玉木正之氏の引用文の不可解さ
ビジネス総合誌『プレジデント』の公式サイトに、スポーツライター玉木正之氏による「スポーツ評論第一人者 玉木正之が薦める〈スポーツ本〉(2)」(2010年4月14日)というコラムが掲載されている。
【『プレジデント』公式サイトより:なぜかゴジラを抱えて呵々大笑】
文字通りの内容なのだが、その中でスポーツ人類学者,故・稲垣正浩氏(1938年‐2016年,公式サイト「稲垣正浩.Web」、ブログ「スポーツ・遊び・からだ・人間」)の『スポーツを読む』(三省堂選書)が紹介されている。
『スポーツを読む』は、古代ギリシャの『イーリアス』から現代の『カモメのジョナサン』まで、古今東西の著名文学作品に現われた「スポーツの原風景」を、スポーツ人類学の視点から綿密に読み解いていく……という内容である。
ここで問題にするのは、『日本書紀』に登場する日本古代のスポーツ、なかんずく大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「打毱」(打鞠)について、稲垣氏が『スポーツを読む』の中で言及しているところを、玉木氏が「スポーツ評論第一人者 玉木正之が薦める〈スポーツ本〉(2)」で解説している部分である。
要するに、最初に引用するのは玉木正之氏がネットに書いた文章である。
それは、玉木氏の考えだからいいのだが、普通はこの球技のことを「打毱」(ちょうきゅう)、あるいは「打毬」(だきゅう)、「毬杖」(ぎっちょう)などという。ところが、玉木氏は「打くゆる鞠まり」(打鞠=くゆるまり=)と表記している。これは「蹴鞠」(けまり)の古語だから、スティックを使った球技を表す言葉としては、まったくふさわしくない。玉木氏自身が整合性の取れないことに気が付いていない節がある……。
……まあ、こんなことでいちいち目くじらを立てていては、玉木正之の読者にはなれないのだが。
実際に稲垣正浩氏は何と書いていたのか
とにかく、ここである疑問がわく。稲垣正浩氏は、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのきっかけとなった古代の球技スポーツを「ホッケーのようなスポーツ」として解説していたのか? また中大兄と鎌足は、その球技の「プレー中に蘇我入鹿の暗殺を企て」ていたのか? ……という2つの疑問である。
なぜなら、中大兄と鎌足の2人の出会いの場となった古代球技は、一般には「蹴鞠」であると信じられているからだ。玉木氏と同じようにスティックを使ったホッケー風の球技スポーツであるという立場をとるならば、稲垣氏にもそれなりの論拠があるからであり、それはそれで興味をそそられるのである。
【小泉勝爾『中大兄皇子と中臣鎌足』神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより】
また、この球技の場は、2人のあくまで知己を得るきっかけになったにすぎず、「蘇我入鹿の暗殺を企て」ていたのは、時間が下った、別の場所であること……と『日本書紀』の記述にはある。この点を、稲垣氏のはどうとらえているのだろうか?
そこで、今度は稲垣氏の『スポーツを読む』の該当部分を引用し、問題を検討してみることとする。
また、蹴鞠の会をそのまま蘇我氏打倒のクーデターの密談の場としたのは、稲垣氏の誤読あるいは独自の解釈のようである。しかし、『日本書紀』を素直に読むとそのような解釈はしにくい。こういう問題について稲垣氏と本の編集・構成校閲の間でやり取りはなかったのだろうか?
玉木正之氏,脳内自動変換の犯罪的無邪気さ
まとめると、稲垣正浩氏が中大兄と鎌足の2人の出会いの場となった球技を通説通り「蹴鞠」とし、「蹴鞠の場」そのものをクーデターの密談の場とする独自の解釈(もしくは誤読)をした。
そして玉木正之氏は、稲垣氏の独自の解釈(もしくは誤読)についてはそのまま紹介した(しかし『書記』の記述とは違うことを、玉木氏は気が付かなかったのだろうか?)
さらに稲垣氏が2人の出会いの場を「蹴鞠」としたのを、玉木氏は「ホッケーのようなスポーツ」であると改竄して紹介した!?
これだけでも相当ひどいものだ。学問的に決着もついていない問題を、一方が絶対的に正しいとして読者を誘導しようとしているからだ。ただし、これは意図的なものではないかもしれない。
どういう意味かというと、玉木正之氏には、問題の球技は蹴鞠ではなく「ホッケーのようなスポーツ」説が絶対的に正しいという揺るぎない信念がある。だから、たとえ稲垣正浩氏のような人物が「蹴鞠」だと書いても、「ホッケーのようなスポーツ」に自動変換する素敵な脳みそをお持ちなのである。
その邪気のなさは、もはや犯罪的であるとすら言える。
ビジネス総合誌『プレジデント』の公式サイトに、スポーツライター玉木正之氏による「スポーツ評論第一人者 玉木正之が薦める〈スポーツ本〉(2)」(2010年4月14日)というコラムが掲載されている。
【『プレジデント』公式サイトより:なぜかゴジラを抱えて呵々大笑】
文字通りの内容なのだが、その中でスポーツ人類学者,故・稲垣正浩氏(1938年‐2016年,公式サイト「稲垣正浩.Web」、ブログ「スポーツ・遊び・からだ・人間」)の『スポーツを読む』(三省堂選書)が紹介されている。
『スポーツを読む』は、古代ギリシャの『イーリアス』から現代の『カモメのジョナサン』まで、古今東西の著名文学作品に現われた「スポーツの原風景」を、スポーツ人類学の視点から綿密に読み解いていく……という内容である。
ここで問題にするのは、『日本書紀』に登場する日本古代のスポーツ、なかんずく大化の改新で中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「打毱」(打鞠)について、稲垣氏が『スポーツを読む』の中で言及しているところを、玉木氏が「スポーツ評論第一人者 玉木正之が薦める〈スポーツ本〉(2)」で解説している部分である。
要するに、最初に引用するのは玉木正之氏がネットに書いた文章である。
オリンピックやワールドカップなど、現代において「スポーツ」ほど世界中に流通している文化はありません。地球を覆っていると言っても過言ではない。〔略〕玉木正之氏は、大化の改新のきっかけになった日本古代の球技スポーツを、例によってスティックを使ったホッケー風の球技と解釈し、解説している。
さらに、「スポーツとは何か」を歴史・文化という側面からアプローチすると、よりその本質を愉しめます。〔中略〕
……〔その〕一つが稲垣正浩さんの『スポーツを読む』。これは古今東西のスポーツに関する本を選んで解説した本です。例えば、『日本書紀』のくだりでは、中大兄皇子と中臣鎌足が打くゆる鞠まりというホッケーのようなスポーツのプレー中に蘇我入鹿の暗殺を企てる、という有名な場面も出てきます。『イーリアス』からは古代オリンピックの話を。当時のギリシャは紀元前ですから……〔略〕
【『プレジデント』公式サイトより】「スポーツ評論第一人者 玉木正之が薦める〈スポーツ本〉(2)」より
それは、玉木氏の考えだからいいのだが、普通はこの球技のことを「打毱」(ちょうきゅう)、あるいは「打毬」(だきゅう)、「毬杖」(ぎっちょう)などという。ところが、玉木氏は「打くゆる鞠まり」(打鞠=くゆるまり=)と表記している。これは「蹴鞠」(けまり)の古語だから、スティックを使った球技を表す言葉としては、まったくふさわしくない。玉木氏自身が整合性の取れないことに気が付いていない節がある……。
……まあ、こんなことでいちいち目くじらを立てていては、玉木正之の読者にはなれないのだが。
実際に稲垣正浩氏は何と書いていたのか
とにかく、ここである疑問がわく。稲垣正浩氏は、中大兄皇子と中臣鎌足の出会いのきっかけとなった古代の球技スポーツを「ホッケーのようなスポーツ」として解説していたのか? また中大兄と鎌足は、その球技の「プレー中に蘇我入鹿の暗殺を企て」ていたのか? ……という2つの疑問である。
なぜなら、中大兄と鎌足の2人の出会いの場となった古代球技は、一般には「蹴鞠」であると信じられているからだ。玉木氏と同じようにスティックを使ったホッケー風の球技スポーツであるという立場をとるならば、稲垣氏にもそれなりの論拠があるからであり、それはそれで興味をそそられるのである。
【小泉勝爾『中大兄皇子と中臣鎌足』神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより】
また、この球技の場は、2人のあくまで知己を得るきっかけになったにすぎず、「蘇我入鹿の暗殺を企て」ていたのは、時間が下った、別の場所であること……と『日本書紀』の記述にはある。この点を、稲垣氏のはどうとらえているのだろうか?
そこで、今度は稲垣氏の『スポーツを読む』の該当部分を引用し、問題を検討してみることとする。
大化改新は蹴鞠から〔小見出し〕何だ、小見出しからして「大化改新は蹴鞠から」ではないか。むろん、これは突っ込んで考察して、これはスティックを使ったホッケー風の球技はなく蹴鞠であると稲垣氏が結論付けたものではない。普通の通説として蹴鞠を使ったということである。
〔『書記』の読み下し文があるが省略〕
この〔前の〕部分もまた日本の歴史に大きな足跡を残すこととなった大化改新の発端をわたしたちに語ってくれています。中臣鎌足と中大兄皇子が法興寺で行われた蹴鞠(けまり)の仲間にまぎれて接近し、お互いの意思を通わせ合ったという、歌舞伎でいえば名場面ということになります。大化改新というような歴史的な大革命を導き出すための密約の場に蹴鞠の場が選ばれたという点が興味深いところです。稲垣正浩『スポーツを読む』30~31頁
また、蹴鞠の会をそのまま蘇我氏打倒のクーデターの密談の場としたのは、稲垣氏の誤読あるいは独自の解釈のようである。しかし、『日本書紀』を素直に読むとそのような解釈はしにくい。こういう問題について稲垣氏と本の編集・構成校閲の間でやり取りはなかったのだろうか?
玉木正之氏,脳内自動変換の犯罪的無邪気さ
まとめると、稲垣正浩氏が中大兄と鎌足の2人の出会いの場となった球技を通説通り「蹴鞠」とし、「蹴鞠の場」そのものをクーデターの密談の場とする独自の解釈(もしくは誤読)をした。
そして玉木正之氏は、稲垣氏の独自の解釈(もしくは誤読)についてはそのまま紹介した(しかし『書記』の記述とは違うことを、玉木氏は気が付かなかったのだろうか?)
さらに稲垣氏が2人の出会いの場を「蹴鞠」としたのを、玉木氏は「ホッケーのようなスポーツ」であると改竄して紹介した!?
これだけでも相当ひどいものだ。学問的に決着もついていない問題を、一方が絶対的に正しいとして読者を誘導しようとしているからだ。ただし、これは意図的なものではないかもしれない。
どういう意味かというと、玉木正之氏には、問題の球技は蹴鞠ではなく「ホッケーのようなスポーツ」説が絶対的に正しいという揺るぎない信念がある。だから、たとえ稲垣正浩氏のような人物が「蹴鞠」だと書いても、「ホッケーのようなスポーツ」に自動変換する素敵な脳みそをお持ちなのである。
その邪気のなさは、もはや犯罪的であるとすら言える。
(つづく)