スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:中尾亘孝

 書評とブックガイドの専門月刊誌『本の雑誌』、2022年4月号の特集は「スポーツ本の春!」で、その目玉が座談会「スポーツ本オールタイムベスト50が決定!」であった。
  • 参照:『本の雑誌』2022年4月号(特集 スポーツ本の春!)https://www.webdoku.jp/honshi/2022/4-220303152432.html

本の雑誌466号2022年4月号
本の雑誌社
2022-03-10


 野球、サッカー、格闘技、陸上競技……。ところが、驚いたのはこのベスト50の中に「ラグビー」の本が入っていなかったことである。しかも、記事にも言及がなかった。

 これには「日本ラグビー狂会」を名乗るラグビー評論家の中尾亘孝(なかお のぶたか)<1>も不満だったようだ(次のツイート参照)。


 なぜ驚いたかというと、ラグビーは、日本のスポーツ界において歴史的にも一定のステータスを誇ってきたからだ。Jリーグ(1993年~)以前はサッカーよりも人気があったくらいだし、ラグビー関連書籍も良書が沢山あったからだ。

 文春ナンバーは、ラグビーブームにあった1980年代、盛んにラグビー特集を組んだ……。
  • 参照:Sports Graphic Number 88号 ラグビー・男の季節(1983年11月19日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/454
 2019年には、日本でラグビーW杯を開催、大変な盛況だった……。

 ……にもかかわらず、『本の雑誌』のスポーツ本特集にラグビー本がなかったのである。

 大西鐵之祐(おおにし てつのすけ)の『闘争の論理』。そして……。

 藤島大の『知と熱』くらいはベスト50に入ってもよさそうなものを。

 確かにこれは解せない。

☆★☆★☆★☆★

 要は、日本は長らく野球の国だった(過去形)ので、『本の雑誌』あたりがスポーツ本ベストの特集を組むと、どうしても野球の本が多くなる。加えてサッカーが台頭してきたりすると、サッカー本も多くなり、ラグビー本は省かれてしまう……のかもしれない。

 その分、例えば省かれたラグビーファンからは不満が出る。

 これに比べると、本邦スポーツライティングの「傑作スポーツアンソロジー」を編むのに、野球(『9回裏2死満塁』)と、それ以外のスポーツ(『彼らの奇蹟』)とを分けて刊行した……。

 ……玉木正之氏と新潮社はずいぶん賢明な判断をしたと思う。

(了)




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ネイスミスは「オフサイドを止めよう」とは言っていない!?
 サッカーやラグビーにはオフサイドという反則のルールがあるが、バスケットボールにはオフサイドがない。それはなぜか?

 玉木正之氏は自著『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』の中で、その問題を書いてはいる。だが、玉木氏は「自分にとって都合のいい結論のために史実を歪曲するスポーツライター(スポーツ文化評論家)」だから、氏が書いてあることは「本当に本当かな?」と疑いながら読まないと、トンデモない誤った知識を吸収してしまう。
バスケットボールは、なぜボールを持って3歩で反則なのか?
 ……1891年には、マサチューセッツ州の国際YMCAトレーニングスクールの体育教師だったジェイムズ・ネイスミス〔1861-1939〕が、寒さが厳しく雪も多い冬でも体育館の中で行えるフットボールを考案する。ゴールはマサチューセッツ州特産の桃やサクランボの収穫時に使った籠〔バスケット〕を吊〔る〕し、狭い室内ではボールを手で扱うことにした。

 だが、オフサイドのルールをどうするか? ということが、大問題となった。

 オフサイドは「こそ泥(スニーク)」と軽蔑される卑怯な行為。とはいえ、相手より前に出てパスを受けることが出来なければ、狭い体育館ではプレイが続かない。およそ1年間、悩みに悩んだネイスミスは、ある日、とつぜん閃〔ひらめ〕いた!

 「オフサイドをOKすることにしよう! その代わり、ボールを持った選手は、3歩以上動いてはいけないことにしよう!」

 こうしてバスケットボールには、かつてキャリングと呼ばれた、トラヴェリング〔トラベリング〕という反則ルールが生まれたのだった。つまり、バスケットボールの3歩ルールは、ユーラシア大陸のフットボールにおけるオフサイド文化をアメリカという新大陸の文化が作り替えた(リメイクした)ところから生まれたのだ(バスケットの指導者、選手、ファンの皆さん、ご存知でしたか?)。

玉木正之『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』第1章より


 「バスケットの指導者,選手,ファンの皆さん,ご存知でしたか?」などと宣(のたま)う玉木正之氏も不遜な感じがして、とても嫌らしい。ところが、そのバスケットボールの考案者であるジェームズ・ネイスミス本人の著作には、バスケットボールとオフサイドの関係について触れられていないのだという。
2021年1月23日(土)
 仕事の関係でJ・ネイスミス『バスケットボールその起原と発展』(YMCA出版)を読み直し始める。バスケットボールという球戯〔球技〕を創った人物の創作回顧録。オフサイドの処理などで中村敏雄先生〔故人〕の記述〔『オフサイドはなぜ反則か』〕と異なる点があるのはなんでかなあ? とりあえず20年ぶりくらいに読み通さなければと読み進める。

玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2021年01月http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2101.htm


 ここでひとつ「えッ!?」が入る。玉木正之氏は『オフサイドはなぜ反則か』を20年近く読み直していないのだという! それでいて自著『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』では、ネイスミスが「オフサイドをOKすることにしよう! その代わり,ボールを持った選手は,3歩以上動いてはいけないことにしよう!」と突然に閃いた……などと見てきたように書くのだ!
2021年1月24日(日)
 J・ネイスミス『バスケットボール~その起原と発展』を読み進み。反則の策定や器具の改良や人数の制限などイロイロ面白いけどバスケットボールでオフサイドがどう処理されたかという話が出て来ないなあ。

玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2021年01月
2021年1月25日(月)
 ベッドのなかでネイスミス『バスケットボール~その起原と発展』読了。バスケ創作者の記述として貴重な文献とはいえオフサイドの処理についての記述はゼロ。オフサイドを認めるところから3歩ルールが生まれたとの中村敏雄先生の著作〔『オフサイドはなぜ反則か』〕も読み直さねば。当事者が正しい記述を残すとは限りませんからね。

玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2021年01月
 それにしても、デタラメばかり書いている玉木正之氏が「当事者〔この場合はジェームズ・ネイスミス〕が正しい記述を残すとは限りませんからね」などとは、よく言えた義理だと嫌味ながら不思議に思ってしまう。

中村敏雄著『オフサイドはなぜ反則か』には何が書いてある?
 それでは、ジェームズ・ネイスミス本人の著作には出てこないという、バスケットボールがルールからオフサイドを解除したという話。これは中村敏雄の著作『オフサイドはなぜ反則か』に出てくるが、それはどんな内容だったのか?
 この不合理とも、奇妙とも、そして技術水準が低い場合には守備側有利ということにもならざるをえないルール〔=オフサイド〕をなくしてしまったのがバスケットボールである。このスポーツの考案者であるネイスミスは、この不合理さを克服した時、「指を鳴らして“I've got it!”「わかった!」*と叫んだといわれる。

 もちろん、ネイスミスはオフサイド・ルールを知らなかったわけではなく、彼はモントリオール市にあるマッギル大学ではフットボール選手としての経験をもち、オフサイド・ルールについては十分に知っていたはずである。

中村敏雄『オフサイドはなぜ反則か』初版20頁


 この「*」の部分には後注がついていて、そこには「Clair Bee,“Basketball”.1941年、p.46」とある。とにかく、バスケットボールでオフサイドを止めることに気が付いて「わかった!」と叫んだ……と書き残したのは、ネイスミス本人ではなく「Clair Bee」という人物なのである。それもネイスミス本人が亡くなった2年後に。

 「Clair Bee」は、米国で1930~1940年代に活躍したバスケットボールの有名なコーチで、米国バスケットボールの殿堂入りをしている。またスポーツライターでもあり、斯界では相応の人物である(残念なことにウィキペディア日本語版には立項がない)。ただし“Basketball”の著者「Clair Bee」が実際に何と書き、何を参考にしてこの逸話を書いたのかは、分からない。その史実性まで疑うとは言いませんけれども。

ネイスミスにとっての大問題は「オフサイド」ではなかった?
 実は、ジェームズ・ネイスミス自身はバスケットボールを考案するに際して「オフサイド」はあまり問題にしていなかったのではないか? ……というのが本稿の仮説である。

ジェームズ・ネイスミスとバスケットボール
【ジェイムス・ネイスミス:バスケットボールの考案者】

 ネイスミス自身の著作『バスケットボール~その起原と発展』が手元にないので、同書の邦訳者・水谷豊<1>氏の著作『バスケットボール物語~誕生と発展の系譜』を読んだ(……ということで本稿はあまりフェアではない)。著者・水谷豊氏は米国やカナダのネイスミスゆかりの地の図書館やバスケットボール殿堂に足しげく通って、この本を書き上げたという。

 この本でも、著者・水谷豊氏が強調しているのは、フットボール的な球技を室内で行えるように、乱暴なタックルやボディコンタクト、ラフプレーを、ジェームズ・ネイスミスがいかに排除するか苦心惨憺(くしんさんたん)したという話である。

 フットボール系球技のように垂直に口を開けたゴールをに打ち込む(シュート)のではなく、頭上高く床と平行に開かれたゴールに放物線を描くようにショットをするようにしたのも、バスケットボールがラフプレーを排除しようとした工夫のひとつなのである。

 それでは「オフサイド」はどうしたのか? 中村敏雄(や玉木正之氏)はフットボールにオフサイドは付き物だと思っているらしいのだが、そうではないという意見がある。

加納正洋(a.k.a.中尾亘孝)による『オフサイドはなぜ反則か』批判
 フットボール・アナリストを自称する加納正洋(かのう まさひろ)<2>という人物が書いた『サッカーのこと知ってますか?』という本がある。

サッカーのこと知ってますか?
加納 正洋
新潮社
2006-05-25


 加納正洋の著作は、中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』の要旨を批判していて、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」が多数あったという話が出てくる。

 すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・コレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。

 またネイスミスは、バスケットボールを考案するに際して、ラクロスも参考にしている。ラクロスのオフサイドは「ボールがあるエリアにペナルティボックスを含めて攻撃陣が7人以上,守備陣が8人以上いること」(日本ラクロス協会の公式サイトより)なので、ボールの位置が原則となるフットボール系の球技のオフサイドとは異なる。

 ジェームズ・ネイスミスが、こうした当時のフットボールの諸相やラクロスの事情を知っていれば、オフサイドの可否など大した問題ではなかったということになる。

むしろオフサイドは当然の反則だ
 中村敏雄は「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあり、「不合理とも,奇妙とも」言っているが、そんなに特別で、特異なルールだろうか。少なくともサッカーやラグビーでは、オフサイドはそのスポーツにとって「ゲーム性」を確立させるために必要なルールだ。

 すなわち、サッカーにとってはゴール前にボールを放り込んで容易(たやす)くゴールできてしまっては、サッカーの「ゲーム性」を損ねるからである。

 国際サッカー連盟(FIFA)の技術委員を務めていた元オランダ代表 マルコ・ファンバステンは、オフサイドの廃止を提案して世の中をびっくりさせた。

 現在FIFAが推奨するピッチのサイズは長さ105メートル×幅68メートルだが、このピッチの幅(広さ)では、オフサイドを廃止してもサッカーの興趣を削ぐだけだろう。

 一方、サッカーと同じく11人vs11人で対戦し、攻撃側が前にボールを大きく長く投げることが許されている球技がアメリカンフットボール(アメフト)がある。このアメフトのピッチの幅がサッカーより20メートル狭い、約48mである。おそらく、これくらいのピッチの幅ならば、オフサイドを無くしても「ゲーム性」を損ねることはないかもしれない。

 もっとも、その「ゲーム性」をサッカー(アソシエーション・フットボール)と呼べるのかどうかは別の問題であるが。

 ラグビー(ラグビーフットボール)もしかり。ボールを蹴って運ぶか、(ラグビー校のウィリアム・ウェブ・エリスの伝説のように)手で持って運ぶかして、ボールをゴールライン(インゴール)まで持ち込み、ゴールにボールを蹴りこむ。これがラグビーフットボールである。その「ゲーム性」を維持するためには、ボールより前でプレーしてはいけない。これが「オフサイド」である。しかし、それだけでは足りない。

 ボールを前に放ってならないし(スローフォワード)、ボールを手で小突いて前に進めてはならない(ノックオン)。オフサイド、スローフォワード、ノックオン。この3つを反則としないと、ラグビーはラグビーではなくなり、別のフットボールとなってしまう。

 こんな風につらつら考えてみると、中村敏雄が述べるように、それを玉木正之氏が鵜呑みにして拡散するように「オフサイド」だけがそれほど特別な、特異な反則なのか? ……疑わしくなってしまう。

中村敏雄からの「卒業」あるいはアップデート
 日本のスポーツ論壇で中村敏雄といえば非常に有名で、玉木正之氏のみならず、サッカージャーナリストの後藤健生氏まで大変尊敬している人である。そのために斯界では、虫明亜呂無とともに中村敏雄には全く反論してはいけない「空気」が存在している。

 ところが、中村敏雄という人は、頑迷なまでに「日本」と「世界」の間に越えられない壁を設定することが大好きな人で(そう,最近の河内一馬氏や中野遼太郎氏のようにw)、それだけに疑わしい部分も多いのである。

 そんな神様みたいな中村敏雄を、よく批判し得たのが偏屈な加納正洋=中尾亘孝だったというのは、どことなく皮肉めいているというか、ある意味当然と言うか。それはともかく……。

 ……三省堂書店から『オフサイドはなぜ反則か』の初版が出たのが1985年である。2021年で、それから約35年も経っているのだ。

 ならば、フットボール系の球技に関する新しい知見も増えようというものである。デタラメばかり書いている玉木正之氏のように中村敏雄や『オフサイドはなぜ反則か』を絶対視するのではなく、そのアップデートが必要な時代に入ってきているのではないだろうか。

(了)




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 むろん森喜朗の女性蔑視発言は言語道断なのだが、それを得意気に批判する玉木正之氏もおかしい。
2021年2月5日(金)
 小生〔玉木正之〕は5年以上前からスポーツと体育の区別もできない人物〔森喜朗〕が五輪のトップにいてはイケナイと言ってきましたけどあと半年に迫った今になって世界から非難される発言とは困ったことです。

玉木正之「ナンヤラカンヤラ」(2021年2月いっぱい)http://www.tamakimasayuki.com/nanyara.shtml

玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2021年2月(同年3月以降)http://www.tamakimasayuki.com/nanyara/bn_2102.htm
 そう言う玉木正之氏は「スポーツ」と「遊び」の区別がついていないのではないか。

 つねづね玉木正之氏は「スポーツ」は「遊び」だと唱えてきた。スポーツ(sport)の原義が「遊び」なのだからだと言う。さらにその元祖は、玉木氏が崇拝し、師と仰ぐ虫明亜呂無氏(評論家・作家,故人)である。
 スポーツは遊びである。遊びであるから贅沢〔ぜいたく〕である。それは歌舞音曲や、おいしい料理や、男女の交情と同じように人生の飾りであり、一期〔いちご〕の夢なのである。こうした精神は、もともと京阪神を中心にした上方生活に根づいて長い伝統の試練にかけられ、開花し実を結んでいった。

虫明亜呂無「咲くやこの花」@『時さえ忘れて』(新潮文庫『彼らの奇蹟』345頁)


時さえ忘れて (ちくま文庫)
虫明 亜呂無
筑摩書房
1996-06T


 玉木正之氏は京都市(上方)の出身の出身だから、こんな風に虫明亜呂無に褒められて嬉しくてたまらないのだろう。

 同じく「スポーツ(ラグビー)は遊びだ」とつねづね唱えていたのが、ラグビー日本代表にして、玉木正之氏と同じく京都市出身の平尾誠二氏(故人,伏見工業高校~同志社大学~神戸製鋼)である。

 玉木正之氏と平尾誠二氏、同じ思想の持ち主同士、同じ京都人同士で意気投合。

 スポーツとは遊びである。日本でスポーツという遊びの文化を本当の意味で理解できるのは洗練された「遊び」の文化を持つ上方=京阪神である。

 京都人で、京都の同志社大学、神戸の神戸製鋼でプレーした平尾誠二氏だからこそ、抑圧的な日本のスポーツの現状にあって(掃き溜めの鶴のように)素晴らしいラグビー文化、スポーツ文化が開花させたのである……と玉木正之氏は煽ったのだった。

 しかし……。だからこそ平尾誠二氏は日本ラグビーを奈落の底に導いてしまったのである。日本代表(ジャパン)が大惨敗した1995年ラグビーW杯南アフリカ大会、ジャパンの選手兼「事実上の監督」として大会前に復帰した平尾選手の責任は免れない。

 この大会、対ニュージーランド(オールブラックス)戦におけるジャパンの失点が145! 国際試合でも100失点というのはたまにあるが、前後半80分の間にさらに45失点を重ねるのは史上空前にして絶後の世界的な恥辱。開催都市の名を冠して「ブルームフォンティーンの惨劇」と俗称される。

ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームフォンティーンの惨劇】

 あえてサッカーに例えれば、ワールドカップ本大会の1次リーグでブラジルかドイツ相手に前後半90分で22~23失点するようなものだろうか。W杯でサッカー日本代表がこんな試合をしてしまったら、日本国内のサッカー人気は致命的に落ち込むはずだ。

 日本ラグビーでは実際にそういうことが起きて、ひょっとしたら2度と立ち直れないかのようなダメージを負ったのである。

 とにかく、こんな大惨敗はよほどチームの内情がおかしくならないと実現しない。この時のジャパンは、監督(小薮修氏)は無能であり、チームとしては機能不全に陥り、選手たちのモラルは低下して……という状態にあった。二日酔いで嘔吐しながら練習している選手(神戸製鋼の増保輝則選手)がいた。

 「事実上の監督」である平尾誠二氏の本来の役割は、こうした危機的状況にブレーキをかけ、チームを再び戦う集団へと生まれ変わらせることだ。しかし、弛緩しきったチーム内の空気を粛正せずに、平尾氏は南アでの現場では練習もそこそこに、かえって他の選手たちとカジノにゴルフで遊び呆けていた。

 要するにジャパンの選手たちは南アW杯で「遊んでいた」のだ。日本代表の練習はチンタラしていた。しかし、日本と対戦したウェールズやアイルランドの練習では、選手たちは眦(まなじり)をつり上げ、血相を変えて練習に取り組んでいた……と、現地を取材したラグビーライターは記している。

 ジャパンは、そのウェールズ、アイルランドに50失点以上の惨敗。その挙句の果てが対オールブラックス戦の145失点の大大大惨敗だったのである。

 なぜこの時、平尾選手はジャパンに手を下さなかったのか? 彼の「監督」責任もさることながら、日本代表としてラガーマンとして当事者感覚を欠いていた彼の発言、行動、体質、性格、立ち居振る舞いも、惨敗を招来した一因だとしてラグビージャーナリズムからは厳しく批判されている。

 「ラグビーを楽しむ(それで勝つ)」……平尾選手のこの思想は、W杯のような世界大会には適用されないのだろうか? もうひとつ平尾選手は「世界に通用するラグビー」を掲げていたはずだ。しかし、それらのお題目は結局のところ日本国内向けのエエカッコシイにすぎなかったのだろうか?

 中尾亘孝という癖の強いラグビー評論家は、平尾誠二氏のラグビー人生を「ラグビーの本場のカッコイイところは真似したが,ついに本場に勝とうとは思わなかった」「自分より弱い者には勝てても,強い者には勝てない」と酷評している。<1>

 この大惨敗「ブルームフォンティーンの惨劇」は、要するにスポーツを「遊び」と考えた平尾誠二氏の惨敗でもあったのだ。

 一方の玉木正之氏はどうか。『平尾誠二 八年の闘い~神戸製鋼ラグビー部の奇蹟』は、スポーツライター玉木氏がラガーマン平尾誠二選手と同じ京都人として共感共鳴、平尾選手の実践するラグビーに日本スポーツ界の「地上の楽園を見た!」と言わんばかりに狂喜し、喧伝している本である。

 しかし、あまりに盲目的に平尾誠二氏を礼賛するあまり、現実が見えなくなってしまったようだ。

 『平尾誠二 八年の闘い』の「あとがき」の日付は1995年9月(奥付は同年11月)である。南アW杯でのジャパン大惨敗、ブルームフォンティーンの惨劇からまだ4か月。日本ラグビー界が茫然自失としていた時期にもかかわらず、「あとがき」ではその点にはまったく触れていない。なおかつ(南アの「戦犯」である)平尾選手をただただ称揚している。

 日本ラグビー界が負ったダメージに対してまったく危機感のない著者・玉木氏の鈍感さには唖然とさせられる。

 スポーツは「遊び」だから国際舞台での勝ち負けなんかはどうでもいい。地域に密着したスポーツクラブで、明るく楽しくラグビーをしていればいい……などと、玉木正之氏は考えているのだろうか。

 それは間違いである。

 このことは1995年から20年にわたる日本ラグビーの低迷が証明している。そしてキツイ練習に耐え、結果、大いなる喜びを私たちにもたらした2015年ラグビー日本代表「エディー・ジャパン」や2019年ラグビー日本代表「JJジャパン」が証明している。
 遊びではない競技の場だから人間の本質を知るものが育ち、やがて社会に散らばる。スポーツを深く知る詩人が、経済人が、それこそ文部省の役人だって誕生するはずなのである。

藤島大「浅薄な環境に溺れぬ、真に知的なアスリートを。」(Sports Graphic Number 514号/2001年1月25日号)
 スポーツライター、ラグビーライターの藤島大氏はこう述べている。藤島大氏も遠回しに玉木正之氏のスタンスを揶揄していた人物の一人だ。

 スポーツの原義が「遊び」だからといって、今ある「スポーツ」は単なる遊びに留(とど)まらない性格を孕(はら)んでいる。

 そういえば玉木正之氏はクラシック音楽やオペラの評論も書く人だった。

 そんな玉木氏を揶揄して「歌うのが好きなだけで(遊んでいるだけで)一流になったオペラ歌手が,いったい世界のどこにいるのか?」と語っていたのが、同じくアンチ玉木のスポーツライター・武田薫氏だった。

 すなわち、スポーツは「遊び」ではない。そんな寝ぼけた思想を今なお唱える玉木正之氏が森喜朗のことを批判する筋合いなど全く無いのである。

(了)




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差別主義者のラグビー評論家=中尾亘孝
 愛知県豊橋市の東海道新幹線と東海道本線と飯田線が並行する線路の西側のすぐ傍のアパートの1階に住んでいるらしいラグビー評論家・中尾亘孝(なかお のぶたか)が、とにかく他人を不快にさせる発言をしないと気が済まないゲス野郎であることは、(佐山一郎氏のような鈍感な人は除いて)真っ当なラグビーファンやサッカーファン、スポーツファンには分かり切ったことだ。
  • 参照:反サッカー主義者=中尾亘孝を「ラグビーの後藤健生」と呼ぶ佐山一郎氏の蒙昧(2020年03月01日)https://gazinsai.blog.jp/archives/40035923.html
 見なければいい読まなければいいのに、見てしまった読んでしまった今回の中尾亘孝の憎まれ口の対象は、日本の大学ラグビー界に多くが在籍する「留学生=外国人選手」と、そうした選手を積極的に起用する大学(例えば天理大学)である。
月曜日、関西学院大学×天理大学の後半だけ見た。
前半「17対12」と関学がリードしているのに驚く。

しかし、57分〔後半17分〕に関学にイエロー・カードが出て、
〔該当する選手は約10分間の退場〕ゲームが崩れた。

63分、天理にもカ―ドが出て、
14人対14人になるが、

すでに59分に逆転されていて、
試合の均衡は戻らなかった。

しかしまあ天理には、4、5、11,13(控えに20)と、
四枚も留学生がピッチ上にいる(すべて合法的ではある)。

それでも関学はフィジカルではそんなに負けていなかった。
前半を見ていないのが、申し訳ない内容。

しかし関西王者天理がこれでは、どんないいラグビーをしても、
たとえ日本一になっても、ファンは付いてこない。

失礼ながらそう思った我輩〔中尾亘孝〕は、差別主義者だろう。
でも、トランプ主義者、陰謀論者、ネトウヨ系とは一緒にしないで頂きたい。

とりあえず、今日(月曜日)の天気と同様、
心の広いリベラルな差別主義ですから。

中尾亘孝「罰当たり~楕円系萬週報」2020年11月24日(http://blog.livedoor.jp/nob_nakao/archives/52309560.html)
 相変わらずのゲス野郎ぶりである。「リベラル」を自称しようが何だろうが、中尾亘孝は絶対値が「トランプ主義者,陰謀論者,ネトウヨ系」と同じ醜悪な差別主義者である。

 中尾亘孝は、外国人留学生ラグビー選手を積極的に起用し、全国大学ラグビー選手権を9連覇した帝京大学にも同様な悪口雑言罵詈讒謗を放言していた。

「多様性」と「閉鎖性かつ排他性」が絡み合うラグビーの世界
 ラグビーフットボールには、各国代表チーム=ナショナルチーム、例えばジャパン(ラグビー日本代表)に参加する選手たちの出自の「多様性」を謳(うた)う一方で、ラグビー独特のいわゆる「対抗戦思想」による紐帯のもとで、いくつか特定のチームが閉鎖的で排他的な「ギルド」を組んで、その外にある存在を区別、ハッキリ言えば「差別」するという実に好ましからざる文化があった(あるいは今でもある)。

 例えば、世界的には国際統括団体である旧「国際ラグビーフットボール評議会=IRFB」(現・ワールドラグビー)の正式加盟国が以前はわずか8か国だけだったという話。

 当然、日本はそのメンバーシップに加われなかった。これがために歴史的な名勝負と言われる「1971年の日本vsイングランド戦」は正式な国際試合としては認定されていない……などということになる。<1>

 日本の大学ラグビーで言えば、関東大学ラグビー対抗戦グループの古豪にして強豪、いわゆる「早慶明」の「伝統校」3大学(早稲田大学,慶應義塾大学,明治大学)が「対抗戦思想」のもとにあって特権的な地位にあるという話(これに関西の古豪・同志社大学を加えて「早慶明同」の「伝統校」と呼ぶこともある)。

 2020年度、おりからのコロナ禍(COVID-19のパンデミック)で関西大学リーグ2位の同志社大学にウィルス感染者が出て、出場を辞退した。日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が作成した大会規則では、同じリーグの下位チームを繰り上げて出場させることを検討することになっていたが、「十分な準備期間が確保できない」として対象となるリーグ4位の関西学院大学の出場は認めず、同志社大が対戦する予定だった帝京大学の不戦勝を一方的に決めた……という「事件」があった。

 万が一の繰り上げ出場に備えて練習を続けていた関西学院大学ラグビー部は梯子を外された形となり、当然、立腹してJRFUに抗議した。だがJRFUは形式的な謝罪で事を収めてしまった。後味が悪い結末だった。

 これに関しては、SNSには「繰り上げ対象が〈早慶明〉または〈早慶明同〉だったら,このようなことは起きなかったはずであり,何らかの救済措置が取られたはずである」という批判的な意見、JRFUあるいは日本ラグビー界主流に対して辛辣な見方が目立った。

 こういった傾向は、他の競技、サッカーなどから見たらかなり特異なものとして映る。

ラグビー「伝統校」ファンの本音と快感
 さて、中尾亘孝は早稲田大学の出身(中退らしいから卒業生ではない)であり、だから早稲田大学ラグビー部の偏執的なファンである。さらに「対抗戦思想」の信奉者でもある中尾亘孝は、一種の同志愛として、慶應義塾大学ラグビー部と明治大学ラグビー部に対してもとても好意的だ。

中尾亘孝2
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)

 一方、中尾亘孝は贔屓の引き倒しが酷すぎる。同グループ内の帝京大学や関東大学ラグビーリーグ戦グループのいわゆる「新興校」、関西大学リーグのチームといった他の大学ラグビー部を蔑視し、悪口雑言罵詈讒謗が酷すぎる。だから、真面目な早慶明のラグビー関係者やラグビーファンの多くからも中尾亘孝は嫌われている。

 しかし、この辺は想像・憶測になるが、中尾亘孝の「差別発言」に密かに共感する「伝統校」ラグビーファンは結構な数でいるのかもしれない。

 差別主義者である中尾亘孝は、自分を差別主義者のドナルド・トランプ米国大統領と一緒にするななどとフザケタことを宣(のたま)っている(前掲の引用文参照)。

 だが、理想論や建前論を否定し、乱暴に「本音」をブチマケルことで、ある種の……かつては斯界の支配的な層にあったが、その地位から転落してしまった支持層(米国国民であれば貧困白人層,ラグビーであれば一部の「伝統校」ファン)の人々が快感を得るという意味で、中尾亘孝とドナルド・トランプはよく似ている。

 はじめは成功が危ぶまれた2019年ラグビーW杯日本大会は大成功だった。人気や観客動員のみならず、ジャパン(日本代表)も4勝1敗で1次リーグ突破=ベスト8という大成果。そのジャパンも東海大学、帝京大学、京都産業大学、関東学院大学といった「新興校」出身者が多く、早稲田大学と明治大学からがわずかに1名ずつ、慶應義塾大学と同志社大学からはゼロ、であった。

 早慶明同「伝統校」グループによる日本ラグビーの主導と、ジャパンの国際舞台への活躍という夢想は粉砕されてしまった。日本のラグビーにとって、中尾亘孝が信奉する「伝統校」による「対抗戦思想」など、何の意味もないことが分かってしまった。一部の「伝統校」ラグビーファンにとって、痛し痒しの事実であり、それは感情的に受け入れがたい。

 そうした「本音」を、中尾亘孝は代弁してくれるのである。<2>

藤島大と中尾亘孝の違い
 何よりも、中尾亘孝の放言はいくつかの点で間違っている。「しかし関西王者天理がこれでは,どんないいラグビーをしても,たとえ日本一になっても,ファンは付いてこない」と中尾亘孝は言う。しかし、天理大学(や帝京大学)は今さら早慶上智ICUやGMARCH、関関同立クラスの格付けの大学になれるともなろうとも思っていない。

 はっきり言えば大学・学校法人としてのなりふり構わぬ生き残りである。ここより知名度がない大学は、今後、経営が行き詰まるかもしれない。全国大学ラグビー選手権は、NHKが後援なのでNHKの7時のニュースなどで必ず露出がある。この大会を9連覇した帝京大学にとって、ここは付け目だった(しかもBS-1で特集ドキュメンタリー番組まで作ってもらった)。
 新聞社の宣伝、学校経営の道具、高校野球の実相だろう。もとより、支持したくはない。それでも、甲子園に語られるべき一投一打は存在する。

藤島大『知と熱~日本ラグビーの変革者・大西鐵之祐』あとがき より


 大学ラグビーでも、特に「新興校」にとっては情況は同じだろう。似たような早稲田大学ラグビー部に関係の深い人物でも、中尾亘孝と違って藤島大氏はこう書いている。藤島大氏は、単なる建前論・理想論に終わらないだけの筆力を持ち、しかるべき説得力がある。そして、中尾亘孝は大学ラグビーの語るべき1プレー1プレーに目を向けない。

日本ラグビー界のもうひとつの「本音」
 もうひとつは、もはや日本のラグビーにとって、大学ラグビーの外国人留学生選手は欠くべからざる要素になっているからだ。

 日本にあるような「大学ラグビー」は海外の主要ラグビー国には存在しない。そうした海外のラグビー強豪国で才能ある選手は「大人」の選手に混じって二十歳そこそこで代表と国際試合にデビューし、中には二十歳そこそこでキャプテンすら任される選手がいる。

 だから、日本の「大学ラグビー」は、例えば、ジョン・カーワン(ニュージーランド)やエディー・ジョーンズ(オーストラリア)といった外国出身の歴代のラグビー日本代表ヘッドコーチなどから、厳しい批判にさらされてきた。

 そもそも大学ラグビーいらない論。または関東大学ラグビーの対抗戦グループとリーグ戦グループを一本化しろという意見。毎年11月23日(祝日)に行われる早慶戦(早稲田大学vs慶應義塾大学)、毎年12月第1日曜日に行われる早明戦(早稲田大学vs明治大学)の日程を前倒し、11月中にレギュラーシーズンを終わらせれば、日本ラグビーの強化にもっと時間を割けるのに……といった意見などなど。

 しかし、日本のラグビー環境は海外のラグビー国と違った固有の事情がある。多くの選手は高校に入ってからラグビーを始める。小学生のラグビースクールで多少の経験があっても、中学校にラグビー部がない学校がほとんどだから、選手の経験値に断絶ができる。

 したがって、日本の場合、少年少女のラグビーと大人のラグビーと間の中間的なカテゴリー、すなわち「大学ラグビー」には存在意義があるのだという意見が一方である。これは、中尾亘孝とは日本の大学ラグビーの在り方をめぐって意見が対立しているラグビージャーナリスト・大友信彦氏の見解である(だから,それなりに説得力がある)。

 また、ラグビーをめぐる環境がサッカーや野球と比べても脆弱な日本。そんな日本のラグビー選手にとって、セカンドキャリアを考えた上でも「大学ラグビー」による学歴は必要なのだという意見もまた理解できる。

 2019年ラグビーW杯日本大会でジャパンが素晴らしい成果を収めたために、以前ほど「大学ラグビー批判」の類は目立たなくなっている。

 それならば、なおさら「大学ラグビー」の段階で、体格や膂力(りょりょく)に優れた外国人選手(ポリネシア系アイランダー<3>や,いわゆる白人)と一緒にプレーする、または対戦しておくという経験は、将来ジャパン(日本代表)が「世界」と戦う上では必要になってくる。

 昔のジャパンは、国際試合の本番でいきなり外国人選手の体格の大きさや膂力(りょりょく)の強さに驚き、戸惑うということがよくあった(……ってな話をあるトークイベントで藤島大氏が話していた)。

 その意味で、関西学院大学が天理大学にある時間帯まで拮抗した試合ができたことは、単純に「よいこと」であろう。

 日本の大学ラグビーに外国人留学生選手は不要だ不快だ……という、中尾亘孝のような下品で下劣な「本音」がある。その一方で……。

 ……ホームグロウン(homegrown)の日本人選手だけで、日本のラグビーは「世界」とは戦えない。これまた、日本ラグビー界の偽らざる「本音」なのである。

(了)




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今年の今月今日、来年の今月今日……
 「来年の今月今夜……再来年の今月今夜……」といえば尾崎紅葉の明治近代文学『金色夜叉』の主人公・間貫一の有名な台詞だが、日本のフットボール界には、去年の今月今日、今年の今月今日、来年の今月今日、再来年の今月今日……と、毎年決まった日に行われる恒例の試合が3つある。

 11月23日(祝日)に行われる大学ラグビー・早慶戦(早稲田大学vs慶應義塾大学)、12月第1日曜日に行われる大学ラグビー・早明戦(早稲田大学vs明治大学)、そして1月1日(元日,祝日)に行われる天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会決勝、いわゆる「元日決勝」である。

 先んじて書くと、本稿の目的は、このうち特にラグビー早明戦とサッカー天皇杯元日決勝の両者を比較しつつ、天皇杯サッカー「伝統の〈元日決勝〉神話」の虚構性を炙(あぶ)り出すこと、そして天皇杯サッカーがすべからく「元日決勝」から卒業するべき理由を明らかにすることにある。

ラグビー早明戦とは何か
 日本の大学ラグビー界の中でも随一の実力と権威と格式と伝統を誇る「関東大学ラグビー対抗戦グループ」、そのレギュラーシーズンの掉尾を飾る試合が「早明戦」だ。

早稲田大学ラグビー部(左)と明治大学ラグビー部
【早稲田大学ラグビー部(左)と明治大学ラグビー部】

 その始まりは1923年(大正12年)。早明戦は、いわゆるラグビーフットボール独特の「対抗戦思想」に基づき、英国ラグビー伝統の「オックスフォード大学vsケンブリッジ大学」の定期戦(毎年12月の第1火曜日開催)に倣って、毎年12月の第1日曜日に開催される。

 早明両校は対抗戦グループの中でも長らく実力筆頭であり、したがって「優勝」をかけた天王山の一戦となることが多く、数々の名勝負の物語を日本のラグビー史に刻んできた(2020年度も「優勝」がかかった大一番となる)。そして早明両校は日本ラグビー界に多数の有為な人材を輩出してきた。

 対照的な早明両校のチームカラーとキャラクターとプレースタイル。大学野球リーグと違いレギュラーシーズン公式戦の対戦は1回のみ、試合そのものの希少性。選手たちの母校へのロイヤリティと精神の高揚(試合前から感極まって試合前から泣いている選手も多い)、対戦相手へライバル意識とリスペクト。

 こうした数々の要素がラグビー早明戦を特別な試合にしている。

 Jリーグ以前、1970年代から1980年代、1990年代初めにかけて、日本でラグビーは野球のオフシーズンを穴埋めする人気を集めていた。また日本ラグビーは国内人気(や日本代表の活躍度)で日本サッカーに優越していた。当時は「ラグビーブーム」の時代だった。

 ラグビー人気→早明両校が強い→マスコミやスポーツファンの注目を喚起→マスコミ露出量が多い→さらなるラグビー人気を呼ぶ……という好循環。早明戦の入場券は、プレイガイドに1週間徹夜で並ばないと入手できない(!?)プラチナチケットとまで言われた。

 日本の「ラグビーブーム」を象徴するイベントが「早明戦」だった。

 ラグビー早慶戦の方は、早慶両校の関係者以外の人間が入り難い雰囲気があるのに対し(個人の感想です)、早明戦の方は早明両校の関係者の枠を超えてより多くの人々にラグビーを訴求するだけの力を今でも保っている。<1>

歴史的正当性を欠くサッカー天皇杯元日決勝の「伝統」
 ラグビー早明戦の伝統が本物あることに比べて、サッカー天皇杯元日決勝の「伝統」の方は歴史的正当性が甚(はなは)だ怪しい。日本サッカー協会(JFA)の公式サイト内「天皇杯の歴史」などの情報を参照しつつ、その概略を振り返ってみる。
  •  1921年11月 大正10年「ア式蹴球全国優勝競技会」として第1回が開催。
  •  1947年4月 ナイル・キニックスタジアム(明治神宮外苑競技場/旧・国立競技場)で行われた東西対抗に昭和天皇、皇太子が臨席。天皇杯下賜のきっかけに。
  •  1948年7月 宮内庁よりJFAに天皇杯が下賜される。戦後、各競技団体に下賜された中で最初の天皇杯(1949,1950年は東西対抗の優勝チームに授与)。
  •  1951年5月 この年から全日本選手権(カップ戦)に天皇杯が授与されることになり、天皇杯全日本選手権に改称。同大会優勝チーム(慶応BRB)が初の天皇杯を獲得。
  •  1969年1月 この年(年度としては1968年)から天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝が元日に行われる。
  •  1992年1月 元日の決勝戦:日産自動車(現・横浜F.マリノス)vs読売クラブ(現・東京ヴェルディ1969)の試合で初めて国立競技場が満員になる。

天皇杯カップ
【サッカー天皇杯の優勝カップ】
 すなわち、今の天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会は、最初から「天皇杯」ではなかったし「元日決勝」でもなかった。2020年時点で、日本サッカーはハッキリ分かっているだけで120年有余の歴史がある。JFAは2021年には創立100周年を迎える。その歴史の中で「元日決勝」など、たかだか50年程度にすぎない。満員のスタジアムでの「元日決勝」に至っては、たかだか30年にも満たない。これは偽りの「伝統」なのである。

 ラグビー早明戦が本物の伝統であることに比べると、サッカー天皇杯元日決勝はとても「伝統」とは呼べない。そもそもサッカーにおける「対抗戦思想」など、英国においてもとっくの昔に消滅している。繰り返すが、これは偽りの「伝統」なのである。

 天皇杯「元日決勝」は、特に21世紀以降、サッカー日本代表の活動やAFCチャンピオンズリーグの開催による日程の過密化から、天皇杯の日程見直しを求める声が上がっている。JFAも2011年頃から天皇杯決勝を元日から11月~12月に前倒しする方針を示していたという。ところが、それから10年近く経つというのに状況は未だに改善されない。

 その理由のひとつに、サッカー天皇杯元日決勝は「伝統」だから、日程を変えない、変えられない、変えてはいけない……という、サッカー界やサッカーファンの間違った思い込みがある。

 明治時代(1868-1912)に欧米から舶来した近代スポーツは、大正時代(1912-1926)に本格的な興隆期を迎え、主要な競技団体が設立されたり、主要な競技イベントが始まったりした。大正時代から、せいぜい昭和戦前(1926-1945)に始まったスポーツイベントこそ本物の「伝統」のイベントである。

 例えば、戦前は旧制中学による中等野球と呼ばれた「高校野球」、もともと五輪マラソンに勝てるランナーを発掘・育成する競技会だった「箱根駅伝」、大学ラグビーの「早慶戦」や「早明戦」。これらは大正時代に始まり、21世紀の今日まで連綿と続く日本スポーツ伝統のイベントである。一方、これらのイベントは、それぞれのスポーツ本来の在り方を歪めている……という根強い批判が頻出している。

 それでもその抜本的改革に着手できないのは、高校野球も、箱根駅伝も、ラグビー早慶戦・早明戦ともに本当に「伝統」のイベントであり、変えない、変えられない、変えてはいけない……という無形の力が働くからだ。

 ところが、サッカー天皇杯元日決勝など、たかだか昭和戦後から20年以上たって始まった「偽りの伝統」でしかない。サッカー「元日決勝」は弊害だらけである。硬直化した恒例の日程を変更するのに何の躊躇(ちゅうちょ)もいらない。

 具体的には、サッカー天皇杯元日決勝の日程を、通常は12月第1週にJリーグ公式戦最終節ならば、その翌週12月第2週の土曜日か日曜日に移行する。このスケジュールは、かつて日本で行われ、日本のサッカー文化にも多大な影響を与えた旧「トヨタカップ」(ヨーロッパ/サウスアメリカカップ)の開催週でもあり、サッカーに縁のある日取りでもある。

 それによって新しい日本のサッカー文化を創造するのである。

語り草にならないサッカー天皇杯「元日決勝」の試合
 サッカー天皇杯「元日決勝」の日程を12月の前半に繰り上げるべき理由は、他にもある。

 ラグビー早明戦には語り草になる名勝負がいくつもある。例えば「大西魔術」(大西マジック)とか、「雪の早明戦」とか、「堀越正己(早大主将)vs吉田義人(明大主将)のライバル対決」とか……。ラグビーファンなら誰でも知ってる、ラグビーファンの枠を超えた訴求力がある名勝負がいくつもある。最後の「堀越vs吉田」の早明戦は、NHKが「伝説の名勝負 明治vs.早稲田」というテレビ番組まで作っている。

トライを決める明大・吉田(撮影日1991年01月06日)
【トライを決める明治大学・吉田義人:1991年1月6日】

 プロ野球(NPB)日本シリーズも、例えば「神様,仏様,稲尾様」とか、「江夏の21球」とか……。野球ファン、スポーツファンの語り草になる名勝負が多い(事例が古くて申し訳ない)。特に「江夏の21球」は、故山際淳司のスポーツノンフィクションや、テレビのドキュメンタリー番組「NHK特集」でも有名になった。

NHK特集 江夏の21球 [DVD]
NHKエンタープライズ
2010-10-22


江夏の21球 (角川新書)
山際 淳司
KADOKAWA
2017-07-10


 さらに甲子園の高校野球となれば、例えば「箕島vs星稜の延長18回戦」とか、「斎藤佑樹の早稲田実業vs田中将大の駒大苫小牧の延長・再試合」とか……。これまた野球ファンなら誰でも知ってる、野球ファンの枠を超えた訴求力を持った名勝負に枚挙いとまがない。

神様が創った試合―山下・星稜VS尾藤・箕島延長18回の真実
松下 茂典
ベースボール・マガジン社
2006-01-01


 翻って、天皇杯やJリーグなど、日本の国内サッカー(日本代表の国際試合,世界大会ではない)には、こうしたサッカーファンの枠を超えた訴求力がある名勝負の印象に乏しい。特に「元日決勝」にこうした名勝負物語のイメージが希薄なのはなぜだろう?

 後代の語り草になれそうな「元日決勝」がなかったわけではない。思い返すに、1992年元日(1991年度)の天皇杯決勝「日産自動車(現・横浜F.マリノス)vs読売クラブ(現・東京ヴェルディ1969)」は非常に興味深い試合であった。

 まず、前年まで空席が目立った国立競技場の元日決勝だったが、この試合は、いきなり約6万人の大観衆=満員になってサッカー関係者を驚かせた。選手も、三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、木村和司、井原正巳、柱谷哲二……と役者が揃っていた。試合内容も、サッカーを知らない人にも「サッカーって面白いかも」と思わせるだけの訴求力があった。総じて面白い試合であった。

 何より、それまで約20年低迷し「冬の時代」と呼ばれた日本サッカーは、ここでいきなり潮目が変わって人気スポーツとなっていく。その画期となった試合であった。同年に行われたJリーグ公式戦の前哨戦「Jリーグ・ヤマザキナビスコカップ」は盛況。同じく日本の広島で行われたAFCアジアカップ1992でサッカー日本代表(オフト・ジャパン)が優勝。いちやく日本代表は、翌年のW杯アジア予選の有力候補として躍り出る。

 そして、1993年のJリーグカップのスタートへと続いていく。

 ところが、この試合はスポーツファンの思い出話に上がることは少ない。マスコミなどで取り上げられるのは、20年余に及ぶ「日本サッカー冬の時代」から、いきなり「Jリーグの開幕戦」のシーンが持ち出され(しかし,肝心のマリノスvsヴェルディの試合内容そのものはあまり顧みられない)、そしていきなり「ドーハの悲劇」が持ち出される。

 ラグビーや野球と比べて、サッカー国内シーンの試合は、例えば1991年度の天皇杯決勝「日産vs読売」のような歴史的かつ面白い試合であっても、その物語を世間一般に、後代の人々にアピールする力が弱いのである。

 それもこれも、日本サッカー界が「元日決勝」に拘泥しているからである。元日では、マスコミがその試合を増進増幅して伝えてくれない。サッカー天皇杯には、NHKや共同通信といった大手マスコミが後援しているのに、そのメリットが充分に活かせていないのである。

早明戦と元日決勝のマスコミの扱いの違い
 例えば、ラグビー早明戦ならば、昔はスポーツ新聞が(特にラグビーを好意的に取り上げていた『サンケイスポーツ』紙なんかが)、1週間くらい前から「早明全勝対決へ向けて!」みたいなノリでその期待を煽り倒していた。

 試合はNHKが全国中継する。当日の夜はスポーツニュースでその試合を繰り返し伝える。翌朝はスポーツ新聞が、さらにその後、文春「ナンバー」のようなスポーツ雑誌がさらに余韻に浸らせる。
  • 参照:Sports Graphic Number 138号「冬の勇者たち」1985年12月20日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/118)
  • 参照:Sports Graphic Number 162号「選ばれしものたちの栄光」1986年12月20日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/164)
  • 参照:Sports Graphic Number 186号「早稲田,再びの栄光へ」1987年12月19日発売(https://number.bunshun.jp/articles/-/151)
 かくして、ラグビー早明戦の名勝負物語は後々まで人々の心に残り、伝えられていく。

 一方、サッカー天皇杯元日決勝はこのようなことはない。準決勝2試合は年末のあわただしい中で行われて、マスコミで大して宣伝されることがない。そして決勝に向けて期待を煽る報道がラグビー早明戦のようになされることもない。

 そして「元日決勝」そのものも、どんなに劇的で面白い試合をしても、大きく喧伝されることもない

 なぜなら、日本では、大晦日(12月31日)や元日ふくめ正月3が日は全てのテレビ局が特別編成に入っていて、スポーツ関連ニュースはごく短い時間でしか放送されないからである。加えて、翌日1月2日は新聞休刊日であり、元日に行われた天皇杯サッカーの報道は、新聞では1日遅れの報道となってしまうからである。

 どうしたって、年末年始のスポーツイベントの主役は、これも恒例1月2日~3日に行われる「箱根駅伝」になる。このイベントが報道される1月3日にはマスコミのスポーツ報道は、ほぼ通常に回復する。「元日決勝」である以上、サッカー天皇杯は箱根駅伝の風下に置かれ続ける。

 これでは、どんなに素晴らしい試合を展開しても、マスコミによって増進増幅されて人々に伝えられ、記憶され、繰り返し語られることはない。これでは何のためにNHKや共同通信が後援についているのか分からない。

 すなわち「元日決勝」は、日本サッカー界の過密日程、そこに由来する選手のコンディションの調整の難しさだけではない、他にも致命的に大きな欠陥を抱えている。

アマゾン検索で比較してもラグビー早明戦>サッカー元日決勝
 スポーツイベントとしてサッカー天皇杯元日決勝は、日本人一般に対するアピール度でラグビー早明戦に大きく負けている。そのことを確認することは難しくない。

 アマゾンで「早明戦,ラグビー」または「早明,ラグビー」と入力・検索をかけると沢山の本や雑誌などにヒットする。







日本ラグビー激闘史 第2号
ベースボール・マガジン社
2010-09-22


早稲田ラグビー 最強のプロセス
相良 南海夫
講談社
2020-08-28




 しかし、同じく「天皇杯,サッカー」と入力・検索しても大したコンテンツは出てこない。すなわち、JFAは、日本サッカー界は、天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会、なかんずくその決勝戦のブランディングに失敗している。

 やはり日本スポーツ界における天皇杯サッカー「伝統の〈元日決勝〉神話」など、文字通り神話であり、虚構でしかない。

 すべからくサッカー天皇杯は堂々と「元日決勝」から卒業するべきなのである。

(了)




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