『スポーツとは何か』はトンデモ本である
玉木正之氏(スポーツライター)の主著であり、九州大学附属図書館が選定した「九大100冊」にまで選ばれた『スポーツとは何か』(1999年)。
- 参照:九州大学附属図書館「九大100冊: no.81 - no.100」(2009年7月)https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/qu100/qu100_5
しかし、この本は「トンデモ本」であり、日本のスポーツ界・日本のスポーツ文化を大きく惑わす一冊である。なぜか……。
「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説
玉木正之氏のスポーツ史論・スポーツ文化論にはいくつかの定番ネタ(珍説)があるが、そのひとつに「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説、あるいは「野球(またはアメリカンスポーツ)=中断のスポーツ」説ともいうべきものがある。
それはどういうものか? まず、この珍説のオリジナルは虫明亜呂無(作家,評論家ほか,故人)の「芝生の上のレモン~サッカーについて」(『時さえ忘れて~虫明亜呂無の本3』所収,初出『スポーツへの誘惑~現代人にとってスポーツとは何か』1965年)である。
アメリカ〔合衆国〕ではサッカーも、ラグビーもさかんではない。さかんなのは、アメリカン・フットボール、野球、そしてゴルフ。いずれもゲームの合間合間に時間を必要とするスポーツである。合間はスポーツをスポーツとしてたのしませるよりも、むしろ、ドラマとしてたのしませる傾向に人を持ってゆく。合間の、間のとりかたに、選手はいろんなことを考える。彼の日常の倫理がすべて投入される。間をいれることで、ゲームはクライマックスにちかづいていく。観客はそれをたのしむ。実際、無造作にポン、ポン、ポンと投手が投げて、打者がバッティング・マシンのように、そのボールを打ちかえしていたのでは、およそ、つまらない野球になってしまうであろう。反面、間の取りかたに、不必要な思いいれが入ってくる余地をのこしている。プロのように、見せることが第一条件のスポーツでは、その傾向が特に強調される。スポーツとしての要素よりも、芝居としての要素がどうしても強く要望されるわけである。野球やアメリカン・フットボールは芝居の伝統のない国〔アメリカ合衆国〕が作った。土や芝生のうえの、脚本も背景も、ストーリーも必要としない単純な芝居ではないだろうか。演劇の文化的基盤のない国〔アメリカ合衆国〕、それがプロ野球を楽しむ。スポーツとしてではなく、ドラマとしての野球を。それも素人の三流芝居を。日本のプロ野球も、この傾向を追っている。〔以下略〕虫明亜呂無「芝生の上のレモン」@『時さえ忘れて』162~163頁
玉木正之氏は、この珍説を無批判に踏襲し、さまざまな著作や大学・大学院の講義、テレビやネット動画の番組などで吹聴している。虫明亜呂無氏を深く崇拝し、学問的・実証的な思考ができない玉木正之氏にとって、彼の言葉は「科学的真実」なのである。
しかし、『つくられた桂離宮神話』や『法隆寺への精神史』などの著作があり、NPB・阪神タイガースのファンとしても有名な井上章一氏(建築史,風俗史,国際日本文化研究センター所長)も、著書『阪神タイガースの正体』の中で「虫明亜呂無の説はあまりにも文学的すぎて(学問的ではなく)社会史などの資料(史料)として扱うことは危うい」と警鐘を鳴らしている。
つまり、虫明亜呂無氏の「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説は、そもそも与太話であり、学問的・実証的な裏付けの無い珍説にすぎない(これは改めて後述する)。
しかし、玉木正之氏は進撃を止めない。
ドラマと「間」とアメリカンスポーツ
アメリカンフットボールやバスケットボールでは、ルール上、タイムアウトやハドルといった作戦会議の時間を取ることが認められており、プレーが絶えず動き続けるサッカーやラグビーのような英国生まれヨーロッパ育ちのスポーツとは違って、プレーの中断、インターバル、言い換えれば「間」(ま)が非常に多い。
また野球(ベースボール)では、ピッチャーが投げる投球ごとの「間」、バッターから次のバッターへの「間」、イニングとイニングの「間」、選手交代の「間」、作戦タイムの「間」などがある。NPB日本シリーズやMLBワールドシリーズ、早慶戦などの大学野球ともなると、試合と試合との「間」というものまである。
こうしたアメリカとヨーロッパのスポーツ文化の違いを、玉木正之氏は『スポーツとは何か』の中で、虫明亜呂無氏の「芝生の上のレモン」を援用しつつ、次のように述べる。
これほど「間」が多いのは、アメリカが〈演劇の文化的基盤のない国〉だったから、という指摘がある。開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった。演劇を楽しめなかった分、その役割を広場でプレイされるボールゲームに求めた。観客は、プレイがとぎれる「間」のうちに、プレイヤーが何を考えているのか、次は何をしようとしているのか、といったことを想像し、頭の中でドラマを楽しんだ。一方ヨーロッパでは、シェークスピアやモリエール以来の演劇、モーツァルトやロッシーニ以来のオペラが、大衆に楽しまれていた。そこでドラマは演劇やオペラにまかせ、スポーツでは「間」がなく、終始動きつづけるプレイ〔サッカーやラグビー〕が好まれるようになった。玉木正之「〈間〉でドラマを楽しむ」@『スポーツとは何か』34頁
引用文中の「開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった」云々のくだりは、虫明亜呂無氏のオリジナル説には無く、玉木正之氏によるさらなる付け足し(創作)である。また「一方ヨーロッパでは、シェークスピアやモリエール以来の……」云々のくだりも、玉木正之氏の付け足し(創作)である。
これが2020年刊の玉木正之氏の著作『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』になると、話はこうなる。
このヨーロッパとアメリカの違いは、劇場文化の有無によるもの、とされている。ヨーロッパでスポーツが誕生・発達したころは、すでに劇場文化も存在し演劇やオペラが日常的に上演されていた。古代ギリシア〔ギリシャ〕では、アイスキュロス、ソフォクレス、アリストパネスといった悲劇作家や喜劇作家が数多く活躍していた。またラシーヌ、コルネイユ、モリエール、シェイクスピア、ボーマルシェ、モーツァルトなどを挙げるまでもなく、ルネサンス以降のヨーロッパでも、演劇やオペラの上演が盛んだった。しかし、インディアンと呼ばれたアメリカ先住民との戦いや、開拓のための労働に明け暮れたアメリカ大陸の街や都市では、教会は建設されても劇場の建設にまでは手が回らなかった。アメリカの人々は、ドラマの楽しみを広場さえあれば行うことのできるスポーツの中に求めるようになった。その結果、アメリカ生まれのスポーツにはドラマ(演劇,芝居)のような「間(ま)=試合の中断」が多くなったというのだ。劇場でドラマを楽しむことの少なかったアメリカの人々は、ピッチャーが投球動作に入り投げるまでのあいだに様々なことを思い浮かべた。あのピッチャーは最近調子が悪い。何があったのか? 新聞によると恋人にフラれたそうだ。だったらその悔しさをぶつけろ! バッターは恋人に逃げられるようなピッチャーなんかに抑えられるなよ……。スポーツ映画は、ベースボール〔野球〕やアメリカンフットボール、バスケットボールやアイスホッケーなど、アメリカのスポーツがほとんどだ。それに比べてヨーロッパ生まれのボールゲームは、試合の中にドラマを入れることが難しいのだ。『巨人の星』の主人公の星飛雄馬は、ピッチャーズマウンドで目の中でメラメラと炎を燃やし、「俺はオヤジに負けない!」などと叫びながら投球する。その時間、ドラマを演じる時間はタップリある。それに比べて、『キャプテン翼』の大空翼……〔以下略〕玉木正之「星飛雄馬は、なぜ投球の時に目から炎を出すのか?」@『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』58~60頁
劇画『巨人の星』の主人公・星飛雄馬は父(星一徹)のことを「父ちゃん」と呼ぶのではなかったか? ……とか、細かいツッコミはさておき。
今度は「古代ギリシャ」の悲劇・喜劇にまで話が拡大している。要は、読者は玉木正之氏の衒学に付き合わされているのだ。
ベースボールの日本普及と「間」の日本文化
さらに重要なのは、玉木正之氏が、明治時代、日本でサッカーよりもラグビーよりも野球の人気が先行した理由のひとつに、野球が「間」のスポーツであることと、大いに関係があると主張していることだ。
欧米から日本にスポーツが伝播したのは明治時代初期。文明開化の明治4〔1871〕~20〔1877〕ごろに、西洋の様々なスポーツが伝わってきたと言われている。〔中略〕ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩れ込んできたが、庶民のあいだで瞬く間に圧倒的な人気を獲得したのが、ベースボール〔野球〕だった。〔中略〕なぜ日本では多くのスポーツ(ボールゲーム)の中で野球〔ベースボール〕だけが突出した人気を博したのか?〔中略〕本書をお読みの読者は気づかれたと思うが、野球のように試合中の中断〔間=ま=〕の多い球技は、その時間を利用して観客が様々な「ドラマ」〔演劇,芝居〕を思い浮かべることができる。だから少々野球のルールがわからなくても、苦しんでいると思われる打者に「がんばれ!」と声援を送ったり、チャンスだと思える打者に「それいけ!」と励ましたりすることができる。つまりベースボールのようなアメリカ型のドラマ性の高い球技は、競技のルールや選手の技術、試合の戦略や戦術などを知らない人々にとっても、とっつきやすいスポーツと言えるのだ。〔以下略〕玉木正之「アメリカの球技とヨーロッパの球技は、どこが違うのか?」@『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』60~62頁
一方、日本にも、有名な日本文化論として剣持武彦氏(比較文学者,故人)の『「間」の日本文化』という著作がある。日本人には「間」を愛(め)で、楽しむ文化がある。
「間」のアメリカンスポーツ文化と、「間」の日本文化。まさに野球は、日本人の国民性や民族性、歴史、文化、伝統、精神とピッタリ相性のいいスポーツなのである???
プロの学者・鈴村裕輔氏による玉木正之批判
玉木正之氏のこの持説は、2021年2月に連載された『日本経済新聞』のシリーズ「美の十選」でも展開された。
野球だけでなく、アメリカン・フットボール、バスケットボール、バレーボールなど、アメリカ生まれの球戯ボールゲームは、総じて試合の中断が多い。ヨーロッパ生まれのサッカーやラグビーやホッケーはできるだけ試合を継続させる。が、アメリカの球戯〔球技〕は、作戦タイムを設けてまで試合を中断させる。それは長かった開拓時代に、なかなか劇場を建てることができなかったからとされている。ドラマやオペラを劇場で楽しむことができなかった代わりに、スポーツのなかにドラマを求めたアメリカ人は、ゲームの中断中に様々なドラマを想像するようになったのだ。「最近、あの選手の調子がいいのは恋人ができたからだろう」「あの選手の調子が悪いのは監督と喧嘩〔けんか〕したからか?」……〔以下略〕玉木正之「日経 美の十選/アート・オブ・ベースボール(7)ベン・シャーン〈National Pastime〉」(2021-08-11)http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_220.html
しかし、これはおかしい! ……と批判した人こそ、プロの学者である鈴村裕輔氏(名城大学外国語学部准教授,野球史研究家,法政大学博士=学術=ほか)である。
……野球などの米国生まれの球技が〔サッカーやラグビーなどイギリス・ヨーロッパ生まれの球技と違って〕「作戦タイム」を設けてまで試合を中断させるのは、開拓時代に劇場を建てられなかったため演劇や歌劇の代わりにスポーツの中に「ドラマ」を求めたからという説が唱えられているものの、こうした説は野球史の研究において実証的に支持されているものではありません。いわば珍奇な説があたかも定説であるかのように紹介されることは、読み手に不要な誤解を与えかねないものです。鈴村裕輔「隔靴掻痒の感を免れ得なかった玉木正之氏の連載~アートオブベースボール十選」https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/9a7f93942afb88bf7cbe9f37ae33d509?frame_id=435622
左様、「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説は、学問的な吟味と実証を経ていない、読者(スポーツファン)に不要な誤解を与える与太話なのである。<1>
学問的吟味が必要な玉木正之氏の「学説」
玉木正之氏は(虫明亜呂無氏も)、アメリカ生まれの球技のみに「中断」があると考えているが、イギリス生まれの球技には、イギリス・英連邦諸国で人気があるクリケットという、野球の親戚である「バット・アンド・ボール・ゲーム」が存在していることを忘れている。この球技には頻繁に「中断」がある。
事実誤認が多い玉木正之氏はともかく(笑)、イギリスの国技クリケットという「中断」の多いスポーツを忘却した虫明亜呂無氏は相当な失当をおかしたのではないだろうか。
また、ハリウッドの映画やブロードウェイのミュージカルなどが盛んなアメリカが、ヨーロッパと比べて演劇文化が乏しいなどとはとても信じられない。イギリス生まれの喜劇俳優・映画俳優チャールズ・チャップリンは、アメリカの演劇や映画に大きな可能性を見出して渡米したはずだ。
何より、野球(ベースボール)固有のゲーム性と日本人固有の国民性が見事に合致したからこそ、野球がサッカーやラグビーなどに先んじて日本で国民的人気を得た……という玉木正之氏の「学説」は疑わしい。
そもそも球技スポーツの伝播や普及が、明治時代初め(1872年頃)のお雇い外国人の一時的な紹介でごく自然に達成されたかのような、玉木正之氏が吹聴するイメージは間違いだ。
日本における野球の普及の第一歩は1878年(明治11)、平岡凞(アメリカ留学帰りの鉄道技師)による新橋アスレチック倶楽部の創設から。
- 参照:平岡凞「我国初の野球チームを結成」(野球殿堂博物館)https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-002/
また、日本におけるサッカーの普及の第一歩は1896年(明治29)、東京高等師範学校(現在の筑波大学の前身)のフートボール部(蹴球部)の創設から。そして、日本におけるラグビーの普及の第一歩は1899年(明治32)、慶應義塾が蹴球部(ラグビー部)の創設から……である。
どれも、それなりの人手と手間暇を掛けなければ普及しなかったのである。そして、野球とサッカー・ラグビーには20年くらいの時間的な開きがある。野球の人気が日本で先行したのは、以上のような事情で説明できる。けして、玉木正之氏が主張するような理由からではない。
ちなみに玉木正之氏のスポーツ史論・スポーツ文化論には、平岡凞のような草創期日本野球の最重要人物の名前が全く出てこない。このような人物が筑波大学や立教大学、国士舘大学といった高等教育機関で「スポーツ学」を講じたことは、滑稽にすら思える。
一説に、玉木正之氏は肝心なスポーツ学界(学会)からはマトモな「学者」扱いされていないという。しかし、むしろ(鈴村裕輔氏の批判のみならず)玉木正之氏のスポーツ「学説」には、学問的な吟味とその公開の必要があるだろう。
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