スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:女子サッカー

 ブラジルやイングランド、スウェーデンなどで、サッカー代表チームの選手に支払う報酬を男女同額にするというニュースが続々と伝わってきています。はたして、競技レベルも、エンターテインメントとしての評価にも差のある、男子サッカーと女子サッカーの報酬の格差を完全に「平等」にすることは、一面的に「良いこと」なのでしょうか???

岡目八目? …あるいは素朴な疑問
 素人が抱く「素朴な疑問」ほど本質を衝(つ)いていて、玄人にとって答えにくい鋭いツッコミはない……と指摘したのは、反サッカー主義的言動の悪名でも知られた、ラグビー評論家の中尾亘孝であった(青弓社の『頭にやさしいラグビー』だったか? ……忘れた)。

中尾亘孝2
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)

 その顰(ひそ)みに倣(なら)って、浅学非才な素人が玄人に「素朴な疑問」をぶつけることを企てた。

なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか?
 2020年7月22日、社会学者の梁=永山聡子(やん=ながやま・さとこ,ジェンダー・フェミニズム研究,社会運動論)氏が主催する、有料コンテンツ(1500円)のトークイベント「聡子の部屋」第7回「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか? 政治を表現するアスリートの出現と『ポスト・スポーツの時代』」を視聴した。

 ゲストは、その『ポスト・スポーツの時代』の著者・山本敦久氏(成城大学教授,スポーツ社会学,カルチュラルスタディーズ)であった。
聡子の部屋 第7回「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか? 政治を表現するアスリートの出現と『ポスト・スポーツの時代』」(2020/7/22)
ゲスト:山本敦久(成城大学教授)

 「アスリートは政治に関与してはいけない、ただ人を楽しませるべきだと言われることが嫌いです。これは人権の問題です」(大坂なおみのtwitter)

 時代の権威や支配に対して従順な態度を取り続けてきたアスリートたち。そうした風潮やイメージによって、しばしばスポーツは脱政治化された領域として考えられてきた。その結果、アスリートは政治に無関心であるどころか、既存の支配的なジェンダー構造や人種関係、階級不平等、資本主義の暴挙を補強する存在だとすら考えられてきた。

 そうやって「スポーツなんて真剣に考えるものではない」という知識人やジャーナリストのスポーツ嫌いと身体的存在を侮蔑する無意識的な仕組みが出来上がってきた。そうした態度が、「スポーツに政治を持ち込んではいけない」という強力な保守言説の磁場と結託し、結果的にスポーツという政治空間を非政治化することに加担してきた。

 しかし、ここ数年、近代を貫いてきたその非政治的岩盤に亀裂が生まれている。

 「#MeToo」運動などとも呼応するミーガン・ラピノーのような男性支配やジェンダー不平等を厳しく批判する女性アスリートの登場、「#BlackLivesMatter」運動のパフォーマンスのひとつとなった「膝つき行為」のコリン・キャパニックらグローバルな反人種差別運動の起点となる黒人アスリートの台頭、スポーツ界最大の権威であるIOCに意見し、東京2020の開催を延期に持ち込んだアスリートの声。

 いまやアスリートたちは声を挙げ、抵抗を表現し、支配と闘う運動のただなかにいる。その一方で、大坂なおみや八村塁の「政治的」発言や行動への猛烈なバッシングも起きている。まさにいまアスリートの身体は、政治そのものなのだ。

 今回の「聡子の部屋」では、このような新しい時代の流れを「ポスト・スポーツの時代」として捉え返す。女性アスリートや黒人アスリートたちの表現と身体を読み解きながら、政治からもっとも離れた存在だとされてきたアスリートたちの政治表現について考えてみたい。まずは、「その魚があなたを食べてしまえばいいのに」という大坂なおみの発言から、キックオフ!

参照:聡子の部屋 第7回「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか?」(2020/7/22)

ポスト・スポーツの時代
敦久, 山本
岩波書店
2020-03-28


 このトークイベントの視聴を申し込む際、インターネットのフォームに質問欄があった。そこに素人の「素朴な疑問」を書き込んで、イベントで採用されるかボツにされるか? 採用されたら、ゲストの山本敦久氏が何と答えるか? あるいは返り討ちを食らってしまうのか? 少し意地の悪い質問を書き込んでみたのであった。

ミーガン・ラピノーとは「誰」か?
 変な意味でミーガン・ラピノーという女子サッカー選手には関心があった。どんな選手なのか? ウィキペディア日本語版の記述を信用できるものとして、今回のエントリーに関係のある略歴をざっとまとめてみると……。
ミーガン・アンナ・ラピノー
 1985年生まれ。アメリカ合衆国(米国)の女子サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。アメリカ合衆国女子代表として2012年ロンドンオリンピック、2015年FIFA女子ワールドカップと2019年FIFA女子ワールドカップで優勝。2018年より、カーリー・ロイド、アレックス・モーガンと共同で代表チームの主将を務めている。

 同性愛者であることをカミングアウトしており、自らLGBT(LGBTQ)の権利擁護活動にも参加している。また、アメリカ社会の不平等に抗議して国歌斉唱を拒否したり、アメリカ合衆国サッカー連盟に対し選手の待遇を男女平等にするよう訴えたりするなど、社会の関心を集めるような活動をしばしば行っている。

 2016年からは、男女サッカー選手の賃金格差の是正を求める申し立てに参加している。2019年3月、27人の同僚選手とともに、アメリカ合衆国サッカー連盟が性差別的な待遇を行っているとして訴訟を起こした。同年のワールドカップ期間中の記者会見においても、ワールドカップの優勝賞金の男女間格差を指摘し、国際サッカー連盟(FIFA)を批判した。

 アメリカ合衆国では「優勝」したスポーツの選手やチームは、大統領がホワイトハウスへ招待し、訪問した選手やチームは大統領を表敬する習慣がある。

 だが、当代アメリカ合衆国大統領は、性的マイノリティーを否定する、きわめて保守的なドナルド・トランプである。したがって、一方のラピノーは「W杯に勝っても,くそったれのホワイトハウスになんか行くもんか」と、これを拒絶した。

ウィキペディア日本語版などより要約(2020年9月1日閲覧)
 ……ところで、本当のところ、ミーガン・ラピノーはどのように評価されているのだろうか? 彼女の主張は、本場ヨーロッパの、特に主要サッカー国の関係者の間で、サッカーファンの間で、どれだけまともに相手にされているのだろうか。あるいはされていないのだろうか。既存の報道では、今ひとつそれが見えにくいのである。

 同じサッカーW杯でも男・女では収入に大きな差があるが、それはプレーのレベルも異なるからであり、エンターテインメントとしての価値も違うからである。したがって、それに比例して男・女では報酬が異なる。

 女子サッカー選手の収入が男子サッカー選手のそれよりも低いのは確かだが、彼女たちが抱えている問題は、男・女にかかわらず、むしろマイナースポーツ一般に共通する問題である。これは男・女の格差の是正ではない。つまりメジャースポーツとマイナースポーツの収入格差を無理やり同格にするような話で、だから話の筋が違うのではないか……。

 ……とか何とか、いろいろと「草の根」では意見があるのかもしれないのだが、LGBT(LGBTQ)やポリティカルコレクトネス(ポリコレ)、フェミニズム、ジェンダーといった昨今の思潮に公に異論を立てると、その人物の社会的立場が危うくなる。だから余計にサッカー関係者の「本音」が分からないのである。

ツイッターから読む草の根の本音
 そこで「草の根の本音」に分け入る方法として、ツイッターの検索機能を活用することにした。以下は「ラピノー,ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)」で検索をかけて、拾い出されたツイートの要約である。
ツイッター検索「ラピノー,ポリコレ」(最新)
  •  2019年の女子サッカー・ワールドカップ終了後、ポリコレ勢が一斉にラピノー選手を持ち上げているのを見て苦笑している。
  •  もとからラピノーは「やんちゃ」な選手だったわけで、それを知っていると「またいつもの〈やんちゃ〉な発言をラピノーはしている」程度の話。しかし、それが普段は女子サッカーになど興味のないポリコレ勢のツボにはまってしまった。
  •  ラピノーの一連の発言は、ポリコレ勢を触発し、男子サッカーと女子サッカーのエンターテインメントの価値の差すら差別認定を始めるようになってしまった。
  •  ラピノーの「やんちゃ」発言で、女子サッカーというカテゴリ自体がポリコレという色眼鏡で見られるようになったらどうなるとポリコレ勢は思っているのか? 特に女性には対しては制約が強いイスラム文化圏で。
  •  ポリコレ勢からしたらラピノーの発言を「反トランプ」で消費できたら満足かもしれないが、そんなことをされたところで女子サッカーが抱える課題は何も解決しないし、女子サッカー=ポリコレと安易に結び付けられたら、女子サッカーが迷惑なだけ。
  •  ラピノーの一連の言動は、リベラルやポリコレには受けはいいだろうけれども、総合的に女子サッカーという競技にはプラスにならないどころか、かえってマイナスになってきている。
  •  ラピノーの発言に対しては「米国が嫌なら出て行け」という、米国人男子野球選手のデニス・サファテ(ちなみにNPBの球団所属)による批判も「ある意味」妥当である。なぜなら、女子サッカーの現状からすると、ラピノーの発言は相当に歪なものだし、何よりラピノーがラピノーでいられるのは、彼女が女子サッカー米国代表だからである。
……等々(2020年9月2日閲覧)
 こうしたツイートをする人たちは、普段から女子サッカーを応援し、観戦し、金を落とす人たちである。こういう人ほど、必ずしもラピノーの言動を首肯していないのだ。

女子テニス,女子ゴルフ,女子サッカー…それぞれの様相
 こうした情報をもとに質問を3項目にまとめ、視聴申し込みの際に合わせて梁=永山聡子氏と山本敦久氏のもとに送信した。以下は、その内容
 今回のトークイベントのイントロダクションで、サッカー女子アメリカ代表のミーガン・ラピノー選手についての言及がありましたので、ラピノー選手と世界の女子サッカーの関係についていくつか質問をさせていただきたいと思います。

【質問 その1】
 ラピノー選手の一連の政治的主張は、女子サッカーの大国にしてポリティカルコレクトネスの大国であるアメリカだからできることであって、それは一方で保守主義やイスラム教といった違った政治的主張や思想信条、宗教観を持つ数少なくない人々からの、女子サッカーへの偏見をかえって強め、敬遠させ、その支援や裾野が狭くなるだけで、女子サッカーが抱える問題の解決にはつながらないのではないでしょうか?

【質問 その2】
 既存のメディア報道では本当のところが今ひとつ分からないのですが、ラピノー選手の一連の政治的主張は、国際サッカー連盟の首脳陣やサッカーの本場ヨーロッパの主要サッカー国の首脳陣に、どれだけ真面目に相手にされているのでしょうか?

【質問 その3】
 ラピノー選手の一連の政治的主張からは、女子テニスのビリー・ジーン・キング選手や、女子ゴルフのアニカ・ソレンスタム選手が実践してみせたように、男子サッカーのチームと試合をする、あるいは男子選手と混じってプレーしてみせるという意図が確認できないのは何故なのでしょうか?

 以上のような疑問に対して、カルチュラルスタディーズやフェミニズムなどの立場からは、どのような解答を用意しているのか? 教えていただけると幸甚です。
 ちなみに、男女合同で行うテニスの大会(ウィンブルドン=全英ほか四大トーナメントなど)の賞金は男女同額である。女子側の「運動」により男女平等が実現したというが、女子は男子より2セット少ない3セットマッチなので、「それで賞金が同じというのはおかしい」との男子側からの批判は出ている。

 反対に、男女別々に行うゴルフの米国ツアーの賞金額は男女でかなり差がある。一方、日本のゴルフツアーは米国と比べて男女の格差は比較的ゆるく、「ある意味」で女子が男子を逆転しているという(次のリンク先参照)。
  • 参照:川野美佳「女子ゴルフの賞金、安すぎ!? 日米で異なる男子と女子の〈格差〉事情」(2019-07-12)
 サッカーのワールドカップや各国リーグ戦などは男女別々に行う。女子W杯も(それこそ,わざわざオリンピックで行う必要もないくらいに)大規模な大会にはなったが、さすがに男子W杯の報酬とは大きな差がある。

 それにしても、米国ゴルフ界の男女格差是正を訴える女子ゴルフ選手クリスティ・カー選手の謙虚さと比較して、女子サッカーのミーガン・ラピノーの言動・立ち振る舞いの何と威勢のいいことか。たしかに、ラピノーがラピノーらしく振舞えるのは、彼女が女子サッカー米国代表だからなのだ。

 こうした諸々の事情を勘案するに、ラピノーの言動を「〈#MeToo〉運動などとも呼応する,男性支配やジェンダー不平等を厳しく批判する女性アスリート」として、単純に解釈していいのかどうか少なからず不安になるのである。むろん、山本敦久氏が学問よりも現代思想や政治的アジテーションを好むのは重々承知の上だけれども……。<1>

肩透かしを食らう
 ……というところで、その山本敦久氏と梁=永山聡子氏のトークイベント「なぜスポーツに政治を持ち込んではいけないのか? 政治を表現するアスリートの出現と『ポスト・スポーツの時代』」(2020/7/22)である。

 有料コンテンツでもあるし、できるだけネタバレしない形で紹介すると、このトークイベントは2時間少し行われたのだが、個人的には、途中の1時間くらいで中だるみしてしまい、退屈になってしまった。そこでパソコンの別のアプリケーションを開いていじりながら、トークイベントの方は音声のみ聴くという形をとった。

 一般のテレビ番組だと、その辺は構成作家やディレクターがいて、番組がダレないようにするに巧妙に構成するのだろう。梁=永山聡子氏(この人には対しては何の他意もない)のトークイベント「聡子の部屋」は、いつも2時間前後やるらしいのだが、途中の1時間くらいで「質問タイム」を設けるなど、何か工夫があってもよかったのではないか?

 例えば、昔の初代サポティスタ浜村真也氏が主催していたサッカー関連トークイベントでは、オーディエンスを飽きさせない狂言回しをしていた(その点では浜村真也という人は,人徳はないが天才的であった)。

 そろそろトークイベントも終わろうかという、番組開始から2時間頃。やっぱり、送信した質問は読まれずじまいかなぁ……と思っていたら、突然、梁=永山聡子氏が「質問が来たので読みましょう」と言い、先に掲げた質問3項目を、あまり大きくない声で少し早口で読み上げた。

 聞いていた当方「おッ!?」と思ったが、梁=永山聡子氏は、質問を読んでから何か決まりが悪そうに「でも時間がないので,回答は私のnoteか何かでやりましょう」とか何とか言って、トークイベント自体がそのまま終わってしまった。その間、山本敦久氏の方は一言も発しなかったと思う。

 あれから1か月半以上経つが、グーグルで検索した限りでは回答はない。肩透かしを食らったという感がある。

 当方、山本敦久氏に返り討ちにされることも覚悟していたが、結局、素人が抱いた「素朴な疑問」に玄人の皆さんから答えが来ることはなかった。カルチュラルスタディーズやフェミニズムの界隈の方々って、あまり「他流試合」はやったことがないのだろうか。

ナショナルチームとしての価値/サッカーとしての価値
 サッカーという世界的人気スポーツにおいて一国を代表する、すなわちナショナルチームとして、その報酬を男女平等=同額にするということであるならば理解できる……という考え方はある。あるいはそれはミーガン・ラピノーらの功績かもしれない。ブラジルやイングランドの男子代表チームがいくら貰っているのかは知らないけれども、日本のそれはかなり安いと聞く。

 しかし、W杯の賞金を男女同額にしろ! ……などというのは乱暴なポリコレである。女子テニスや女子ゴルフのように、男子チームと試合をする、あるいは男子と混じってプレーするとは言わない、女子サッカー米国代表ミーガン・ラピノーには「ある意味」での「賢さ」を感じる(余談だが,本日,元なでしこジャパンの永里優季選手が神奈川県2部の男子チーム「はやぶさイレブン」に期限付き移籍することが発表された)。

 男女平等の度が過ぎて、ネイマール(男子ブラジル代表)のような、所属クラブでは何億円と稼ぐスター選手たちがFIFAワールドカップ(男子)の出場を、なんだかんだと言い訳をしてキャンセルするようになったりして、結果として、女子サッカーに下ってくるお金も少なくなる……などといった本末転倒なことにならないことを祈るばかりである。

(了)




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 FIFAワールドカップにおける賞金(報酬)を男女同額にするべきだと主張している、サッカー女子アメリカ合衆国(米国)の主将ミーガン・ラピノー選手。彼女の主張は、実際のところ、本場ヨーロッパの、特に主要サッカー国の関係者の間で、どれだけまともに相手にされているのだろうか。あるいはされていないのだろうか。

 ラピノー選手のこうした話題を掲載し、視界に入ってくるのが、BuzzFeed Japan であるとか、ニューズウィーク日本版であるとか、ハフィントンポスト日本版とかなので、国際サッカー界主流の本音がかえって見えにくいのである(わざわざ調べようという気もない)。

 同じサッカーW杯でも男・女では収入に大きな差があるし、また、プレーのレベルも異なる。当然、それに比例して男・女では報酬が異なる。

 女子サッカー選手の収入が男子サッカー選手のそれよりも低いのは確かだが、彼女たちが抱えている問題は、男・女にかかわらず、むしろマイナースポーツ一般に共通する問題である。これは男・女の格差の是正ではない。つまりメジャースポーツとマイナースポーツの収入格差を無理やり同格にするような話で、だから話の筋が違うのではないか……。

 ……とか何とか、いろいろと「草の根」では意見があるのだが、何分、公的なサッカー関係者となると政治的に正しい意見にはいろいろと異論を立てづらいのかもしれず、よく分からないのである。

 サッカー女子アメリカ合衆国代表は、2019年6~7月に開催されたフランスW杯で優勝した。米国では「優勝」したスポーツの選手やチームは、大統領がホワイトハウスへ招待し、訪問した選手やチームは大統領を表敬する習慣があるらしい。

 しかし、当代アメリカ合衆国大統領は、性的マイノリティーを否定する、きわめて保守的なドナルド・トランプである。一方、ラピノー選手は、性的マイノリティーである同性愛者であることを公言している。だから、ラピノー選手は「W杯に勝っても,くそったれのホワイトハウスになんか行くもんか」と、これを拒絶した。

 日本の商業捕鯨が再開されたので、捕鯨/反捕鯨問題の評論でも知られる三浦淳氏(新潟大学教授,ドイツ文学)の「反捕鯨の病理学」シリーズを読み直してみた。その第3回、反捕鯨派のロビン・ギル氏(在日米国人の文筆家で『反日本人論』『日本人論探検』などの著作がある)を三浦氏が批判している箇所が印象に残った。
 『日本人論探検』での彼〔ロビン・ギル〕の論法を見よう。まず彼は捕鯨問題における日本人の反応を偏頗〔へんぱ〕だとする。例えば、「英米人こそかつて鯨油のためだけに鯨を乱獲した張本人だ」「反捕鯨はレーガンの陰謀だ」という日本人の反応に対して、「過去にそれだけ悪行を重ねてきたのに、白人=人間至上主義を止めて、よりエコロジカルな信念に〔白人が〕変わったことを歓迎すべき〔!〕」「グリーンピースは革新的環境主義者であり、(…)ベトナム戦争に反対し、レーガンのことが大嫌い」と応じている。
  • ロナルド・レーガン(米国大統領,共和党,任期1981-89)
  • グリーンピース(世界的規模の環境保護団体,本部アムステルダム,1971年設立)
 日本側の反応に若干問題があるのは私も認めるが、それに対するギルの批判もおかしい。まず英米が反捕鯨を主張するようになったのは、経済的に引き合わなくなって捕鯨業から撤退した後になってからである。エコロジカルな理由で捕鯨を止めたのではない。むしろ経済的理由で捕鯨業から撤退していたからこそ、安心して反捕鯨をエコロジカルに主張できたのである。後で述べるが、こういう政治的駆け引きは72年のストックホルム国際環境会議で突如捕鯨問題が取り上げられたことにもつながっている。この辺の政治的洞察がギルには欠けている。

 もっともギルは、米国がイルカの保護に乗り出していること、その実現にあたってはイルカを巻き込むマグロ漁に反対して国民がツナ〔マグロ=鮪〕をボイコットしたことが大きいとしているが、この辺は甘ちゃんの寝言としか言いようがない。都市住民はいくら好物をボイコットしようがそれで食物がなくなるわけではない。しかしマグロ漁を行う漁民からすれば、マグロが売れないと生計そのものが危ういのである。その点で都市住民と漁民には大きな「権力」の差がある。自然をロマンティックに見る多数の都市住民の横暴に過ぎないものを美化するギルの論法を、右で挙げた『反=日本人論』でのファンダメンタリストやエコロジーに関する妥当な認識と比較してほしい。後退ぶりは明らかだろう。こと鯨イルカ類となると、ギルの知的レベルは大幅に低下してしまうのだ。

 レーガンとグリーンピースとの関係だが、ギルがレーガンを嫌っているらしいことはだいぶ後の(捕鯨とは無関係の)記述からも分かるが、嫌っていようがいまいがレーガンが政策を(積極的にであれ嫌々であれ)行う時、米国大統領として行っていることをギルは忘れている。つまり、軍事的・経済的・政治的に世界最強の国家の大統領として行っているということだ。基本的にそれは「力による政治」である。反捕鯨はその意味で、ギルの嫌うレーガン流の政治そのものに他ならない。ギルはグリーンピースが反体制派であると言いたいらしいが、米国の反体制派が外国に向かって何かを主張する時、必ずそこには超大国たる自国の力が背景にあるのであって、そのことが分からないで自国反体制派を持ち上げるのはナイーヴに過ぎる。例えばアイスランドは、米国内での魚製品輸入ボイコットにあって捕鯨を中止せざるを得なかったが、逆のことが可能かどうか、ギルは考えてみるべきだろう。アイスランド国民が米国内の何らかの習慣を気に入らなかったとして、輸入ボイコットによって米国民の習慣を変えられるだろうか。ギルに欠けているのはこうした国家間の力関係への洞察であり、それは彼が根本的に政治音痴である証左なのである。

三浦淳「反捕鯨の病理学 第3回」
 突飛な、飛躍した、あるいは的外れな連想なのかもしれないが、レーガンもトランプも共和党の大統領だし、その政治スタイルはある意味で似ている。つまり「強いアメリカ」である。

 この文中のレーガン大統領とグリーンピースあるいはロビン・ギル氏の関係は、トランプ大統領とラピノー選手の関係に、かなりの程度で置換できるのではないか……などと考えてしまったのである。

 ラピノー選手が嫌っていようがいまいが、トランプが政策を(積極的にであれ嫌々であれ)行う時、米国大統領として行っている。つまり、軍事的・経済的・政治的に世界最強の国家の大統領として行っている。

 ラピノー選手は自身が反トランプであることをアピールしている。だが、米国人たるラピノー選手が外国に向かって、サッカー選手の男女同一報酬などを主張できるのは、必ずそこには超大国たる母国=米国、かつ世界の女子サッカーの超大国としての米国、なおかつ尖鋭的なポリティカルコレクトネス(ポリコレ,PC)の国=米国の政治力・権力が背景にあるからである。その点ではドナルド・トランプと似たようなものだ。

 そのことが分からないで、ラピノー選手を積極的に報じる(持ち上げる?)、BuzzFeed Japan やニューズウィーク日本版、ハフィントンポスト日本版のようなメディアは、少しナイーブではないのか。

 アナロジー(?)にも似た両者の関係に、皮肉じみたものを感じたのである。

 この度のサッカー女子アメリカ合衆国代表は、対戦相手への敬意を欠いた数々の不遜な振る舞いでも話題もしくは問題になった。この辺の行儀の悪さとラピノー選手の言動は、コインの両面にも思える。

 野球のアメリカ大リーグ(MLB,メジャーリーグ)では、試合において、対戦相手を必要以上にコケにしてはいけないというアンリトンルール(不文律)があるというのに、同じ米国でも随分違うものである。

 野球やバスケットボールの主流国は米国だが、サッカーの主流は欧州の主要国である。これらの国々のサッカー関係者が、女子アメリカ代表に関して、心の内で舌打ちしているのではないかなどと心配するのである。

(了)



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