スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

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「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」への変更
 2018年12月8日、地上波の総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒 日本vs.ベルギー 知られざる物語」。放送当初から傑作の呼び声高く、同年12月30日、衛星波のBS1スペシャルで、放送時間を2倍に延長した「完全版」(ディレクターズカットとの説もあり)として放送されると触れ込みだった。

 しかし、サブタイトル(副題)等、なかなか決定が出ず、12月25日にようやく「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」とネット上で発表された。テレビの電子番組表(EPG)にその情報が反映されたのは、さらに1日経ってからである。
12月30日(日) 午後9時00分
BS1スペシャル「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」
7月、ロシア・ロストフアリーナで行われたサッカーW杯ベルギー戦。日本は2点を先制するが、終了間際の超高速カウンターでベスト8の夢を打ち砕かれた。選手や監督の証言から浮かび上がってきたのは、一瞬のうちに交錯した判断と世界最高峰の技術、巧妙なワナと意外な伏線。人生を賭けた男たちが全力を尽くし生まれた壮絶なドラマだった。NHKスペシャル「ロストフの14秒」に未編集素材を加えた完全版であの死闘を再現する。

【語り】松尾スズキ

NHK-BS1スペシャル「ロストフの死闘」トップ
【BS1スペシャル「ロストフの死闘」ウェブサイトより】
 サブタイトルは「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」に変更となった。番組のナレーション担当も「14秒」の山田孝之氏(俳優)から、「死闘」では松尾スズキ氏(俳優)に変わった。

 二番煎じな感じを逸(そ)らすためなのか? 「14秒」では、最後の失点ばかりに視聴者の注目がいくと制作側が判断して「死闘」と変えたのか? 「ロストフの14秒」というタイトルは、かつてのNHK特集のスポーツドキュメンタリーの傑作「江夏の21球」のオマージュだと言われたが、実は制作側にそのような意図はなく、あえて敬遠したのか?

 いずれにせよ、この辺の事情は外部の一介の視聴者にはよく分からない。

「ロストフの14秒」の過大視は日本サッカーのミスリードを招く???
 それにしても、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表を、決勝トーナメント1回戦のベルギーvs日本戦「ロストフの14秒」のみをクローズアップしてしまうのは、実は危ういのではないか。日本サッカーにミスリードを招くのではないかと、余計な心配をしてしまう。

 思い出してほしいのだが、2018年のサッカー日本代表は(柳澤健氏みたいだね)、4月、フランス国籍の外国人監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏が突然更迭されるという「事件」から始まった。ハリル氏更迭の裏には「陰謀」があったのではないか? その力学に担い手は、日本サッカー協会? 電通? アディダスジャパン? キリン? KDDI? 本田圭佑? 香川真司? ……??? サッカーファンはみんな疑心暗鬼になった。

 事の真偽はともかく、ともかくこの一件で熱心なサッカーファンほど白けてしまった。ロシアW杯でも、前回の2014年ブラジルW杯のように3戦全敗するだろう。日本代表は、どうせ惨敗して逃げ帰ってくるさ(本田圭佑は,また逃亡するさ)。1次リーグの対戦相手、コロンビアも、セネガルも、ポーランドも、みんな日本を圧倒する。敵国のエース、ハメス・ロドリゲスも、マネも、レバンドフスキも、みんな日本の守備陣をズタズタにするだろう。みんな、そう思っていた。

 ところが、日本代表は下馬評をくつがえし、初戦コロンビアに勝ち、次戦でセネガルと引き分け、第3戦ポーランドとは一か八かのギャンブルと驚くべき「ゲームズマンシップ」を発揮して、1次リーグを突破した。その延長線上に、あのベルギー戦「ロストフの14秒」が来るのである……。

 ……だとすれば、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の総括と検証の対象は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきだ。個人的には、ベルギー戦よりポーランド戦の方がずっと興奮した。あのポーランド戦の「談合試合」は、スポーツマンシップとゲームズマンシップがせめぎ合う非常に興味深い試合だった。NHKスペシャルは、この試合も採り上げるべきだった。

 この「談合試合」には、いろんな意見があっていい。しかし、日本代表はスポーツマンシップに悖(もと)ると一面的に避難している日本の有識者たちは、「ゲームズマンシップ」という概念を、そもそも知らずに論評しているのではないかと思う。

 また、日本はポーランドに勝ち切る力量がなかったと、自嘲気味に日本代表を非難している日本の有識者たちは、そもそもポーランドが既に2敗していて「せめてもの1勝」を確保するために、日本との談合に応じたことを忘れている。

 話を戻して、ベルギー戦は日本にとって「兵站線〔へいたんせん〕が伸びきった試合」であった(1936年ベルリン五輪の「日本vsイタリア」戦も同様の情況)。両国の位置づけも、車のレースにたとえれば、片やベルギーは本気で総合優勝を狙ってくるプロトタイプのワークスマシン、こなた日本は市販車改造クラスでエントリーするプライベーターくらいの違いがあった。

 つまり、「ロストフの死闘」とは言うが、1970年メキシコW杯の「イタリアvs西ドイツ」戦、1982年スペインW杯の「西ドイツvsフランス」戦、1986年メキシコW杯の「フランスvsブラジル」戦のような、ワールドクラス同士の「死闘」とはまた違うのである。

 やはり、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の検証は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきではなかったか。ベルギー戦のみの過大視は日本サッカーのミスリードを招きかねないのではないか。

 次回のW杯、カタール大会の本大会には出場すると仮定しても、日本代表は1次リーグを突破できる確度は、まだまだ低いからである。

「オシムの言葉」は正しくないと言ったら正しくない
 NHKスペシャル「ロストフの14秒」、BS1スペシャル「ロストフの死闘」では、いろんな人がコメントしていたが、最も印象強く、しかし違和感があったのはイビチャ・オシムさんのコメントだった。

 試合終了間際、ベルギーのカウンターアタックを受けた時、守りに入っていた日本代表の山口蛍選手がなぜファウル覚悟でタックルに行かなかったのか? ……という問題のシーンについてのオシムさんの発言である。

 以下、該当する発言を「ロストフの14秒」の字幕からテキストに起こす。
〔山口蛍は〕足元に飛び込んで ファウルするしかなかった
それはスポーツマンシップに反する行為で レッドカードになったと思うが
故意のファウルは日本人らしくない
確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い
多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう
望ましい結果〔勝利〕が得られなくても それが日本人なのだ

元日本代表監督 イビチャ・オシム

イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から
【イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から】
 日本人はスポーツにおいてフェアプレー(スポーツマンシップ)重視で、「ゲームズマンシップ」が欠落しており、それで損をすることが多い。これは日本人の国民性である(だから,克服できない?)というのだ。

 しかし、2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」の岩清水梓(いわしみず・あずさ)選手のように、実に感慨深い「ゲームズマンシップ」(故意のファウル)を発揮して、日本を勝利に導いた例がある。

 こうした事例を検証することなく、オシムさんは「間違いなく多い」などと断言してしまうのだ。

 もっと深刻なのは、ツイッターなどを観察すると、オシムさんの発言を鵜呑みにしている日本人が多いことだ。これこそ「権威に従順な日本人の国民性」で、サッカーにふさわしくないメンタリティである。

 日本の将来が心配になる。

 日本人はコレコレといった国民性、日本人らしく、日本人らしさ……という決め付けが、かえって日本サッカーの可能性を狭めている(狭めてきた)のだ。

 オシムさんの発言を批判した人がはいないのかと思って探したら、少なくとも1人いた。サッカーファンのたまり場としても有名だった、ペルー料理店「ティアスサナ」の江頭満店長である。
オシム監督、それって日本人に対する観察が浅くないですか?




 流石である。いかに「オシムの言葉」でも「日本人」はもう少し、それを批評的に受容するべきではないのか。

 ティアスサナは、2018年いっぱいで閉店してしまう。実に残念なことである。

(了)



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NHKスペシャル
「ロストフの14秒~日本vs.ベルギー 知られざる物語」
今年、あなたの心に最も残ったスポーツの場面は何だろうか。おそらく、多くの人がこのシーンを挙げるのではないだろうか。ワールドカップ決勝トーナメント1回戦、ロシア・ロストフアリーナで行われた、「日本VSベルギー」。後半アディショナルタイムに生まれた14秒のプレー。日本のベスト8進出の夢を打ち砕くとともに、大会ベストゴールのひとつとして世界から絶賛された、ベルギーの超高速カウンターである。

私たちは、日本、ベルギー双方の選手、かつての日本代表監督など、20人以上のキーマンを世界各地に訪ね、この14秒のプレーがどう生まれたのか、答えを探した。浮かび上がってきたのは、一瞬のうちに交錯した判断と世界最高峰の技術、そしてこの瞬間に至るまでの巧妙な罠と意外な伏線…。この一戦に人生を賭けた男たちが、全力を尽くしたからこそ生まれた14秒のドラマだった。

2018年、私たちの記憶に鮮烈に残る、あの瞬間の知られざる物語である。

NHKスペシャル~ロストフの14秒


ロストフの14秒,「オシムの言葉」への強い違和感と異論
 NHKスペシャル「ロストフの14秒」には、リトバルスキーや、ザッケローニなど、いろんな人がコメントしていたが、最も印象強く、しかし違和感があったのはイビチャ・オシムさんのコメントだった。試合終了間際、ベルギーのカウンターアタックを受けた時、守りに入っていた日本代表の山口蛍選手がなぜファウル覚悟でタックルに行かなかったのか? ……という問題のシーンについてのオシムさんの発言である。

 以下、該当する発言を番組の字幕からテキストに起こす。
〔山口蛍は〕足元に飛び込んで ファウルするしかなかった
それはスポーツマンシップに反する行為で レッドカードになったと思うが
故意のファウルは日本人らしくない
確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い
多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう
望ましい結果が得られなくても それが日本人なのだ

元日本代表監督 イビチャ・オシム

イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から
【イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から】
 このオシム発言には、例えば武藤文雄氏のように異論を唱える人もいる。


 ちなみに、武藤文雄氏は同年配以上の尊敬するサッカー人に対して、特別に「爺さん」という敬称を付ける。だから「オシム爺さん」とか「マテウス爺さん」とは言う。しかし、以上の理由によって「本田圭佑爺さん」とは言わない。

オシムさんの言う「日本人」に女子は入っていないのか?
 閑話休題。当ブログの異論は別の角度からである。オシムさんの「フェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い 多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう」という指摘は、どれだけ妥当なのか? 実はオシムさんの指摘こそ間違いではないのか。

 この手の「日本人は国民性からして,スポーツ(なかんずくサッカーにおける)マリーシア(ずる賢さ)が足りない」式の話、換言すると「日本人は国民性からして,スポーツマンシップは尊重するが(なかんずくサッカーにおいて)ゲームズマンシップの意識は低い」式の話は、さんざんパラパラ聞かされ、または読まされてきた。そして、その種の発言者がオシムさんだろうが、誰だろうが、みんなうんざりさせられる。

 オシムさんの指摘が正しくない例を「日本人」なら知っている。


 サッカーファンやサッカー関係者なら皆が覚えている。2011年女子W杯決勝「日本vsアメリカ合衆国」戦で、延長後半終了間際、日本女子代表(なでしこジャパン)の岩清水梓(いわしみず・あずさ)選手が、実に「ゲームズマンシップ」あふれるプロフェッショナルファウルで一発レッドカードを食らいながらも、日本は試合をPK戦まで引きずり込み、結果、日本はW杯で優勝したことを。

 オシムさんの基準で言う「日本人」の中に、女子または女性は、なでしこジャパンは、なかんずく岩清水選手は、含まれるのか含まれないのか?

 オシムさんが「ロストフの14秒」で語っていたことは、サッカーそれ自体の議論ではなく、まさしく「日本人論」または「サッカー日本人論」に他ならない。「オシムの言葉」も、最初は「ウサギは肉離れを起こさない」的なウィットが多かったものが、だんだん通俗的な「日本人論」で日本人向けに説教を垂れるような話にシフトしている。

考えよ! ――なぜ日本人はリスクを冒さないのか? (角川oneテーマ21 A 114)
イビチャ・オシム
角川書店(角川グループパブリッシング)
2010-04-10


 その方が商品としては売れるのだろうが、むしろ新鮮味に乏しくなっている。有り体に言えば「オシムの言葉」はつまらなくなっている。

 「日本人論」通念・通説の鋭利な批判で知られるオーストラリア在住の社会学者・杉本良夫教授は「〈日本人論〉の立論において観察対象となるのは,もっぱら男性(男性社会)であって,女性は無視される」と指摘している(次の著作参照)。



 同様に「サッカー日本人論」の世界では、今回のオシムさんの発言がそうであるように、女子サッカーの存在はほとんど無視される。

ラグビー竹山選手の「疑惑のトライ」あるいはゲームズマンシップ
 ラグビーファンならば、全国大学ラグビーフットボール選手権9連覇(2018年12月現在)の帝京大学ラグビー部・竹山晃暉(たけやま・こうき)選手の「あのプレー」を覚えているだろう。

 帝京大ラグビー部8連覇目にあたる大学選手権決勝「帝京大学vs東海大学」戦。試合後半の勘所で、竹山選手は勝負を決定づけるトライを決めた……??? ところが、報道写真を見ると、東海大の選手が先にボールを確保してインゴールに抑えた(=ノートライ)かのように見える。

ラグビー竹山晃暉選手「疑惑のトライ」産経新聞
【竹山選手「疑惑のトライ」産経新聞・電子版2017年1月9日付より】

 それにもかかわらず、この試合でビデオ判定(ラグビーではTMO=テレビジョン・マッチ・オフィシャル)が採用されていないのを幸いに(?)、竹山選手は派手なガッツポーズを作って喜んでみせて、最終的に彼の「トライ」は認められたのであった。

ラグビー竹山晃暉選手「疑惑のガッツポーズ」産経新聞
【竹山選手「ガッツポーズ」産経新聞・電子版2017年1月9日付より】

 一連のプレーは「疑惑のトライ」とも呼ばれた。

 オシムさんの基準で言う「日本人」の中に、竹山晃暉選手は含まれるのか含まれないのか?

オシムさんの「日本人観」はステレオタイプ
 竹山選手の振る舞いは「スポーツマンシップに反する行為」だったかもしれないし、場合によっては反則を取られたかもしれない。そういう批判はあっていい。しかし、竹山選手は「日本人らしくない」などと非難するのは適切ではない。

 当ブログは竹山選手を責める気はまったくない。むしろ「日本人」でも、こんなに「ゲームズマンシップ」または「マリーシア」あふれるアスリートがいることに、不思議な感慨を覚えたのであった。

 オシムさんの「確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い 〔しかし〕望ましい結果が得られなくても それが日本人なのだ」という日本人観は、邪気は無くともステレオタイプの偏見といえる。


 要するに、ドイツのサッカーといえば「驚異的な勝負強さと精神力の〈ゲルマン魂〉」、サブサハラ系アフリカ諸国のサッカーといえば「黒人選手の驚異の〈身体能力〉」等々と同じものである。これらの常套句にはある種の偏見が潜んでいる……などと批判される。

 最近はこうした発言には慎重になるのが「世界」の潮流ではなかったか。

 NHKスペシャル「ロストフの14秒」は大変好評だという(当ブログは,ロシアW杯全体の「総集編」や,世紀の談合にして大博打「日本vsポーランド」戦の検証番組も見たい.むろん肯定的な意味で)。ただ、オシムさんの解説は番組のクオリティをほんの少し下げている。

権威に従順な日本人の国民性?
 もっと気になるのが、オシムさんの発言を鵜呑みにしている「日本人」が多いことだ。






 話が矛盾するが、これこそ「権威に従順な日本人の国民性」で、サッカーにふさわしくないメンタリティである。いかに「オシムの言葉」でも「日本人」はもう少し、それを批評的に受容するべきであろう。

 日本人はコレコレといった国民性……という決め付けが、かえって日本サッカーの可能性を狭めている(狭めてきた)からだ。


(了)



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 どうやら、高岡英夫氏と、日本人は猫背だから身体能力が低い(だから日本はW杯で勝てない?)とツイートして大騒ぎになったサッカー日本代表・長友佑都選手とは、なるほど「接点」があったようだ。

浮世絵から日本人の筋肉の動きを読む(!?)高岡英夫
 「日本人は(欧米人やアフリカ系黒人よりも)身体能力が劣っている」⇒「だからサッカーW杯で日本代表は勝てない」⇒「でも大丈夫」⇒「私の理論をあらわした本やDVD、トレーニング器具など(の商品)を購入、実践してください」⇒「そうすれば日本人の身体能力は世界レベルに向上します」……という自称「運動科学者」が、高岡英夫氏である。

 その高岡氏とフリーライター松井浩氏による共著『サッカー日本代表が世界を制する日~ワールドクラスへのフィジカル4条件』(翌年に日韓ワールドカップをひかえた2001年刊)は、そうした高岡氏のまさに「商品」のひとつである。

 この本に目を通すと、いろいろビックリするようなことが書いてある。例えば、江戸時代の浮世絵(錦絵)を見ながら、当時の人々の身体・筋肉の動きを高岡・松井両氏が分析する〔!〕くだりである。
世界に誇れる『見返り美人図』
 ……体の使い方の観点から、歴史にも視野を広げてほしい。特に江戸時代の町人文化に。たとえば、日本が世界に誇る文化遺産に「浮世絵」がある。その浮世絵の傑作に『見返り美人図』があるよね。

 天才浮世絵師と言われる菱川師宣〔ひしかわもろもぶ〕が、江戸時代初期に描いた傑作だよね。記念切手にもなっているから、知っている人も多いと思うんだけど、この見返り美人の素晴らしさは、どこのあるかわかるだろうか。
菱川師宣「見返り美人図」
【見返り美人図】

 もちろん、これだけの傑作だから、いろんな見方ができるよね。その中でも、体の使い方という観点でいえば、どうだろうか。じっくり見てほしい。

 なんと言っても、もも裏のハムストリングスだよね〔!〕。おしりから太ももの後ろ側がしっかり使えている。振り返っているから、膝が深く曲がって前に出ているけれど、上体が後ろに残ったりしていないよね。足首の上にお尻が乗っていて、上半身がスーッと天に向かって伸びている。それに、背中からお尻にかけてとても柔らかい感じがするでしょ〔!〕。まろやかで、触るとふかふかと柔らかくて、気持ち良さそうな感じがする〔!〕。それなのに、腰がギュッと締まっている。

高岡英夫+松井浩『サッカー日本代表が世界を制する日』144-145頁
北斎の浮世絵の人物も達人クラス
 ……江戸時代の男性だって、すごかった。

 たとえば、葛飾北斎の『富嶽百景』に登場する飛脚はね。この絵を見ると、ホントに驚くことばかりだよ。
富嶽百景「暁の不二」
【富嶽百景「暁の不二」】

 「飛脚」というぐらいだから、脚を見ると、おヘソのあたりから動いているようじゃない?〔!〕 のびのびとしていて、足首もめちゃくちゃ細い。当然ながら、アクセル筋であるハムストリングスを使った走りが描かれているよね〔!〕。そして何より、全身の筋肉がトロトロに柔らかそうでしょ〔!〕。例えば、手前の男性は背中から腕にかけて、くにゃくにゃ、トロトロに柔らかそうだし、向こう側の男性も腕がグニョグニョと柔らかそうだよね〔!〕。

 飛脚って、そんなにすごい体の使い方をしていたんだね。さらにひとつひとつ挙げていけば、ほんとにキリがないくらい浮世絵の登場人物は、江戸の職人をはじめとした男性たちも、すごい体の使い方をしているのね。

高岡英夫+松井浩『サッカー日本代表が世界を制する日』148-149頁

高岡英夫説への素朴な疑問とツッコミ
 引用文中の「…だよね」だの「…でしょ」だのといった少々気持ち悪い口語体、また「トロトロ」だのといったオノマトペの多用は、この本が小学生に語り掛けるような文体を採っているからいるからである。それだけに高岡氏らが読者を誘導しているように読めてしまって余計に始末が悪いとも言えるが……。
  1. 江戸時代までの日本人には、高度で優れた身体の動き=身体文化が存在した。
  2. しかし、明治時代以降の近代化・西洋化のために、西洋式の身体文化に強制的に置き換えられ、日本人本来の優れた身体文化は衰退し、失われた。
  3. 現代の日本人は、西洋式の身体の使い方をしている限り、スポーツの世界で欧米人やアフリカ系黒人に勝つことはできない。
  4. だから日本人は、スポーツで「世界に勝つ」ために江戸時代以前の日本人の身体文化を取り戻す必要がある。
  5. そのためのさまざまな「修行」と「研究」を積んできた私=高岡英夫のメソッドやコンテンツ(本やDVD、トレーニング器具、セミナーなど)を購入してください。
 ……高岡英夫氏と松井浩氏は『サッカー日本代表が世界を制する日』の中で、とにかくこういうことを言いたいのである(そうした視点がどこまで妥当なのかは何とも言えない)。もっとも、なにぶん資料に乏しい江戸時代のことだから、高岡・松井両氏は仕方なく浮世絵をタネに話をするしかない。

 しかし、両氏の言及にはいろいろとツッコミどころが多い。

 そもそも、実物に触れたわけでも、写真や動画ですら見たわけでもないのに、浮世絵に描かれている、しかも着物を着ている人物(見返り美人,ちなみにこの絵に特定のモデルはいないという説がある)を見ただけで、筋肉の使い方なんか本当に分かるのだろうか。

 日本が世界に誇るポップカルチャーに「マンガ」がある。だからと言って、マンガの絵を見て、その登場人物の筋肉の使い方を分析するのは間違っている。マンガの絵は一定のデフォルメがされており、解剖学的なリアリティがないからだ。

 日本のマンガの前史とも言える浮世絵も同じく同様、デフォルメがなされている。

 例えば、実際の富士山の頂角は鈍角なのに、浮世絵の富士山はどれも鋭角化の誇張(デフォルメ)がはなはだしい。高岡・松井両氏が紹介した『富嶽百景〈暁の不二〉』の背景の富士山もまたしかり。こうした傾向は、太宰治が短編小説『富嶽百景』でも指摘しているところである。

 江戸時代の浮世絵を見て当時の日本人の身体や筋肉の働きを推測することは、現代のマンガの絵を見て今の日本人の身体や筋肉の働きを読み解くことと同じだ。その方法は妥当性を欠く。それともは高岡英夫氏の特殊な能力で分析しているのか。高岡氏が「透視」する以外に他の科学者には検証できないのだとしたら、高岡氏がやっていることは、やはり、疑似科学なのではないか。

『見返り美人図』の不自然な姿勢には無頓着な高岡英夫
 もっと重要なのは浮世絵の『見返り美人図』は、二次元の世界から立体化されていることなんだ。作者・菱川師宣の出身地、現在の千葉県鋸南町(きょなんまち)には菱川師宣記念館があって、その前には、女優・真野響子さんがモデルになって、彫刻家・長谷川昂さんが制作した『見返り美人図』のブロンズ像(銅像)があるんだよね。


菱川師宣記念館 (トリップアドバイザー提供)
菱川師宣記念館 (トリップアドバイザー提供)
菱川師宣記念館 (トリップアドバイザー提供)

 このブロンズ像から、いろんな見方ができるだろう。その中でも、身体の使い方という観点でいえば、どうかな。じっくり見てほしいんだ。

 なんと言ってもポーズ(姿勢)の不自然さだよね。実際に『見返り美人図』のポーズを真似してみてほしい。首をブロンズ像のような位置に持っていくのは、生身の人間には不可能でしょ。

 作者の菱川師宣は、実際にはこのポーズに無理があるのを知ってて描いているんだ。そうすることで、むしろその絵は素晴らしい芸術作品になる。すぐれた芸術にするためにに、あえて不自然でありえない姿勢やポーズをとらせることは、ドミニク・アングルの『グランド・オダリスク』ほか、古今東西の名画にも見られることなんだよ。

 でも、そうだとすると、「運動科学者」であるはずの高岡英夫さんはどうして『見返り美人図』の不自然なポーズに気が付かなかったんだろうね。あるいは不自然な、ありえない姿勢をしている『見返り美人図』から高岡さんが読み解いた「筋肉の使い方」は正しい指摘なんだろうか。

 とっても不思議だよね。

同じ力士の肉体を浮世絵と写真で比べると…
 実在の人物の身体(肉体)を浮世絵(錦絵)がどのように描いているかを考える題材として、その一分野である「相撲絵」がある。幕末の大相撲力士には、浮世絵に描かれ、かつ写真に撮られた人物がいるのだ。

 幕末、文久3年(1863)に横綱免許を受けた「第11代横綱 不知火光右衛門(しらぬい・こうえもん)」である。横綱土俵入りの「不知火型」に名を残す人であるが、この横綱の浮世絵と写真が残っている。
不知火光右衛門(錦絵)
【不知火光右衛門(錦絵)】

不知火光右衛門(写真中央)
【不知火光右衛門(写真中央)】

 一目で分かる通り、同一人物でも錦絵と写真では力士としての体つきがまるで違う(写真中央の横綱不知火の土俵入りが「不知火型」ではなく「雲龍型」であることは,今回はあまり関係ない)。

 むろん、写真の身体が貧弱なのではない。当時の横綱だから不知火の身体は鍛え上げられた肉体である。力士にボディビルのような見せる筋肉は不要。一方、錦絵の不知火の体つきは誇張(デフォルメ)が激しい。

 江戸時代の浮世絵(錦絵)の持ち味は写実ではなく、デフォルメである。ダメ押しになるが、そこから当時の日本人の身体の動きや使い方を推測する方法は非科学的である。

 やっぱり、高岡英夫はいかがわしいのである。

(了)


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長友佑都 日本に帰国し欧州人との「姿勢」の違いに驚き
  • 日本に帰国した長友佑都が日本人の姿勢についてツイートした
  • 猫背で、表情暗い人かなり多いなぁ。みんな疲れてるんかな」と投稿
  • 「これでは身体能力高い人なかなか出てこないな」と指摘した

長友選手のツイッターは「炎上」か「ステマ」か
 新年早々、サッカー日本代表・長友佑都選手が以下のツイッター2本で「炎上」、ネットでは賛否両論の反応が飛び交った。

 日本人はみんな猫背で姿勢が悪い⇒これでは日本人から身体能力の高い人が出てこない。……と、長友選手は言う。このツイートには「猫背の日本人は、背筋が伸びた欧米人やアフリカ系黒人よりも身体能力が劣っている⇒だから日本人のアスリートはオリンピックやワールドカップで勝つことができない」という含みがある。

 こうした「劣等なる日本人の身体能力は、日本人の(歴史的・伝統的な)生活様式に由来する」という考え方の系譜に連なるものとして、当ブログは、武智鉄二(たけち・てつじ)に始まり、サッカーでは近江達(おうみ・すすむ)、細川周平、佐山一郎らが展開した「日本人すり足民族論」を紹介した(下記のリンク先参照)。
 長友選手の無邪気(?)なツイートが「炎上」してしまったのは、日本サッカー界・サッカーファンの間に沈殿する、こんな「思想」を刺激したからではないか……というのが、当ブログの見立てであった。
 ところが、これは長友選手が関連する姿勢矯正器具商品のステマ(ステルスマーケティング)、要するに広告・宣伝、あるいは「炎上商法」なのだという話が出てきた。

 そうなると、今回の事件はまた違った形で見えてくる。長友選手のツイート炎上⇒ステマ疑惑で思い出したのは、あの高岡英夫氏のことだった。

高岡英夫とは「誰」か?
 そもそも高岡英夫氏とは何者なのか? 簡単に言うと「スポーツやアスリート・武道家、身体、トレーニング等に関する〈科学〉の在野の〈研究者〉であり、その〈成果〉を〈ビジネス〉として提供している人」である。
高岡英夫(プロフィール)
 サッカー選手の身体作りやトレーニングに関する著作も出している。その効能書きの最たるものは、人気サッカー漫画『フットボールネーション』(大武ユキ作)の監修者ということだろう。


 日本人は(欧米人やアフリカ系黒人よりも)身体能力が劣っている⇒だからサッカーW杯で日本代表は勝てない⇒でも大丈夫⇒私(高岡英夫)の理論をあらわした本やDVD、トレーニング器具などを購入してください⇒そうすれば日本人の身体能力は世界レベルに向上します……という、高岡英夫氏。

 日本人は(みんな猫背で)身体能力が(欧米人やアフリカ系黒人よりも)向上しない⇒(これではサッカーW杯で日本代表は勝てない⇒)でも大丈夫⇒私(長友佑都)が推奨する姿勢矯正器具を購入してください⇒そうすれば日本人の(猫背も治って)身体能力は(世界レベルに)向上します……という、長友佑都選手。

 この2人の文脈は、世界レベルに比して「劣等なる日本人の身体能力」という人々のコンプレックスを付け目にしているという点で、よく似ているのである。

トンデモ高岡英夫の世界
 ところが、高岡英夫は毀誉褒貶の激しい、ありていに言えばトンデモ・オカルト・疑似科学の世界の人なのである。ネット上では、例えば、高岡氏がウェイトトレーニングを一概に否定していることが批判の対象になっている。

 そして、こんな指摘がある。
ニセ科学批判の好きな人が多い一方で、高岡英夫(や、似たようなオッサンたち、さらに言えばスピリチュアルくさいライフハックやら)が割とすんなり受け入れられてしまうのがちょっと不気味なのだ。

武道・格闘技にやる側として関わっていた人なら、高岡英夫の名は小耳に挟んだことのある人は少なくないと思う。一時福昌堂系の格闘技雑誌などによく登場し、ディレクトシステム〔DS〕なる理論だか図面で、色々な達人の動きを分析してみせていた人だ。ヒクソンのDSとかいうのもあった。人体に色んな線を入れた図面なのだが、こうした図は高岡の特殊能力(?)で読み取られるものらしい。さらに、宮本武蔵のDSと称するものを一億だか一千万だか、ものすごい値段で売っていた記憶もある(値段はよく覚えていないが、とにかく破格だった)。

高岡英夫の話は、一見もっともらしい。〔以下略〕

ブログ「高岡英夫が流行っているが」2011-09-21
 引用文中に「宮本武蔵のDS〔ディレクトシステム〕」とあったが、あくまで「絵画」であり「美術」である(解剖学の教材などではない)宮本武蔵の自画像をもとに、あるいはあくまでテクストである宮本武蔵の著作『五輪書』をもとに、武蔵の身体の作りや動きなどを「透視」し、分析する。さらにその「成果」をアスリートや武道家に助言する……。
宮本武蔵「自画像」
【宮本武蔵(自画像)】

 ……などということは、怪しさ・いかがわしさに満ちている。

 なおかつ、それは「高岡の特殊能力」によってのみ解読でき、他の科学者が「追試」できる類のものではないこと。以上、まったく科学的ではない。

 高岡氏の理論や実践を参考にすることは、重々に注意した方がいいと思う。

長友佑都選手を憂える
 もともと長友選手は身体作りやトレーニング、食や健康法には大変熱心な人であった。

 しかし、熱心なあまり、長友選手はトンデモ・疑似科学に足を踏み入れているのではないか。オカルト癖にハマったのではないか。そして、日本サッカーや日本スポーツ界その他に好ましからざる影響を及ぼしてしまうのかと危惧する声もある。
長友佑都の食事革命
長友佑都
マガジンハウス
2017-09-28



 疑似科学との風評の立つ人が、スポーツにおける「劣等なる日本人の身体能力」論を煽る。そのことで自身のビジネスへの誘導を図る……長友佑都選手と高岡英夫氏の2人が似通ってくるのは偶然ではないと思う。

 しかし、実際のところ、長友選手はイタリアの名門インテルミラノで長年プレーするなど、サッカー界における「日本人の限界」をかなり打破した人である。その当人が身体能力における「日本人の限界」を唱えてしまうのは、とても悲しいことである。

(了)


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長友佑都 日本に帰国し欧州人との「姿勢」の違いに驚き
  • 日本に帰国した長友佑都が日本人の姿勢についてツイートした
  • 猫背で、表情暗い人かなり多いなぁ。みんな疲れてるんかな」と投稿
  • 「これでは身体能力高い人なかなか出てこないな」と指摘した
長友選手ツイッターで「炎上」
 新年早々、サッカー日本代表・長友佑都選手がツイッターで「炎上」してしまった。
 ……と、これだけだと、何の問題もなかったと思うのだが、続けての……。
 ……このツイートで「炎上」してしまったのである。

 単純化すると、日本人はみんな猫背で姿勢が悪い⇒日本人から身体能力の高い人(アスリート)が出てこない(つまり,欧米人やアフリカ系黒人よりも身体能力が劣っている⇒要するに日本のサッカーは強くなれない?)というのである。

 ネット界隈では、長友発言に関してツイッターなどで賛否両論が飛び交った。
 ……といった否定・反感のツイート。一方、肯定・共感のツイート……
 長友発言は……もっともらしく聞こえる。だから、共感する人がいる。一方で反感する人がいる。しかし、反感する人はその感情をうまく表現できていない気がする。

 長友選手の指摘は「図星」で「ほんとのこと」なのか? 彼のような発言を批判するのは日本人の「だめなところ」なのか? それとも、発言のどこかがおかしいだとしたら、それはいったい何なのか?

「猫背」と「すり足」
 日本のサッカーが弱いのは、日本人の身体能力が(欧米人やアフリカ系黒人よりも)大きく劣っているからである。日本人の身体能力の劣等性は、日本人固有の生活様式に由来している。つまり、それは宿命的なものであり、日本のサッカーは今後とも強くなれることはない……。

 ……という言説は、長友「猫背」ツイート以前から存在した。いわば日本のサッカー論壇の「伝統芸」である。

 よく見られるものに「日本人すり足民族論」とでも呼ぶべきものがある。これはいろんな人(故近江達=おうみ・すすむ=佐山一郎ほか)が論じているが、代表的なものとして細川周平(現代思想系?の音楽学者)の著作『サッカー狂い』から紹介する。

 どうも、この本は一部で「カリスマ・サッカー本」扱いされているらしいのだが(当ブログは特別そうとは思わない)、だからこそ「日本人すり足民族論」みたいな(与太)話を展開されるのは始末に負えない。とにかく、それは以下のようなメタファーで語られる。
  1. 狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人〕にとって、足はふんばるためにあるのではなく、獲物〔ゴール〕を求め、森の茂み〔ピッチ〕をかき分けて進むための移動の装置であった。
  2. 田の中を重心を落として、一歩一歩ずぶりずぶり進んでいく作業を特徴とする農耕民族〔日本人〕に特有のすり足、ふんばり、しゃがみこみは飢えた狩人〔サッカー選手〕にとって致命的だ。それは狩猟〔ゴールを奪うこと=サッカー〕を中止したか、獲物を見失った時〔シュートに失敗した時〕の敗北の動作であるからだ。
  3. 例えば日本〔農耕民族〕の芸能〔能楽や歌舞伎など〕や伝統的なスポーツ〔相撲や柔道,剣道など〕に見られる足技=フットワーク=(見得,四肢の類)が、民俗学者〔誰?〕が説くように、母なる大地との交接……に関わっているならば、狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人=サッカー選手〕の足は、逆に自らを消し、獲物〔ゴール〕のリズムを察知し〔「ゴールの匂い」という暗喩がある〕、たえず場から場へと移動する。
  4. 狩人〔サッカー選手〕はかかとを地面につけてのんびりと歩いていていいのだろうか。いうまでもなく彼〔狩人=サッカー選手〕はかかとを常に緊張させているのだ。
  5. つまりいつでも、とっさに横切る獲物、獣〔ゴール〕に備えて地を蹴る姿勢を〔狩人=サッカー選手=欧米人やアフリカ系黒人〕は忘れたことがない。
細川周平『サッカー狂い』28~29頁
 農耕民族の日本人には、かかとをこすりつけて移動するすり足という身体動作が染み付いている⇒サッカーは常にかかとを上げ、緊張し、移動し、獲物(ゴール)を狙う狩猟民族(欧米人やアフリカ系黒人)のスポーツである⇒つまり農耕民族の日本人にはサッカーに必要な身体能力が身につかない⇒要するに日本のサッカーは今後とも強くなれることはない……という話である。

 さらに「日本人=農耕民族=すり足民族論」の淵源をたどっていくと、故武智鉄二(たけち・てつじ:演出家,映画監督ほか)の日本文化論『伝統と断絶』にたどり着く。読書人にはかなり知られた言説でもある。先に名前を出した近江達氏は、武智鉄二を参考にして「日本人すり足民族論」を書いている。
伝統と断絶 (1969年)
武智 鉄二
風濤社
1969

 長友選手の「猫背ツイート」とその顛末を読んで、連想したのが「日本人すり足民族論」だった。「すり足」という「劣等なる日本人の身体能力」論になじんできた日本のサッカー界には、「猫背」という「劣等なる日本人の身体文化」論に反応する下地があったのだ。

澤穂希が放った「日本人すり足民族論」へのカウンター
 一読してもっともらしい「日本人すり足民族論」は、よくよく考えてみると、おかしな点がたくさんある。

 例えば『サッカー狂い』の著者・細川周平は「サッカー=狩猟」というメタファーに関して、デズモンド・モリス(動物学者)の傑作『サッカー人間学』から多くの着想を得たと書いている(70頁)。だが、モリスは日本人を「農耕民族」と決めつけ、サッカーの世界から排除する文脈で『サッカー人間学』を書いたわけではない。むしろ、Jリーグ以前に書かれたにサッカー本にしては、日本のサッカーを不思議なくらいに好意的に取り上げている。
サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02

 しかし、もっとも手っ取り早い有効なカウンターは、2011年サッカー女子W杯決勝における、女子日本代表(なでしこジャパン)のキャプテン・澤穂希(さわ・ほまれ)選手による「事実上の決勝ゴール」だろう。


 農耕民族であるはずのニッポン人、すり足であるはずのニッポン人=澤穂希が、コーナーキックから飛んできたボールに、右足のかかとを振り上げアウトサイドでボレーシュートをゴールに叩き込んだのである。

 あのシュート⇒ゴールは、女子日本代表を世界一にするとともに「日本人すり足民族論」をも蹴っ飛ばしたのである。

長友ツイートがあぶりだした日本人の通念
 あらためて長友選手の「猫背」ツイートについて。この話には飛躍がありすぎる。個人的で見聞や体験を不当に押し広げて「奇妙な結論」へと一般化をしてしまう「オーバーゼネラリゼーション」(overgeneralization;過度の一般化)が過ぎるのである。

 イタリアから帰ってきた長友選手の眼には「日本人はみんな猫背」に見えたらしい。そんな皮相な観察から、考え方の順序や段階をふまずに、だから「日本人の身体能力は伸びない」という結論へと極端な一般化をしてしまった。

 ほんとうに日本人は「みんな」猫背なのか(何か調査や統計でもあるのだろうか)。そもそも猫背とは何か(きちんと定義づけられているのか)。それがいわゆる身体能力とはどう関係があるのか(そもそも身体能力と何か)。それがサッカー選手としての能力、日本サッカーの強さ弱さとどう関わってくるのか……。

 むろん、1回140字しか書けないツイッターでこんな議論などできないし、日本の多くの人はオーバーゼネラリゼーションに対するリテラシーを意識しない人が多い。だから「日本人は(欧米人やアフリカ系黒人よりも)身体能力で劣っている」という通念を誰もが信じ切っている。

 長友選手の無邪気なツイートは、その通念に火をつけ、あぶりだしてしまった。それが今回の炎上騒ぎの深層といえるかもしれない……。
長友佑都ステマ
 ……と、こんなことを考えていたら、これは長友選手が関連する姿勢矯正器具商品のステマ(ステルスマーケティング)だという話が出てきた。

 そうなると、今回の事件はまた違った形で見えてくる。

つづく


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