はじめに…
ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと10日となりました。
まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。
かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。
サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。
その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。
gazinsai@gazinsai@augustoparty >>自分の知る限りラグビー人は他競技に対してフレンドリーだが…
2019/07/09 21:51:17
そういう人は最近の話で、1980年代はラグビーへ愛情のあまり、他競技、特にサッカーを見下した人が目立った。
当時の文春ナンバーもラグビ… https://t.co/jahUzSnBlt
今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。
日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
前回のエントリーから…
▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言(2019年09月01日)1991年、サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない! と断言した反サッカー主義のラグビー評論家・中尾亘孝。その「ご託宣」は全く外れたわけだが…。
1991年秋、サッカー日本代表(横山謙三監督)が不振にあえいでいた頃、ラグビー日本代表(宿沢ジャパン平尾組)は、アジア・オセアニア予選を突破して第2回ラグビーW杯本大会に進出。国民的な期待を集めていた。
ちょうどその頃、ラグビーW杯の話題に当て込んで刊行されたラグビー評論書が、「日本ラグビー狂会」を自称する中尾亘孝(なかお・のぶたか)の『15人のハーフ・バックス~オレたちにも言わせろ!〈ジャパンはこうすれば強くなる〉』だった。
一方、時を同じくして、20年来の低迷を打破するべく日本サッカー協会(JFA)が国内リーグのプロ化(現在のJリーグ)を発表した。目的は、サッカー人気の再興、そしてサッカー日本代表をワールドカップ本大会に出場させることである。
中尾亘孝は、悪質な反サッカー主義者でもあり、とにかくサッカーが嫌いで嫌いでしょうがない。特に日本のサッカー(Jリーグと日本代表)には茶々を入れずにはいられない。サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は『15人のハーフ・バックス』の中で居丈高に答える。
サッカーはW杯に出られるか
……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
- 日本独自の理論がない。
- 人材が揃わない。
- 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~238頁
【中尾亘孝】
時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。
ところが、周知にとおり、この「ご託宣」は「未来永劫」どころか、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で、たった6年で覆(くつがえ)されてしまったのである
本当は1993年の「ドーハ」で達成されるべきだった(先のリッチリンクを参照)というのは、ひとまず措(お)くとしても……。
他人事のように「ジャケvsレキップ」を語る中尾亘孝
……中尾亘孝に求められたのは、ラグビーファン、サッカーファン、スポーツファンの読者に対する潔い謝罪であった。
とにかく横柄が過ぎる中尾亘孝は、ラグビーフットボールおよびラグビーファンにまつわるある種のイメージ、すなわち「ラグビーを偏愛し,不遜で,他の競技なかんずくサッカーを敵対的に見下している……」というステレオタイプを煽っている。しかし、ここで「私が間違っていました」の一言が出るかどうかで、人としての器量がはかられる。
ところが、中尾亘孝の取った対応は、読者の予想の斜め上をいくものだった。
「ジョホールバルの歓喜」後の、中尾亘孝のサッカーに対する本格的な言及は、1998年12月刊行の『リヴェンジ』である。
はじめに「まえがき」であるが、真面目なラグビーファンやサッカーファンの読者は、いきなり狐(きつね)につままされたような気分にさせられる。
まえがき
ヴェトナム(ヴィエト・ナム)戦争は、アメリカン・ジャーナリズムが勝利した戦争として有名です。〔1998年の〕サッカー・ワールド・カップ・フランス大会は、フランス最大のスポーツ・ジャーナリズム『レキップ』紙(ツール・ド・フランスの元締め)が完全敗北したことで歴史に残るでしょう。考えてみると、今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では歴史に残るケース・スタディだと思います。『レキップ』紙は優勝した〔サッカーの〕フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督に対し、終始一貫して批判的立場をとりながら「優勝」という結果を出したことで、ジャケ監督に全面謝罪したのです。それでも、新聞が売れ続けたことで「批判は正しかった」と開き直ることを忘れていないところがジャーナリスト魂を感じさせます。〔略〕一方、岡田〔武史〕監督率いる〔サッカー〕日本代表の場合は、フランス代表ほど簡単には分析できません。それは、「誰が監督をやろうと結果は同じ」だったろうと多くのファンには分かっていたからです。ところが未だに監督が違う人だったら……〔以下略〕中尾亘孝『リヴェンジ』2頁(原文ママ)
あれ? あれ? あれれ??? 中尾亘孝は、自分の「間違い」を省みることは、しないのか? 何で「ジャケvsレキップ」の一件を、他人事みたいに語ることができるんや?
……というのは、ちょうど中尾亘孝が、サッカー・フランスW杯におけるエメ・ジャケ仏代表監督と『レキップ』紙の話題を出していたので、これに譬(たと)えてみる。
日本サッカーは「サッカー・フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督」の立場であり、日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られないなど日本サッカーにさんざん悪口雑言罵詈讒謗を放言してきた中尾亘孝は『レキップ』紙の立場である。
日本サッカーは「W杯本大会出場」という結果を出した。だから「完全敗北」した中尾亘孝こそ日本サッカーに対して「全面謝罪」しなければならない。今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では日本スポーツジャーナリズム史に残る一大事件でもある。
しかし、自分の論評は正しかったと開き直ることを忘れていないイヤラシサが、反サッカー主義者のラグビー者(もの)=中尾亘孝の本性なのである。
20世紀末,中尾亘孝はすでに「謝ったら死ぬ病」だった
「謝ったら死ぬ病」は21世紀に入ってから流行り始めた奇病だと言われているが、次に紹介する中尾亘孝の強弁的言い訳は、この症例が20世紀末(1998年)には既に存在していたことを明らかにしている。
今を去る7年前〔1991年〕、フットボール・アナリストを自称するおやぢ〔オヤジ=中尾亘孝〕は、「〔日本の〕サッカーは未来永劫ワールド・カップ〔本大会〕には出られない」と断定したことがあります。軽率のそしりはまぬがれない放言であります。周知のように、J-リーグ→ドーハの悲劇→ジョホール・バルの歓喜という風にステップ・アップして、目出たくワールド・カップ・フランス大会に出場したわけです。活字だけでなく、文章も読める人が読めば分かることですが、これには前提があったのです。それは、
- 日本独自の理論がない。
- 人材が揃わない。
- 学閥、派閥の足の引っ張り合い。
以上の三点がクリアされない限り、世界の檜舞台〔W杯〕には絶対立てないという結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っているし、現時点でも同じことを書けば、「4.運、ツキに恵まれる」と、もう一項目付け加える必要さえあるとさえ考えています。〔日本〕サッカーの場合、理論面では「〔19〕90年以降新しい理論は生まれていない」と断言する岡田武史監督の誕生があり〔出典不明〕、中田英寿の登場で人材面はクリア〔いつも過大評価がついて回る人〕、そしてJ-リーグのダイナミズムは派閥をバラバラにして、協会内の既得権益集団へと転向させた〔関東大学ラグビー対抗戦の慶應義塾大学,早稲田大学,明治大学の三校こそ本当の「既得権益集団」だが〕。以上の変革の結果、ヨレヨレヘロヘロの状態だったとはいえ、ワールド・カップ〔本大会〕出場への道を拓いたのだと思う。中尾亘孝『リヴェンジ』11~12頁(原文ママ)
「ヴィエト・ナム」とか、「おやぢ」とか、ハイフンが入った「J-リーグ」とか、中黒が入った「ワールド・カップ」とか「ジョホール・バル」とか……は、中尾亘孝の文章表現上の実につまらない拘泥である。つまり、中尾亘孝は独りよがりで矮小な人間である(だから書名も『リベンジ』ではなく『リヴェンジ』なのである)。
それはともかく、「日本サッカーは絶対W杯本大会に出場できない」と「予想」はしたものの、しかし「事実,現実」はこれを覆(くつがえ)してしまった。それでも、なおかつ中尾亘孝は自身が下した「結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っている」などと言い逃れするのは、どう考えても辻褄(つじつま)が合わない。
要するに、俺は間違ったことは書いていない。それが分からないのは読解力のないお前ら読者がバカだからだ……と、中尾亘孝は見苦しく居直り、責任を転嫁したのだ(こういう,ナチュラルな憎まれ口を平然と書くのが中尾亘孝の品性の下劣さである)。
こんな感じで過去の「ご託宣」の間違い、その「みそぎ」をチャチャっと済ませた(つもりの)中尾亘孝は、今度は『リヴェンジ』で、1998年サッカー・フランスW杯で3戦3敗1次リーグ敗退に終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンや日本人サポーターを愚弄し、嘲笑する「ご高説」を垂れるようになったのである。
サッカー、なかんずく日本サッカーを、しつこくヘイト(hate)し、ハラスメント(harassment)する、その中尾亘孝の「ご高説」の逐一は細かくは紹介しないの。物好きなサッカーファンやラグビーファンは現物に当たってほしい(目次のみPDFのデータにしたので参照されたい)。
こんな言動は、インターネット全盛の21世紀ならば炎上必至である。……ばかりか、個人情報を特定されて、中尾亘孝一個人が報いを受けても、誰からも同情されないという事態すら起こりうる。
中尾亘孝は日本語の読み書きができない与太郎である
それでは、日本語の読解力がない(活字ではなく文章が読めない)バカなのは、読者(サッカーファンやラグビーファン)なのか、あるいは反サッカー主義者の中尾亘孝なのか、軽く検証してみる。
先の引用文だけでなく、中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』の該当部分については、PDFデータでもアップしたので、そちらも参照されたい。
1991年の『15人のハーフ・バックス』では、日本サッカーがW杯本大会に出られるかどうかについては、完全に「ノー」だと断言している。そして、その「原因」として例の3か条を挙げている。
- 日本独自の理論がない。
- 人材が揃わない。
- 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
ところが、これが1998年の『リヴェンジ』では、この3か条は、日本サッカーがW杯本大会出場を「クリア」するべき「前提」に話をスリ替えて(!)いる。自身の言行一致を取り繕うために、おかしな自己弁護に走っているのは、サッカーファンやサッカー関係者に「謝ったら死ぬ病」に罹(かか)った中尾亘孝の方である。
ついでに、中尾亘孝が追加した「4.運、ツキに恵まれる」の項目についても説明しておくと……。1997年のフランスW杯アジア最終予選では、たしかアウェーのウズベキスタン戦で、試合終了間際の偶発的なゴールで同点に追いついたことがあり、この得点がグループリーグの最後に効いてくる……ということがあった。
これなどは、中尾亘孝が言うように「運、ツキに恵まれ」た実例なのかもしれない。
しかし、日本サッカー狂会を出身母体を持つサッカージャーナリストの後藤健生さんの「理論」に従えば、サッカーの場合、局面局面では偶発的な出来事が起こっても、リーグ戦(ラウンドロビンとでも言わなきゃならんのか?)の最後には、おおむね実力通りの結果に収斂されてくる。
この「理論」は、後藤健生さんの著作『アジア・サッカー戦記』や『ワールドカップの世紀』などに出てくる話である。
つまり、サッカー日本代表=加茂&岡田ジャパンは、1997年のフランスW杯アジア最終予選において、少なからず迷走はしたが「おおむね」実力通りの結果を出したのである。だいたい「運、ツキに恵まれ」ただけで、1998年から2018年まで、サッカー日本代表は6回連続してW杯本大会に出場などできない。
中尾亘孝は、実は日本のサッカーのことをよく知らない。自称「日本ラグビー狂会」の中尾亘孝の本を読んでいて不思議に思うのは、反サッカー主義者にもかかわらず、「狂会」の名前をサッカーからパクっているにもかかわらず、しかし、日本サッカー狂会の後藤健生さんの著作を、まったく(ほとんど)参照していないことだ。
このことは、中尾亘孝のことを「ラグビーの後藤健生」などというトンデモない紹介をした、佐山一郎さんも気が付いていないようである(佐山一郎さんの中尾亘孝評は「兄弟フットボールライターからの助言」として,佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。
中尾亘孝は、後藤健生さんの著作を意図的に参照しないことで、日本サッカーの伸長を認めないという詐術を用いる卑劣漢なのである。
ラグビーファン=〈観客〉から見放された中尾亘孝
なにより、中尾亘孝の、この卑怯未練な言動に嘆き悲しんだのは、他でもない、真面目で善良なラグビーファンたちだった。『リヴェンジ』における逆ギレの一件は、読者=ラグビーファンが中尾亘孝から離反していく決定的なキッカケになっていく。
これ以降、中尾亘孝のラグビー本体の評論の質も大きく、ますます下がった。『ラグビーマガジン』や文春『ナンバー』ラグビー記事への執筆の機会も減った(たまに間違って起用されては,読者のヒンシュクを買うが)。
中尾亘孝が編集を周旋している「狂会本」と通称されるアンソロジー形式のラグビー本からは、小林深緑郎さん、大友信彦さん、永田洋光さん、藤島大さんといった有為な常連執筆者が去っていった。昨今の「狂会本」は、ラグビーファンからは、中尾亘孝主宰の「同人誌」などと揶揄されるほど、コンテンツの質が下がった。
このことは、本人も意識しているのかもしれない。かつて、中尾亘孝は自身の著作のプロフィール欄には「〈観客〉の立場から独自のラグビー評論を展開」するとあった。
ところが、『リヴェンジ』の少し後から「〈観客〉の立場」を自ら放棄し、「フルタイムのラグビー・ウォッチャー」とか、先の引用文にあったように「フットボール・アナリスト」などという不思議な肩書を自称するようになっていく。
〈観客〉たるラグビーファンから見放され、自らも〈観客〉と決別した中尾亘孝。そのラグビー観や反サッカー主義は、さらにさらに歪んだものになっていった。
(つづく)