スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:細川周平

 細川周平著『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』(1989年初版)。絶賛的なレビューがあちらこちらで目立つが、当ブログは以前からこの本にどうしても納得いかない点があり、Amazonにかなり否定的なレビューを書いた。

 それはいちど採用され、しばらくの間、掲載されていた。その内容は、当ブログで公開した者とだいたい同じである。
  • 参照:そんなに名著か? あのサッカー本(2)細川周平『サッカー狂い』(2022年12月03日)https://gazinsai.blog.jp/archives/47935544.html
 ところが、それはいつの間にか、何の通知もなく削除されていた。

 そこで先日、表現を変えて少しマイルドにして(?)再投稿を試みた。以下は、その文章である。

 *・゜゚・*:.。..。.:*・゜

サッカー本の歴史的名著とまで言われる『サッカー狂い』のもうひとつの顔
 細川周平著『サッカー狂い』の初版は1989年(写真参照)。ドゥルーズ=ガタリをはじめとした晦渋なフランス現代思想を引用・援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った歴史的「名著」としてきわめて高い評価を得てきた。

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
細川周平著『サッカー狂い』初版表紙(1989年)

 これが『サッカー狂い』の【表の顔】である。しかし、この本には【裏の顔】がある。それは……。

 ……フランス現代思想のような思想に没入し、特定の対象(サッカーなど)に耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に憎むようになる。著者が考える「サッカーならざるもの」を徹底的に悪罵するのだ。

 例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(著者は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの誹謗である。

 また、著者が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化、あるいは「愚鈍なサッカー」として執拗に中傷し出したのも『サッカー狂い』からの風潮である。

 さらに、著者の憎しみの矛先は、Jリーグ以前のまだ「冬の時代」(1970年代初めから1990年代初めの約20年間)だった日本サッカーにも及ぶ。

 とにかく、折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。著者曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼくは日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」。

 まるで、そのように断定することが、自身のサッカー観の確かさやサッカーへの批評精神を誇示することであるかのように……である。

 これらはいずれも読むに堪えない。

 この本には、日本のサッカーファンの良くないところも表出しているのである。

 『サッカー狂い』を賛美するサッカーファンは、しかし「この本は知的に高尚で深遠であるはず」「自分は頭が悪いとは思われたくない」と自らを強迫しているので、こうした点に触れたがらない。

 その上で、この本を一面的に肯定してきた。

 実際には『サッカー狂い』という本には【表の顔】【裏の顔】があり、そこを心得て読まないと、真面目なサッカーファンや読者は面食らうだろう。

 *・゜゚・*:.。..。.:*・゜

[PC版は【続きを読む】に進む]




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

[文中敬称略]

漫画と日本スポーツ
 日本のスポーツ文化の面白いところは、サブカルチャーでありフィクションであるところの漫画のヒット作品が、虚実の境を越えて現実のスポーツの在り様に影響を与えたところにある。

 すなわち、高橋陽一のサッカー漫画『キャプテン翼』であり、井上雄彦のバスケットボール漫画『SLUM DUNK』である。

 サッカーもバスケットボールも、元来、日本では人気が無く国際的な実力も弱小だっが、『キャプテン翼』や『SLUM DUNK』といった漫画のヒットの影響で大きく変わった。

 プロリーグ(Jリーグ,Bリーグ)が出来て人気スポーツになり、日本人選手は海外の一流リーグでプレーするようになり、日本代表の実力も大いに向上したのである。

高橋陽一,そして細川周平
 その高橋陽一『キャプテン翼』の連載が、原作者の体力の衰えなどを理由に終了するというニュースが入ってきた。
  • 参照:朝日新聞「『キャプテン翼』漫画連載終了へ~物語はネームなどで制作継続」(2024年1月5日)https://www.asahi.com/articles/ASRDX3STCRDWUCVL03L.html
 今後はネーム(絵コンテのような下書き)のような形で物語の制作を続けていくという。

 高橋陽一の名前を聞くと、なぜか個人的に思いだすのは、『サッカー狂い』(1989年初版)の著者・細川周平(音楽学者,フランス現代思想家,日系ブラジル史研究ほか)のことである。なぜなら……。


  • 参照:細川周平(国際日本文化研究センター=日文研=名誉教授)https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/staff/s006/
 『サッカー狂い』は、ドゥルーズ=ガタリをはじめとした晦渋なフランス現代思想を引用・援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った「名著」として過剰なまでに高く評価されてきた。

 だから、今でもカリスマ本扱いされている。これが『サッカー狂い』の「表の顔」である。

 ……話を戻して、なぜなら、『サッカー狂い』では『キャプテン翼』のことを、凡百なサッカー漫画と並べて「熱血漫画,スポ根,紋切り型」として一面的に否定していたからである。

『サッカー狂い』の「裏の顔」と深層
 しかし、はたして、そもそも『キャプテン翼』は熱血漫画やスポ根として受容され、評価されてきたのか? 否、である。

 むしろ『キャプテン翼』は、同じスポーツ漫画でも、努力や根性、重圧、暑苦しさ……といった要素から離れたところで読者を獲得し、評価されてきたはずなのだ。

 細川周平のサッカー漫画観は、単なる好き嫌いの問題ではない。これから説明するのは『サッカー狂い』の「裏の顔」である。

 フランス現代思想のような観念に没入し、特定の対象(サッカーなど)を耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に嫌悪するようになる。

 『サッカー狂い』も同様。例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(細川周平は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの悪罵である。

 あるいは、細川周平が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化「愚鈍なサッカー」として執拗に嫌悪し出したのも『サッカー狂い』である(今福龍太も同様である)。

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
細川周平『サッカー狂い』初版(1989年)表紙

 さらに、細川周平の嫌悪の矛先は、まだ「冬の時代」(1970年代初め~1990年代初めの約20年間)だった日本サッカーにも及ぶ。

 とにかく折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼく〔細川周平〕は日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」……などとスマして語る。

 これにはウンザリさせられる。こういう話を『サッカー狂い』を称揚するサッカーファンはしたがらないが、細川周平は「日本サッカー冬の時代」にあって、日本のサッカーに絶望して「自虐的日本サッカー観」に取り憑(つ)かれていたのだ。

 この人が『キャプテン翼』を酷評したのは、こうした自身の日本サッカーへの嫌悪あるいは「自虐的日本サッカー観」の発露なのである。

サッカーへの沈黙の意味と理由は?
 細川周平は、1990年代初めまではサッカーに関する発言をしていた。例えば、次のリンク先では、1990年イタリアW杯でベスト8まで躍進し、大いに話題になったアフリカのカメルーン代表のサッカーを賛美している。
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue September 1990 ITALIA'90 QUESTO E IL CALCIO! イタリア・ワールドカップの21人(1990年9月11日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/398
 自由奔放なイメージのアフリカのサッカーを讃える辺り、いかにも細川周平らしい(ここでもドイツのサッカーを貶していたが)。

 しかし、その後はサッカーへの言及をほとんどしなくなった。その理由は?

 1998年、『季刊サッカー批評』創刊号で、田村修一(ひっとしたらこの人もフランス現代思想家になっていたのかもしれない)が『サッカー狂い』の絶賛書評を書いた。その中で細川周平が長らくサッカーに関して沈黙していることを、さも意味ありげに書いている。

 ……話を戻して、その理由、何のことは無い。細川周平が『サッカー狂い』であれだけ強迫的に否定した、隆盛することはあり得ないと断じていた日本のサッカーが、本の刊行から3年後にして勃興したからである。

 すなわち、1992年のサッカー日本代表(オフト・ジャパン)のアジアカップ初制覇、1993年のJリーグの開始、1997年のジョホールバルの歓喜、1998年のW杯本大会(フランス大会)初出場……と続く。昨今の森保ジャパンの活躍に関しては言うまでもない。

 細川周平はバツが悪くなったのである。

 2023年、高橋陽一は、日本サッカーの興隆に大いに貢献したとして、日本サッカー殿堂への掲額が決まった。

 実際に日本(や世界)のサッカーに大きな影響を与えたのは、『キャプテン翼』の方だった。正しかったのは細川周平ではなく高橋陽一の方だった。

 細川周平は、ここ30年余りの日本サッカーの成長を素直に認めて何かコメントするべきだ。個人的にそれを知りたい。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 100周年を迎える日本ラグビー伝統の一戦「早明戦」(早稲田大学vs明治大学)の前夜にしたためる。
  • 参照:村上晃一「100周年を迎えたラグビー早明戦~ライバル対決の行方は?」(2023年12月1日)https://news.jsports.co.jp/rugby/article/20190310226229/
 2003年のラグビーワールドカップ(オーストラリアで開催)、優勝したのはイングランドだった。ちなみにイングランドがスポーツの主要な世界大会で優勝したのは、1966年のFIFAワールドカップ(サッカーW杯)以来とのこと。国中が沸いたそうだ。
  • 参照:時事通信「特集ラグビーW杯プレーバック~2003年決勝ENG-AUS」https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110808rugbywc_playback_07
 このラグビーワールドカップ、準決勝か決勝の試合の前の記者会見で、記者のひとりから「イングランドのラグビーは面白くないですね」と批判的な質問が出た時、イングランド代表監督のクライブ・ウッドワードが「もっと面白くないラグビー見せようか?」と答えたのだという。いや、素晴らしい。

 イングランドは、「閃(ひらめ)きのラグビー」(Flair Rugby)と呼ばれた、芸術的なラグビー、美しいラグビー、スペクタクルなラグビーをやった、ある時期のウェールズやフランスと違って、「面白くないラグビー」をする国だという世上の定評がある。

 1991年のラグビーワールドカップ(英国,アイルランド,フランスで開催)では、その「面白くないラグビー」(テンマン・ラグビー=Ten-man Rugby)で勝ち上がり、決勝まで進出した。

 当地のスポーツマスコミは、イングランドの「面白くないラグビー」を執拗に批判した。<1>

 決勝戦、ワラビーズ(オーストラリア代表)との試合に臨んだイングランド代表は、マスコミの批判に応えてか、それまでの「面白くないラグビー」とは打って変わって、スペクタクルな「展開ラグビー」に豹変。一部で肯定的な評価はされたが、結果はワラビーズに一蹴された。
  • 参照:時事通信「特集ラグビーW杯プレーバック~1991年決勝AUS-ENG」https://www.jiji.com/jc/v2?id=20110808rugbywc_playback_12
 慣れないことは、やるもんじゃない。

 そんな伏線もあってのクライブ・ウッドワードの「もっと面白くないラグビー見せようか?」発言である。いや、素晴らしい。なぜなら……。

 日本のスポーツ評論では、スポーツにおいて勝ち負けを争うこと、勝利を求めること、それ自体を過剰なまでに卑しめ、プレーに垣間見える「美しさ」(面白さ……をさらに尖らせた概念)を専ら称揚する現代思想系のスポーツ評論を、過剰なまでに評価してきたからである。

 例をあげれば、野球では蓮實重彦(草野進)やセクハラオヤジこと渡部直己、サッカーでは今福龍太や細川周平……と言った人たちが、その担い手である。

 さらにそれを一般向けに煽ったのは、私は日本で初めて「スポーツライター」を名乗ったと嘯(うそぶ)きながら、実はその肩書には屈託があり、現代思想方面にコンプレックスを抱えた玉木正之である。
  • 参照:玉木正之「草野進のプロ野球批評は何故に〈革命的〉なのか?」(2004-02-02)http://www.tamakimasayuki.com/sport_bn_6.htm
 それを嘲笑うかのようなクライブ・ウッドワードの発言なのである。いや、素晴らしい。

 現代思想系のスポーツ評論というのは、あくまで狭い内輪の世界の「お作法」でしかない。実はスポーツ評論ではなく、いわばスポーツの文芸批評であり、あるいはスポーツ(野球やサッカーなど)を種にした現代思想の展開にすぎない。

 それを、玉木正之(や武田徹といった人たち)は称揚してきたのだ。

 スポーツにおける「美しさ」はその「面白さ」の一部ではあるが、全ての「面白さ」ではない。また、他の要素を差し置いて「面白さ」の前面に立たせる至上の価値でもない。

 スポーツにおける「面白さ」の一部に過ぎない「美しさ」のみに固執することは、かえってスポーツ観を狂わせ、かえって貧しくする。

 勝つか負けるかは、どうしたってスポーツの醍醐味なのである。

 そのことを思い出させてくれた、クライブ・ウッドワードのウィットとユーモアであった。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

[文中敬称略]

ラグビー芸人スリムクラブ真栄田,サッカーをヘイトして炎上
 「ラグビーワールドカップ2023 フランス」がたけなわだが、高校時代ラグビー選手だったお笑い芸人スリムクラブの真栄田賢が、またまたラグビーを褒め上げるためにサッカーをヘイトした……とSNSが炎上している。

スリムクラブ真栄田「ラグビーファンは渋谷の交差点で騒がない」(3)
【スリムクラブ真栄田「ラグビーファンは渋谷の交差点で騒がない」】

 同じ高校時代ラグビー選手だったお笑い芸人でも、サンドウィッチマンの2人(伊達みきお,富澤たけし)はこんなことを言わないから、人にもよる。

 しかし、一般論としてラグビーファン、ラグビー関係者の中には、むやみやたらとサッカーをヘイトしたがる人が悪目立ちするのも、また事実である。

ラグビーフットボールの何が特別なのか?
 サッカーこそ地球規模で人々が熱狂する世界のスポーツだ!

 アメリカンフットボールこそ最も進化した究極のスポーツだ!

 クリケットこそ公平と自治の精神を養う人格陶冶のスポーツだ!

 ベースボールこそアメリカの精神が根底に流れる民主主義的なスポーツだ!
  • 参照:鈴木透「野球から見えるアメリカ〈NHK 視点・論点〉」(2018年05月09日)https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/297204.html
 大相撲こそ神代の昔から伝統がある「神事」であって、そんじょそこらのスポーツ・格闘技とはワケが違う!

 ……等々、各々の競技のファンや関係者は、自身が信奉するスポーツを特別に価値があるものだと思いがちである。

 これらはそれぞれに厄介だが、最も厄介なのはラグビーフットボールかもしれない。

 敵・味方、勝った側(side)も負けた側(side)も無く、対戦相手の垣根を越えて、互いの健闘を称え会う「ノーサイド」(no side)の文化。

 献身的な「ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワン」の精神。

 審判の判定を絶対として潔く受け入れる「紳士のスポーツ」

 トライやゴールをしても「ガッツポーズをしない」控えめな振る舞い。

 プロ化や商業主義を拒んだ清廉な「アマチュアリズム」

 試合中、監督は観客席から見守るだけで選手たちに指示はできず、その判断は選手たちが自主性をもって行い、最終意思決定はキャプテンが行う「キャプテンシー」

 早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、同志社大学といった、競技の実力においても強豪であり、新興校の安易な追随を許さない「伝統校」

 英国のオックスフォード大学vsケンブリッジ大学の定期戦に範をとった、毎年同じ日程で開催される、早慶戦、早明戦といった「伝統の一戦」

 選手権、なかんずく世界選手権(W杯)の開催を避け、誰がいちばん強いか? ……よりも、どちらが強いか? ……という価値観にこだわった「対抗戦思想」

 接近・展開・連続の理念で知られ、海外の強豪との試合で日本のチームが肉迫してみせた、日本独自のプレースタイル「大西鐡之祐理論」

 ……等々、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しい修飾がついてまわった。

ラグビーファン,ラグビー関係者によるサッカーヘイト慨史
 こうしたラグビー観は、1970年代に始まり、1980年代に隆盛を極め、1990年代前半まで続いた、本邦スポーツ界の「ラグビーブーム」の時代にもっぱら喧伝された。

 当時はJリーグ(1993年より)以前だから、日本のサッカーは長い長い低迷期にあった。「ラグビーブーム」の時代と同時期、同じフットボールでもに日本ではサッカーよりラグビーの方が人気があった。

 日本のラグビーファン、ラグビー関係者のこじらせたラグビーへの愛情、こじらせたラグビーへの自尊心は、低迷していた一方のラグビーならざるフットボール=サッカーへのヘイトという形で表出する。

 高貴なラグビー、ひるがえって下賤なサッカー。

 例えば、ラグビーファンで有名だった、また草ラグビーのプレーヤーでもあった小説家の野坂昭如(故人)が大のサッカー嫌いだった。
  • 参照:相川藍「『作家・文学者のみたワールドカップ』野坂昭如・高橋源一郎・星野智幸・野崎歓・関川夏央・藤野千夜ほか/文學界2002年8月号」(2002.07.09)https://www.lyricnet.jp/kurushiihodosuki/2002/07/09/983/
 サッカーは手を使えない、おかしい……と、野坂昭如は言うのである(しかし,それならばラグビーはボールを前に投げられない,おかしい……となる.野坂昭如の言い分はつまらないイチャモンである)。

 ゴールした後、派手なガッツポーズで抱き合い喜ぶサッカー(ゴールセレブレーション)はよろしくなくて、トライの後、表情ひとつ変えずに黙って自陣に引き上げるラグビーこそ正しい……と、野坂昭如は言うのである(あくまで「ラグビーブーム」の時代の習慣)。

 また、釜本邦茂にサッカーをやらせておくのはもったいないから(ちなみに釜本邦茂も野坂昭如も早稲田大学出身)、ラグビーでプレースキッカーをやれ! ……などとも野坂昭如は放言していた。

 例えば、文藝春秋の総合スポーツ誌『スポーツグラフィック ナンバー』は、1980年代は完全にラグビー寄りの雑誌だった。
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue December 1983「THE RUGBY」(1983年12月16日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/582
 一方でサッカーをヘイトするようなことを平気で書いていた。

 当時の文春ナンバーは、1986年のサッカーワールドカップ・メキシコ大会をほとんど黙殺し、同時期、サッカーともスポーツとも関係ない「猫の写真集」(!?)を刊行して、心あるサッカーファンと読者の顰蹙を買った……という話は、以前、当ブログが書いた。
  • 参照:マラドーナ急逝と文春ナンバー1986年メキシコW杯黙殺事件(2020年12月30日)https://gazinsai.blog.jp/archives/42688152.html
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue July 1986「ネコと友達物語」(1986年7月15日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/630
 ところが、文春ナンバーは翌1987年に初めて開催されたラグビーワールドカップ(ニュージーランドとオーストラリアの共催)は、きわめて好意的に扱った(次のリンク先の目次に「観戦ガイドシリーズ(7)第1回ラグビーW杯」あり)。
  • 参照:Sports Graphic Number 171号「プロレス交響楽」(1987年5月6日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/471
 緊急増刊で1冊まるごとラグビーW杯を特集したりもした。前年のサッカーW杯の扱いの冷淡さと比べて何たる違いか!
  • 参照:Sports Graphic Number 緊急増刊 June 1987「ニュージーランド 初の世界王座に」(1987年6月29日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/844
 それはまあ、いいのだが、この時、主なライターだった大西郷(おおにし ごう)という共同通信のラグビー記者は「W杯なんか始めたら,ラグビーもサッカーのようにプロ化と商業主義に毒される」……などと「高貴なラグビー,ひるがえって下賤なサッカー」という図式に基づいたサッカーヘイトを再三再四にわたって書いていた。

 これを読んだ時は、とても嫌な気分になった。当時の文春ナンバーはサッカーに対するデリカシーを欠いていた。

 例えば、「ラグビーブーム」の時代が生んだ最も怪物的で悪質なサッカーヘイターは、ラグビー評論家ではなく「フルタイムのラグビーウォッチャー」を自称していた中尾亘孝である(今回は詳述しないが,この人物については次のリンク先を参照してください)。
  • 参照:絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥〈1〉(2019年09月10日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38505231.html
  • 参照:絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥〈2〉(2019年09月17日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38567232.html
 これら一連の言動は、SNS全盛の現在では大炎上必至であろう。

 ラグビー芸人スリムクラブ真栄田賢がSNSでサッカーをヘイトした件は、こうした嫌な「歴史」と「伝統」の延長線上にある。

サッカーとラグビーの仲が悪いのは日本特有の現象?
 もちろん、ラブビーファン、ラグビー関係者のすべてがサッカーヘイターではない。

 公平を期すために書いておくと、音楽学者、フランス現代思想家にしてサッカーファンでもある細川周平は、著書『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』(1989年初版)の中で、そのこじらせたサッカーへの愛情から、きわめて醜いラグビーヘイトを放っていた。<1>

 こうして見ると、サッカーとラグビーの仲が悪いことはほとんど宿命的なものにも思えてくる。

 否、サッカーとラグビーの仲が悪いのは日本特有の現象である。フットボールの本場、英国ではサッカーとラグビーの仲は悪くない……。

 ……と、日本ラグビー評論界の重鎮にして良心である小林深緑郎や、サッカーもラグビーも取材・執筆するスポーツライターの島田佳代子(夫がラグビー選手)は主張してきたのであった。

小林深緑郎
【小林深緑郎】

i LOVEラグビーワールド
島田 佳代子
東邦出版
2007-08T


 特に小林深緑郎は、これは1991年か1992年頃の『ラグビーマガジン』だったと記憶しているが、英国でラグビーと険悪だったスポーツは(サッカーではなく)、19世紀末に同じラグビーから分裂した「ラグビーリーグ」の方だったと言うのである。

 さて、ここで「ラグビーリーグ」とは何ぞや? ……という問題が出てくる。

「ラグビーユニオン」と「ラグビーリーグ」
 実は「ラグビーフットボール」は、世界的には、日本でふつうに「ラグビー」と呼ばれている15人制の「ラグビーユニオン」(Rugby Union)と、日本では稀にしかプレーされていない13人制の「ラグビーリーグ」(Rugby League)の2つの流派がある。
  • 参照:笹川スポーツ財団「ラグビーリーグ(13人制)~シンプルながら,激しいぶつかり合いも見られる格闘系球技」https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/dictionary/rugbyleague.html
  • 参照:中村亮一「2つのラグビー~ラグビーユニオン(15人制)とラグビーリーグ(13人制)ニッセイ基礎研究所」(2019年11月15日)https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=63008?site=nli
 ラグビーリーグは、キック以外はボールを持って前進する、ボールより前でプレーしない……といったラグビーフットボールの本質は踏襲しつつも、ラグビーユニオンのスクラム、モール、ラインアウトなどの密集的な肉弾接触のあるルールを事実上廃止し、バックスのオープンプレーに特化したようなルールのスポーツになっている。

 ラグビーユニオンとラグビーリーグが分裂したキッカケは、1895年、仕事を休んで試合に出場する選手に対する休業補償を支払うことを認めるか否かの問題である。支払いを認めるべきだいう立場がラグビーリーグとして袂(たもと)を分かち、認めなかった側がラグビーユニオンとして残った。

 その後、ラグビーリーグがプロ化を容認していったのに対し、ラグビーユニオンは頑なに(頑迷に?)アマチュアリズムの「美風」を墨守するようになっていった。しかし、アマチュアリズムを掲げるラグビーユニオンの選手たちの中にも、生活上の不安などからラグビーリーグへ転向する例が相次いだ。

 以上のような経緯から、ラグビーユニオンとラグビーリーグは長らく対立状態にあった。

 小林深緑郎が言及した、英国でラグビーと仲が悪かったのは(サッカーではなく)「ラグビーリーグ」というのはこういうことである。

 だが、ラグビーユニオンもラグビーワールドカップの開催などをキッカケに1995年以降にプロ化を認めたことから、両者の対立は緩和していき、今日に至っている。

ラグビーリーグ無き日本のフットボール文化とは?
 そもそも日本におけるラグビーは、慶應義塾大学、同志社大学、早稲田大学、明治大学(ラグビー部の創部順)……といった大学のスポーツとしてはじまった。学制は戦前の旧制だから、当時の大学生は本当のエリートである。

 また、社会人ラグビー=企業アマチュア(実業団スポーツ)という世界的には珍しいスポーツの在り方は、生活上の不安からアマチュア(ラグビーユニオン)からプロ(ラグビーリーグ)への転向という事態を起こさせなかった。

 したがって、日本でラグビーといえば、もっぱら「ラグビーユニオン」のことで、ラグビーリーグはごく稀にしか行われていない。

 その分、ラグビー(ラグビーユニオン)のアマチュアリズム(その他のラグビー的価値観)はいよいよ絶対視され、その気位の高さを醸成していった。

 だから、日本ではラグビーユニオンとラグビーリーグの対立は出来(しゅったい)しなかったが、その分、ラグビーユニオン側のヘイトの感情はプロ化や商業主義を認めるサッカーに向かっていった(都合がよいことに当時の日本ではサッカーは低迷していた)。

 ……というのが、当ブログの仮説である。

 とまれ、繰り返すが、ラブビーファン、ラグビー関係者のすべてがサッカーヘイターではない。また、後藤健生や武藤文雄のようにラグビーも熱心に応援するサッカー狂の人間もいる。
  • 参照:後藤健生「[日本代表考察]イングランドとフランス,日本だけが成し遂げている〈偉業〉~2種類のワールドカップで上位を狙う〈フットボールネーション〉日本」〈2〉(2022.07.12)https://soccerhihyo.futabanet.jp/articles/-/93770
 日本でふたつのフットボール、サッカーとラグビーとの間で軋轢(あつれき)があるということは、やはり遺憾である。

 フットボール専用スタジアムの建設など、日本のスポーツ環境にあっては両者が協力できるところは協力した方がいいのではないかと常々思う。

 サッカーとラグビーの仲が悪いのはあくまで日本特有の現象である。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

高橋陽一先生
 サッカー漫画・アニメの金字塔『キャプテン翼』の原作者・高橋陽一先生の「日本サッカー殿堂」入り(掲額)が決まった。たいへん喜ばしいことである。
  • 参照:公益財団法人日本サッカー協会「第19回日本サッカー殿堂 掲額者決定」(2023年06月22日)http://www.jfa.jp/news/00032360/
 あらゆる日本のサッカー関係者は、高橋陽一先生に足を向けて寝ることができない。

 『キャプテン翼』といえば、思い出すことがある。

 一部でカリスマ・サッカー本扱いされている、細川周平(音楽学者,フランス現代思想家)の著作『サッカー狂い』(1989年初版)は、『キャプテン翼』のことを凡百な「熱血,スポ根,紋切り」のサッカー漫画だと酷評していた。

サッカー狂い―時間・球体・ゴール
細川 周平
哲学書房
1989-01T


 時代的制約とはいえ、『サッカー狂い』は、そのあまりに極端な「自虐的日本サッカー観」に唖然呆然とさせられるサッカー本である。

 要するに細川周平氏は、Jリーグ以前の「日本サッカー冬の時代」(1970年代初め~1990年代初めの約20年間)にあって、日本のサッカーに絶望して、欧州・南米のサッカーに「思想的亡命」をした人物である(ある意味「海外厨」と呼ばれる厭味なサッカーファンの走りでもある)。

 ところが、細川周平氏の思想的亡命先となった欧州・南米のサッカー界の、ワールドクラスのサッカー選手たち……ジネディーヌ・ジダン、ティエリ・アンリ、アレッサンドロ・デルピエロ、フランチェスコ・トッティ、リオネル・メッシ、セルヒオ・アグエロ、カカ、フェルナンド・トーレス、アンドレス・イニエスタ、シャビ、アレクシス・サンチェス、ハメス・ロドリゲス……らが、外国語に翻訳された『キャプテン翼』の影響を受け、ファンであることを公言していた。

 細川周平氏にとって、何とも皮肉な話である。

 『キャプテン翼』は、単なる「熱血,スポ根,紋切り」のサッカー漫画ではなかったのである。

セルジオ越後
 しかし一方、今回(第19回)の日本サッカー殿堂掲額者決定には、あのセルジオ越後も選ばれていた。実に残念なことだ。こっちは少しも喜ばしくはない。

 セルジオ越後のサッカー評論は、読んでいて少しも痛快ではないから。むしろ不快だからだ。

 この人物を評して「辛口評論」と言う。しかし、その実は、スパイスを効かせた美味なる料理ではなく、テレビ番組の「激辛王選手権」にでも出てくるような、ゲテモノとしての辛口(激辛)料理である。

 その代償として、私たちは「日本サッカーへの〈味覚〉」というものを、大きく後退させてしまった。完全にサッカーの批評眼が麻痺しているのである。

 こうした精神的土壌から、例えば金子達仁(セルジオ越後の弟子筋の人物)のような「電波ライター」も台頭する。

吠えるセルジオ越後『サッカーダイジェスト』1993年11月24日号より
【やけに威勢のいいセルジオ越後(1993年,ドーハの悲劇の直後)】

 元ラグビー選手、元ラグビー日本代表で、スポーツ社会学者の平尾剛氏は、2022年のカタールW杯を観察して「〈厳しい批判に晒してこそ選手やチームは成長する〉という考えは間違いである」、そして「行き過ぎた攻撃は誹謗中傷であり,控えるべきだ」という意見を発表した。
  • 参照:平尾剛「〈厳しい批判は選手のため〉は本当か…W杯で伊藤洋輝選手のバックパスを非難した人たちに伝えたいこと~アスリートはファンとの〈非対称な関係性〉に苦しんでいる」(2023/02/24)https://president.jp/articles/-/66717
 至極もっともだ。そして、そんな悪しき風潮の形成に大きく加担した人物が、セルジオ越後だ。

 セルジオ越後は、日本人のサッカー観を目茶苦茶に駄目にしたのである。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ