スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:甲子園

慶応義塾「科学的野球」の伝統
 玉木正之の著作『プロ野球大事典』には「慶應大学」が立項されている。
けいおうだいがく【慶應大学】
 江川卓〔えがわ すぐる〕投手を入学試験で落とし、一流大学としての地位と権威を守った大学。

 野球部の体質としては、明治時代後期にニューヨーク・ジャイアンツ〔MLB〕のメンバーからコーチを受けて以来の「科学的野球」を基本とし、早稲田大学の「一球入魂」「修養の野球」といった精神主義とは正反対の立場を貫いている。

 だから江川が入学を希望したのだろう。

玉木正之『プロ野球大事典』(1990年)185頁


プロ野球大事典 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1990-03T


 江川卓と江川卓慶應義塾大学入試失敗事件については割愛(各自調べてください)。

 もっとも、江川卓も慶應義塾大学の入試を自己採点したら自分は合格してもおかしくなかった……と、何かのインタビューであけすけに述べていたから、どっち(慶應義塾大学)もどっち(江川卓)という感じである。

 その慶應義塾大学の附属高校である慶應義塾高校が、2023年夏の甲子園で優勝した。その監督の指導法は、明治以来の慶應義塾大学野球部の伝統にもかなった「科学的野球」である。また選手(生徒)たちの「自主性」や「自由」を尊重する。

 マスコミ(特に慶應義塾出身者が多いとされる)は、慶應義塾高校野球部の優勝を称えた。

慶應義塾「一流校としての地位と権威」に関する奇妙な拘泥
 一方、慶應義塾には江川卓を入試で落としたように「一流大学(一流校)としての地位と権威」に関する奇妙な拘泥もある。

 普通の高校野球では優勝するなどして帰還すると、その高校の地元で人々の大々的な歓待に迎えられるのが常であるが、慶應義塾高校野球部の場合はメンバーは新横浜駅で解散し、日吉駅(慶應義塾高校の地元)で待っていたファンをがっかりさせた。

 この逸話などは、ある慶應義塾高校OBによると、いかにも慶應らしい話なのだという。慶應義塾の附属校では、体育祭などで一切整列しなくてもよかったし、遠足で行った先の近くに自宅がある人は途中で帰ってよかったのだという。

 人によっては、こういう話はかえって嫌らしく聞こえる。

慶応高校の甲子園優勝は野球を「延命」させるだけ
 さて、SNSなどでアンチ野球的な言動をとるサッカーファンは、日頃から日本の高校野球の旧弊を批判(呪詛?)し、日本における野球の存在を否定していた。

 その「旧弊」とは、すなわち、前時代的で暴力的な監督の指導、丸刈り=髪型の強要、スポーツ馬鹿、精神主義・根性論、悲壮感などである(こうした旧弊のために,高校で野球を続けることを断念する少年野球選手が多い.すなわち野球人口の減少につながるからである)。

 そうした「旧弊」のアンチテーゼとなった今回の慶應義塾高校野球部を出汁にして、日本における野球や日本の高校野球の旧弊を否定しては得意がっている、アンチ野球的な言動をとるサッカーファンがいる。

 しかし、夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校野球部の「科学的野球」や「自主性」「自由」の気風が、今後の野球界、特に高校野球界にも波及していくとなると<1>、それは日本における野球を「延命」させることになるだけなのではないか。

 すなわち、アンチ野球的な言動をとるサッカーファンにとっての正義「日本における〈野球〉の衰退・滅亡」からすると、それはあまり利益にかなわないことになるのではないか。

 そんなことを考えてしまうのである。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 野球ブロガーの広尾晃氏が東洋経済オンラインで「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」なる一文を書いているのだが、ここで広尾晃氏が説く「春のセンバツ高校野球誕生譚」が、少しく怪しい。
「春の甲子園」が誕生した経緯
 夏の高校野球は、1915年〔大正4〕に大阪朝日新聞社が全国中等学校優勝野球大会を創設したのが始まりだ。これが大人気となったため1924年〔大正13〕、ライバルの毎日新聞社が春開催の選抜中等学校野球大会を始めることとなった。

 その背景には、私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満があった。そのために春の大会は、予選ではなく選考委員が選ぶスタイルとなった。「選抜」とはそういう意味である。その基準は……〔以下略〕

広尾晃「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」(2021/03/30)https://toyokeizai.net/articles/-/419878
 ここで広尾晃氏が開陳した話は、多くの野球ファンやスポーツファンにとって、あまり聞いたことがなかったのではないだろうか。何となく疑わしいのは、この「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」という箇所だ。高校野球(中等野球)の歴史、特に黎明期「大正」時代の歴史を追いかけた人間ならば首を傾げる。

 なぜなら、「春のセンバツ」が始まる直前までの第1回(1915年=大正4)から第9回(1923年=大正12)までの「夏の大会」出場校を見ても、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなっ」て「公立校」が「不満」を抱くということは考えにくいからである。

 春・夏の甲子園・高校野球全国大会の歴代出場校は、大会の主宰(主催)者である高野連の公式サイトにまとめられている。これらを見ていくと……。
  • 参照:夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第1回~第5回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/01-05.html
  • 夏の高校野球(中等野球)歴代出場校(第6回~第10回)http://www.jhbf.or.jp/sensyuken/outing/06-10.html
 特に優勝、準優勝、四強の学校を見ていくと、公立は全部旧制だが、京都二中、秋田中、和歌山中、市岡中、鳥取中、愛知一中、盛岡中、神戸一中、小倉中、松江中。これらの学校は、今でもそれぞれの府県のトップクラスの難関高校である。

 私学(私立学校)にしても、早稲田実業、慶應普通部、関西学院、甲陽学院、立命館。これまた超難関校である。どちらかといえば、むしろ私学は劣勢なのである。そして、昨今のいわゆる「私立の高校野球強豪校」という印象からは遠い。

 これらはみな公立・私立の別なく、甲子園の本大会に出場すれば「文武両道」とマスコミが褒めそやしそうな学校である。

 第二次大戦前は現在と比べても義務教育以上の学校への進学率が非常に低く、特に明治-大正の頃は「スポーツ」などというものは、そうした高等教育を受けられる境遇に恵まれた者の「特権」あるいは「贅沢品」だったのである。

 「私立の高校野球強豪校」というのは、ずっと後の時代に台頭したものではないのか。

 これらの出場校の名前から見て、「私学の台頭によって全国大会出場が難しくなった公立校の不満」が「春のセンバツ」を生んだという広尾晃氏の主張は信憑性に乏しい。ましてや、昨今の高校野球の「私学と公立の格差」を語る材料に使うことは適切なものとはいえない。

 何より、この話の情報源が「広尾晃氏の曖昧な記憶」なのが大きな失当である<1>。仮に、広尾晃氏の主張に一片の真実が含まれているとしても、氏は細部を誤伝として受容してしまったのではないだろうか。

 わたくしたちは、広尾晃氏が「センバツ〈私学と公立の格差〉埋まらぬ根本原因~〈特待生〉や〈野球留学〉によるアンバランス」の全てがデタラメなことを述べている……と言いたいのではない。

 差別とかヘイトとかでもない限り、人は何を主張しても構わないと思うのだけれども、曖昧な記憶(≒間違った事実? 間違った史実?)から自身にとって都合のいい主張をしても真の説得力は得られない。

 この点、広尾晃氏は、氏が崇拝する玉木正之氏のダメなところを全く受け継いでいて、とても残念なのである。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

高校野球の「さわやか」さを台無しにする福山雅治の暑苦しい曲
 NHKが、L字型画面で高温注意情報を流しながら、炎天下、阪神甲子園球場で行われる高校野球(2020年甲子園高校野球交流試合)を、地上波テレビで全国に向けて放送するのは、一種のブラックジョークである。

 それでも、正式な選手権ではないといっても、けっこう面白い試合をしてしまうから甲子園の高校野球というものは侮れない。試合に出場した高校球児たちの立ち振る舞いも「さわやか」だ。

 ところで、この「さわやか」とは何か? 高校野球の内幕が必ずしも「さわやか」でないことを多くの人は知っている。……にもかかわらず、なぜ、日本のスポーツメディアは、甲子園を、高校野球を、高校球児を「さわやか」だと連呼するのか? 日本のスポーツメディアが馬鹿だからだと言えば話は早いが、それだけではないのではないか?

 多くの「日本人」は、甲子園を、高校野球を、高校球児を「さわやか」だと唱え、そう思い込むことで、日本の暑い夏をしのぐ一種の精神的清涼剤として機能しているのではないか? ……という面白い仮説を唱えたのが、スポーツライターの武田薫氏であった(出典は『ベースボールマガジン』か『ホームラン』のどちらか)。

 ところが、その「さわやか」な甲子園を、高校野球を、高校球児を、暑苦しく、鬱陶しく、ムサ苦しく改悪しているのが、福山雅治が歌うNHKの高校野球テーマ曲「甲子園」だ。

甲子園
UNIVERSAL MUSIC LLC
2018-08-27


 しかし、本当に酷い曲である。

福山雅治「甲子園」に関するNHKの公式見解は全部ウソ
 作詞・作曲・歌唱とも福山雅治だそうである。……が、歌詞は信じがたいほど凡庸。旋律は暑苦しい。歌唱は醜悪な自己陶酔が極まっている。世のヒット曲が、いわゆるシンガーソングライターばかりになって久しいけれども、実のところ、シンガーソングライターというだけで過大評価されているということを、福山雅治の「甲子園」は示している。
  • 参照:福山雅治「甲子園」
 ウィキペディア日本語版の情報を信用に値するものとして、ここで福山雅治の楽曲「甲子園」の概要をおさらいしてみる。
甲子園(福山雅治の曲)
 「甲子園」(こうしえん)は、日本のシンガーソングライター〔えッ?〕、福山雅治が2018年に発表した楽曲である。

 本曲は、2018年に開催される『全国高等学校野球選手権大会』(夏の甲子園大会)が記念すべき100回目を数えるという節目の大会となることから、大会を中継放送する日本放送協会(NHK)が『日本人のアイデンティティーを認識させてくれる高校野球について、すべての人々と思いを共有し、次の世代にも繋げていきたい』として、2018年度の夏の甲子園大会の中継放送を行うに当たり、同協会史上初となるテーマソング製作を発案することとなった。

 日本放送協会では、楽曲製作についてどのアーティストに依頼するか検討を重ねた結果、〈故郷への想い〉〈頑張っている人へのエール〉〈家族への愛〉などをテーマにした楽曲が多く、『高校野球を通して日本人へ伝えたいこと、そんな思いを曲にしてくれる』人物として福山雅治に楽曲製作を依頼することとなった。

ウィキペディア日本語版より(2020年8月11日閲覧)
 これがNHKの公式見解らしいが、ウィキペディア日本語版に書いてあることは「全部ウソ」である。

スポーツイベントとタイアップの歌謡史
 甲子園、夏の高校野球と言えば、加賀大介作詞、古関裕而作曲の不朽の名曲「栄冠は君に輝く」である。……というか、甲子園、夏の高校野球を「さわやか」にした大きな要素が「栄冠は君に輝く」である。

 なぜ、NHKが今さら(2018年)になって「栄冠は君に輝く」を邪険に扱いだしたのかというと、この曲をどんなに流してもNHKには金が入ってこないからである。そこで、これとは別にNHK独自の高校野球のタイアップ曲を定め、これを大々的に流してビジネスをし、儲けようとしたのである。

 日本の大衆音楽=ポピュラーミュージック(歌謡曲,ニューミュージック,Jポップ等々)の歴史は、蓄音機とSPレコードの時代から(インターネットによるデジタル音源配信の時代まで)、映画やテレビドラマ、企業や商品、CMと提携(タイアップ)し、これを宣伝する「タイアップ曲」の歴史であった……。

 ……とは、速水建朗著『タイアップの歌謡史』(2007年)が鋭く指摘するところである。

タイアップの歌謡史 (新書y)
速水 健朗
洋泉社
2007-01T


 この「タイアップ曲」の提携対象に、1980年代後半以降、オリンピックやサッカーW杯、各種競技(陸上,水泳,卓球など)の世界選手権といったスポーツのメガイベントのテレビ中継番組が加わるようになっている。

 この慣習を決定的にしたのは、1988年のソウル・オリンピックで、よりによって公共放送たるNHKが、自局のソウル五輪中継番組のタイアップ曲に、浜田麻里の「Heart and Soul」を採用したことである。

 ことわっておくと、あくまでテレビ局のスポーツ中継のテーマ曲(タイアップ曲)であって、スポーツイベントそのものの公式テーマ曲ではない。(この段落の追記:2020年8月12日)

 以降、他の民放各テレビ局とも右に倣(なら)えで、五輪、サッカーW杯、各種スポーツイベントのテレビ中継の度に、有象無象のタイアップ曲で溢(あふ)れるようになった。

テレビ局のステマとタイアップ曲
 この流れが、もともと商売っ気に乏しい、むしろ、これを遠ざけていた印象がある日本の高校野球やラグビーにも、遅まきながら及んできた。

 こうしたタイアップ曲が放送等で流れると、各テレビ局は傘下に音楽出版社を抱えていて、その楽曲を流せば流すほど、音楽出版社に金が入ってくる仕組みになっている。NHKの場合、傘下の出版社=日本放送出版協会(NHK出版)が原盤権(著作権とは違う,音源に関する権利)を持っていて(たぶん)、これを流すたびにNHK出版にカネが入ってくるのである(たぶん)。

 事実、NHKは高校野球中継では有名な、出場校紹介VTRの背景音楽まで、「栄冠は君に輝く」のインスト曲から福山雅治の「甲子園」のインスト曲に差し替えられている。

 しかし、こうした行為は音楽著作者間の公正な競争を阻害するとして、例えばアメリカ合衆国などでは禁じられている。この「タイアップ曲」の慣習こそ、日本のポピュラーミュージックが世界的になれない理由のひとつだとも言われている(そもそも,欧米の著名なアーティストがCMに出演したり,タイアップ曲を歌ったりする例は,非常に少ない)。

 なかんずく公共放送たるNHKは、放送法で「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。法に抵触しかねない。

 しかも、この習慣は該当するスポーツイベントそのものの公式テーマ曲が邪険に扱われるという悪弊があるのだ。

吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」はなぜ黙殺されたのか?
 例えばラグビーの場合、2019年ラグビーW杯日本大会には、吉岡聖恵が歌った「ワールド・イン・ユニオン」という素晴らしい公式テーマ曲があった。

 ところが、NHK(リトグリ)、日テレ(嵐)、リポビタンD(B'z)、TBS(米津玄師)といったラグビーW杯の放送局やスポンサー企業が行う独自のタイアップ曲ビジネスに忖度して、吉岡聖恵が歌った大会公式曲ワールドインユニオンは黙殺された(たぶん)。
 そして今度は高校野球、夏の甲子園、そのテーマ曲「栄冠は君に輝く」が、かたわらに追いやられようとしている。

 NHKが福山雅治に作詞・作曲・歌唱を依頼したのは、人気芸能人である福山雅治とその所属先の大手芸能事務所「アミューズ」とコネを繋いでおくためである(たぶん)。例えば、リモート出演で構いませんから、大晦日の「NHK紅白歌合戦」には出てくださいね、福山雅治さん。……みたいな。

 ああ、いやらしい。

 だからこそ私たちはいま強く決意する。国民から受信料を貪(むさぼ)り取る公共放送NHKと、芸能界を牛耳る大手事務所「アミューズ」と、人気に胡坐(あぐら)をかいている所属芸能人=福山雅治の小汚い商売のタネに成り下がる前に、甲子園と高校野球の尊厳を再び取り戻し、その美質を心の底から愛しつつ永遠に守り抜かなければならない、と……。

 ……最後の一段落は、今福龍太氏のパロディのつもりでしたが、やっぱり、うまく着地できませんでした。ああいうキザったらしい文章は、書こうと思ってうまく書けるものではありません(冷や汗w)。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

日本プロ野球フランチャイズへの素朴な疑問
 2020年のJリーグ(J1)は、2月21日、湘南ベルマーレvs浦和レッズ戦をもって開幕した。Jリーグは、先行のプロスポーツリーグ、日本プロ野球(NPB)を反面教師として、本拠地(ホームタウン)の一極集中を避けた全国的な分散を心掛けたともされている。

 以前から不思議であった。1936年(昭和11)に始まった日本プロ野球の球団の本拠地(フランチャイズ)は、なぜ、東京、阪神間、名古屋に偏ってしまったのだろうか。もっと、いろいろな場所にプロ野球チームがあってもよかったのではないか。

沢村栄治
【草創期日本プロ野球のスター・沢村栄治(巨人)】

 戦前の中等野球(高校野球の前身)の上位進出校(優勝校を含む)や、1934年(昭和9)の日米野球試合の開催都市を見ても、野球熱が盛んで人気のある都市などまだまだありそうだ。仙台、静岡、和歌山、広島、小倉または福岡あたりにもプロ野球の球団があってもよさそうだ(今回は特に細かい考証はしていない.さすがに四国や山陰は外したが)。

 フランチャイズをもっと徹底して「東京」も東京、横浜、埼玉(大宮?)に分けてもよさそうだ。「京阪神」は文字通り京都、大阪、神戸に分けてもよさそうだ(甲子園球場の地理は微妙だが)。

 鉄道網は全国的にも整備され、特急、急行、特に東海道本線・山陽本線には既に「超特急」も走っており、移動はさほど難しい問題ではなかった。

 初めにプロ野球の団体(リーグ)を作って、主要各都市にフランチャイズと球団を割り振り、各球団への出資者を募った米国のメジャーリーグベースボール(MLB)と比べると、日本のプロ野球は本来の意味でのフランチャイズの意味をなしていない。

つくられた「阪神vs巨人戦」神話
 その疑問を説くヒントは、意外なところから現れた。井上章一氏(国際日本文化研究センター教授)のコラムである。井上氏は、『つくられた桂離宮神話』や、『法隆寺への精神史』などで知られる建築史家・風俗史研究者であるが、野球ファンには、阪神タイガースのディープなファンで『阪神タイガースの正体』の著者として名高い。

阪神タイガースの正体
井上 章一
太田出版
2001-03


阪神タイガースの正体 (朝日文庫)
井上章一
朝日新聞出版
2017-02-06


 その井上章一氏による、ニュースサイト『産経WEST』の連載コラム「井上章一の大阪まみれ」に意外な話が登場した。
「伝統の一戦」は、親会社の面目かけた戦いだった
 「伝統の一戦」という言いまわしが、プロ野球の世界にはある。阪神対読売〔巨人〕戦のことを、ながらくそう呼びならわしてきた。

 今日につづく職業野球〔プロ野球〕で、はじめて球団をもったのは読売新聞である。東京巨人軍をもうけたのが、そのさきがけとなる(1934年)。二番手は、阪神電鉄のつくった大阪タイガースであった(1935年)。

 戦前に優勝をしたことがあるのは、東京巨人軍と大阪タイガースだけである。両者の対戦をあつくふりかえる野球好きも、戦前生まれのなかには、けっこういる。「伝統の一戦」が的はずれな呼称だとは、言えない。

 しかし、戦前期の東京巨人軍対大阪タイガース戦には、あまり観客がこなかった。甲子園球場の試合にも、多くて2、3千人ほどしかあつまっていない。

 そもそも戦前の職業野球は、それほど集客力をもちあわせていなかった。いたってさみしい催しだったのである。野球好きの関心は、もっぱら神宮球場でおこなわれる東京六大学に、むかっていた。なかでも、早稲田対慶応のいわゆる早慶戦に。

 ただ、関西圏では、例外的に大阪タイガースと阪急の試合が、人気をよんでいた。親会社が同じ阪神間をむすぶ電鉄として、たがいにはりあっている。そんな対抗関係もあり、タイガースは対阪急戦に情熱をかたむけた。もちろん、阪急もタイガースを、最大のライバルだとみなしている。2リーグにわかれる前は、タイガース対阪急戦も「伝統の一戦」とよばれていたのである。

 中京圏でも、事情はかわらない。こちらでは、部数をきそいあう地元の名古屋新聞と新愛知新聞が、球団をもった。そして、両新聞社がたがいの面目をかけた試合に、人々はむらがったのである。

 くりかえすが、戦前期にいちばん人気が高かったのは、六大学の早慶戦である。戦前期の職業野球は、これにあやかる形ではじめられた。同じ地域でライバルどうしとなっている会社に、チームをつくらせる。そうして地域住民の関心をあおることが、当初はもくろまれたのである。

 今、関西圏の阪神ファンは、対読売〔巨人〕戦に反中央感情を、たかぶらせていよう。阪神球団に、アンチ東京という心意気を投影しているかもしれない。しかし、それは戦後の、けっこう新しい現象である。以前は、地元の阪急にこそ、敵愾心(てきがいしん)をむけていたのである。(国際日本文化研究センター教授)

「井上章一の大阪まみれ」(2016.7.17)1/2ページ
同2/2ページ
 なぜ日本プロ野球の球団の本拠地が特定の大都市圏に集中したのかという疑問。その答えは、要するに、NPBは、米国メジャーリーグ本来のフランチャイズ制を採らなかったから……ということになる。

 日本という国、また日本人であることに関して度し難いコンプレックスを抱く、サッカーライターでもある佐山一郎氏や、インチキ・ラグビー評論家の中尾亘孝が言うように「日本(人)にはホーム&アウェーの文化が無かった」などという理由でもなさそうだ。

日・米・英…大学両雄の物理的距離の違い
 一説に、英国の「オックスフォード大学vsケンブリッジ大学」のボートレース(The Boat Race)、米国の「ハーバード大学vsイェール大学」のアメリカンフットボール(The Game)、日本の「早稲田大学vs慶應義塾大学」の野球(早慶戦)、これを総称して「世界三大大学スポーツ試合」と呼ぶ……。

 ……ホンマかいな? と思うのだが、アイビーリーグ(Ivy League)8大学のアメリカンフットボールとキャンパスライフを描いた『IVY BOWL~トラディショナル・アメリカン・フットボール』(1977年)なる一冊に、とにかく、そういう話が出ている。*

 ここで、英国のオックスフォード大学とケンブリッジ大学、米国のハーバード大学とイェール大学、日本の早稲田大学と慶應義塾大学のそれぞれ両大学の距離(道のり)を比較してみたい。

 日本と英・米の大学両雄の物理的な隔たりの差を比べることで、3か国のプロスポーツにおける「ホームタウンまたはフランチャイズ」の感覚の差を把握することができるのである。

 まず、日本の早稲田大学・早稲田キャンパスと慶應義塾大学・三田キャンパスは、同じ東京23区内、距離にして10km足らず(以下,距離も時間もすべて概数)。電車でも、自動車でも、移動時間は30分程度である。

 これに対して、米国のハーバード大学とイェール大学の距離は210km。自動車移動で速くて2時間である。

 東京から210km圏内ならば、東海道ならば、静岡県藤枝市あたり。静岡市は楽に入る。もう少し頑張れば浜松市に届く。常磐線ならば福島県いわき市にまで達する。

 ちなみに、MLBアメリカンリーグ東地区、近隣のライバルだと言われている、ニューヨーク・ヤンキースの本拠地ヤンキースタジアムと、ハーバード大学があるボストンのレッドソックスの本拠地フェンウェイパークの距離は330km、自動車移動で3時間半である。

 また、英国のオックスフォード大学とケンブリッジ大学の距離は150kmである。自動車移動で2時間。

 ちなみに東京から130km圏内に栃木県宇都宮市がある。これも東京から自動車移動で2時間の距離。2020年現在の人口は51万人。政令指定都市以外では日本最大の都市。MLBの球団がある、米国のシンシナティの30万人(レッズ)、クリーブランドの39万人(インディアンズ)、セントルイスの32万人(カーディナルス)よりも多い。

NPBフランチャイズ制の不徹底がJリーグを生んだ?
 こうして見てみると、日本の早稲田・慶應両大学の近すぎる物理的な距離と比べて、米国のハーバード・イェール両大学、英国のオックスフォード・ケンブリッジ両大学とも、かなり距離に隔たりがある。

 日本の場合、英・米両国よりも、ずっと遅れて、大急ぎで近代化に乗り出したという経緯もあって、海外の進んだ文物(その中にはスポーツも入る)を輸入する組織でもある「大学」が、首都・東京の狭い範囲内に集中してしまったという事情はある。

 しかし、前掲の井上章一氏による草創期日本プロ野球(NPB)の考察から類推するに、日本で私学の両雄と呼ばれる早稲田・慶應両大学のキャンパスの距離が100km、200kmと離れていたら、NPBのフランチャイズ制はもっと徹底され、各球団の本拠地は全国に分散していたのではないか。

 米国のプロフットボールリーグ「NFL」も、日本プロ野球「NPB」も、先行する大学リーグの人気を追いかけたという意味では、似ているからである。

 そうすれば、NPBの球団本拠地集中は、長らく斯界の主導的地位にいた読売ジャイアンツ(巨人軍)と他球団との人気の不均衡、セ・パ両リーグの人気の不均衡という弊害も無かったと思われる。

 何と言っても、(私立の名門)大学の野球チームと、企業名を冠したプロ球団では、一般の人々の関心や、関係者のロイヤルティー(loyalty)に各段の差がある。

 これは、現在なお人気が高い甲子園=高校野球と、以前より一般人の関心が大きく下がった社会人の都市対抗野球の違いを持ても明らかである。

 そのため、後発のプロスポーツリーグであるサッカー・Jリーグの人気の付け入る隙は、ずっと狭いものになっていたのではないか……という仮説が立てられる。

 なぜなら、Jリーグが始まる時、純粋なサッカーの面白さだけでなく、NPBの弊害を改めたプロスポーツリーグであるという喧伝がなされたからである。

過激さを望むサッカーファンがうらやむ日本プロ野球?
 しかし、こういったNPBの弊害は、21世紀になってかなり是正されている。NPBはJリーグの良いところを、さまざま吸収したからである。

 しかも、NPB各球団のファンは、巨人軍に対しては、球場で「タヒね!タヒね!<たばれ!」と罵倒することが黙認されているらしい。驚くべきことである。Jリーグではこうした罵声は御法度だからだ。

 清義明氏ほか、欧州・南米のサッカー文化の過激さに憧憬するファンには羨(うらや)ましい情況になっている。
  •  ティアスサナ「サッカー批評/サッカー・ニュースの深層/出入り禁止とは何か?」を読んで。(2015.06.16)
 あまつさえ、巨人軍の総帥であるところの渡邉恒雄(ナベツネ)氏に対しても「タヒね!タヒね!<たばれ!」と罵倒することが黙認されているらしい。

 しかし、本当にナベツネ氏が白玉楼中の人となってしまうと、国税庁が、いよいよNPB各球団に税金をかけるという「噂」も聞いた。

 そうなると、日本のスポーツ界はどうなってしまうのか。少しばかり気になるのである。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

内野席のネットの有無~日・米間の野球の違い
 日本の野球ジャーナリズムでは、発祥国たるアメリカ合衆国(米国)の野球、なかんずく大リーグ(メジャーリーグ,MLB)の流儀と何か異なっていると、それがスポーツとして、スポーツ文化として、犯罪的に間違っていることとして否定的な評価が下される。

 例えば、日本の野球場(球場)に設けられた内野スタンド(席)の観客防護用の「ネット」(網)での有無である。国の如何を問わず、公認野球規則上、本塁(ホームベース)の裏には「バックネット」(バックストップ)を設置が義務付けられている。しかし、一塁ベースまたは三塁ベースに近い内野席にはネットの設置は義務付けられていない。

 よく知られるように、米国の野球場の内野席には総じてネットがない。またファウルゾーンが狭い(下の写真参照)。

オラクルパーク野球場(アメリカ,サンフランシスコ)
【アメリカのオラクルパーク野球場(サンフランシスコ)】

 これは、観客の臨場感をより優先しているためと言われる。

 大リーグは長年、球場の内野席に防護ネットを設置しないことを〈伝統〉としてきた。選手と観客の間に境目(ネット)を設けないことは、ファンサービス精神の表れであるとされていた。

 一方、日本の野球場の内野席にはたいていネットが設けてある。また米国と比べてファウルゾーンが広めに設定されてある(下の写真参照)。

明治神宮野球場(日本,東京)
【日本の明治神宮野球場(東京)】

 これは、内野席に飛んでくるファウルボールの打球や折れたバットの破片などから、観客を守ることを優先しているためと言われている。

内野席のネットが大嫌いな玉木正之氏の言い分
 この、日本の野球場における内野席のネット設置の慣習を、アメリカ野球、大リーグの流儀を唯一絶対の判断基準として繰り返し断罪してきたのが、スポーツライターの玉木正之氏である。その玉木氏の批判の中から、最も本音に近く、かつ先鋭的と思われる1990年刊の新潮文庫『プロ野球大事典』から引用する。
ネット【net】
  1.  かつては、ファウル・ボールから観客を守るためのものだったが、現在では、観客から選手を守るために目的が変わった邪魔者
  2.  アメリカ大リーグのように、これをなくすれば、日本の観客も、もっとプレイに注目し、野球を楽しむようになるに違いない。それは危険だ……などというひとは、遊びにはつねに危険が付き物であるということが理解できないひとか、あるいは保安係の人件費をケチっている経営者である。ケガをしたらどうするんだ……などと心配する人は球場に来なければいい。そんなことでは観客に対して責任が持てない……と経営者がいうなら、ファウル・ボールに対して責任を負いませんと切符に書いておくだけで充分だ。バックネット以外にネットのない球場で、グラヴを持って野球を見に行きたいと切望しているのは筆者〔玉木正之氏〕だけか。
  3.  ネット(金網)は絶対に取り外せないというなら、引き分けなど廃止して金網デスマッチにしてほしい。
  4.  所沢西武球場をつくるとき、西武グループの総帥〔そうすい〕といわれる堤義明は、「バックネットがあるとゲームが見にくいから,なくせないものか」といったという。こういう堤オーナーの考え方は、常識破りのユニークな発想と称賛されているが、じっさいにバックネットを強化ガラスや強化プラスチックにした球場は存在した(サンフランシスコのシールズ・スタジアムやシンシナティのクロスレー・フィールド.しかし,汚れが目立って,いまは採用されていないらしい)。誰の考えることもそう大差はなく、「すごい発想だ!」などと誉めそやすひとの勉強不足(またはゴマスリ)である場合がほとんどなのだ。
玉木正之『プロ野球大事典』(新潮文庫)435~436頁



 野球と違って、世界各国の「お国柄」の違いには寛容なサッカーの在り方が、日本の人々に知れわたる前の1990年ごろのことであるから、玉木正之氏は、アメリカ大リーグを出汁(だし)にして、思う存分、日本の野球を罵倒している。

 例えば、内野席のネットを「観客から選手を守るために目的が変わった邪魔者」とか、「アメリカ大リーグのように,これをなくすれば,日本の観客も,もっとプレイに注目し,野球を楽しむようになるに違いない」とか論じるあたりは、日本野球の風潮で、もうひとつ玉木氏が大嫌いな存在である「応援団」に対する、玉木氏の当てこすりである。

▼アメリカ民謡『テキサス・ファイト』に日本の「応援団」文化の原点を感じた(2019年08月04日)

▼日本野球の「応援団」のルーツはアメリカの大学フットボールにあった!?(2019年05月02日)

 アメリカ大リーグが大好きな人たちは、大リーグの観客は、試合も見ずに歌い踊っているだけ(?)の日本野球の「応援団」などとは違って、試合に集中しており、またグラブを持参しているので、「危険」は少ない……と主張していたと言われている。

 また「遊びにはつねに危険が付き物である」というくだりは、ファクトやエビデンスよりもロマンチシズムを重んじる、玉木氏のスポーツライターとしての過剰なまでの思い入れを表している。

「ケガが怖いならメジャーの野球場には来るな」とは言えない時代
 ところが、ここ最近になって、大リーグの試合でもファウルボールの痛烈な打球が観客に当たり、重傷を負った。しかも、被害者の中には小さな子供がいた……という痛ましい事故が頻発している。

▼菊地慶剛「MLB球場にも防護ネットは必要なのか?」(2017/9/21)

 「ケガをしたらどうするんだ……などと心配する人は球場に来なければいい」……、いやいや玉木センセイ。もうそんな悠長なことを言っていられる時代ではないのですよ。

 野球という競技全体でパワーとスピードが向上していて、観客席に飛んでいくファウルの打球とて例外ではない。昔と違って危険度も高くなっている。その分、内野席の観客も自身の感覚だけで身を守ることが難しくなっている。

 それから、米国においても野球人気が下がっていると言われる。大リーグも、もはや〈伝統〉に拘泥している場合ではない。

 過(あやま)ちては改(あらた)むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ……。

〈伝統〉ゆえのためらい~メジャー各球場の内野席ネットの設置
 ……2019年に入って、大リーグの球場の内野席にも観客防御用のネットを設置する例が出てきた。

▼ホワイトソックスの本拠地が内野席全体に防御ネットを設置 メジャーでは初めて[2019年7月23日]

ホワイトソックス本拠内野全席にネット設置 観客安全のため[2019年7月24日]

 報道では、大リーグ各球団は内野席にネットを設置する方向に動きつつあり、「MLB側は面目なし!?」とまである。

▼MLB側は面目なし!? 各球場が次々と防護ネットを張る[2019年7月28日]

 むろん、この件に関して日本が正しかった、米国が間違っていた……という強弁したいわけではない。しかし、アメリカ大リーグは常に正しく、大リーグは常に正しいのだから決して間違っていない……という風潮は、再考するべきではないかという意味である。

 一方、コミッショナーを筆頭とする大リーグ当局は、全球場の内野席にネットを設けることには消極的なようだ。

 この辺りは、理屈では悪いと分かっていても、なかなか変えられない。本の高校野球に似て〈伝統〉の持つ縛る力、悪い側面を感じる。

 大切なのは、観客の安全と健康である。内野席に安全用のネットを付けたくらいで、野球自体がつまらなくなることはないはずだが。

(了)



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ