スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:同志社ラグビー

日本のスポーツ文化、その中心と周辺?
 玉木正之氏の作品「彼らの楕円球」(新潮文庫『彼らの奇蹟』所収)の鍵を握る人物が元ラガーマン「Q」である。それにしても、なぜ彼は東北・山形県出身という設定なのか? ヒントになりそうなのが「彼らの楕円球」冒頭で引用された往年の名評論家、故・虫明亜呂無のエピグラフである。
 スポーツは遊びである。遊びであるから贅沢〔ぜいたく〕である。それは歌舞音曲や、おいしい料理や、男女の交情と同じように人生の飾りであり、一期〔いちご〕の夢なのである。こうした精神は、もともと京阪神を中心にした上方生活に根づいて長い伝統の試練にかけられ、開花し実を結んでいった。――虫明亜呂無(『時さえ忘れて』ちくま文庫「咲くやこの花」より)〔新潮文庫『彼らの奇蹟』345頁〕
時さえ忘れて (ちくま文庫)
虫明 亜呂無
筑摩書房
1996-06


 この引用文によって玉木氏は「スポーツは遊びだ」という自身の思想を裏付けている。虫明亜呂無は、玉木氏が「我が師と尊敬」する存在(『彼らの奇蹟』476~477頁)。美的で陶酔的(なおかつ小癪)な文体のスポーツライティングの走りであり、加えて勝敗(を争うこと)を軽んじるスポーツ観の走りでもある。玉木氏も大きな影響を受けている。

 とにかくスポーツのような文物を享受できるのは、日本では「西」の豊かな文化であって野蛮な「東」ではない。「西」はスポーツを「遊べる」が、「東」はスポーツを遊べない。「東」山形出身の「Q」は、ついにラグビーを遊べなかった。「西」上方=京阪神なかんずく京都の同志社大学のラグビー部だから、なかんずく京都人の平尾誠二だからラグビーを「遊べる」。それを「西」京都人のスポーツライター玉木正之氏が広く伝えるのである。

 実に嫌味な思想である。これを差別と言い切るのは勇気がいるが、どことなく差別的な臭いが漂う。鳴くよウグイス平安京の昔そのままの「西」から見た「東」観、あるいは「東北」観である。玉木氏のスポーツ思想のダシにされた東北・山形の人にとってはあまり面白くはないだろう。

東北-つくられた異境 (中公新書)
河西英通
中央公論新社
2013-11-08





あらためて、なぜ山形県なのか?
 ところで「彼らの楕円球」の舞台になっているのは、1991年1月8日、東京・秩父宮ラグビー場で行われた全国社会人ラグビー大会決勝神戸製鋼vs三洋電機の試合である(年度は1990年度)。

 この試合、後半インジャリータイム(ロスタイム)、神戸製鋼の大逆転トライ&ゴールで三洋電機に勝利するという劇的なものであった。文句なしに日本ラグビー史に残る名勝負であり、神戸製鋼ラグビー部および平尾誠二選手の全盛期にあっても最高の試合だった。玉木氏にとっては、その意味でも意義深い試合だった。

19910108神鋼三洋
日本ラグビー名勝負神戸製鋼vs三洋電機―1991年1月8日社会人大会決勝 (<VHS>) [単行本]
文藝春秋
1998-11

 秩父宮のメインスタンドで玉木氏と「Q」は偶然出会い、試合を観戦しつつ会話しながら「彼らの楕円球」の物語は進んでいく。「Q」はわざわざ上京して観戦に来たのだった。

 「西」に対してスポーツ文化の果つる「東」でも関東(首都圏)ではないのは、ラグビーから遠く離れて……という「Q」の生活には東北の方が都合がいいからである。あらためて、なぜ東北でも山形なのか。作中「今日中に山形にもどりますので」(同書371頁)という「Q」の台詞にヒントがある。

 たしか、この試合は平日に行われていたと記憶する。山形新幹線はまだ開通していなかったが、東京駅から東北新幹線、福島駅で在来線特急乗り換えで山形駅まで4時間前後だったはず(もう少し早かったかもしれない)。割と気軽に上京して日帰りできる程よく遠い東北のひなびた田舎……。この条件にちょうどいいのが山形県である。

 福島県、郡山市・福島市あたりは東北新幹線直通で東京から近い印象がある。宮城県も東北新幹線で東京とつながり、政令指定都市・仙台があるのでひなびていない。

 東京から遠いので青森県は外れる。秋田県も同様。ただし、秋田はラグビー王国でもあり、「西」の京都・同志社のラグビーに挫折した「東」の東北のラグビー選手の出身地の設定としては、東北6県のどこよりも相応しい。ところが、当時、黄金時代の同志社大学ラグビー部のレギュラーには、平尾選手の同級生、秋田工業高校出身の土田雅人選手がいて、秋田では何かと具合が悪いのである。

 岩手県……。ここには釜石市というラグビーの町があって、この街を本拠とするかつての新日鉄釜石ラグビー部は「北の鉄人」と呼ばれ、日本最強を誇った。

 このチームの地域密着度と愛され方は、昨今の広島カープも及ばない。平尾選手は英国・欧州のスポーツクラブに擬して神戸製鋼ラグビー部を「スティーラーズ」と呼び、クラブハウス、芝生のピッチ、地域社会との連帯などを実践していった(玉木氏のように日本の企業スポーツを毛嫌いする人ももっぱら「スティーラーズ」と呼んだ)。だが、舶来物のような「スティーラーズ」はどうしてても土俗的な「北の鉄人」に勝てない。ここにはうかつに手が出せない。



 こうしてみると、玉木氏の『日本のスポーツ文化「西/東」論』は意外に恣意的で、ご都合主義的なものに思える。

 かくして、かつて平尾2世と言われながら同志社ラグビーで挫折することになるラガーマン「Q」の出身地は、ラグビー空白県(不毛の地)だった山形とされたのである。

(つづく)




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前回のおさらい:玉木正之『彼らの楕円球(彼らの奇蹟)』の謎(1)

山形県出身の元ラガーマン「Q」は実在するのか?
 玉木正之氏の作品「彼らの楕円球」(新潮文庫『彼らの奇蹟』所収)の鍵を握る人物が元ラガーマン「Q」である。



 山形県出身。平尾誠二より2歳年下。地元・山形県のP高校1年の時に花園(全国高校ラグビー全国大会)に出場。超高校級の逸材、平尾2世と騒がれた。2年の時に東京の名門ラグビー名門校・X工業高校に転校。ここでプレーに磨きをかけ、平尾がいた同志社大学に進学する。しかし、黄金時代の同志社大学ラグビー部、キラ星のような選手たちの中に埋もれて伸び悩み、選手を引退。郷里・山形に帰ってしまった……。

 ……というのが、「Q」のプロフィールであるが、ここに嘘(虚構)がある。

 山形県は、長い間ラグビー空白県「不毛の地」であり、1987年度まで県予選を行って花園に代表校を送り込んだことがなかった。その後もずっと弱小県である。平尾の2歳下ということは「Q」は1964年生まれということになり、高校1年で地元の高校から花園に出場したのは1980年ということになる。ラグビーブームの最中であるが、この時代、山形県でほとんどラグビーは行われていない。

 つまり、「Q」の経歴はありえないのである。そもそも彼は実在するのだろうか? ひょっとてモデルになる選手ならいたのか? 当時を知る熱心な同志社ラグビーのファンならば「それはあいつのことやで」と教えてくれるかもしれない。いずれにしても、「Q」がラグビーがまったく盛んではない山形で生まれ育ったというのは虚構(嘘)である。

 ラグビー選手を引退後「Q」は郷里で家業を継いだことになっている。山形で将棋の駒の卸売販売をしているという設定だが、将棋の駒は山形ではなく天童市である。細かいことだが。

 それにしても、なぜ山形なのか? 否、その前になぜ「Q」は伸び悩んだのか? 彼は同志社のラグビー(さらには神戸製鋼のラグビー、平尾誠二選手のラグビー)に関する考え方・やり方との相性が悪く、なじめなかったのだという。同志社ラグビーのモットーといえば、自主的で自由奔放、楽しく遊ぶようにラグビーをしているというもの。むしろ、彼らはラグビーを「遊んで」いる! そのノリに「Q」はついていけなかったのだ。

 彼らは心からラグビーを楽しんでいる、そしてラグビーを真剣に遊んでいる(だからこそ、勝つ)。だけど、僕は遊べなかった……と、「Q」は取材者の玉木氏に語っている。

 「遊ぶ」「楽しむ」こそ、玉木正之氏そして平尾誠二選手のスポーツ観の肝である。スポーツとは本質的に(語源的にも)遊ぶもの楽しむもの、理不尽な苦痛や上下関係など陰湿で抑圧的なものを伴う日本的なスポーツ観とは違うもの……。玉木氏はスポーツライターの立場から、平尾選手はアスリートの立場から、こうした主張を繰り返していた。

 玉木氏はスポーツの理想を体現する平尾選手を称揚し、彼の発言の媒体となった。ラグビーを言葉で表現することに熱心だった平尾選手も玉木氏と共鳴した。同じ京都人同士でもあり、そのよしみでも意気投合。2人の出会いは互いに相乗効果を生んだのである。

 そうしたスポーツ観、ラグビー観を引き立たせる「隠し味」として登場するのが、東北は山形県出身の元ラグビー選手「Q」なのである。

つづく
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なんでラグビーが玉木正之なのか?
 新潮文庫から傑作スポーツアンソロジーと銘打たれ、玉木正之氏を編者として2015年に刊行された『彼らの奇蹟』。マラソン、バレーボール、サッカー、ゴルフ……さまざまなスポーツが採り上げられているが、ひょっとして一番ガッカリしたのはラグビーファンではなかっただろうか?



 香山蕃、大西鐵之祐、北島忠治、柯子彰、新島清、池口康雄、神吉拓郎、末富鞆音、小林深緑郎、松瀬学、永田洋光、藤島大、大友信彦、中尾亘孝……あ、最後の人はやめといた方がいいか(笑)。向風見也さんはもっと頑張ろう……と、ラグビーフットボールの書き手、語り手なら昔からいくらでもいるというのに、どうして玉木正之氏の「彼らの楕円球」なのか?

 いや、この作品が全くダメだという意味ではない。ただ、平尾誠二選手、神戸製鋼ラグビー部、同志社大学ラグビー部にフィーチャーした玉木氏の作品だけでラグビーの魅力や本質、あるいはスポーツの本質を語るのは、少々危険ではないかと思うのである。

虚構かノンフィクションか?
 「彼らの楕円球」は、1993年、『小説新潮』(新潮社)4月号で「彼らの奇蹟」のタイトルで、もともとは小説して発表された。1995年には玉木氏の著作『平尾誠二 八年の闘い』(ネスコ)の中で〈小説〉として転載される。さらに新潮文庫『彼らの奇蹟』では「彼らの楕円球」と改題され掲載された。原題は文庫本の書名としてスライドしたのである。

平尾誠二ー八年の闘い

 ところがスポーツアンソロジー『彼らの奇蹟』の掲載条件は「ジャンルとしての小説も除外し、ノンフィクション、評論、エッセイ……等々のフィクション以外からのジャンルの中から作品を選」ぶ(『彼らの奇蹟』479~480頁)となっている。そうなると小説である「彼らの楕円球」がなぜ選ばれるのかという疑問が湧く。編者である玉木氏のゴリ押しなのか? それは正しくないようだ。

 《採用するのは躊躇〔ちゅうちょ〕があったが、編集部の強い意向に押し切られるかたちで収録した。さらに、読んでいただければわかるとおり、この作品には虚構(フィクション)が含まれている。どこからどこまでが虚構なのか、その判断は読者にお任せするが、筆者〔玉木〕はすべて真実、ほとんど事実を書いたと確信している。》(同書482~483頁)

 「すべて真実、ほとんど事実を書いた」というのがミソで、この作品は100パーセント「真実」だが、100パーセント「事実」で構成されているわけではない。たしかに物事の真実が描けていれば、その手段は事実でも虚構でも構わない。そしてノンフィクション作品にも(差し障りのない範囲で?)虚構が混じることはあるかもしれない(もっとも、玉木氏の作品は『彼らの奇蹟』の他の収録作品に比べても虚構の比率が高い気がするが)。

 玉木氏は「非虚構(ノンフィクション)よりも虚構(フィクション)のほうに、『スポーツの真実』や『スポーツの多様性』に迫った作品が圧倒的に多いのも確か」(同書470頁)などと断言してしまう人である(本当か?)。

 また玉木氏は、いわゆるスポーツノンフィクションが書けない。むしろ、そうした作品をスポーツの本質に迫っていない「人間ドラマ」だと呼んで蔑んでいる。仮に玉木氏がスポーツノンフィクションを書いても、取材した事実で攻めるべきところをそれができず、自分の主張や思想を前面に立ててしまう癖があるため、素材は良くともつまらない作品になってしまう傾向がある。

 とにかく「彼らの楕円球」は、ほとんどの事実にいくばくかの虚構を交えて、ラグビーフットボールの真実、あるいはスポーツの真実を伝えたのだ……と、玉木氏は言いたげである。また事実と虚構の境目の曖昧さを示して読者をもてあそび、玉木氏ひとりが面白がっているようにも見える。

 それはそれで嫌味な話だ。ならば、逆にこの作品の虚実皮膜に分け入ることで、玉木氏のスポーツ観、さらには平尾誠二選手のラグビー観などに迫ることができるかもしれない。

つづく





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