スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:創られた伝統

 サッカーファンの皆様、新年あけましておめでとうございます。天皇杯サッカー決勝(男子)のない元日を、いかがお過ごしでしょうか(笑)




 伝統の天皇杯? 伝統の元日決勝?

 いい加減「天皇杯=元日決勝=伝統」などという野蛮な迷信から卒業して、日本サッカーの新しい地平を拓(ひら)きましょう。

(了)



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前回「サッカー天皇杯は元日決勝から卒業するべきである(中)」をざっくり……
  • 「メディア露出と認知度が高いのがメリット」と言われる天皇杯の元日決勝……しかし、実際はデメリットばかりである。
  • 元日(1月1日)は、テレビや新聞のスポーツ報道はほぼお休み。マスコミにあんまり報道されない。だから、パブリシティ効果がほとんど期待できない。
  • 日本サッカーの国内シーン(Jリーグ,天皇杯)がいまひとつメジャーになり切れない理由のひとつが「元日決勝」である。
天皇杯カップ

「伝統」と「創られた伝統」
 サッカー天皇杯「元日決勝」存続派の侮りがたい意見として、この試合は正月「元日」という特別な祝日に行われる「伝統」「風物詩」だからというものがある。





 しかし、この「伝統」というのは、いろいろ要注意物件なのである。

 よく、人文学系評論の世界に「創られた伝統」という概念が登場する。古くからの伝統だと思われているものが、実は比較的最近になって(特に「近現代」になって)創出、発明あるいは捏造され、人々の意識に広まったものだ……という骨子である。

 例えば、英国スコットランドのタータンチェックは「創られた伝統」であるといった話がよく紹介される。日本でいえば、正月の習慣「初詣」、あるいは大衆音楽の一ジャンル「演歌」も「創られた伝統」であるとの指摘がある。


 さらに、社会学者の伊藤公雄氏(「男性学」の提唱などで有名)によると、日本人の国民性として「和の精神」(聖徳太子の「和を以て貴しと為す」)が登場し強調され始めたのは、歴史的にはかなり最近、1943年(昭和18)の国定教科書からだという(伊藤公雄「〈和の精神〉の発明~聖徳太子像の変貌」『日本文化の社会学』岩波書店)。

 ところで、「伝統」とは何らかの習慣や主張を正当化するために利用されるものである。スポーツの世界でもしかり。例えば、玉木正之氏は大相撲に蔓延する「八百長」の習慣を積極的に肯定するスポーツライターだ。玉木氏は自身の日記で八百長肯定のために「日本人の国民性〈和の精神〉」を持ち出す。
玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」 20171216 [ウェブ魚拓版
12月16日(土の早朝)
朝早く目覚めてベッドのなかで『週刊新潮』の矢作俊彦氏の「長期不定期連載(4)豚は太るか死ぬしかない」を読んで大興奮。ベッドのなかで一人ケタケタ大笑いしてしまった。週刊誌を読んでコレだけ興奮するのは珍しい。題して「沈黙の相撲の王子」というコラム。そう。貴乃花親方のことが書かれているのだ。前半は「裏社会」に精通している男の話としてモンゴル力士たちの日本人より日本的な「星の回し合い〔=八百長〕」(和をもって貴しとする大人の対応)とそれを嫌う「ガチンコ」の貴乃花のことが書かれている。この部分には……〔以下略〕

玉木正之ナンヤラカンヤラ_大相撲八百長正当化
【玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」2017年12月16日付より】
 しかし、伊藤公雄氏の指摘が正しいとしたならば、玉木氏は「創られた伝統」に依って大相撲八百長肯定論を表明したことになり……したがって、ずいぶんと間の抜けた議論をしていることになる。

日本スポーツの主な「伝統」的イベントについて
 さて、日本のスポーツイベントにおいて「伝統的」とは何を指すのか? 日本の主要なスポーツイベントがいつ始まったのかを(主にウィキペディアで)調べてみると……。
  • 大学野球「早慶戦」:1903年(明治36)
  • 夏の高校野球:1915年(大正4)
  • 高校サッカー・高校ラグビー:1918年(大正7)
  • 箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走):1920年(大正9)
  • 日本運動協会(通称・芝浦協会)創設/巨人軍に先行した日本初のプロ野球チーム:1920年(大正9)
  • 大学ラグビー定期戦「関東大学ラグビー対抗戦」早慶戦:1922年(大正11)/毎年必ず11月23日祝日開催。
  • 大学ラグビー定期戦「関東大学ラグビー対抗戦」早明戦:1923年(大正12)/毎年必ず12月第1日曜日開催。かつては旧国立競技場(収容人員約6万人)を超満員にした試合。
  • 春の選抜高校野球:1924年(大正13)
  • 東京六大学野球リーグ:1925年(大正14)
  • 日本相撲協会財団法人化:1925年(大正14)/下賜金で天皇賜盃を作り公式優勝制度成立。2年後に東京・大阪の相撲協会の合併など、現在に近い形になる。
  • 都市対抗野球大会:1927年(昭和2)
  • プロ野球・読売巨人軍創設:1934年(昭和9)
  • プロ野球・公式リーグ戦開始:1936年(昭和11)/特に読売ジャイアンツ(巨人軍)vs.阪神タイガースの試合(巨人vs.阪神戦)は「伝統の一戦」と呼ばれるようになる。
 ……と、ここら辺りまでが「伝統」と名乗っていい日本のスポーツイベントである。だいたい大正年間、遅くみて昭和戦前まで。この時代が日本スポーツの揺籃期といえる。

 「伝統」は、そのスポーツイベントの価値を高め、ファンの人気・関心を高める一方、必要な改革を拒む力になってしまう。

 例えば、炎天下、エース級の投手が連戦連投して肩や肘が破壊される高校野球。この問題はなかなか改善の方向性が見えない。日本の野球界は有為の人材を10代で潰しているのである。

 箱根駅伝は、もともと(オリンピックで勝てるような)世界レベルのマラソンランナーを発掘・育成するための大会だった……が、いつの間にか大会自体が目的化してしまった。

 また、本来の目的であれば出場資格を全国の大学に開放してもよいのだが(否、大学生に限定する必要すらないのだけれど……)、大会を主催する関東学連は、出場資格を関東の大学限定から全国の大学へとなかなか改めようとはしない。

 大学ラグビーの早慶戦・早明戦は、いわゆる「対抗戦思想」(解説省略)に則って、必ず前掲の日程で試合をしなければいけないことになっている(もっとも、ラグビーの本場英国には日本的な意味での対抗戦思想は存在しないのだが)。

 この早慶戦・早明戦の日程を1~2週前倒しに変更すると、大学ラグビーのレギュラーシーズンもその分早く終了することになり、選手の育成や日本代表の強化にもっと時間を割くことができる。そこで早慶戦・早明戦の日程(特に後者)の変更を提案すると、当該関係者や古いラグビーファンから猛烈な反発が返ってくる。だから、問題はなかなか解決しない……。

 ……つまり、日本ラグビーの伝統は日本ラグビー(日本代表)強化・発展の障害となっている。

 この辺りはまるで、天皇杯サッカー「元日決勝」の日程を見直そうという声が出た時の存続派の反発に似ている。ウルトラ保守のラグビー関係者と言い分がソックリになってしまうのである。

元日決勝こそ「創られた伝統」?
 それでは、サッカー天皇杯「元日決勝」は、どれくらい「伝統」なのだろうか?

 サッカーは、1921年(大正10)にカップ戦の日本選手権を始めている。この点は、前述の各イベントとあまり変わらない。この時から「天皇杯」であり「元日決勝」であれば、それは「伝統」である。日程変更は大変な難題となる。
 ただし、大会名は「ア式蹴球全国優勝競技会」だった。日本サッカーのカップ戦は、現在まで都合8回正式名称を変えている。以下、大会名の変遷……。
  • 第1回:ア式蹴球全国優勝競技会 1921年(大正10)
  • 第2~13回:FA杯全日本蹴球選手権大会
  • 第15~20回:全日本蹴球選手権大会
  • 第26回:復興全日本蹴球選手権大会
  • 第29~30回:全日本サッカー選手権大会
  • 第31~51回:天皇杯全日本サッカー選手権大会 1951年(昭和25年度)★
  • 第52~54回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)
  • 第55~97回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会) 1969年(昭和43年度)★
  • 第98回~:天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会
 ……優勝杯は天皇杯でなく、決勝も元日ではなかった。「天皇杯」の冠と授与は約30年後の1951年(昭和25年度)。意外にも戦後になってから。

 もっと問題なのは「元日決勝」が導入された年が、1969年(昭和43年度)。……!? 東京オリンピック(1964年)よりも後? そんなに新しかったのか? ……この事実を知った時は少し驚いた記憶がある。

 「伝統の天皇杯サッカー元日決勝」「元日の風物詩」など、敗戦から20年以上過ぎて始まった、たかだか50年にも満たない「伝統」に過ぎない。一世紀にならんとする他のスポーツイベントと比べると半分にも足らない「創られた伝統」である。

 余談だが、その昔「創られた伝統」系の評論に、前述の「たかだか~に過ぎない」が多用されていたらしい(小谷野敦『評論家入門』参照)。単純にミーハー気分で使ってみたかった。

 さらに言えば、1980年代、日本サッカーが低迷期にあった時代の天皇杯「元日決勝」は空席の目立つ試合だった。ちょうどラグビーブームの折、翌日2日の大学ラグビー選手権準決勝の方がずっと観客が入っていた。

 天皇杯決勝が満員盛況になるようになったのは、Jリーグが始まる90年代初めから。仮にそこから起算すると、これも伝統の天皇杯、伝統の「元日決勝」など、たかだか30年にも満たない。ますます「伝統」なるものの捏造性を感じずにはいられない。

 その虚構に、日本のサッカー関係者やファンが自縄自縛に陥っている気がする。

天皇杯決勝と日本サッカーの新たな地平
 日本サッカーの悩みに過密日程という問題があり、その一部に天皇杯の「元日決勝」がある。しかし、「元日決勝」は日本サッカーの「伝統」であり、正月の「風物詩」である。そして、「元日決勝」にはマスコミ露出度や認知度が高いというメリットがある。だから、天皇杯の「元日決勝」は絶対に存続させなければならないという声がある……。

 ……こうした説を細かく検証していくと、サッカー天皇杯「元日決勝」に実は「伝統」などないことが分かった。祝日「元日」に天皇杯の決勝を開催するメリットと言われていたものも、実はデメリットが多いことも分かった。

 もはや「元日決勝」に固執する理由はない。

 「元日決勝」のデメリットとは、具体的には元日(1月1日)前後はマスコミが半ば休業状態になるために、天皇杯決勝でどんなに素晴らしい試合をしても、マスコミを介してその面白さが、コアなサッカーファンの枠を超えて人々に伝わることがないことである。

 結果として、例えばテレビのスポーツドキュメンタリー番組の「名勝負」モノに、日本サッカーの国内シーン(Jリーグ,天皇杯)が取り上げられることはない。国内サッカーの試合が後々まで語り草となり、増進増幅されて、さらにサッカーへの関心を高めていくという効果が現状では期待できない。

 日本代表の国民的な関心と比べると、国内シーンの印象は薄い。それは日本サッカーの弱みである。

 その打開策としての天皇杯「元日決勝」卒業でもある。日程を移動することで日本サッカーの新しい地平を開拓する。

 天皇杯は、貴重な地上波テレビそれも公共放送NHKの露出がある。また、全国の新聞に記事を配信する共同通信社も後援についている。これに電通や博報堂のような大手広告代理店も関われば、コアなサッカーファンの枠を破って、国内サッカーの面白さを一般の人々に広めるキッカケになる。

 「元日決勝」から卒業して、日本サッカーを新しくブランディングする。どうせ「伝統」を捏造するなら、特別な日にサッカー天皇杯決勝を行うのではなく、あらためてサッカー天皇杯決勝を行う日を特別な日にした方がいい。

(了)


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