スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:牛木素吉郎

 当ブログのメインタイトルは《スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う》であるからして、玉木正之氏のことはいろいろ検索をかけて話題をチェックしている。

 テレビ朝日系ワイドショー「羽鳥慎一モーニングショー」のレギュラーコメンテーターで、ジャーナリスト・石戸諭氏に「左のポピュリスト」と評された玉川徹(たまかわ とおる)が、番組中に口を滑らせて会社(テレビ朝日)から懲戒処分(謹慎)を食らってしまったという。

 この玉川徹氏と玉木正之氏の因縁話が、ツイッターで玉木正之氏について検索をかけていたら出てきた。何でも「モーニングショー」に玉木氏が出演した際、玉川徹氏が玉木氏の話を遮(さえぎ)り、自論を声高にまくしたてたことで玉木氏の不興を買ってしまったのだそうだ。


 玉木正之氏は「お前(玉川徹氏)の浅薄な感想はいいから,他人(ひと)の話を聞け!」と激怒したらしい。

 でも……。全国の玉木正之ウォッチャーの皆さん! これっておかしくありませんか?

 他人の話を聞かずに、浅薄な自論を声高にまくしたてるのは玉木正之氏もいっしょなんですよ(笑)。

 そうでしたよね! 牛木素吉郎さん!

 * * *

 それから、テレビ局の人間は、ジャーナリストが懸命に取材し、情報収集した成果を無断引用する癖がある。「引用の出典や参考文献は明示せよ」という原則を知らない。玉木正之氏の書いたことを無断引用した玉川徹氏がそうだった……とも非難もされている。


 でも……。全国の玉木正之ウォッチャーの皆さん! これっておかしくありませんか?

 自分で取材をせずに、参考文献を明示せずに、怪しげな自論を声高にまくしたてるのは玉木正之氏もいっしょなんですよ(笑)。

 そもそも、玉木正之氏は「自分で取材をしないで高見からモノを言うスポーツライター」という悪評があった(同業者である梅田香子氏や武田薫氏が,そのことを皮肉っていたはずである)。

 そして、玉木正之氏も参考文献を明示しない傾向が強いことについては、いい実例がある。以下のリンク先のコラムを参照されたい……。
  • 参照:玉木正之「読者からの質問への回答」(掲載日2012-02-29)http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_134.html
 ……このコラムの後半《拝啓 玉木正之さま 侍史/玉木さんの持説に,「『日本書紀』皇極天皇紀にある,大化改新の発端となった中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのきっかけとなった『打毱』とは,蹴鞠(≒サッカー)ではなく,毬杖(ぎっちょう≒ホッケー)である」というものがあります。/この根拠は何でしょうか?》という質問をしたのは、何を隠そう、実はこの私、すなわち当ブログである。

 ところが、玉木正之氏は、その根拠となる参考文献を捨てただの忘れただの、重要な文献を読んでいないだの、全く知的誠実さの欠落した物言いをしている……にもかかわらず、自分の意見は絶対的に正しいものだと講釈してきたのである。<1>

 しかも、元々このメールのやり取りは私信である。勝手に公開されて実に不愉快である。

 * * *

 他人の話を聞かない、自分で取材しない、参考文献を示さない……つまり、知的誠実さを欠いた玉川徹氏のようなテレビコメンテーターは、いくら権力批判しようと、コメンテーターとしてのクオリティは三浦瑠璃(政治学者)、橋下徹(弁護士)、ほんこん(お笑いタレント)の各氏と変わらない……という。

 しかし、これらの特徴は玉木正之氏にも当てはまる。玉川徹氏と玉木正之氏は同じ穴のムジナであり、だから玉川氏を批判するのに玉木氏を持ち出すのは間違っている。

 そういえば、玉木正之氏もスポーツ界の権威・権力批判を盛んに繰り返している。この辺も玉川徹氏と相通じるところだ。

 しかし、知的誠実さを欠いた玉木正之氏のようなスポーツライターは、いくら権力批判しようと、コメンテーターとしてのクオリティは三浦瑠璃、橋下徹、ほんこん、そして玉川徹の各氏と変わらない。

(了)




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 周知のようにCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)パンデミックの影響で2021年に「延期」になったわけだが、2020年8月9日(日)は、本来、2020東京オリンピックの閉会の日であったという(やはり最終的には「中止」しかないと思うけれども)。

 それはともかく、先日、NHK-BSプレミアムで市川崑が総監督をつとめた記録映画「東京オリンピック」を放送していた。

 その録画を視聴しての諸々の感想……。

記録か芸術か…の論争?
 この映画「東京オリンピック」は、従来の「記録映画」とは全く性質の異なる極めて芸術性の高い作品に仕上げた。そのため「記録か芸術か」という論争が沸き起こった。……と、いうことになっているが、あらためて見直すと、変な意味での「芸術性」の臭みを感じることなく視聴することができた。。

 すでに1936年ベルリン・オリンピックの記録映画、レニ・リーフェンシュタール監督の「オリンピア」二部作(民族の祭典,美の祭典)のような「芸術」的な作品はあったわけだし、どうしてそんな論争が起こったのか、今の感覚ではよく分からない。

 Jスポーツで「1966年ル・マン24時間レース 激突!フェラーリ対フォード」という記録映画を放送していた。
 これなどは、最近公開された劇映画「フォードvsフェラーリ」の元ネタになった1966年ル・マン24時間レースの、本物の公式記録映画であるが、いかにも記録映画であって少し無味乾燥なところがある。



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 スポーツのメガイベントの記録映画といっても、隅から隅まで細大漏らさず「記録」することはできない。なにがしかの素材の取捨選択など(演出)は必要になってくる。映画「東京オリンピック」は、退屈することなく視られる映画である。

スポーツにおけるナショナルカラーが定まっていない「日本」という不幸
 アイルランド(緑)、イタリア(青)、オランダ(橙)、ニュージーランド(黒■)……。映画「東京オリンピック」でも、おなじみのスポーツのナショナルカラーを確認することができた。本当にうらやましい。

 それに比べて、わが日本のスポーツにおけるナショナルカラー文化の不毛さよ。……と、毎度のことながら嘆きたくなる。これについては以前ブログで書いた。
 ブログのアクセス分析をやると、このテーマはかなり関心も高いようだ。

ニュージーランド代表がウォークライ「ハカ」をやっていた
 映画「東京オリンピック」では、ニュージーランド代表の選手たちが、ラグビー代表チーム・オールブラックスでおなじみのウォークライ「ハカ」をやっているシーンが3回くらい出てくる(特に最後の閉会式の場面)。ラグビー好きが見ると特に印象的だ。

 映画の制作スタッフは珍しい民族の習慣だと思って、この場面を本編に加えたのだろうか? ちなみにハカの種類は昔から舞われている「カマテ」であった。

選手はみんな「アマチュア」だった
 棒高跳び(当時は男子のみ)優勝、アメリカ合衆国のフレッド・ハンセン選手は歯科大学の学生、棒高跳びの棒に使う「グラスファイバーの湾曲と反発」に関する研究論文を執筆中……みたいなナレーションがあった。

 マラソン(これも当時は男子のみ)優勝、エチオピアのアベベ・ビキラは、皇帝親衛隊の軍人(階級は軍曹)。その他、出場したマラソン選手の本業は、印刷会社の会計係、大工、機械工、教師……などと紹介されるナレーションがある。

 当時、オリンピックに出場する選手(アスリート)は、協議することを営利を目的とせず、趣味として純粋に愛好しようとする「アマチュア」でなければならなかった。アマチュアリズムである……。

 ……と、こんなことを説明しても、世代的には何を言っているのかよく分からない人がいるかもしれない。

 周知にように、サッカーは昔からプロもアマチュアも同じように統括されており、アマチュアリズムに拘束されない独自の世界大会「ジュール・リメ杯 世界選手権」、後の「FIFAワールドカップ」を創設した。

ワールドカップの回想―サッカー、激動の世界史
ジュール リメ
ベースボール・マガジン社
1986-05T


 日本のサッカーは、長年このアマチュアリズムの制度と思想の両面で足かせになっており、それを打破するのに大変な苦労をした。ジャーナリズムだと、特に読売新聞の牛木素吉郎さんが、アマチュアリズムの打破を必死で啓蒙していた。

 どなたかスポーツ社会学の学者さんで、その辺の過程を詳しく追った研究書を出してくれる人はいませんか?

(了)




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日本人と相性が良いのはサッカーではなく野球である!?
 スポーツライター・玉木正之氏は、春陽堂書店のWEBサイトで「日本で野球が人気なのはなぜ?」という、実に香ばしいネタを書いている。
玉木正之の「スポーツって、なんだ?」#15 日本で野球が人気なのはなぜ?
2020年の東京オリンピックに向けて、スポーツを知的に楽しむために──
数多くのTV番組に出演し、多岐に渡って活躍するスポーツ評論家の玉木正之さんが、文化としてのスポーツの魅力を解き明かす。
第15回では、西洋から日本に伝わったスポーツのなかで、なぜ野球が人気を得たのか、その歴史的・文化的背景に迫ります。
(詳細は下記ツイッターのリンク先参照)


 要するに、玉木正之氏は、野球は日本人の「歴史的・文化的背景」に適していた。しかし、サッカーは適していない。サッカー日本代表が弱い(?)のも、Jリーグがプロ野球に人気で勝てない(?)のも、そのせいだ……ということが言いたいのである。

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【玉木正之氏】

 こんなことを言われると、多くのサッカーファンはビビってしまう。しかし、心・配・御・無・用! 玉木説は全部デタラメなので、簡単かつ徹底的に反駁できる。

パクス・トクガワーナと玉木正之氏「1対1の勝負説」
 玉木正之氏の「日本で野球が人気なのはなぜ?」という問いには、常に摩訶不思議な「疑似回答」がついて回る。それは次のようなものだ。
 ではなぜ日本では、多くのスポーツ(ボールゲーム)のなかで、野球(ベースボール)だけが突出した人気を博したのか?

 その理由については、昔から多くの人々が多くの意見を述べている。投手と打者の対決〔1対1の勝負〕が相撲の立ち合いに似ていて、日本人に理解しやすかった……〔略〕。

 〔…〕日本という風土には、他国と較べて珍しい過去の歴史があった。

 世界的には、19世紀まで一般市民が兵士となる戦争が続いていた地域が多かったが、日本では1600年の関ヶ原の合戦でほとんど幕を閉じ、その後徳川幕府の平和な時代が250年以上続く。戦国時代の1543年、ポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲を伝えて以来、わずか半世紀のうちに戦いは終結しているのだ。

 軍人だけでなく、一般の人々が武器を持って戦うためには、チームプレイの理解が必要となる。3組に分かれた鉄砲隊が順々に入れ替わって火縄銃を撃ったり〔織田信長vs武田勝頼の長篠の戦い,1000丁×3組=3000丁の鉄砲隊〕、左翼の鉄砲隊が射撃したあとに、右翼の騎馬隊、中央の歩兵隊が進軍する、といった具合に、鉄砲という武器は(狙撃兵という特殊な役割の兵士を除いて)、戦争に参加したあらゆる兵士に、必然的にチームプレイを要求することになる。

 鉄砲が出現する前の戦争は、基本的に、一人ひとりの力が中心となる。兵士は個人で手柄をあげようと先陣を切り、「やあやあ我こそは○○○、遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ!」と大音声で名乗りをあげ、戦いに臨んだ。そして大将は、戦いに勝てば兵士(市民)に論功行賞を施したのである。

 戦争を早く終え、多くの人々が鉄砲での戦いの経験が未熟なまま平和な時代に突入した日本では、当然チームプレイに対する理解も進まなかった。「徳川の平和(パクス・トクガワナ)」の時代に語り継がれた戦いは、源義経や那須与一を中心とした一の谷、屋島、壇ノ浦の源平の戦いでの個人戦であり、上杉謙信・武田信玄の川中島の一騎打ち、あるいは宮本武蔵・佐々木小次郎の巌流島の戦いだった。

玉木正之の「日本で野球が人気なのはなぜ?」画像
【玉木正之氏「日本で野球が人気なのはなぜ?」より】

 そんな日本の社会に、勝敗を争うチーム(集団)の戦いであるスポーツ(ボールゲーム)が伝わってきたのだ。日本人が、サッカーやラグビーでなくベースボールに飛びつくのは当然だろう。

 集団のなかから一人の武士(打者)が「やあやあ我こそは……」と名乗り出て、マウンドに立った一人の武士(投手)と対決する。そして大将(監督)は論功行賞を施す。そうして日本人は明治時代にいち早く野球(ベースボール)を好きになり、他のスポーツもすべて野球を基準に考えるようになったのだった。

 サッカーやラグビーやバスケの団体競技はもちろん、陸上(駅伝)も水泳(リレー)も卓球などのような個人競技も、指導者(コーチ)が、ベースボールのように監督(マネジャー)と呼ばれるようになっている。また、柔道、卓球、テニス、フィギュアスケートなどの団体戦、つまり一人ひとりが力を発揮してチームで勝利を目指す競技の団体戦と、一人ひとりが異なる動きをして一つのチームとして機能するサッカーやラグビーのような団体競技の違いが、はっきりと理解されなくなったり……と、野球の普及は、無自覚的に、日本のスポーツ界全体に悪影響を及ぼした、ということもできる。

 日本人の多くがチームプレイというものを理解できるようになったのは、1993年のJリーグ発足以降ともいえそうだ。

 この説を、牛木素吉郎氏iの名付けで「1対1の勝負説」と呼ぶ。

 これもまた、虫明亜呂無の憶測仮説を、玉木正之氏が拡張・増幅させた「野球=ドラマ説」と同様(下記ツイッターのリンク先を参照)、玉木正之氏の実にざまざまな著作でお目にかかれる定番である。


 「1対1の勝負説」も、「野球=ドラマ説」も、「玉木正之スポーツ学」(学?)の根本をなすものだ。玉木氏の日本スポーツに関する考察は、すべてこれらの持説から出発する(後述)。それにしても、こんな奇々怪々な玉木氏の持説「1対1の勝負説」は、いったいどこから来たのだろうか?

「1対1の勝負説」の淵源
 「野球=ドラマ説」のルーツは、サッカーにまつわる随想録(?)、虫明亜呂無の「芝生の上のレモン」の記述であった。「1対1の勝負説」に関しては、出どころがハッキリしている。

 講談社の月刊誌『現代』1988年10月号掲載、玉木正之氏、ロバート・ホワイティング氏(在日アメリカ人ジャーナリスト)、中沢新一氏(宗教学者,人類学者)による座談会「SMかオカルトか侃侃諤諤〈ベースボール人類学〉」である。内容は日本の野球文化論もしくは野球を通じた日本文化論ともいうべき趣。
 中沢 〔…〕野球というのは〔…〕だから日本人の感性に合っているのかも知れない。

 玉木 ホワイティングさんには『菊とバット』という名著がありまして、今度は明治時代まできかのぼって〈日本人と野球〉を考察したパート・ツー〔『和をもって日本となす』〕を脱稿されたばかりなんです。

菊とバット〔完全版〕
ロバート ホワイティング
早川書房
2005-01-01


和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 中沢 ほう。日本人はなぜこんなに野球が好きになったとお考えですか?

 ホワイティング 一つには、宮本武蔵と佐々木小次郎というような〔1対1の〕対決の図式があることだと思います。第二点は日本人にとって初めての団体スポーツだった。その前は剣道とか……。

 玉木 一対一の個人競技ですよね。

 ホワイティング 本来は非常に集団主義に向いている国なのにね。それに、理屈ということでは、日本では野球の楽しみの半分は筋を読むことになっている。ボクシングなら試合が終わったら、すべてが終わるのに、野球は次の日の朝、新聞を読んでまた楽しむんです。

 中沢 なるほど。集団と個人ということでいえば、日本は世界的に見ても内乱〔内戦〕というか、シビル・ウォー〔‘civil war’=内戦〕が早く終わった国なんです。十六世紀にだいたい終わっちゃったから集団戦法というのが発達しきらなかった。集団戦という新しい戦争の思想が成熟しなかったわけです。そうしたときに、戦いということでは武蔵と小次郎という一種のフィクションが作り上げられた。

 玉木 それはおもしろい。戦いということを考えたときに、イビツだという気がしますね。たとえば川上哲治という男がいるでしょう〔注:悪意を感じる表現〕。彼はさかんに武蔵を語るわけです。武蔵ほど勝手な個人主義者はいないですよ。それなら川上さんも個人主義に徹するかというと、なぜか〈チームの和〉を強調する。おかしいのは、武蔵も晩年になって精神的なことをいってるんですね。心と心の対話だとか。そういう虚像を作るのは日本人は非常にうまい(笑)。

 中沢 集団と個人的なヒーローのバランスを、実際の戦いやスポーツの中でどう作るかということは大きなテーマだった。結局は、あまり個人が浮き立つようなヒー口ーはまずいわけですよ。

「現代」(講談社)1988年10月号2
【『現代』1988年10月号より】
 「1対1の勝負説」は、この時の中沢新一氏とロバート・ホワイティング氏の発言に、玉木正之氏がインスパイアされ、拡張・増幅したものなのである。

 それにしても、玉木正之氏の「それはおもしろい」という発言には引っかかる。つまり、玉木氏が日本のスポーツ史やスポーツ文化について考察する時、学問的実証・検証に堪(た)えうる理論ではなく、「おもしろい」話かどうかが基準なのである。

 虫明亜呂無の「野球=ドラマ説」しかり、中沢新一氏の「1対1の勝負説」しかり、大胆な憶測仮説としては「おもしろい」のかもしれない。中沢氏も、虫明亜呂無と同じく、実証主義的というよりは、感覚的な「知」の面白さに訴えかける人である。

 しかし、その「おもしろ」さから来るところとは、日本は、なかんずく日本のスポーツは「世界」と比べて、こんなにユニークで不思議で、なおかつ後進的な国なんですよ……という、玉木正之氏の決め付けなのである。

「明治10年のベースボール」とは?
 玉木正之が折に触れて繰り返し吹聴している「1対1の勝負説」であるが、ハッキリ言って間違っている。明治時代初期、日本に野球が伝わった当時のルールは、現在のそれとは大きく異なっていたからだ。したがって、投手と打者のやりとりを「1対1の対決」とは見なしがたいのである。

 2017年に日本の野球殿堂入りした人物に、鈴木美嶺(すずき・みれい)という野球記者がいる(玉木氏は当然知っているはずだ)。野球のルールに精通し、この方面で多大な業績を残した。
 鈴木美嶺は、野球専門誌『ベースボールマガジン』で「ルール千一夜」という野球ルールにまつわる連載コラムを執筆していた。その1980年3月号に「1877年のストライクとボール」という記事がある。その勘所を引用すると……。
 1877年〔明治10〕の〔野球〕ルール第5条第5項はこうなっている。

 ――打席についたバッツマン(打者)は〈ハイボール〉〈ローボール〉あるいは〈フェアボール〉のいずれかをコールしなければならない。審判員は投手に対して〈どの球〉を投げるか指示しなければならない。そのようなコールは第1球が投げられた後は変更できない――

鈴木美嶺「1877年のストライクとボール」より
 ……「高め」(ハイボール)、「低め」(ローボール)、あるいはその両方(フェアボール)、打者は自分の打ちやすいストライクゾーンを指定して投手に球を投げさせることができた。(下のイラスト参照)

「ベースボールマガジン」1980年3月号
【『ベースボールマガジン』1980年3月号より】

 つづいて現在のフォアボール=四球に相当するルールを紹介すると……。
 ――ホームベースの上に投げられなかったり、打者が要求した高さにこなかった投球は、すべてアンフェア・ボールとみなされる。この投球が3回行われたら審判員はボールを宣告し、スリー・ボールズになったときに、ストライカー(打者)は一塁が与えられる――

 この条文は……今日の〈四球〉にあたるものである。〈九球〉で一塁に歩くのだから一見、投手に有利なように思えるが、本当はその反対で打者にできるだけ打たせるように考えた末のルールなのである。

鈴木美嶺「1877年のストライクとボール」より
 ……さらに「投手に関するルールは,かなり厳しいものがあ」り(同記事)、投手の技量力量が打者を打ち取る余地という要素はほとんどなかった(例えば,投げ方は下手投げに限定されている)。投手は、打者が打ちやすいボールをひたすら投げ続けないといけなかった。

 これでは野球における投手と打者のやり取りを、「1対1の対決」であるとはとても言い難い。野球とは投手が球(ボール)を打者に打たせるスポーツだった。これが日本で野球が紹介された、日本に野球が普及した時代のルールなのである。

 故意か、はたまた無知によるものか(まさか!?)、玉木正之氏は現在の野球と当時の野球のルールの根本的な違いを無視している。

 玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違っているである。

正岡子規がプレーした野球のルールとは?
 NHKが2009~2011年にかけて放送したテレビドラマ『坂の上の雲』に、明治18年(1885)頃のこととして、物語の主人公の1人である正岡子規が、野球(当時の呼称はベースボールか)の試合をやるシーンがある。

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本木雅弘
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2010-03-15




 劇中、香川照之が演じる正岡子規はバットを持ち、バッターボックスに立って「ハイボールじゃ!」と叫ぶ。審判は投手に「ハイボール!」と宣告。投手は下手投げで子規に向かってボールを投げた。

 これこそ、鈴木美嶺が説明していた、打者はハイボールか、ローボールか、コースを指定でき、投手はボールを下から投げなければならない、野球ルールであるii。テレビドラマ『坂の上の雲』の正岡子規による野球シーンは、まさにそれを再現してみせたのである。

 ところで玉木正之氏は、2011年までNHKの番組審議委員を務めていた。なのに当ブログが知る限り(インターネットでしつこく検索をかけた限り)、テレビドラマ『坂の上の雲』での正岡子規の野球シーンに言及したところは見たことがない。ダンマリを決め込んでいる。

 玉木正之氏にとっては、この場面は都合が悪いからである。

 その一方で、玉木正之氏は同じNHKの歴史教養番組『その時歴史が動いた』(2000~2009年)での大化の改新の、例の「打毱」(打毬)のシーンには、あれは違う! 間違いだ! スティックを鞠を打つ球技だ! ……とイチャモン(言いがかり)を付けている。
12月16日(木)つづき
ホテルでNHK『その時歴史は〔ママ〕動いた 大化の改新』を見る。首謀者が中大兄と鎌足ではなく皇極女帝と軽王子が後ろで糸を…というのは面白かったけど、中大兄と鎌足が「蹴鞠」で密談という「俗説」をそのまま紹介したのは残念。蹴鞠は平安以降で、当時は「鞠打」(まりうち・ぎっちょう・くゆるまり)と呼ばれる球戯。2組に分かれたチームが互いに足や棒を使ってボールを運び、ゴールを目指し合ったもので、いわば日本フットボールの草分け。こういう球戯が古代日本にあったのに、それを蹴鞠と誤解してしまうから、日本のサッカーは「ゴールを狙う意志」が薄く、蹴鞠のようにパス回しだけに終わってしまうのでは?〔略…〕正月のNHK特番ドラマ『大化の改新』ではどうなんやろ?


タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2004年12月より
【玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2004年12月」】
 まったく、この辺はご都合主義としか言いようがない。

クリケットと野球
 玉木正之氏の「1対1の勝負説」には、もうひとつ致命的な欠陥がある。玉木正之「日本で野球が人気なのはなぜ?」をはじめとして、なぜ日本ではサッカーより野球の人気が出たのか……という議論には、なぜ野球とフットボール(サッカー,ラグビー)の外見的な特徴の違いを取り上げたものが多い。

 しかし、なぜ、「クリケット」ではなく野球だったのか……という考察と説明が、まったく欠落している。クリケットと野球は、1人の投手が投げたボールを、1人の打者がバットで打つ、同族の球技「バット・アンド・ボール・ゲーム」である(フットボール系の球技に対してこう呼ぶ)。

クリケット
【クリケット】

野球
【野球】

 クリケットも、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた。そして、投手vs打者による1対1の対決というゲームの性格は、19世紀の旧式ルールの野球(先述)よりもクリケットの方がより顕著である。玉木氏の持説「1対1の勝負説」に忠実ならば、野球よりもクリケットの人気が出ていなければおかしい。

 つまり、「1対1の勝負説」では、野球とクリケットとの比較を欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木氏はしていない。

 これらの疑問の数々に、玉木正之説は堪(こた)えられない。とどのつまり玉木氏の「1対1の勝負説」は間違っているのである。

 ついでながら、戦国時代の長篠の戦い(1575年=天正3)で、織田信長が「3組に分かれた鉄砲隊〔1000丁×3組=3000丁の鉄砲隊〕が順々に入れ替わって火縄銃を撃った」という俗説。最近の歴史研究では否定する人が多い。この辺は、鈴木眞哉氏の『鉄砲と日本人』などの著作を参考にしていただければと思う。

 玉木説は、思い込みと俗説によるいかがわしい産物である。

日本人はチームプレイ=団体闘争が苦手?
 玉木正之氏は、「1対1の勝負説」に代表されるように日本の「歴史的・文化的背景」が、日本においてサッカーやラグビーよりも野球の人気が突出した理由だとしている。同時に、玉木氏は、その「歴史的・文化的背景」による「野球の普及は、無自覚的に、日本のスポーツ界全体に悪影響を及ぼした」などと述べている。

 当ブログは、日本のスポーツ界に一切合切「歪み」がないと言いたいのではない。それはあるだろう。

 しかし、これまで論じてきたように、玉木正之氏の「1対1の勝負説」は徹頭徹尾間違っている。その間違った文化的本質主義から、日本のスポーツの「歪み」を批判しても、かえって「歪み」が増すだけだ。

 実際、玉木氏と元ラグビー日本代表・故平尾誠二氏との馴れ合い関係が、一度は日本ラグビーを奈落の底に叩き落したのである(下記ツイッターのリンク先を参照)。


 どうしたって玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違っているのである……。

 ……と、話はここで終わっていいのである。が、日本人は元来チームプレー・団体戦が苦手だと事あるごとに附会(ふかい)してきた玉木正之氏を見ていると、「日本人アスリートは〈団体闘争〉が苦手」と論じているサッカーの河内一馬氏を思い出してしまう。




 当ブログ「玉木正之氏〈日本で野球が人気なのはなぜ?〉に反論する」シリーズの総括と合わせて、河内氏と玉木氏の奇妙な共通項にも触れるために、もう1回だけ同じテーマで続けたいと思う。




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