2023年10月28日は「ドーハの悲劇」から30年に当たります。あの出来事が日本サッカーにもたらした余波について振り返ります。なにぶん内容的に古い話や今の人には分かりにくい話があるかもしれませんが、ほぼそのまま掲載します。(4回シリーズ,文中敬称略)
- 前回のおさらい:
オフト・ジャパンをめぐる様々な見解
ワールドカップ本大会出場という一大目標を達成できなかったのだから、オフト・ジャパンが完璧であるはずはないだろう。だからといって、金子達仁が書いたように「オフト監督に対する同情心すらわいてくる」ほど日本のサッカーは酷かったのだろうか?
金子達仁に同調する人は多い。「つまり,日本があと一歩で出場権を逃したと考えるから,〈ドーハの結末〉は悲劇になるのであって,本来,日本代表の技術水準を考えれば,むしろ〈あと一歩〉まで迫ったのは健闘だったと評価するのは妥当だ」などと卑屈に書きなぐった加部究(『ブルータス』マガジンハウス'94年3月15日号)。
「拝啓/無事,〈ドーハの悲劇〉から立ち直れたでしょうか」。「ゲーム内容は日本人の琴線に触れたようですが,残念ながら個人の力が思ったほど上がっていなかったということに最後は尽きてしまいそうです./〔…〕イラクの個人技は、努力型スターしかいない日本チームを明らかに上まわっていました.そして次の大会までに同じような力のチームが築ける保証は現在のところどこにもないのです」いう佐山一郎(『エスクァイア日本版』エスクァイアマガジンジャパン'94年1月号)。
どちらも金子達仁と似ているのに驚く。
特に、後の日本代表監督・岡田武史と親交のある佐山一郎は、加茂周―岡田武史指揮下のサッカー日本代表には何かと悪罵を放っていた金子達仁に抵抗して、'97年のW杯アジア最終予選ではアンチ金子色を鮮明にするが、この時は金子に近かったのだ。
批評姿勢にしても、日本マスコミのW杯予選報道が大本営発表と化す中で、唯一、『サッカーダイジェスト』の金子達仁だけが核心に迫ることを書いていた……などと二宮清純が褒めちぎっている(『勝ち方の美学』講談社'94)。
中には最終予選に進出できただけでも出来過ぎだという極端なものまであった記憶がある。一方、全く違った立場をとる人がいる。例えば大住良之だ。
1994年、アメリカW杯の年になってもたびたび悔しい気持ちが沸いてくるが「もっと悔しいのは,〈日本の実力ではワールドカップに出ても勝つことは出来ない.負けてよかったんだ〉などという人がいることだ.こうした意見はとくに〈サッカー関係者〉と呼ばれる人に少なくない」。
こんな風潮に対して自身の見解を書いておきたい。「オフト前監督のいう〈ヒストリー〉についての正しい評価がなければ,今後の道を誤る危険性があるからだ」。
ハンス・オフト監督はチームを強くしただけでなく、とても魅力的な攻撃サッカーを作り上げた。特に近代的な戦術理解はこれまでのアジアサッカーの中では傑出していた。世界中のサッカーが守備的で退屈になる中にあって日本のサッカーは輝かしいものだったが、それを予選突破に結びつけられなかった要因は国際競争の場での経験不足だけだった。
だからこそ、日本代表が世界の檜舞台でその真価を試す機会がないのは残念でならない。
それなのに「〈日本のサッカーはまだまだダメだ〉と言えば,〈そのへんのサッカーファン〉と一線を画せると勘違いしている〈サッカー関係者〉が少なくないことは悲しい」(以上は『サッカーの話をしよう〈1〉』(NECクリエイティブ'96/初出は『東京新聞』'94年1月4日付)。
「負けてよかったんだ」や「日本のサッカーはまだまだダメだ」の「サッカー関係者」とは特定の人物を揶揄したものではないはずだ。賀川浩のような人ですら負けてよかった「負けた方がよかった」式の発言をしてしまうのだから(『ジェイレブ』朝日オリコミ'94年1月号)、これはむしろ日本サッカー総体の現象なのである。
ネガティブな評価と自虐趣味に耽ってファンとしての良心・良識を気取るのは日本サッカーの奇怪な伝統である。すなわち金子達仁とは日本サッカーの伝統が生んだ「イドの怪物」でもあるのだ。
大住よりもっと具体的なのが後藤健生である。『ストライカー』(学習研究社)'93年12月4日臨時増刊号を見ていこう。なお本稿は『ワールドカップの世紀』(文藝春秋'96)以降の後藤健生による、しょっぱいドーハの悲劇の評価は無視する。
日本は、技術、戦術、体力のいずれをとっても6チームの中で、イラクと並んで最もレベルの高いサッカーをしていた。集中が90分続かないチームが多い中で、無失点試合が3試合もあったことがそれを証明している。攻守のバランスは日本がいちばんよく、中盤のプレスのかけ方などももっとも洗練されていた。〔中略〕消極的なアジアサッカーのなかで、よりクリエイティブ(創造的)なサッカーを目指している日本は、すでにアジアを超えている。アジアのなかで世界に通用する可能性が、もっとも大きいのは日本だ。後藤健生『ストライカー』'93年12月4日臨時増刊号
その日本サッカーが最も良い面が出たのは韓国戦である。
日本の速いパス回しに韓国は翻弄され、振り回され、韓国ボールになっても日本の守備陣がパスコースをつぶし、前にロングボールを蹴り込むだけで日本に拾われる。
「韓国の特徴である1対1〔デュエル〕の争いでの肉体的強さも,日本のボールテクニックの前になす術もなかった。〔略〕/いつの日か日本のテクニックが韓国の強さに勝てる日が来るとは思っていたが,それがついに実現したのだ」。
30年以上韓国にやられてきたことを、日本がやり返した歴史的勝利だった。
それにしても同じ選手・同じ監督・同じチームによる同じ試合を見ていて、金子達仁(ら)とこれだけ違うのだろうか? <1>
後藤健生説と金子達仁説
そもそも、それほど素晴らしいサッカーをした日本がなぜあんなに苦戦し、最後はDNQ(予選不通過)になったのか? 後藤は言う。
そこに日本サッカーの残された課題が隠されている。要するに、相手の良さをつぶしたり、敵の弱点に付け込むといった戦術的な駆け引きが、日本にはまだまだ足りないのだ。〔中略〕この勝負の駆け引きは、〔国際レベルのサッカーにおいては〕必要不可欠な要素である。世界中どこの国でも相手のよさを消したり、相手の弱点をついたり、あるいはそのときの試合の状況を徹底的に利用したりと、さまざまな戦略を駆使して勝負している。後藤健生『ストライカー』'93年12月4日臨時増刊号
その駆け引きのまずさが出た典型的な試合こそ日本が唯一敗れたイラン戦である。この試合は後藤説と金子説、両者の吟味の素材になる。
イランは初戦の韓国に0-3で大敗して後がない。どうしても勝つために、普段のカウンターサッカーを捨ててでも攻勢をかけなければならない。
一方、日本の弱点は故障した都並敏史の代役が見つからない左サイドバックである。カタールの本番直前に急遽使われた三浦泰年(ヤス)は慣れないこのポジションに戸惑い、必要以上に攻撃参加が目立ち、背後に大きなスペースが空き、そこを攻められてしまう。
初戦のサウジアラビア戦でもそれが露呈してしまった。案の定、イランは日本の弱点を見逃さず、右サイド(日本の左サイド)に攻撃的な選手を3人並べてこの弱点を突いてきた。
ところが、オフトはこれを修正できない。しかも、イラン戦でヤスは初戦以上に積極的に攻撃参加してくる。たびたび左サイドの裏を突破され、ピンチに陥る。前半終了間際、その問題の左サイドからフリーキックを与え1点を先制される。後半のイランはゲームプラン通り守りに入る。
イランは、日本の選手交替が裏目に出てフォーメーションのバランスが崩れたところを突いてカウンターから追加点、勝敗を決したのである。(前出『ストライカー』臨時増刊より要約)
後藤のこの戦評から日本対イラク戦のボールキープ時間を見直すと、この試合のイランのゲームプランの痕跡をしっかりとどめていることになる(それでも前半は日本のキープ時間の方が長い)。
【1993年W杯アジア最終予選におけるボールポゼッション】
守備に不安のあるヤスは無理に攻め上がる必要などなかった。オフトはヤスに攻撃参加を減らすとか、DFラインが崩れないようにするとか指示できなかったのか? あの試合、日本は最悪引き分けでもよかった。イランがあせって無理攻めしてきたところを逆襲する展開でもよかったのに……。
こうした、試合毎の戦術的な駆け引きやズル賢さを駆使することは中東勢の得意とするところであるが、教育者タイプで実戦的な指揮官ではない監督オフトにも、選手にもそうしたセンスが欠けていた。技術・戦術では日本はアジアを超えつつあるのだから、あとはこれを覚えればアジアで常勝、ワールドクラスにも通用するようになる。
大住が言う国際競争の場での経験不足のひとつはこのことであろう。
金子のイラク戦評を思い出してみよう。「この日のイランは,ゴールを挙げる前半終了間際までは本来の戦いかたをし,リードした後半はなりふりかまわず守りに入っている」(『サッカーダイジェスト』日本スポーツ企画出版社'93年11月24日号)。
……と、後藤とはまるで反対のことを言っている。金子説では「キープ時間の大きな差は,日本が自力で獲得したのではなく,イランが与えてくれたという意味合いが強かった」(同)からで、なぜなら日本は1対1(デュエル)に弱い、すなわち日本は弱いからである。
金子メソドロジーへの素朴な疑問
どうやら鍵は、金子達仁のデータ分析の方法にありそうだ。ただ、誤解していただきたくないのだが、私は何も、彼がカタールで書いたことの全てが間違っていると言いたいのではない。日本が1対1に弱いという話も、日本サッカー協会の要人も認めている日本サッカーの課題であり、その点に絞ればその通りなのだろう。
〈金子達仁のカタール戦記〉が幅広い支持を得た理由は、データや記録・数字を用いたことである(前掲の円グラフ参照)。金子に惹きつけられたファンの多くはJリーグ以降の新参者だったはずだが、特に彼らに、「日本は弱いから負けた」ということを、1対1のボール奪取判定という目に見える形、具体的な数字をグラフ化して見せたのである。
効果はてきめん。ドーハの悲劇という劇的すぎる場面に遭遇した彼らの多くは、当時の雰囲気(空気)に呑まれ、それを信じ込んでしまった。
それでは金子達仁のデータ分析法に問題はないのか?
ある。彼の方法論は欠陥だらけだ……と、金子の文章が臭いのはこの種の言い回しを濫用するからなのはともかくとして、最初の疑問はサッカーを数値化して語ることの原理的な難しさと、数値化されることへの抵抗感である。
以前からサッカーには、デジタル型スポーツの典型たる野球に対してアナログ型スポーツの極であるといった対比論があった(後藤健生・細川周平・今福龍太など)。アナログ型とは、要はゲームの内容を数字として残しにくいという意味である。
昔からサッカーのスコアブック記録法の試みはうまくいったためしがない。
'90年代の初めには旧『ジェイレブ』誌が挑んで失敗している。このときはパソコン用の入力用タブレットまで試作して「日本発信の〈スコアブックの新秩序〉を提唱していこうとする,何とも壮大な計画なので」あったが(『ジェイレブ』朝日コミュニティ・サービス'93年3月号)、いつの間にか立ち消えになった。
サッカーくじの予想や選手の契約更改・移籍交渉に使われるという当時のOptaシステムにしてもファンの反撥が根強かった。数字でサッカーが分かるのか? 中盤でつなぐだけの「パス成功率100%」に何の意味があるのか?
次の疑問は他球技の記録法と比べて浮かび上がる金子方式のキメの粗さである。野球の打率・防御率はチーム全体の打力・投手力の強さ弱さはもちろん、このチームは4番が穴だとか、得点力がないのは1番の出塁率が低いからだとか、投手陣の中でも中継ぎ・抑えが悪いから逆転負けが多い……などの情報が読み取れる。<2>
同じ英国系のフットボールなら、オールブラックスで有名なニュージーランドが採用している、ラグビーの「ボール放棄率」という方法がある(参照:生島淳「こんなに違うぞ,世界と日本」『ラグビー黒書』双葉社'95)。
これは1チーム15人のうち、どの選手が、どのようなミス(コンタクトプレー・反則など5項目)で何回相手にボール(=事実上の攻撃権)を手放してしまったかをVTRで測定して表にしたものである。サッカーと違って、ボールを抱えて持って走るラグビーは、必然的にコンタクトを伴うからここから有意の数字が出せるのである。
両チームのミスの数、この場合は少ない方がほぼ勝敗・強弱に比例するとされる。このスタンドオフはキックが下手だとか、このセンターはやたらノックオンが多いとか。両チームのミスの総数でその試合のレベルの高低、あるいは過去との比較、レフリーの判定の傾向……といったことまで読み取れるという。
翻って金子方式は、データ分析というわりには、選手各々とチーム全体の両方を把握できるような緻密な情報を読み取ることが出来ない。せめて選手ごとの1対1の数値を測れなかったのだろうか。そうすればイラン戦の左サイドの「穴」を見出せたのではないか。
そんなことはお構いなしに、とにかく弱いから負けた、ひたすら弱いから負けたの一辺倒なのである。
ではビデオを調べてみてください
最たる疑問は、重要ではあってもあくまで「1対1」とはサッカーの一つの要素でしかないのではないかということだ。「1対1の強さ」はサッカーの能力の唯一・絶対の基準なのか? 金子(たち)はそう思っているらしい。
しかも90分間での1対1の勝ち負けを計上すれば対戦した両チームの地力の差を具体化できると本気で信じているらしい。以下は翌'94年の広島アジア大会での『ダイジェスト』の記事である。
シュート数こそ14対17と食い下がったが、日韓両国には個々の能力の違いはもちろん、チームとしての完成度にも明らかな開きがあった。ほぼ1年前、あのドーハで韓国と対戦した日本代表は、1対1の攻防で82回の勝利を収めた。韓国は89回だった。だが、日本は7回の差を埋める組織力があった。強い運にもあった。ひるがえって、アジア大会準々決勝での1対1はどうだろうか。両国の差は拡がっていた。日本代表の103回に対し、韓国は117回に(いずれもビデオからカウント)である。特に空中戦ではことごとく制空権を握られ、完璧に競り勝ったのは1点目につながった場面の高木だけだった。14回の差を生める組織力は日本になく、韓国は14を倍以上にする組織力を、ブイショベツ監督のもとで身に付けていた。そして、1年前は日本に傾いた運も。『サッカーダイジェスト』'94年11月2日号
実際にこれを書いたのは戸塚啓だが、彼は金子と一緒にカタールW杯最終予選の1対1を計測した仲間であり、前述のように金子の弟分である。質的な差はない。
金子の立場から言わせると、オフト・ジャパンを悩ませ続け、イラン戦では致命傷になった「狂気の左サイドバック」問題など瑣末事にすぎないというのだろう。
なぜなら1対1に弱い日本は個人能力に大きく劣るから、すなわち日本は弱いからである。「ではビデオを調べてみてください」(『美しく勝利せよ』二見書房'99年/22頁)……金子は絶対の自信を持っている。ならばビデオを見てみよう。
イラン戦。日本がイランのペナルティエリアまで攻め込み、イランの守備陣が必死で守る場面がある。そればかりか中山雅史のヘディングシュートがポストをたたくシーンまである。こんな場面まで「イランが与えてくれた」と言うのだろうか?
ゴールは割らないが、ポストをたたく(それもゴールライン直前でワンバウンドする!)ヘディングシュートをわざわざ打たせてくれる。こんな凄い芸当が出来る国があったらワールドカップで優勝できるだろう。ボールを持っても何もできないような試合展開ではなかったのだ。
サウジアラビア戦もしかり。そんなに日本が弱いなら勝ちにいけばいいではないか! 確実に勝利を計算できる相手なのだから、初めから「第2戦以降の戦い方をサウジ」はしてくればよかったではないか。わざわざ「〈勝たなくていい〉という戦い方をして」くる必要などはなかったはずだ。
「日本は弱い」を強調するあまり自家撞着に陥ってませんか?
前年(1992年)、サウジは広島アジアカップ決勝で敗れた相手であり、かつ初戦である。日本とは「引き分けでもよかった」のではないか。もっともアジア杯は日本が地元なのだから、金子達仁の〈厳しい批判〉の前には評価にも値しないのだろうが。
(つづく)
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