スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:電通

「ロストフの14秒」と「江夏の21球」
 2018年12月8日にNHK総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒~日本vs.ベルギー 知られざる物語」は、スポーツドキュメンタリー番組の傑作として早くも評判が高い。年末12月30日には、BS1スペシャルとして放送時間拡大の完全版として放送されるという。一説に、そのタイトルは1983年に放送したNHK特集「スポーツドキュメント~江夏の21球」を意識した命名だと言われいている。

 NHK特集「江夏の21球」は、ドキュメンタリー番組の傑作としての評価が非常に高く、これまで何十回も再放送され、また市販のソフト化も何度もなされてきた。

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ポニーキャニオン
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 何の因縁か、今年2018年もまた「江夏の21球」は、10月28日にNHK総合テレビ「あの日あのときあの番組~NHKアーカイブス」の枠で再放送された。しかも、あの江夏豊氏本人がゲストとしてNHKの番組に出演、コメントするという素晴らしい特典つき。これは絶対に視聴せねばならないとならぬと、録画予約をした。


 実際「江夏の21球」は何度見ても面白い。視聴した後、ツイッターで番組の反応を見てみた。すると、おそらく初回放送当時は知らない若い人だと思うが「こんな凄いスポーツドキュメンタリー番組は、NHKだから制作できるのであって、民間放送(民放,特に地上波)には出来ないのではないか」というツイートがあった。


 おっしゃる通り。「江夏の21球」」でも「ロストフの14秒」でも、(少なくとも昨今の)地上波民放テレビは、これだけの番組は作れなくなっている。それが証拠に……。

日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかった
 それが証拠に……。あなたは今年2018年のサッカーW杯ロシア大会の「総集編」を、テレビで御覧になりましたか? いや、そう言えば見ていないな、という人が多いはずだ。日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかったからである。





 サッカーファン・視聴者の中には、実際にNHKにW杯総集編の放送をしないのか問い合わせた人がいる。しかし、帰ってきた返事は「ワールドカップの総集編につきましては、総合的な判断から、今回放送する予定はございません」という冷淡なものだった。


 NHKは何をやっているのか! 否、そもそも今回のロシアW杯、大会総集編番組を割り当てられたのは、公共放送たるNHKではなく民放のTBSテレビだったのである(えっ!?)。NHKの言う「総合的な判断」とは、担当局がNHKではなかったからということである。

 通常、サッカーW杯やオリンピックといったスポーツのメガイベントは、NHKの民放が連合した「ジャパンコンソーシアム(Japan Consortium)」という体制でFIFA(国際サッカー連盟)やIOC(国際オリンピック委員会)などと放映権料等の交渉にあたる。そして、どの局がどの試合を担当し放送するかは、かなり早い時点で決まっている。いかなる理由かは不明だがロシアW杯総集編の担当局はTBSテレビに決められた。

 大会直前には発行させるテレビ情報誌の「W杯観戦ガイド」の類に掲載される番組表は、テレビ局側から内々に提示された放送予定を反映したものである。

 当ブログは、ロシアW杯のテレビ視聴と録画に関しては、テレビ雑誌『月刊ザテレビジョン』増刊の観戦ガイド「ロシアワールドカップ2018テレビ観戦パーフェクトBOOK」に掲載された「番組表」を参考にした。こういう時はインターネットではなく、パッケージ化された紙媒体の方がまだまだ役に立つ。値段が手ごろで、読み応えもありました(感謝)。

 このムックの付録の番組表には、ロシアW杯総集編番組はTBSテレビが放送すると書かれていた(下記,掲載写真参照)。

ザ・テレビジョン「ロシアW杯特集号」放送予定表
【『月刊ザテレビジョン』増刊W杯パーフェクト番組表(部分)】

 この時点で、実にイヤ~な予感がした。

 果せるかな、TBSテレビは本来放送するべき「ロシアW杯総集編」を放送しなかった。放送当日、W杯決勝翌日の2018年7月16日、公共の電波で全国に流されたのは「緊急放送!西野Jも生登場!日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」(以下,適宜「サッカー総選挙」と略す)なる、何ともふざけた番組であった(下記,掲載写真参照)。

TBSテレビ_ロシアW杯サイトより「サッカー総選挙」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」ロシアW杯公式サイトより】

TBS「日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」】

 これには視聴者のサッカーファンも口あんぐり、ドッチラケ。ワールドカップはどこへ行った? 4年に1度のサッカーの感動も台無しになる。いずれにせよ、場違いな感じは否めなかった。サッカーファン・視聴者が本当に見たかったのはこんな番組じゃない。

 番組司会で、サッカーには相当の心得のあるタレント・加藤浩次氏(と俳優・竹内涼真氏)ですら、番組冒頭で語気を強めて不満と違和感を隠さなかった。
加藤浩次 ……ということで、ねえ、今日フランスが優勝決まったんですけれど、TBSはトリッキーな企画から始まりました。今日、僕、総集編全体みられると思っていたんですけど、こういったトリッキーな企画で、竹内君ビックリしているんだよねえ。

竹内涼真 ビックリしていますね。

加藤浩次 ねえ、ビックリなんだよ。こんな企画を最後にやるかっていうのは。私、今日聞いて本当にビックリしているんですよ! なぜなんだ!? ワールドカップの凄いプレーが見たかったんだ! ……っていうのがあるんですけど、TBS的にはこれで行こうということになっております。皆さんよろしくお願いします。〔以下略〕」

TBSテレビ「サッカー総選挙」録画より文字起こし
 この時、スタジオ内の出演者はゲラゲラ笑っていたが(これまたふざけた話だ)、これは加藤氏の本音であろう。

 いろいろ調べてみると、TBSテレビは深夜のレギュラー番組「スーパーサッカー」の中でアリバイ的に放送はしたらしい。ネット上にその痕跡が残っていた。
 当ブログは未見。しかし、あくまでレギュラー枠扱いであり、CMなどで放送時間が正味30分にも満たず、他の話題(フェルナンド・トーレス選手来日会見)も取り上げたらしく、本当にロシアW杯の総集編にふさわしいコンテンツだったのか、非常に疑わしい。しかも、深夜枠だから地方によっては放送されない地域があったかもしれない。

 日本のテレビ局は、民放地上波テレビは、なかんずく担当局のTBSテレビは、2018年サッカーW杯ロシア大会の総集編を「事実上」放送しなかったのである。

TBSテレビの「A級戦犯」プロデューサーたち
 当ブログはFIFAとジャパンコンソーシアムとの映像使用権などをめぐる取り決めだとか、NHKと各民放の関係だとかは掘り下げない。一介の視聴者には知りようがないことだし、これら問題はあくまでテレビ局をはじめとした送り手の都合であって、受け手である視聴者(=サッカーファン)には知ったことではないからだ。

 ロシアW杯は面白い大会だった。フランスが2度目の優勝。若きスター、Mbappeも輝いた。ブラジルもドイツも負けた。日本代表は、大会直前にハリルホジッチ監督を更迭して大騒ぎになったが、下馬評を覆して1次リーグを突破した。日本は大いに盛り上がった。テレビ中継は、日本代表だけでなく、他国同士の試合でも高い視聴率を獲得した。

 このロシアW杯の総集編ならば、1か月にわたった大会の面白さを凝縮した番組ならば、確実に視聴率が取れるコンテンツになる。それが、なぜ「サッカー総選挙」に差し替えられてしったのか? 「TBSはトリッキーな企画」でいい。「TBS的にはこれで行こう」と決めたのはいったい誰なのか?

 番組情報をみると、「サッカー総選挙」制作のチーフプロデューサー(CP)はTBSの横山英士氏、プロデューサー(P)は同じく御法川隼斗氏である(名前で察しの通り,この人はフリーアナウンサーみのもんた氏の令息.多分にコネ入社である)。

TBSテレビ「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより
【TBS「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより】

 第一義的に批判されるべきなのは、この人たちなのであろう。横山CPは同局の「炎の体育会TV」という番組を手がけている。これまたスポーツではあるがバラエティ色の強い番組だ。一方、「ロシアW杯総集編」はドキュメンタリー番組としての性格が強くなる。

 この横山CPや御法川Pといった人たちは「バラエティ」番組は作れても、真面目な「ドキュメンタリー」番組は作れなくなっている。昨今の民放地上波テレビに対する視聴者の「テレビ離れ」が進み、制作者たちの番組(コンテンツ)制作能力が著しく劣化している。だから「ロシアW杯総集編」ではなく「サッカー総選挙」になったのだ。

「サッカーW杯総集編」を作る能力を喪失した民放地上波テレビ
 現在5つある民放地上波テレビのキー局を再編成し「民放3 NHK1の4大ネットワーク」への大転換を提唱する、元テレビ東京常務・石光勝(いしみつ・まさる)氏の著作『テレビ局削減論』は、なかなか興味深い。これを元に昨今の「テレビ離れ」の原因を図式化すると、だいたい次の通りになる。
 インターネットやBS・CSなどの台頭などによって……、

 [1]CM広告費など収入が減る⇒[2]番組制作予算が減る⇒[3]安直な番組作りが増える⇒[4]良質の番組を作るスタッフが育たなくなる⇒[5]ますます番組がつまらなくなる⇒[6]視聴率が低下する⇒[7]ますます視聴率獲得に躍起になるが⇒[1]に戻る……という悪循環、負のスパイラル。

 こうして地上波テレビ、特に民放のコンテンツの質はますます落ちていく。

 かくして地上波テレビは、長丁場の放送時間を使って、タレントが空騒ぎする「ひな壇バラエティ」(まさに「サッカー総選挙」がそうしたノリだった)か、「喰ってばかり」の番組か、そうでなければ通販番組が大半を占めるようになる。

 他方、報道番組や硬派のドキュメンタリー番組はコストがかかる割には、視聴率が取れないとされ、特に後者は民放キー局では敬遠される。おまけに民放のテレビ制作者は、こんな難しいコンテンツには喰いつかないだろうと視聴者のことを馬鹿にしている。かつて民放の雄、報道のTBS、民放のNHKとまで言われたTBSテレビには、もはやドキュメンタリー番組を作る能力やノウハウが喪失している。

 さらに『テレビ局削減論』が指摘するところでは、「テレビ界には,柳の下に5匹の泥鰌〔どじょう〕がいる」(85頁)という。5匹とは民放キー局5局のこと。つまり、視聴率を取る番組を作る手っ取り早い方法は、他局でヒットした番組をまねることだ。

 そもそも「プロレス総選挙」とか「高校野球総選挙」とか、「○○○○総選挙」という人気投票番組はテレビ朝日の企画・番組だった。TBSテレビ「サッカー総選挙」は、テレビ朝日のパクリなのである。

テレビ朝日系「高校野球総選挙」番組ホームページから
【テレビ朝日「高校野球総選挙」番組ウェブサイトから】

 ドキュメンタリー番組としての「ロシアW杯総集編」を作る能力もノウハウもない。企画はテレビ朝日のパクリ……。こうしてTBSテレビに割り当てられた貴重な放送枠は、「ロシアW杯総集編」から「サッカー総選挙」に差し替えられたのである。

 やる気も能力もないのであれば、TBSテレビはNHKに権利を譲渡するべきだった。あるいは、サッカー関連のドキュメンタリーでは実績のある番組制作会社「テレビマンユニオン」とタッグを組み(元々この会社はTBS出身者によって設立された)、これを委ねるという手段だってあった。

 放送局としての責務を放棄した番組を作り、流したTBSテレビには怒りを禁じえない。

「サッカー総選挙」の弊害~スターシステムの温床
 TBSテレビが「サッカー総選挙」を制作・放送したということは、日本のサッカー界とサッカーマスコミのある種の体質を表している。「サッカー総選挙」は、サッカーそれ自体よりも選手個人に焦点を当てる番組である。こうした体質は、例えばサッカー日本代表ならば、チームよりも特定の選手に焦点が当てられ、その知名度が優先される、日本サッカーに特異な現象「スターシステム」の温床になる。

 今年2018年4月、日本代表監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏(フランス国籍)が突然解任された。ロシアW杯本大会、日本の初戦まで2か月あまりしかない! 日本サッカー界は騒然となった。なぜ、ハリル氏は解任されたのか? 一説にハリル氏は香川真司や本田圭佑といった、日本サッカーの「スターシステム」に乗っかった選手を、ロシアW杯日本代表から外しかねなかったからだという。

 日本サッカーの「スターシステム」においては、W杯本大会で日本が勝つことよりも、否、日本が勝とうが負けようが、たくさんのスポンサーを抱えた「スターシステム」の選手が試合に出る方が重要なのである。そこで「スターシステム」の力学が働き、日本サッカー協会(JFA)田嶋幸三会長を動かし、ついにハリル氏は解任されたというのである。

 その力学の中心にいたのは、JFAやサッカー日本代表と深いかかわりがあり、これらを「牛耳る」大手広告代理店=電通であるとの、もっぱらの「噂」であった(電通陰謀論,電通はFIFAともつながりが深い)。これら一連の事の真偽については何とも言いかねるが、少なくとも日本サッカーに「スターシステム」という現象は存在する。

 例えば、日本代表の公式スポンサー兼サプライヤーの「アディダスジャパン」は、日本代表メンバーからエースナンバー「背番号10」の選手を、事実上指名している。このことは「スターシステム」の表れであり、広い意味でのスポンサーの圧力である。

 ここでひとつ冗談。もし、TBSテレビが真面目に「ロシアW杯総集編」を制作し放送してしまうと、日本代表のハリルホジッチ氏更迭にまつわるゴタゴタを、あらためて「国民」に思い出させてしまう。そこで「電通」は、国民がハリル氏更迭事件を忘れるように、TBSテレビに命じて「サッカー総選挙」という場違いな番組を作らせた……などというのは、むろん冗談である

ビジネスとしての「サッカー総選挙」の欠陥
 テレビ局は、国民の財産である「公共の電波」を預かる、きわめて公共性の高い企業であって、その免許数も限定されている。だから、他のメディアにない格段の「責務」が求められるわけで、TBSテレビが「ロシアW杯総集編」を制作・放送しないで「サッカー総選挙」などというフザケタ番組を流したことはケシカラン……というのは、きれいごとの建前論なのかもしれない。

 しかし、「サッカー総選挙」という番組はテレビ局のコンテンツビジネスとしても、非常によろしくないのである。

 これも石光勝氏の『テレビ局削減論』からの援用になるが、日本以外の諸外国、アメリカ合衆国や韓国などのテレビ界では、番組(コンテンツ)の2次利用・3次利用……が盛んで、それでより儲かる仕組みになっているのである。具体的には、テレビ放送後のネット配信、DVDの発売、コンテンツ市場に出品しての再放映権の売買などである。

 当然、そのビジネスモデルが成立するためには、番組(コンテンツ)が面白くなければならない。それこそNHK特集「江夏の21球」のように、あるいはこれもNHKだが、DVDとして発売された「伝説の名勝負 '85ラグビー日本選手権 新日鉄釜石vs.同志社大学」のようにである。

 ハッキリ言えば、「サッカー総選挙」などという番組は1回見れば充分。何度も見返す価値もない、刹那的な番組である。横山CPや御法川Pも、せっかくのチャンスを与えられたのだから後々まで残る、2次利用・3次利用が可能なコンテンツを作るべきだったのに、この人たちはその気も能力もなかったのである。

 2018年、ロシアW杯の総集編が日本のテレビにおいて「事実上」制作・放送されなかったことは、日本のサッカー文化において大きな損失である。ただ、それは日本のサッカー文化が一面的に劣っているというよりは、昨今の民放地上波テレビの駄目さ加減、そのトバッチリを受けたものだと言えよう。そう思えば、日本のサッカーファンも少しは心が楽になる。

 TBSテレビのスポーツ部門、なかんずく横山英士CPや御法川隼斗Pが因果応報を食らっても、サッカーファンからは同情されないだろう。

(了)



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 初めにことわってくと「電通型スターシステム」ではなく「『電通』型スターシステム」である。電通ではなく、「 」付きの「電通」である。つまり、実在する大手広告代理店の電通ではなく、日本サッカーにおけるある現象の記号としての「電通」なのである。

『電通…は何をしているのか?』を読む
 2018年4月9日のヴァイッド・ハリルホジッチ氏のサッカー日本代表電撃解任以来、ネットを中心に「ハリルを解任に追い込んだのは、日本代表や日本サッカー協会とかかわりの深い電通の陰謀である」との風説が流布している。

 電通は広告業界1位、ガリバーとまで呼ばれる、大変な力を持った会社である。マスコミから、原発から、オリンピックから、サッカーW杯から……。社会のあらゆる部分にかかわり、牛耳る、日本の陰の支配者=電通。したがって、電通を批判することはいかなるジャーナリストにとってもタブーである……。こんなイメージが先行してきた。



 それでは、電通は今回のハリル氏解任に関与したのか、していないのか。実際のところはどうなのだろう? そう思って、業界2位の広告代理店=博報堂出身で、広告業界の内情に詳しい中川淳一郎氏(PRプランナー,ネットニュース編集者)の著作『電通と博報堂は何をしているのか』を読んでみることにしたのである。



 この本の中に「サッカー日本代表のスタメンは電通が決めているのか?」と題された文章があるからだ。このテーマにこそ、ハリル氏解任の謎を解くカギがあると考えられている。

 すなわち、日本代表のスタメンを決める権限は監督にはない。日本サッカー協会にもない。その権限は、日本代表のスポンサーや広告を取りまとめる電通にある。ハリル氏はそれを拒み、本田圭佑や香川真司といった「スター選手」の招集や起用しなかった。だから、ハリル氏は、電通の圧力を受けた日本サッカー協会によって解任された……と、ネットではもっぱらの噂だからである。

 著者・中川氏自身は、「陰謀論」については全面否定の立場をとる。


 『電通…は何をしているのか?』の方も、その線で解説されている。なるほど、広告業界の内側にいた人だからこそ分かる陰謀論否定の理由が述べられており面白い……。

 ……しかし、あの程度ではまだまだ足りない。底なし沼のような疑心暗鬼に陥ったハリル氏解任陰謀論者たちを黙らせるには、もっと緻密で徹底した論述が必要になる。

 中川氏は『電通…は何をしているのか?』の話のマクラとしてサッカーの話をしているのだから、文量が足りないのは仕方がない。中川氏には、いずれ機会を改めて「サッカー日本代表のスタメンは電通が決めているのか?」について、じっくりと論じてほしい。

スターシステムの条件とは?
 それでも『電通…は何をしているのか?』の「…スタメンは電通が決めているのか?」には、いろいろ興味深い話が登場する。中川氏曰く、過去、ネット上で「電通がスポンサー契約を盾に日本代表への選出を強要」していると噂されたサッカー選手は、次の4人がいる。
  • 中田英寿 中村俊輔 本田圭佑 香川真司
 彼らは、いやらしい言い方をすると「電通」に愛された選手たちである。換言すれば、日本サッカーの特異な風習「スターシステム」に祭り上げられた選手である。むろん、無能なのにマスコミに煽(あお)られることはない。皆、サッカー選手としての才能なり実績なりを示してきたから、こうした地位につくことができる。

 4人のうち、中村俊輔と香川真司はサッカー日本代表の公式スポンサーにして、ユニフォームのサプライヤーであるところのアディダスジャパンの契約選手である。この2人に関する陰謀論は非常にわかりやすい。いわばアディダス型スターシステムである。

 それでは、中田英寿と本田圭佑はいかなる意味でのスターシステムなのか? 他にもスター候補生はいただろうに、なぜ、この2人が祭り上げられたのか?

 「…スタメンは電通が決めているのか?」には、本田圭佑が電通に見捨てられ、柴崎岳(しばさき・がく)に取って代わられるのではないか……と、インターネットの大型電子掲示板「2ちゃんねる」(現・5ちゃんねる)に書き込まれた話が登場する。

 2016年12月、日本で行われた世界クラブ選手権の決勝で、スペインの名門レアルマドリードに大善戦し、準優勝したJリーグの鹿島アントラーズ。その鹿島で大活躍をしたのが柴崎だったからである。
〈新たなスターの誕生で本田さんは完全に終わったな。
 もう電通からは相手にされなくなる。
 逆に柴崎は電通に祭り上げられて戸惑うだろうな。〉
〔2ちゃんねるの書き込み〕

 この書き込みの意図は、とにかく商売っ気たっぷりな電通は常にスターを探し続け、所属先のACミラン〔当時〕でも出場機会が少ない本田の時代がもう終わりだと見切りをつけるということを予想したものである。そして、次世代のカネのなる木(CM出演や興行の企画などの主役)として柴崎を利用するのでは、ということだ。

 だが、これは完全に邪推しすぎである。通常、人気のスポーツ選手は……〔以下略〕

中川淳一郎『電通と博報堂は何をしているのか』20~21頁

 しかし、果たして2018年5月時点で、日本サッカーのスターシステムに君臨しているのは柴崎岳ではなく本田圭佑である。なぜ、柴崎は本田を押しのけてスターシステムに乗れないのか? スターシステムとは、ネット民が憶測するような形、つまり電通が恣意的に決めるものではないからだ。

 柴崎岳と本田圭佑(あるいは中田英寿)、いったい何が違うのか?

「電通」型スターシステム(仮称)
 まず第1に、本田圭佑と中田英寿の2人は、日本代表にとって最も重要な試合、すなわちワールドカップでの本当の意味での「絶対に負けられない戦い」で、日本を勝利に導く活躍をしていることである。すなわち、本田は2010年南アフリカW杯初戦の対カメルーン戦。中田は1997年11月のW杯アジア第3代表決定戦、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」だ。

中田英寿(左)と本田圭佑
【中田英寿(左)と本田圭佑】

 どちらも絶体絶命にあった日本代表の救世主となった試合である。

 第2に、これはさらに大切な要素だが、2人とも「言動・立ち居振る舞いが『日本人離れ』」していることである。日本サッカーの文脈では「日本的であること・日本人であること」はサッカーというスポーツにとって非常に不適格なことであるとされる。反面、サッカー的であるということは、それ自体、日本的ではないことなのである。

 つまり、日本サッカーは「日本的(日本)=非サッカー的/非日本的(世界)=サッカー的」という二元論の思想に拘束されている。これは大変な劣等感であり、日本人の自虐的な日本サッカー観の基になっている。

 しかし、本田圭佑や中田英寿は「日本人離れ」しているのである。だから(それだけでも?)サッカー選手として優れているのである。彼らの言動・立ち居振る舞いは、「日本的であること・日本人であること」の根深い劣等感にさいなまれている日本のサッカー関係者の心の襞(ひだ)を刺激するのである。

 加えて第3に、本田も中田もマスコミ向けの自己演出に非常に巧妙であること。これには、彼らのイメージを煽り立てる提灯持ちライターの存在もある。中田ならば金子達仁と小松成美、本田ならば木崎伸也である。金子達仁と木崎伸也は師弟関係にあるから、中田英寿⇒本田圭佑というスターシステムの系譜はつながっているのである。


 柴崎岳にはこういった要素がない。これらの条件がそろって、初めて日本サッカーのスターシステムが動き出す。この類型については適切な呼称が思い浮かばないが、アディダス型スターシステムに対して、便宜的に「電通」型スターシステムと呼ぶこととする。

「世界」…欧州から遠く離れて
 「電通」型スターシステムが発動すると、ひたすらその選手への称揚が止まらなくなる。マスコミの「批評」「批判」はまったく機能しなくなる。

 本田や中田はサッカー選手として全知全能であり、他の日本人選手とは隔絶している。日本代表が勝てるのも、これすべて本田や中田のおかげである。彼らの発する言葉は、より高い視点から発せられた日本サッカーの助言であり、警句である。さらにメッシやネイマール、クリスティアーノ・ロナウドらに準じるワールドクラスの選手である。……かのように、マスコミは賛美し、いたいけなサッカーファンもそれは信じ込む。

 本田も中田も「日本代表の絶対的エース」と見なされているが、2人とも「世界」と戦う、「世界」に勝つ……などという面倒くさいことはしない。否、そんなことはする必要はない。なぜなら、先に掲げた「日本/世界」の二元論の図式において、すでに彼らは「世界」の側にいるからである。愚鈍な「日本」の選手とは違うのである。

 彼らのビジネスの主戦場は、サッカーの本場=ヨーロッパ……ではなく、そこから遠く離れてのガラパゴス=日本である。このマーケットでは、「世界」の位置にある(とされる)本田圭佑なり中田英寿なりを、いかにして「日本」と差別化するかが主眼となる。

サンドニの悲劇と「世界」のNAKATA
 その差別化が実際の試合で表れることがある。中田英寿でいえば、2001年3月、アウェーで日本が、当時の世界王者フランスに0対5で大敗した国際試合である。日本代表は、前年のアジアカップを圧倒的な内容で優勝しており(ただし,中田はこの大会には不参加)、アジア王者として勇躍フランスに挑んだが、鎧袖一触。鼻っ柱をへし折られた。

 この試合を、1993年10月の「ドーハの悲劇」になぞらえて「サンドニの悲劇」と命名されているらしい(もっとも,この呼称はあまり定着していないようだが)。

 あいにく、この試合は土砂降りの雨に「重馬場」と、ほとんどの日本選手が苦手とするピッチコンディションだった。こんな中でいわゆる「フィジカルが強い」とされる中田英寿だけは評価されるプレーをしたとされる。少年少女向けに書かれた本郷陽一氏の著作『黄金のカルテット 中田英寿物語』には、この試合の中田の描写がある。
 ……サッカー選手としては、けっして恵まれているとは言えない体格で、〔中田英寿は〕はるかに大きい選手とぶつかり合い、ボールを奪い合い、鋭いシュートを放っていた。

 試合後、あまりに厳しい現実に意気消沈する〔日本代表の〕チームメイトのかたわらで、中田はこうコメントした。

 「本当に強い選手と戦うことの楽しさを満喫できた」

 やはり、世界に通用するのは「NAKATA」しかいなかった。

本郷陽二『黄金のカルテット 中田英寿物語』2~3頁

 「世界」のNAKATA(中田英寿にはローマ字表記の「NAKATA」が多用された)とサッカーならざる「日本」との対比が、いかにも鮮やかだ。「日本」が惨めに負ければ負けるほど、「世界」のNAKATAは光り輝く。実際、低迷気味にあった中田は、この試合で再び日本代表に君臨するようになった……。

 ……いかにも自虐的な日本人の日本サッカー観を刺激する、こうした評価のされ方には、やはり違和感がある。中田英寿は、あのフランス戦でゴールしたわけではないし、あくまで日本代表なのであって「敗者」であることに変わりはないからだ。

 しかし、「電通」型スターシステムは、何としても「世界」の側にいる中田英寿とサッカーならざる「日本」とを分け隔てるのである。

 中田にせよ、本田圭佑にせよ、いわゆる「フィジカルが強い」という定評がある。それは平均的な日本選手にないプレースタイルであって、時として試合で発揮される。これも「電通」型スターシステムに祭り上げられる条件である「日本人離れ」の一形態である。

ドイツW杯における中田英寿の猿芝居
 「電通」型スターシステムに乗った選手をマスコミが賛美し、メディア上の露出(CM出演など)が増えれば、その選手には自ずと「権力」が集中する。そして、監督者がブレーキをかけなければその選手は増長し、日本代表では我が物顔に振る舞うようになる。2006年ドイツW杯ジーコ・ジャパンにおける中田英寿、2014年ブラジルW杯ザッケローニ・ジャパンにおける本田圭佑がそうである。

 中田英寿は、時の日本代表監督ジーコの寵愛によって日本代表のレギュラーの座が確約されていた。中田は「世界」の立場から「日本」代表のチームメイトに、マスコミを通じて辛辣な批判を発信するようになっていった。曰く「仲良し集団では『世界』に勝てない」「走る基本ができていない」「もっと自己主張しろ」「戦う準備が足りない」等々。

 だが、中田本人も所詮は日本代表の一兵卒に過ぎない(キャプテンですらなかった)。しかも、すでにワールドクラスの選手への階梯からは脱落しており、イタリアの所属クラブでは控えメンバーだった。にもかかわらず、こんな上から目線で居丈高な態度がとれるのは、権力……すなわちジーコの優遇と「電通」型スターシステムのためである。

 日本サッカーにとって非常に不幸だったのは、ジーコが、少なくとも日本代表監督として甚(はなは)だ適性を欠いていたことである。また、よく言われる、組織や戦術を選手たちに強要した前任者のフランス人フィリップ・トルシエに対し、ブラジル人ジーコは「自由や自主性・個の力を重んじるサッカー」を掲げていた……という対比の図式は完全に間違いである。
 意外かもしれないが、ジーコ本人は、自らが率いた日本代表について自らの言葉で語るとき「自由や自主性・個の力を重んじるサッカー」云々の話はしない。こういう場合のジーコの言い分は「(クラブチームと違って)代表チームの監督は時間がとれないからチームが熟成しなかった」という、拍子抜けするほど単純なものである。ジーコ本来のサッカー観については、著者が本人名義になっている『監督ジーコ 日本代表を語る』で読める。

監督ジーコ 日本代表を語る
ジーコ
ベースボールマガジン社
2006-02


 果たして、ジーコ・ジャパンは2006年ドイツW杯で惨敗する。だが、ジーコは免罪された。なぜなら「日本/世界」の二元論の世界観に従えば、自由・自主性・個の力を重んじるサッカーを目指したジーコは「世界」の側に位置しているからである。

 反面、「日本」の選手は自由や自主性あるいは個の力に大きく劣っており、ジーコの理想には応(こた)えられなかった。だから「日本」はジーコに惨敗の責任を問うことはできないのである。

 ただし、「世界」の側にいる「日本人離れ」した中田英寿は免罪された。「日本」が惨めに負ければ負けるほど、「世界」の中田英寿は光り輝く。
 「日本」の中で唯一、NAKATAだけがジーコに期待に応えられた。NAKATAだけが「世界」と戦うレベルにあった。NAKATAだけが真に戦う気持ちをもって試合に臨んだ……。マスコミはそんなナイーブな物語を喧伝した。

 1次リーグ第3戦(最終戦)の対ブラジル戦、1対4の大敗で終了後、中田はピッチ中央で倒れこんだ(その直後,現役引退を表明した)。

小松成美『中田英寿 誇り』表紙(上半分)
【英紙も酷評したドイツW杯における中田英寿のパフォーマンス】

 このふざけた行為には、植田朝日氏のように「日本代表の敗退が、中田英寿引退という個人的な話にすり替えられた!」と、ひどく立腹し、批判した真っ当な意見もあったが(参照:国書刊行会刊『日本サッカー狂会』)。しかし、大方には「世界」の流れにあって、遅れた「日本」を叱咤し続け、疲れきった痛ましい姿として受容された。



 見え透いた猿芝居だが、中田英寿はこういう日本向けの自己演出は本当に巧みである。W杯という「公」の大会、日本代表という「公」のチームは、引退後のビジネスをにらんだ中田のパフォーマンス
によって私物化
されてしまった。

 日本代表が惨敗したにもかかわらず、否、日本代表が惨敗したからこそ、中田英寿だけは日本という市場を標的に焼け太り(大儲け)したのである。

 こんなワガママ身勝手を許してきたことが、後に本田圭佑を台頭させることとなる。

歪んだ日本社会のアンチテーゼ
 それでは、本田圭佑は如何? 2014年ブラジルW杯1次リーグの初戦、日本vsコートジボワール戦の各種論評を観察していく。

 ノンフィクションライター・林壮一氏は、その著書『間違いだらけの少年サッカー』の中で、2014年ブラジルW杯における本田をひたすら礼賛する。
 確かに2014-15年の本田〔圭佑〕は、一皮剥けた感があった。1勝も挙げられなかったブラジルワールドカップでも、彼〔本田圭佑〕は日本の支柱だった。コートジボワール戦のゴールも美しかったが、同じように印象的だったのは、ボールを持ったドログバ〔コートジボワール代表のエース〕が縦に突破していくところを、〔本田圭佑が〕体を寄せてディフェンスしたシーンである。

 ドログバの存在感に、日本代表は完全に呑まれていた。足も止まりつつあった。ブルーのユニフォームの〔日本代表の〕面々に消極的なプレーが目立つなか、本田のスピリッツは生きていた。しかし、日本にはそれしか武器がないように見えた。

 ブラジルワールドカップにおける本田はけっしてベストコンディションではなかった。が、惨敗を受け入れ〔?〕、直〔す〕ぐに次の目標を見据えたのだ。キレをもたらすのに、どれほどの思いで己と向き合ったのか。2014-15年シーズン序盤の〔ACミランでの〕戦いぶりはそれを物語っていた。メンタルの強さこそが、本田圭佑を日本最強のフットボーラーとしている。

林壮一『間違いだらけの少年サッカー』22~23頁

 惨敗した「日本」にあって、本田だけは「世界」のレベルにあった。美しいゴールをした。本田だけが戦う気持ち、メンタルの強さ(?)を持っていた。フィジカルの強さも「世界」と比べて遜色なかった。本田圭佑が日本最強のサッカー選手たる所以(ゆえん)はそこにある……。

 ……つまり、サンドニの悲劇やドイツW杯における中田英寿礼賛が再現されている。

 『間違いだらけの少年サッカー』を読んでいると、著者・林壮一氏が過剰なまでに本田圭佑に思い入れを抱く理由が分かる。林氏は、さる大学の体育会サッカー部でプレーしていたが、これがすこぶる悪いスポーツ経験(思い出)だったらしい(この辺は,大西鐵之祐氏の下でラグビーをしていた藤島大氏とは対照的である)。


 林氏にとって日本の体育会とは、「悪しき日本の伝統」(同書17頁)にして「歪んだ日本社会」(同書18頁)の象徴。このアンチテーゼとして「日本人離れしたメンタルを持った本田〔圭佑〕のような若者」(同書240頁)を称揚するというシンプルな論理だ。これにも「日本」と「日本人離れ」の二元論の構造がある。

小説家・星野智幸のサッカー観の凡庸さ
 2014年、文芸誌『en-taxi〔エンタクシー〕』(扶桑社,坪内祐三ほか責任編集)が、サッカー・ブラジルW杯の特集をした(第42号)。タイトルは「[特集]サッカーの詩学~〈ブラジル〉のあとに思うこと」。どこかで聞いたことがあると思ったら、カルスタ系学者たちの手による『サッカーの詩学と政治学』という本があった。「○○の詩学」……いかにもな命名である。

エンタクシー42号 (ODAIBA MOOK)


 『en-taxi』のブラジルW杯特集のコンテンツは、佐山一郎氏も、今福龍太氏も、どれも酷いが、ここでは小説家・星野智幸氏の「ガーラの祭典」を取り上げる。「ガーラ」あるいは「ガラ」とは「garra」、スペイン語である。もともとは「爪」を意味する単語だが、スペイン語圏、南米ウルグアイ発祥の「勇敢さと不屈の精神力」を意味する概念として伝えられる。

 日本のサッカーファンには、「ゲルマン魂」と呼ばれたドイツ代表(かつての西ドイツ代表)の驚異的な勝負強さや精神力になぞらえて、「ウルグアイ版ゲルマン魂」として紹介されたこともある。
 星野智幸氏は言う。ブラジル大会を見れば見るほど、W杯が「ガーラの祭典」であることを感じる。ウルグアイのみならず、ブラジル、アルゼンチンチリ、コロンビア、コスタリカ、メキシコと、名勝負を見せてくれたチームには、皆この「ガーラ」が輝いていた。

 中南米だけでなく、アメリカ合衆国やアフリカのアルジェリア(余談だが,このチームの監督がハリルホジッチ氏だった)なども、私(星野智幸)は「ガーラ」を見た。

 「ガーラ」こそ、サッカーの神髄である。しかし……。

 ……ひるがえって日本代表を思い返すと、最も欠けていたのが「ガーラ」だった。そもそも「ガーラ」を日本語にするのは難しい。ガッツ、気合い、根性、気迫、闘魂等々。どれも、しっくりこない。以下、原文から引用すると……。
 日本でいう根性、気合いといった言葉の裏には、精神主義が張りついている。それは、上からの指示への絶対服従(己を殺せ)と、失敗したときの自己責任論(おまえの根性が足りなかったせいだ)が、もたれ合いながら作られた、体育会系的な価値観だ。

 ガーラは、まず何よりも個人の意志から始まる。集団の力が発揮されるのはその後だ。ガーラを待った者たちが集まり、意志の交換を通じて信頼を築き上げたとき、有機的なチームとなる。勝とうという集団的な熱狂だけで、自分の主体が覚醒していない状態であるならば、どうして状況の変化に個々人が機敏に対応できるだろうか。

 私〔星野〕は日本の初戦、対コートジボワール戦を、現地のスタジアムで観戦した。選手たちに気合いは入っていただろう。でもガーラは発動していない選手が多かった。ガーラを見せていたのは、本田〔圭佑〕と内田〔篤人〕だった。〔中略〕

 日本のサッカー文化の中には、まだガーラが育っていないのだ。それを選手にだけ求めるのは酷というものだ。

 ……林壮一氏の場合と同様、日本のスポーツ、否、体育会の、いわば「悪しき日本の伝統」と「歪んだ日本社会」のアンチテーゼとして本田圭佑が、ここでも登場する(もう1人いるが省略)。本田だけには「ガーラ」が宿っているのである。

 「ガーラ」はサッカーの神髄であると当時に、「サッカー的なるもの」の表象である。それは「日本的なるもの」ではない。日本人であり、日本的である以上は「ガーラ」を、すなわちサッカーを理解することはできない。「日本人離れ」した本田圭佑や中田英寿のような奇跡的な例外を除いては。

 また「ガーラ」とは「何よりも個人の意志から始まるもの」である。反面、日本人は「精神主義」で「集団的な熱狂だけで、自分の主体が覚醒していない状態」でしかない。つまり、日本人は「ガーラ」を、すなわちサッカーを理解することはできない。「日本人離れ」した本田圭佑や中田英寿のような奇跡的な例外を除いては。

 こういう話の持っていき方に既視感(デジャヴ)を覚えたのだとしたら、読者の感覚は正しい。星野氏は「日本的=非サッカー的/非日本的=サッカー的」の図式を、主に「ガーラならざるもの/ガーラ」として論じた。一方、サッカー論壇は、1970~80年代の日本サッカー低迷時代から、この表象を「日本的=集団(主義)=非サッカー的/非日本的=個人(主義)=サッカー的」として飽くことなく、かつ自虐的に論じてきた。

 その裏返しとしての「個人主義」で「日本人離れ」したサッカー選手の礼賛……。要するに、星野智幸氏の本田圭佑礼賛は、かつての村上龍氏の中田英寿礼賛と本質的に変わりがない。さらには島田雅彦氏とも変わりがない(先のリンク先参照)。



 文学者といえば、個性的な視点で、私たちのサッカー観に新鮮な刺激を与えてくれると思いがちだが、大間違いである。陳腐な世界観(二元論)のテンプレートをなぞり、目先の表象や過剰な思い入れの対象を変えて読者に提供するだけなのである。

 文学者ほどサッカーを語れない。呆れるばかりの凡庸さである。

本田圭佑だけが現実を見ていた
 こんな歪(いびつ)な情況は、サッカー専門ジャーナリズムでも変わりがない。サッカー専門サイト「フットボールチャンネル」の植田路生氏も、2014年6月15日付「夢うつつ精神的に脆かったザックジャパン。コートジボワール戦、必然の敗北。本田だけが見ていた現実」なる一文で、本田圭佑を評している。
 ……日本代表は本田圭佑のゴールで先制するも後半に2失点。その後、リズムを取り戻すことができず、そのまま敗れた。〔中略〕

 〔日本は〕精神的に弱いと言わざるを得ない。まるで自己分析ばかりしている就職活動中の学生のようだ。面接官の鋭い質問に、本意でないことを口走ってしまう。〔中略〕

 〔しかし〕この試合、戦っていのは本田圭佑だけだった〔出ました!〕。コンディションをこの試合に合わせ、ぬかるんだピッチにも足をとられず振り抜いた左足から先制点を生んだ。状況に合わせて上下左右に動きまわり、ティオテ〔コートジボワール代表〕ら中盤の激しいプレスをどうかわすかを考えていた。
この試合、戦っていのは本田圭佑だけだった
【「フットボールチャンネル」のWEBページから】

 ビハインドの状態でも本田はボールをキープすることができたが、如何せん仲間がついてこなかった。〔中略〕

 気付いたら追い詰められていた。そして負けた。〔日本の中で〕今のところ現実を見ているのは本田だけだ〔また出ました!〕。チームとして夢の世界から帰ってこなければ、ギリシャ戦も危うい。

 またしても、本田圭佑だけが戦っていた。本田圭佑だけが通用していた、本田だけは現実を見ていた(高い意識を持っていた)……で、ある。「日本」が惨めに負ければ負けるほど、「日本人離れ」した本田圭佑は光り輝く。

 ひとつの目安として、オリコンニュースの「本田圭佑のCM出演情報」を見てみる。すると、2014年ブラジルW杯以降、本田のCM出演は、サッカー関連のスポンサー企業以外にもバラエティが増している。

 日本代表が惨敗したにもかかわらず、否、日本代表が惨敗したからこそ、本田圭佑だけは日本という市場を標的に焼け太り(大儲け)したのである。

簒奪(さんだつ)されたサッカー日本代表
 さすがに最後の植田路生氏による提灯記事については、本田圭佑信者からも異論が出ている。ブログ「サッカー講釈」で知られる武藤文雄氏が苦言を呈している。


 理由は不明だが、くだんの植田氏の「フットボールチャンネル」WEB記事は現在ネット上から削除されている(先の引用文はWayback Machineから復元したもの)。


 例えば野球のようなバット・アンド・ボール・ゲームならば、全日本選抜(日本代表?)の先発投手が世界最強アメリカ大リーグ選抜に孤軍奮闘、惜敗して「部族の神話的英雄」になるということはあるだろう(沢村栄治さんゴメンナサイ)。

 しかし、11人1チームで有機体をなす攻守一体のフットボール=サッカーで、1人だけ惨敗の責任を免れ、数段高いレベルのプレーしたなどということはない。しかも、2014年ブラジルW杯のサッカー日本代表は、何から何まで本田圭佑のために誂(あつら)えられたチームだったのである。

 時の日本代表監督アルベルト・ザッケローニが初め志向していた、いわゆる「縦に速いサッカー」。これをポゼッションとパスワークでゴールに迫る、選手たちが好んだ、いわゆる「自分たちのサッカー」に舵を切るようザッケローニに要望したのは、本田圭佑・長谷部誠・遠藤保仁の3人であったとされる。



 それも含めて本田は批評を受けるべきだった。にもかかわらず、日本代表の中で本田だけがワールドクラスのパフォーマンスをしたかのようなバイアスが流布している。

果てしなく膨張する本田圭佑の「個」
 日本代表チームの同僚に上から目線の言動をしたがる悪癖も、中田英寿から本田圭佑に継承されている。有名なものが、2013年6月5日、ブラジルW杯アジア予選突破翌日の共同記者会見での発言である。
――(本田に)W杯優勝、そしてコンフェデ杯優勝を目標にしているが、チームとして、そして個人として何が必要か?〔記者の質問〕

本田 シンプルに言えば個だと思います。というのは、昨日GKの川島選手がしっかりと1対1を止めたところをさらに磨く。今野(泰幸)選手がケーヒルに競り勝ったところをさらに磨く。(長友)佑都と(香川)真司がサイドを突破したところ、そこの精度をさらに高める。ボランチの2人がどんな状況でも前線にパスを出せるように、そして守備ではコンパクトに保ち、ボール奪取を90分間繰り返す。岡崎選手や前田遼一選手が決めるところをしっかり決める……。

やたらマウンティングしたがるサル山のサル「本田圭佑」20130605
【膨張する「個」は「力」ではなく「欲望」】

 結局、最後は個の力で試合が決することがほとんどなので、むしろ日本のストロングポイントはチームワークですが、それは生まれ持った能力なので、どうやって自立した選手になって個を高められるかというところです。自分が前に出るという強い気持ちで集まっているのが代表選手だと思うので、この1年短いですが、考え方によっては1年もあるとも言えます。真司や佑都みたいにトップクラブでやってる選手もいると思いますし、ただそうでない選手もいます。でも、そうでない選手もやれることはあると思います。そこを今野選手みたいに憧れみたいな気持ちでいられると困りますが、同じピッチに立っていますし、大先輩なんでそこはアドバイスをくれればと思っています。


 コメント後段の、特に今野泰幸選手を貶めるかのような発言は不遜きわまりないものだ。だが、「電通」型スターシステムにドップリ浸かったマスコミなどは、「公開説教」などと面白おかしく伝えた。今野選手はじめ名指しで侮辱された選手たちは気の毒だった。
 本田の発言を分析してみると、面白いことが分かる。

 サッカーにおいて「日本のストロングポイントはチームワークで」「それは生まれ持った能力」であるが、しかし、「最後は個の力で試合が決する」。(そして、日本は生来「個」を備えていない)だから「自立した選手になって個を高められるか」……。

 ……つまり、ここにも「日本的=チームワーク(集団)=非サッカー的/非日本的=個・自立(個人)=サッカー的」の二元論の図式がある。非日本的にしてサッカー的という特権的な地位にある本田圭佑は、その立場から日本的で非サッカー的な他の日本代表選手を公の場で「説教」できるのである。

 本人の口から語ってくれると非常に分かりやすい。本田圭佑は、これだけの放埓が許されるだけの「権力」がある。

金で買ったミランの背番号10
 他人様に「個の力を高めよ」とご高説を垂れる本田圭佑の「個の力」は、実際いかほどのものか。前出の林壮一氏は『間違いだらけの少年サッカー』の中で、「日本人選手で最も高い地位まで上り詰めた本田圭佑」(同書22頁)。ACミランという「トップチームに名を連ねる本田圭佑がどれだけ険しい山を登ったのかが分かる」(74頁)などと、絶賛している。

 しかし、欧州サッカーの傍流を歩んできた本田が、イタリアの超名門ACミランに背番号10というエースナンバー付きで移籍できたのは、純粋に実力を評価されたからではない。日本企業のスポンサーマネーを持ち込み、アジア市場からの収入を期待されたからである。事実、前所属クラブからの移籍金はゼロだった。これには日本の大手広告代理店・電通も1枚噛(か)んでいると言われる。
 モーターレーシングF1の世界では、実力には乏しいが持参金やスポンサーをチームに持ち込んで出場機会を得るレーサーがたくさんいて、そんな人のことを「ペイドライバー」と呼ぶ。ACミランにおける本田圭佑の立場は、まさにペイドライバーである。
 低迷中とはいえ、ACミランはとても本田圭佑の身の丈に合ったクラブではない。イタリアのマスコミは、本田のことをミランの「マーケティングマン」と冷ややかに呼び、背番号10にもかかわらずパンキナーロ(イタリア語で「ベンチウォーマー」の意)が多いことを嘲(あざけ)った。にもかかわらず、「電通」型スターシステムに染まった日本のマスコミは、本田の「活躍」を針小棒大して伝えた。

本田圭佑_東洋タイヤCM
【ACミラン 本田圭佑 東洋タイヤCM】

 中田英寿も同様。もっとも、さすがにNAKATAは実力でF1のレギュラーの地位(イタリアのペルージャからASローマの移籍)をつかんだ人である。

 しかし、そこから伸び悩んだ。1~2度、表彰台でシャンパンファイトはした。だが、世界チャンピオン(バロンドール?)になった、その座を争った、グランプリで優勝した……とは言い難い。イタリアの所属クラブでは控えに甘んじるなど、スランプ状態にあった。それでも、「電通」型スターシステムに染まった日本のマスコミは、NAKATAの「活躍」を針小棒大して伝え、いかにも「世界」のスーパースターであるかのように扱った。

 時の日本代表監督フィリップ・トルシエは、そのことを不思議がっていたという。

スターシステムの克服
 これらの現象は、世界サッカーの標準とは全く違う次元で動いている。

 「日本のサッカーは『世界』と比べてレベルが低い」という場合、本来、その日本サッカーの中には本田圭佑も中田英寿も含まれる。本田や中田が切り離されて、はるか上位に位置するということはない。しかし、「電通」型スターシステムは、何が何でも「世界」の本田、「世界」のNAKATAを「日本」から切り離し、差別化する。

 「日本」と差別化され、スターシステムに乗った本田圭佑や中田英寿には「権力」が集中する。それは日本サッカー協会(JFA)も、日本代表監督もコントロールが利かなくなる。むしろ、JFAなどはスターシステムに阿(おもね)るようになる。

 それが日本サッカーをさまざまに歪曲させる。2018年4月9日、ハリルホジッチ氏が日本代表監督を突如として解任されたのは、多分に以上のような背景がある。むろん……。
  • スターシステムに乗った本田圭佑(や香川真司)といった一部の選手、大手広告代理店の電通、キリンやアディダスジャパンなどのサッカー日本代表のスポンサー企業が、田嶋幸三JFA会長に命令してハリルホジッチ監督を解任させたなどと言うような、マンガみたいな「陰謀」はなかったかもしれない。
 ……しかし……。
  • スターシステムに乗った本田圭佑(や香川真司)といった一部の選手、大手広告代理店の電通、キリンやアディダスジャパンなどのサッカー日本代表のスポンサー企業の存在が、ハリルホジッチ監督を解任した田嶋幸三JFA会長の判断に何がしかの影響を与えた蓋然性はある。
 ……ぐらいは言えるかもしれない。真相は白か黒かという問題ではない。

 本田圭佑や中田英寿にまつわる「電通」型スターシステムは、大手広告代理店の電通が、特定の選手を「ご指名」して祭り上げられるものではない。それはある条件を満たした場合に偶発的に出現する。これが当ブログの長い長い彷徨の果ての、ひとつめの結論である。

 人為的なものではないからこそ、その弊害は大きく、なおさら克服は難しい。

 サッカージャーナリストや評論家の中には、日本サッカーにまつわる陰謀論など信用しない、スポンサーシップの悪影響(圧力)など存在しない……という人がいる(小澤一郎氏,川本梅花氏,清水英斗氏,西村健氏ほか)。たしかに「陰謀論」などという、いかがわしい代物に首を突っ込むのは物書き(や評論家,研究者)にとってプライドを損ねることであろう。

 だが、スターシステムとスポンサーシップの問題ならば、現前と存在する。2014年ブラジルW杯の日本代表キャンプ地選定の問題(キリンのブラジル法人本社のある都市イトゥ.地理的にコンディションの調整が難しく,W杯本大会の日本惨敗の原因のひとつとされた)、アディダスジャパンの意向で日本代表の背番号10が指定されていること(香川真司や中村俊輔)、同じく選手の集合写真の並びが決まっている問題……等々。

背番号10はアディダスの選手
【『朝日新聞』電子版から】

 ハリルホジッチ解任事件を「陰謀論」ではなく「日本サッカーとスターシステム,またはスポンサーシップ」の問題とすれば、堂々とジャーナリズム・評論・アカデミズムの対象になりうる。

 現実に噛み付かないジャーナリズム・評論の方こそ、信用できない。ハリル氏解任事件の真相、あるいは「電通とJFA」「電通と日本サッカー」の裏面史を、有志のどなたかに調査報道してほしいと思う。

 大手広告代理店の電通というと、ハリル氏解任陰謀論の世界観では、本田圭佑とともに、日本サッカーを食い物にする悪の総本山といったイメージがある。しかし、昔は不人気な日本サッカーを何とかしようと、チアホーンや日章旗を観客に配ったりしていたのだ。それが30~40年でどう変容したのか?

 ジャーナリズムだけでなく、アカデミズムの視点、スポーツ社会学やカルスタスポーツ学(カルスタ)からも、本田圭佑や中田英寿のスターシステムに斬り込んでほしい。とかくカルスタは、ナショナリズム批判、ジェンダー論、2020年東京オリンピック批判といったある種の「政治性」がないと興味・関心がわかないともいわれるのだが……。

山本敦久@a2hisa
【成城大学・山本敦久准教授のツイッターから】

 ……しかし、本田圭佑は、ツイッターなどでは自己責任論的で新自由主義的な意見を発信し、一説に政治家への野心もあると言われている。その政治志向は明らかだろう。だからこそ、本田(あるいは中田)にメスを入れるべきなのである。

 ハリルホジッチ氏をめぐる一連の騒動は、「陰謀論」の問題ではない。日本サッカーについてまわるスターシステムとスポンサーシップの問題を顕在化させたのである。その批判と克服こそは日本サッカーの重要課題である。

 これが当ブログの長い長い彷徨の果ての、もうひとつの結論である。

(了)


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 NHKのドキュメンタリー番組〈プロフェッショナル~仕事の流儀〉、2018年5月14日放送「ラスト・ミッション 本田圭佑のすべて」を拝見しながら発信したツイートをまとめました。

 各々のツイートの間に脈絡はありません。









 この辺は、次の世代を担うサッカー選手は考えてほしいのです。

 安易に「W杯優勝」を公言するのではなく、ひとつでも上に……といったニュアンスでレトリックを磨いてほしいのです。




 1968年のメキシコ五輪から約四半世紀「アマチュアリズム」の拘束に苦悩した日本のサッカー。

 W杯初出場以降、「スポンサーシップ」と「スターシステム」で自縛している日本サッカー。

 サッカーも、ラグビーも、日本代表が一度低迷しだすと、20年はそれが続く歴史があります。





 いろいろと興味深い番組でした。

(了)



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武藤文雄
【写真と本文は関係ありません】

武藤文雄氏の本田圭佑信仰告白
 ブログ「サッカー講釈」の執筆者・武藤文雄氏が、いかにも大型連休(ゴールデンウイーク)にふさわしいデッカイ釣り針をツイッターで垂らしてくれた。

 早い話が武藤文雄氏は、本田圭佑のいわゆる「信者」なのである。くだんのツイートでは、彼のプレーや言動・立ち居振る舞いを批判しているアンチ本田派のサッカーファンに必死で反駁(はんばく)しているのである。

 「本田圭佑は悪くない。悪いのは周りの人間だ」、特に後段のツイートについては「本田圭佑は悪くない。悪いのはNHKだ」と言っているのである。
 むろん、本田信者の武藤文雄氏は「①番組が煽ってただけ」派である。そういえば、中田英寿の現役時代にも「ヒデは悪くない。悪いのは周りの人間だ」「ヒデは悪くない。悪いのは朝日新聞だ」という中田英寿信者がたくさんいた。
中田英寿「朝日新聞」1998年1月4日
【『朝日新聞』1998年1月4日付より】

 ある種のネット民にとって、NHKや朝日新聞は存在自体が悪なのである。

 それでは、本田に「罪」や「責任」と言って悪ければ「問題」はないのか……。

 ……あるに決まっているではないか。だから批判されるのであってね。

本田圭佑を擁護する武藤文雄氏の揚げ足をとる
 武藤文雄氏が本田圭佑に思い入れがある(甘い)のは個人の趣味だから、それ自体は構わない。しかし……。
  • 決定的に違うのは、本田圭佑の自己顕示欲の強さは「少々」どころか「大々的」であること。その度が過ぎた自己顕示欲が、サッカー選手の枠を超えた本田の過剰な影響力の源泉となり、これまでにも日本サッカー全体の利益を損ねてしまうことが度々あった。
  • アンチ本田派は好き嫌いで本田圭佑を批判しているわけではなく、今の本田のパフォーマンスは日本代表のレベルに達していないから外してほしいと主張している。
  • 10年間にわたって日本代表に貢献してきた選手は、何も本田圭佑だけではない。
  • 「日本代表のために本田圭佑ではなく,本田圭佑のための日本代表」に歪曲されている
  • 武藤氏は、NHK(の番組「プロフェッショナル~仕事の流儀」のスタッフ)を無神経だと難じているが、公共放送たるNHKをも「無神経」にさせる「種」(マスコミ受けするビッグマウス)を、まき続けたのはそもそも本田圭佑本人ではないのか。
  • 武藤氏は、アンチ本田派が本田圭佑を誹謗していると批判するが、共同記者会見という公然の場で、本田圭佑が今野泰幸選手ほかの日本代表選手を貶める発言をするのは一向に構わないのか。
  • 武藤氏は、田嶋幸三会長「だけ」が全部悪いかのように書いているが、結局それも氏の憶測と願望に過ぎない。現状、日本にアンドリュー・ジェニングスのようなジャーナリストはいないわけだし、ハリルホジッチ氏解任事件の全貌は未だ判然としない。
 ……等々、その寛大さはかえって贔屓の引き倒しになっている。

ブログ「サッカー講釈」の詰めの甘さ
 武藤氏は、ブログ「サッカー講釈」のエントリー『田嶋さん、あなたは何のためにリスクを背負ったのか』で、いわゆる「陰謀論」とは違う立場から、ハリルホジッチ氏解任問題を論じている。

 それは全然いいのだが、武藤氏は陰謀論の底なし沼的性格を心得ずに書いているので、陰謀論者や陰謀論ウォッチャー(当ブログはこの立場である)が読むと、いろいろツッコミを入れたくなる記述がいくつかある。
まず誰か中心選手〔本田圭佑?〕が、ハリルホジッチ氏と意見が合わず、この人の下では勝てないと主張したとしよう。

……残念ながら、いまの日本にはメッシやネイマール(いやレバンドフスキとかマネでもよいですが)のように、その選手がいるといないとではチームの戦闘能力がまったく違う水準になるようなタレントが、そもそもいない。したがって、もしハリルホジッチ氏と修復不能の関係の選手がいたのならば、その選手を外せば済むことだ。もし、いまの日本代表の誰かがそんなことを発言し、その選手の言い分を聞いて、監督を切ったとしたら、これほど愚かなことはない。
 いたいけな人たちの間では、本田圭佑は、メッシやネイマールとまではいかないまでも、レバンドフスキとかマネに匹敵する国際レベルの「スター」であると信じられている。(腐っても)ACミランの背番号10番だし、本田は凡庸な監督よりも偉いのである。本田がいないと、日本代表の試合のテレビ視聴率は取れないし、新規スポンサーも獲得できない。だから、本田を外そうとしたハリルホジッチは更迭された……というのが陰謀論の世界観である。
たとえば、最近日本代表のテレビ視聴率が下がっているから視聴率が稼げる監督が必要だと、広告代理店〔電通?〕が圧力をかけたとの説がある。しかし、西野氏で視聴率が上がるとはとても思えない。もし、カズなり中田英寿氏、あるいは大技で松木安太郎氏を監督に抜擢すれば、状況は好転するかもしれないが(もちろん、「そうした方がよい」と言っているわけではないので、誤解しないでくださいねw)。
 武藤氏は思い違いをしているようだが、監督の名前で視聴率や新規スポンサーを獲得するのではない。数字(視聴率)を持っている(と期待される)のは、あくまで本田圭佑(とアディダスジャパンの契約選手であるところの香川真司)といった「スター」選手である。その本田や香川を国際試合に出場させなかったから、ハリルホジッチは更迭された……というのが陰謀論の世界観である。
たとえば、adidas殿が自社と契約している香川を代表に選ばないから圧力をかけたとの説がある。しかし、同社と契約しているのは香川だけではない。必要ならば、ハリルホジッチ氏が選考した選手をプロモートすればすむことだ。

香川真司_アディダスジャパン_日本航空
【香川真司 アディダスジャパン 日本航空】
 アディダスジャパンが「指名」する日本代表の背番号10は交換がきかない。
結局のところ、広告代理店の意図がどうしたとか、スポンサの意図がどうしたとか、皆が色々言うけれど、皆の意向は日本代表が勝つことに尽きるのだ。
 これも違う。陰謀論の世界では、W杯本大会で日本は必ずしも勝つ必要はない。W杯本大会では、どんな弱小国でも1次リーグで3試合はできる。だから、電通やサッカー日本代表のスポンサー企業はその3試合で煽り倒せばいいというビジネスモデルである。

 武藤氏と非常に近しい関係のある、清義明(せい・よしあき)氏も、武藤氏と同じようなことを書いていた。これには少し疑問を感じたので、こんなツイートを試みた……。
 ……すると、どうです……。
 ……と、当の清義明氏から概ね同意する旨の返信が返ってきたので大笑い。要するに掘り下げ不足だったと、清氏自身が認めたようなものだ。

中途半端な陰謀論批判はかえって陰謀論を深める
 武藤文雄氏の『田嶋さん、あなたは何のためにリスクを背負ったのか』は、ハリルホジッチ氏解任事件に関する非常に重要な考察である。

 しかし、いわゆる陰謀論に関する言及が中途半端で、ワキの甘いところが見られる。

(了)




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 ハリルホジッチ氏のサッカー日本代表監督解任に関して、いわゆる「陰謀」はあったのか? なかったのか? 100%「黒」ではないだろうが、100%「白」でもないだろう。……そう感じている人は多い。
 臼北信行氏や赤坂栄一氏といった野球系のスポーツライターが、意外にも(?)日本代表・日本サッカー協会とスポンサー企業との関係について、それなりに踏み込んだことを語るのに対し、小澤一郎氏や川本梅花氏といったサッカー専門ライターは、そうした問題を考えること自体が汚らわしいかのような反応を示す。
川本梅花氏
【川本梅花氏】

 あるいは、川本梅花氏は以下のようなツイートを発信している。
 しかし、陰謀論に耽(ふけ)るためには、サッカーに対するそれなりの興味・関心がなければならない。つまり、「ハリルがなぜ、『マンツーマン守備』を選択したのか……」という問題に興味・関心が高いサッカーファンの層ほど、陰謀論を語り交わすサッカーファンの層と、かなりの割合で重なるのではないか。

 今回のハリル氏解任事件は、そうした「コア」なサッカーファンたちまで萎(な)えさせてしまったことが問題なのだ。要するに「ハリルがなぜ、『マンツーマン守備』を選択したのか……」というインタレストに食い付くサッカーファンが減るかもしれない。川本氏のような陰謀論の類(広い意味でのそれを含めても)を頭ごなしに否定する人は、そうした想像にかけているのではないか。

 また、川本氏は次のようなツイートもしている。
 紹介されていた清義明(せい・よしあき)氏の記事を読んだ。もちろん、得るものはあった……というか、あの中に登場する昔の日本代表選手の海外遠征費は自己負担だったとか、スポンサー企業(実業団)の所属選手を優先的に日本代表に召集していたという岡野俊一郎氏の回顧談は、当ブログのパクリ引用である。

 川本梅花氏が「これを読んで頭を冷やせ」と言っている清義明氏の記事には、こんなことが書いてある。
よくよく考えてみると、広告代理店にとっても仮に日本代表があっさり負けてしまえば、そのビジネスは元も子もないはずである。にもかかわらず、代表監督人事にまで影響力を行使する〔つまり陰謀または圧力あるいは忖度〕というのは、いま一つ、現実味がないように思えるのだが、いかがであろうか。

 しかし、この点は少し甘くて「頭を冷やす」には物足りないかとも思ったので、当ブログは次のようなツイートをしてみた。
 すると……。
 ……などと返信が返ってきものだから大笑い。要するにツッコミ不足だったと、清義明氏自身が認めたようなものだ。

 いわゆる陰謀論を敬遠するなら、それでもいい。そういう人がわざわざ陰謀論の類に言及して否定的な評価をするなら、「なぜ,陰謀論はありえないのか?」をきちんと説明
してほしい。

 それができないならば、技術論に徹してハリル解任を論じるべきではないか。

(了)

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