スポーツの政治利用をタブー視した理由とは?
昨今の米国で深刻化している黒人差別反対運動(Black Lives Matter=BLM)。その「BLMにスポーツの場において共感・賛同しない日本・日本人は〈世界〉の中で後れをとっている」式の発言をしているのが、例の広尾晃氏である。
日本の国では「アスリートが政治的発言をするのは良くない」という、西側自由主義圏では極めて特殊な観念が大きくのさばっている。
最近ますます劣化が激しい広尾晃氏ごときに、日本をひとまとめにされて「劣化が激しい」などと否定される云(い)われもないと思うが。ともかく、氏に発言のように「アスリートが政治的発言をするのは良くない」という観念は、もともと日本独自のものではない。
「アスリートの政治的発言・主張・行動」と言えば有名なのが、米国内で黒人の公民権運動が激化していた1968年、同年メキシコ五輪陸上男子200メートルの表彰式で抗議行動に出た米国黒人選手2名がすぐさま選手村を追放され、米国選手団からも外された「ブラックパワーサリュート」事件である。
BLMの勃興と激化で、最近「ブラックパワーサリュート」事件が再脚光・再評価され、神話化すらしているが、なぜ、この米国の黒人選手2名がメキシコ五輪から追放されたのか? なぜ、アスリートが競技の場で政治的発言・主張・行動をしてはいけなかったのか?
「そこには,〔東西〕冷戦時代〔=米ソ対立〕の真っただ中でスポーツを政治や思想から切り離そうという共通認識が存在していた」からだったと説明してくれたのが、スポーツライターの武田薫氏であった。ようやくこれで納得した。
一方、最近「ブラックパワーサリュート」の神話化に掉(さお)差している人に、カルチュラルスタディーズ系スポーツ社会学者の山本敦久氏(成城大学教授)がいる。
氏の著作『ポスト・スポーツの時代』で、アスリートの政治的主張について論じた「第5章 批判的ポスト・スポーツの系譜~抵抗するアスリートと〈ソーシャル〉の可能性」には、そうした東西冷戦時代という時代的・社会的背景という話は、全く出てこない。
山本敦久氏は、「ブラックパワーサリュート」の当事者トミー・スミスとジョン・カーロス(あるいは2人に同調した白人豪州人選手ピーター・ノーマン)、あるいは彼らに倣(なら)ったコリン・キャパニック(アメリカンフットボール,元NFL)や大坂なおみといった、昨今の政治的主張をする黒人アスリートを、ただただ肯定するばかりである。
もっとも、山本敦久氏にとってスポーツ社会学とは「学問」というより「思想」であり、カルチュラルスタディーズ(カルスタ)とは、多分に「思想」や政治的アジテーションを含めて語るアカデミズムの一流派なのだから、かえって説明が片手落ちになるのかもしれない(それにしても,あれではどっちが「学者」の解説なのかよく分からない)。
「白人」が黒人アスリートの発言力を強めた皮肉
今になって、政治的主張をするアスリートが目立つようになったのは何故なのか? 山本敦久氏ならば「彼ら彼女らは,権力や資本主義による支配と戦い,抵抗を表現し,声を挙げることに目覚めた」……とでも言うのかもしれない。全く別の見方を武田薫氏は「日刊ゲンダイ電子版」で展開している。
大坂なおみ選手のBLMアピールの行動は、その是非はともかく、これまでの常識ではスポーツの政治利用ということになる。世界にはあらゆる差別があり、(あからさまなレイシストでもない限り)人種差別を肯定する人はいない。ただ、BLMに限ればかなりの米国固有の事情で、アジアや日本での理解には限界がある。
ちょっと脇道にそれるが、BLMは他の欧米諸国の人(例えば英国人ジャーナリストのコリン・ジョイス氏)ですら違和感を感じるものらしい。
話を戻して、プロスポーツは(ある意味で)人種差別の舞台ではない。むしろ黒人がマジョリティーである。NBA(米国プロバスケットボール)では8割、NFL(米国プロアメリカンフットボール)では7割、マラソンではトップ100の9割を黒人を占める。黒人アスリートなしでは、現代の世界のスポーツ文化は成立しない。
また、大坂なおみ選手をはじめ黒人アスリートの抗議行動は、現在のスポーツが持つ発信力に由来する。その源泉は、1980年代、スポーツやオリンピックにおけるアマチュア/プロフェッショナルの垣根を取り払い、アスリートのプロ化、スポーツの国際化・興行化を進め、競技レベルを飛躍的に向上させたIOC≒オリンピック・ムーブメントである。<1>
つまり、黒人アスリートの発言力が強まったのは、スポーツや世界の「権力」や「資本主義」を牛耳る「白人」の側の働きかけの結末だったとというのだ。これは皮肉だ。山本敦久氏は複雑な思いを抱くかもしれないが、両者は糾(あざな)える縄のような関係でもあるのだ(いったい,どっちが「学者」なのか分からないですね)。
とにかく山本敦久氏がイデオロギー的な視点から黒人アスリートの言動を語っているのに対し、武田薫氏は世界スポーツの政治的・経済的・構造的要因を語っている。
ただし、大坂なおみが訴える人種差別問題〔BLM〕は根深く、歴史的かつ構造的で、プロ化を下支えした白人による資本主義さえ否定しかねない。どう落とし前をつけるか。コロナによる中断は新たな火種を持ち込んだ。武田薫「大坂なおみの行動はスポーツの政治利用で五輪プロ化の帰結」
本当に、どう落としどころ(落とし前)を持っていくのか? 例えば、2021年開催予定の東京オリンピック2020では、どうするのか?
例えば、開会式のオリンピック宣誓の文言にアンチレイシズム(反人種差別)を盛り込むとか、サッカーFIFAの世界大会でやっているように、試合前に選手の代表者にアンチレイシズムを呼びかけるスピーチをするとか。その上で、選手独自の行動は慎むようにさせるとか。
浅学非才な素人には、この程度しか思い浮かばない。巷間にはもっといい知恵があるのだろうけれども。そんなこと以前に、やっぱりコロナ禍で東京オリンピック2020は開催できないのではないかと思うが……。
(了)
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