日本の国会における「強行採決」を「プロレス」に譬(たと)える話は理解しやすい。
結末(≒勝負)はあらかじめ決まっている。しかも、強行採決をやる時は、与党側から事前に申し入れがされ、野党側は可決させる代わりに「反対を押し切った与党の横暴」「この国会でも野党は一生懸命仕事をやっている」というパフォーマンスで暴れる。事前に議員ごとの役目を決め、打ち合わせをしてから行っている……という。
まさに「プロレス」である。
しかし、塩村あやか参議院議員の「プロレス芸」発言の炎上騒ぎについては、何が、どう「プロレス」なのか? (個人的には)今ひとつピンと来なかった。
立憲民主党の塩村あやか参院議員が〔11月〕24日、自身のX(旧ツイッター)を更新。「アンチのプロレス芸」という表現について、謝罪と撤回をした。悪質ホスト問題に絡められた自身についてのXの批判的な投稿について塩村議員は「酷いデマ.逆にどういう認知や流れでこんなデマやデマともいえない不思議な話を信じてツイートするようになるのか知りたい」と断罪。「いつものことではありますが.最早,アンチのプロレス芸」と表現していた。〈プロレス芸〉という表現について、真剣にプロレスに向き合っているプロレスラーから批判が殺到。塩村氏は……〔以下略〕北國新聞DIGITAL「立民・塩村あやか議員,〈プロレス芸〉の表現について〈謝罪と撤回〉~〈エンタメの世界ではよく使う言葉〉に命懸けで戦うプロレスラーが批判」(2023/11/24)https://www.hokkoku.co.jp/articles/-/1245751
新日本プロレスやSTARDOMを運営するブシロードの社長・木谷高明は「意味不明な言葉が使われています.訂正するか,削除するか速やかな対応をお願いします」と、該当の投稿に関して塩村あやか議員に直接要望を送った。
大分市議会議員の覆面レスラー スカルリーパーA-jiも「プロレスラーとして申し上げます.国会議員なのですから言葉は選びましょう.残念で仕方がありません.レスラーは命懸けでリングに上がっています.謝罪と削除を求めます」とリプライした。
しかし、プロレスがどんなものであるかについては、佐山聡の『ケーフェイ』、ミスター高橋の『流血の魔術 最強の演技~すべてのプロレスはショーである』といった著作の影響で、みんな知っていることではないのか。
すなわち、プロレスとは結末(勝負)があらかじめ決まっているショーである。
アメリカのプロレスWWE(公然の事実)などと違って、日本の場合、プロレス界内部の人間が「それ」を公言したことが無い(公然の秘密)だけの話で……。
長い間プロレスは真の姿を隠し続けてきた。プロレスは真剣に勝敗を争うスポーツではなく、観客を喜ばせるためのパフォーマンスであるということが世間に知れ渡ってしまったら、この業界は存続できなくなるのではないか。プロレス関係者はそんな恐怖を常に抱き続けた。リアルファイトを装うために、レスラーたちはあらゆる手段を使って業界の秘密を守ってきた。懐疑的な人間に対しては「一度リングに上がってみないか,そうすればわかるよ」と優しく誘い、練習という口実で関節技をかけて散々痛めつける。自らの額をガラスで傷つけて流血が本物であることをアピールする。「結末が決まっているというのはどういう意味だ? え? 言ってみろ」などと言葉で脅しをかける。プロレスが真のスポーツではありえないことは既に戦前から欧米のインテリの間では常識であった。だが、フットボール、ボクシングでは成立する賭けが成立しなくなり、プロレスの試合結果が新聞やテレビのスポーツ欄から消えたのは戦後まもなくのことだ。〔中略〕なぜロープに飛ぶのか。なぜトップロープからのニードロップをよけないのか。なぜレフェリーは隠した凶器を見つけられないのか。なぜ流血はリング下でばかり起こるのか。様々なクエスチョンマークを頭に浮かべつつ、観客たちは……〔略〕柳澤健『1976年のアントニオ猪木』第1章「馬場を超えろ」より
一連の騒ぎ、プロレス関係者の反応を見ていて思いだしたのは、柳澤健の『1976年のアントニオ猪木』に出てくる、この話である。
すなわち、プロレスラーは「プロレスはリアルファイト(真剣勝負)じゃない」と言われると凄く怒る。そして、凄みをきかせていろいろ反駁してみせる(しかし,プロレスはリアルファイト=真剣勝負だという断言は巧妙に回避する)……という話である。
日本のプロレス関係者たちは、プロレスが何であるかが明らかになっている今なお「プロレスは真の姿」を知られることを恐れているのだろうか?
†
続きを読む