スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:中尾亘孝

中田英寿にまつわる仰天エピソード
 2020年2月3日、ヤフー!ジャパンが、Goal.comからの配信として「トッティ氏,仰天エピソードに中田英寿氏を選出〈なぜそんなことを.彼は本当に特別な人〉」なる、サッカー元イタリア代表フランチェスコ・トッティのインタビュー記事を公開した。
  •  トッティ氏、仰天エピソードに中田英寿氏を選出「なぜそんなことを.彼は本当に特別な人」
 彼とサッカー元日本代表・中田英寿は、かつてイタリア・セリエAの名門ASローマでチームメイトであった。ASローマは、2000-2001シーズンにセリエAで18シーズンぶりに優勝した。

 その快挙、ASローマの選手やスタッフたちによる歓喜の輪の中にあって、中田英寿だけは「優勝が決まった直後,ロッカールームの隅で読書をしていた」という逸話を、トッティは「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」として紹介している。
 「私〔トッティ〕は〔現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソードとして〕ナカタ〔中田英寿〕を選ぶ。なぜならナカタは、スクデットのお祭り騒ぎの中、本当に読書していたんだよ。なぜそんなことをしていたのかは分からない。彼〔中田英寿〕は本当に特別な人だよ」

Goal.comより
 この珍記事を受けて、中田英寿を素朴に信奉する、いたいけな人たちの反応がSNSやヤフー!ジャパンのコメント欄に現れている。以下は、そのマンセ~、ハラショ~のほんの一例であるが……。




 ……なるほど。「中田英寿神話」はこうやってメンテナンスされていくのだ。

英国における「大卒」サッカー選手の苦悩
 読めば分かるのだが、トッティは、あくまで「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」を語ったのであって、「現役時代を通じ,最も驚いたサッカー選手やそのプレー」を語ったわけではない。

 該当記事を読む限り、トッティは中田英寿をそのように評価したわけではない。

 この「仰天エピソード」を読んで、むしろ、思い出したことがある。サッカーとサッカーカルチャーのことならおおよその事柄が書いてある、デズモンド・モリス博士の『サッカー人間学』(1983年,原題:The Soccer Tribe)に登場する話だ。

 英国イングランドのプロサッカー選手で、数少ない「大学卒」のインテリだったリバプールFCのスティーブ・ハイウェイ(Steve Heighway,1947年生まれ,ウォーリック大学卒)の「苦悩」である。
 大学教育まで受けた数少ない一流選手の一人で、リバプールで活躍するスティーブ・ハイウェイには,このような〔低学歴のプロサッカー〕選手〔たち〕の態度は大変な驚きであった。

スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁
【スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁】

 リバプール・チームに入った当初,彼〔ハイウェイ〕は相手チームと対戦する時と同じように,自チームの仲間との交際が怖かったという。あるスポーツ解説者は「彼はこの社会〔プロサッカー選手たちの世界〕の不適応者だった」といい,「遠征先でトランプ〔≒少額の賭け事〕が始まると,ハイウェイは抜け出して観光団に加わった。

 仲間には,明らかにインテリを鼻にかけた生意気な態度と映った。彼が戻ると,みんなは威嚇〔いかく〕的な視線を送って,トランプに仲間入りする気があるかどうか尋ねた」と伝えている。

 ハイウェイは変人扱いを受けるのがたまらず,何とか順応しようとした。

デズモンド・モリス『サッカー人間学』183頁


サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 チームの雰囲気に馴染めなかったという意味では、スティーブ・ハイウェイと中田英寿は、ある意味で似ている(まだハイウェイはチームに馴染もうとしていたのだが)。

サッカー選手は「ハマータウンの野郎ども」である!?
 デズモンド・モリスが『サッカー人間学』で描き出した、プロサッカー選手のイメージ(ステレオタイプ)を抄出してみると……。
  •  芸術や科学や政治に関心がなく、サッカーにしか興味がない。
  •  暇な時、特に遠征時の移動中は、トランプのゲーム≒少額の賭け事を楽しんでいる。
  •  映画やテレビをよく見るが、(高尚な作品ではなく)スリラーやアクションが多い。
  •  読書も、サッカー関係の雑誌か、タブロイド紙の推理小説やスリラーの域を出ない。
  •  挑発的で威圧的なキャラクターの女性は好まれない。
  •  好きな音楽はロックやポップに限られている(クラシックではない)。
  •  遠征先の有名な観光地の見学には興味が薄く、つまりは知的好奇心に乏しい。
 ……等々。ものの見事にサッカー馬鹿であり、粗にして野であり、けして「知的」とはいえない。これでは、スティーブ・ハイウェイが馴染めないのは当然だ。

 これには、英国という社会のしくみが絡んでいる。いわゆる「階級社会」である。例えば、単純な計算で、英国の大学の数は日本の4割程度しかない。しかも進学率が低い。

 英国の子供は11歳(!)で学力試験を受けて、そのうち所定の成績を上げた3割程度しか高等教育の学校(大学など)に進学できない。残り7割のほとんどはステートスクール(公立中学)を卒業したら、そのまま労働者として社会に出る(この段落の知識は,林信吾『これが英国労働党だ』によるもの)。

 現在の英国でも、欧州の他の国も、おおむね事情は似たようなものである。

 サッカー選手は、労働者階級のスポーツである。選手の出身も労働者階級が多い。

 すなわち、サッカー選手は、なかんずくプロサッカー選手は。大学に進学するような知的エリート≒上流階級(的な)がやるスポーツだとは思われていない。そして、選手の言動や立ち振る舞いも労働者階級的であることを求められる。
 世の中には知的ならざる、しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層があるのだという単純な事実……。

 知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。

 〔英国の〕社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らかにしている〔ポール・ウィリスの著作『ハマータウンの野郎ども』のこと〕。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
1996-09-01






 世の中は……知的エリートによってだけ動いているのではない。……知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。

 人間はプライドなしには生きられないという観点からすれば、どちらも等価である。

三浦淳「捕鯨の病理学(第4回)」
 すなわち、プロサッカーとは「知的ならざる,しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層」あるいは「反知性によりプライドを充足する人々の」ための、基本的に「そういう人によってしか担われない領域の仕事」なのである。

 サッカー選手たちとは、とどのつまり「ハマータウンの野郎ども」なのだ。

 スティーブ・ハイウェイの「苦悩」の背景がここにある。「大学卒業」の学歴を持つハイウェイが馴染めないのは、プロサッカーが「労働者階級」の社会だからである。

「体育会系」という反知性的なコミュニティ
 その昔、1960年代、サッカー日本代表がヨーロッパに遠征した。そのスコッドの選手たちは、大学生や大学卒業の選手がほとんどだった。例えば、杉山隆一は明治大学卒業、釜本邦茂は早稲田大学卒業である。

 そのため、学歴のないサッカー選手が多いヨーロッパの現地では、珍しく受け取られたという。

 だからと言って、日本のサッカー選手やアスリートが、真に「知的」かどうかは微妙である。

 日本の大学スポーツの体育会・運動部には「体育会系」という言葉(概念)があり、それは「体育会の運動部などで重視される,目上の者への服従根性論などを尊ぶ気質.また,そのような気質が濃厚な人や組織」(デジタル大辞泉)と解釈される。

 すなわち、あまり「知的」とは見なされない。日本においてもサッカーを含むスポーツ選手は、あまり賢くないというイメージ(ステレオタイプ)があり、当事者もそこに充足しきっているというところがある。

 洋の東西を問わず、サッカー選手は敢えて「知的」でないことを誇っている節がある。

 そういえば、フランチェスコ・トッティは「知的」ではなく「間の抜けた男の愛嬌」を感じさせる逸話が多い。日本で言えば、プロ野球の長嶋茂雄のそれに通じるものがある。

 対して、中田英寿の逸話は対照的である。世界最高峰のサッカーリーグであるセリエAで優勝したにもかかわらず、ひとり「ロッカールームの隅で読書をしていた」というのは、そうしたサッカー界の風潮には順応できなかった……ということである。

中田英寿は「真に知的なアスリート」なのか?
 所詮、スポーツなど馬鹿がやる仕事なのか? 否。スポーツライターの藤島大は、スポーツこそ「知的」な営為であると説き、中田英寿のような安易なアンチテーゼ的振る舞いの方を批判している(下記リンク先参照)。曰く……。
 スポーツとは、そもそも高等な営みである。一流選手が経験する真剣勝負の場では、緊急事態における感情や知性のコントロールを要求される。

 へばって疲れてなお人間らしく振る舞う。最良の選択を試みる。この訓練は、きっと戦争とスポーツでしかできない。

 だからアスリートは、机上では得られぬ知性をピッチやフィールドの内外に表現しなければならない。

 常識あるスポーツ人が、非日常の修羅場でつかんだ実感を、経営コンサルタントや自己啓発セミナーもどきの紙切れの能弁ではなく、本物の「詩」で表現する。そんな時代の到来を待ちたい。

 「片田舎の青年が、おのれを知り、世界を知り、やがて、おのれに帰る。だからラグビーは素敵なのだ」

 かつてのフランス代表のプロップ、ピエール・ドスピタルの名言である。バスク民謡の歌手でもある臼のごとき大男は、愛する競技の魅力を断言してみせたのだ。

 ……たしかにドスピタルの言葉に比べると、中田英寿の『中田語録』などは「机上の知性」あるいは「紙切れの能弁」でしかない。

中田語録
文藝春秋
1998-05


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 知的とは思われていないフットボーラーだが、フットボールを極めると、むしろ、だからこそ真に知的な言葉が出てくる。一見すると、矛盾している。矛盾しているが、真理である。

 その真理を、ついに理解できなかったのが中田英寿である。

中田英寿から透けて見える日本サッカー界の「知性」
 藤島大が「真に知的なアスリートの到来」を期待したのは、2001年1月のことである。

 あれから、20年近くたった2020年2月。しかし、未だに「中田英寿の仰天エピソード」が出てくる。未だに「中田英寿神話」のメンテナンスが行われる……。

 ……ということは、日本サッカー界の知的レベルが更新されていないということでなる。

 中田英寿は「サッカー馬鹿」になるべき時になれない体質だった。そこにサッカー選手として才能の限界があった。中田英寿は、だから、ワールドクラスのサッカー選手としてのキャリアを形成できたわけではない。

 代わりに、中田英寿は、日本のサッカー界の知性の低劣さを巧妙に刺激する才能には長(た)けている。2000年のアウェー国際試合「フランスvs日本」戦のパフォーマンスなどは、そうである。

 そこで錯覚してしまう、いたいけな日本人が多い。残念でならない。

中田英寿は「特別な人」ではなく「特殊な人」である
 ところで、くだんのトッティのインタビュー記事。イタリア語原文がどうなっていたのかは分からないが、日本語の翻訳をちょっとだけ改変してみると、がぜん面白くなる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特別な人」
 ここから単語をひとつ置換してみる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特殊な人」
 フランチェスコ・トッティが「なぜそんなことをしていたのかは分からない」というくらいだから、後者の方がニュアンスが通じる!?

 ことほど左様、日本にとっても、国際的にも、中田英寿は「特別なサッカー人」ではない「特殊なサッカー人」なのである。

 こちらの方が、中田英寿という人間の本質を言い当てている。

(了)




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早稲田大学のカラーはエンジか? えび茶か?
 「新国立競技場」で早稲田大学が「大学ラグビー日本一」なんて、あまりにもよく出来た話である。スポーツの強豪大学ではない名門大学、なかんずく早稲田大学のスポーツにおける勝利を欲していたマスコミの皆さんは大喜びだろう。

 ところで、あの早稲田大学のスクールカラー(大学のイメージカラー)……。あの黒みを帯びた赤い色は何と言うのか? インターネットを含めたマスメディアで一番多い表記は「臙脂」(エンジ)である。
  • 臙脂色(えんじいろ)
 ラグビーブームだった1986年の文春ナンバーのラグビー早慶戦特集には「臙脂」と表記されてある。(2020年1月15日追記)
  • Sports Graphic Number 160号《「臙脂」と「黒黄」》1986年11月20日発売
 次いで多いのが、臙脂色とよく似た色である「海老茶」(えびちゃ)である。
  • 海老茶(えびちゃ)
 早稲田大学のサッカー部(ア式蹴球部)では、この色を「海老茶」と認識している。例えば、早大サッカー部の新人歓迎の「紅白戦」は、紅組ではなく「海老茶組」と「白組」に分かれて試合をするようである。
 また、早大サッカー部のOBチームは「早稲田大学WMWクラブ」(早稲田マルーン&ホワイト,Waseda Maroon & White)という。英語の「Maroon」という色は、ふつうは「海老茶」、たまに「栗色」と訳される(早大OBのスポーツライター・藤島大氏は栗色としていた)。

 さらに、ネットで「早稲田大学,スクールカラー」でGoogle検索すると「Maroon」と出てくる。……ということは、早大のカラーは「海老茶」で正しいのだろうか?

早稲田カラー=海老茶説に猛烈に反発してきた中尾亘孝
 ところが、これには異論があるらしい。早稲田大学のカラーは、臙脂でも海老茶でもなく、茜色(あかねいろ)だというのだ。
  • 茜色(あかねいろ)
 主張した人は、誰あろう……。「日本ラグビー狂会」を自称する、サッカーが嫌いで嫌いでたまらない偏執的な反サッカー主義者にして、早稲田大学出身(中退らしいが)の、あの中尾亘孝(なかお・のぶたか)である。

中尾亘孝2
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)

 彼の言い分をたどっていく。1980年代のラグビーブームの余韻がまだ残っていた1993年11月刊行の『早明ラグビー 神話の崩壊』(マガジンハウス)である。
 極東ローカルの〔ラグビー〕フットボール界には、依然として黴〔かび〕のように誤解がはびこっています。

 有名な「ラグビーはサッカーから生まれた」という語訳は、いまも幅をきかせています。北島忠治から宿沢広朗まで……〔中略〕*

 まったくもってどうでもいい誤解があります。でも、この際だから言ってしまいます。

 ワセダのジャージィ〔ユニフォーム〕を「エンジ」とか「エビ茶」と形容するのもおかしいことです。通称アカクロこと、茜〔あかね〕と黒の横縞ジャージィは早稲田茜という染料で色付けされます。茜とはもちろん紅花〔べにばな〕を原料としています。ところがエンジ色は「臙脂虫」を原料とした染料なのです。エビ茶に至っては言語道断

 現在では、染料はすべて化学的に合成されたものが使われています。したがって、茜という言おうとエンジと呼ぼうと、大した違いはありません〔←それでも海老茶と呼ぶのは言語道断かね,中尾亘孝よ:引用者註〕

 それでも、茜に拘るのがトリヴィアリスト(瑣末=さまつ=主義者)のトリヴィアリストたる所以〔ゆえん〕でしょうか。〔以下略〕

中尾亘孝『早明ラグビー 神話の崩壊』170~171頁


早明ラグビー神話の崩壊
中尾 亘孝
マガジンハウス
1993-11


 余談だが、中尾亘孝の前著『おいしいラグビーのいただきかた』や『15人のハーフ・バックス』が好評だったことを受けてか、『早明ラグビー 神話の崩壊』では少し調子づいており、中尾亘孝の異様な語彙、異様な文体、異様な思想が鼻につく、きわめて不快な読後感である。

 それはともかく、サッカー部が採用している「海老茶」については「言語道断」などと言いきってしまうところが、反サッカー主義者=中尾亘孝の反サッカー主義者たる所以だろうか。

茜色=中尾亘孝説の致命的な間違いとは?
 茜色説の詳しい出典について、中尾亘孝は明らかにしていない。だから、その正否を確かめようがない。

 一方、海老茶説については、かなりハッキリしている。早稲田大学学生部が発行する学生向け週刊広報紙『早稲田ウィークリー』のWEB版がかなり詳しく論じている。
 早稲田大学の色といえばエンジ(えび茶色)。応援部の早稲田の旗に、体育各部のユニホームや、早慶戦のメガホンに、そして早稲田ウィークリーの紙面まで…。

 でも、どうして? 大変な筆まめで知られる本学の初代図書館長・市島謙吉が残した記録・手記でその謎を探ることができた。

 遡ること95年前。1905(明治38)年に安部磯雄を団長とした早稲田大学野球部が、日本初の海外遠征(米国)を行った。その際、新調されたユニフォームは、薄い小豆色の地にえび茶色で「WASEDA」と浮き出させたものであった。

 このユニフォームの文字の色になったえび茶色は、早大チームをコーチしたといわれるメリーフィールド氏の母校、シカゴ大学の校色〔Maroon≒海老茶〕からとったものであったという。この時に、早稲田とえび茶色の結びつきが始まったと言える。〔中略〕

 そして、大隈講堂が竣工された1927(昭和2)年。講堂の舞台には、高島屋よりえび茶色の緞帳が調製された。これに関して市島は再び、手記『雅間録(がかんろく)』八(1927年11月25日の条)に、次のように記載している。

 「この色が校色である。偶然シカゴ大学の校色と同一であるのも一奇だ。此色はマルーンというのだが、早稲田の各科には、紅・白・紫・緑さまざまある。それを交ぜ合わせると、此の海老茶、即ちマルーンの色(えび茶色)になるのである」と。

 このことから、明治末にはまだえび茶と決定していなかったスクールカラーは、大隈講堂竣工の1927年には確定し、周知されていたことが知られる。

早稲田大学探検隊「スクールカラーはなぜエンジ(えび茶色)?」
(2000年頃)
 これに従う限り、早稲田大学のカラーは一義的には「海老茶」と呼ぶのが正しいようだ。「茜色」や「早稲田茜」の話は少しも出て来ない。

 想像だが「東京・早稲田近辺で早稲田茜と称する〈茜草〉が取れて染物が行われていた.そして早稲田大学のラグビー部(やサッカー部?)のジャージも,その茜色で染められていた」……という事実(史実)はあったのかもしれない。

 (仮に,こういった事柄に詳しい人がいるのだとしたら,小林深緑郎氏よりも秋山陽一氏の方になるのか?)

 しかし、ふつうの早稲田大学の関係者はこれを「茜色」ではなく、海老茶でなければ臙脂色として認識していたのではないか。海老茶も、茜色も、臙脂色も、どれも皆似た色であり、カラーコーディネーターみたいな人でもない限り、そんなに拘るものではない。

 ちなみに、中尾亘孝の言うように「茜とはもちろん紅花〔べにばな〕を原料」とするというのは、間違い。茜と紅花は全く別の植物で、紅花から採れる赤系の色は「紅色」(べにいろ)である。昔は現在の山形県で生産が盛んであった。
  • 紅色(べにいろ)
 トリヴィアリスト(瑣末主義者)と本人が言う割には、中尾亘孝はつまらない瑣末な間違いをおかしている。

三木谷浩史さんの大好きなクリムゾン≒臙脂色
 ちなみに、臙脂色(えんじいろ)はどうなったのか?

 中尾亘孝が言う「〈臙脂虫〉を原料とした染料」すなわちエンジ色は、ウィキペディアの日本語版や英語版の記述をそのまま信じればれば、クリムゾン(Crimson)と呼ばれ、日本語では臙脂色(えんじいろ)と訳される。

 クリムゾン(≒臙脂色)は、一橋大学のスクールカラーにして、同校アメリカンフットボール部のニックネームである。また、米国アイビーリーグのハーバード大学のスクールカラーにして、同校アメリカンフットボール部のニックネームである。
  • これが本当のアイビーリーグ〈大学のアメリカンフットボール〉2016年12月12日
 サッカーJリーグ・ヴィッセル神戸、プロ野球NPB・東北楽天ゴールデンイーグルスの会長・三木谷浩史さんは、一橋大学とハーバード大学の両方を卒業している。

 つまり、三木谷さんにとってクリムゾン(≒臙脂色)は大変愛着のある色である。だから、ヴィッセルやゴールデンイーグルスのチームカラーがクリムゾン(≒臙脂色)なのは当然である。

 とまれ、似た色であっても、早稲田大学は海老茶、ヴィッセル神戸や東北楽天ゴールデンイーグルスは臙脂色と呼ぶことが「より」正しい色の呼称ということになる。

以下,余談ながら…チームカラーをないがしろにする人たち
 三木谷浩史さんは、財政難に陥っていたヴィッセル神戸を買収してクラブを救済した人である。しかし、一方、ヴィッセル神戸のそれまでのチームカラー(白と黒の縦縞)を強引にクリムゾン(≒臙脂色)に変更させたという、禍根を残した人でもある。

 例えば、早稲田大学や一橋大学やハーバード大学のスクールカラーを、スポンサー企業の意向で突然「チェリーピンク」(Cherry Pink)にすると……ということは、ほぼありえない。
  • チェリーピンク/Cherry Pink
 同様、紫紺と称されている明治大学のスクールカラーを、スポンサー企業の意向で突然、淡い紫色にする……ということも、ほぼありえない。

 大学関係者やOB・OGの大反対に合うことは必至である。

 ところが、こういう悪習が平然と行われているのが日本のサッカー界であって、なかんずくサッカー日本代表は酷い。最も酷かったのは、2019年11月、藍色から空色(実は「迷彩」)に変更させたアディダスジャパンのモデルチェンジである。

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(1)

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(2)
【藍色:2019年11月までのサッカー日本代表カラーと担当の山口智久氏】

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」1

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【空色:2019年11月からのサッカー日本代表カラーと担当の西脇大樹氏】

 日本のサッカー界は「チームカラーという文化」が蔑(ないがし)ろにされているのである。酷い国である。

 ここに来て、当代サッカー日本代表「森保ジャパン」の雲行きが怪しくなったのは、ちょうど、アディダスジャパンの西脇大樹氏が担った現行の「迷彩」モデルになってからである。

 スポーツにおけるチームカラーやデザインは、そのチームの勝ち負けにも深く影響する。……今回もまた、そのような強引な結論で落ち着いてしまうのであった。

(了)




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はじめに…
 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。

 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
前回のエントリーから…
▼絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥(1)[2019年09月10日]

 【1991年】日本サッカーは絶対にW杯本大会に出場できない!→【1997年】ジョホールバルの歓喜→【1998年】俺は間違ったことは書いていない! ……と、卑劣な居直りをした反サッカー主義者&日本ラグビー狂会=中尾亘孝の醜い言動をあげつらう。
 1991年秋、サッカー日本代表(横山謙三監督)が不振にあえいでいた頃、ラグビー日本代表(宿沢ジャパン平尾組)は、アジア・オセアニア予選を突破して第2回ラグビーW杯本大会に進出。国民的な期待を集め、「世界」を相手に善戦・健闘した。

日本ラグビー激闘史 2011年 3/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-02-23


 ちょうどその頃、ラグビーW杯の話題に当て込んで刊行されたラグビー評論書が、「日本ラグビー狂会」を自称する中尾亘孝(なかお・のぶたか)による『15人のハーフ・バックス~オレたちにも言わせろ!〈ジャパンはこうすれば強くなる〉』だった。

 一方、時を同じくして、20年来の低迷を打破するべく日本サッカー協会(JFA)が国内リーグのプロ化(現在のJリーグ)を発表した。目的は、サッカー人気の再興、そしてサッカー日本代表を強化してワールドカップ本大会に出場させることである。

 中尾亘孝は、悪質な反サッカー主義者でもあり、とにかくサッカーが嫌いで嫌いでしょうがない。特に日本のサッカー(Jリーグと日本代表)には茶々を入れずにはいられない。サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は『15人のハーフ・バックス』の中で居丈高に答えた。
サッカーはW杯に出られるか
 ……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。

 それでもこうした閉塞状況は、たった一人の天才の出現によって解消してしまうものですから、簡単には見放せないものです。

 当面の大問題をさし置いて、ほとんど無謀ともいえるプロ化に取り組むサッカー協会〔JFA〕は、意外な決断力と実行力を見せてくれました。これほどのリーダー・シップがどうして代表チーム強化の際に発揮できないのか、傍目からはさっぱりわからないのですが、それでも現状改革に心掛けているだけマシです。

 プロ化構想発表から実行までの移行期間が短すぎる点に、ナニやら公表されていない背景がありそうです。とまれここは、大いに手心を加えて前向きに考えてみましょう。サッカー界がこれほどまでに劇的な改革を必要とする理由は「もっと強くなりたい」という願望からなのはだれの目にも明らかなのですから。

 でも、「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーをプロ化すればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。こうすれば、あれよあれよという間に、規格外れの天才がどんどん生まれてくるというわけでしょう。〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~239頁


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】(正しい学歴は早大中退らしい)
 サッカーへの敵意丸出しの上から目線にはウンザリさせられるが、さらにこの後、中尾亘孝は「Jリーグは絶対に失敗する」という話を延々続ける(下記リンク先を参照)。

▼サッカー「Jリーグ」は絶対に失敗すると1991年に放言していたラグビー狂会=中尾亘孝(2019年09月14日)

 時勢に乗じた、反サッカー主義者による、まことに傲岸不遜な「ご託宣」であった。

20世紀末,中尾亘孝はすでに「謝ったら死ぬ病」だった
 ところが、周知にとおり、この「ご託宣」は「未来永劫」どころか、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で、たった6年で覆(くつがえ)されてしまったのである

岡野雅行_ジョホールバルの歓喜
【ジョホールバルの歓喜】

 とにかく横柄が過ぎるこの人物に求められたのは、ラグビーファン、サッカーファン、スポーツファンの読者に対する潔い謝罪であった。ところが、中尾亘孝の取った対応は、読者の予想の斜め上をいくものだった。

 「ジョホールバルの歓喜」後の、中尾亘孝のサッカーに対する本格的な言及は、1998年12月刊行の『リヴェンジ』である。

 「謝ったら死ぬ病」は21世紀に入ってから流行り始めた奇病だと言われているが、次に紹介する中尾亘孝の強弁的言い訳は、この症例が20世紀末(1998年)には既に存在していたことを明らかにしている。
 今を去る7年前〔1991年〕、フットボール・アナリストを自称するおやぢ〔オヤジ=中尾亘孝〕は、「〔日本の〕サッカーは未来永劫ワールド・カップ〔本大会〕には出られない」と断定したことがあります。軽率のそしりはまぬがれない放言であります。周知のように、J-リーグ→ドーハの悲劇→ジョホール・バルの歓喜という風にステップ・アップして、目出たくワールド・カップ・フランス大会に出場したわけです。活字だけでなく、文章も読める人が読めば分かることですがこれには前提があったのです。それは、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合い。
 以上の三点がクリアされない限り、世界の檜舞台〔W杯〕には絶対立てないという結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っているし、現時点でも同じことを書けば、「4.運、ツキに恵まれる」と、もう一項目付け加える必要さえあるとさえ考えています。

 〔日本〕サッカーの場合、……ヨレヨレヘロヘロの状態だったとはいえ、ワールド・カップ〔本大会〕出場への道を拓いたのだと思う。

中尾亘孝『リヴェンジ』11~12頁(原文ママ)

 要するに、俺は間違ったことは書いていない。それが分からないのは読解力のないお前ら読者がバカだからだ……と、中尾亘孝は見苦しく居直り、責任を転嫁したのだ(こういう憎まれ口を平然と書くのがこの人物の品性の下劣さなのだが)。

読解力がない愚か者は中尾亘孝の方だ
 それならば、先の引用文2本をもう一度読み比べてみよう。中尾亘孝は、1991年の『15人のハーフ・バックス』では、日本サッカーが未来永劫W杯本大会に出場できない「原因」として、例の3か条を挙げている。だが、1998年の『リヴェンジ』では、この3か条は日本サッカーがW杯本大会に出場すらために「クリア」するべき条件だとしている。

 つまり、読者をはぐらかし、ごまかしているのは、中尾亘孝の方だ。

 こんな感じで過去の「ご託宣」の間違い、その「みそぎ」をチャチャっと済ませた(つもりの)中尾亘孝は、今度は『リヴェンジ』で、1998年サッカー・フランスW杯で3戦3敗1次リーグ敗退に終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンや日本人サポーターを愚弄し、嘲笑する「ご高説」を垂れるようになったのである(目次のみPDFのデータにしたので参照されたい)。
 こんな言動は、インターネット全盛の21世紀ならば炎上必至である。……そればかりか、個人情報を特定されて、中尾亘孝一個人が報いを受けても、誰からも同情されないという事態すら起こりうる。

日本ラグビーの「接近・展開・連続」理論とは何か
 それでは、あたらめて、中尾亘孝が掲げた例の3か条がどこまで妥当なのか検証してみる。ただし、全部やると長くなるので、1条ずつとする。今回は「1.日本独自の理論がない」である。

 この、中尾亘孝独特の言い回しである「理論」が、ふつうのサッカーファンには分かりにくい。これについては、中尾亘孝自身が定義づけ、言及した箇所がある。
 ……日本チームが外国チームと対戦した時、必ずと言っていいほど〈体格差〉の壁に泣かされてきました。これは他の競技でも同じです。しかしながら時として小さな日本人が大きな外国人を負かすことがあります。一番有名なのは体操とバレーボールです。これはどうしてでしょうか。

 それは体格差の壁を知恵で補ったからです。むしろ体の小さいことをメリットに変えたといった方が適切です。知恵とは、日本独自の理論・戦法のことです。コンビ・バレー、ウルトラCなどがそれです。

 われらがジャパン・ラグビーにも独自の理論があります。小さな者が大きな者に勝つにはどうすればよいのか。〔略〕〈小よく大を制す〉極意の一端に触れてみたいと思います。

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』7~8頁


 ……体操のウルトラC、バレーボールのコンビ・バレーに比すべき独自の理論(弱さを克服する表現)が日本ラグビーにはあるのです。

 それが通称「大西理論」と呼ばれる〈展開・接近・連続〉理論〔原文ママ〕なのです。

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』48頁
 「大西理論」とは、早稲田大学のラグビー指導者・大西鐡之祐(鉄之祐,おおにし・てつのすけ,故人)が考案した戦術、戦法、プレースタイルである。これについては、2019年9月にNHKが素晴らしいドキュメンタリー番組を制作、放送している。
NHK-BS1スペシャル「50年前 日本ラグビーは世界に迫った~伝説のイングランド戦」

 悲願のベスト8入りが期待されるラグビー日本代表。その原点とも言える伝説の試合が、1971年に行われたイングランド代表とのテストマッチである。屈強な外国チームと渡り合うために大西監督が掲げた戦略が「接近」「展開」「連続」。素早いパス回し、鋭く低いタックルでイングランド代表を翻弄した。当時の映像と関係者の証言、さらにニュージーランド取材も加え、伝説の試合を徹底的に分析。ラグビー日本代表の原点を紐解く。*
 または文春ナンバーが、VHSのソフトとして過去にリリースしている。

 これらを見れば「接近・展開・連続」のラグビーについては、多言を要さない。ラグビーファンはもとより、サッカーファンも視聴する価値がある。

日本サッカー独自の「理論」とは?
 ところで、日本サッカーに、ラグビーの大西理論に相当する「海外との体格差の壁を知恵で補う、むしろ体の小さいことをメリットに変えた日本独自の理論・戦法」が無いかというと、そんなことはない。

 サッカーファンならば、1936年ベルリン五輪サッカー日本代表で、巨漢ぞろいの北欧スウェーデンに逆転勝ちした「ベルリンの奇跡」のメンバーのひとり、松永行(まつなが・あきら)選手が、大会後、専門誌に寄稿したレポートの、例の文言を思い出す。
 扨〔さ〕て日本蹴球は、果たして世界のレベルに達してゐるかといふ疑問は自然起る。……精神的方面に於ては断然世界レベル以上だ。して又スピードを持ったショートパスに於〔おい〕てもレベル以上だ。このショートパスに関して、独逸の或〔ある〕権威者は、これだけは日本より学んだと言ってゐる。

 これだ、ショートパスの速攻法をあくまでも伸ばし、之〔これ〕に加へるに遅攻法をとり、緩急よろしきを得て、始めて日本蹴球の完成の時は来るのであると同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである。

 個人技を練磨せよ。

 これこそ日本蹴球人に輿〔あた〕へられた唯一の課題なのである。

松永行「オリムピック蹴球の回顧」@『体育と競技』1936年11月号69~72頁


ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
竹之内響介
東京新聞出版局
2015-11-23


 このテクストが「再発見」されたのは、Jリーグ以降の日本サッカー史の見直しからだった。それにしても、サッカーもラグビーも日本代表のスタイルには相通じるところがあるものだと感心する。また、日本サッカーの基本的な戦法と課題は、21世紀の現在も、昭和戦前の昔も変わっていないようである。

 こうした日本サッカーのスタイルには、いわゆる「決定力不足」の根源であるなどとの否定的な評価もあるが、調子の悪い時のブラジル代表も似たようなことを言われるので、そういう意味ではあまり気にしなくていい。**

中尾亘孝の「ご託宣」は何故ハズレたか?
 日本ラグビー「接近・展開・連続」の大西理論は、指導者や選手といった人材に恵まれないとなかなか実現できないことを、中尾亘孝はあちこちで指摘しているが、その辺の事情は、日本サッカーも似たようなものである。

 日本サッカー(日本代表)の低迷期は、1971年(ミュンヘン五輪アジア予選惨敗)から1992年(オフト・ジャパンの広島アジア大会優勝)まで、およそ20年余に及ぶが、その時期は、前半約10年と後半約10年に分かれる。

 1970年代の前半は、メキシコ五輪世代以降の人材が枯渇し、技術レベルが大きく落ち込み、持ち前のスタイルができず「蹴って走って頑張るサッカー」しか出来なくなっていった。しかし、1980年以降、全国的な少年サッカーの指導が実って、技術のある選手が育ち、少しずつではあるが「パスをつなぐサッカー」が出来るようになっていった。

 日本サッカーは、ゆるかやな上昇ではあるが、1985年メキシコW杯アジア最終予選進出、1987年ソウル五輪アジア最終予選進出と、少しずつ「成果」を出していった。……といった話は、後藤健生さんの『日本サッカーの未来世紀』(その1その2.担当編集者のY氏とは柳澤健さんのこと)を読めば、ちゃんと書いてある。

 自称「日本ラグビー狂会」の中尾亘孝の本を読んでいて不思議に思うのは、「狂会」の名前をサッカーからパクっているにもかかわらず、しかし、日本サッカー狂会の後藤健生さんの著作を、まったく(ほとんど)参照していないことだ。

 実は、中尾亘孝は、意外なほど日本サッカーを知らないし、日本サッカーを知ろうとしないし、日本サッカーから学ばない。この辺は、平塚晶人さんとは随分と違う。

 この人物は、後藤健生さんの著作を意図的に参照しないことで、日本サッカーの伸長を認めないという自己欺瞞をしているのだ。

自己批判を忘れ,堕落していった中尾亘孝
 もうひとつの中尾亘孝の誤りは、1988~1992年の横山謙三監督のサッカー日本代表(横山全日本)が、前述の1985年~1987年に積み上げた曲がりなりにも良い「流れ」を停滞させてしまった。横山監督が、山っ気に走らず、しかるべき指導力を発揮していれば、1989年のイタリアW杯アジア最終予選には進出できた。

 この時の最終予選は6か国総当たりで、たとえ全敗でも5試合経験できる。それだけの「経験値」があれば、サッカー日本代表は「ドーハの悲劇」もなく、1994年のアメリカ合衆国W杯本大会に出場できていたかもしれない(サッカー講釈師がこんな話をしていたような気がするが,ソースが見つからない)。

 不思議なことに、日本のサッカージャーナリズム・サッカー論壇は「横山全日本」の時代、柳澤健さん風に言えば「1989年のサッカー日本代表」の再検証をしていない。

 それはともかく、中尾亘孝が「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップに出られない」と大見得を切ったのは、横山全日本の「停滞」の時代である。その直後に、オフト・ジャパンの進撃が始まるのだが、監督がハンス・オフトになって、サッカー日本代表はいきなり強くなったという解釈は正しくない。

 つまり、この人物は「目利き」を自称する割には、日本のサッカーに関して、幾重にも鑑定違いをおかしてしまっていたのだ。

 しかし、中尾亘孝は、自身の間違いを認めず、謝罪も自己批判もしなかった。これ以降、この人のラグビー評論はキレを書くようになっていき、誰が読んでも不快な文章を、ただ垂れ流すだけの御仁に成り下がっていった。

 そして、肝心のラグビーファンの読者からも見放されていく。

(つづく)




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反サッカー主義者=中尾亘孝
 けっして日本のラグビー人は、他競技、なかんずくサッカーに敵対的な感情を抱く人たちではないのだけれど、そうではない人がスポーツメディア上で目立っていたことも、また悲しい事実である。当ブログは、中尾亘孝(なかお・のぶたか)という、いささかならずヘソの曲がった、反サッカー主義者のラグビー評論家の言動を洗い出してきた。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】(正確な学歴は早大中退らしい)

 特に、1991年、時勢に応じた、きわめて侮辱的な文体で「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会に出られない」と罵詈讒謗を放ったこと。それが1997年の「ジョホールバルの歓喜」で現実に覆(くつがえ)された後も、「自分は間違ったことは書いていない.サッカーファンの読者はバカだからそれが分からないのだ」などと悪口雑言を発したことについては、しつこく論(あげつら)ってきた(下記リンク先を参照)。

▼絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥(1)[2019年09月10日]

▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言[2019年09月01日]

 日本サッカーの両輪といえば日本代表とJリーグだが、日本代表のみならず、Jリーグも絶対に失敗すると、かつて中尾亘孝は放言していたのであった。

プロサッカー「Jリーグ」は成功するわけがない
 この慇懃無礼(いんぎんぶれい)な物言いは、サッカー日本代表がW杯本大会に出場することは不可能であると嘲笑的に論じた、1991年刊『15人のハーフ・バックス』に所収されたものと同じ文章「サッカーはW杯に出られるか」である。
サッカーはW杯に出られるか
 ……「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーを強くすればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。……体協〔日本体育協会,現日本スポーツ協会〕ファミリーのずるずるべったりなやり方に馴れているぼくら〔中尾亘孝と,あと誰?〕にとっては、潔く諸手を挙げるべき英断かもしれません。

 といいながらなお一向に愁眉〔しゅうび〕がひらかないのは、プロ化案があまりにも理想主義的だからです。……問題はプロ化にあたって、虫のよすぎる条件が付いていることです。
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 全面的に賛成です。支持します。常々かくありたい、かくあるべしと思っていたスポーツのあり方です。欧米では当たり前のこうしたスポーツのあり方は、ここニッポンの土壌に移植しようとすると、それはそのまま〈革命〉に他ならないということを別にすれば、申し分のない到達目標です。

 回りくどいいい方をしてしまいましたが、「1.」「2.」「3.」のすべてが難問です。「2.」などは不可能でしょう。「1.」すらも、某航空会社〔全日空=ANA〕のごとくせっかく横浜の市民クラブ・チーム〔横浜サッカークラブ〕を乗っ取り、強化を重ねてきたら、九州をフランチャイズにしてほしいという依頼です。幸いにして九州地区の方から「お断り」をいってきたようですが……。*

 いずれにしても、簡単にクリアできません。

 「2.」が100パーセント不可能なのは某大日本ヨミウリ帝国〔読売新聞,読売サッカークラブ〕の野望と正面衝突するからです。その他JR〔現ジェフユナイテッド市原・千葉〕以下、宣伝のためにサッカー・チームを持っているのが企業チームの本性です。金を出さずに口だけ出すサッカー協会〔JFA〕の段どりは隙〔すき〕だらけです。いまは目前のニンジン、プロ化すれば何かおいしいことがあるという幻想で企業を抑えています。

 「3.」すらも、文部省〔現文部科学省〕管轄下の既得権益集団との全面戦争を覚悟しなければなりません。水泳や体操のような個人競技とは違い、多くの人間が参加する集団競技です。クラブ・チーム組織主体のピラミッド構造に作り変えるのは、10年20年のタイム・スパンで考えたとしてもかなり難しいでしょう。それでも成功する可能性は高いとは言えません。〔略〕

 サッカー協会の決断は立派ですが、協会首脳にこうした改革が〈革命〉だという認識があったのでしょうか。まったくもって不可解なプロ化騒動です。企業アマ制度のみならず、学校体育をも否定しているのですから、否定した相手に甘えることは許されないはずです。あるいは凡人には窺〔うかが〕い知れない高度な政治的駆け引きでもあるのでしょうか。こうした穿鑿〔せんさく〕はどうでもいいことですが……〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』239~240頁


 引用のためにテキストを起こしていて、中尾亘孝の上から目線の嫌味な文体には毎度ウンザリさせられるが、これもまた時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。

Jリーグの「成功」
 2019年現在、日本の公共放送たるNHKのストレートニュース、特に午後7時のニュース(NHKニュース7)で、話題性や内容のいかんにかかわらず、結果・途中経過が必ず放送されるプロスポーツは、大相撲、プロ野球(NPB)、Jリーグ(サッカー)の3つのみである。

 人気上昇中と言われているバスケットボールのBリーグも、あるいはラグビーフットボールを含めた他のスポーツも、これほどの待遇を受けていない。

 つまり、控えめに言っても、日本のプロサッカー=Jリーグは、国民的な娯楽なり、興行なりとして、成功を収めている部類に入る。しかも……
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 ……この3つの「理念」の看板を外すことなく、である。

 Jリーグの創始と成功については、既にさまざま論じられている(下記リンク先の著作などを参照)。天の時・地の利・人の和にそれそれ恵まれたといえるが……。

ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 ……「1.」と「2.」について言えば、ちょうど「即効的な販売促進・広告宣伝効果を求めるのではなく,社会貢献の一環として行う企業の芸術文化支援」という「企業メセナ」という概念が日本に登場した時で、これはJリーグの理念の実現に幸いした。日本経済・日本企業にまだ余力があったことも幸いしたかもしれない。

 「3.」については、読売サッカークラブ(東京ヴェルディ1969の前身)や、JFAのトレセン制度、静岡県清水市(当時)における地域社会を巻き込んだ高校サッカーの疑似的クラブ的選手育成などといった「クラブ的なジュニア育成」を、日本サッカー界は既に経験していた。この点は、ラグビーや野球などとは違っていたのである。

 中尾亘孝が「某大日本ヨミウリ帝国」と呼ぶ、すなわち読売新聞とその総帥たる渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏による、読売サッカークラブ=ヴェルディのサッカー「巨人軍」化の野望は、Jリーグの創始者のひとりにして初代チェアマン・川淵三郎氏が退けた。**

当たらない予言者=中尾亘孝
 中尾亘孝の表現を借りれば、サッカーによる日本スポーツの〈革命〉は成就したということになるのだろう。

 中尾亘孝の「予言」である「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない」は、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で覆(くつがえ)った。もうひとつの「高い理念を掲げた日本のプロサッカーリーグ(Jリーグ)は失敗する」という「予言」も、また外れた。

 中尾亘孝のサッカーに関する「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 むろん、〈革命〉というものは、それが起こるまでは、そんなことは絶対に起こらない、起こらないはずだという代物なのではあるが。そうなのだとしても、しかし……。

 ……実は、中尾亘孝自身が、日本のラグビーフットボールのいわば「Jリーグ」化を、あるいは〈革命〉を夢想していたのである。

中尾亘孝が夢想した日本ラグビーの〈革命〉
 日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が、日本体育協会(体協,現日本スポーツ協会)を脱退していた時期があった。メルボルン五輪(1956年)の選手派遣費用の調達のために、特別競輪・特別競馬を実施することを体協が決定したが、JRFUは、これを不服として、1956年7月、体協を離脱した。

 中尾亘孝は、この史実をふまえて、次のように評する。
 「ケイリン〔競輪〕のテラ銭で五輪派遣選手費はとんでもない」と一度は体協を脱退した〔日本〕ラグビー協会〔JRFU〕が、あのまま脱退したままでいたら〔結局,1957年6月に復帰〕と思うのはぼく〔中尾亘孝〕だけでしょうか。理由は学校体育の枠を離れれば英国風クラブ組織のラグビーが生まれる可能性があったということです。

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』44頁


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11

 オリンピック競技でもないのに、オリンピックの日本選手団派遣のための公営競技開催に異を唱える。さらには日本体育協会を脱退する。かつての日本ラグビー界は、事ほど左様に頑迷固陋で自尊心が高いアマチュアリズムと、金や広告に対する潔癖主義があった。こうした文化から、中尾亘孝のような鬼っ子も生まれるのだけれど。

 それはともかく、JRFUが体協を脱退すると、どこがどうなって、学校体育の枠を脱して、日本にも英国風クラブ組織のラグビーが生まれる……のか? 話の筋道が今ひとつ分からない。中尾亘孝の白日夢の方こそ「いささか飛躍した結論」である。

 要するに、中尾亘孝も「日本ラグビーの脱企業スポーツ・脱学校体育→英国・欧州的なクラブ制度への移行」=〈革命〉を心の奥底で夢見ていた。そんなところへ、サッカーが「Jリーグ」として〈革命〉を始めるという。反サッカー主義者でありサッカーが嫌いで嫌いでしかたがない中尾亘孝は、嫉妬に狂い、『15人のハーフ・バックス』の中で「分析」と悪口雑言が入り混じったヒステリックな放言をしたというワケである。

中尾亘孝の「Jリーグ」へのコンサルティングは間違いだらけ
 この人の日本サッカーの批評・分析が本当にあてにならないなぁとつくづく思ったのは、いわゆるラグビー狂会本である1998年12月刊『ラグビー最前線』、その中尾亘孝による「あとがき」を読んだときである。
 サッカーの話が出たところで……ヨミウリ〔読売新聞〕の独裁者ナベツネが吠えています。Jリーグ崩壊とか好き勝手を言いたい放題。ヨミウリ以外の他紙がスポーツ文化破壊者ナベツネの暴挙を面白おかしく引用するだけなのだからだらしない。市原平塚大阪(セレッソ)神戸……どんどんつぶせばいい〔!〕。横浜(フリューゲルス)も当然つぶすべきだし、川崎(ヴェルディ)は除名。徹底的にヨミウリ帝国の影響力を排除すべき時が来たと思います。鹿島浦和の二大ロール・モデルがしっかりしているうちに、そして2002年W杯という人質があるうちにドラスティックな改革を行わないと永久にできなくなります。***

中尾亘孝「あとがき」@日本ラグビー狂会編著『ラグビー最前線』273頁


ラグビー最前線
日本ラグビー狂会
双葉社
1998-12-01


 これまた、サッカーファンが読んだら不快きわまりない文章ではある。さまざま文句はあるが順序だてて言及すると……。

 ……思い返すに、1998年当時は、中尾亘孝が列挙したようにJリーグの中堅クラブのいくつかが経営危機であるとして問題視されていたのである。実際に横浜フリューゲルスは、横浜マリノスに吸収合併されるという形で消滅した。しかし、2019年の日本サッカーは、そうした苦難を乗り越えて存在している。この辺は、いろいろと感慨深い。

 それにしても、である。ジェフユナイテッド市原・千葉ベルマーレ平塚セレッソ大阪ヴィッセル神戸東京ヴェルディ1969……といったクラブを、中尾亘孝が言うとおりに「つぶし」て、Jリーグを鹿島アントラーズ浦和レッズといったビッグクラブだけを残した10~16チーム程度ののクローズドリーグでやっていたら、実に彩りに乏しい日本サッカーの光景となったであろう。

 特にヴィッセル神戸を「つぶし」てしまうと、三木谷浩史さんがJリーグに参入してきて、楽しい話題をサッカーファンに度々振りまいたりすることはなかったのである。

 この意味でも、中尾亘孝の「予言」あるいはJリーグへのコンサルティングは間違っていたのだ。

 もうひとつ、中尾亘孝は、渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏のことを非難している。ナベツネ氏は「読売新聞」の「独裁者」で、サッカーまたはJリーグを憎悪し、「Jリーグ崩壊」などと罵っているという。しかし、それは中尾亘孝も同じだろう。

 中尾亘孝は、「日本ラグビー狂会」という日本のラグビー論壇に一定以上の影響力を持つサークルの「独裁者」である。そして、サッカーまたはJリーグを憎悪し、ひとりだけ放埓な駄文で「Jリーグの市原も,平塚も,セレッソも,神戸も……つぶせばいい」などと罵っている。

 こと反サッカー主義者にして独裁者という意味では、ナベツネ氏と中尾亘孝は目糞鼻糞を笑う五十歩百歩なのである。

中尾亘孝というラグビーファン・サッカーファンの不幸
 あらためて……。中尾亘孝の日本サッカーに関する数々の「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 その昔、東西冷戦時代、ソビエト連邦(ソ連)とアメリカ合衆国(米国)が激しくいがみ合っていた頃、ソ連による米国研究が、他のどの国の米国研究よりも詳しいという説があった。一番の敵だからこそ、他のどの国よりも徹底的に詳しく米国を研究するという理屈である。

 ところが、中尾亘孝の日本サッカー論は、全く反対に反サッカー主義の感情が入り混じり、分析としての冷静さを欠いてしまっている。意外に日本のサッカーのことを知らない。だから、サッカー日本代表にせよ、Jリーグにせよ、評価(予言)を誤るのだ(小林深緑郎=こばやし・しんろくろう=さんの方が,はるかに意味のある評価をするだろう)。

 その結果、ラグビーファンも、サッカーファンも、まるで役に立たないゴミのような愚かな評論を読む羽目になる。日本のフットボールにとって、日本のスポーツにとって、実に不幸な情況が続いているのである。

(了)




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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと10日となりました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26



 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
前回のエントリーから…
▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言(2019年09月01日)

 1991年、サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない! と断言した反サッカー主義のラグビー評論家・中尾亘孝。その「ご託宣」は全く外れたわけだが…。
 1991年秋、サッカー日本代表(横山謙三監督)が不振にあえいでいた頃、ラグビー日本代表(宿沢ジャパン平尾組)は、アジア・オセアニア予選を突破して第2回ラグビーW杯本大会に進出。国民的な期待を集めていた。

日本ラグビー激闘史 2011年 3/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-02-23



 ちょうどその頃、ラグビーW杯の話題に当て込んで刊行されたラグビー評論書が、「日本ラグビー狂会」を自称する中尾亘孝(なかお・のぶたか)の『15人のハーフ・バックス~オレたちにも言わせろ!〈ジャパンはこうすれば強くなる〉』だった。

 一方、時を同じくして、20年来の低迷を打破するべく日本サッカー協会(JFA)が国内リーグのプロ化(現在のJリーグ)を発表した。目的は、サッカー人気の再興、そしてサッカー日本代表をワールドカップ本大会に出場させることである。

 中尾亘孝は、悪質な反サッカー主義者でもあり、とにかくサッカーが嫌いで嫌いでしょうがない。特に日本のサッカー(Jリーグと日本代表)には茶々を入れずにはいられない。サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は『15人のハーフ・バックス』の中で居丈高に答える。
サッカーはW杯に出られるか
 ……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~238頁


中尾亘孝2
【中尾亘孝】
 時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。

 ところが、周知にとおり、この「ご託宣」は「未来永劫」どころか、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で、たった6年で覆(くつがえ)されてしまったのである

岡野雅行_ジョホールバルの歓喜
【ジョホールバルの歓喜】

 本当は1993年の「ドーハ」で達成されるべきだった(先のリッチリンクを参照)というのは、ひとまず措(お)くとしても……。

他人事のように「ジャケvsレキップ」を語る中尾亘孝
 ……中尾亘孝に求められたのは、ラグビーファン、サッカーファン、スポーツファンの読者に対する潔い謝罪であった。

 とにかく横柄が過ぎる中尾亘孝は、ラグビーフットボールおよびラグビーファンにまつわるある種のイメージ、すなわち「ラグビーを偏愛し,不遜で,他の競技なかんずくサッカーを敵対的に見下している……」というステレオタイプを煽っている。しかし、ここで「私が間違っていました」の一言が出るかどうかで、人としての器量がはかられる。

 ところが、中尾亘孝の取った対応は、読者の予想の斜め上をいくものだった。

 「ジョホールバルの歓喜」後の、中尾亘孝のサッカーに対する本格的な言及は、1998年12月刊行の『リヴェンジ』である。

 はじめに「まえがき」であるが、真面目なラグビーファンやサッカーファンの読者は、いきなり狐(きつね)につままされたような気分にさせられる。
まえがき
 ヴェトナム(ヴィエト・ナム)戦争は、アメリカン・ジャーナリズムが勝利した戦争として有名です。〔1998年の〕サッカー・ワールド・カップ・フランス大会は、フランス最大のスポーツ・ジャーナリズム『レキップ』紙(ツール・ド・フランスの元締め)が完全敗北したことで歴史に残るでしょう。考えてみると、今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では歴史に残るケース・スタディだと思います。『レキップ』紙は優勝した〔サッカーの〕フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督に対し、終始一貫して批判的立場をとりながら「優勝」という結果を出したことで、ジャケ監督に全面謝罪したのです。それでも、新聞が売れ続けたことで「批判は正しかった」と開き直ることを忘れていないところがジャーナリスト魂を感じさせます。〔略〕

 一方、岡田〔武史〕監督率いる〔サッカー〕日本代表の場合は、フランス代表ほど簡単には分析できません。それは、「誰が監督をやろうと結果は同じ」だったろうと多くのファンには分かっていたからです。ところが未だに監督が違う人だったら……〔以下略〕

中尾亘孝『リヴェンジ』2頁(原文ママ)

 あれ? あれ? あれれ??? 中尾亘孝は、自分の「間違い」を省みることは、しないのか? 何で「ジャケvsレキップ」の一件を、他人事みたいに語ることができるんや?

 ……というのは、ちょうど中尾亘孝が、サッカー・フランスW杯におけるエメ・ジャケ仏代表監督と『レキップ』紙の話題を出していたので、これに譬(たと)えてみる。

 日本サッカーは「サッカー・フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督」の立場であり、日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られないなど日本サッカーにさんざん悪口雑言罵詈讒謗を放言してきた中尾亘孝は『レキップ』紙の立場である。

 日本サッカーは「W杯本大会出場」という結果を出した。だから「完全敗北」した中尾亘孝こそ日本サッカーに対して「全面謝罪」しなければならない。今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では日本スポーツジャーナリズム史に残る一大事件でもある。

 しかし、自分の論評は正しかったと開き直ることを忘れていないイヤラシサが、反サッカー主義者のラグビー者(もの)=中尾亘孝の本性なのである。

20世紀末,中尾亘孝はすでに「謝ったら死ぬ病」だった
 「謝ったら死ぬ病」は21世紀に入ってから流行り始めた奇病だと言われているが、次に紹介する中尾亘孝の強弁的言い訳は、この症例が20世紀末(1998年)には既に存在していたことを明らかにしている。
 今を去る7年前〔1991年〕、フットボール・アナリストを自称するおやぢ〔オヤジ=中尾亘孝〕は、「〔日本の〕サッカーは未来永劫ワールド・カップ〔本大会〕には出られない」と断定したことがあります。軽率のそしりはまぬがれない放言であります。周知のように、J-リーグ→ドーハの悲劇→ジョホール・バルの歓喜という風にステップ・アップして、目出たくワールド・カップ・フランス大会に出場したわけです。活字だけでなく、文章も読める人が読めば分かることですがこれには前提があったのです。それは、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合い。
 以上の三点がクリアされない限り、世界の檜舞台〔W杯〕には絶対立てないという結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っているし、現時点でも同じことを書けば、「4.運、ツキに恵まれる」と、もう一項目付け加える必要さえあるとさえ考えています。

 〔日本〕サッカーの場合、理論面では「〔19〕90年以降新しい理論は生まれていない」と断言する岡田武史監督の誕生があり〔出典不明〕、中田英寿の登場で人材面はクリア〔いつも過大評価がついて回る人〕、そしてJ-リーグのダイナミズムは派閥をバラバラにして、協会内の既得権益集団へと転向させた〔関東大学ラグビー対抗戦の慶應義塾大学,早稲田大学,明治大学の三校こそ本当の「既得権益集団」だが〕。以上の変革の結果、ヨレヨレヘロヘロの状態だったとはいえ、ワールド・カップ〔本大会〕出場への道を拓いたのだと思う。

中尾亘孝『リヴェンジ』11~12頁(原文ママ)

 「ヴィエト・ナム」とか、「おやぢ」とか、ハイフンが入った「J-リーグ」とか、中黒が入った「ワールド・カップ」とか「ジョホール・バル」とか……は、中尾亘孝の文章表現上の実につまらない拘泥である。つまり、中尾亘孝は独りよがりで矮小な人間である(だから書名も『リベンジ』ではなく『リヴェンジ』なのである)。

 それはともかく、「日本サッカーは絶対W杯本大会に出場できない」と「予想」はしたものの、しかし「事実,現実」はこれを覆(くつがえ)してしまった。それでも、なおかつ中尾亘孝は自身が下した「結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っている」などと言い逃れするのは、どう考えても辻褄(つじつま)が合わない。

 要するに、俺は間違ったことは書いていない。それが分からないのは読解力のないお前ら読者がバカだからだ……と、中尾亘孝は見苦しく居直り、責任を転嫁したのだ(こういう,ナチュラルな憎まれ口を平然と書くのが中尾亘孝の品性の下劣さである)。

 こんな感じで過去の「ご託宣」の間違い、その「みそぎ」をチャチャっと済ませた(つもりの)中尾亘孝は、今度は『リヴェンジ』で、1998年サッカー・フランスW杯で3戦3敗1次リーグ敗退に終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンや日本人サポーターを愚弄し、嘲笑する「ご高説」を垂れるようになったのである。

 サッカー、なかんずく日本サッカーを、しつこくヘイト(hate)し、ハラスメント(harassment)する、その中尾亘孝の「ご高説」の逐一は細かくは紹介しないの。物好きなサッカーファンやラグビーファンは現物に当たってほしい(目次のみPDFのデータにしたので参照されたい)。
 こんな言動は、インターネット全盛の21世紀ならば炎上必至である。……ばかりか、個人情報を特定されて、中尾亘孝一個人が報いを受けても、誰からも同情されないという事態すら起こりうる。

中尾亘孝は日本語の読み書きができない与太郎である
 それでは、日本語の読解力がない(活字ではなく文章が読めない)バカなのは、読者(サッカーファンやラグビーファン)なのか、あるいは反サッカー主義者の中尾亘孝なのか、軽く検証してみる。

 先の引用文だけでなく、中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』の該当部分については、PDFデータでもアップしたので、そちらも参照されたい。
 1991年の『15人のハーフ・バックス』では、日本サッカーがW杯本大会に出られるかどうかについては、完全に「ノー」だと断言している。そして、その「原因」として例の3か条を挙げている。
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 ところが、これが1998年の『リヴェンジ』では、この3か条は、日本サッカーがW杯本大会出場を「クリア」するべき「前提」に話をスリ替えて(!)いる。自身の言行一致を取り繕うために、おかしな自己弁護に走っているのは、サッカーファンやサッカー関係者に「謝ったら死ぬ病」に罹(かか)った中尾亘孝の方である。

 ついでに、中尾亘孝が追加した「4.運、ツキに恵まれる」の項目についても説明しておくと……。1997年のフランスW杯アジア最終予選では、たしかアウェーのウズベキスタン戦で、試合終了間際の偶発的なゴールで同点に追いついたことがあり、この得点がグループリーグの最後に効いてくる……ということがあった。

 これなどは、中尾亘孝が言うように「運、ツキに恵まれ」た実例なのかもしれない。

 しかし、日本サッカー狂会を出身母体を持つサッカージャーナリストの後藤健生さんの「理論」に従えば、サッカーの場合、局面局面では偶発的な出来事が起こっても、リーグ戦(ラウンドロビンとでも言わなきゃならんのか?)の最後には、おおむね実力通りの結果に収斂されてくる。

 この「理論」は、後藤健生さんの著作『アジア・サッカー戦記』や『ワールドカップの世紀』などに出てくる話である。


 つまり、サッカー日本代表=加茂&岡田ジャパンは、1997年のフランスW杯アジア最終予選において、少なからず迷走はしたが「おおむね」実力通りの結果を出したのである。だいたい「運、ツキに恵まれ」ただけで、1998年から2018年まで、サッカー日本代表は6回連続してW杯本大会に出場などできない。

 中尾亘孝は、実は日本のサッカーのことをよく知らない。自称「日本ラグビー狂会」の中尾亘孝の本を読んでいて不思議に思うのは、反サッカー主義者にもかかわらず、「狂会」の名前をサッカーからパクっているにもかかわらず、しかし、日本サッカー狂会の後藤健生さんの著作を、まったく(ほとんど)参照していないことだ。

 このことは、中尾亘孝のことを「ラグビーの後藤健生」などというトンデモない紹介をした、佐山一郎さんも気が付いていないようである(佐山一郎さんの中尾亘孝評は「兄弟フットボールライターからの助言」として,佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 中尾亘孝は、後藤健生さんの著作を意図的に参照しないことで、日本サッカーの伸長を認めないという詐術を用いる卑劣漢なのである。

ラグビーファン=〈観客〉から見放された中尾亘孝
 なにより、中尾亘孝の、この卑怯未練な言動に嘆き悲しんだのは、他でもない、真面目で善良なラグビーファンたちだった。『リヴェンジ』における逆ギレの一件は、読者=ラグビーファンが中尾亘孝から離反していく決定的なキッカケになっていく。

 これ以降、中尾亘孝のラグビー本体の評論の質も大きく、ますます下がった。『ラグビーマガジン』や文春『ナンバー』ラグビー記事への執筆の機会も減った(たまに間違って起用されては,読者のヒンシュクを買うが)。

 中尾亘孝が編集を周旋している「狂会本」と通称されるアンソロジー形式のラグビー本からは、小林深緑郎さん、大友信彦さん、永田洋光さん、藤島大さんといった有為な常連執筆者が去っていった。昨今の「狂会本」は、ラグビーファンからは、中尾亘孝主宰の「同人誌」などと揶揄されるほど、コンテンツの質が下がった。

 このことは、本人も意識しているのかもしれない。かつて、中尾亘孝は自身の著作のプロフィール欄には「〈観客〉の立場から独自のラグビー評論を展開」するとあった。

 ところが、『リヴェンジ』の少し後から「〈観客〉の立場」を自ら放棄し、「フルタイムのラグビー・ウォッチャー」とか、先の引用文にあったように「フットボール・アナリスト」などという不思議な肩書を自称するようになっていく。

 〈観客〉たるラグビーファンから見放され、自らも〈観客〉と決別した中尾亘孝。そのラグビー観や反サッカー主義は、さらにさらに歪んだものになっていった。

つづく




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