スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:中野信子

男女日本代表敗退で再び火が付いた自虐的日本サッカー観
 1年前の今頃、2018年6月は……。サッカー日本代表はロシアW杯で惨敗するだろう。そして、またぞろネット世論を含めたサッカー論壇は、自虐的な日本サッカー観(日本人論・日本文化論から見たネガティブな日本サッカー観)で溢(あふ)れかえるだろう……などと、すっかり悲観的になり、喚(わめ)きたてていた。


 ところが、西野ジャパンは下馬評を覆(くつがえ)して1次リーグを突破した。本当に恥ずかしい。

 2018年ロシアW杯では、日本代表が一定の成果を収めたために、奇妙キテレツで自虐的な「サッカー日本人論」の類は、あまり流行(はや)らかなったように思われる(もっとも,NHKのドキュメンタリー番組「ロストフの14秒」での,イビチャ・オシム氏の首を傾げたくなるような発言はあったけれども)。


 しかし……。

 2019年6月になって、日本女子代表「なでしこジャパン」がフランス女子W杯のベスト16で敗退、男子日本代表がコパアメリカ(南米選手権)の1次リーグで敗退(さらに20歳以下の男子日本代表が,U20ワールドカップのベスト16で敗退)……という、各カテゴリーの日本代表が「不完全燃焼」で終わる事態が続き、前年は不発だった「火薬」=自虐的な日本サッカー観が、サッカー論壇で「再着火」している気配がある。

「決定力不足」という「日本人」の病!?
 男女の日本代表とも、共通の課題があるとされていて、例えば「決定力不足」である。


 宇都宮徹壱氏は次のように語る。
 もっとも、決定力不足に関しての森保一監督の認識は……決して森保監督のオリジナルではなく、最後の外国人指揮官である〔「現時点で最後」と書くべきでは?〕ヴァイッド・ハリルホジッチ監督も、繰り返し述べてきたことだ。


 さらにさかのぼればジーコ監督時代の15年くらい前にも、日本の「決定力不足」は盛んに指摘されていた。今となっては信じられないだろうが、〔2006年〕W杯ドイツ大会に出場していた時にも、試合前に繰り返しシュート練習が行われていたのである(結局、この大会で日本は2ゴールしか記録していない)。このように「決定力不足」は、日本代表にとって根深い歴史的な課題であり、そこだけをクローズアップしてしまうと問題の本質を見失う危険性をはらんでいる。

 宇都宮徹壱氏が「〈決定力不足〉は,日本代表にとって根深い歴史的な課題」と言っているのは、単純に昔からそうだという意味ではなく、文脈上、一朝一夕に変えようがない日本(人)の国民性や文化といった次元で「根深い歴史的な課題」という意味である。これは「サッカー日本人論」である。どうしても宇都宮徹壱氏は、日本人論・日本文化論の「まなざし」で日本サッカーを見てしまう傾向がある。

 だから、あのジーコの名前とエピソードも登場する。ジーコは、その経歴を見る限り、特別優秀なサッカーの監督・コーチとは言えない。けれども、日本人の自虐的な日本サッカー観を大いにくすぐる人なのである。宇都宮徹壱氏や西部謙司氏は、熱烈なジーコ信奉者のそぶりは見せないが、しかし、どうしてもジーコを見限れないという人でもある。



 そんな折も折、ジーコが来日して、昨今の日本サッカーの決定力不足を嘆き、「これを改善しない限り,日本のサッカーは2020年の東京オリンピックでもよい結果を残せないだろう」とか何とか、また宣(のたま)ったのだという。*


 アンタにだけは言われたくはないわ……というサッカーファンもいると同時に、ジーコの発言に過剰反応する幼気(いたいけ)なサッカーファンもいる。


 ジーコ発言にこうした反応を見せることで、自身のサッカー観の賢しらを誇示する。その発言が日本人論がかっている。これこそ「自虐的サッカー観」である。こういう人たちに対しては、やはり、藤島大氏の「ジーコのせいだ」をあらためて援用せざるを得ない。


 2006年のドイツW杯の期間中、にジーコ監督が日本人の選手たちにシュート練習をさせていたことは、むしろ、ジーコの監督能力を疑わせるエピソードである。本来、いわゆる「日本サッカーの決定力不足」とは別問題なのに、いっしょくたにしてしまっている宇都宮徹壱氏などを見ていると、やはりジーコ・ジャパンとは日本のサッカー評論、サッカー観のリトマス試験紙なのだと感じてしまう。

「脳科学」的に「日本人」監督の采配能力は著しく劣っている!?
 もうひとつの共通の課題は監督の采配、より具体的には「監督の消極的な交代策」である。男女のサッカー日本代表(森保一氏,高倉麻子氏)とも、例えば、選手の交代が遅い、1試合の交代枠(3人)を余らせてしまう、選手を交代させても試合の流れを積極的に変えるものではない……等々の理由で、勝てる試合を失い、日本代表は早々と敗退したというものである。

 この件について、何か面白いネタがネット上にあるかもしれないと思って検索をしていたら、とても興味深いツイートが釣れた。「日本人」の監督は脳科学的(!)に、そして統計的(!)に能力が劣っていることが明らか(!)なのだという。


 しかし、ここでいう「脳科学」とは、誰の、どういう研究・学説なのだろうか? どうせ中野信子みたいな俗流なんじゃないのか……とか、「日本人」と他の人類を分ける(自然科学的な?)定義ってあるのだろうか……とか、その「日本人の脳」をどうやって分析したのか……とか、いろいろツッコミたくなるところではある。

 こうした「脳科学」による日本サッカーの「分析」には、デジャブ(既視感)がある。日本代表が「惨敗」した2014年ブラジルW杯の3か月後、テレビ東京系のサッカー番組「FOOT×BRAIN」が(疑似科学だと批判されている)脳科学者・中野信子を出演させてしまったことがある。
FOOT×BRAIN「目からウロコ!脳科学から見るサッカー上達法!」
2014年9月27日

中野信子_サッカー_フットブレイン1

中野信子_サッカー_フットブレイン2

中野信子_サッカー_フットブレイン3


 くだんのツイートは、中野信子をゲストに迎えた時の「FOOT×BRAIN」を思い出させる。一方、中野信子のような「脳科学者」にはいろいろと疑義が提出されている。

 「日本人がサッカーで弱いのは科学的にも証明されている」という話。要は、日本サッカーが「世界」で負けると頻出する疑似科学的日本人論の一種である。

いよいよ「なでしこジャパン」言説まで日本人論化するのか?
 またまた、話はサッカー日本代表が「惨敗」した2014年のブラジルW杯になる。

 小説家で、サッカー関連の著作もある星野智幸氏が「日本のサッカーのうち,男子日本代表は〈日本的〉であるがゆえに愚劣だが(ただし本田圭佑のような〈日本人離れ〉したキャラクターを除く),女子日本代表〈なでしこジャパン〉は誇るべきものである」といった意味合いの、自虐的日本サッカー観に満ちたエッセイを書いていた(星野智幸「ガーラの祭典」@『エンタクシー』42号掲載,下記リンク先参照)。

 つまり、サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」は、自虐的な日本サッカー観やサッカー日本人論の「枠の外」に置かれてきた。しかし、2019年フランス女子W杯の意外に早い敗退を受けて、またその評価を受けて、いよいよ日本女子サッカー&なでしこジャパン言説も、いよいよそうした風潮に呑み込まれてしまったかのような反応が散見される。

 現時点(2019年6月)の時点では、それはハッキリとは見極めがつかない。「要経過観察」といったところか。そのように「発症」してしまったと確信できたら、あらためて論考したい。

 いずれにせよ、こういう思考や精神は、日本サッカーの批評にも創造にもつながらない。

(了)



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日本代表は1995年ラグビーW杯並みの大惨敗を喫するかもしれない?
 秘かに恐れているサッカーW杯ロシア大会最悪の予想は、1995年ラグビーW杯の日本vsニュージーランド戦、ジャパンがオールブラックスに145失点(!)した時のような形で、サッカー日本代表が大惨敗すること。この試合「ブルームフォンテーンの悪夢」の悲惨さは、2014年ブラジルW杯「ミネイロンの惨劇」よりもさら上回る。
ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームフォンテーンの悪夢】

 こんな結末に至った裏事情は、日本ラグビー狂会編『ラグビー黒書』に詳しい(編者の中尾亘孝=なかお・のぶたか=は反サッカー主義者だし大嫌いだが,これだけの本をサッカージャーナリズムで出せるだろうか?)。
ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12

 サッカーだと普通はそこまでならないし、風紀が紊乱して二日酔いになって練習場で嘔吐していた増保輝則のような選手もさすがにいない。しかし、腐ったミカンは存在する。

 ここから日本のラグビーが立ち直る……2015年W杯でジャパンが世界クラスの強豪・南アフリカを破った番狂わせ「ブライトンの奇跡」を起こすまで、実に20年かかった。

 杞憂で終わってほしいです。

日本は無理して勝たなくていいよ.そのためにハリルを更迭したんだから…
 いずれにせよ、日本代表が惨敗するだろうことを前提として話をするが、W杯本大会ではどんな弱小国でも1次リーグで3試合できる(少なくとも2022年カタール大会までは)。

 想像するに、ビジネス的観点からすると、それだけ試合ができれば、わざわざ日本代表が勝たなくとも、十分儲けられる。

 日本代表のスポンサー企業にとっては、日本が勝つことよりも、本田圭佑や香川真司といったスポンサー企業にとって重要な選手がW杯に出場することが大事。そのためにハリルを更迭したんだから。そして、日本が負け続けても、マスコミやスポンサーのCMではその3試合を徹底的に煽り倒すだろう。
JFA公式キリン杯広告香川真司_アディダスジャパン_日本航空
【本田圭佑とキリン(上),香川真司とアディダス】

 特に、最終戦となる3試合目は「本田圭佑 最後の戦い」みたいな言葉遣いで煽りまくるだろう。

「日本人ダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」は確実に出る
 日本が3戦全敗&惨敗すると、マスコミやサッカー論壇、ネットでは、「日本人はサッカーがダメダメ論」「自虐的日本サッカー観」で溢(あふ)れかえるだろう。今回は、適当なことを書いているが、これに関してはほとんど確実である。

 だって、この2つは日本が勝っても(1次リーグを突破しても)出るんだから。これまた日本人農耕民族説の固い信奉者である湯浅健二氏みたいに(下記リンク先を参照)。
日本代表はなぜ世界で勝てたのか? (アスキー新書 161)
湯浅 健二
アスキー・メディアワークス
2010-08-07

 少し時間が経つと、「〈日本人がサッカーで弱いのは科学的にも証明されている〉という疑似科学がマスコミに出てくるであろう。ちょうど、2014年ブラジルW杯の3か月後に、テレビ東京系「FOOT×BRAIN」が(疑似科学だと批判されている)中野信子を出演させてしまったように。
FOOT×BRAIN「目からウロコ!脳科学から見るサッカー上達法!」
2014年9月27日
中野信子_サッカー_フットブレイン3
中野信子_サッカー_フットブレイン2
中野信子_サッカー_フットブレイン1
 脳科学の第一人者・中野信子氏をスタジオに迎えて、今回は「日本人はサッカーに向いているのか?」を大きなテーマに、新たな視点からサッカーについて考えます。民族的に欧州、南米、アジアでは何か違うのか? 従来は肉体的な面での差が語られることの多かったこの手の比較に、番組は脳科学の分野からアプローチ。日本人の特性を脳科学の分野から考えると、今までとは全く違ったトレーニング方法がわかるかも…今回も必見です!!

 「民族」どころか「人種」という概念ですら科学的妥当性はないと言われる時代に、日本のサッカー論壇では「〈日本人〉とかいうホモサピエンスの亜種が自然科学的に存在する.この〈亜種〉はなかんずくサッカーの能力が決定的に劣っている」という言説が大手を振ってまかり通っている。
 ロシアW杯では、いい頃合いでツイッターから蒐集したもの、日本人農耕民族説とか日本人論を当ブログで公開、いささかの解説(ツッコミ)をつけて紹介する予定です。

本田派ライターの提灯記事と見苦しい引退パフォーマンス
 サッカー日本代表 が出場するW杯の試合のTV中継では、国際映像の間に、日本のTV局が撮影した独自映像をバンバン挟み込む。ロシアW杯でも本田圭佑や香川真司を執拗にフォーカスするだろう。
 そして、ロシアW杯で日本が惨敗し、いかにマスコミやネットで「日本人はサッカーがダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」で溢れかえろうと、特権的な立場にある本田圭佑だけは、前回2014年ブラジルW杯同様、テフロンで加工した鍋のごとく焦げ付くことはないだろう。

 スターシステムに乗った選手ばかり注目するマスコミ、あるいは本田派のライターたちは、何よりダメだった日本の中で「本田だけは孤軍奮闘」「本田だけは通用していた」みたいな与太話をいろいろ書くのではないか。
この試合、戦っていのは本田圭佑だけだった
【植田路生氏による2014年W杯の本田圭佑幇間(ほうかん)記事】

 2006年ドイツW杯1次リーグ最終戦終了後、中田英寿は引退後のビジネスのプロモーションを兼ねて、醜悪なパフォーマンスを行った。
英紙も酷評した中田英寿2006ドイツW杯での猿芝居
【英紙も酷評したドイツW杯における中田英寿のパフォーマンス】

 今回のロシアW杯を「集大成」と位置付けていると言われる本田圭佑も何か同様のことをやらかすかもしれない。

本田圭佑は再び「海外逃亡」する
 前回のブラジルW杯と同様、日本代表が惨敗したとして、大会後の本田圭佑は他のメンバーとは一緒に日本に帰国せず、記者会見・インタビューに応じることもなく、再び海外に「逃亡」するだろうと予想できる。
サンスポ20140626
スポニチ20140626
【ブラジルW杯のスポーツ紙1面から】

 本田圭佑は好き嫌いがハッキリ分かれる人物だが、この事件は、本田に反感を持つ人たちの感情が「嫌悪」から「憎悪」に変わった瞬間だった。この時に本田が何か真面目にメッセージを発していたら、私的な好き嫌いは別にして、それなりに評価され、反感も少なかったであろう。

 一方で「本田の行動を批判している人がいるが,次のシーズンに備えて,いち早く渡欧するのは当然」などと擁護した、いたいたいけな人がいた。

 甘やかすから、本田圭佑はますます増長する。本田の、こんなワガママ身勝手をJFAが抑えていたら、ハリルホジッチ氏日本代表解任事件もまた、なかったかもしれない。

本田圭佑と辻政信,あるいは「日本人」の失敗の本質
 大言壮語⇒しかし結果が伴わず日本は惨敗⇒責任者なのに日本に帰国せず海外逃亡⇒こっそり帰ってきて再び大言壮語……のサイクル。前回のブラジルW杯から今回のロシアW杯にかけて本田圭佑がとったこの行動は、旧日本軍の大本営陸軍参謀・辻政信に、よく似ている。
辻政信
【辻政信】

 ちなみに、サッカーやラグビーのW杯で日本代表が惨敗すると旧日本軍の『失敗の本質』に譬えるのは、1980年代からある日本のスポーツ評論の定番ネタである。

 例えば、村上龍氏のスポーツコラム(?)集『フィジカル・インテンシティ』なんかがそうである。

 これもまた旧日本軍の話⇒日本型組織論⇒日本文化論・日本人へと話が飛躍し、「日本人はサッカーがダメダメ論」と「自虐的日本サッカー観」へと展開する様子は、少々皮肉なことにいかにも日本的である。

(了)


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「日本人としてうれしい」は政治的に正しくない?
 佐藤琢磨選手が世界三大レース「インディ500」で優勝! 本当に驚いた。本当にうれしい。しかし、(私たちと同じ)日本人が勝ったからうれしい……と、表明するのは「政治的に正しくない」ことなのか?

 そんなことを問いかけるのは、日本の人というのは「日本人が世界的スポーツイベントで勝つ」ということに、いささかならず屈託があるからだ。



 むろん、先に引用したツイート主の方に当ブログは何の悪意もないし、伝えたいことは理解できる。だたし、政治性と離れたところで、このメッセージには違和感も覚える。

 なぜなら、そもそもスポーツとは、なかんずく世界的なチャンピオンシップとは「日本スゴイ」ではなく「日本ダメダメ」を語る場であったから。スポーツにおいて「日本人」は全然スゴクナイどころか全然ダメダメであり、だから佐藤琢磨選手は(のみならず日本人のレーシングドライバーは)日本人であるがゆえに世界(的なイベント)では勝てない……。そう信じられ、そう語られてきたからである。

草食民族=日本人は肉食民族=欧米人には勝てない!?
 モータースポーツ専門誌『オートスポーツ』2015年2月15日号に「特集[多角検証]日本人はF1で勝てるのか?」という特集記事があった。2017年時点で日本人はまだF1グランプリで勝ったドライバーはいないが、インディ500には勝っている。当時はどんなことを書いていたのだろうと興味を持ち、取り寄せて読んでみた。

 特集記事では、モータースポーツ関係者に「日本人はF1で勝てますか? Yes or No」と質問している。星野一義氏はYes、鈴木亜久里氏はNo、片山右京氏はYes、高橋国光氏はNo、今宮純氏はYes、川井一仁氏はYes、そして斯界の超大物ロン・デニス元会長(!)はYes……と、皆それぞれ理由を述べてあり、単純なイエスかノーかではない。ちなみに佐藤琢磨選手はこの時点ではNoだった。

 この中でひとり印象的だったのが、Noと答えたモータースポーツジャーナリストの赤井邦彦氏のコメントであった。
「No」攻撃性の欠如と日本的文化が障壁に
赤井邦彦(日本)モータースポーツジャーナリスト
「肉食人種〔欧米人〕がドライバーである限り、草食人種の日本人がF1を制することは難しい。日本人は『手先の起用さ』や『頭の回転のスピード』の優れた民族だと思うが、攻撃性が決定的に不足している。また、モータースポーツ特有の『一見、“ムダと思えてしまうカネ”を使う文化』も、日本の社会と相性が悪い。純粋に人種・民族としての能力だけでなく、日本の文化が変わらない限り、日本人がF1で勝利する日はこないように思う」
 サッカーファンなら(それ以外のスポーツファンも)この手の話を一度や二度は聞いたことがあるだろう。むしろ、大いに共感する人のほうが多いかもしれない。「肉食民族」を「狩猟民族」に、「草食民族」を「農耕民族」に置換すれば、さらに呑み込みが早いだろう。

 モータースポーツジャーナリスト林信次氏は『F1戦士デビュー伝説』の中で、欧米人はのレーシングドライバーは狩猟民族だから速いが、日本人のレーシングドライバーは農耕民族だから遅い……と、いったことを書いている(この本自体は良書である)。
F1戦士デビュー伝説
林 信次
ベストブック
1994-03

 有名無名を問わず、サッカーのみならずスポーツを語る場において、日本人はこうした俗説がを好む。





 一方、サッカージャーナリスト後藤健生氏のように「農耕民族の日本人は、狩猟民族の欧米人にスポーツではかなわない」という俗説にカウンターを試みる人もいるが、多勢に無勢、焼け石に水といった感がある。
後藤健生コラム「日本がMFの国と思われていたのは過去の話だ」
【後藤健生「日本がMFの国と思われていたのは過去の話だ」より】

 早い話、これらは、森田浩之氏(立教大学兼任講師=メディアスタディーズ、サイモン・クーパーの翻訳ほか)が指摘したところの文化論的なスポーツ論、すなわち「スポーツ日本人論」(サッカーの場合は「サッカー日本人論」)とでも呼ぶべき思想,言説の表出である。

 「スポーツ日本人論」の批判と克服は、まず、その論理を突き詰めて解体するという方法がある。だが、一番のいい批判と克服の方法は、日本人が(日本人では勝てそうにない)世界的なスポーツイベントで勝つこと。「実証」することである。

 赤井邦彦氏は、日本人は日本人であるがゆえにF1では勝てないとしていた。F1ではないが世界三大レースのインディ500で日本人(佐藤琢磨選手)が勝ってしまった。赤井氏の日本人観はどれだけ克服されたのか? それとも、されなかったのか?

身体能力も「個」も劣った「日本人」とかいうヒトの亜種
 日本人はスポーツの(なかんずくサッカーの)能力に先天的に大きく劣っている……という話を、日本人自身が熱心に力説したがる。これを人種差別,人種主義(レイシズム)と呼んでいいのかはひとまず置くとして、変則的な人種的偏見であることは間違いない。

 しかし、ジャーナリズム,評論,アカデミズム……日本の論壇の人たちに「スポーツ日本人論」が省みられることはほとんどなかった。この人たちの世界では「スポーツにおける人種問題」とは、主だって以下のようなものだった
 黒人はスポーツ能力,身体能力に優れている……一見、高い評価のようであるが、そこには恐るべき人種的偏見が含まれている。すなわち「黒人=身体=野蛮,未開/白人=精神,知性=文明」の二元論、さらには「黒人<白人」という優劣,序列である。スポーツあるいは身体に優れているという「黒人」は、実は内心では社会の支配的階層=「白人」に蔑視されている。

 こういった「神話」が信じられているために、黒人は学問や法律,ビジネスといった「知的」な職業を目指すことがなくなり、また機会も与えられることもなくなる。そう、まるで、英国の社会学者ポール・ウィリスが『ハマータウンの野郎ども』で描き出した、英国労働者階級の「落ちこぼれ」て「荒んでいる」不良少年たちように……。
ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
1996-09

 ……と、いったことを、いかにもインテリ風な言い回しで述べているのが先のツイートである(140字というツイッターの制約は、もったいぶった表現にはむしろ相応しい)。

 そればかりではない。スポーツの中においてすら、黒人はプレイメーカーやクオーターバックといった「知的」なポジションにはなれず、ストライカーやワイドレシーバー,ランニングバックといった「身体的」なポジションにばかり与えられる。いわんや黒人が監督(ヘッドコーチ)という「知的」な仕事に就くことはできないとされている。

 欧米の論壇で流行している、こうした議論が日本に輸入されている。

 さて、この図式の中で日本人は、黒人と白人、どちらの側に入るでしょうか?

 むろん、身体能力に優れている黒人の中には入れない。では、白人の側には……もちろん入れない。なぜなら日本人は、例えば「個の力」あるいは「個」などと称する、スポーツにとって重要な、ある種の知性なり知的能力なりが白人と比べて著しく欠落していることになっており(草食民族,農耕民族だから?)、スポーツ(なかんずくサッカー)には著しく不適格とされているからだ(中田英寿や本田圭佑は希少な例外のようだけれども)。

 黒人か白人かという対比は、実は同じホモサピエンス(ヒト)同士の微妙な差異に過ぎない。日本のスポーツ言説の世界では、どうやら日本人という、身体能力にも、スポーツにとって重要な、ある種の知的能力にも大きく劣った「ヒトの亜種」が存在するらしいのである。
 農耕民族(草食民族)たる
私たち日本人は、スポーツならざる日本人種として、私たち自身に人種主義的に、差別的に、自虐的に、ただただならざるを得ない。

 前掲の赤井邦彦氏のコメントには、こうした思想,言説の背景があるのだ。

 日本の論壇はそうした方面への洞察に欠けていた。スポーツに関する日本人への人種的に偏ったまなざし、「スポーツ日本人論」を省みることをしなかった。ヨコのものをタテに直して論じ耽っていればいい。けだし、インテリとは気楽な稼業ときたもんだ。

 日本のスポーツ社会学やカルチュラルスタディーズ(カルスタ)というのは、サッカー・ワールドカップで日本が勝利した時に東京・渋谷のスクランブル交差点で発生する大騒ぎに冷や水をぶっかけて、日本のナショナリズムを批判したつもりになっているだけだという「偏見」がある(香山リカ氏ではなく、山本敦久氏あたりを意識して書いている)。

 輸入モノだけではない。「スポーツ日本人論」の他にも、例えば中田英寿や本田圭佑をめぐるスターシステムのカラクリとその問題性など、日本の足元にも欧米にはないユニークなネタがたくさんあるのに実にもったいないと思う。

「日本人の勝利」を評価する難しさ
 先に紹介した『オートスポーツ』誌2015年2月15日号に「特集[多角検証]日本人はF1で勝てるのか?」を読むと、赤井邦彦氏のような飛躍したコメントはむしろ少数だった。才能の発掘や育成,技術,広い意味での政治力やビジネス力など、日本のモータースポーツを文字通り多角的で「科学的」に検証した、きわめてまじめな内容だった。

 あるいは、その成果が佐藤琢磨のインディ500制覇だったのかもしれない。サッカーファンからすると、日本のモータースポーツ・ジャーナリズムがうらやましい。

 サッカーがこういった特集を組むと「スポーツ日本人論」ばかりになる。

 事実。2014年のブラジルW杯で日本が非常に後味の悪い敗退をした後、テレビ東京系サッカー番組『FOOT×BRAIN』は、脳科学者を自称する中野信子のような疑似科学者を招いて、「日本人はサッカーに不適格な遺伝子を持っている」などというトンデモ話を開陳させた。


中野信子_サッカー_フットブレイン1
中野信子_サッカー_フットブレイン2
中野信子_サッカー_フットブレイン3
【FOOT×BRAIN2014年9月27日放送「目からウロコ!脳科学から見るサッカー上達法!」より。疑似科学者の中野信子に追従する聞き手の福田正博と前園真聖が本当に馬鹿に見える


 それに比べれば、『オートスポーツ』誌はずっとジャーナリスティックで素晴らしい。

 ちなみに「日本人はサッカーに向いていない」という話は、中野信子のオリジナルではない。1970年ごろから日本のサッカー論壇にたびたび表出してきた命題である。アジアですら下位に甘んじた70年代の日本サッカーと、W杯出場は当然のノルマとなった21世紀の日本サッカー。日本サッカーの国際的地位は格段に上昇したのに「日本人はサッカーに向いていない」という話がまったく変わらず出るのは、実に摩訶不思議である。

 むろん、政治的に絡めとられ、利用されることには最大限警戒しなければならない。その上で、日本人が世界の檜舞台で勝利し、日本人のスポーツにまつわるステレオタイプを打破したことを評価する「まなざし」を持つことは、なかなかに難しいのかもしれない。

(了)


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