『彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー』に続き、同じく新潮文庫として翌年の2016年(平成28)年10月に出版した『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の解説として書いたものです。…これがどんなアンソロジーなのかを知っていただくために、解説の前半部分を(一部省略して)“蔵出し”させていただきます。御一読下さい。
――玉木正之(2019年4月10日)


 この本、新潮文庫『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の品質を著しく下げている、最低最悪の部分が編者・玉木正之氏による巻末の「解説」。日本では、なぜ、サッカーよりもラグビーよりも(つまりフットボール系の球技よりも)、野球(ベースボール)の人気が出て、国民的スポーツになったのか……という難問の、玉木氏による疑似科学的回答である。

 日本人は歴史的・文化的にチーム戦(団体戦)が苦手な民族であり、一方、宮本武蔵vs佐々木小次郎のような1対1の勝負を好んできた。だから、サッカーやラグビーのようなチーム戦のスポーツよりも、投手vs打者の1対1の勝負である野球の方が日本人に人気が出たのだ……と、玉木氏はこの本で唱えている。

 玉木正之氏は、ことあるごとにこの説を吹聴している。持説を世間一般に普及させることで、玉木氏の世界観、日本において野球こそが国民的スポーツになったのは歴史的必然性があったからだ……という歴史観に読者に誘導させようという目論見なのである。

 しかし、この玉木説は完璧に間違っている。野球が日本に入ってきた当時のルールは、現在の野球のルールとは大きく異なっており、それによると野球を投手vs打者の1対1の勝負が基本となったゲームとは、とても認められないからだ。例えば、明治初期、日本野球黎明期の選手である正岡子規の「現役時代」は、現在とは違う当時のルールでプレーされていた。

 玉木正之説の批判は、スポーツライター・牛木素吉郎氏(元『読売新聞』運動部,編集委員)や、当ブログからも、公開に近い形で展開され、そのコンテンツは玉木氏にも伝えられている。


 日本の野球界、延いては日本のスポーツ界が、いかにさまざまな深い問題を抱えていようと、間違ったところから批判しても、かえって間違ったことになるだけである。実際、玉木正之氏と親交のあった平尾誠二氏は、玉木氏に影響されたおかげで日本ラグビーに悪い効果を及ぼしている(1995年ラグビーW杯での日本代表の大惨敗など)。

 今からでも遅くないから、新潮社は『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』を回収、一度絶版し、編者・玉木正之氏による問題部分を削除したうえで、改めて刊行するべきである。

(了)



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 ツイッターで「乾」貴士選手と「セルジオ」越後氏について検索をかけていくと、セルジオ越後氏を一面的に擁護し、乾貴士選手が一面的に非があるかのような、いたいけなサッカーファンによるツイートが多く、なかなか読むのが苦痛である。

 そんな中に、いたいけではありえないサッカーファンであるところの、サッカー講釈師こと武藤文雄氏までいた。


 なるほど、昨年2018年のハリルホジッチ氏の日本代表監督解任の時、さまざまな憶測を呼んだサッカー日本代表の「スタア」本田圭佑氏への擁護でも分かるように、武藤文雄氏は「信者とかじゃなくて,普通に選手に甘いというか,ファンは選手に対してやりすぎなぐらいリスペクトするべきっていう世代な」のかもしれない。


 セルジオ越後氏は旧JSLの日系ブラジル人選手のひとりだった。技術が大きく劣っていた当時の日本人選手のなかにあって、セルジオ越後選手は素晴らしいテクニックを見せたのだ。そんな幻惑の中にまだいるのかもしれない。

 とにかく「世代」なのかはともかく、少なくとも武藤氏はそうである。しかし、武藤文雄氏は、自身のように、誰もが「セルジオ越後氏への免疫」を持っているワケではないことくらいは、頭の片隅にでもいいから入れておいてほしいのである。


 ミスチル世代、「批評」が機能しない社会の怖さ……。だが、そもそも「セルジオ越後氏は批評なのか?」という根本的な問いが、ずっと頭の中をグルグル回っている。


 要するに、上のリンク先のようなことが言いたいのである。

(了)



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