スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:日本サッカー狂会

『サッカー狂い』への過剰な評価
 日本のサッカー界隈では、細川周平氏(音楽学者,フランス現代思想家)の著作『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』(1989年)がカリスマ本扱いされている。

サッカー狂い―時間・球体・ゴール
細川 周平
哲学書房
1989-01T


 ドゥルーズ=ガタリをはじめとしたフランス現代思想を援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った名著として過剰なまでに高く評価されてきた。

 しかし、ハッキリ言ってそこまで賛美するほどの著作ではない。千野圭一編集長時代の旧「WEBサッカーマガジン」の匿名電子掲示板に、この本のことを「サッカー冷遇時代におけるヒガミ根性丸出しの一冊」と揶揄した書き込みがあったが、この指摘はある意味で正しい。

 そうした性格をキチンと知らないことには『サッカー狂い』の評価をかえって誤るし、日本のサッカー文化総体も理解できない。

ニューアカとスポーツ評論
 そもそもJリーグが始まる1993年より4年も前、後藤健生氏の『サッカーの世紀』が刊行された1995年より6年も前の1989年「日本サッカー冬の時代」に、何故このような本が出版できたのか?

サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07T


 まず時代背景がある。1980年代、いわゆる「ニューアカデミズム」が持てはやされており、フランス現代思想、ポストモダン哲学、ポスト構造主義……といった知的潮流が輸入され、一種のファッションとして流行していた。細川周平氏も、音楽学者として『音楽の記号論』や『ウォークマンの修辞学』その他の論考で、ニューアカ・ブームの一翼を担っていた。

音楽の記号論 (エピステーメー叢書)
細川周平
朝日出版社
1981-01T


 ニューアカからのスポーツへの言及としては、文芸・映画評論家の蓮實重彦氏(時に「草野進」名義も使用)らが行った、大胆で放埓な修辞と晦渋な文体、そして「スポーツそのものの美こそが絶対」という視点に立った「プロ野球批評」がこれまた称揚されていた。

どうしたって、プロ野球は面白い
草野 進
中央公論新社
1984-09-01


 細川周平氏が『サッカー狂い』を執筆し、上梓することができたのは、そうした時代の余恵にあずかったところが大きい。

狭い内輪の世界の「お作法」
 しかし、細川周平氏や蓮實重彦氏が依ってきたフランス現代思想というものは、いたずらに晦渋なだけで、世の中の実際の在り様に真摯に対応していない「絵空事」であると、しばしば批判されてきた代物でもある。

 だから、フランス現代思想やそれに触発された文芸批評に乗じたスポーツ「批評」というのは、あくまで狭い内輪の世界の「お作法」でしかない。スポーツ評論ではなく、いわばスポーツの文芸批評であり、あるいはスポーツを種にしたフランス現代思想の展開にすぎない。

 この種の思想に没入し、特定の対象を耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に嫌悪するようになる。『サッカー狂い』も同様。例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(著者・細川氏は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの悪罵である。

 しかし、それぞれのスポーツは各々固有のゲーム性=面白さが当然あるわけだから、細川周平氏の言説はいかにも品がない。

日本サッカー界隈における反ドイツ主義
 あるいは、著者が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化「愚鈍なサッカー」として執拗に嫌悪し出したのも『サッカー狂い』である。以来、日本のサッカー界隈はドイツ・サッカーに対する好感を素直に表明しづらくなった。

 たしかに、橋本誠記者(時事通信社)もまた、時事通信社のWEBサイトで、もともと親ドイツだった日本サッカー界の反動としての、日本人サッカーファンのドイツ・サッカーへの複雑な感情を書き連ねてはいる。
  • 参照:橋本誠「だからサッカー・ドイツ代表が嫌いだった~最強チームへの敬意を込めて」https://www.jiji.com/sp/v4?id=germannationalfb0001
 だが、それと比べても細川周平氏の言説はいかにも品がない。

サッカーは「反日本的」か?
 さらに、細川周平氏の嫌悪の矛先は、まだ「冬の時代」だった日本サッカーにも及ぶ。

 とにかく折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。著者曰く「サッカーを愛すれば愛するほど、ぼく〔細川周平氏〕は日本から遠ざかっていく気がする。サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」……と。

 しかし、その自虐的な日本サッカー観の根底にあるのは何かといえば、サッカーは狩猟民族のスポーツで日本人は農耕民族なのだからサッカーに向いていない……といった類の陳腐で凡庸で、そして決定的に間違っている日本人論・日本文化論的サッカー観である。

 細川周平氏の言説はいかにも品がない。

日本の「サッカー狂い」の分断
 これら全て著者の「ヒガミ根性」なのだが、それをフランス現代思想のファッショナブルな衒学で飾っているだけに非常に厄介である。細川周平氏の『サッカー狂い』は「この本は知的に高尚で深遠であるはず」「自分は頭が悪いとは思われたくない」と自らに強迫した日本のサッカーファンによって正当化され、称揚されてきた。

 それは「日本サッカー冬の時代」の限界だろうか? その認識が正しくないのは、例えば日本サッカー狂会の鈴木良韶和尚や、久保田淳氏(著書に『ぼくたちのW杯~サポーターが見た!フランスへの熱き軌跡』ほか)、後藤健生氏(著書に『日本サッカーの未来世紀』ほか)のように、Jリーグ以前から、苦い肝を嘗めながらも日本サッカーを見捨てずに応援してきた「サッカー狂い」の層が一方で存在するからである。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


日本サッカーの未来世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2001-08T


 細川周平氏に象徴されるサッカー狂、翻って鈴木和尚や久保田氏、後藤氏に代表されるサッカー狂。このふたつの日本のサッカーファン層の間には高くて長い壁が存在している。

 『サッカー狂い』は、はしたなくも日本のサッカーの精神文化を表している。後の時代の金子達仁氏や杉山茂樹氏、村上龍氏……といった、日本サッカーを殊更に蔑んでは自身のサッカー観の確かさや批評精神を誇示するサッカー関係者の先駆けと言える。

 また、日本のサッカーを敬遠するが欧州の一流どころの海外サッカーは嗜むサッカーファン層(むろん細川周平氏は日本のサッカーとドイツ以外の海外のサッカーとサッカー文化には好意的である)と、日本代表やJリーグなど日本サッカーを応援するサッカーファン層との分断の先駆けとも言える。

 どうしたって『サッカー狂い』は面白く読めない。けれども日本のサッカーやサッカーファンの屈折した精神史を、著者・細川周平氏の意図とは違った視点で興味深くたどれるトンデモない史料(資料)としては、反比例的な評価はできるのかもしれない。

(了)




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カネコタツヒト氏的「ドーハの悲劇」の総括とは何か?
 1993年のJリーグ開始以降、最も成り上がったサッカーライターは金子達仁氏である。その金子達仁氏がスポーツファンの読者に注目されたのは、1996年アトランタ・オリンピックのサッカー日本代表にまつわるスポーツノンフィクションであった……と、一般には思われている。しかし、それは正しくない。

 金子達仁氏がスポーツファンの読者に注目されたのは、実はその以前、1993年、アメリカW杯アジア最終予選「ドーハの悲劇」である。微温的な「感動をありがとう」的な一般スポーツ報道の氾濫の中にあって、当時在籍していた専門誌『サッカーダイジェスト』において、サッカー日本代表=オフト・ジャパンに下した一連の「厳しい評価」であった。

「ドーハの悲劇」Wikipedia日本語版(20201003)
【ドーハの悲劇】

 そのコンテンツは『金子達仁ベストセレクション〈1〉「激白」』で読むことが出来る。

 ここで金子達仁氏が展開したロジックを思いっきり端折って説明する。

 氏は、FIFAが公開したアメリカW杯アジア最終予選参加各国の「ボールキープの時間」(いわゆる「ボールポゼッション」)と、金子達仁氏自身がVTRから数え上げた「1対1」の勝敗(いわゆる「デュエル」,ヘディングの空中戦を含む)を対比してみせた。

1993年W杯アジア最終予選におけるボールポゼッション
【1993年W杯アジア最終予選におけるボールポゼッション】

1993年W杯アジア最終予選におけるデュエル
【1993年W杯アジア最終予選におけるデュエル】

 すると、アジア最終予選でのオフト・ジャパンは、「ボールポゼッション」ではおおむね優位に立っていたが、「デュエル」では圧倒的に劣勢だった(前掲の写真参照)。

 つまり、金子達仁氏が下した「厳しい評価」とは「オフト・ジャパンは,〈日本のサッカーの個の力の弱さ〉=デュエルの弱さ=を,組織や戦術=ボールポゼッション=で誤魔化したものに過ぎない」というロジックを、ひたすら自虐的に畳みかけただけの話だった。

 もっとも、それは、だから多くの(純情な)サッカーファンの琴線を大いにくすぐったのだが。

遠藤航選手をめぐる金子達仁氏の「まなざし」
 金子達仁氏の「日本のサッカーの個の力の弱さ=デュエルの弱さ」は「日本のサッカーの個の力」の弱さに換言可能であり、日本のサッカーは「組織や戦術=ボールポゼッション=で誤魔化したものに過ぎない」は「日本人の集団主義的な組織や戦術=ボールポゼッション=で誤魔化したものに過ぎない」と換言可能である。

 すなわち、金子達仁氏もまた1980年代初頭に確立していた「ネガティブな日本人論的日本サッカー観」の持ち主であり、その論理に適った発言を続けたので、だから多くの(純情な)サッカーファンの琴線を大いにくすぐったのである。

 ……と、そんなのころへ、サッカー日本代表・遠藤航選手(シュトゥットガルト所属)が、ドイツ・ブンデスリーガ1部で、「リーグトップのデュエル勝利数を記録していることも現地で話題を集めている」(NPB的に言うと「デュエル王」になった)との、過去の金子達仁氏の発言を知っている者としては、少々意外(?)な話題が飛び込んできた。
  • 参照:Goal編集部「遠藤航,ブンデス首位のデュエル勝利数に満足〈日本人に対する偏見を少しばかり覆せたかも〉」(2021年5月07日)https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/bundesliga-stuttgart-wataru-endo-20210507/fqkez3preioj13hfw4boj3ix1
  • 参照:中野吉之伴「ブンデスのデュエル王・遠藤航は〈日本のメッシで静かなリーダー〉? 絶対的な信頼を得た理由〈市場価値400%アップ〉」(2021/05/24)https://number.bunshun.jp/articles/-/848186
 こうした「そもそも〈個の力が弱い〉,すなわちデュエル=1対1に弱い……という日本のサッカー」のイメージを覆す日本代表選手が中田英寿的な意味(文脈)ではなく誕生したことは、大いに興味をそそられる事態である。

 金子達仁氏も、遠藤航選手の「デュエルの強さ」には肯定的な評価を下していた。
  • 参照:金子達仁「遠藤航がこの1年で変貌を遂げた,新たなタイプのボランチ像」(2021.07.07)https://media.alpen-group.jp/media/detail/football_210707_01.html
 が、しかし……。中田英寿という人間性に懐疑的な人間にとっては、中田英寿のコメントを引き合いに出して遠藤航選手を評価したことがいけない。ああ、相変わらずカネコタツヒトはカネコタツヒトだなぁ……と嘆息する。
  • 参照:サッカーの国際試合と国歌(2)~中田英寿の場合(2018年08月13日)https://gazinsai.blog.jp/archives/33328560.html
 「日本のサッカー」のイメージを覆す日本代表選手が中田英寿的な意味(文脈)ではなく誕生したことが重要なのである。

 そこが分かっていない(?)金子達仁氏は、今なお毀誉褒貶の激しい発言をする人なのである。

(了)




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前回のおさらい
 その著書『サッカー狂い』の中で「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼくは日本から遠ざかっていく」と語っていた細川周平氏(音楽学者,フランス現代思想家)。

 その自虐的日本サッカー観の底流には「サッカー=狩猟民族のスポーツ/日本人=農耕民族だからサッカーに向いていない」などという陳腐で凡庸な二元論的俗説があった。
  • 参照:まだまだ細川周平著『サッカー狂い』~フランス現代思想と日本人農耕民族説(https://gazinsai.blog.jp/archives/42024801.html)
 狩猟民族である欧米人やアフリカ系黒人とは全く対照的に異なる「農耕民族」であることによって、まず気質やメンタルまたはメタフィジカル、すなわち精神文化の部分で「日本人はサッカーに向いていない」と示された。

日本人=農耕民族=すり足文化=サッカー不向き論
 それだけではない。体質またはフィジカル、すなわち身体文化の部分でも「日本人はサッカーに向いていない」と、細川周平著『サッカー狂い』は言うのである。しかも、それは単なる体格やスタミナやコンタクトの問題ではないと言うのである(引用にあたっては適宜に改行と省略と〔 〕による補足とを行った)。
 ……狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人〕にとって、足はふんばるためにあるのではなく、獲物〔ゴール〕を求め、森の茂み〔ピッチ〕をかき分けて進むための移動の装置であった。

 田の中を重心を落として、一歩一歩ずぶりずぶり進んでいく作業を特徴とする農耕民族〔日本人〕に特有のすり足、ふんばり、しゃがみこみは飢えた狩人〔サッカー選手〕にとって致命的だ。それは狩猟〔ゴールを奪うこと=サッカー〕を中止したか、獲物を見失った時〔シュートに失敗した時〕の敗北の動作であるからだ。<1>

 例えば日本〔農耕民族〕の芸能〔能楽や歌舞伎など〕や伝統的なスポーツ〔相撲や柔道,剣道など〕に見られる足技=フットワーク=(見得,四肢の類)が、民俗学者〔誰?〕が説くように、母なる大地との交接……に関わっているならば、狩人〔狩猟民族=欧米人やアフリカ系黒人=サッカー選手〕の足は、逆に自らを消し、獲物〔ゴール〕のリズムを察知し〔ゴールの匂い…という暗喩がある〕、たえず場から場へと移動する。〔略〕

 脱領域化の歩行者-狩猟者。一種の負の記号性を帯びた歩行、獲物―固有性を追いつづけるひめやかな狩猟、隠れながら顕れる漂流、両足が刻む(あるいは動物の四つの足が刻む)シンコペーションのリズム……

 ……しかし狩人〔サッカー選手〕はかかとを地面につけてのんびりと歩いていていいのだろうか。いうまでもなく彼〔狩人=サッカー選手〕はかかとを常に緊張させているのだ。

 つまりいつでも、とっさに横切る獲物、獣〔ゴール〕に備えて地を蹴る姿勢を〔狩人=サッカー選手=欧米人やアフリカ系黒人〕は忘れたことがない。

細川周平『サッカー狂い』初版28~29頁


細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
【1989年『サッカー狂い』初版表紙】
 要するに、農耕民族の日本人には、かかとをこすりつけて移動するすり足という身体文化が染み付いている→→→サッカーは常にかかとを上げ、緊張し、移動し、獲物(ゴール)を狙う狩猟民族(欧米人やアフリカ系黒人)のスポーツである→→→愚鈍な農耕民族の日本人にはサッカーに必要な身体能力が身につかない→→→日本のサッカーは今後とも強くなれる可能性は皆無である……というお話である。

 もはや精神文化でも身体文化でも「日本人はサッカーに向いていない」。こうなると日本のサッカーは、ただただ絶望するしかない。こういう考え方が骨の髄まで染み込んだ細川周平氏だから「サッカーを愛すれば愛するほど,日本から遠ざかっていく」のである。

サッカー論壇における「日本人=すり足文化論」の系譜
 この「日本人=農耕民族=すり足身体文化論」は、実は読書人にはかなり知られた言説である。この説を初めて唱えたのは、武智鉄二氏(たけち・てつじ.演出家,映画監督ほか.故人)の身体論的日本文化論『伝統と断絶』(1969年初版)である。

伝統と断絶 (1969年)
武智 鉄二
風濤社
1969T


 この中で武智鉄二氏は、日本人は世界に類例のない「農耕民族」で、だから、精神文化から(細川周平氏が『サッカー狂い』で述べていたように)「すり足」の身体文化から狩猟民族のスポーツ=サッカーは長らく日本では人気が出なかった。日本人には野球の方が人気がある。その野球もアメリカには敵わない……といった話をつらつらと書いている。

 武智鉄二氏を淵源として、「日本人=農耕民族=すり足文化論」は、1970年代初めから1992~1993年頃までの日本サッカーの長期低迷期「冬の時代」にあって、日本のサッカー論壇における否定的な日本サッカー文化論の定番ネタのひとつであった。

 例えば、日本サッカー「冬の時代」の最中にあった1980年代、当時アマチュアだった後藤健生氏(サッカージャーナリスト)が編集長をしていた『サッカージャーナル』というミニコミ誌が活動していた。そこでは在野の少年サッカー指導者として有名だった近江達氏(おうみ・すすむ.医師,京都大学医学部卒,京大サッカー部主将.故人)が「日本サッカーにルネサンスは起こるか?」という、日本サッカーの文化評論の連載をしていた。

 その連載第14回では、武智鉄二氏の持論を援用しつつ次のように述べている(要約)。

 世界の各民族の特有の運動能力は、それぞれの伝統的民族舞踊でわかる。日本人には能楽で見られるようなすり足はあったが、外国人(欧米人やアフリカ系黒人)のようなリズミカルな動き、特にジグザグの足の動きがなかった。日本のサッカー関係者にとってはショッキングな話だが、盆踊りや日本舞踊からみても、おそらく事実であろう……。

 ……サッカー選手の身体には、そうした民族特有の運動神経やリズム、感覚などが生れつき備わっているわけだから、これではとても日本人に勝ち目はない。

近江達『日本サッカーにルネサンスは起こるか?』
【1991年に自費出版された『日本サッカーにルネサンスは起こるか?』】

 佐山一郎氏(作家,編集者ほか)は、『サッカー狂い』巻末の謝辞でも名前が出ていたように細川周平氏とはオトモダチ関係にある(たしか同じ草サッカークラブのチームメイトだったか)。1980年代より日本のサッカー論壇で重きをなし、ありとあらゆる「日本的なるもの」を「非サッカー的なるもの」として否定的に語ってきた佐山一郎氏にとっても「日本人=すり足文化論」は、お気に入りのネタであった
 ……ここで言いたいのは、〔1985年〕W杯初出場の夢破れた直後の日本リーグ〔旧JSL〕の試合に足を運んだ観客数の極端な少なさ。本当に、ひ、ふ、み、よぉ、と数えられるほどの少なさでした。あれじゃあ、わざわざ国立霞ヶ丘競技場〔旧国立競技場〕を使う必要もないうえに……

 ……つまり、もしかすると、心底からサッカーを見ることが好きな日本人は意外に少ないのではないかという根源的な疑念を持ち始めるに十分なシーンが、あの日の閑散とした国立競技場にはあった。〔中略〕

 摺〔す〕り足の文化と鎖国の長かった日本ではスポーツ観戦もどこか〈間〔ま〕〉を楽しむ花見酒風。つかこうへい氏〔劇作家,演出家,小説家〕が現役時代の釜本選手の凄さを確かめに初めてサッカーを見にいった際、よそ見した瞬間にゴール成って立腹したと以前面白く書いていたけれど、動作がとぎれない90分間を集中して視つづける習慣……〔日本的〕物見遊山とは正反対の伸〔の〕るか反〔そ〕るかの狩人の眼の獲得こそがサッカー観戦の醍醐味なんですけどね。これはフィールド上のプレーヤーにおいても全く同じことが言えるでしょう。<2>

佐山一郎「サッカーの見方が変わってきた」@『サッカーハンドブック '91-'92』


 サッカーは、「やる側」のみならず「見る側」にとっても俊敏な「狩人」でなければならず、愚鈍な「農夫」でしかないニッポン人にはサッカーの面白さなど分からない……。Jリーグがスタートするほんの少し前まで、こんな馬鹿げた話が真面目に論じられていたのであった。

澤穂希が放った「日本人=すり足文化論」へのシュート
 否、「日本人がサッカーに向いていない」という俗説がまかり通る現象はけして過去形ではない。例えば、2014年ブラジルW杯で「惨敗」した時のように、日本サッカーが何か大きなダメージを食らうと、マスメディアやインタネット、SNSに噴出する。

 本当のところ、どうなのだろうか? 過日、『アナキストサッカーマニュアル』の著者ガブリエル・クーン氏が来日して、トークイベントを行った。

 当方、本を持っていたので、クーン氏にサインをもらいに行った。その時の簡単な質疑応答である(通訳が同書邦訳者の甘糟智子氏であった)。
当方「日本人は,自分たち(日本人)のことを〈サッカーに向いていない民族〉だと思い込んでいるんですよ……」

ガブリエル・クーン氏「そんなことないだろう.2011年女子W杯で日本代表(なでしこジャパン)が優勝しているじゃないか」


ガブリエル・クーン氏のサイン
【ガブリエル・クーン氏のサイン】
 実にアッサリとした回答だったが、そうなのである。「日本人」という括りの民族なり「人種」なりが実存するのだとして、それがサッカーというスポーツが備え持った「ゲーム性」との相性が決定的に悪いのであれば、女子サッカーで日本代表が世界一になることもないはずである。

 話を「日本人=すり足文化論」に絞りましょう。この俗説に対するもっとも有力な「反証」は、2011年サッカー女子W杯決勝戦「日本vsアメリカ合衆国」延長後半終了間際における、女子日本代表(なでしこジャパン)のキャプテン・澤穂希(さわ・ほまれ)選手による同点ゴールのシュートである。

 澤穂希選手は、コーナーキックから飛んできたボールに、右足のかかとを振り上げ、つま先のアウトサイドでボレーシュートしてコースを変え、ゴールに叩き込んだのである。

澤穂希のつま先シュートからゴール
【澤穂希のつま先シュートからゴール】

 日本の女子サッカー、日本のサッカーを応援している人にとっては、実に感慨深いシュート→→→ゴールであった。同時に「日本人=すり足文化論」(日本人=農耕民族=すり足身体文化論)が日本のサッカー論壇に一定の影響を与えていることを知っている人間にとっても、実に感慨深いシュート→→→ゴールであった。

細川周平氏や佐山一郎氏は澤穂希に平伏すべきである
 それにしても、農耕民族……田の中を重心を落として一歩一歩ずぶりずぶり進んでいく作業を特徴とする農耕民族であるはずのニッポン人、すり足民族であるはずのニッポン人=澤穂希が、どうしてあんなシュートを打てたのだろうか?

 澤穂希選手の、あのシュート、そしてあのゴールは、サッカー女子日本代表を世界一にするとともに「日本人=すり足文化論」をも鮮やかに否定し、蹴っ飛ばしたのである。

 鬼籍に入られた武智鉄二氏や近江達氏は致し方ないが、細川周平氏や佐山一郎氏は「日本人=すり足文化論」などで否定的で自虐的な日本サッカー観を煽った手前、あの澤穂希のシュート→→→ゴールについてどう思っているのか? ……反省とは言わないが、感想は知りたい。

 しかし、細川周平氏はJリーグがスタートした1993年前後からサッカーに関する発言がほとんどなくなった。佐山一郎氏の方は2018年の『日本サッカー辛航紀』を最後にサッカー論壇からの「引退」を公言している。

 『日本サッカー辛航紀』には、サッカー女子日本代表の2011年女子W杯優勝はほんの少ししか触れていない。これも一種の思想逃亡(?)と言えようか……。

(了)




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サッカーを愛すれば愛するほど日本から遠ざかる?
 音楽学者・細川周平氏の著作、一部でカリスマ的サッカー本扱いされている『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』。……ではあるのだが、サッカーファンが辟易させられるのは何もこの本の内容と文体が晦渋だからではない。むしろ、著者・細川周平氏が日本のサッカーに対する態度が異様なまでに自虐的だからだ。例えばこんな気取った感じで……。
 サッカーを愛すれば愛するほど、ぼく〔細川周平〕は日本から遠ざかっていく気がする。サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない。

細川周平「トーキョー」@『サッカー狂い』


 いったいどこがどうなって細川周平氏は「日本から遠ざかっていく気がする」のか? いったいどこがどうなってサッカーは「反日本的な競技」になるのか? ……物好きなサッカーファンには、実際に『サッカー狂い』を読んで確認されたい。否、読後感が非常に不快なので本当はあまりおススメしないが。

「サッカー=狩猟民族/日本人=農耕民族」説の痕跡
 このような「自虐的日本サッカー観」を折に触れて表明することによって、細川周平氏は、サッカーというスポーツへの理解度や忠誠心、批評精神を示してきた。しかし、それはJリーグ以前のサッカーファンの一般的な心根とはいえないし、日本サッカーの長期低迷期「冬の時代」の限界ともいえない。

 なぜなら、『ぼくたちのW杯~サポーターが見た! フランスへの熱き軌跡』(光文社,1998年)の著者のひとりである久保田淳氏や、『日本サッカーの未来世紀』(文藝春秋,1997年)の著者・後藤健生氏のような、苦い肝を嘗(な)めながらも日本サッカーを見捨てずに応援していた「サッカー狂い」の層があるからである。

 それにしても、細川周平氏の「自虐的日本サッカー観」の淵源は奈辺にありや? あらためて『サッカー狂い』を開いて、事実上の第1章「ゲーム(前半):足」の字面を追いかけてみると、するとどうです。出てきた出てきた証拠の品々が……。〔各引用文末のノンブルは1989年初版の単行本から〕

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
【1989年『サッカー狂い』初版表紙】

▼ 〈走る〉は、絶えず移動する獲物よりも速く走らなくては、餌にありつくことのできなかった狩猟時代の記憶を蘇らせる。〔31頁〕

▼ サッカーにおける走りは、獲物の数だけがものをいっていた、狩猟民時代の記憶を秘めている。〔33頁〕

▼ 〔日本を含めた〕東洋では、〈蹴る〉ことは、格闘技では主要な攻撃の動作として認められたが、メソアメリカ〔メキシコおよび中米地域〕のように生ゴムもなく、イギリスのように、牛や豚の膀胱を〔膨らませてボールとして〕遊戯に用いられるような狩猟民族的な発想も乏しかったた†10、球技はあまり盛んでなく、従って、それをけって遊ぶという発想も広まらなかったようだ。〔36~37頁〕

 この「†10」の部分には後注がついており、71頁の該当部分には次の説明がなされてある。

▼†10 中村敏雄『オフサイドはなぜ反則か』、三省堂、1985年、38頁以降、F・P・マグーン・jr『フットボールの社会史』、忍足欣四郎訳、岩波新書、1985年、ほか。〔71頁〕

 参考のために、これもフットボール関係(サッカー,ラグビーほか)の名著だと言われている、中村敏雄(故人)の『オフサイドはなぜ反則か』には何が書かれてあるのか確認しておく。これは非常に長いので要約になるが……。
 膀胱のボールを作るためには牛や豚が屠畜されなければならない。昔のイギリス人(欧米人)は血まみれの膀胱ボールを蹴っていたのではないか? また膀胱ボールは破れやすかったという。昔のイギリス人(欧米人)は膀胱ボールが敗れるたびに、牛や豚を屠畜していたのではないか?

 血まみれの膀胱ボールを蹴り合い、楽しみ、それが破れるたびに牛や豚を殺していた昔のイギリス人(欧米人)の感覚はまさに荒々しい狩猟民族の精神そのものであり、対照的に温和な「農耕民族=日本人」にはフットボール(サッカーやラグビー)の本質は理解できないのではないか?

中村敏雄『オフサイドはなぜ反則か』初版本78~79頁より要約



 もっとも、血まみれの膀胱ボールだの、膀胱ボールが破れるたびに牛や豚を屠畜していたなどと言う話は、何か文献的な根拠があるわけではなく、あくまで著者・中村敏雄の想像(妄想?)だ。それはともかく細川周平氏の『サッカー狂い』からの引用を続ける。

▼ この時代〔13世紀頃のイギリス〕は生首をボール代わりに蹴ることもあった。……想像がつくように蹴ること自体が楽しいというよりも、首狩族と同じく象徴的な優越感がこめられているようだ。日本には首を晒〔さら〕す習慣はあったが、それを蹴ることはなかった、狩猟民〔=サッカーの盛んな「世界」?〕と農耕民〔=日本人〕の違いなのだろうか。世界の共通語であるゴール(goal)なる語が初めて蹴球で用いられたのが1577年。……〔40~41頁〕

 どこかで私たちが聞き覚えのある「雑音」がガヤガヤと聞こえてきたではないか。

 そして、この「章」の後注で、著者・細川周平氏は次のように述べている。

▼†2 ……サッカーを狩猟に擬した不朽の名著にデズモンド・モリスの『サッカー部族』(『サッカー人間学』白井尚之訳、小学館、1983年)があり、〔本書『サッカー狂い』は〕ここから多くのアイデアを得た。〔70頁〕

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02T


The Soccer Tribe
Morris, Desmond
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 要するに、ドゥルーズ=ガタリなどのフランス現代思想を操り「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語ってやまない細川周平氏は、どうやら実は「サッカー=狩猟民族のスポーツ/日本人=農耕民族だからサッカーに向いていない」という二元論的俗説を素朴に信じているらしい……という悲喜劇をここに知るのである。

曲解された『サッカー人間学』
 あらかじめ断言しておくと、サッカーというスポーツは狩猟を擬したスポーツ、すなわち荒々しい欧米狩猟民族の歴史・文化・伝統等々によって育まれたスポーツであり、対照的に温和な島国の農耕民族=日本人には本質的に向いていない……という俗説は、すべてデタラメである。

 そもそも「欧米人=狩猟民族/日本人=農耕民族」という図式そのものがデタラメである。

 だいたい、デスモンド・モリス博士の『サッカー人間学』は、たしかにサッカーを狩猟採集の部族社会の営みに譬(たと)えたけれども、日本や日本人を「農耕民族」だとして「サッカー部族」の世界から排除するなどということはしていない。むしろ『サッカー人間学』は、Jリーグが出来る10年くらい前に刊行されたサッカー本にしては、日本のサッカーのことをとても好意的に紹介していてそれで驚くくらいだ。

 例えば、『サッカー人間学』では、なんと、ブラジルのペレと並んで日本の釜本邦茂がその国のサッカーの「国民的英雄」として紹介されている。

釜本邦茂「サッカー人間学」104~105頁
【日本サッカーの国民的英雄・釜本邦茂『サッカー人間学』より】

 また、スポーツでも国際的な慣行になった優勝時の「胴上げ」。一説に日本の習慣から世界化したと言われているが、『サッカー人間学』では日本サッカーの「胴上げ」の写真が掲載されている。

胴上げ「サッカー人間学」106頁
【日本サッカーの胴上げ風景『サッカー人間学』より】

 この写真の掲載があったために、玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏は共著、講談社現代新書『ベ-スボ-ルと野球道~日米間の誤解を示す400の事実』の中で、日本のプロ野球は優勝すると胴上げなどという野蛮な風習をするが、アメリカのメジャーリーグ(大リーグ,MLB)ではそんな馬鹿なことはやらない……とは書けなかった。

 そんなわけで玉木正之氏は『サッカー人間学』という著作をひどく嫌ってる。

血まみれの「膀胱ボール」など実用に適さない
 牛や豚を屠畜して取り出した血まみれの膀胱を膨らませた「ボール」を蹴って遊び、その膀胱ボールは破れやすいので、破れる度にさらに牛や豚を屠畜していた……という中村敏雄が語るイメージ(妄想?)も正しいものとはいえない。<1>

 「フットボール・アナリスト」を自称する加納正洋(かのう・まさひろ)という人物(正体は反サッカー的言動でも悪名が高いラグビー評論家の中尾亘孝だと思われる)が書いた『サッカーのこと知ってますか?』というサッカー本では、さまざまな知見から、牛や豚の膀胱ボールは洗浄し乾燥させたものを空気で膨らませてインナーとして用い、その外皮として丈夫な皮革を当てていたという説を唱えている。

サッカーのこと知ってますか?
加納 正洋
新潮社
2006-05-25


 おそらくはコチラの方が妥当な考えである。破れやすいとどころか「膀胱ボールはなるものは紙風船とビーチボールを足して二分したようなきゃしゃなもので,とても荒々しいフットボールの使用に耐えるものではないからであ」り(『サッカーのこと知ってますか?』121頁)、その度に牛や豚を「フットボール」のために屠畜していたら、とても牧畜という生業にとって割に合わないからである。

 また、「首狩り」に関して調べてみると、インターネットの百科事典「コトバンク」には、首狩りの風習は「狩猟採集民にはまれで,ある程度発達した農耕を行なう諸民族間にみられるところから,農耕との関連で起こった宗教儀礼から発生したものと考えられる」(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)。

 あるいは同じくコトバンクの「首狩り」の項目には「半農半狩猟の部族は,縄張り争いが多いので,強力な敵の首(霊)は相手側の力を減らし自集団の霊力を増強することになる」(小学館 日本大百科全書〈ニッポニカ〉)とある。

 主な百科事典には「首狩り」は基本的に農耕民族の習慣だとあり、これを行う純粋な狩猟民族の存在など、記載されていないのである。

 つまり、同じ「首狩り」でも狩猟民族は首をボール代わりに蹴るが、農耕民族=日本人の「首狩り」は首を晒すだけで蹴ったりはしない……などという『サッカー狂い』文中における細川周平氏の認識は、決定的におかしいのである。

いかがわしい「学問」同士の親和性
 とにかく、ファッショナブルな「知」であるフランス現代思想でサッカーの美や愛を語る細川周平氏の、表裏一体で孕(はら)んでいる混迷的な「自虐的日本サッカー観」の源泉に、「サッカー=狩猟民族のスポーツ/日本人=農耕民族だからサッカーに向いていない」などという陳腐で凡庸な二元論的俗説があったことは、なんとも悲喜劇的で滑稽な話である。

 「フランス現代思想」と「日本人=農耕民族説」はインチキ学問同士で親和性が高いのかもしれない。

つづく




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 細川周平氏の著作『サッカー狂い』。

 一部でカリスマ的サッカー本扱いされているが、そこまで賛美するほどの名著ではない。千野圭一編集長時代の旧「WEBサッカーマガジン」の匿名電子掲示板に、この本のことを「サッカー冷遇時代におけるヒガミ根性丸出しの一冊」と揶揄した書き込みがあったが、この指摘はある意味で正しい。そうした性格をキチンと知らないことには評価をかえって誤るし、日本のサッカー文化総体も理解できない。

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
【1989年『サッカー狂い』初版表紙】

 そもそもJリーグが始まる1993年より4年も前、後藤健生氏の『サッカーの世紀』が刊行された1995年より6年も前の1989年「日本サッカー冬の時代」に、何故このような本が出版できたのか? まず時代背景がある。1980年代、いわゆる「ニューアカデミズム」が持てはやされており、フランス現代思想、ポストモダン哲学、ポスト構造主義……といった知的潮流が輸入され、一種のファッションとして流行していた。細川周平氏も、音楽学者として『音楽の記号論』や『ウォークマンの修辞学』その他の論考で、その一翼を担っていた。

 ニューアカからのスポーツへの言及としては、文芸・映画評論家の蓮實重彦氏(時に「草野進」名義も使用)らが行った、大胆で放埓な修辞と晦渋な文体、そして「スポーツそのものの美こそが絶対」という視点に立った「プロ野球批評」がこれまた称揚されていた。細川周平氏が『サッカー狂い』を執筆し、上梓することができたのは、そうした時代の余恵にあずかったところが大きい。奥付を見るとこの本の各論考の初出も『現代思想』や『is』『GS』といった、いかにもニューアカ的な刊行物の名前が目立つ。

GS 楽しい知識 Vol.1 特集反ユートピア
浅田彰・伊藤俊二・四方田犬彦 責任編集
冬樹社
1984-06-10


 夏目漱石や吉本隆明を例に出しながら「文藝が与える感動を理論化しようとする試みは,往々にして無駄な努力に終わる」と指摘したのは比較文学者・評論家の小谷野敦氏であった。サッカーでそうした徒労に挑んだのが『サッカー狂い』であり、それに挑むべく細川周平氏が主に依拠したのが、小谷野敦氏は読解不能と呼び、かつての「サイエンスウォーズ」でもいろいろ槍玉に挙げられたドゥルーズ=ガタリである。なるほど「サッカーが与える感動を理論化しようとする(無謀な)試み」には相応しいのかもしれない。

 しかし、この種の思想に没入し、特定の対象を耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に嫌悪するようになる。『サッカー狂い』も同様。例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(著者・細川氏は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの悪罵である。それぞれのスポーツは各々固有のゲーム性=面白さが当然あるわけだから、細川周平氏の言説はいかにも品がない。

 あるいは、著者が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化「愚鈍なサッカー」として執拗に嫌悪し出したのも『サッカー狂い』が先駆けである。以来、日本のサッカー論壇はドイツ・サッカーに対する好感を素直に表明しづらくなった。時事通信社の橋本誠記者もまた、もともと親ドイツだった日本サッカー界の反動としての、日本人サッカーファンのドイツ・サッカーへの複雑な感情を書き連ねてはいる……。
  • 参照:橋本誠「だからサッカー・ドイツ代表が嫌いだった~最強チームへの敬意を込めて」(https://www.jiji.com/sp/v4?id=germannationalfb0001)
 ……のだが、それと比べても細川周平氏の言説はいかにも品がない。

 細川周平氏の嫌悪の矛先は、さらに、まだ「冬の時代」だった日本サッカーにも及ぶ。とにかく折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。著者曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼく〔細川周平氏〕は日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」。しかし、その自虐的な日本サッカー観の根底にあるのは何かといえば、サッカーは狩猟民族のスポーツで日本人は農耕民族なのだからサッカーに向いていない……といった類の陳腐で凡庸で、そして決定的に間違っている日本人論・日本文化論的サッカー観である。細川周平氏の言説はいかにも品がない。

 これら全て著者の「ヒガミ根性」なのだが、それをフランス現代思想のファッショナブルな衒学で飾っているだけに非常に厄介である。細川周平氏の『サッカー狂い』は「この本は知的に高尚で深遠であるはず」「自分は頭が悪いとは思われたくない」と自らに強迫した日本のサッカーファンや読書人によって正当化され、称揚されてきた。

 それは「日本サッカー冬の時代」の限界だろうか? その認識が正しくないのは、例えば日本サッカー狂会の後藤健生氏や久保田淳氏のように、Jリーグ以前から、苦い肝を嘗(な)めながらも日本サッカーを見捨てずに応援してきた「サッカー狂い」の層が一方で存在するからである。細川周平氏に象徴されるサッカー狂、翻って後藤健生氏に代表されるサッカー狂。このふたつの日本のサッカーファン層の間には高くて長い壁が存在している。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


 『サッカー狂い』は、はしたなくも日本のサッカーの精神文化を表している。後の時代の金子達仁、杉山茂樹、村上龍……といった、日本サッカーを殊更に蔑んでは自身のサッカー観の確かさや批評精神を誇示するサッカー関係者の先駆けとも言える。また、日本のサッカーを敬遠するが欧州の一流どころの海外サッカーは嗜むサッカーファン層(むろん細川周平氏は日本のサッカーとドイツ以外の海外のサッカーとサッカー文化には好意的である)と、日本代表やJリーグなど日本サッカーを応援するサッカーファン層との分断の先駆けとも言える。

 どうしたって『サッカー狂い』は面白く読めない。けれども日本のサッカーやサッカーファンの屈折した精神史を、著者・細川周平氏の意図とは違った視点で興味深くたどれる史料(資料)としては、反比例的な評価はできるのかもしれない。

(了)




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