スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

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戦前日本のスポーツ人気は「ラグビー>サッカー」だった!?
 度し難いほど人種主義的な自虐的日本サッカー観の持ち主である佐山一郎氏には、その定番ネタとも呼ぶべき、いくつかのパターンが存在する。

佐山一郎氏(ホームラン1991年2月号)
【佐山一郎氏.@『ホームラン』1991年2月号】

 今回のテーマは、そのひとつ「戦前の日本サッカーは,東京六大学野球や大相撲はもちろん,大学ラグビーにすら人気で劣っていた.それが証拠に当時のモダン雑誌『新青年』には,他のスポーツと比して,サッカーの話題がほとんど載っていない!」というものである。

 その代表例が、サッカー日本代表がW杯本大会に出場した年、朝日新聞社の月刊誌『論座』1998年9月号に掲載され、後に佐山氏の単行本『サッカー細見』に収録された「極私的ワールドカップ報告」からの抜粋である。
 なぜ日本代表は〔1998年フランスW杯その他で〕勝てないのかを考えることはむろん大切だが、決定的に欠けているのは、なぜ日本人の多くがこれまでサッカーを必要としてこなかったかの考察である。それはパックス・アメリカーナの傘という角度や地理的条件〔島国ニッポン?〕だけで語りきれるものでもないような気がする。おそらくは〔日本人の〕深層というところで何かしらの反発が受容の妨げになってきたに違いない〔日本人サッカー不向き論〕。ラグビー、野球、オリンピックでの成功を頻繁にとりあげた戦前のモダン雑誌『新青年』がまったくといっていよいほど、サッカーに興味を示さなかったことも気になる。わずかに裏表紙の明治チョコレートの広告のさし絵として登場するだけというのも不可思議である。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 これだけでも佐山一郎氏の自虐的日本サッカー観が全開、かつツッコミどころ満載だ。それは追い追い展開するとして、まず、ひとつだけ寄り道して採り上げる。

 引用文中に「パックス・アメリカーナ」とある。だが、ウィキペディアには「パクス・アメリカーナ」(ママ)の始まりは、早く見ても第一次世界大戦終結(1918年=大正7)の後とある。日本において、野球がサッカーやラグビーに先んじて人気が出始めた時期は、1877年(明治10)頃から1887年(明治20)頃にかけてである。

 すなわち、日本における野球の隆盛は「パックス・アメリカーナ」の影響ではない。「大日本帝国」自身の「選択」である。しかも、これは平岡熈(ひらおか・ひろし)や、それを継承した正岡子規といった人たちの、野球の普及・啓蒙活動の成果であって、日本人の「深層」とそのスポーツ種目との相性の問題ではない。

『新青年』と『ナンバー』でたどれる戦前・戦後の日本スポーツ事情
 あらためて、佐山氏が度々採り上げる『新青年』という雑誌の性格について、ウィキペディアの記事を参考に確認しておく。
新青年(日本)
 『新青年』(しんせいねん)は、1920年に創刊され、1950年まで続いた日本の雑誌。

 1920年代から1930年代に流行したモダニズムの代表的な雑誌の一つであり、「都会的雑誌」として都市部のインテリ青年層の間で人気を博した。

 現代小説から時代小説まで、さらには映画・演芸・スポーツなどのさまざまな話題を掲載した娯楽総合雑誌であった。

ウィキペディア「新青年(日本)」より抜粋(2019年2月17日閲覧)
 同じくウィキペディアには、現在『新青年』誌の商標権を保有しているのが佐山一郎氏だと記してある。だから、この雑誌への言及が多いのだ。

 ところで、文藝春秋のスポーツ雑誌『ナンバー』の、創刊(1980年)以来の歴代バックナンバーの表紙と目次がインターネットで公開されている。これをたどれば、1980年以降の日本のスポーツ事情を大まかに理解することができる(下記リンク先参照)。
 同様に『新青年』誌の内容をたどっていけば、戦前日本のスポーツ事情が大まかに理解できようというのである。

都会派モダン雑誌『新青年』に見放されたサッカー
 戦前の日本スポーツでは、サッカーよりラグビーの方が人気があったらしいこと。それが証拠に、戦前の雑誌『新青年』では、野球やラグビーを大きく扱ってもサッカーには冷淡だったこと。この2点に、佐山一郎氏は固執してきた。以下、実例を引用していく。

 当ブログが集め確認できた資料のうち、佐山一郎氏がこの問題に触れた最も古いテキストは、野球専門誌『ホームラン』(日本スポーツ出版社)1991年2月号の「それでも野球は王様だ!」である。
『ホームラン』1992年2月号(2)

 あまり言いたくないのだが、〔19〕60年代半ばから10年余り続いた杉山-釜本人気だけが、突然変異で、戦前からサッカーは、相撲、六大学野球、大学ラグビーなどに比べて人気の面ではるかに劣っていた。つかこうへい〔劇作家,演出家,小説家〕さんがいつか書いていたように、ちょっとうつむいているうちに1点だけ入って、それっきりみたいな狩猟民族のための非物見遊山的競技〔=サッカー〕は日本人には合わない。〔以下省略〕

佐山一郎「それでも野球は王様だ!」@『ホームラン』1991年2月号より
 戦前から日本サッカーの人気がなかったことと、日本人の国民性・民族性・文化・歴史・精神・伝統等々と「サッカー」との相性が極めて悪いこと、この2つを結び付ける主張(日本人サッカー不向き論)は、『サッカー細見』と同様、佐山氏において一貫している。

 次いで、1993年刊の『Jリーグよ!』巻末(165~237頁)の「私家版 サッカー全史~日本サッカーvs.世界+世相」という、73頁にも及ぶ長い長い年表である。

 この年表は、著書の中で断っているが(237頁)、佐山氏が尊敬し、自身のサッカーライティングで参考にしたという、村松友視氏の名著『私、プロレスの味方です』。その巻末に掲載された、個人史と世相史とプロレス史を重ね合わせる体裁の年表を参考にしたものだ(引用「私家版 サッカー全史」掲載写真の特に左下を参照されたい)。
佐山一郎『Jリーグよ!』166~167頁

〔19〕20〔年=大正9〕|「新青年」創刊(■他競技〔野球,相撲,ラグビーなど〕と比べてサッカーの扱いは著しく少なかった。Why?)

佐山一郎「私家版 サッカー全史」@『Jリーグよ!』166~167頁より

Jリーグよ!―サッカー めざめの年に
佐山 一郎
オプトコミュニケーションズ
1993-12


 そして、サッカーライティングからの引退を宣言している佐山一郎氏が、その有終と位置付けた著作、2018年刊の『日本サッカー辛航紀~愛と憎しみの100年史』である。
 戦前の大学ラグビーは、半ばプロ化していた東京六大学野球の比ではなかったが、大衆のウケはよかった。ラグビーには、サッカーにはない相撲のぶちかましの要素〔?〕がある。戦前人気を博した都会派モダン雑誌「新青年」のスポーツ関連記事を調べて驚いたのは、サッカーに関するものがまるで見当たらないことだ。編輯〔へんしゅう〕部員の好き嫌いの問題だけでもなさそうだった。

佐山一郎『日本サッカー辛航紀』31~32頁

 余談だが文藝春秋のスポーツ専門誌『ナンバー』は、Jリーグ以前の1980年代、本当に「編輯〔へんしゅう〕部員の好き嫌いの問題」で、当時ブームにあったラグビーに熱烈に肩入れし、サッカーは(たとえ,それがW杯であっても)半ば差別的に扱っていた(後述)。

 その頃、日本の大学ラグビーの強豪校は、早稲田・慶應義塾・明治または関西の同志社といった伝統校。これらの大学出身のマスコミ人たちが、嬉しがってラグビーブームを過剰に囃(はや)し立てているのではないか……と、サッカーファンでもある小説家・村上龍氏が嫌味っぽく邪推していたのを、つい、思い出した。

サッカーより「日本人」の感性にかなっているラグビー?
 佐山一郎氏曰く、戦前のモダン雑誌『新青年』では、他のスポーツに比してサッカーはほとんど採り上げられなかった。それを読む限り、戦前の日本では、サッカーよりラグビーの方が人気があった。

 それでも、戦後、1960年代に入って「突然変異」的に勃興し、1968年メキシコ五輪で銅メダルを獲得した日本サッカー。しかし、1970年代に入って急速に失速・低迷していくと、ラグビーの方が、入れ替わるように人気スポーツになっていった。
  • プロフェッショナル化や商業主義を拒んだ、清廉な「アマチュアリズム」。
  • 選手権、なかんずく世界選手権(W杯)の開催を忌避し、誰がいちばん強いか? ……よりも、どちらが強いか? ……という価値観に拘(こだわ)った「対抗戦思想」。
  • 試合が終了すれば、敵・味方、勝った側(side)も負けた側(side)も無くなり、対戦相手の垣根を越えて、互いの健闘を称え会う「ノーサイド(no side)の精神」。
  • 英国伝統のオックスフォード大学vsケンブリッジ大学の定期戦に範をとった、毎年同じ日程で開催される、早慶戦・早明戦といった「伝統の一戦」。
  • 慶應義塾・同志社・早稲田・明治といった、競技の実力においても強豪校であり、新興校の安易な追随を許さない「伝統校」。
  • 接近・展開・連続の理念で知られ、海外の強豪との試合で日本のチームが肉迫してみせた、日本独自のプレースタイル「大西鐡之祐理論」。



 ……これら「紳士のスポーツとしてのラグビー文化」は、佐山氏の言う「相撲のぶちかましの要素」(?)だけでなく、同じフットボールでも、サッカーよりもラグビーの方が「日本人」の感性にかなっていると信じられた要素だった。

 しかも、「紳士のスポーツとしてのラグビー文化」には、戦前からの「連続」がある。佐山氏の言う『新青年』誌に表れた(サッカーに優越した)ラグビー人気と、1970年代に始まり、80年代に頂点に達し、90年代初めまで続いた、かつ文春『ナンバー』が煽った(サッカーに優越した)ラグビー人気との間には「共通項」があるのだ。

サッカーは日本人に受け入れられない!?
 翻(ひるがえ)って、サッカーはいかに?

 佐山一郎氏は、「ビートルズを観ない夜」@『闘技場の人』の中で、1966年頃の話として「サッカーの受容のかたちとしても,今〔1991年当時〕のラグビーフットボールに似た〈紳士のスポーツ〉というふうな初心〔うぶ〕なとらえ方だったと思う」と回顧している。

 その後、サッカーについて啓蒙されていくにしたがって、同じフットボールでも、ラグビーとは対照的な価値観を持ったスポーツであると、しだいに認識されるようになった。
  • オリンピックで称揚されたアマチュアリズムの限界を早々と見切り、プロフェッショナリズムを受け入れ、世界的な人気スポーツとして発展してきた。
  • 国際サッカー連盟も、各国のサッカー協会も、北米生まれのスポーツ(野球など)とも違い、プロ・アマともに統括する。
  • 21世紀では全くの死語であるが、日本ではサッカーW杯のことを「プロもアマも一緒に出場できる大会」だと言われていた。
  • 世界で最も人気のあるスポーツがサッカーであり、かつ世界中のほとんどの国で随一の熱狂的な人気を誇るのがサッカーである。
  • 各国の代表チームによる世界選手権=サッカーW杯は、ゆえにオリンピックをも凌ぐ世界最大のスポーツイベントである。
  • サッカーW杯に出場する各国(代表チーム)のプレースタイルは、それぞれの国の国民性や文化などの「お国柄」を反映したものであり、他のスポーツにはないサッカーの、なかんずくW杯の人気や面白さは、そこにある。
  • 世界各国の文化的な価値観を反映するのがサッカーだから、そこにはスポーツマンシップのみならず、ゲームズマンシップも顔を見せる。しかし、そんな清濁をも併せ呑む懐の深さがサッカーの特徴である。
  • サッカーでは、ファンが熱狂するあまり死人が出る。

The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


 しかし、ラグビーとは違い、これら「世界大衆のスポーツとしてのサッカー文化」は、日本ではなかなか受け入れられなかった。

 1970年代から80年代にかけて、日本のサッカーは、世界の潮流とは遠く離れ、国内ではマスメディアや一般のスポーツファンへの訴求力に乏しく、長い低迷に迷い込んでいた。
  • もともと日本においては、サッカーは歴史的に後発のスポーツであり、人気などで野球に先行され、ラグビーにも差を付けられていた。
  • 1968年メキシコ五輪で3位入賞(銅メダル)以降、サッカー日本代表が弱体化してしまった。W杯・五輪のアジア予選で敗退を続け、来日する欧州・南米のクラブチームにも惨敗を繰り返した。
  • 日本のサッカー選手の技術レベルも低く、魅力的なサッカーを展開できなかった。
  • Jリーグ以前の日本サッカーリーグは「地域に根差していない企業チーム」であり、一般のスポーツファンが感情移入しにくいものであり、不人気だった。
  • 日本サッカーは「プロ化」という懸案を抱えていたが、以上のような理由で、日本スポーツ界のアマチュアリズムを克服することが出来ず、これに前進することができなかった。

『ホームラン』1992年2月号(2)
【Jリーグ以前の日本サッカーの光景@『ホームラン』1991年2月号】
 だから、佐山一郎氏や村上龍氏のように「サッカーの面白さは,日本人には理解できない.日本代表は強くならないし,日本サッカーの人気も出ない」という、サッカー関係者が沢山いた。

みにくいアヒルの子「サッカー」?
 ラグビー推しの文春『ナンバー』の表紙を、初めてサッカーが飾ったのは、1984年、元日本代表、メキシコ五輪銅メダリスト、同大会得点王の釜本邦茂の引退特集だった。佐山一郎氏は、この時の内部事情を『日本サッカー辛航紀』に著(あらわ)してある。
 同年〔1984年〕八月二五日土曜夜に不世出のストライカー釜本邦茂の引退試合が、六万二〇〇〇人で満員の国立競技場で行われた。〔中略〕

 この引退試合は「スポーツ・グラフィック・ナンバー」(文藝春秋)が表紙にサッカー選手を登場させた最初の号だった。八四年九月五日発売の当該号は、創刊から丸四年が経つ一〇七号、刷り部数も相当に慎重どころか、最小レベルに抑えたという。

佐山一郎『日本サッカー辛航紀』136~137頁



 実際、この時の釜本引退特集・日本サッカー特集は、当時の日本サッカーの低迷した状況にあって、売れなかったとされる。

 もっとも、当時の読者だった、あるオールドサッカーファンに言わせると……。
 「あの特集は,結局,サッカーファンならみんな知っている,メキシコ五輪の思い出話にすぎなかった.

 『ナンバー』は,あの頃,日本サッカーの長年の懸案になっていた〈プロ化〉問題や、弱体の日本代表をはじめ、低迷する日本サッカーをどうするか……といった問題に果敢に斬り込んでいく感じがしなかった.

 あれでは、普通のあの雑誌の読者はもちろん,当のサッカーファンにも食いつきが悪かっただろう」
 ……とのことであった。

 とにかく文春『ナンバー』編集部は、これでサッカーは売れないと思ったらしく、1986年のメキシコW杯も、半ば黙殺の扱いをする。


 一方、翌1987年の第1回ラグビーW杯では、文春『ナンバー』は別冊を組んで特集した(上記リンク先から「1987年」までたどってください)。ずいぶんと露骨に待遇が違うものである。当時の感覚でいっても、W杯ではラグビーよりサッカーの方が、マスコミの関心度も高かったはずなのだが。

 『ナンバー』は、マイナースポーツだから採り上げないというワケでは、必ずしもない。1980年代当時、暴走族と同一視されていたモータースポーツ(四輪,二輪とも.上記ツイッター参照)を、『ナンバー』は積極的に特集し、後のブームの一翼を担っている。しかし、サッカーに関しては、Jリーグ以前に先行して採り上げたという印象は薄い。

 要は『ナンバー』編集部に、サッカーに思い入れのある「編輯〔へんしゅう〕部員」がいれば、少しは状況が違っていたのではないか? あるいは、当時『ナンバー』のサッカーライターの一番手は佐山一郎氏だったが、心情的に屈折に屈折を重ねた佐山氏ではなく、例えば、故富樫洋一氏だったら、少しは状況が違っていたのではないか?

ブームの後遺症に苦しんだ日本ラグビー
 しかしながら、佐山一郎氏は、かつてラグビー人気でサッカーに優越できた「要因」そのものが、後にラグビーを低迷させた「要因」に転じたことを理解しているのだろうか。日本のラグビーは、長年にわたるラグビーブームの「後遺症」に苦しんだのである。

 すべてのキッカケは、1987年に始まったラグビーW杯だった。ラグビーが世界化するにしたがい、ラグビーというスポーツの在り方大きく変容した。「紳士のスポーツとしてのラグビー文化」も、その真実と虚構の違いも分かってきた。

 世界選手権(W杯)の浸透によって「対抗戦思想」は後退した。また、やせ我慢の「アマチュアリズム」も限界に達しており、1995年南アフリカW杯は事実上プロフェッショナルによる大会となっていた。大会直後、国際ラグビー評議会は(現ワールドラグビー)、ラグビーのアマチュア規定を撤廃。プロ化と商業主義に大きく舵を切った。

 日本のチームでプレーした海外の世界クラスの選手によって、「ノーサイド(no side)」という言葉が、英語圏諸国では半ば死語になっていることが明らかになった。むろん、ラグビーには特徴的なスポーツマンシップがある。しかし、他のスポーツと同じく、ゲームズマンシップも存在し、両者のバランスの上で成立していることが分かった。

 オックスフォード大学も、ケンブリッジ大学も、両校が対戦する「伝統の一戦」以外は、ラグビープレミアリーグの2軍クラスとレギュラーシーズンの試合を、それぞれ独自に組んでいる。これは、どこのカンファレンスにも所属していない、アメフトのノートルダム大学に近いもので、つまり、ラグビーの本場・英国には、日本でいうところの〈大学ラグビー〉が、実は存在しない!?

 日本のラグビーは、こうした世界の潮流から孤立し、あるいは引き離されて、没落した。それは、日本代表の1995年W杯の大惨敗、99年W杯の惨敗として現れる。日本のラグビーファンは「それでも,大学ラグビーの早明戦は面白いんだから……」という方向で逃げたというが、それも以前のような集客はできなくなっていった。

 これは、巨視的には、日本ラグビー界が初心(うぶ)に信じていた「紳士のスポーツとしてのラグビー文化」が足枷になっている。より具体的には、日本ラグビー界に特徴的な大学や大手企業のラグビー部が担い手なった「アマチュアリズム」の限界である(下記リンク先の著作を参照)。

ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


 早慶戦・早明戦といった「伝統校」による「伝統の一戦」の固定的な日程は、レギュラーシーズンを長引かせ、日本代表の強化の時間が確保できないと批判された**。選手のフィジカルフィットネスの劇的に向上によって、純粋な「大西鐡之祐理論」だけで、日本のラグビーは海外の強豪と渡り合っていけないことも分かってきた

 こうした条件を乗り越えて、日本ラグビーが活気を取り戻すのは、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ=監督)率いる日本代表が、2015年ラグビーW杯で活躍するまで待たなければならない。

東京高師のサッカーと慶應義塾のラグビーの違い
 戦前の日本では、サッカーよりラグビーの方が人気があった。こう言われても、当ブログに反駁するだけの材料はない。この件に関して、個人的に日本のサッカー史・ラグビー史を調べてみても、理由はよく分からなかった。もっとも、佐山一郎氏は「日本人・日本文化とサッカーというスポーツの相性の悪さ」を主張したいのだろうが。

 一方、それなりに理解できたこともある。

 よく言われる、明治初年の海軍兵学寮(海軍兵学校の前身)や工部大学校(東大工学部の前身)に伝えられたフットボール***というのは、その後の日本で展開されるサッカーとは、直接つながっていない。これらの系譜は、後が続かず途絶えている。

 現在の日本サッカーの直接の起源は、東京高等師範学校(東京高師,筑波大学の前身)で、海軍兵学寮や工部大学校よりも少し遅れて始まったもの。今ある日本のサッカーは、全部その「血脈」(仏教用語で「けちみゃく」と読む)である。


 一方、現在の日本ラグビーの起源は、1899年(明治32)に慶應義塾で始まったことが定説となっている。

 東京高師のサッカー、慶應義塾のラグビー。どちらもエリート校であるが、この違いは全国の普及度、競技人口の差となった。

 師範学校とは、要するに学校の先生(教師)を要請する高等教育機関である。東京高師~筑波大学のOBたちは、教師として赴任した全国の学校(旧制中学など)でサッカー部を創ることを自らの使命とした……。実際、以前の筑波大学蹴球部(サッカー部)の公式ウェブサイトには、こんなことが書かれてあった。

 対して、慶應義塾のOBには、あくまでイメージであるが、草深き田舎に仕(つかまつ)ってまで、ラグビーの普及に勤(いそし)しむというイメージが涌(わ)かない。そのためか、21世紀の現在では、県単位でラグビーの存続も危うい地方もあるほどだ。

 明治・大正・昭和戦前このかた、日本においてサッカーはラグビーに競技人口で差が付けられたことはない。そして、人気で野球に差が付けられたにもかかわらず、サッカーは、ラグビーその他の球技に優越して全国的な普及を果たすことが出来た。

 これは、後代のJリーグの創設に大きな意味を持って来る。

 もっとも、佐山氏は、競技人口うんぬん関係なしに「日本人・日本文化とサッカーというスポーツの相性の悪さ」を主張したいのだろうが。

あらためて,佐山一郎氏は村松友視氏から何を学んだのか?
 「村松友視さんが昔,『私、プロレスの味方です』を中央公論社の編集者時代に書いていましたけど,ああいうスタンスが理想というか出発点だったんです」……と、佐山一郎氏は、とあるインタビューで述べている(下記リンク先参照)。しかし、それは本当だろうか?


 本当に「プロレスの味方」村松友視氏を師匠筋とするならば、「自競技のみならず,日本のスポーツ界を刷新するべく起ち上げたのがJリーグなのだから,過去にサッカー人気がなかったとか,サッカーよりラグビーの方が人気あったなどという些末な〈伝統〉など関係ない」と居直ってみせるのが、真の村松友視流である(下記リンク先参照)。


 村松氏が「サッカー者(もの)」と名乗ったのに倣(なら)い、「サッカー者(もの)」と名乗ってみたり。村松氏の、個人史とプロレス史と世相史を重ねた年表(前掲の引用部分参照)を真似てみたり……。

 ……いろいろ見ていくと、佐山氏は村松氏の表面的な部分は模倣しているが、より本質的な部分を見習っていない。すなわち、プロレス(サッカー)を冷笑視する圧倒的多数の「世間」と対峙して、プロレス(サッカー)の価値を言いつのるという村松氏の意気地が、佐山氏には見られない。

アリと猪木のものがたり
村松 友視
河出書房新社
2017-11-20


 村松氏の言う「殺気」や「凄味」が、佐山氏のサッカー評論にはないのだ。

 あらためて、佐山一郎氏は、村松友視氏からいったい何を学んだというのだろうか。

(了)



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日本代表は1995年ラグビーW杯並みの大惨敗を喫するかもしれない?
 秘かに恐れているサッカーW杯ロシア大会最悪の予想は、1995年ラグビーW杯の日本vsニュージーランド戦、ジャパンがオールブラックスに145失点(!)した時のような形で、サッカー日本代表が大惨敗すること。この試合「ブルームフォンテーンの悪夢」の悲惨さは、2014年ブラジルW杯「ミネイロンの惨劇」よりもさら上回る。
ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームフォンテーンの悪夢】

 こんな結末に至った裏事情は、日本ラグビー狂会編『ラグビー黒書』に詳しい(編者の中尾亘孝=なかお・のぶたか=は反サッカー主義者だし大嫌いだが,これだけの本をサッカージャーナリズムで出せるだろうか?)。
ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12

 サッカーだと普通はそこまでならないし、風紀が紊乱して二日酔いになって練習場で嘔吐していた増保輝則のような選手もさすがにいない。しかし、腐ったミカンは存在する。

 ここから日本のラグビーが立ち直る……2015年W杯でジャパンが世界クラスの強豪・南アフリカを破った番狂わせ「ブライトンの奇跡」を起こすまで、実に20年かかった。

 杞憂で終わってほしいです。

日本は無理して勝たなくていいよ.そのためにハリルを更迭したんだから…
 いずれにせよ、日本代表が惨敗するだろうことを前提として話をするが、W杯本大会ではどんな弱小国でも1次リーグで3試合できる(少なくとも2022年カタール大会までは)。

 想像するに、ビジネス的観点からすると、それだけ試合ができれば、わざわざ日本代表が勝たなくとも、十分儲けられる。

 日本代表のスポンサー企業にとっては、日本が勝つことよりも、本田圭佑や香川真司といったスポンサー企業にとって重要な選手がW杯に出場することが大事。そのためにハリルを更迭したんだから。そして、日本が負け続けても、マスコミやスポンサーのCMではその3試合を徹底的に煽り倒すだろう。
JFA公式キリン杯広告香川真司_アディダスジャパン_日本航空
【本田圭佑とキリン(上),香川真司とアディダス】

 特に、最終戦となる3試合目は「本田圭佑 最後の戦い」みたいな言葉遣いで煽りまくるだろう。

「日本人ダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」は確実に出る
 日本が3戦全敗&惨敗すると、マスコミやサッカー論壇、ネットでは、「日本人はサッカーがダメダメ論」「自虐的日本サッカー観」で溢(あふ)れかえるだろう。今回は、適当なことを書いているが、これに関してはほとんど確実である。

 だって、この2つは日本が勝っても(1次リーグを突破しても)出るんだから。これまた日本人農耕民族説の固い信奉者である湯浅健二氏みたいに(下記リンク先を参照)。
日本代表はなぜ世界で勝てたのか? (アスキー新書 161)
湯浅 健二
アスキー・メディアワークス
2010-08-07

 少し時間が経つと、「〈日本人がサッカーで弱いのは科学的にも証明されている〉という疑似科学がマスコミに出てくるであろう。ちょうど、2014年ブラジルW杯の3か月後に、テレビ東京系「FOOT×BRAIN」が(疑似科学だと批判されている)中野信子を出演させてしまったように。
FOOT×BRAIN「目からウロコ!脳科学から見るサッカー上達法!」
2014年9月27日
中野信子_サッカー_フットブレイン3
中野信子_サッカー_フットブレイン2
中野信子_サッカー_フットブレイン1
 脳科学の第一人者・中野信子氏をスタジオに迎えて、今回は「日本人はサッカーに向いているのか?」を大きなテーマに、新たな視点からサッカーについて考えます。民族的に欧州、南米、アジアでは何か違うのか? 従来は肉体的な面での差が語られることの多かったこの手の比較に、番組は脳科学の分野からアプローチ。日本人の特性を脳科学の分野から考えると、今までとは全く違ったトレーニング方法がわかるかも…今回も必見です!!

 「民族」どころか「人種」という概念ですら科学的妥当性はないと言われる時代に、日本のサッカー論壇では「〈日本人〉とかいうホモサピエンスの亜種が自然科学的に存在する.この〈亜種〉はなかんずくサッカーの能力が決定的に劣っている」という言説が大手を振ってまかり通っている。
 ロシアW杯では、いい頃合いでツイッターから蒐集したもの、日本人農耕民族説とか日本人論を当ブログで公開、いささかの解説(ツッコミ)をつけて紹介する予定です。

本田派ライターの提灯記事と見苦しい引退パフォーマンス
 サッカー日本代表 が出場するW杯の試合のTV中継では、国際映像の間に、日本のTV局が撮影した独自映像をバンバン挟み込む。ロシアW杯でも本田圭佑や香川真司を執拗にフォーカスするだろう。
 そして、ロシアW杯で日本が惨敗し、いかにマスコミやネットで「日本人はサッカーがダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」で溢れかえろうと、特権的な立場にある本田圭佑だけは、前回2014年ブラジルW杯同様、テフロンで加工した鍋のごとく焦げ付くことはないだろう。

 スターシステムに乗った選手ばかり注目するマスコミ、あるいは本田派のライターたちは、何よりダメだった日本の中で「本田だけは孤軍奮闘」「本田だけは通用していた」みたいな与太話をいろいろ書くのではないか。
この試合、戦っていのは本田圭佑だけだった
【植田路生氏による2014年W杯の本田圭佑幇間(ほうかん)記事】

 2006年ドイツW杯1次リーグ最終戦終了後、中田英寿は引退後のビジネスのプロモーションを兼ねて、醜悪なパフォーマンスを行った。
英紙も酷評した中田英寿2006ドイツW杯での猿芝居
【英紙も酷評したドイツW杯における中田英寿のパフォーマンス】

 今回のロシアW杯を「集大成」と位置付けていると言われる本田圭佑も何か同様のことをやらかすかもしれない。

本田圭佑は再び「海外逃亡」する
 前回のブラジルW杯と同様、日本代表が惨敗したとして、大会後の本田圭佑は他のメンバーとは一緒に日本に帰国せず、記者会見・インタビューに応じることもなく、再び海外に「逃亡」するだろうと予想できる。
サンスポ20140626
スポニチ20140626
【ブラジルW杯のスポーツ紙1面から】

 本田圭佑は好き嫌いがハッキリ分かれる人物だが、この事件は、本田に反感を持つ人たちの感情が「嫌悪」から「憎悪」に変わった瞬間だった。この時に本田が何か真面目にメッセージを発していたら、私的な好き嫌いは別にして、それなりに評価され、反感も少なかったであろう。

 一方で「本田の行動を批判している人がいるが,次のシーズンに備えて,いち早く渡欧するのは当然」などと擁護した、いたいたいけな人がいた。

 甘やかすから、本田圭佑はますます増長する。本田の、こんなワガママ身勝手をJFAが抑えていたら、ハリルホジッチ氏日本代表解任事件もまた、なかったかもしれない。

本田圭佑と辻政信,あるいは「日本人」の失敗の本質
 大言壮語⇒しかし結果が伴わず日本は惨敗⇒責任者なのに日本に帰国せず海外逃亡⇒こっそり帰ってきて再び大言壮語……のサイクル。前回のブラジルW杯から今回のロシアW杯にかけて本田圭佑がとったこの行動は、旧日本軍の大本営陸軍参謀・辻政信に、よく似ている。
辻政信
【辻政信】

 ちなみに、サッカーやラグビーのW杯で日本代表が惨敗すると旧日本軍の『失敗の本質』に譬えるのは、1980年代からある日本のスポーツ評論の定番ネタである。

 例えば、村上龍氏のスポーツコラム(?)集『フィジカル・インテンシティ』なんかがそうである。

 これもまた旧日本軍の話⇒日本型組織論⇒日本文化論・日本人へと話が飛躍し、「日本人はサッカーがダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」へと展開する様子は、少々皮肉なことにいかにも日本的である。

(了)


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 小説家・星野智幸氏のエッセイから、サッカー日本代表がW杯で惨敗するたびに頻出する「日本人ダメダメ論」のパターンを解説します。
星野智幸ポートレート
【星野智幸氏】

文学・思想畑のスポーツ評論
 権威があった頃の昔のスポーツ新聞の記者は、虫明亜呂無(むしあけ・あろむ)の小癪なスポーツ評論など馬鹿にしていたらしい(参照:武田薫「長嶋ジャパンを援護せよ」)。

 しかし、時代が変わり関係は逆転した。文学界・思想界の住人が、時々思い出したかのようにドヤ顔でスポーツの領域に踏み入ってきては、勿体(もったい)づけの激しいスポーツ評論をまき散らす。スポーツ界やスポーツマスコミ、スポーツファンは、それを過剰なまでに有難がる……という風潮が、むしろ当然のようになっている。

 文芸誌『en-taxi〔エンタクシー〕』第42号(扶桑社,坪内祐三ほか責任編集)が2014年に掲載されたサッカー・ブラジルW杯の特集は、そんなドヤ顔企画のひとつだった。タイトルは「[特集]サッカーの詩学~〈ブラジル〉のあとに思うこと」

 どこかで聞いたことがあると思ったら、カルスタ系学者たちの手による『サッカーの詩学と政治学』という本があった。「○○の詩学」……とは、いかにもな命名である。


今福龍太と佐山一郎の悪ノリ
 ご多分にもれず『en-taxi』のブラジルW杯特集のコンテンツは、どれも酷い。
特集「サッカーの詩学」エンタクシー42号
【エンタクシー第42号「特集 サッカーの詩学」の扉】

 今福龍太氏は、例によって、過剰な思い入れ、閉鎖的な美意識、勿体ぶった修辞で、思わず鼻をつまみたくなる、自己陶酔のきつい、批評の形(なり)をした散文詩である(参照:今福龍太「フチボルの女神への帰依を誓おう」,題名からしてナルシズム臭がただよう)。

 佐山一郎氏は、例によって、サッカーにおける「日本人ダメダメ論」「自虐的日本サッカー観」の放埓な佐山ワールドを炸裂(さくれつ)させる(参照:佐山一郎「SANURAIとカナリア、その苦痛へのまなざし」,この「まなざし」自体が翻訳調のインテリ臭い言い回しである)。

 今回、なかんずく俎上(そじょう)に載せるのは小説家・星野智幸氏の「ガーラの祭典」である。

「ガーラの祭典」と招かざる客ニッポン
 ところで「ガーラ」とは何か? 「garra」、スペイン語である。もともとは「爪」を意味する単語だが、スペイン語圏、南米ウルグアイ発祥の「勇敢さと不屈の精神力」を意味する概念として伝えられる。

 日本のサッカーファンには、「ゲルマン魂」と呼ばれたドイツ代表(かつての西ドイツ代表)の驚異的な勝負強さや精神力になぞらえて、「ウルグアイ版ゲルマン魂」として紹介されたことがある。
 星野智幸氏は言う。ブラジル大会を見れば見るほど、W杯が「ガーラの祭典」であることを感じる。ウルグアイのみならず、ブラジル、アルゼンチン、チリ、コロンビア、コスタリカ、メキシコと、名勝負を見せてくれたチームには、皆この「ガーラ」が輝いていた。

 中南米だけでなく、アメリカ合衆国やアフリカのアルジェリア(余談だが,このチームの監督がハリルホジッチ氏だった)なども、私(星野智幸)は「ガーラ」を見た。

 「ガーラ」こそ、サッカーの神髄である。しかし……。

 ……ひるがえって日本代表を思い返すと、最も欠けていたのが「ガーラ」だった。そもそも「ガーラ」を日本語にするのは難しい。ガッツ、気合い、根性、気迫、闘魂等々。どれも、しっくりこない。以下、原文から引用すると……。
 日本でいう根性、気合いといった言葉の裏には、精神主義が張りついている。それは、上からの指示への絶対服従(己を殺せ)と、失敗したときの自己責任論(おまえの根性が足りなかったせいだ)が、もたれ合いながら作られた、体育会系的な価値観だ。

 ガーラは、まず何よりも個人の意志から始まる。集団の力が発揮されるのはその後だ。ガーラを待った者たちが集まり、意志の交換を通じて信頼を築き上げたとき、有機的なチームとなる。勝とうという集団的な熱狂だけで、自分の主体が覚醒していない状態であるならば、どうして状況の変化に個々人が機敏に対応できるだろうか。

 私〔星野〕は日本の初戦、対コートジボワール戦を、現地のスタジアムで観戦した。選手たちに気合いは入っていただろう。でもガーラは発動していない選手が多かった。ガーラを見せていたのは、本田〔圭佑〕と内田〔篤人〕だった。〔中略〕

 日本のサッカー文化の中には、まだガーラが育っていないのだ。それを選手にだけ求めるのは酷というものだ。

 「ガーラ」はサッカーの神髄である。しかし、日本のサッカー、日本のスポーツ、否、体育会的な価値観=精神主義は「ガーラ」とは似て非なるものである。日本のサッカー文化の中には、まだガーラが育っていない。つまり、日本人は「ガーラ」を、すなわちサッカーを理解することができない……。

 また「ガーラ」とは「何よりも個人の意志から始まるもの」である。ひるがえって日本人は「精神主義」と「集団的な熱狂だけで、自分の主体が覚醒していない状態」でしかない。日本のサッカー文化の中には、まだガーラが育っていない。つまり、日本人は「ガーラ」を、すなわちサッカーを理解することができない……。

日本サッカー論壇における「構造主義」
 ……こういう話の持っていき方に既視感(デジャヴ)を覚えたのだとしたら、その読者の感覚はまったく正しい。星野氏は、独自性ある見解を示したのではなく、日本のサッカー論壇の「お作法」に従ってこのエッセイを書いたにすぎないからだ。

 日本のサッカー論壇には「日本的であること,日本人であること」はサッカーというスポーツにとって非常に不適格なことである、という考えが根深くある。反面、サッカー的であるということは、それ自体「日本的ではない」のである。

 日本サッカー界は「日本的=非サッカー的/非日本的=サッカー的」という本質主義と二元論の思想に拘束されている。これは大変な劣等感であり、日本人の自虐的な日本サッカー観の基になっている。つまるところ、サッカーにおける「日本人ダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」である。

 日本のサッカー論壇は、1970~80年代の日本サッカー低迷時代から、この図式にのっとって日本サッカーを自虐的に、かつ飽くことなく論じてきた。そうすることで論者は、サッカーへの理解と批評精神の表明をしたとされてきたのである。

 「ガーラ」なる概念を持ってきた星野氏の「まなざし」は、一読するとユニークに思える。が、その実「日本的=非サッカー的/非日本的=サッカー的」なるものの表象を「ガーラならざるもの/ガーラ」として論じてみせただけである。

 また、もうひとつ星野氏が使った「日本的=集団(的な熱狂)=非サッカー的/非日本的=個人(の意志)=サッカー的」の対比の図式は、日本のサッカー論壇が長年にわたり頻々と多用してきた表象である。

 要するに、星野氏は、サッカー論壇の常套句を、少しばかり目先を変えて書いてみせただけにすぎない。あまりにもベタな展開に、読んでいる方がウンザリさせられる。

反動形成として本田or中田を称揚
 加えるに「日本的であること,日本人であること」への度し難い劣等感の反動形成(?)として、「日本人離れ」している(とされる)日本人サッカー選手への度し難い称揚がある。星野智幸氏の場合は本田圭佑であった(もう1人いるが省略)。

 同様の前例として、村上龍氏や島田雅彦氏と中田英寿の関係がある。
中田英寿(左)と本田圭佑
【中田英寿(左)と本田圭佑】

 村上氏は『フィジカル・インテンシティ』ほか、島田氏は『中田語録』(ただし単行本のみ)に書いた序文「ゴールの向こうに」ほか(参照:島田雅彦vs玉木正之 ドイツW杯特別対談「選手を自由にさせたら高校生になっちゃった」)で、中田英寿をひたすら称揚していた。

中田語録
文藝春秋
1998-05

 こうした太鼓持ちは、サッカー選手への評価として正しくないばかりか、日本サッカーをさまざまな形で歪ませる。それが2006年ドイツW杯や2014年ブラジルW杯での日本代表の惨敗や、2018年のハリルホジッチ氏日本代表監督解任事件の遠因でもある。

サッカー言説の凡庸さについてお話させていただきました
 文学者や思想家といえば、高尚で個性的な視点で、私たちのサッカー観に新鮮な刺激を与えてくれると思いがちだが、大間違いである。陳腐な二元論の思想のテンプレートをなぞり、目先の表象や過剰な思い入れの対象を変えて読者に提供するだけなのである。

 文学者ほどサッカーを語れない。呆れるばかりの凡庸さである。

(了)


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サッカーネーションになれない日本人?
 日本人は、団体戦(チームプレー)が苦手である。反対に1対1の対決に美学を見出す。これは日本人の歴史や国民性,民族性に裏付けられていることである。

 明治の初め、野球やサッカーなど、さまざまなスポーツ(球技)が日本に伝来した。その中で、日本人が最も好んだ球技は野球だった。なぜならば、野球における投手が球を投げ打者がこれを打たんとする一連のプレーに、日本人は1対1の対決の美学を発見したからである。

 翻って、チームプレー(団体戦)の球技であるサッカーの本質や面白さは、日本人には理解できなかった。

 だから、日本人は野球の国になったのである。だから、日本人はサッカーの国になれないのである。サッカー日本代表がワールドカップで勝てないのも(Jリーグの人気がパッとしないのも?)、すべてはこうした日本人の国民性が深く関わっているのである……。

 ……と、いうスポーツライター玉木正之氏の長年の持論「1対1の勝負説」の実例をさらし上げ、筆誅を加えるシリーズ。今回は、2016年,新潮文庫,玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の巻末解説である。

 この本は、同じく玉木正之編『彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー』(新潮文庫,2015年)の姉妹編という位置付け。『9回裏2死満塁』が野球のアンソロジー、『彼らの奇蹟』がその他のスポーツのアンソロジーである。

何度力説しようが玉木正之説は間違っている
 [ ]のアルファベットと続く朱字は引用者が付けたもの、後に解説する。
 ……なにしろ野球は、文明開化の明治時代初期(6~11年)に欧米からスポーツ全般が伝播〔でんぱ〕したあと、すぐに日本人の心を鷲掴〔わしづか〕みにし、テニス、サッカー、陸上競技などのあらゆるスポーツを押しのけて、あっという問に日本人の人気ナンバーワンとなった球戯〔球技〕である。

 それが伝わって約15年後の明治20年を過ぎた頃には、早くも北海道の旭川〔あさひかわ〕から九州の、長崎、そして沖縄に至るまで、日本全国津々浦々に様々な野球チームが誕生し、多くの人々が白球を追いかけることに熱中していたというから、日本人の野球好きは、ある意味でベースボール発祥の地であるアメリカ以上とも言えそうだ。〔中略〕

 しかし、欧米からあらゆるスポーツが一気に流れ込んだ明治の初期に、なぜべースボール(野球)だけが頭抜けて日本人の心を奪ったのだろうか? その理由については様々に考察され、投手と打者の対決が相撲の仕切に似ているため…とか、野球に生じる多くの記録や数字が計数好きの日本人の性格に合致した…などなど、昔からいろいろな「説」が語られた。が、私〔玉木〕は、日本では市民戦争〔‘Civil War’内戦〕が世界史的に見てかなり早い時期に収束したからではないか、と思っている。

 市民戦争――軍人以外の一般市民や農民が武器を取り、国内の同じ民族(国民)同士が闘った戦争――は、19世紀のアメリカでの南北戦争(1861~65年)やスペイン内戦(1936~39年)、さらにアフリカ諸国や中南米諸国の民族紛争に見られるとおり、世界史的には19世紀から20世紀にかけてさかんに闘われた戦争と言える。が、日本ではその闘いが、戦国時代(15~16世紀)の関ヶ原の戦い(1600年)で終結し、以後徳川幕府の支配する平和な時代〔パックス・トクガワーナ〕が270年間にも及び、明治維新と文明開化を迎えた。それは1543年頃に鉄砲が種子島〔たねがしま〕に伝来して以来、わずか半世紀ほどで市民戦争が幕を閉じたことを意味し、多くの日本人が鉄砲を用いた闘いを知らないまま文明開化の時代を迎えたことになる。

 鉄砲が伝来する以前の戦争は、弓矢を用いることはあっても基本的に刀と槍〔やり〕による闘いで、それは個人個人の闘い(個人戦)が中心だった。が、鉄砲が普及すると集団戦が主流となり、チームプレイが発達する。右翼に陣取った鉄砲隊の一斉射撃のあと、左翼の雑兵〔ぞうひょう〕が突入する……とか、右翼と左翼の鉄砲隊で交互に援護射撃を繰り返したあと前進する……といった具合の集団戦(チームプレイ)が中心となる。しかし日本では、そのような鉄砲によるチームプレイの意識が多くの日本人に浸透しないうちに市民戦争が幕を閉じた。

 そのため、源平時代の「やあやあ我こそは○○○○。遠からん者は音に聞け。近くば寄って目にも見よ」と大音声を張りあげて闘う一騎打ちの意識が抜けきらないまま、戦国時代の川中島の闘いにおける武田信玄と上杉謙信の一騎打ちや・江戸時代の宮本武蔵〔むさし〕と佐々木小次郎の戦い(個人戦)などが、美談として長く語り継がれ、そんなところへ、文明開化で多くのスポーツ競技が一気に伝えられたのだった。

 そこで多くの日本人には、サッカーやラグビーのような役割の異なるプレイヤーが別々の動きをするなかで一つのチームとして機能するようなチームプレイのスポーツよりも、チームのなかから一人一人の代表者(投手と打者)が「やあやあ我こそは」と登場して闘い、個人の選手のあげた成果が集団(チーム)のものとなる、[A]まるで武士の「御恩と奉公」のような主従関係〔封建的な上下関係〕で成り立つ個人プレイの集積が集団の闘いとなるスポーツ〔野球〕のほうが、理解しやすかったに違いない。

 [B]日本人はよく集団で行動する民族と言われる。たしかにスポーツにおける合宿などでも時間割に添った集団行動が多く、スポーツの応援でも応援団がリードする統一された応援となる。が、[C]集団行動(団体行動)とチームプレイは違う。集団行動は誰もが同じ行動をするが、チームブレイは先に書いたように一人一人が異なるプレイをして一つのチームとして機能しなければならない。ということは、[D]野球が好きな日本人は個人プレイと団体行動には秀〔ひい〕でているものの、チームプレイが少々苦手な民族と言えるかもしれない。

 とはいえ、1993年のJリーグの誕生とサッカー人気の上昇によって、日本人のあいだに団体行動とは異なるチームプレイの意識も浸透してきたように思える。[E]が、サッカーの日本代表チームが、まだ世界ランキングで40位代をうろついている一方、フリースタイル・フットボール(一人でリフティングの妙技を競うスポーツ)では世界王者〔徳田耕太郎選手〕が誕生するなど、サッカーの世界でも、チームプレイよりも個人プレイに秀でた日本人の伝統(蹴鞠の伝統?)が表れているかもしれない。

玉木正之編『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』(新潮文庫)2016年,
408~412頁,編者による巻末解説から抜粋
 しかし、何度玉木氏が力説しようが……。

(1)
 明治時代初期、日本に伝来したばかりの頃の野球のルールは現在のそれと大きく異なっており、投手は打者に打ちやすい球を投げなければいけなかった。こうした当時のルールでは、野球における投手と打者のプレーを「1対1の対決」とは見なし難いため……。

(2)
 投手が投げた球を打者がバットで打つ、野球と同族の球技で、野球と同じく明治時代初期に日本に伝来し、一定期間日本でプレーされていた「クリケット」との比較を「1対1の勝負説」では欠いている。つまり、なぜサッカーではなく野球なのかという説明はあっても、なぜクリケットではなく野球なのかという説得力ある説明を玉木正之氏はできていないため……。

(3)
 そもそも、野球とサッカーは同じ条件で日本に紹介されたのではない。実質的・本格的な普及が図られた歴史が、サッカーより野球の方が20年近く古い(野球は1878=明治11年から,サッカーは1896=明治29年から)ため……。

 ……以上の理由から、「1対1の勝負説」は正しくないのである。

スポーツ日本人論の地下水脈
 [A]は、日本スポーツ界に蔓延している好ましからざる体質(封建的人間関係,過度の精神主義,理不尽な苦痛etc.)も「1対1の勝負説」と同じルーツから出てきているという、玉木正之氏の以前からの主張である。

 [B][C][D]は、「サッカーとは欧米がはぐくんだ個人主義文化の精華である。反対に、日本人はそれとはまったく対照的で権威や組織に従順な、あまりにも日本的な集団主義の文化である。したがって、そもそも日本人はサッカーに向いてない」という、サッカー日本人論(森田浩之氏の命名)またはサッカー日本文化論の別の謂いである。


 この手のサッカー日本人論は、Jリーグ以前、日本サッカーが不振を極めていた時代(1970年代初め~1991年頃まで)から、日本のサッカージャーナリズムで延々と語られてきたものである。要するに日本サッカーの関係者自身が「日本人はサッカーが苦手な民族である」と信じ込み、唱えてきた(後藤健生,村上龍,金子達仁,湯浅健二,佐山一郎……ああ、多すぎて書ききれない)ので、玉木正之氏が同じ趣旨のことを唱えてもリテラシーがない。だから、玉木氏のことを批判できないという弱みがある。

 [E]は、玉木氏のもうひとつの持論である「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」(こういう異論自体は以前から存在する)から派生した意見である。ただし、玉木氏は、大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった、現代のホッケーに近いスティック(杖,棒)を使った球技だから日本人はサッカーが苦手なのだ……という単純な思考の持ち主ではない。

 玉木氏は「2チーム対戦型で、両チームが向かい合い、ピッチに両軍選手入り混じって、ボールを奪い合い、これをつないで、ゴールを狙う球技」のことをサッカー(またはフットボール)の人類史的なルーツと考えている。チーム(団体)で行うのが重要なのであって、ボールに触れるのは、足でも、手でも、スティックでもかまわない。

 一方、現代の伝わっている「蹴鞠」は、日本には歴史的に遅れて入ってきたものである。蹴鞠は足先を使い少人数でボールを蹴り上げ続けるが、しかし、個人プレー中心の球技である(と玉木氏は思っている)。日本人にとって蹴鞠はサッカーのルーツには当たらない(と玉木氏は思っている)。

 スティックを使った団体球技は、やがて歴史の中で日本では廃れ、一方の蹴鞠は主に貴族階級の中で生き残り、日本の伝統として近現代まで伝わった。日本人にとってボールスポーツ(球技)とは個人プレーに面白さを見出したものだからである(この辺は「1対1の勝負説」の論理と一脈通じるところがある)。

 日本人はチームで行うスポーツよりも、個人プレー中心のスポーツを愛する。だから日本人はチームとしての動きが重要なサッカーやラグビー(フットボール)よりも、投手や打者の個人としてのプレーが大切な野球が好きなのである。あるいは日本人は、個人プレーである蹴鞠の系譜に連なる「フリースタイルフットボール」では世界的選手が誕生するが、11人制のフットボール(サッカー)では「世界」に勝てないのである。

 とどのつまり、日本人はサッカーが苦手な民族なのである。

論争のルール違反者,玉木正之
 こうしてみると、「1対1の勝負説」や「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」、そして「日本のスポーツ界はきわめて抑圧的である説」は、玉木正之氏の中でひとつの思想に収斂されているようである。すなわち日本人論・日本文化論(日本人の国民性,民族性,歴史,文化,伝統,精神etc.)である。

 しかし、「1対1の勝負説」が最も基本的な部分(1877~87年頃の野球のルール)から間違えているように、「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」の根拠が曖昧・薄弱だったように、玉木氏の思想は間違っているのである。

 あるいは、いくら日本のスポーツ界の慣習が抑圧的だからといって、間違ったところからそれを批判してもかえっておかしなことになるだけなのである。

 スポーツライター玉木正之氏のかねてよりの持論「1対1の勝負説」と「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」は、サッカージャーナリスト牛木素吉郎氏らから批判を受けている。その批判も、半ば公開に近い形で行われ、その時のコンテンツは玉木正之氏の手元に届けられている。玉木氏は自身に寄せられた批判の内容を知らないはずはないのだ。

 批判に応答せず、持論を繰り返し主張し続けるのは論争のルール違反である。玉木正之氏が何度持論を繰り返そうが、大学・大学院で教鞭をとろうが、それは玉木氏の持論が正しいことにはならない。

 玉木正之氏の主張は、アカデミズムでは慎重に扱われる問題である。

 かつて筑紫哲也氏らに噛みつき、論争を引き起こした玉木正之氏である。玉木氏自身とは反対の立場をとる人たちと、「討論」という言葉で悪ければ、「意見の交換」に、すべてのスポーツファン,サッカーファン,野球ファンが分かる形で応じるべきであろう。

(つづく)


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