慶応義塾「科学的野球」の伝統
玉木正之の著作『プロ野球大事典』には「慶應大学」が立項されている。
けいおうだいがく【慶應大学】
江川卓〔えがわ すぐる〕投手を入学試験で落とし、一流大学としての地位と権威を守った大学。野球部の体質としては、明治時代後期にニューヨーク・ジャイアンツ〔MLB〕のメンバーからコーチを受けて以来の「科学的野球」を基本とし、早稲田大学の「一球入魂」「修養の野球」といった精神主義とは正反対の立場を貫いている。だから江川が入学を希望したのだろう。玉木正之『プロ野球大事典』(1990年)185頁
江川卓と江川卓慶應義塾大学入試失敗事件については割愛(各自調べてください)。
もっとも、江川卓も慶應義塾大学の入試を自己採点したら自分は合格してもおかしくなかった……と、何かのインタビューであけすけに述べていたから、どっち(慶應義塾大学)もどっち(江川卓)という感じである。
その慶應義塾大学の附属高校である慶應義塾高校が、2023年夏の甲子園で優勝した。その監督の指導法は、明治以来の慶應義塾大学野球部の伝統にもかなった「科学的野球」である。また選手(生徒)たちの「自主性」や「自由」を尊重する。
マスコミ(特に慶應義塾出身者が多いとされる)は、慶應義塾高校野球部の優勝を称えた。
慶應義塾「一流校としての地位と権威」に関する奇妙な拘泥
一方、慶應義塾には江川卓を入試で落としたように「一流大学(一流校)としての地位と権威」に関する奇妙な拘泥もある。
普通の高校野球では優勝するなどして帰還すると、その高校の地元で人々の大々的な歓待に迎えられるのが常であるが、慶應義塾高校野球部の場合はメンバーは新横浜駅で解散し、日吉駅(慶應義塾高校の地元)で待っていたファンをがっかりさせた。
この逸話などは、ある慶應義塾高校OBによると、いかにも慶應らしい話なのだという。慶應義塾の附属校では、体育祭などで一切整列しなくてもよかったし、遠足で行った先の近くに自宅がある人は途中で帰ってよかったのだという。
人によっては、こういう話はかえって嫌らしく聞こえる。
慶応高校の甲子園優勝は野球を「延命」させるだけ
さて、SNSなどでアンチ野球的な言動をとるサッカーファンは、日頃から日本の高校野球の旧弊を批判(呪詛?)し、日本における野球の存在を否定していた。 その「旧弊」とは、すなわち、前時代的で暴力的な監督の指導、丸刈り=髪型の強要、スポーツ馬鹿、精神主義・根性論、悲壮感などである(こうした旧弊のために,高校で野球を続けることを断念する少年野球選手が多い.すなわち野球人口の減少につながるからである)。
そうした「旧弊」のアンチテーゼとなった今回の慶應義塾高校野球部を出汁にして、日本における野球や日本の高校野球の旧弊を否定しては得意がっている、アンチ野球的な言動をとるサッカーファンがいる。
しかし、夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校野球部の「科学的野球」や「自主性」「自由」の気風が、今後の野球界、特に高校野球界にも波及していくとなると<1>、それは日本における野球を「延命」させることになるだけなのではないか。
すなわち、アンチ野球的な言動をとるサッカーファンにとっての正義「日本における〈野球〉の衰退・滅亡」からすると、それはあまり利益にかなわないことになるのではないか。
そんなことを考えてしまうのである。
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