スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:武田徹

コラムニスト・山崎浩一氏とは何者か?
 あれだけ羽振りが良かったコラムニスト・山崎浩一氏の姿を、マスメディアで見かけなくなって久しい。もっとも、インターネット検索を覗(のぞ)いても、お亡くなりになったという話は出てこない。詮索はともかく、どんな人だったなのか? ちょうどPHPのウェブサイトに経歴が載っていたので、あらためて紹介する。
山崎浩一(やまざき・こういち)
 1954年神奈川県生れ。早稲田大学政治経済学部卒。

 デザイン、イラスト、雑誌編集も手がけるコラムニスト。ポップカルチャーなどのトレンド時評、CMウオッチングを中心とするが、『朝日新聞』で文化時評を手がけたり、『現代思想』でフェミニズム論を展開したりと、神出鬼没。

 自ら「フェミニズムも、ぼくにとっては思想や立場ではなく、世界の眺望をよくするためのさまざまな視点のひとつにすぎない」と語るごとく、固定した視座をもたないことに意義を見いだしながら、過剰なる言説やメディアをからかいつづける。

 著書に、『男女論』(紀伊國屋書店、1993年)、『リアルタイムズ』(河出書房新社、1992年)など。

PHP人名事典より(データ作成:1998年)
 いかにも「ボクは世の中をナナメから見ています,見えています」といった感じのプロフィールだが、もうひとつ、山崎浩一氏には人気サッカーコラムニストとしての顔もあった。

サッカー論壇における山崎浩一氏の高すぎる(?)地位
 例えば、2代目サポティスタ=岡田康宏氏は、山崎浩一氏の熱烈な大ファンでもあった。彼の著書『サッカー馬鹿につける薬』の中では、2人の対談までやっている。
サッカー馬鹿につける薬(2007/11/21)
 トルシエからジーコ、オシムへとつながる日本代表の軌跡、選手の移籍事情、ネットでのサッカー言説、サッカーメディアのあり方、サポーターとクラブの愛憎、フットサルの楽しみ方…。戦術論もフォーメーション図も出てこない、スタンド目線の過激なサッカーコラム満載!サッカー情報サイト『サポティスタ』管理人の『TV Bros.』連載+αが奇蹟の単行本化。師と仰ぐ山崎浩一氏との対談も収録。<1>

サッカー馬鹿につける薬
サポティスタ
駒草出版
2007-11-21


 また、半田雄一氏が編集長(初代)だった時代の『季刊サッカー批評』、その創刊(1998年)以来長らくのレギュラー執筆陣だった。

 さらに、2003年には、サッカージャーナリストの大住良之氏や後藤健生氏らとともに、当時の『季刊サッカー批評』の版元だった双葉社から刊行されたムック『新世紀サッカー倶楽部~もしも世界の言葉がサッカーであったなら』の執筆者として名を連ねる栄に浴している。

 日本のサッカー論壇における山崎浩一氏の地位は盤石であるかのようである。

村上龍氏と山崎浩一氏は同じ穴のムジナ
 しかし、実のところ、少なくともサッカー論壇の中では山崎浩一氏は大した人物ではない。『季刊サッカー批評』の連載「僕らはへなちょこフーリガン」は「どう? 僕って面白いでしょ?」的な感じが、かえって少しも面白くなかった。

 『季刊サッカー批評』だったか、『新世紀サッカー倶楽部』だったかは記憶は定かではないが、後藤健生氏と山崎浩一氏が対談をした。その中で、当時、さまざまな媒体でサッカー評論を書いていた村上龍氏の論評を、日本サッカーを不当に貶しては得意がっている(大意)としてこれを非難したことがある。

 まったく奇妙であった。後藤健生氏(や大住良之氏)人が、村上龍氏のサッカー評論をそのように非難するのは当然であろう。しかし、山崎浩一氏が後藤健生氏に乗じて、村上龍氏を非難するのは、まったく「目糞鼻糞を笑う」の図式そのものだからである。

 山崎浩一氏は、実に多くの媒体で執筆していたが、その中に小学館『週刊ポスト』の「情報狂時代」という世相・時評コラムがあった(1994年に単行本として刊行される)。

情報狂時代
山崎 浩一
小学館
1994-09T


 この連載では、山崎浩一氏はサッカー、特に日本サッカーについて何度も言及しているのだが、その内容が本当に酷い。それこそ村上龍氏や杉山茂樹氏、馳星周氏がやっていたような、日本サッカーを不当に貶しては得意がっている下劣な代物だったのである。

 強いて上げれば、日本サッカーを上から見下ろして貶すサディズム(村上龍氏,杉山茂樹氏,馳星周氏)か、下から自虐的に振る舞うマゾヒズム(山崎浩一氏,佐山一郎氏もこの系統である)かの違いである。それ以外は「文体」の違いぐらいだ。

 要は『季刊サッカー批評』半田雄一編集長の覚えがめでたかったから、鋭敏なサッカーファンからの警戒の対象にならなかったということである。

農耕民族社会ニッポンでサッカーが「愛されない理由」
 ようやく本題に入ることができそうです。今回採り上げるのは、月刊誌『PLAYBOY日本版』1990年9月号に掲載されたコラム「農耕民族社会ニッポンでサッカーが〈愛されない理由〉」である(次の写真を参照)。ちなみに『PLAYBOY日本版』は既に廃刊、同じ集英社が出している『週刊プレイボーイ』とは別の雑誌である。<2>

山崎浩一コラム『PLAYBOY日本版』1990年9月号
【山崎浩一「農耕民族社会ニッポンでサッカーが〈愛されない理由〉」】

 それにしても「農耕民族社会ニッポン」の字面を見ただけで目眩(めまい)がしそうですね(笑)。とにかく話を追っていきます。山崎浩一氏は1990年6月~7月に行われたFIFAワールドカップ・イタリア大会を回顧する……。

 ……曰く。サッカー・イタリアW杯は主審の判定が厳しい大会、主審が目立った大会でもあった。それにしても、反則をした選手にレッドカードやイエローカードを突き付ける時の主審の厳然たる態度は素晴らしい。実は元サッカー少年の僕(山崎浩一氏)自身、サッカーの主審を務めたこともあるのだが、その苦労は並大抵のものではない。

 主審に託された強大な権限と権威は、サッカーの試合を裁く責任と緊張への対価なのだ……。
 ……そんな〔サッカーW杯の〕主審の姿を見た後にわが〔日本の〕プロ野球の審判たちの状況に目を転じると、暗澹〔あんたん〕たる思いになる。金田〔正一〕監督〔当時,ロッテ・オリオンズ監督〕に抗議されてオロオロし、まるで逆上した窮鼠〔きゅうそ〕のように慌〔あわ〕てて退場を宣告する姿は、哀しい。

 野球(ベースボールではなく)とサッカーを比べてもしょうがないけれど、このへんにも農耕民族〔ニッポン人〕の集団競技と狩猟民族〔欧米人〕の個人競技(サッカーはじつは個人技が11集まった競技であり,本質的にはチームプレイではない.おそらくベースボールもそうだ)との間のルールの重みの差を感じてしまう。

 プロ野球の退場者が、外人〔ママ〕選手以外は、ほぼ監督(責任者)ばかりであることは象徴的なことに思える。

 そして日本人に野球ほどサッカーが愛されない理由が、そのへんにもあるような気がする。個人が組織の調和の中で「仕事をする」存在でしかない社会〔ニッポン的集団主義〕では、おそらく公平で強い主体性〔欧米の個人主義〕を持つ審判役など、単なる添え物に過ぎない〔以下略〕

山崎浩一「農耕民族社会ニッポンでサッカーが〈愛されない理由〉」
 言いたい文句はいっぱいあるが、まずはここで一息つきましょう。

山崎浩一氏の凡庸なるサッカー言説を揶揄(からか)う
 何のことはない。山崎浩一氏が展開したのは、驚くほど凡庸な、そして自虐的日本サッカー観に満ち満ちた「サッカー日本人論」である。

 すなわち、スポーツ、なかんずくサッカーにおいては愚鈍な農耕民族=ニッポン人と優れた狩猟民族=欧米人の違い、悪しき集団主義に充足しきったニッポン人と良き個人主義を重んじる欧米人の違い。ニッポンと欧米との間には絶望的な「壁」があり、欧米の精神や文化が貫徹したスポーツ=サッカーはニッポンでは「愛される」ことなど金輪際ありえない……。

 山崎浩一氏に限らず、村上龍氏であれ、馳星周氏であれ……。私たちサッカーファンはこの手の自虐的な話をさんざん聞かされてきた。そのように日本サッカーを蔑(さげす)むことで、論者は自身のサッカー観の確かさや批評精神を誇示するしきたりだったのである(そんな山崎浩一氏が村上龍氏を非難する筋合いがあるのか?)。

日本代表論
有元健 山本敦久
せりか書房
2020-04-15


 もうひとつ注目できるのは、この「サッカー日本人論」に、山崎浩一氏は「野球とベースボールの違い」を追加してきたことだ。

 当時、1980年後半から1990年代前半にかけて、文化的な面をも含めた「日米の野球の絶対差異」(武田徹氏)を論じることが、日本のスポーツ論壇のしゃれた言い回しであり、流行りでもあった。

 ニッポンとアメリカ(欧米)との間には絶望的な「壁」がある。アメリカ大リーグ=メジャーリーグベースボール(MLB)はとにかく無条件に素晴らしく開放的で、日本野球(NPB,高校野球など)はとにかく無条件に低劣で抑圧的だとされていた。

 これを誇張するために「(ニッポンの)野球と(アメリカ=欧米の)ベースボールはまったく違うのだ」などといったレトリックが多用された。こんな風潮を煽(あお)ったのは、ロバート・ホワイティング氏と玉木正之氏である(その歴史的な主な展開については,次のリンク先を参照)。
ニッポン野球は永久に不滅です (ちくま文庫)
ロバート ホワイティング
筑摩書房
1987-12T


和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 そのように日本の野球を蔑(さげす)むことで、論者は自身の野球観の確かさや批評精神を誇示するしきたりだった。山崎浩一氏は、その流行に乗っかったのである。

 「固定した視座をもたないことに意義を見いだし」ていると自称する山崎浩一氏の日本サッカー観・日本スポーツ観は、実は極めて単純だ。「ニッポン人=愚鈍な農耕民族=悪しき集団主義=サッカーに愛されない=抑圧的な野球/欧米人=優れた狩猟民族=良き個人主義=サッカーに愛される=開放的なベースボール」という二元論だ。

 何より、サッカーに愛されない何より駄目なニッポン人と、ベースボール(野球ではなく)に愛されない何より駄目なニッポン人。そのふたつの根っこはひとつであると解釈したのは、たいへん興味深い現象である。

本当は「ジョークの羅列」だった「野球とベースボールの違い」
 ところが、この「野球とベースボールの違い」とやらは、単なる言葉遊びであり、嘘やら誇張やら偏向やらであることが分かってきた。

 日本のテレビ(主にNHKの衛星波)でメジャーリーグの野球が日本にも頻繁に放送されるようになったことや、日本人野球選手がメジャーリーグでも活躍するようになったことで、アメリカのリアルな野球事情が日本人にもより分かるようになったこと。

 また、日本でもJリーグでサッカー人気が台頭し、サッカー日本代表も実力を付け曲がりなりにもワールドカップ本大会の常連国となって、アメリカ・メジャーリーグ以外の「世界」のスポーツの在り方や文化、習慣が日本人にも知られるようになったこと……などが理由である。

 特に、玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏の共著「日米の野球の絶対差異」の集大成である『ベースボールと野球道』(1991年,前掲)の内容については、在米のスポーツライター・梅田香子(うめだ・ようこ)氏が『イチロー・ルール』(2001年)の中で「ジョークの羅列」としか取れないほど事実と反している……と喝破している(その詳しい経緯は次のリンク先を参照)。
 野球やスポーツ関連の著作も数多く手がけているルポライターの岡邦行氏もまた、『ベースボールと野球道』の内容に問題あることを指して、著者のひとり・玉木正之氏のことを「このウソツキ野郎め!」と辛辣に批判している。

KAZU(カズ)とJリーグ
岡 邦行
三一書房
1993-05T


 昨今、さすがに「野球とベースボールの違い」を得意気にウンヌンする人は減っている。

それでもニッポン人はサッカーを愛せない???
 それでは日本のサッカーは如何? 山崎浩一氏はサッカー論壇の表舞台からは身を引いたように見える。しかし、山崎浩一氏的な日本サッカー観=自虐的な日本サッカー観(サッカー日本人論)というものは、未だ根絶やしになっていない。

 少し前の例になるが、サッカー日本代表が「惨敗」した2014年ブラジルW杯の少し後、文芸誌『en-taxi(エンタクシー)』第42号(扶桑社,坪内祐三ほか責任編集)に、小説家・星野智幸氏の筆による「ガーラの祭典」なるエッセイ・評論が掲載された。
 これなどは、要するに南米スペイン語の「ガーラ」(garra)という概念を用いて「サッカーを(真に)愛することができないニッポン人」を巧みに論じたものだ。

 これからも、日本サッカーに悪いことが起きる度に「サッカーに愛されないニッポン人」や「サッカーを(真に)愛することができないニッポン人」は、姿を変え、形を変えて、さまざまに論じられるだろう。

 むろん、そんな事態にはならないことを願うばかりであるが……。

 山崎浩一氏が「農耕民族社会ニッポンでサッカーが〈愛されない理由〉」を書いた1990年からちょうど30年、2020年の今になっても、日本のサッカー言説の思想・論調に大きく変化がないのである。

(了)




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前回のおさらい~文春ナンバー,噂の真相,武田徹氏
文春ナンバーの「ナルシズム」を『噂の真相』で再現しただけ
 ……一面的な絶賛だけでは、読者は文春ナンバーへのリテラシーが身に付かない。『噂の真相』は文春ナンバーのレビュー筆者の人選を誤ったし、匿名の文春ナンバーのレビュー筆者は、文春ナンバーの「ナルシズム,内輪ウケ」の文化を『別冊 噂の真相 日本の雑誌』〔1990年〕で再現しただけである。

別冊『噂の真相』〈日本の雑誌〉174~175頁(1990年)
【文春ナンバーのレビュー『別冊 噂の真相 日本の雑誌』1990年】

 ところで、この匿名の文春ナンバーのレビュー筆者の正体は誰だろうか?

 当ブログは、当時、文春ナンバーで書評・ブックガイドのコラムを担当していた武田徹(たけだ・とおる)氏(ジャーナリスト,評論家,メディア学)ではないかと邪推している。さしたる根拠はないが、文体でそのように想像している。

 間違っていたらゴメンナサイ……だが、武田徹氏は、その文春ナンバーで日本の野球、日本のスポーツに関しておかしなことを書いていたので、いずれ取り上げたい。

 乞うご期待。

 ……と、いうわけで、1990年代前後に武田徹氏が担当していた文春ナンバーの書評・ブックガイドであるが、これには時々おかしなレビューが載っていた。

『アメリカ野球珍事件珍記録大全』と武田徹氏のレビューの不可解
 今回採り上げるのは、ブルース・ナッシュ,アラン・ズーロ著/岡山徹訳,小林信也解説の『アメリカ野球珍事件珍記録大全』(東京書籍,1991年)である。むろん、この本には何の罪もない。それどころかアメリカ野球の良書である。
アメリカ野球珍事件珍記録大全(シリーズ・ザ・スポーツノンフィクション)-1991/3/1
 これが大リーグだ! インチキバットに野球生命をかけたバッター、登板日に蒸発してビー玉遊びをする投手、あんまり弱いので選手に催眠術をかけて勝たせようとしたチーム(それでも勝てなかった)、どうしても勝てないので監督のかわりに観客の多数決で進めた試合(それでも勝てなかった)、打者の写真にぶつけて練習するピッチャー、マウンドから絶対に降りようとしないピッチャー(だけど勝手に降りてしまうこともある)、頭にきてユニフォームを燃やしてしまった選手。

 あまりにもしみったれで、ヘタで、みじめで、けれど最高に素敵な男たち。ディマジオ、マントル、ルースら大スターの知られざる素顔。観客、球場、グラウンド・キーパー、はては動物たちまで総登場。

 問題なのは、文春ナンバー1991年4月20日号(265号)に掲載された、武田徹氏のレビューである。
大リーグ、不名誉な殿堂オンパレード
文●武田徹

 TVのプロ野球ニュースの定番人気コーナーにいわゆる「珍プレー集」がある。常軌を逸したエラーシーンを編集、集中的に視聴者に見せて嘲笑〔←笑いではなく嘲笑,この単語の選択には武田徹氏の悪意を感じる〕を誘う企画である。

 確かに何度見ても噴き出してしまう内容である。しかし文字業者として悔しいのは、その面白味があくまで画像情報だということ。〔…〕珍プレーの殆どは一瞬の映像として見て面白いものばかりなのだ。

 しかしその点、さすがに大リーグは進んでいた。こんな本まで生んでしまったのだ。『アメリカ野球珍事件珍記録大全』は〔…中略〕。

 エラーに人間臭い事情があり、会話に機転がきいたウィットがある。だから文字にしても楽しめる。その点、日本野球ではエラーはユーモアやウィットはなく単なるミスだけだから動き自体を笑うだけだ。大リーグの珍プレーはコメディの面白さで、日本の珍プレーはサルが木から落ちるおかしさ……。いやいやそこまでは言うまい。ロバート・ホワイティング氏の指摘するごとく、日米の野球の絶対差異を痛感させられる一冊である。

武田徹書評『文春ナンバー』1991年4月20日265号
【文春ナンバー1991年4月20日号(265号)109頁より】
 なぜ、アメリカ野球の本をレビューするのに、いちいち日本の野球を引き合いに出して、コレをクサさないといけなかったのか? なぜ、もとの本とは無関係のロバート・ホワイティング氏の名前が出てきたのか? なぜ、「日米の野球の絶対差異」などという方向に話が飛躍していったのか?

「日米の野球の絶対差異」を煽っていた日本のスポーツ論壇
 気になったので、当ブログは、ある時『アメリカ野球珍事件珍記録大全』の現物に目を通してみた。すると、どうです! 開けてビックリ玉手箱! 岡山徹氏の訳文(本文)にも、小林信也氏の巻末解説にも、ことさらに「日米の野球の絶対差異」をイメージさせたり、強調させたりということは書いていない! そんな意図など無かったのである。

 武田徹氏は、わざわざ『アメリカ野球珍事件珍記録大全』本来の魅力を歪曲して伝えたのである。

 しかし一方、当時、1980年後半から1991年前半にかけて、文化的な面をも含めた「日米の野球の絶対差異」をことさらに強調してみせることが、日本のスポーツ論壇のしゃれた言い回しであり、流行りでもあった。

 アメリカ野球、大リーグ=メジャーリーグベースボール(MLB)はとにかく無条件に素晴らしく、日本野球(NPB,高校野球など)はとにかく無条件に低劣だとされていた。

 武田徹氏は、その流行に乗っかったのである。

 この風潮を煽ったのは、たしかにロバート・ホワイティング氏、そして、その「相棒」ともいえるスポーツライター・玉木正之氏である(その歴史的な主な展開については,次のリンク先を参照)。
ニッポン野球は永久に不滅です (ちくま文庫)
ロバート ホワイティング
筑摩書房
1987-12T


和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 そういえば、前掲の『別冊 噂の真相 日本の雑誌』では、何もかも愚劣な日本のスポーツ界にあって、まるで文春ナンバーにだけは「スポーツの本質を語る良心の泉」である……かのような絶賛を匿名のレビュワーは書いていた。また、その匿名のレビュワーは、その「スポーツの本質」がいかなるものであるかを知るには、たとえば玉木正之の諸論考をぜひとも参照していただきたい……などと書いていた。

 アメリカ野球の良書『アメリカ野球珍事件珍記録大全』を紹介した武田徹氏の書評・ブックガイドで、まるで関係のない、玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏が煽った「日米の野球の絶対差異」を蛇足していた。

 玉木正之氏への評価が高いという点も、『別冊 噂の真相 日本の雑誌』の文春ナンバーの匿名レビュワーと武田徹氏の共通点がある。おそらく「2人」は同一人物だろう。

本当は「ジョークの羅列」だった「日米の野球の絶対差異」
 ところが、この「日米の野球の絶対差異」は、嘘やら誇張やら偏向やらであることが分かってきた。日本のテレビ(主にNHKの衛星波)でメジャーリーグの野球が日本にも頻繁に放送されるようになったことや、日本人野球選手がメジャーリーグでも活躍するようになったことで、アメリカのリアルな野球事情が日本人にもより分かるようになったこと。

 また、日本でもサッカー人気が台頭して、アメリカ・メジャーリーグ以外の「世界」のスポーツの在り方や文化、習慣が日本人にも知られるようになったこと……などが理由である(その詳しい経緯は次のリンク先を参照)。
 特に、玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏が書いた「日米の野球の絶対差異」の集大成である『ベースボールと野球道』(1991年,前掲)の内容については、在米のスポーツライター・梅田香子(うめだ・ようこ)氏が『イチロー・ルール』(2001年)の中で「ジョークの羅列」としか取れないほど事実と反している……と喝破している。

 野球やスポーツ関連の著作も数多く手がけているルポライターの岡邦行氏もまた、『ベースボールと野球道』の内容に問題あることを指して、著者のひとり・玉木正之氏のことを「このウソツキ野郎め!」と辛辣に批判している。

 「日米の野球の絶対差異」を象徴する、あの当時さんざん使われた「日本の野球とアメリカのベースボールは違うスポーツである」という命題がある(次の写真の「帯」を参照)。

「和をもって日本となす」表紙・帯
【『和をもって日本となす』の表紙と帯】

 しかし、当然のことながら、同じBaseballというスポーツだからこそ、「日本の野球」と「アメリカのベースボール」は俗流比較文化論(日本人論,日本文化論)のネタになりうるのであって、そんなものは所詮は言葉遊びでしかない。

にっぽん野球珍事件珍記録抄
 日本のプロ野球界に、珍事件珍記録の類がないかというと、そんなことは全くない。例えば……。

 ……プロ野球生涯記録、出場通算1試合。初打席初本塁打を放つも、以後再び打席に立つことも試合に出ることもなかったため、通算打率10割・通算長打率40割・通算OPS5.000という、稀有の記録を有する塩瀬盛道選手。

 ……あるいは珍名プロ野球選手の代表、一言多十(ひとこと・たじゅう)選手。

 両者とも、プロ野球選手としてはもうひとつだったが、(ウィキペディア日本語版の記述を信じる限り)けっして泡沫の野球人生ではなく、アマチュア野球界もふくめると、ひとかどの野球人であったことは、さらなる驚きである。

 ……プロ野球人生唯一のヒットが「2度のセーフティーバントを失敗した後のボテボテのショートゴロが,前夜来の雨で柔らかくなっていたグラウンドのおかげでヒットになったもの」であるが、それが巨人軍の大投手・別所毅彦の完全試合を阻止するヒットになってしまった神崎安隆選手。

 ……「あと1人アウトでノーヒットノーラン達成というところで,ヒットを打たれて快挙を逃した試合」を2年連続で2度も演じた。あるいは「毎回奪三振で完投しつつ敗戦投手」という珍記録の持ち主、仁科時成選手。

 ……この他、長嶋茂雄や榎本喜八といった珍事件の類の逸話に事欠かない野球人がいる。

 以上の話は、すべて「日米の野球の絶対差異」や「野球とベースボールの違い」をさんざん煽ってきた、あの(面白いスポーツライターだった頃の)玉木正之氏の著作『プロ野球の友』や『プロ野球大事典』から採集した。

プロ野球の友 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1988-03T


プロ野球大事典 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1990-03T


 要するに、珍事件珍記録を集中的に採集してパッケージにした『アメリカ野球珍事件珍記録大全』のようなコンテンツが日本になかっただけであって、宇佐美徹也氏や玉木正之氏のように野球ジャーナリズムの中には、こうした逸話を紹介した人はいるのである。

 宇佐美徹也氏や玉木正之氏よりもう一代前の、野球ファン・野球評論でも有名だった鈴木武樹氏(すずき・たけじゅ,ドイツ文学者,故人)も、何かやっていたかもしれない。

 こういう本が日本の野球にもあったら楽しいのにねぇ……と書けばいいものを、武田徹氏は無理やり日本野球を貶したのであった。

 一方、アメリカ合衆国(米国)にも『アメリカン・ブルーパーズ』という映画がある。


ビデオメーカー
1990-06-22

 これは要するに野球を含めたアメリカンスポーツの「珍プレー集」であって、真剣勝負の中で、あられもなく生じたBlooper(大失敗,どじ,転じて珍プレー)から笑いを誘うという企画は、日本もアメリカも変わらない。

東京書籍『ニッポン野球珍事件珍記録大全』を刊行する
 『アメリカ野球珍事件珍記録大全』の版元・東京書籍は、12年経って、ノンフィクション作家・スポーツライターの織田淳太郎氏を執筆者に『ニッポン野球珍事件珍記録大全』という本を刊行した。
ニッポン野球珍事件珍記録大全
 自分の名前を忘れていたあの監督、トイレに行きたいばかりに早く試合を終わらせようとした審判、呪われた球団など、知られざる「ホントにこんなことあったの!?」という話題満載の決定版。
  • 超自然編~エスパー・シールをもう一枚
  • 天国と地獄編~二死から何かが起こる
  • 生理現象編~試合を早く終らせようとした審判
  • 野球人語編~僕は長嶋シゲル
  • ファイト!編~「打者にあたるまで投げろ」
  • 野球はゲイジュツだ!編~そこまでしなくても
  • グランドの困った方々編~試合に来るだけめっけもん
  • 大漁編~多けりゃいいってもんじゃないぞ!?
  • ベースボール・イズ・マネー編~長嶋の身代金
  • 番記者編~三日やったらもう充分
ニッポン野球珍事件珍記録大全
織田 淳太郎
アドレナライズ
2013-03-01


 版元は同じだから、この書名はパクリではなくオマージュである。いずれにせよ、東京書籍には「日米の野球の絶対差異」を煽ろうという意図は、実はコレッポッチもなかったのだ。

 文春ナンバーで書評・ブックガイドを担当していた武田徹氏は、比較の対象にならないモノ同士を比較して、無駄に日本の野球を卑しめ、もとの本『アメリカ野球珍事件珍記録大全』まで卑しめたのである。

(了)




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昔『噂の真相』といふ雑誌ありけり
 蔵書を漁っていたら、今から30年前、1990年11月に刊行された『別冊 噂の真相 日本の雑誌』(副題:MAGAZINES IN JAPAN 1990)が、ひょっこりと出てきた。

別冊『噂の真相』〈日本の雑誌〉表紙(1990年)
【別冊『噂の真相』〈日本の雑誌〉表紙(1990年)】

 まず、月刊誌『噂の真相』とは、どんな雑誌だったのか? 1979年3月創刊。株式会社噂の真相刊。編集発行人は岡留安則(故人)。2004年4月号をもって休刊。政界、財界、官界(特に検察)、芸能界(大手芸能事務所)、文壇など、新聞はもちろん、週刊誌ですらタブー視して忖度、報じようとはしなかった分野の事件や醜聞に斬り込み、明らかにしてきた。

 一般のマスコミならばまず報じられなかった、時の東京高等検察庁検事長(則定衛=のりさだ・まもる=氏)の愛人スキャンダルを暴き立て、辞職に追い込んだこともある。

 一方、この雑誌は、いろいろ猥雑な性格があり、いかがわしい傾向も強く、そのことをよく思っていない同業者もいた。ジャーナリスト・江川紹子氏が発したツイッターと、その返信をめぐるやり取りにはそうした一断面が表れている。


 この点は、毀誉褒貶、功罪相半ばといったところである。

『別冊 噂の真相 日本の雑誌』について
 さて、『別冊 噂の真相 日本の雑誌』の内容であるが、表紙の惹句には「雑誌ジャーナリズムの裏側を全解剖する!!」「日本の主要雑誌100誌を徹底分析!!」「『噂の真相』版辛口雑誌カタログ。」とある。文字通り、当時の日本の主な雑誌を並べて、その内幕も合わせて辛口レビューしたものだ。その俎上に乗せられた日本の雑誌……。

 週刊誌では、AERA、朝日ジャーナル(!)、サンデー毎日、週刊朝日、週刊現代、週刊新潮、週刊文春、週刊ポスト、SPA!、週刊プレイボーイ、アサヒ芸能、FOCUS、FRIDAYほか。月刊誌・隔週刊誌では、中央公論、文藝春秋、SAPIO(右傾化する前)、諸君!、正論、潮、新潮45(!)、スコラ、GORO、POPEYE、BRUTUS、PLAYBOY日本版、宝島、STUDIO VOICE(佐山一郎氏の古巣)、PHPほか。

 女性誌では、an・an、Olive、女性自身、婦人公論、クロワッサン、JUNON、marie clire Japonほか。マンガ雑誌では、週刊サンデー、週刊マガジン、週刊ジャンプほか。文学方面では、専門誌では、映画雑誌、プロレス雑誌、自動車雑誌ほか。文学方面では、(純)文芸誌、ミステリー・SF雑誌、中間小説雑誌。その他もろもろ……。

 こうしてみると、世の中、この30年の間に大きく変わったなあ……という感慨に耽る。刊行当時、まだ雑誌ジャーナリズムには勢いがあったが、インターネットの登場で紙媒体は大きく後退した。廃刊した雑誌もある。日本はまだバブル景気に沸いていた。各雑誌のレビューを読んでも、その時代の雰囲気(空気感などという下品な日本語は使いますまい)を感じ取ることができる。

 それぞれの雑誌のレビューは誰が担当しているのか? 編集長・岡留安則が書いた編集後記によると「いずれも雑誌業界事情に詳しく、かつ他誌でも活躍中のフリーライターや編集者,評論家,作家といった人々にお願いした……」。

別冊『噂の真相』〈日本の雑誌〉編集後記と奥付(1990年)
【『別冊 噂の真相 日本の雑誌』編集後記と奥付(1990年)】

 「……署名すればそれなりの人たちだが、メディア批評によって自分の食いブチがおびやかされない事情を考慮して、いずれも匿名とせざるをえなかった.巻末に〈SPECIAL THANKS〉として,執筆者の人たちの名前をズラリ並べたかったのだが……」とのことであった(前掲の写真を参照)。<1>

 実際、『別冊 噂の真相 日本の雑誌』の各雑誌レビューは、面白い。どのレビューもスパイスが効かせてあって(雑誌によっては激辛)、リテラシー……という言葉は、当時使われていなかったが、読者としてリテラシーが付く。いろいろ参考になる。

 ところが、そんな中にあって、唯一例外的に、虫歯になりそうなくらい、血糖値が上がりそうなくらい、甘ったるい絶賛レビューが書かれているのが、文藝春秋刊のスポーツ専門誌『スポーツグラフィック ナンバー』だったのである。

文春ナンバー≒玉木正之のスポーツ評論という公式
 『スポーツグラフィック ナンバー』(Sports Graphic Number)。1980年4月創刊。A4変型判。月2回刊。2020年に創刊40周年と通巻1000号を迎えた。創刊号に掲載されたノンフィクションが、山際淳司の傑作「江夏の21球」だったとか……。
  •  参照:Sports Graphic Number 1号 スポーツを撃て!(1980年4月1日発売)
 スポーツ新聞ではボツになった「ヘルメットも吹っ飛ぶ豪快な空振り」の写真を表紙にした長嶋茂雄特集(通巻10号)が、驚異的な人気と売れ行きで、この手の専門誌としては異例の「増刷」をした。そして後の長嶋茂雄礼賛ブームの端緒になったか……。
  •  参照:Sports Graphic Number 10号 SOS! 長島茂雄へラブコールを!(1980年8月20日発売)
 この雑誌には、こういった神話的なエピソード、効能書きに事欠かない。だからこそ文春ナンバーの「真相」を知りたいわけだが……。実際には絶賛一辺倒で、このスポーツ専門誌の神話的イメージに加担しただけだったのではないか。

 あの『噂の真相』ですら、文春ナンバーだけは高く評価した! ……というわけである(詳しくは次の画像とPDFを参照されたい)。

別冊『噂の真相』〈日本の雑誌〉174~175頁(1990年)
【『別冊 噂の真相 日本の雑誌』174~175頁(1990年)】
 曰く。日本のスポーツ業界(スポーツではない!)は糞である。体育会的、家父長制的、閉鎖的、権力的、独善的であること他に類を見ない。スポーツ選手、例えば「汗と涙,青春のシンボル」だとされる高校球児だって糞である。あいつらから野球を取り上げたら、ただの不良少年でしかない。既存の日本のスポーツマスコミにも真の批判が存在しない。スポーツ業界とは持ちつ持たれつ、要するに糞である。

 そんな構造のため、日本のスポーツ業界は「スポーツを快楽的なものではなく禁欲的なものだとすることで」(『別冊 噂の真相 日本の雑誌』174頁)成り立っている。
 そのほとんど絶望的状況のなかで、でも「Number」は、古くはあの「江夏の21球」にはじまり、野武士軍団西鉄ライオンズ、力道山物語、長嶋伝説、近くは神戸製鋼ラグビーの真髄、ボクシング名勝負、プロ野球・甲子園の名勝負、F1レースなど、スポーツの快楽とそれに一生を賭けた人間を追究して健闘している。日本のスポーツに風穴あけるその日まで初志を貫徹すべしである。<2>

『別冊 噂の真相 日本の雑誌』175頁
 何もかも愚劣な日本のスポーツ界にあって、まるで文春ナンバーにだけは「スポーツを語る良心の泉」が、滾々(こんこん)と湧き出でている……かのような絶賛である。そして、ここで私たちは意外な人物の名前を目にすることになる。
 スポーツを見ることの快楽とは――などと大口を叩くのは任ではない。そのいかなるものであるかについては、たとえば玉木正之の諸論考をぜひとも参照していただきたい〔!〕が、ようするにスポーツ選手がグラウンドで実感している快楽を、ファンがスタンドでいかに共有するか……〔以下略〕

『別冊 噂の真相 日本の雑誌』175頁
 泥沼の泥に染まらぬ蓮(ハス)の花のごとき文春ナンバー、その中でも花の蜜のごとき象徴として、玉木正之氏のスポーツ評論が称揚されているのである。

海のあなたの空遠く,スポーツの「幸い」住むと人のいう
 そないなわけおまへんのや(爆)

 それにしても「快楽」みたいな気持ち悪い単語が連発しては、体中がムズ痒(かゆ)くなりますね。当時=1990年前後、こういうスポーツ評論が流行っていたのです。つまり、スポーツの本質は「勝負」ではない。「遊び」である。「快楽」である。

 だから、勝ち負けに執着するのは愚の骨頂……みたいな風潮がスポーツ論壇にあった。文学・思想方面の蓮實重彦(草野進)の一連の野球評論や、スポーツ学で有名な中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』などの著作は、そんな風潮の形成に一役買っていた。

 そこに、スポーツライターを名乗りながら、文学・思想方面やアカデミズムにコンプレックスがあり、己がスポーツライターであることに自信が持てない玉木正之氏は、スポーツにおける「遊び」という本質やら「快楽」やらを、さかんに発信していたのである。

 この時代の気分を表した代表的著作に、玉木氏とロバート・ホワイティング氏の共著『ベースボールと野球道』(1991年)がある。日本人が大好きな「野球」、しかし、それはアメリカの「ベースボール」とは全く違う。

 日本の野球(プロ野球や高校野球など)は糞だが、アメリカのベースボール(メジャーリーグ,MLB,大リーグ)は素晴らしい。海のあなたの空遠く、スポーツの「幸い」住む……とナイーブに信じられていたのである。

文春ナンバー的スポーツ観の幻惑と裏切り
 そないなわけおまへんのや(爆)

 実際に日本人選手がMLBに移籍したり、スポーツメディアが多様化したり、サッカー人気の台頭したりして、沢山の国々のスポーツ文化が知れわたるようになると、『ベースボールと野球道』のような日米野球比較文化論には、話の嘘や誇張や歪曲が多いことが分かってきた。

 特に梅田香子氏は、『ベースボールと野球道』のことを、事実誤認の多い「ジョークの羅列」だと一刀両断している。
  •  参照:広尾晃氏の知的怠惰を問う~玉木とホワイティング『ベースボールと野球道』をめぐって(2020年04月19日)
  •  参照:炎上野球ブロガー #広尾晃 氏の元ネタ(?)としての『ベースボールと野球道』(2020年05月02日)
 禁欲的で「苦行」に満ちた従前の日本のスポーツに対して、アンチテーゼとして「快楽」を代表するものとして、前掲の『別冊 噂の真相 日本の雑誌』でも名前が挙げられていた「神戸製鋼ラグビー」。

 なかんずく、その中心にいた平尾誠二氏(故人)。その思想ゆえに、ラグビーの国際試合における勝ち負けの意義を理解できず、1995年と1999年のラグビーW杯で日本代表(ジャパン)を大惨敗させてしまう。その平尾誠二と近しい関係にあった玉木正之氏もまた、その大惨敗の意味するところを理解できず、ふやけた話しか書けなくなった。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12T


ラグビー百年問題―W杯の惨劇を検証する
日本ラグビー狂会
双葉社
2000-01T


 結果、日本ラグビーは20年余り低迷してしまうが、この件で玉木正之氏は、美土路昭一氏や永田洋光氏などといった、多くのラグビージャーナリストの反感を買った。藤島大氏は「(玉木正之氏は)文芸評論家・蓮實重彦の〈ゲームそのものの美こそが絶対〉という言葉をナイーブに鵜呑みにした」が、しかし「勝敗を争うこと自体が悪なのではなく,勝利の求め方が拙いだけだ」と、『スポーツ発熱地図』の中で遠回しに揶揄している。

スポーツ発熱地図
藤島 大
ポプラ社
2005-01T


 また、スポーツライターの武田薫氏は、オペラの評論も書く玉木正之氏のことを「歌うことが好き=遊び=なだけ,楽しい=快楽=だけで一流になったオペラ歌手など,どこにいるのか?」と皮肉っている(正確な出典は失念したが『ホームラン』という野球専門誌に書いていた)。

文春ナンバーの「ナルシズム」を『噂の真相』で再現しただけ
 昔から文春ナンバーは、肯定的な評価の一方で「自己陶酔とナルシズム,ポエムとメルヘン,内輪ウケが激しい」という否定的な評価もあった。文春ナンバーのそんな精神文化の土壌から、1990年代後半、金子達仁氏のような人がスポーツジャーナリズムのスターダムに載ってしまうのである。

ニッポンはどうすれば勝てるのか?
金子 達仁
アスペクト
2009-01-23


 それはともかく、一面的な絶賛だけでは、読者は文春ナンバーへのリテラシーが身に付かない。『噂の真相』は文春ナンバーのレビュー筆者の人選を誤ったし、匿名の文春ナンバーのレビュー筆者は、文春ナンバーの「ナルシズム,内輪ウケ」の文化を『別冊 噂の真相 日本の雑誌』で再現しただけである。

 ところで、この匿名の文春ナンバーのレビュー筆者の正体は誰だろうか?

 当ブログは、当時、文春ナンバーで書評・ブックガイドのコラムを担当していた武田徹(たけだ・とおる)氏(ジャーナリスト,評論家,メディア学)ではないかと邪推している。さしたる根拠はないが、文体でそのように想像している。

 間違っていたらゴメンナサイ……だが、武田徹氏は、その文春ナンバーで日本の野球、日本のスポーツに関しておかしなことを書いていたので、いずれ取り上げたい。

 乞うご期待。

(了)




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