スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

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ジーコは1992年の「ナビスコ杯」で唾吐き事件を起こした!?
 神は細部に宿ると言うが、細部をおろそかにしてサッカーを語っては恬(てん)として恥じないスポーツライターが玉木正之氏である。

 長年、玉木正之ウォッチャーをやっているとインフォーマントとして協力する人が出てくる。その方から、またまた玉木正之氏が次のようなトンデモない事実誤認を書いていたという情報をいただいた(引用文は長いので逐一読まなくてよい.赤い太字の部分だけを飛ばし読みでもよい)。
2022年12月18日(日)つづきのつづきのつづきのつづき
 アルゼンチンの優勝は1986年メキシコ大会以来36年ぶり。それは地上波でのTV中継もありスタジアムの観客席でウェーヴの起こったことが日本に初めて紹介された大会でしたね。

 前年〔1985年〕は満員の国立競技場に韓国チームを迎えて日本サッカーが初めてW杯に出場できるか……と騒がれましたね。残念ながら日本は敗れてW杯初出場はできず。一日だけ騒がれてスポーツの話題は阪神タイガース21年ぶりの優勝で日本列島は猛烈なタイガース・フィーバーに揺れてサッカーのことはあっと言う間に忘れられ去られましたね。

 そのとき甲子園での取材のついでに阪神デパートで買ったバース・チョコレートの包み紙と掛布オレンジジュースの空き缶は今も本棚に飾られています。

 次にサッカーが騒がれたのは1990年のイタリアW杯でしたがTVゲストの王貞治さんの「野球は手を使いますがサッカーは足を使うんですね」という珍妙なコメントが話題になりました。

 そして92年ナビスコ杯でジーコが相手のPKボールに唾吐き事件(小生にとってJSL=旧・日本サッカーリーグ=以来のサッカー取材でした)。93年Jリーグ開幕(開幕戦見に行きました)。同年ドーハの悲劇(NHK-BS解説のスタジオの岡ちゃん=岡田武史氏=が目を真っ赤に腫らしてました)。

 JリーグのTV中継表彰の審査員を3年間やりました〔えッ!?〕。98年のフランスW杯初出場(0勝3敗/小生は3大テナー=ルチアーノ・パヴァロッティ,プラシド・ドミンゴ,ホセ・カレーラス=の取材で渡仏)。

 2002年の日韓大会ベスト16(ベルギーに勝った試合<1>をリトバルスキーの隣席で取材。北海道でのイングランドvsアルゼンチンの試合と決勝のドイツvsブラジルを見学)。06年ドイツW杯の準備状況をフランクフルト(HSV)で取材。ついでにイタリアのサッカー(インテル)もミラノとトリノで取材。

 そして……今年は日本がドイツ&スペインに勝利。いろいろありましたね。ローマは一日にしてならず……ですね。カメッシの大会〔ママ〕メッシの大会はいろいろとテレビで見るだけでも見応えのある面白い大会でした。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」2022年12月http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2212.htm
 それにしても何だ「カメッシ」って!? しょうもないタイプミスである。

 玉木正之氏が1992年のJリーグ杯(当時のヤマザキナビスコ杯)を取材して、雑誌にいろいろ書いていたのは当ブログは読んで覚えている(内容は省略)。だが、それ以前に旧JSLを取材していたというのは知らなかった。1980年代の玉木氏は、もっぱら野球専門ライターだったという認識だったので。さて……。

 【ダウト!その1】「ジーコ唾吐き事件」(事件のあらましは省略)は、1992年ナビスコ杯ではなくて、1994年1月(年度上は1993年)、Jリーグチャンピオンシップ第2戦のことである。

 ナビスコ杯よりも格式がはるかに上で、日本サッカー最高峰のタイトル=Jリーグ本戦の選手権試合だったからこそ、(被害妄想にかられた?)ジーコが「唾吐き」という愚挙に出たのだ。

 曖昧な記憶に頼って書くから、こんな間違いをしでかすのだ。


 ……っていうか、日本サッカー史のこんな重大な事件を間違えるか?

アイントラハト・ハンブルガー!?
 【ダウト!その2】「HSV」というならば、フランクフルトではなくてハンブルク(ハンブルガーSV)になるはず。フランクフルトを本拠とするドイツ・ブンデスリーガのサッカークラブと言うならば「アイントラハト・フランクフルト」となる。

 どっちが正しいんだか? 「HSV」と言うからには多分ハンブルクの間違いなのだろうが、痩せても枯れてもハンブルガーSVはかつての欧州クラブチャンピオン、名手ウーベ・ゼーラー(ことし天に召されたとのこと.ご冥福をお祈りいたします)が長年活躍した名門クラブだ。

うなだれるウーベ・ゼーラー(1966W杯決勝にて)
【うなだれるウーベ・ゼーラー(写真中央,1966年W杯決勝にて)】

 曖昧な記憶に頼って書くから、こんな間違いをしでかすのだ。例えば……。

 >1975年、1976年のワールドシリーズを連覇したレッドソックスは……

 ……などと無邪気に書いてあるのを読んだら、野球ファンやメジャーリーグファンは怒るだろう(正しくは「レッズ」)。それと同じことをやっているのだ。

 こういう間違いを、玉木正之氏はきわめてナチュラルにおかすのである。

ウルグアイがサッカーW杯を第1回から2連覇した!?
 ウィキペディア程度の事柄をドヤ顔で書くけれども、ウィキペディアも引かずグーグル検索もかけないので、度々にわたってトンデモない事実誤認を書いているのが玉木正之氏なのである。
2020年4月5日(日)
 ベッドでの勉強『スポーツの世界史』はアルゼンチン&チリ&ウルグアイ。ウルグアイが何故W杯第1回から2連覇したのかよくわかった。スポーツと政治を切り離せ……と日本では今も言う人がいますがソレは理想論ですらない世迷い言なんですね。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」2020年4月http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2004.htm


 【ダウト!その3】『スポーツの世界史』は650頁超の浩瀚な著作だが、該当章の執筆者・松尾俊輔東京大学教務補助員は、むろん、そんなことは書いていない。むろん、そんな史実(事実)はない(ちゃんと本読んでいるのか?)。

 ウルグアイ代表が、サッカーの世界的大会で連覇したのは、第8回パリ五輪(1924年)、第9回アムステルダム五輪(1928年)、そして、第1回サッカーW杯ウルグアイ大会(1930年)である。ちなみに草創期のサッカーW杯で連覇したのは、第2回イタリア大会(1934年)・第3回フランス大会(1938年)のイタリア代表の方だ。

 玉木正之氏は、サッカー・ウルグアイ代表とは奇妙な因縁があり、以前に「ウルグアイは,第1回サッカーW杯で優勝したものの,その後2度と優勝できないでいる」などという呆けた事実誤認を書いていた。むろん、そんな史実(事実)はない。

 ウルグアイは、第1回ウルグアイ大会(1930年)と第4回ブラジル来会(1950年)、サッカーW杯で2回優勝している。どうして玉木正之氏は、同じ国(ウルグアイ)のサッカーの実績を、ここまで正反対に間違ったことが書けるのだろうか?

慶應義塾大学では「ア式蹴球部」「ラ式蹴球部」と言う!?
 玉木正之氏が個人サイトで事実誤認を連発しているのならまだいい。問題なのは原稿料もらって書いた文章にも間違いがたびたび見られるからだ。
ちょっと教えたいお話Vol.80 スポーツ編(第2回)
 だから明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。

玉木正之「スポーツ(サッカー)を語ることは,世界史や日本史を語ることにもつながる」https://www.forum8.co.jp/topic/tyotto117.htm

玉木正之「スポーツ(サッカー)を語ることは,世界史や日本史を語ることにもつながるのだ!」http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_284.htm
 【ダウト!その4】元は株式会社フォーラムエイト(FORUM8)というIT企業の公式サイトに載ったコラムだが……何というか、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような間違いである。

 正しいことを書くと、慶應義塾ではラグビー部を「蹴球部」、サッカー部を「ソッカー部」と呼ぶ。soccerのカタカナ表記が定着していなかった時代の創設なので「ソッカー」である。「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。ちなみにラグビー部の方は「ラグビー蹴球部」と名乗っている。

 日本でラグビーをいち早く取り入れたのは、たしかに慶應義塾である。だが、日本でサッカーを(事実上)いち早く取り入れたのは慶應義塾ではなく、旧制東京高等師範学校、現在の筑波大学である。慶應で蹴球部といえばラグビーで、筑波で蹴球部といえばサッカーになる。……って、いったい、どちらが正しいトリビアを書いているのだろうか。

玉木正之氏の重用すると企業としての信用を損ねる!?
 フォーラムエイトは、ことし2022年に愛知県・岐阜県で開催されたモータースポーツ、WRCラリージャパンの冠スポンサー(FIA世界ラリー選手権 フォーラムエイト・ラリージャパン2022)となるような、超優良企業である。

 そのフォーラムエイトは、一方で玉木正之氏に仕事を依頼する玉木氏のタニマチでもある。しかし、玉木正之氏の間違った内容のスポーツコラムを自身の公式サイトに掲載し放置し続けることで、フォーラムエイトは企業としての信頼を損ねている……とも言える。

 当ブログは、フォーラムエイトと玉木正之氏にこの間違いを指摘するメールを直接送った。玉木正之氏からは「間違いのご利敵ありがとうございました.フォーラムエイトに依頼して訂正します」旨の返信をいただいた。

 しかし、現時点(2022年12月28日)に至るまで、その間違いは訂正されていない。

 玉木正之氏の、少なくともサッカーに関する言及は間違いが多いので信用が置けない。同様、玉木正之氏にサッカーを語らせる企業もまた、信用が置けない……。

 ……と、いうことになってしまうんですが、いいのでしょうか? 株式会社フォーラムエイト様!?

(了)




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ウルグアイはサッカーW杯を第1回から2連覇した?
 「息するように嘘をつく」という言葉があるが、スポーツライターの玉木正之氏は息するように嘘・デタラメ・事実誤認を書く。しかも、本人が嘘を書いているという自覚がなく、あまりにも堂々と間違える。だから、読んでいる私たちの認識が間違っていたのではないかと、錯覚してしまうほどに。例えば……。
 ベッドでの勉強『スポーツの世界史』はアルゼンチン&チリ&ウルグアイ。ウルグアイが何故〔サッカー〕W杯第1回〔1930年〕から2連覇したのかよくわかった。スポーツと政治を切り離せ…と日本では今も言う人がいますがソレは理想論ですらない世迷い言なんですね。

タマキのナンヤラカンヤラ 2020年4月5日(日)


 ……唖然! 絶句! 『スポーツの世界史』は650頁超の浩瀚な著作だが、該当章の執筆者・松尾俊輔東京大学教務補助員は、むろん、そんなことは書いていない。むろん、そんな史実(事実)はない。

 ウルグアイ代表が、サッカーの世界的大会で連覇したのは、第8回パリ五輪(1924年)、第9回アムステルダム五輪(1928年)、そして、第1回サッカーW杯ウルグアイ大会(1930年)である。ちなみに草創期のサッカーW杯で連覇したのは、第2回イタリア大会(1934年)・第3回フランス大会(1938年)のイタリア代表だ。

 玉木正之氏は、サッカー・ウルグアイ代表とは奇妙な因縁があり、以前に「ウルグアイは,第1回サッカーW杯で優勝したものの,その後2度と優勝できないでいる」などという呆けた事実誤認を書いていた。むろん、そんな史実(事実)はない。

 ウルグアイは、第1回ウルグアイ大会(1930年)と第4回ブラジル来会(1950)、サッカーW杯で2回優勝している。どうして玉木正之氏は、同じ国(ウルグアイ)のサッカーの実績を、ここまで正反対に間違ったことが書けるのだろうか?

サッカーをいち早く取り入れたのは慶応大学?
 この手の玉木氏の大ボケ事実誤認は、枚挙に暇がない。
 だから明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。

玉木正之「スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」

 もとは株式会社フォーラムエイト(FORUM8)というIT企業の公式サイトに載ったコラムだが……何というか、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような間違いである。

 これを読んでいる人には説明の必要などないはずだが、あえて書くと、慶應義塾ではラグビー部を「蹴球部」、サッカー部を「ソッカー部」と呼ぶ。soccerのカタカナ表記が定着していなかったこともあって「ソッカー」である。「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。ちなみにラグビー部の方は「ラグビー蹴球部」と名乗っている。

 日本でラグビーをいち早く取り入れたのは、たしかに慶應義塾である。だが、日本でサッカーを(事実上)いち早く取り入れたのは慶應義塾ではなく、旧制東京高等師範学校、現在の筑波大学である。慶應で蹴球部といえばラグビーで、筑波で蹴球部といえばサッカーになる。……って、いったい、どちらが正しいトリビアを書いているのだろうか。
 『日本書紀』には、中臣鎌子(なかとみのかまこ)、のちの藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が「打毬」に興じながら、それを見守る中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の近くへ沓(くつ)を飛ばし(「打毬」では棒で毬を打つと同時に足で蹴ってもよかったようだ)、皇子のそばに近寄って、「近々、蘇我入鹿(そがのいるか)を伐つ」旨〔645年に起こった乙巳の変→大化の改新〕を相談したとも記されている。

 もとは春陽堂書店という名門文芸出版社(新潮社や文藝春秋よりも歴史が古い!)の公式WEBサイトに掲載されていたコラムであるが、これもいろいろと酷い。

 ひとつだけ決定的な間違いを挙げると、「打毱」に興じていたのは、中臣鎌足ではなく、中大兄皇子である。中大兄皇子の「鞋」(くつ)が「毱」と一緒に脱げ落ちて、その「鞋」を中臣鎌足が拾って、丁重に中大兄に返す……というのが『日本書紀』皇極天皇紀にある記述である。玉木正之氏は、話の主客関係を逆転して平然と間違えている。

 この中大兄と鎌足のエピソードはたいへん有名で、小学生向けの日本史の本やマンガ日本史の類にはたいてい出てくる。中退とはいえ東京大学出身の玉木正之氏は、どうしてこんな小学生レベルの常識を間違えてしまうのだろうか?

名門出版社でも編集・校閲で手を抜くことが多い!?
 とにかく、信じられない間違いを何度でも懲りずに繰り返すのが玉木正之氏である。どうしてこうなってしまうのか?

 前掲の、春陽堂書店WEBサイトに掲載された『日本書紀』にかかわるデタラメな話は、現在では正しく訂正されている(リンク先の文末に「※2019年3月25日 修正」とある)。
  •  参照:玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#3(https://www.shunyodo.co.jp/blog/2018/11/sports_03/)
 これは、当ブログが玉木正之氏に該当部分の間違いを指摘するメールを送ったからである。そして、玉木氏は自身の誤りを率直に認め、春陽堂書店に連絡して訂正させたからである(この点に関しては敬服している)。もっとも、その少し前に春陽堂書店にメールを送ったが、こちらは黙殺されたのだけれども。

 それから、「早稲田と慶應の間違い」についても、玉木正之氏とフォーラムエイトの両者にメールを送った。フォーラムエイトは黙殺した。しかし、この時も玉木正之氏は間違いを認め、訂正させるとしたが、2020年4月11日現在、問題のフォーラムエイトのコラムは訂正されていない。

 2020年2月の最新刊、春陽堂書店WEBサイトにおける玉木正之氏の連載を「本」にスライドした『今こそ「スポーツとは何か」を考えてみよう!』には、この話がほぼそのまま載っている。つまり、当ブログが玉木氏にメールを送らなかったら、間違いがそのまま「本」になってしまった可能性がある。

 玉木正之氏の「あとがきにかえて」によると、『今こそ「スポーツとは……』の出版プロデューサーは、春陽堂書店の岡崎成美氏(女性誌『ミセス』元編集長)、担当編集は浦山優太氏である。これだけの出版人・編集者が、玉木氏の嘘・デタラメ・事実誤認を見抜けず、間違った内容が多々ある本をリリースしていたかもしれないのだ。

 あの程度の史実(事実)ならは、グーグル検索でも、ウィキペディアでも、すぐに確認できるはずなのに。

 新潮社や文藝春秋といった大手出版社は、校閲〔印刷物や原稿を読み,内容の誤りなどを正すこと〕がしっかりしていると言われるが、必ずしも正しくない。それはジャンルや部門によってちがう。文芸書(小説)やハードカバーの単行本の校閲は徹底したものだが、新書など他の書物の形式ではそれほどでもない。金と手間暇のかけ方が違うからだ……。

 ……こんなことを、小谷野敦氏(評論家,比較文学)が『文章読本X』(中央公論新社)という本の中で、こんなことを書いていた(同書82~83頁)。<1>

文章読本X
小谷野 敦
中央公論新社
2016-11-16



 この伝で言うと、玉木正之氏と懇意とはいえども、春陽堂書店もスポーツ関連書の編集・校閲の質は、春陽堂書店の「本業」である文芸書よりも低いと想像できてしまう。また、一般には「スポーツジャーナリズムの権威」だと思われている玉木正之氏に、春陽堂書店が遠慮しているとも考えられなくもない。

 しかし、そのことは、実はそれだけスポーツという「ジャンル」が社会的に軽んじていることの裏返しでもあり、日本における「スポーツ文化の尊重」を常々説いている玉木正之氏にとっても、本来は由々しい問題である。

玉木正之氏にとっての「思想」と「事実」
 ひょっとしたら「スポーツと政治を切り離せ…と日本では今も言う人がいますがソレは理想論ですらない世迷い言」だという「思想」を語れれば、「ウルグアイはサッカーW杯で第1回から2連覇」などという(末端の)事実の間違いなど軽いことなのだと、人は嘯(うそぶ)くかもしれない。

 だが、「思想や人生観は,常に細部の末端の現象と結びついたものでなければ,その人生観〔思想〕には生命が無い」(伊藤整)。

 すなわち、末端の現象(事実)を何度となく間違える玉木氏の語る言葉には生命が無い。言い換えると説得力がない。何より現実を動かす力たりえない。

 個々の末端の事実を疎(おろそ)かにする、玉木正之氏の「思想」こそ「世迷い言」である。

余談:玉木正之氏と広尾晃氏
 ……と、話はここで終わりなのだが、玉木正之氏にメールで間違いを指摘したら、本人から返信があり、率直に間違いを認めてきたという話をしたので、玉木氏とその「弟子」に相当する野球ライター・広尾晃氏の、類似と相違について軽くまとめておく。

 広尾晃氏が玉木正之氏を「心の師」のように尊敬し、影響を受けてきたことは、アチラコチラで書いている。
  •  参照:広尾晃「玉木正之さんの考え方 1|野球報道」(2016年04月15日)
 ところで、えてしてエピゴーネン(亜流)は「師匠」の悪いところを拡大する。広尾晃氏の愚かしさは、玉木正之氏の嘘・デタラメ・事実誤認の癖を拡大して継承したところにある。

 しかも、その間違え方も凄まじい。「三沢優勝」だとか(三沢高校含め現時点で東北の高校は春夏の甲子園で優勝していない)、「広島マツダスタジアムは人工芝」だとか(実際には天然芝)、「金足農業は山形」だとか(金足農業高校は秋田県立)。枚挙暇がない。

 入力ミスによる誤字脱字に至っては、さらに枚挙暇がない。

 唖然・茫然としたくなる間違いの多さという点では、この「師弟」ソックリである。

 それでも、玉木正之氏は間違いをメールで指摘するとちゃんと自身の非は認める。一方、広尾晃氏はあくまで自身の非を認めないどころか、間違いを指摘してきた人に激しい悪口雑言罵詈讒謗を浴びせる。公開・非公開に違いはあるが、玉木正之氏と比べると、広尾晃氏は人間性に大いに問題がある。

 他人の間違いを嗤(わら)っているだけならいいのだが、ここまで書いてきて、本当に問題なのは玉木正之氏や広尾晃氏のようなデタラメなスポーツライターが何冊も「本」を出せている、メジャーなWEBサイトで書いていられる情況こそ、真に唖然とする現実だと気が付いた。

 日本ではスポーツという文化が軽んじられている……という、玉木氏や広尾氏が常々唱えるテーゼを逆説的に証明しているのは、この両名のデタラメな言動だからだ。

 暗澹たる結論になってしまった……。

(了)




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玉木正之氏の起用は企業の信頼性を損ねる?
 スポーツライター玉木正之氏のスポーツコラムやスポーツ評論を読んでいると、嘘やデタラメ、事実誤認が多くて本当にウンザリさせられる。

 なぜなら、玉木正之氏は、自身が執筆、主張する事柄について、よりどころとなる原典で確かめないでモノを書く人だからである。それどころか、「ネットで検索」すらしない、ウィキペディアすら引かない人なのである。嘘やデタラメが多いのは、そのためだ。ところが、玉木氏はスポーツライター業界の大物であるから、彼の文章を掲載する媒体では、編集や校正・校閲といったものが機能しない。したがって、嘘やデタラメがそのまま公に発表される。
この原稿は、我が国のIT企業のトップランナーのひとつFORUM8が発行する機関紙(で季刊誌)の『UP&COMING No.117』2017年春号に書いたものです。スポーツの根本的なテーマを書かせていただける機会があるのは、とっても嬉しいことで、その機会を与えてくださったFORUM8さんに感謝しつつ“蔵出し”します。
 ……と、いう触れ込みで玉木氏の公式サイト「カメラータ・ディ・タマキ」に転載されたコラムが「ちょっと教えたいお話・スポーツ編(2)スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」である。やっぱり、これも酷い。
ちょっと教えたいお話(2)スポーツ
【「FORUM8」の公式サイトより】

 FORUM8という会社は「我が国〔日本〕のIT企業のトップランナーのひとつ」だそうである。それだけの企業の機関紙や広報誌に、嘘やデタラメ、事実誤認だらけの文章、あるいは「ネットで検索」すれば、すぐに分かるような話を掲載するのは、かえって企業としての信頼性を損ねるのではないだろうか?
何を今さらな「ちょっと教えたいお話」
常日頃は誰も意識しないことだが、スポーツには不思議なことが山ほど存在する。たとえばサッカー。そもそもサッカーとはどういう意味か?フットボールならFoot(足)ball(球)で何となくわかる。が、サッカーは意味不明。〔中略〕

〔近代に入って〕……オックスフォードやケンブリッジの大学やパブリック・スクール……ルールの統一と制定が進み、足だけを使うフットボールを行う連中がフットボール・アソシエーション(協会)を設立。そこで行われた手を使わないフットボールがアソシエーション・フットボール(Association Football)と呼ばれるようになり、それが、Assoc Football(アソック・フットボール)→Asoccer(アソッカー)→Soccer(サッカー)と略されたのだ。
 この程度のことは、サッカーの観戦入門書の類には必ず出てくる話である。それどころかネット検索やウィキペディアにも出てくる話だ。この程度のことで「ちょっと教えたいお話・スポーツ編」などとは、何を今さらの感がある。

中世フットボール=膀胱ボール説
〔中世のフランスや英国におけるフットボール〕はクリスマスや復活祭などの宗教的記念日に、村中をあげて「丸いモノ」〔=ボールのこと〕を奪い合った遊びで、聖職者も貴族も騎士も農民も、身分を超えて千人以上の村人が2組に分かれ、村はずれにある教会や大木など、ゴール(目的地)と決めた場所へ運ぶのを競った。

そのとき用いられた「丸いモノ」〔ボール〕は、豚や牛の膀胱〔ぼうこう〕を膨らませて作られた。遊びの最中にそれが破れると、すぐさま豚や牛を殺して膀胱を取り出し、中を洗って穴を紐で縛り、群衆の中に投げ入れたというから、かなり血の気の多い遊びで、実際大勢の負傷者や死者まで出たという。
 これも、何を今さらの話である。伸縮性の高い「ゴム」が存在しなかった前近代のフットボールでは、代わりに豚や牛の「膀胱」をふくらませてボールとして使っていた……と、いう話もよく聞く話だ。一般に名著と言われる中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』はそうした著作の代表例である。


 特に、中村敏雄は同著の中で「殺した牛や豚の血まみれの膀胱をボールにしたように、フットボール(サッカーやラグビーなど)は狩猟民族=欧米人の荒々しいスポーツである。対照的に日本人は温厚な農耕民族である。したがって日本人は荒々しい狩猟民族=欧米人のスポーツであるフットボールの神髄を根本的に理解することができない」(大意)などと述べている。

 これもよく聞く話で、日本あるいは日本人の歴史・文化・精神・伝統……etc.は、サッカーフットボールの本質とは相容れないとする、自虐的な「サッカー日本人論」と呼ばれる言説の、ひとつの表出である。

膀胱ボールは使い物にならない?
 ここからは、当ブログが紹介するスポーツの「ちょっと教えたいお話」になる。フットボール・アナリストという肩書の「加納正洋」という人物が著した『サッカーのこと知ってますか?』という本に、膀胱を素材にしたボールの常識を覆す話が登場する。

 どんな本にも出てくる「膀胱ボール説」だが、これは机上の空論である。なぜなら……。
  • 実物の膀胱ボールは、紙風船とビーチボールを足して二分したような華奢(きゃしゃ)なもので、大人が蹴れば一発で破れる。とてもフットボールの実用に耐えるものではない。
  • フットボール用のボールは丈夫な動物の皮をアウター(外皮)として使い、インナー(内皮)には、よく洗い乾燥させた豚や牛の膀胱を使った(血まみれではない)。
  • 中世英国では、人々の間で荒々しいフットボールが行われていた。しかし、そこに血まみれの膀胱ボールが使われていたというイメージは正確ではない。
 ちなみに、加納正洋の正体は、ラグビー評論家の中尾亘孝(なかお・のぶたか)だと言われている。加納と中尾は、ピコ太郎と古坂大魔王くらいには別人である。
中尾亘孝
【加納正洋こと中尾亘孝】

 中尾は、非常に悪質な反サッカー主義者、かつ英国でも廃れたラグビー原理主義思想の持ち主、さらに贔屓の引き倒し的な早稲田大学ラグビー部のファンであり、ラグビーファンからもかなり評判の悪い人物でもある。それでも、こういう話を紹介してくれるのは面白い。「ちょっと教えたいお話」というならば、玉木正之氏も、これくらい驚きに満ちた事を書いてほしいものである。

慶應と早稲田を混同している玉木正之氏
明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。
 これも、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような事実誤認の文章である。まず、慶應義塾大学のラグビー部とサッカー部の正式名称を紹介する(創立順の紹介)。
 つまり、玉木正之氏の説明はいずれも間違いである。かの学校法人では、ラグビー部を「蹴球部」サッカー部を「ソッカー部」と呼ぶ。soccerのカタカナ表記が定着していなかったこともあって「ソッカー」である。

 「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。
 玉木正之氏は、慶應と早稲田を混同したまま読者に誤った知識を伝えているのである。

 慶應義塾大学がラグビーを「いち早く取り入れた」、日本ラグビーのルーツであるのは確かである。ラグビー部を「蹴球部」と呼ぶことについても、そうした伝統が表れているようだ。一方、日本のサッカーの直接のルーツは、慶應ではなく筑波大学(当時の東京高等師範学校、のちに東京文理大学、東京教育大学を経て、筑波大学)である。ちなみに、筑波大学のサッカー部も、「蹴球部(筑波大学蹴球部)」(創立1896=明治29年)である。

 この程度のことも、ネットで検索すればすぐにわかることである。

『日本書紀』の誤読を鵜呑みにしている玉木正之氏
古代メソポタミアから西洋に広がった「太陽の奪い合い」〔ここではフットボールのこと〕は東洋へも広がり、中国を経て日本の飛鳥時代には「擲毬〔くゆるまり〕」と呼ばれ、中臣鎌足と中大兄皇子が「擲毬」の最中に蘇我入鹿の暗殺(乙巳の変=大化の改新)の密談を交わしたことが『日本書紀』にも書かれている。
 これも間違い。『日本書紀』の記述では、中大兄と鎌足は「打毱」の会で面識を得ただけである。蘇我入鹿の暗殺の密談を交わしたのではない(しかし、玉木氏が採用している「擲毬」とは何であろうか? 『日本書紀』にあるのは「打毱」という表記である)。

 玉木正之氏がなぜこんな間違いをおかすのかというと……。スポーツ人類学者の稲垣正浩氏が『スポーツを読む』で『日本書紀』の問題の箇所をを誤読していたものを、玉木正之氏がそのまま鵜呑みにしていたからである。

 玉木正之氏は原典に当たって内容を確認することを怠る。そのため、玉木氏のスポーツ評論やスポーツコラムの信頼性は著しく低い。

玉木正之氏の文章を読んでもスポーツを理解できない
つまりサッカーというスポーツを語れば、世界史や日本史を語ることにもつながり、そのような「知的作業(知育)」を含むスポーツは「体育(身体を鍛える教育)」だけで語られるべきではないのだ。
 お説ごもっとも。しかし、このコラムを読む限り、玉木正之氏の文章を読んでもスポーツにかかわる豊かな「知」が身につくか、はなはだ怪しい。

 むしろ、玉木正之氏のデタラメを見抜くリテラシーを身につけることこそ、スポーツの「知」を獲得することになるだろう。

(つづく)


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