スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:中尾亘孝

反サッカー主義者=中尾亘孝
 けっして日本のラグビー人は、他競技、なかんずくサッカーに敵対的な感情を抱く人たちではないのだけれど、そうではない人がスポーツメディア上で目立っていたことも、また悲しい事実である。当ブログは、中尾亘孝(なかお・のぶたか)という、いささかならずヘソの曲がった、反サッカー主義者のラグビー評論家の言動を洗い出してきた。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】(正確な学歴は早大中退らしい)

 特に、1991年、時勢に応じた、きわめて侮辱的な文体で「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会に出られない」と罵詈讒謗を放ったこと。それが1997年の「ジョホールバルの歓喜」で現実に覆(くつがえ)された後も、「自分は間違ったことは書いていない.サッカーファンの読者はバカだからそれが分からないのだ」などと悪口雑言を発したことについては、しつこく論(あげつら)ってきた(下記リンク先を参照)。

▼絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥(1)[2019年09月10日]

▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言[2019年09月01日]

 日本サッカーの両輪といえば日本代表とJリーグだが、日本代表のみならず、Jリーグも絶対に失敗すると、かつて中尾亘孝は放言していたのであった。

プロサッカー「Jリーグ」は成功するわけがない
 この慇懃無礼(いんぎんぶれい)な物言いは、サッカー日本代表がW杯本大会に出場することは不可能であると嘲笑的に論じた、1991年刊『15人のハーフ・バックス』に所収されたものと同じ文章「サッカーはW杯に出られるか」である。
サッカーはW杯に出られるか
 ……「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーを強くすればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。……体協〔日本体育協会,現日本スポーツ協会〕ファミリーのずるずるべったりなやり方に馴れているぼくら〔中尾亘孝と,あと誰?〕にとっては、潔く諸手を挙げるべき英断かもしれません。

 といいながらなお一向に愁眉〔しゅうび〕がひらかないのは、プロ化案があまりにも理想主義的だからです。……問題はプロ化にあたって、虫のよすぎる条件が付いていることです。
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 全面的に賛成です。支持します。常々かくありたい、かくあるべしと思っていたスポーツのあり方です。欧米では当たり前のこうしたスポーツのあり方は、ここニッポンの土壌に移植しようとすると、それはそのまま〈革命〉に他ならないということを別にすれば、申し分のない到達目標です。

 回りくどいいい方をしてしまいましたが、「1.」「2.」「3.」のすべてが難問です。「2.」などは不可能でしょう。「1.」すらも、某航空会社〔全日空=ANA〕のごとくせっかく横浜の市民クラブ・チーム〔横浜サッカークラブ〕を乗っ取り、強化を重ねてきたら、九州をフランチャイズにしてほしいという依頼です。幸いにして九州地区の方から「お断り」をいってきたようですが……。*

 いずれにしても、簡単にクリアできません。

 「2.」が100パーセント不可能なのは某大日本ヨミウリ帝国〔読売新聞,読売サッカークラブ〕の野望と正面衝突するからです。その他JR〔現ジェフユナイテッド市原・千葉〕以下、宣伝のためにサッカー・チームを持っているのが企業チームの本性です。金を出さずに口だけ出すサッカー協会〔JFA〕の段どりは隙〔すき〕だらけです。いまは目前のニンジン、プロ化すれば何かおいしいことがあるという幻想で企業を抑えています。

 「3.」すらも、文部省〔現文部科学省〕管轄下の既得権益集団との全面戦争を覚悟しなければなりません。水泳や体操のような個人競技とは違い、多くの人間が参加する集団競技です。クラブ・チーム組織主体のピラミッド構造に作り変えるのは、10年20年のタイム・スパンで考えたとしてもかなり難しいでしょう。それでも成功する可能性は高いとは言えません。〔略〕

 サッカー協会の決断は立派ですが、協会首脳にこうした改革が〈革命〉だという認識があったのでしょうか。まったくもって不可解なプロ化騒動です。企業アマ制度のみならず、学校体育をも否定しているのですから、否定した相手に甘えることは許されないはずです。あるいは凡人には窺〔うかが〕い知れない高度な政治的駆け引きでもあるのでしょうか。こうした穿鑿〔せんさく〕はどうでもいいことですが……〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』239~240頁


 引用のためにテキストを起こしていて、中尾亘孝の上から目線の嫌味な文体には毎度ウンザリさせられるが、これもまた時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。

Jリーグの「成功」
 2019年現在、日本の公共放送たるNHKのストレートニュース、特に午後7時のニュース(NHKニュース7)で、話題性や内容のいかんにかかわらず、結果・途中経過が必ず放送されるプロスポーツは、大相撲、プロ野球(NPB)、Jリーグ(サッカー)の3つのみである。

 人気上昇中と言われているバスケットボールのBリーグも、あるいはラグビーフットボールを含めた他のスポーツも、これほどの待遇を受けていない。

 つまり、控えめに言っても、日本のプロサッカー=Jリーグは、国民的な娯楽なり、興行なりとして、成功を収めている部類に入る。しかも……
  1. フランチャイズ制。〔ホームタウン制〕
  2. チーム、クラブ名から企業名を取る(外す)。
  3. クラブ組織内でジュニア育成。
 ……この3つの「理念」の看板を外すことなく、である。

 Jリーグの創始と成功については、既にさまざま論じられている(下記リンク先の著作などを参照)。天の時・地の利・人の和にそれそれ恵まれたといえるが……。

ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 ……「1.」と「2.」について言えば、ちょうど「即効的な販売促進・広告宣伝効果を求めるのではなく,社会貢献の一環として行う企業の芸術文化支援」という「企業メセナ」という概念が日本に登場した時で、これはJリーグの理念の実現に幸いした。日本経済・日本企業にまだ余力があったことも幸いしたかもしれない。

 「3.」については、読売サッカークラブ(東京ヴェルディ1969の前身)や、JFAのトレセン制度、静岡県清水市(当時)における地域社会を巻き込んだ高校サッカーの疑似的クラブ的選手育成などといった「クラブ的なジュニア育成」を、日本サッカー界は既に経験していた。この点は、ラグビーや野球などとは違っていたのである。

 中尾亘孝が「某大日本ヨミウリ帝国」と呼ぶ、すなわち読売新聞とその総帥たる渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏による、読売サッカークラブ=ヴェルディのサッカー「巨人軍」化の野望は、Jリーグの創始者のひとりにして初代チェアマン・川淵三郎氏が退けた。**

当たらない予言者=中尾亘孝
 中尾亘孝の表現を借りれば、サッカーによる日本スポーツの〈革命〉は成就したということになるのだろう。

 中尾亘孝の「予言」である「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない」は、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で覆(くつがえ)った。もうひとつの「高い理念を掲げた日本のプロサッカーリーグ(Jリーグ)は失敗する」という「予言」も、また外れた。

 中尾亘孝のサッカーに関する「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 むろん、〈革命〉というものは、それが起こるまでは、そんなことは絶対に起こらない、起こらないはずだという代物なのではあるが。そうなのだとしても、しかし……。

 ……実は、中尾亘孝自身が、日本のラグビーフットボールのいわば「Jリーグ」化を、あるいは〈革命〉を夢想していたのである。

中尾亘孝が夢想した日本ラグビーの〈革命〉
 日本ラグビーフットボール協会(JRFU)が、日本体育協会(体協,現日本スポーツ協会)を脱退していた時期があった。メルボルン五輪(1956年)の選手派遣費用の調達のために、特別競輪・特別競馬を実施することを体協が決定したが、JRFUは、これを不服として、1956年7月、体協を離脱した。

 中尾亘孝は、この史実をふまえて、次のように評する。
 「ケイリン〔競輪〕のテラ銭で五輪派遣選手費はとんでもない」と一度は体協を脱退した〔日本〕ラグビー協会〔JRFU〕が、あのまま脱退したままでいたら〔結局,1957年6月に復帰〕と思うのはぼく〔中尾亘孝〕だけでしょうか。理由は学校体育の枠を離れれば英国風クラブ組織のラグビーが生まれる可能性があったということです。

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』44頁


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11

 オリンピック競技でもないのに、オリンピックの日本選手団派遣のための公営競技開催に異を唱える。さらには日本体育協会を脱退する。かつての日本ラグビー界は、事ほど左様に頑迷固陋で自尊心が高いアマチュアリズムと、金や広告に対する潔癖主義があった。こうした文化から、中尾亘孝のような鬼っ子も生まれるのだけれど。

 それはともかく、JRFUが体協を脱退すると、どこがどうなって、学校体育の枠を脱して、日本にも英国風クラブ組織のラグビーが生まれる……のか? 話の筋道が今ひとつ分からない。中尾亘孝の白日夢の方こそ「いささか飛躍した結論」である。

 要するに、中尾亘孝も「日本ラグビーの脱企業スポーツ・脱学校体育→英国・欧州的なクラブ制度への移行」=〈革命〉を心の奥底で夢見ていた。そんなところへ、サッカーが「Jリーグ」として〈革命〉を始めるという。反サッカー主義者でありサッカーが嫌いで嫌いでしかたがない中尾亘孝は、嫉妬に狂い、『15人のハーフ・バックス』の中で「分析」と悪口雑言が入り混じったヒステリックな放言をしたというワケである。

中尾亘孝の「Jリーグ」へのコンサルティングは間違いだらけ
 この人の日本サッカーの批評・分析が本当にあてにならないなぁとつくづく思ったのは、いわゆるラグビー狂会本である1998年12月刊『ラグビー最前線』、その中尾亘孝による「あとがき」を読んだときである。
 サッカーの話が出たところで……ヨミウリ〔読売新聞〕の独裁者ナベツネが吠えています。Jリーグ崩壊とか好き勝手を言いたい放題。ヨミウリ以外の他紙がスポーツ文化破壊者ナベツネの暴挙を面白おかしく引用するだけなのだからだらしない。市原平塚大阪(セレッソ)神戸……どんどんつぶせばいい〔!〕。横浜(フリューゲルス)も当然つぶすべきだし、川崎(ヴェルディ)は除名。徹底的にヨミウリ帝国の影響力を排除すべき時が来たと思います。鹿島浦和の二大ロール・モデルがしっかりしているうちに、そして2002年W杯という人質があるうちにドラスティックな改革を行わないと永久にできなくなります。***

中尾亘孝「あとがき」@日本ラグビー狂会編著『ラグビー最前線』273頁


ラグビー最前線
日本ラグビー狂会
双葉社
1998-12-01


 これまた、サッカーファンが読んだら不快きわまりない文章ではある。さまざま文句はあるが順序だてて言及すると……。

 ……思い返すに、1998年当時は、中尾亘孝が列挙したようにJリーグの中堅クラブのいくつかが経営危機であるとして問題視されていたのである。実際に横浜フリューゲルスは、横浜マリノスに吸収合併されるという形で消滅した。しかし、2019年の日本サッカーは、そうした苦難を乗り越えて存在している。この辺は、いろいろと感慨深い。

 それにしても、である。ジェフユナイテッド市原・千葉ベルマーレ平塚セレッソ大阪ヴィッセル神戸東京ヴェルディ1969……といったクラブを、中尾亘孝が言うとおりに「つぶし」て、Jリーグを鹿島アントラーズ浦和レッズといったビッグクラブだけを残した10~16チーム程度ののクローズドリーグでやっていたら、実に彩りに乏しい日本サッカーの光景となったであろう。

 特にヴィッセル神戸を「つぶし」てしまうと、三木谷浩史さんがJリーグに参入してきて、楽しい話題をサッカーファンに度々振りまいたりすることはなかったのである。

 この意味でも、中尾亘孝の「予言」あるいはJリーグへのコンサルティングは間違っていたのだ。

 もうひとつ、中尾亘孝は、渡邉恒雄(わたなべ・つねお,ナベツネ)氏のことを非難している。ナベツネ氏は「読売新聞」の「独裁者」で、サッカーまたはJリーグを憎悪し、「Jリーグ崩壊」などと罵っているという。しかし、それは中尾亘孝も同じだろう。

 中尾亘孝は、「日本ラグビー狂会」という日本のラグビー論壇に一定以上の影響力を持つサークルの「独裁者」である。そして、サッカーまたはJリーグを憎悪し、ひとりだけ放埓な駄文で「Jリーグの市原も,平塚も,セレッソも,神戸も……つぶせばいい」などと罵っている。

 こと反サッカー主義者にして独裁者という意味では、ナベツネ氏と中尾亘孝は目糞鼻糞を笑う五十歩百歩なのである。

中尾亘孝というラグビーファン・サッカーファンの不幸
 あらためて……。中尾亘孝の日本サッカーに関する数々の「予言」は、なぜ、こうも外れるのだろうか?

 その昔、東西冷戦時代、ソビエト連邦(ソ連)とアメリカ合衆国(米国)が激しくいがみ合っていた頃、ソ連による米国研究が、他のどの国の米国研究よりも詳しいという説があった。一番の敵だからこそ、他のどの国よりも徹底的に詳しく米国を研究するという理屈である。

 ところが、中尾亘孝の日本サッカー論は、全く反対に反サッカー主義の感情が入り混じり、分析としての冷静さを欠いてしまっている。意外に日本のサッカーのことを知らない。だから、サッカー日本代表にせよ、Jリーグにせよ、評価(予言)を誤るのだ(小林深緑郎=こばやし・しんろくろう=さんの方が,はるかに意味のある評価をするだろう)。

 その結果、ラグビーファンも、サッカーファンも、まるで役に立たないゴミのような愚かな評論を読む羽目になる。日本のフットボールにとって、日本のスポーツにとって、実に不幸な情況が続いているのである。

(了)




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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと10日となりました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26



 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
前回のエントリーから…
▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言(2019年09月01日)

 1991年、サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない! と断言した反サッカー主義のラグビー評論家・中尾亘孝。その「ご託宣」は全く外れたわけだが…。
 1991年秋、サッカー日本代表(横山謙三監督)が不振にあえいでいた頃、ラグビー日本代表(宿沢ジャパン平尾組)は、アジア・オセアニア予選を突破して第2回ラグビーW杯本大会に進出。国民的な期待を集めていた。

日本ラグビー激闘史 2011年 3/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-02-23



 ちょうどその頃、ラグビーW杯の話題に当て込んで刊行されたラグビー評論書が、「日本ラグビー狂会」を自称する中尾亘孝(なかお・のぶたか)の『15人のハーフ・バックス~オレたちにも言わせろ!〈ジャパンはこうすれば強くなる〉』だった。

 一方、時を同じくして、20年来の低迷を打破するべく日本サッカー協会(JFA)が国内リーグのプロ化(現在のJリーグ)を発表した。目的は、サッカー人気の再興、そしてサッカー日本代表をワールドカップ本大会に出場させることである。

 中尾亘孝は、悪質な反サッカー主義者でもあり、とにかくサッカーが嫌いで嫌いでしょうがない。特に日本のサッカー(Jリーグと日本代表)には茶々を入れずにはいられない。サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は『15人のハーフ・バックス』の中で居丈高に答える。
サッカーはW杯に出られるか
 ……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~238頁


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】*
 時勢に乗じた、まことに傲岸不遜な放言であった。

 ところが、周知にとおり、この「ご託宣」は「未来永劫」どころか、1997年11月の「ジョホールバルの歓喜」で、たった6年で覆(くつがえ)されてしまったのである

岡野雅行_ジョホールバルの歓喜
【ジョホールバルの歓喜】

 本当は1993年の「ドーハ」で達成されるべきだった(先のリッチリンクを参照)というのは、ひとまず措(お)くとしても……。

他人事のように「ジャケvsレキップ」を語る中尾亘孝
 ……中尾亘孝に求められたのは、ラグビーファン、サッカーファン、スポーツファンの読者に対する潔い謝罪であった。

 とにかく横柄が過ぎる中尾亘孝は、ラグビーフットボールおよびラグビーファンにまつわるある種のイメージ、すなわち「ラグビーを偏愛し,不遜で,他の競技なかんずくサッカーを敵対的に見下している……」というステレオタイプを煽っている。しかし、ここで「私が間違っていました」の一言が出るかどうかで、人としての器量がはかられる。

 ところが、中尾亘孝の取った対応は、読者の予想の斜め上をいくものだった。

 「ジョホールバルの歓喜」後の、中尾亘孝のサッカーに対する本格的な言及**は、1998年12月刊行の『リヴェンジ』である。

 はじめに「まえがき」であるが、真面目なラグビーファンやサッカーファンの読者は、いきなり狐(きつね)につままされたような気分にさせられる。
まえがき
 ヴェトナム(ヴィエト・ナム)戦争は、アメリカン・ジャーナリズムが勝利した戦争として有名です。〔1998年の〕サッカー・ワールド・カップ・フランス大会は、フランス最大のスポーツ・ジャーナリズム『レキップ』紙(ツール・ド・フランスの元締め)が完全敗北したことで歴史に残るでしょう。考えてみると、今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では歴史に残るケース・スタディだと思います。『レキップ』紙は優勝した〔サッカーの〕フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督に対し、終始一貫して批判的立場をとりながら「優勝」という結果を出したことで、ジャケ監督に全面謝罪したのです。それでも、新聞が売れ続けたことで「批判は正しかった」と開き直ることを忘れていないところがジャーナリスト魂を感じさせます。〔略〕

 一方、岡田〔武史〕監督率いる〔サッカー〕日本代表の場合は、フランス代表ほど簡単には分析できません。それは、「誰が監督をやろうと結果は同じ」だったろうと多くのファンには分かっていたからです。ところが未だに監督が違う人だったら……〔以下略〕

中尾亘孝『リヴェンジ』2頁(原文ママ)

 あれ? あれ? あれれ??? 中尾亘孝は、自分の「間違い」を省みることは、しないのか? 何で「ジャケvsレキップ」の一件を、他人事みたいに語ることができるんや?

 ……というのは、ちょうど中尾亘孝が、サッカー・フランスW杯におけるエメ・ジャケ仏代表監督と『レキップ』紙の話題を出していたので、これに譬(たと)えてみる。

 日本サッカーは「サッカー・フランス代表を率いるエメ・ジャケ監督」の立場であり、日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られないなど日本サッカーにさんざん悪口雑言罵詈讒謗を放言してきた中尾亘孝は『レキップ』紙の立場である。

 日本サッカーは「W杯本大会出場」という結果を出した。だから「完全敗北」した中尾亘孝こそ日本サッカーに対して「全面謝罪」しなければならない。今の世の中、かくも明快に物事の白黒が判明するというのは極めて稀〔ま〕れなわけで、その意味では日本スポーツジャーナリズム史に残る一大事件でもある。

 しかし、自分の論評は正しかったと開き直ることを忘れていないイヤラシサが、反サッカー主義者のラグビー者(もの)=中尾亘孝の本性なのである。

20世紀末,中尾亘孝はすでに「謝ったら死ぬ病」だった
 「謝ったら死ぬ病」は21世紀に入ってから流行り始めた奇病だと言われているが、次に紹介する中尾亘孝の強弁的言い訳は、この症例が20世紀末(1998年)には既に存在していたことを明らかにしている。
 今を去る7年前〔1991年〕、フットボール・アナリストを自称するおやぢ〔オヤジ=中尾亘孝〕は、「〔日本の〕サッカーは未来永劫ワールド・カップ〔本大会〕には出られない」と断定したことがあります。軽率のそしりはまぬがれない放言であります。周知のように、J-リーグ→ドーハの悲劇→ジョホール・バルの歓喜という風にステップ・アップして、目出たくワールド・カップ・フランス大会に出場したわけです。活字だけでなく、文章も読める人が読めば分かることですがこれには前提があったのです。それは、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合い。
 以上の三点がクリアされない限り、世界の檜舞台〔W杯〕には絶対立てないという結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っているし、現時点でも同じことを書けば、「4.運、ツキに恵まれる」と、もう一項目付け加える必要さえあるとさえ考えています。

 〔日本〕サッカーの場合、理論面では「〔19〕90年以降新しい理論は生まれていない」と断言する岡田武史監督の誕生があり〔出典不明〕、中田英寿の登場で人材面はクリア〔いつも過大評価がついて回る人〕、そしてJ-リーグのダイナミズムは派閥をバラバラにして、協会内の既得権益集団へと転向させた〔関東大学ラグビー対抗戦の慶應義塾大学,早稲田大学,明治大学の三校こそ本当の「既得権益集団」だが〕。以上の変革の結果、ヨレヨレヘロヘロの状態だったとはいえ、ワールド・カップ〔本大会〕出場への道を拓いたのだと思う。

中尾亘孝『リヴェンジ』11~12頁(原文ママ)

 「ヴィエト・ナム」とか、「おやぢ」とか、ハイフンが入った「J-リーグ」とか、中黒が入った「ワールド・カップ」とか「ジョホール・バル」とか……は、中尾亘孝の文章表現上の実につまらない拘泥である。つまり、中尾亘孝は独りよがりで矮小な人間である(だから書名も『リベンジ』ではなく『リヴェンジ』なのである)。

 それはともかく、「日本サッカーは絶対W杯本大会に出場できない」と「予想」はしたものの、しかし「事実,現実」はこれを覆(くつがえ)してしまった。それでも、なおかつ中尾亘孝は自身が下した「結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っている」などと言い逃れするのは、どう考えても辻褄(つじつま)が合わない。

 要するに、俺は間違ったことは書いていない。それが分からないのは読解力のないお前ら読者がバカだからだ……と、中尾亘孝は見苦しく居直り、責任を転嫁したのだ(こういう,ナチュラルな憎まれ口を平然と書くのが中尾亘孝の品性の下劣さである)。

 こんな感じで過去の「ご託宣」の間違い、その「みそぎ」をチャチャっと済ませた(つもりの)中尾亘孝は、今度は『リヴェンジ』で、1998年サッカー・フランスW杯で3戦3敗1次リーグ敗退に終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンや日本人サポーターを愚弄し、嘲笑する「ご高説」を垂れるようになったのである。

 サッカー、なかんずく日本サッカーを、しつこくヘイト(hate)し、ハラスメント(harassment)する、その中尾亘孝の「ご高説」の逐一は細かくは紹介しないの。物好きなサッカーファンやラグビーファンは現物に当たってほしい(ただし,目次のみPDFのデータにしたので参照されたい)。
 こんな言動は、インターネット全盛の21世紀ならば炎上必至である。……ばかりか、個人情報を特定されて、中尾亘孝一個人が報いを受けても、誰からも同情されないという事態すら起こりうる。

中尾亘孝は日本語の読み書きができない与太郎である
 それでは、日本語の読解力がない(活字ではなく文章が読めない)バカなのは、読者(サッカーファンやラグビーファン)なのか、あるいは反サッカー主義者の中尾亘孝なのか、軽く検証してみる。

 先の引用文だけでなく、中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』の該当部分については、PDFデータでもアップしたので、そちらも参照されたい。
 1991年の『15人のハーフ・バックス』では、日本サッカーがW杯本大会に出られるかどうかについては、完全に「ノー」だと断言している。そして、その「原因」として例の3か条を挙げている。
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 ところが、これが1998年の『リヴェンジ』では、この3か条は、日本サッカーがW杯本大会出場を「クリア」するべき「前提」に話をスリ替えて(!)いる。自身の言行一致を取り繕うために、おかしな自己弁護に走っているのは、サッカーファンやサッカー関係者に「謝ったら死ぬ病」に罹(かか)った中尾亘孝の方である。

 ついでに、中尾亘孝が追加した「4.運、ツキに恵まれる」の項目についても説明しておくと……。1997年のフランスW杯アジア最終予選では、たしかアウェーのウズベキスタン戦で、試合終了間際の偶発的なゴールで同点に追いついたことがあり、この得点がグループリーグの最後に効いてくる……ということがあった。

 これなどは、中尾亘孝が言うように「運、ツキに恵まれ」た実例なのかもしれない。

 しかし、日本サッカー狂会を出身母体を持つサッカージャーナリストの後藤健生さんの「理論」に従えば、サッカーの場合、局面局面では偶発的な出来事が起こっても、リーグ戦(ラウンドロビンとでも言わなきゃならんのか?)の最後には、おおむね実力通りの結果に収斂されてくる。

 この「理論」は、後藤健生さんの著作『アジア・サッカー戦記』や『ワールドカップの世紀』などに出てくる話である。


 つまり、サッカー日本代表=加茂&岡田ジャパンは、1997年のフランスW杯アジア最終予選において、少なからず迷走はしたが「おおむね」実力通りの結果を出したのである。だいたい「運、ツキに恵まれ」ただけで、1998年から2018年まで、サッカー日本代表は6回連続してW杯本大会に出場などできない。

 中尾亘孝は、実は日本のサッカーのことをよく知らない。自称「日本ラグビー狂会」の中尾亘孝の本を読んでいて不思議に思うのは、反サッカー主義者にもかかわらず、「狂会」の名前をサッカーからパクっているにもかかわらず、しかし、日本サッカー狂会の後藤健生さんの著作を、まったく(ほとんど)参照していないことだ。

 このことは、中尾亘孝のことを「ラグビーの後藤健生」などというトンデモない紹介をした、佐山一郎さんも気が付いていないようである(佐山一郎さんの中尾亘孝評は「兄弟フットボールライターからの助言」として,佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 中尾亘孝は、後藤健生さんの著作を意図的に参照しないことで、日本サッカーの伸長を認めないという詐術を用いる卑劣漢なのである。

ラグビーファン=〈観客〉から見放された中尾亘孝
 なにより、中尾亘孝の、この卑怯未練な言動に嘆き悲しんだのは、他でもない、真面目で善良なラグビーファンたちだった。『リヴェンジ』における逆ギレの一件は、読者=ラグビーファンが中尾亘孝から離反していく決定的なキッカケになっていく。

 これ以降、中尾亘孝のラグビー本体の評論の質も大きく、ますます下がった。『ラグビーマガジン』や文春『ナンバー』ラグビー記事への執筆の機会も減った(たまに間違って起用されては,読者のヒンシュクを買うが)。

 中尾亘孝が編集を周旋している「狂会本」と通称されるアンソロジー形式のラグビー本からは、小林深緑郎さん、大友信彦さん、永田洋光さん、藤島大さんといった有為な常連執筆者が去っていった。昨今の「狂会本」は、ラグビーファンからは、中尾亘孝主宰の「同人誌」などと揶揄されるほど、コンテンツの質が下がった。

 このことは、本人も意識しているのかもしれない。かつて、中尾亘孝は自身の著作のプロフィール欄には「〈観客〉の立場から独自のラグビー評論を展開」するとあった。

 ところが、『リヴェンジ』の少し後から「〈観客〉の立場」を自ら放棄し、「フルタイムのラグビー・ウォッチャー」とか、先の引用文にあったように「フットボール・アナリスト」などという不思議な肩書を自称するようになっていく。

 〈観客〉たるラグビーファンから見放され、自らも〈観客〉と決別した中尾亘孝。そのラグビー観や反サッカー主義は、さらにさらに歪んだものになっていった。

(つづく)




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日本のバスケットボールに追い風が吹いている
 「gazinsaiさんッ! 日本でもバスケットボールが来ますよッ! 将来有望ですよッ!」

 ……こんなことを力説する人がいて、日本のバスケットボール事情に詳しくない当ブログは「本当かなあ?」などと半信半疑だったが、どうやら「本当」のようである。

 日本でもバスケの競技人口は多いのは知っていたが、日本代表が国際試合で勝てないだとか、国内リーグが分裂していただとか、日本バスケ当局のガバナンスが酷くて国際バスケットボール連盟(FIBA)から国際試合を禁止されたとか……。そんなネガティブな印象ばかり持っていた。

 ところが、今年の「2019年FIBAバスケットボール・ワールドカップ」のアジア・オセアニア予選を突破して本大会出場権獲得! しかも、4連敗して崖っぷちからの8連勝という劇的な展開! 開催地は中東カタールのドーハだったので、サッカーの「ドーハの悲劇」をひっくり返して「ドーハの歓喜」である。

 また、日本の八村塁(はちむら・るい)選手が、米国NBAのドラフト会議で日本人初の1巡目指名(全体9位)を受けた。2016年に始まった日本のプロリーグ「Bリーグ」の人気も好調である。

 また聞きだが、米国NBAも「FIBAバスケットボール・ワールドカップ」を重視する方向にシフトしつつあるという。

 応援のやりがいがある「日本代表」と「国内リーグ」を持てば、日本ではそのスポーツの人気が向上する……という考え方からすると、日本のバスケットボールの将来も有望である。

中尾亘孝の「日本人=バスケットボール不要論」
 さて、2019年9月はバスケットボールのW杯のみならず、ラグビーのW杯も開催される。当ブログは、中尾亘孝(なかお・のぶたか)という、いささかならずヘソの曲がったラグビー評論家の過去の言動を洗い出していたら、ちょうど30年前、1989年に展開された「日本人=バスケットボール不要論」とも呼ぶべき、傲慢な言説を発見してしまった。
こんなスポーツやめてしまえ
 日本人ほどスポーツ好きの民族はありません。ありとあらゆるスポーツが行われており、当然のことながらほとんどのスポーツが低レベルをかこっています。そのくせ勝敗にはこだわるというどうしようもない性癖を持っています。

 もし本当に、真剣に勝敗にこだわるのなら、ありとあらゆるスポーツに手を出すのをやめるべきです。

 最大の不幸は〔日本の〕バスケットにあります。〔米国のNBAを中心とした〕世界はセブン・フッター〔身長7フィート=約210センチ〕の時代です。ところが2メートルの選手さえなかなかいないのが日本です。米国だけで全日本チームより強いチームが100以上あります。このような絶望的な競技にナショナル・チームは不要でしょう。東ドイツ〔当時〕が五輪でバスケットにエントリーしない理由を知っているのでしょうか。数少ない人材、長身選手をバレーボールと取り合えば、どちらも勝てなくなるからです。

 本気でオリンピックやワールド・カップに勝とうと望むなら、こうしたスポーツを日本人がやることを止めるべきです。NBAのバスケットもカレッジ・フットボールもNFLのプロも、皆TVで見られるのです。

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』(1989年)144~146頁


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11


 じゃあ、ラグビーはどうなんだというツッコミは当然出てくるが……。
 それならば〔日本の〕ラグビーはどうか、とも言われそうですが、かろうじてチャンピオン・スポーツとしての資格をクリアしています。しかも、ラグビーで不足している人材はラインアウトのジャンパーだけです。バスケでは帯に短しの人材も、ラグビーなら充分インターナショナルのレベルなのです。もちろんバレーボールだって大歓迎でしょう。

 当該競技〔バスケットボール〕の関係者には不快な結論でしょうが、いずれ考えなければならないことです。

 好むと好まざるとにかかわらず……過去の実績、未来への展望を共に欠くスポーツをシニア・レベルで本気でやるのはそろそろ考え直すべきです。

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』(1989年)146~147頁


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】
 この年、ラグビー日本代表はスコットランドに勝って大いに話題になっていた。もっとも、この「スコットランド」はフル代表よりいくらかグレードが下のチームだったが。そんなスコットランドに1回勝ったくらいで、ここまで傲慢になれるのが中尾亘孝のクオリティなのである。

バスケットもラグビーもサッカーも…みんなガンバレ日本
 むろん、中尾亘孝のような人は、ラグビーファン・関係者のごく一部である。しかし一方、中尾亘孝のような人の言動も目立つのが日本のラグビー界で、だから、日本のラグビーファン・関係者はラグビーを偏愛するあまり他競技を見下した不遜な人が多いという、間違ったレッテルを貼られてきた。*

 しかし、ここまで蔑(さげす)まれた状況から、国内プロリーグの創設と代表チームのW杯本大会出場まで持っていった日本のバスケットボール界は、なかなか凄い。日本サッカーも「未来永劫ワールドカップ本大会に出られない」と中尾亘孝に悪口雑言罵詈讒謗を放たれたが、これを覆(くつがえ)している。

▼日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?~ラグビー狂会=中尾亘孝の放言(2019年09年01日)

 翻って、2019年ポストW杯の日本ラグビーは大丈夫だろうか?

 バスケットやサッカーは、ちゃんとした自前の国内プロリーグを持っている(さすがは「乱世の川淵三郎」だ)が、ラグビーにはそうした組織がない。ラグビーW杯が盛り上がったとして、日本国内にその受け皿はない。スーパーラグビーのサンウルブズは撤退することになったし、日本のラグビープロリーグ構想も具体化せず、まだまだ未知数だ。

 まさか、日本のラグビー当局は、その「熱気」は、早稲田大学とか、明治大学とか、慶應義塾大学といった「大学ラグビー」に還元されると思っているのだろうか? 21世紀の現在、そんなことはありえない。桜の樹から稲穂が実るわけがない

 この辺は、素人には分かりかねる。

 もちろん、当ブログは、日本のバスケットも、日本のラグビーも、日本のサッカーも…みんな頑張ってほしいと思っている。

(了)




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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会は、いよいよ今月20日となりました。ジャパンのスコッドも発表されました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時期がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時勢に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

期待される「日本代表」はラグビー?
 1989~1991年頃の日本スポーツ界の状況……。オリンピックの正式種目だった野球の日本代表にプロ野球(NPB)は関わることはなく、アマチュアのみで編成されていた。その分、国民的な関心が高かったとはちょっと言い難い。

 サッカー日本代表はアジア予選でモタモタしていて、W杯や五輪といった「世界」の大舞台に出ていけなかった(←日本のサッカーマスコミが大好きな「日本代表は○○を勝ち抜く力を持っていなかった」的な評価とは少し違う.この件,後述)。

 したがって、当時、日本のスポーツ界で、期待される「日本代表」といえば、もっぱら「ラグビー日本代表・宿沢ジャパン平尾組」(宿沢広朗=しゅくざわ・ひろあき=監督,平尾誠二=ひらお・せいじ=主将)であった。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 この「ジャパン」は、第2回ラグビーワールドカップのアジア予選を突破して、英・仏・アイルランドで開催されたW杯本大会に出場している。1991年10~11月に行われた本大会では、スコットランド、アイルランドにそこそこ善戦しながら最後は完敗。最終戦のジンバブエには勝ったが……簡単に言えば「世界の壁」に跳ね返されたのである。

 しかし、日本サッカーは「世界と戦う」ことすら出来なかったのだから、サッカーファンは心境は複雑であった。

本来は小林深緑郎氏が書くべきだった『15人のハーフ・バックス』?
 この大会の直前、1991年9月に満を持して刊行されたのが、「日本ラグビー狂会」または「ラグビーの〈目利き〉」を自称する、中尾亘孝(なかお・のぶたか)による『15人のハーフ・バックス』である。

 公平に見て、この本は中尾亘孝のラグビー関連著作の中でも最も力の入ったものである。もっとも、コンテンツに必要な情報やデータは、ほとんど、日本ラグビー論壇の良心=小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)氏らから提供されたものだが。

 中尾亘孝本人は、自身ではめったに現場に足を運んで取材しない。すなわち『15人のハーフ・バックス』は、本来、小林深緑郎氏によって書かれ、上梓されるべき本だった。そうはならなかったのは、辛辣で刺激的にみえる中尾亘孝の思想や語彙、文体が(当時のラグビーファンの)読者にはウケが良いだろうという版元の読みがあったからである。
前回のエントリーから…
▼ラグビー宿沢ジャパン衝撃の登場と反サッカー主義者=中尾亘孝の台頭(2019年08月28日)

 1989年、いきなりスコットランドを破って注目されたラグビー日本代表「宿沢ジャパン」。それに合わせたかのように中尾亘孝はラグビー論壇にデビューする。だが、その内容は刺激的なラグビー評論と醜悪な反サッカー主義が入り混じった異様なものだった。
 一方、そんな中尾亘孝の個性が、イヤラシイ形で表出しているのが、『15人のハーフ・バックス』本文のあちらこちらから滲(にじ)み出る「反サッカー主義」である。

日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られない!?
 その逐一は紹介しないが、今回の採り上げるのは、同時期に世上の話題に上った、日本サッカーのプロリーグ化構想(現在のJリーグ)に対する、中尾亘孝の言及である。

 『15人のハーフ・バックス』を脱稿しようかどうかというタイミングで、この話が沸き上がってきたものだから、反サッカー主義のラグビー評論家=中尾亘孝としては、ついつい茶々を入れずにはいられない。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

 日本サッカーのプロリーグは成功するのか? サッカー日本代表はアジア予選を勝ち進んで、W杯本大会に出場できるのか? 中尾亘孝は居丈高に答える。
サッカーはW杯に出られるか
 ここで……看過できない問題が発生したので触れてみようと思います。

 それはサッカーのプロ化〔Jリーグ〕です。〔略〕

 ……〔日本の〕サッカーがW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。

 それでもこうした閉塞状況は、たった一人の天才の出現によって解消してしまうものですから、簡単には見放せないものです。

 当面の大問題をさし置いて、ほとんど無謀ともいえるプロ化に取り組むサッカー協会〔JFA〕は、意外な決断力と実行力を見せてくれました。これほどのリーダー・シップがどうして代表チーム強化の際に発揮できないのか、傍目からはさっぱりわからないのですが、それでも現状改革に心掛けているだけマシです。

 プロ化構想発表から実行までの移行期間が短すぎる点に、ナニやら公表されていない背景がありそうです。とまれここは、大いに手心を加えて前向きに考えてみましょう。サッカー界がこれほどまでに劇的な改革を必要とする理由は「もっと強くなりたい」という願望からなのはだれの目にも明らかなのですから。

 でも、「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーをプロ化すればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。こうすれば、あれよあれよという間に、規格外れの天才がどんどん生まれてくるというわけでしょう。〔以下略〕

中尾亘孝『15人のハーフ・バックス』237~239頁
 さらにこの後、中尾亘孝は「Jリーグは絶対に失敗する」という話を延々続けるのだが、今回は割愛する。サッカーへの敵意丸出しの上から目線には本当にウンザリさせられる。

 中尾亘孝の本当のイヤラシサは元の書面に当たってこそ、より深く味わえる。『15人のハーフ・バックス』の該当部分はPDFにしてアップしたので、詳しくはそちらを参照されたい。
 時勢に乗じた、反サッカー主義者による、まことに傲岸不遜な「ご託宣」である。

ドーハの悲劇,ジョホールバルの歓喜、ブルームフォンテーンの悪夢
 ラグビーがサッカーに優越していた1991年当時、中尾亘孝の「ご託宣」は、いかにももっともらしく聞こえた。しかし、間違っていたのは、読者も承知の通りである。

 [1991年]1989年のイタリアW杯アジア予選の敗退など、あまりの成績不振で、サッカー日本代表の横山謙三(よこやま・けんぞう)監督に対して、サッカーファン、サポーターから解任要求運動が起きる(俗に言う「横山やめろ」運動)。

 [1992年]横山謙三監督、ついに辞任する。

 [1992年]サッカー日本代表初の外国人監督として、オランダ人のハンス・オフト氏が就任する。

 [1992年]8月、オフト・ジャパン(当時からの習慣ではないが,便宜的にこのように呼ぶ)が、韓国、中国、北朝鮮などに競(せ)り勝って、東アジアの王者に。サッカー日本代表は、戦後初の公式タイトルを獲得する。

 [1992年]10~11月、オフト・ジャパンが、イラン、中国、サウジアラビアを破ってAFCアジアカップで初優勝。最優秀選手は日本代表の三浦知良。翌年のアメリカ合衆国W杯アジア予選でも、日本が有力候補として躍り出る。

 [1993年]10月、オフト・ジャパン、アメリカ合衆国W杯アジア最終予選で3位。いわゆる「ドーハの悲劇」でW杯本大会出場権獲得は逃すが、ギリギリもう一歩まで迫った。

 [1996年]サッカー日本五輪代表、アジア最終予選を突破してアトランタ・オリンピック本大会の出場権を獲得。五輪本大会では、1次リーグでは、いわゆる「マイアミの奇跡」でブラジルを破る金星を上げる。

 [1997年]11月、サッカー日本代表=岡田ジャパンは、フランスW杯アジア予選第3代表決定戦でイランを下す。いわゆる「ジョホールバルの歓喜」で、日本はサッカーW杯本大会の出場権を初めて獲得した。

 ……日本代表を中心に、それからの日本サッカーの大まかな流れを折っていくと、以上のようになる。日本サッカーは未来永劫ワールドカップに出られないという「ご託宣」は、たった6年で打破されたのである(本当はもっと早く打破できるはずだった.後述)。

 この中尾亘孝発言がいかにも不味かったのは、サッカー日本代表がW杯本大会に出場できる確率は「ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低い」などと放言してしまったことだ。

 なぜなら、1995年、南アフリカで行われた第3回ラグビーW杯で、皮肉なことに、ジャパンはオールブラックスと対戦し、17対145(!?)という大惨敗を喫してしまったからだ。この惨めな試合を、人呼んで「ブルームフォンテーンの悪夢」と呼ぶ。

ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームブルームフォンテーンの悪夢】

 この試合をあえてサッカーにたとえれば、ドイツかブラジルを相手に、2分に1本の割合でシュートを打たれるか、フリーキックかペナルティキックかコーナーキックを与えるかして、90分間フルタイムで23~24失点する(!?)ようなものだ。

 この敗北で、日本ラグビーは二度と立ち直れないかのようなダメージを負った。

 真面目なラグビーファンには申し訳ないけれど、こと反サッカー主義者の中尾亘孝一個人に関しては「因果応報」という言葉を思い出してしまう。

横山全日本…停滞の時代の罪
 日本サッカーは、オフト・ジャパンになってから急に強くなったようにも見えるが、これは正しくない。

 1980年代、日本のサッカーは、1985年にメキシコW杯アジア最終予選まで進出した森孝慈(もり・たかじ)監督の日本代表(森全日本)、1987年にソウル五輪アジア最終予選まで進出した石井義信(いしい・よしのぶ)監督の日本代表(石井全日本)……と、曲がりなりにも「良い流れ」を作っていた。

 ところが、これを継承した横山謙三監督のサッカー日本代表(横山全日本,1988~1992年)は「流れ」を停滞させてしまった。横山監督が、山っ気に走らず、しかるべき指導力を発揮していれば、1989年のイタリアW杯アジア最終予選には進出できた。

 最終予選は6か国総当たりで、たとえ全敗でも5試合経験できる。それだけの「経験値」があれば、サッカー日本代表は「ドーハの悲劇」もなく、1994年のアメリカ合衆国W杯本大会に出場できていたかもしれない……。

 ……こう言っていたのは、たしかブログ「サッカー講釈」の武藤文雄氏だったような気がするが、インターネット上でソースが見つからない。武藤氏がネット進出以前のコピー刷りのミニコミ誌の時代だったか?

 スポーツの勝負事に「タラレバ」はないというが、タラレバ談義を上手に突き詰めれば、これは立派な敗因分析になると述べていたのは、中尾亘孝だったはずである(たしか1989年刊の『おいしいラグビーのいただきかた』だった)。

 要するに、中尾亘孝が「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップに出られない」と大見得を切ったのは、横山全日本の「停滞」の時代である。つまり、この人は「目利き」を自称する割には、日本のサッカーに関して、大変な鑑定違いをおかしてしまっていたのだ。

意外と日本サッカーを知らない(?)中尾亘孝
 ダメ押しに、サッカー日本代表が絶対にW杯本大会に出られない条件として、中尾亘孝が掲げていた3か条のひとつ「日本独自の理論の不在」の正否について、軽く検証してみる。

 この「日本独自の理論」というのがサッカーファンには分かりにくいが、具体的に日本ラグビーでいえば、大西鐡之祐(大西鉄之祐)氏が提唱した「接近・展開・連続」理論に基づいたのオープンラグビースタイルのような戦法のことである。



 それでは、サッカーにそのようなプレースタイルが存在しないのか……というと、それは正しくない。しかも、その萌芽は第二次世界大戦前から見られた。1936年「ベルリンの奇跡」のメンバーのひとり、サッカー日本代表・松永行(まつなが・あきら)選手が、大会後、体育専門誌に寄せた一文がある。
 ……ショートパスの速攻法をあくまでも伸ばし、之〔これ〕に加へるに遅攻法をとり、緩急よろしきを得て、始めて日本蹴球の完成の時は来るのであると同時に、この時こそ世界蹴球覇者たり王者たる時なのである。〔以下略〕

松永行「オリムピック蹴球の回顧」『体育と競技』1936年11月号69~72頁


ベルリンの奇跡 日本サッカー煌きの一瞬
竹之内響介
東京新聞出版局
2015-11-23


 この文章が「再発見」されたのは、Jリーグ以降の日本サッカー史の見直しからだった。そうだとしても、中尾亘孝という人は、英国のラグビー史・サッカー史にはそれなりに詳しくても、日本のサッカー史は意外に調べていない、知らないようである。

偏屈な中尾亘孝は日本サッカーに対して謝罪するか?
 とにかく、中尾亘孝の「ご託宣」は実践でも理論でも完全に間違っていたのである。

 「ジョホールバルの歓喜」の後、少々意地の悪い興味ではあったが、真面目なラグビーファンやサッカーファンからは、中尾亘孝が自身の誤りを認めることと、日本サッカーへの真摯な謝罪が求められた。

 ところが、この人はさらに底意地の悪く、自身の非礼を一切合切謝罪しない人間だったのである。そんなわけで、中尾亘孝への糾弾は今回限りでは終わらない。

つづく




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はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと1か月を切りました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時代がありました。

日本ラグビー激闘史 2010年 12/8号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2010-11-24


 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や選手権制度の原理的否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時流に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

ラグビー宿沢ジャパン,スコットランドを破る!
 1989年5月28日、サッカー日本代表はジャカルタでインドネシア代表とイタリアW杯アジア1次予選の試合を行い、引き分けている。スコアは0対0。2019年の今、アウェーとはいえ、この相手にこんな試合をしたら大問題になる。監督解任論ぐらいは出るだろう。

 ただし、この試合、当時の日本ではサッカーファンを除いて、ほとんど無視された。

 同日、日本中の注目を集めた日本代表はラグビーフットボールの方だった。宿沢広朗(しゅくざわ・ひろあき)監督、平尾誠二(ひらお・せいじ)主将率いるジャパン(ラグビー日本代表)が、東京・秩父宮ラグビー場でスコットランド代表を28対24で破ったのである(ただし正規のフル代表ではなかったらしいが)。

 (それでも)ラグビーの世界トップ8の一角に初めて勝利したのである。NHKも午後7時のニュースで特報した。ちょうど、2015年のラグビーW杯でジャパンが世界トップ3の南アフリカ代表スプリングボクス(こちらは正真正銘のフル代表)に勝った時のような、ちょうどあんな感じである。国民レベルでラグビーの話題で湧きかえった。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 サッカーファンは、国内人気ばかりでなく、日本代表の活躍・実績でもラグビーに差を付けられたのか……と、少なからず複雑な心境になった。

中尾亘孝、ラグビー論壇に登場す
 そんな世上に、宿沢ジャパンの衝撃的な登場に合わせるかのように、デビュー作『おいしいラグビーのいただきかた』をひっさげて、ラグビー論壇に颯爽と登場したのが、中尾亘孝(なかお・のぶたか)だった。
ラグビーシーズン到来!

関係者が蒼ざめる最初にして最後の本

オキテ破りのラグビー観戦術〔マニュアル〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』表紙の帯より


中尾 亘孝
徳間書店
1989-11


 そのキャッチフレーズからして、なかなか挑発的であるが、同書の「まえがき」を読むと、同時代のラグビーファン・関係者の感慨と日本ラグビーの状況が読み取れる。
まえがき
 のっけからあとがきの話をするのも変なのですが、この本〔『おいしいラグビーのいただきかた』〕の出版が決まった時〔1988年頃か〕ぼく〔中尾亘孝〕の考えたあとがきというのが、「いつの日か日本代表がIB加盟国〔ラグビーの世界トップ8の代表チーム〕を倒す時、ぼくは同じ空間と時間を共有し歴史的瞬間に立ち会う感動を味わいたい」というようなものでした。

 ところが1989年5月28日、早くもその夢が実現してしまったのです。日本代表はスコットランド代表に勝ってしまったのです。ほんとに勝ってしまった。もちろんぼくはその日秩父宮ラグビー場にいました。歴史的瞬間、明らかに決定的と言える一瞬に立ち会えて、しかもその意義が認識できているという幸福、不覚にも涙を流しそうになりました。〔中略〕(太字は原文では傍点)

 さて。

 とどまるところをしらないラグビー・ブームです。まったく行く末が思いやられるほどです。〔以下略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』6~7頁


中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】
 とにかく当時、サッカーはラグビーにいろいろ差を付けられちゃったわけである。

新鮮なラグビー評論と醜悪な反サッカー言説の混在
 ラグビージャーナリズムの世界はかなり保守的で、ラグビー界本体はさらに保守的で頑迷固陋なので、中尾亘孝のラグビー評論の登場は、新鮮かつ刺激的であった。本人もそのことを充分に意識している。
あとがき
 ここ十年、'80年代になってからスポーツ文化史に残るような新しい試み、著作が各分野で相次いで刊行されました。

 プロ野球では野村克也氏の解説を嚆矢に、草野進〔蓮實重彦〕、玉木正之、平出隆の諸氏のエッセイが光っています。プロレスでも村松友視氏のエッセイが火付け役となって、新しいジャーナリズムの動きを作り、プロレス自体の在り方までに影響を及ぼすに至っています。競馬はもともと多士済々な作家、ジャーナリストの……〔中略〕

 ラグビーにもそろそろこういった著作があってもいいじゃないかと思っていました。しかし、自分〔中尾亘孝〕でそれを書こうとは〔…〕夢にも思いませんでした。〔以下略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』230~231頁
 1980年代の玉木正之氏の野球評論が面白かったことは間違いない(しかし1990年代以降は完全に駄目になった)。草野進〔蓮實重彦〕は衒学趣味と俗物主義である。それよりはずっとましだが平出隆氏は少々キザったらしいロマン主義がある。

 一方で鼻につくのが、中尾亘孝の反サッカー主義的な言動である。

 例えば……。当時のラグビーは抑制的かつ禁欲的で得点しても選手は喜んだりしなかった。それを誇って、サッカーの得点後のゴールセレブレーション(ゴールパフォーマンス,得点の喜び)は醜悪であるとか(同書19頁)。

 あるいは……。サッカーのスライディングタックルは芝生を傷めるから、ラグビーはサッカーとピッチを共用する必要はないだとか(同書201頁)。

 これらはほんの一部であるが、中尾亘孝の反サッカー思想・反サッカー言説のニュアンスのイヤラシサは、間接的な紹介では伝えきれない。やはりその実物を読むに限る。物好きなサッカーファン、ラグビーファンは『おいしいラグビーのいただきかた』や『15人のハーフ・バックス』などを読んでみるとよい。

 中尾が「間違っていた」のは、ラグビーも1995年アマチュアリズム(国際ラグビー評議会のアマチュア規定)を止めたら、素直に「得点の喜び」を表すようになったことでも分かる(下記リンク先参照)。

 芝生を傷める云々の話ならば、ラグビーでスクラムを組んでいる時も同様である。お互い様である。明治時代から一度として競技人口でサッカーを上回ったことのないラグビーが、必要なスタジアムやピッチを確保するために戦略的パートナーシップを結べそうなサッカーを、わざわざ敵に回す言動をとる……というのが、この時代の世上であった。

 2019年ラグビーW杯日本大会で、巨大なサッカー専用スタジアム「埼玉スタジアム2002」を使用できなかったのは、ラグビーに貸すとスクラムで芝生を傷めるからだと言われた。そしてそれは、昔、ラグビー関係者にいろいろ嫌なことを言われたり、やられたりしたことへのサッカー側の意趣返しである……などという無責任な「噂」まで流れている。

「ラグビー本流/サッカー傍流」論争を仕掛ける
 中尾亘孝の反サッカー主義の最たるものが、「サッカーから枝分かれしたラグビー」という世間一般のイメージを逆転させた、ラグビーこそが英国前近代のフットボールの正統なる継承者であり、サッカーはその矮小な傍流にすぎないとするフットボール正閏(せいじゅん)論「ラグビー本流/サッカー傍流」説である。

 中尾は、『おいしいラグビーのいただきかた』のまるまる一章を、この説の「論証」に費やしている。

 この件は、前回のエントリーで詳述したので、そちらを参照されたい。
前回のエントリー
▼ラグビー狂会=中尾亘孝の反サッカー言説~サッカーこそラグビーの傍流にすぎない!?(2019年08月20日)

 自称「日本ラグビー狂会」で反サッカー主義者の中尾亘孝(なかお・のぶたか)が主張する「ラグビーこそが,前近代英国フットボールの正統な後継者であり,サッカーはその矮小な傍流にすぎない」という仮説が、どこまで妥当なのか検証してみた。
 老舗和菓子の元祖・本家争いのような、唯一の正統なるフットボールとは何かを標榜する中尾亘孝の政治的アジテーションこそ意味がない。

中尾亘孝は村松友視氏のプロレス評論から何を学んだのか?
 先の引用文にあるように、中尾亘孝は、『私、プロレスの味方』などの村松友視氏のプロレス評論に影響を受けたという。

 村松氏は、自身をドン・キホーテのような存在と位置付け、プロレスをクローズアップさせ、その価値を言いつのったとしている(村松友視『アリと猪木のものがたり』より)。

アリと猪木のものがたり
村松 友視
河出書房新社
2017-11-20


 しかし、村松氏は、ボクシングや柔道といった他の格闘技、野球やサッカーといった他のスポーツを殊更に貶めたり、そのファンを不快がらせるようなことは書かない。

 一方、中尾亘孝は、他の球技なかんずくサッカーのような兄弟フットボール、あるいは同じラグビーであっても、関東学院大学や帝京大学のような新興大学といった「中尾亘孝自身の論理の外にある存在」を著しく不快がらせる、異様な言説を繰り返し発信してきた。

 この不徳さは、皮肉を込めて、ある種の「天才」と言ってもいい。

 中尾は、1990年代初め、本邦スポーツジャーナリズム界の一大権威、文春ナンバーのラグビーシーズン総括評論を書く機会をたびたび与えられていた。つまり、中尾もまたラグビージャーナリズムのオーソリティーでもあった。日本サッカー狂会の真似をして「日本ラグビー狂会」を名乗ったのもこの頃である。

 このことは、かえってラグビーの価値を大きく歪めることにもなった。

 ラグビーファンや関係者は、不遜で、サッカーをはじめとする他のスポーツ、あるいは同じラグビーでも新興勢力を見下している……。

 ……こんなイメージを人々に刷り込ませた中尾亘孝の罪は重い。

つづく



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