スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:日本代表

ブラック職場としてのサッカー天皇杯「元日決勝」
 サッカー天皇杯恒例の「元日決勝」にまつわる弊害が、いよいよ深刻なものになっている。
  • 藤江直人「オフはたったの6日間? サッカー界に〈働き方改革〉が必要な理由」(2020/02/06)
 あらためて、日本サッカーは「元日決勝」から決別しなければならない。

 [理由その1]まずは「過密日程」の問題。これは、今までさんざん論じられてきたし、もっと詳しい人がいるので、ここでは繰り返さない。

 [理由その2]マスメディアが日本人一般へのサッカーをPRにするに当たって、「元日決勝」ではかえって不利になるという問題。

 サッカー天皇杯は、NHKと共同通信という大手マスメディアが後援についている。しかし、毎年1月1日は、マスメディアは元日の特別編性となっているので、テレビのスポーツニュースなど報道に大きく時間が割かれることはない。

 正月のスポーツイベントとしては、サッカー天皇杯「元日決勝」の話題性は、どうしたって翌日・翌々日(1月2日,3日)開催の箱根駅伝のそれには勝てない。しかも、テレビの視聴率は高くない。貴重なサッカーの地上波中継なのにもったいない。

 すなわち、天皇杯決勝がどんなに素晴らしい、面白い試合だとしても、それがマスメディアによって、人々に拡散されることはない。その分、日本人は(国内)サッカーの素晴らしさ、面白さに気が付く可能性は下がる。

 日本サッカーの国内シーン、なかんずくJリーグの人気がもうひとつ盛り上がらないのは、天皇杯「元日決勝」のせいである。

捏造された歴史としてのサッカー天皇杯「元日決勝」
 [理由その3]そもそも、存続派が日本サッカーの「伝統」だと主張する天皇杯「元日決勝」など「捏造された歴史」に過ぎない。

 日本サッカーのカップ戦(全国選手権)は、大正時代の1921年から始まっている。しかし、それに「天皇杯」の冠がかかるのは、第二次世界大戦後の1951年度(昭和26)になってからに過ぎない。

天皇杯カップ
【サッカー天皇杯の優勝カップ】

 「元日決勝」は、戦後四半世紀も経った1968年度(昭和43)=1969年1月1日から。100年以上ある近代日本サッカーも歴史の中で、「元日決勝」の慣例などたかだが50年程度の時間に過ぎない。*

 もっと決定的なこと。明治神宮への初詣の参拝客を集客に取り込もうとして始まったと言われる、サッカー天皇杯の「元日決勝」。しかし、「元日決勝」で国立競技場を満員にできるようになったのは、1991年度=1992年1月1日からである。

 実質的に、サッカー天皇杯「元日決勝」の伝統などたかだか30年にも足りないのだ。

自国のサッカー史を知らない日本のサッカー選手たち
 ところが、日本のサッカー選手たちは、自国のサッカーの歴史をろくに知らない。サッカー天皇杯「元日決勝」が「捏造された歴史」だとは知らない、いたいけなサッカー選手たちが「元日に天皇杯決勝の試合がしたい」などというタワゴトを宣(のたま)う。


 例えば、日本のサッカー選手たちのほとんどは、自分たちのサッカーの直接のルーツが、東京高等師範学校(筑波大学の前身)の中村覚之助にあることを知らない(はずである)。

中村覚之助(胸像)
【中村覚之助】

 そんな、いたいけなサッカー選手たちが「元日に天皇杯決勝の試合がしたい」などというタワゴトを宣っているのである。

プロ野球から考えるサッカー天皇杯決勝「天覧試合」
 四の五の言わずに、サッカー天皇杯は「元日決勝」から卒業するべきである。

 通常、Jリーグ(J1)は12月第1週に終了するから、「元日決勝」から卒業したサッカー天皇杯決勝は、その次、12月第2週の土曜日夜にキックオフする。それをNHKが総合テレビで放送すればいい。

 12月第2週は、旧トヨタカップが行われた、サッカーに縁のある季節でもある。

 それとも……。そんな踏ん切りがつかないなら、新しい日程によるサッカー天皇杯決勝の最初の試合を「天覧試合」にすればよい。

 日本国天皇は元日は忙しい。逆を言えば「元日決勝」に拘泥する限り、天皇杯決勝の「天覧試合」は実現しない。

 大相撲は別として、スポーツの天覧試合と言えば、よく喧伝されたのが1959年(昭和34)6月25日のプロ野球「巨人vs阪神」戦である。

 この天覧試合の実現までは、いろいろな動きがあったと聞く。結果、この試合はそれまでの大相撲やアマチュアの東京六大学野球の人気を、プロ野球(NPB)の人気が追い抜いた大きな画期であるとされている。

 また、読売ジャイアンツ(巨人軍)の長嶋茂雄は、この試合で活躍したことが画期となって国民的スーパースターとなった。

天覧試合_長嶋茂雄サヨナラホームラン19590625
【天覧試合における長嶋茂雄のサヨナラホームラン】

 すなわち、サッカー天皇杯も「天覧試合」と藉口することで、旧弊たる「元日決勝」から卒業し、日本サッカーの新しい歴史を創る画期となすのである。

(了)




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佐山一郎さんと宇都宮徹壱さんの対話から…
 サッカーライターでもあった佐山一郎さんは、自らその集大成と位置付けていた『日本サッカー辛航紀~愛と憎しみの100年史』(2018年)を執筆・上梓するにあたり、宇都宮徹壱さん(佐山さんのサッカーライターとしての弟子に相当する)との対談で、次のような気炎を上げていた。
宇都宮徹壱による佐山一郎インタビュー
【インタビューを受ける佐山一郎氏.宇都宮徹壱ウェブマガジンより】


――今日はよろしくお願いします。本題に入る前に、佐山さんの近況と言いますか、現在執筆されている著書についてお話を伺いたいと思います。タイトルが『日本サッカー辛航紀』。辛い本なんですか(笑)?〔聞き手:宇都宮徹壱氏〕

佐山 ネタをバラすと、2つの書籍からアイデアをもらっています。ひとつは、〔2016年〕8月に亡くなられた柳瀬尚紀〔やなせ・なおき〕さんの『フィネガン辛航紀』(河出書房新社)。これは柳瀬さんが、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するのがいかに大変であったかというお話。辛いどころか、歯ごたえありすぎのご本。もうひとつが、ロナルド・ドーアの『幻滅』(藤原書店)。ドーアさんはイギリス人の社会学者で、90(歳)超えしています。日本を研究してきた「親日派」社会学者が、くまなく見てきた戦後日本70年がテーマの本で、いろんな時代の転換期をとらえながらも、最後に行き着いたのは「幻滅」の境地だったという。でも2冊ともユーモアを失ってはいませんし、そこがとても良いところ。

――つまり『フィネガン辛航紀』からタイトルを借りながら、ドーアの『幻滅』のように佐山さんの実体験を重ねつつ、日本サッカーの来し方を振り返るという作品になるんでしょうか?

佐山 そうなんですけど、予備考察としての蹴鞠の話から1964年東京五輪までの道のりも少しは押さえなければいけないですからね。1936年ベルリン五輪で日本がスウェーデンに勝った話ばかり〔「ベルリンの奇跡」〕でしょ。その次の試合でイタリアに0-8という大差で敗れてしまったことも、それ以上に重要なんじゃないでしょうかね。

――それ、私〔宇都宮徹壱〕も感じていました! そうした前史というか、佐山さんが生まれる前の日本サッカー史を掘り起こした上で、ご自身〔佐山一郎〕のサッカー体験をプレーバックしていくと。やはり起点は、64年の東京五輪なんですね?

佐山 そうですね。だいたい10年ずつくらいで章を立てていて、ようやく〔19〕70年代の終わりくらいまで来ました。〔以下略〕

(2016年11月02日)
 なるほど。ロナルド・ドーアの『幻滅』にインスパイアされたと言うだけあって、「ベルリンの奇跡」だけでなく、次の対イタリア戦の惨敗についても考えていくべきだと。日本サッカーの明るくない側面にも着目するのは、いかにも佐山一郎さんらしい。

 ベルリン五輪のサッカー競技、なかんずく日本代表に関して、何か、新しいネタの発掘・発見があったのかもしれない。……と、当ブログは期待して待った。

 はたして、佐山一郎さん渾身の一冊『日本サッカー辛航紀』は刊行された。

 ところが……。あにはからんや! 『日本サッカー辛航紀』には、ベルリン五輪の話は、ほんの数行しか書かれていなかった。いわゆるベルリンの奇跡=「日本がスウェーデンに勝った話」が、ほんの少し出てきただけだった。

 つまり、佐山一郎さんが事前に予告した「ベルリン五輪サッカー競技 日本vsイタリア戦論」は、実際には書かれることなく本になってしまったのである。

 何か、肩透かしを食らった気分だった。

後藤健生さんが語る対イタリア戦=日本惨敗の真相?
 2019年11月、サッカージャーナリストの大御所・後藤健生さんが『森保ジャパン 世界で勝つための条件~日本代表監督論』を上梓した。*

 この本は、サッカー日本代表の歴史。すなわち日本サッカーのプロ化(Jリーグ=1992~93年)以降の歴史、そしてプロ化以前=アマチュア時代のサッカー日本代表の歴史を、歴代監督ごとに言わば「紀伝体」の体裁を取りながら、簡潔に記述した興味深い一冊である。

 この著作の中で、後藤健生さんは、ベルリン五輪(1936年)当時のサッカー日本代表監督=鈴木重義に触れている(236~237頁)。

 対イタリア戦での、日本大敗の真相や、如何に?

 何のことはない。日本代表は1回戦でスウェーデンに逆転勝ちして「世界」に衝撃を与えたが、疲労困憊しており、そのために次戦=2回戦では、当時世界最強のイタリア代表(1934年,1938年とW杯連覇中)に0-8のスコアで大敗してしまった。

 それでも、後半30分くらいまでは、0-3とそれなりに戦うことができていた……という、実にアッサリとしたものであった。

 何事につけ、日本サッカーについてあまり明朗ではない叙述をしたがる傾向のある佐山一郎さんは、対イタリア戦の日本惨敗について掘り下げて書いて、他の凡百な日本サッカー史と「差別化」をしたかった。

 しかし、資料(史料)は少ないし、長年懇意にしている後藤健生さんの理解するところでは、大した中身もないので、その「差別化」は挫折してしまった。

 邪推になるが、意外に実態はそんなところではないのか。

(了)




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日本代表戦はどちらが面白い?
 2019年ラグビーワールドカップ日本大会。そしてジャパン(日本代表)の快進撃。日本の多くの人々が、ラグビーフットボールのプリミティブな面白さを知った。

 ネット上では「ひょっとしたら,サッカー日本代表戦よりもラグビー日本代表戦の方が面白いのではないか? 今回のラグビーW杯で,日本人はそのことに気が付いてしまったのではないか?」などという議論が起こったらしい(当ブログは未見)。

 サッカーの日本代表戦と、ラグビーの日本代表戦、どちらが面白いとは、一概には決められない。ともに、問題はワールドカップ本大会以外の国際試合である。

 現在、サッカー日本代表にとって最も大切な試合は、ワールドカップ本大会の試合ではなく、W杯アジア予選の特に最終予選である。……と、後藤健生さんが新国立競技場問題のシンポジウムでの発言していたらしい。

 勝つか、負けるか。W杯本大会に行けるか、行けないか。ハラハラ、ドキドキ。サッカーの日本代表戦は、とても、分かりやすい。

テストマッチ≒国際親善試合の価値を見出すという共通の問題
 その点、ラグビーは、少しわかりにくいところがあるかもしれない。

 W杯本大会出場権そのものを獲得するために、オーディエンス(ファン,サポーター,テレビ視聴者)が、日本代表を応援してスリリングな体験をすることは、あまりない。

 ラグビーW杯は本大会でプールステージ(1次リーグ)で5か国中3位に入れば、次回本大会の出場権をシードされるからである。

 仮に予選に回ったとしても、それほど予選不通過を恐れる必要はない(はずだ)。

 つまり、今後のラグビーの日本代表戦の多くは、ワールドカップが絡まない国際試合(テストマッチ)である。

 詳細は省くが、必要なのは、日本の対戦相手がティア1の国であっても、ティア2の国であっても、それぞれのテストマッチの持つ大切な意味合いを、オーディエンスに理解していただくことである。

 そして、メディアはそのことをしっかり啓蒙する必要がある。

 サッカーの問題は、ワールドカップやアジアカップが絡まない、ノンタイトル戦である国際親善試合の「再価値化」である。

 これにはマンネリ感、停滞感が漂っている。

 当ブログは、現状を打破するために、欧州ネーションズリーグに倣(なら)った、日本が参加する、独自のネーションズリーグの構想妄想を、ブレスト(ブレーンストーミング)的に試みたことがある。

 日本サッカー協会(JFA)は、これからも顔見世興行的な、「キリンチャレンジカップ」と称した、微温的な国際親善試合を続けていくのだろうか?

(了)




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〈ラグビーの虚構〉の崩壊,〈サッカーの虚構〉の継続と呪縛?
 ノーサイドの文化。ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワンの精神。紳士のスポーツ。アマチュアリズム。対抗戦思想……等々、従来、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しくも重苦しい修飾≒〈虚構〉がついてまわった。

 むしろ、それがために、ラグビーは、日本ではコアなファン以外は見向きもされないスポーツになる原因を作ってしまった。しかし、この度のラグビーワールドカップで〈ラグビーに関する虚構〉は完全に崩壊した。多くの人々がラグビーフットボールそのものの面白さに触れた。


 その上で、改めてラグビーの持つ特徴的な文化を知るところとなった


 サッカーとは違うフットボールカルチャーがあることを、日本の多くの人々が新鮮に感じている。反面、〈サッカーに関する虚構〉は未だ継続し、日本のスポーツ界やメディアを呪縛している。

 例えば。応援するチームが屈辱的な負け方をすると、選手や監督はファンやサポーターがに罵声を浴びせられ、場合によっては水やら生卵やら腐ったトマトやらが投げつけられる……などという誇張された話。

 敗れたアイルランド代表フィフティーンが、勝った日本代表のフィフティーンに対し、花道を作って出迎えた「静岡の衝撃」の退出の場面。……とほぼ同時期に、天皇杯で格下相手に敗れた浦和レッズのサポーターが、いわゆる「バス囲み」事件が起きたことは、何とも対照的なピクチャーではある。

 むろん、不甲斐ないチームを叱咤すること自体がイケナイと言っているのではない。そして、今回のテーマはそこにはない。

 例えば。欧米のサッカー強国では、サッカー評論家の評価は選手・監督・チームに対しても、極めて厳しい。その口調もまた極めて「辛口」である。サッカー強国の評論家はチームが勝つまで(場合によっては英国のエリック・バッティ記者のように,勝っても)、選手・監督・チームを批判し続ける。その国のサッカーは、厳しく「辛口」で批判し続けることで成長する……などという誇張された話

 「静岡の衝撃」という日本ラグビーの快挙に対する反応で、最も不快にして、かつ呆れ果てた事件は、先に掲げた「誇張された話」=〈サッカーに関する虚構〉を日本で吹聴し、実行してきた、あの「セルジオ越後」(少なくとも今回は敬称トルツメ)が出しゃばってきたことである。

目に余るセルジオ越後の放言とその間違いの数々
 2019年9月30日、テレビ東京スポーツの公式サイトが、サッカー評論家(?)のセルジオ越後による「静岡の衝撃」に対するコメントを動画とテキストで配信した。
セルジオ越後がラグビー日本代表に提言~継続的に勝たないと意味がない
――2大会連続の大金星について

セルジオ越後 強いチームに勝っている間のフィーバーはまだ強くないということだと思う。今日は座布団飛んだね〔たまさか平幕が横綱に勝った程度の試合という意味〕。日本が負けてニュースになるということがまだまだ宿題じゃないかと思う。

 競合〔強豪〕に勝った・負けたとか、予選〔1次リーグ〕突破したとか〔ラグビーも,サッカーも〕両方とも似てるところがある。ラグビーも予選だけじゃなくもっともっと上〔優勝〕を狙っやってほしい。〔以下略〕

セルジオ越後「テレビ東京/追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」(2019.9.30)
 いや、これは本当に酷い。セルジオ越後の放言は、極めて醜悪で、ラグビーフットボール、そして日本のラグビーに対する最大級の侮辱になっている。

 だいたい、ラグビーの国際試合レベルで世界的に継続的に勝ち続けているチームは、ニュージーランド代表=オールブラックスだけである。負けてニュースになるのも、オールブラックスと、あとは南アフリカ(南ア)代表=スプリングボクスあたりか(だから,2015年ラグビーW杯で日本が南アに勝ったら世界中で大騒ぎになった)。

 たいていのラグビー国は、普通のテストマッチでも、オールブラックスに勝ったら大喜びする。イングランドでも、アイルランドでも、皆そうである。そして、勝ったり負けたりしながら、4年に一度のラグビーW杯を目指す。

 2015年ラグビーW杯以降の、ラグビー日本代表=ジェイミー・ジャパンは、継続的な成績・成果……と言ってよくないならば、相応の「手応え」をつかんできた。その延長線上でのアイルランドからの勝利である。

 その流れを、海外のラグビーメディアは的確に評価している。2015年ラグビーW杯の日本vs南アフリカ戦(34-32)=「ブライトンの奇跡(The Miracle of Brighton)から、2019年ラグビーW杯の日本vsアイルランド(19-12)=「静岡の衝撃(The Shock of Shizuoka)へ。ニュアンスを違えた海外メディアの命名は、けだし絶妙である。

 セルジオ越後は、国際ラグビー界の実情を全く知らないで放言している。

ラグビー3等国の人間=セルジオ越後が2等国による対1等国勝利を見下す愚
 また「勝っても喜んではいけない」式のセルジオ越後の「辛口批評」であるが、スポーツは難行苦行ではない。こういう時に喜ばなくて、いつ喜ぶのか?

 ……と言うのは、この人物は、いわゆる「日本のスポーツ界の悪しき抑圧性」を批判してきたからである。ところが一方で、先のように「日本のスポーツ界を抑圧する悪しき放言」をしている。皮肉である。矛盾している。

 あるいは。今回のラグビーW杯では、南米ウルグアイも有力ラグビー国のフィジーを破る、殊勲の星を挙げた。ここで、日系ブラジル人のセルジオ越後が、ウルグアイのラグビー関係者に「継続的に勝たなければ意味がない」だの「勝っても喜ぶな」だの放言したら、どうなるか。

 ウルグアイのラガーマンから「テメエは何様のつもりだ.いい加減にしろ!」と当然ボコられる。なぜなら、ブラジルはW杯に出場したこともないラグビー弱小国(ティア3=発展途上国)だからである。

 セルジオ越後は、国際ラグビー界にはナショナルチームの強さによる格付け(ティア1>ティア2>それ以下ティア3=発展途上国)があることが分からない。国際ラグビー界のティア2(2等国,日本が属する)の国が、ティア1(1等国,アイルランドが属する)の国に勝つことがどれだけ大変かということも、分からない。

 しかし、日本のスポーツメディアは、ラグビー弱小国(=ティア3)のブラジル出身のセルジオ越後による、日本ラグビーの快挙を貶(おとし)める放言を「批評」として有難がっている異常な情況である。ダサい。

多様なスポーツ中継のパイオニア=テレビ東京の変節
 もともと、テレビ東京(旧東京12チャンネル)は、かつてのプロ野球人気全盛にあって、ラグビーやサッカーを積極的に取り上げてきたテレビ局であった。サッカーは言わずもがな。ラグビーでは、1973年の日本代表の英仏遠征を、金子勝彦アナウンサーによる実況、大西鐡之祐氏(!)による解説で中継している。

 ところが、現在のテレビ東京はあの当時の「志」を忘れ、変節してしまった。同局は、「FOOT×BRAIN」(フットブレイン)というサッカー情報・啓蒙番組を持っているが、この番組は、脳科学者(自称)の中野信子氏や、運動科学者(自称)の高岡英夫氏といった、素性がハッキリしない人物を登場させてきた。
▼なでしこジャパンと森保ジャパンの敗退で再着火する自虐的日本サッカー観(2019年06月29日)

▼やっぱり高岡英夫はいかがわしい???(2018年01月21日)

 素性がハッキリしないといえば、経歴詐称が噂されるセルジオ越後である。

▼「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師」(2019-03-02)

▼「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師 2」(2019-03-02)

 何とテレビ東京「FOOT×BRAIN」は、本当は三流のプロサッカー選手にすぎなかった(と言われている)セルジオ越後が、ブラジル本国ではいかに凄い選手であったかのように視聴者を騙(だま)す「ヤラセ」を放送したとの由である。

サッカーの現場に不要なストレスを与えるセルジオ越後
 実態と違うといえば、「サッカー強豪国,ことに南米のブラジルやアルゼンチンなどのサッカー評論は,選手や監督,チームを徹底的に批判する」というのも間違いであるらしい。実際には、そのスタンスは是々非々であり、論者によって幅があるという。

 ブラジル時代の経歴が疑わしいセルジオ越後がもたらした「間違った常識」は、サッカーの現場に不要なストレスを与えている。

 フィリップ・トルシエ(サッカー日本代表監督,任期1998~2002)は、私に「あの〈セルジオ越後〉とかいう奴は何者なんだ?」と、質問してきた……。フットボールアナリスト・田村修一氏が、初代サポティスタ・浜村真也氏が催したトークイベントでこんな裏話を紹介していた。

 その場では、笑い話になった。……が、実際には、笑い話ではなかったかもしれない。セルジオ越後の放言は、歴代のサッカー日本代表の現場に無駄なストレスを与えていた可能性がある。

セルジオ越後ほど日本人の自虐的サッカー観に

 要するに、セルジオ越後の数々の放言は「批評として全く機能していない」のである。

セルジオ越後をツケ上がらせたオールドサッカーファンたち
 同様のストレスは、日本代表の選手たちも感じている。セルジオ越後の日本サッカーに対する放言に対して、業を煮やした日本代表・乾貴士選手や岡崎慎司選手が些(いささ)かな反発を発信してみせた。




 彼らがセルジオ越後を批判したというから、いったいどんな過激で不穏当な発言をしたのかと思いきや……。それ自体は抑制の利いたものだ。むしろ、放埓で不穏当な発言を繰り返してきたのはセルジオ越後の方なのだが。

 では、なぜ、乾選手や岡崎選手の方が一面的に悪いかのように、評されるのか? この倒錯した「空気」は何なのか? 例えば、有名なサッカーブロガーでオールドファンの「サッカー講釈師」さんが、セルジオ越後の日本サッカーに対する放言を、擁護するかのようなツイートをしている。


 この「サッカー講釈師」さんの「セルジオ越後の発言など〈誰も参考にはしない〉」という指摘は、端的に間違っている。なぜなら、この人物の弟子筋の人間に、セルジオ越後を本気で参考にした人間に、あの金子達仁氏がいるからだ。

 金子達仁氏については、スポーツライターとして売れっ子になった一方で、日本人のサッカー観・スポーツ観を大きく歪めた、いわゆる「電波ライター」だとして、さんざん批判されてきた。その金子達仁氏の師匠筋がセルジオ越後である。

 えてして「弟子」は「師」の悪いところを拡大する。すなわち、金子達仁氏はセルジオ越後の悪いところを拡大したのである。

 後藤健生さんなどもそうだが、こうしたオールドサッカーファンの鷹揚な態度が、セルジオ越後を付け上がらせ、暴走させたのだ。

 少なくとも、この人物の「流儀」をラグビーにまで越境させるのは間違っている。

妖怪的人物「セルジオ越後」を生んだ日本人の深層心理
 ラグビーとサッカー、ふたつのフットボールで、両方とも(それなりに)応援しがいのあるナショナルチーム(代表チーム)を持っている国というのは意外に少なく、その意味で日本はなかなか素敵な国である。

 これまでは、ラグビー日本代表が好調だとサッカー日本代表が不調だったりした。例えば、1989年~1991年の宿沢ジャパン平尾組と横山全日本の時代である。あるいは、その逆の時代も長く続いた。

▼後藤健生「日本は世界一流のフットボール・ネーション? サッカーとラグビーと、ともに世界王者を目指そうではないか」(2019年10月5日)

 2019年ラグビーワールドカップ日本大会は、ラグビーとサッカー、ふたつのフットボールの国民的期待が並び立った、画期となったイベントかもしれない(ちなみに,同時期にサッカー日本代表のW杯アジア予選も行われる)。

 世界の舞台で、世界の強豪に立ち向かう日本代表……という図式は、幕末・明治このかたの日本の歴史とも重なり、国民的な感情移入がしやすい(余談ながら,これが出来ないのが「野球」である)。

 しかし、その場合、「欧米」列強に対する劣等感をどうするか? ……という思想的大問題があり、そうした「日本人の心のスキマ」に入り込んだのが、セルジオ越後という「商売人」もしくは「詐欺師的人物」だった。セルジオ越後を過剰に有難がってきたのが、日本のいたいけなサッカーファンたちだった。

 この人物を評して「辛口」と言う。しかし、その実は、スパイスを効かせた美味なる料理ではなく、テレビ番組の「激辛王選手権」にでも出てくるような、ゲテモノとしての辛口料理である。

 その代償として、私たちは「日本サッカーへの〈味覚〉」というものを、大きく後退させてしまった。完全に批評眼が麻痺しているのである。

 私たちサッカーファンは、このポストコロニアルな時代に、セルジオ越後に象徴される卑屈なコロニアル根性に、一体いつまで浸(ひた)り続けるのだろうか?

(了)




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 試合が終わると敵・味方の区別がなくなる「ノーサイド」の文化。献身的な「ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワン」の精神。審判の判定を絶対として潔く受け入れる「紳士のスポーツ」。得点しても「ガッツポーズをしない」控えめな振る舞い。プロ化を拒んだ「アマチュアリズム」。ワールドカップの開催を避ける「対抗戦思想」……。

 ……等々、従来、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しい修飾≒「虚構」がついてまわった。しかし、それがために……。


 ……日本のラグビーは、一度ダメになった。ところが、この度のラグビーW杯で……。


 ……「ラグビーに対する虚構」の数々が崩壊し、一方で多くの人々がラグビーフットボールそのものの面白さに触れた。そして、その上でラグビーの持つ特徴的な文化を知るところとなった。


 サッカーとは違うフットボールカルチャーがあることも知って、多くの人々驚いている……という様子を見るのは、なかなか新鮮だった。

 一方、「サッカーに対する虚構」は未だ継続し、日本のスポーツ界やメディアを呪縛しているような気もする。

 「静岡の衝撃」とほぼ同時期に、天皇杯で格下相手に敗れた浦和レッズのサポーターによる「バス囲み」事件が起こったのは、何かと対照的なピクチャーではある。

 むろん、不甲斐ないチームを叱咤することは必要であるが。

 否。本当に気になったのは、「静岡の衝撃」の快挙に、あの「セルジオ越後」が出しゃばってきたことである。*


 読んでいて、非常に嫌な気分になった。間違いも多い。

 この不快さについては次の機会に考えていきたい。

つづく




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