スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:ワールドボースボールクラシック

野球の記録で話したい : WBCでアメリカが弱く、他国が強いわけ

 2016年11月にシカゴで行われた、ラグビーユニオンのニュージーランドvsアイルランド戦は超満員だった。広大な国土の土地柄にもよるだろうが、アメリカ人がスポーツの国際試合そのものに関心が薄いということはないと思う。

 もっとも、野球の代表チームによる世界大会=ワールドベースボールクラシック(WBC)の話題を追いかけていると、アメリカ人ってのはスポーツの国際試合・世界大会を企画するのが本当に下手糞だと思う。英国人やフランス人に教えてもらえばいいのに。

 MLBアメリカ大リーグは、すでに全く充足している。今さらアメリカ合衆国は代表チームでWBCの優勝をガムシャラに狙う必要などないと言う……。

 ……しかし、その割にはヨーロッパ進出の夢だけは諦めきれないらしいなあ。MLBもかなわない唯一の「敵」が、ヨーロッパである。

 野球がヨーロッパでも普及・定着していたら、WBCも違った盛り上がりを見せたかもしれない。

 MLBの欧州開催の話題は、以前から出ては消え、出ては消え……の、オオカミ少年みたいな話題だった。今度こそ本当にやるのかしら?

 ヨーロッパ人は野球(ベースボール)を享けつけないかというと、そんなことはない。それを認めたら玉木正之氏の文化本質主義的な議論と同じになってしまう。

 かつてイングランドサッカーのダービーカウンティFCの本拠地の名前が意外にも「ベースボールグラウンド」だった。なんでまた?

 昔、英国にもアメリカの球技「野球」のセミプロリーグがあり、それなりに人気があった時代があった名残りである。この英国野球リーグの話は軍司貞則氏の『もうひとつの野球~ヨーロッパ球界地図』(1980)に出てくる。
欧州地図_ベースボール
軍司 貞則
ベースボール・マガジン社
1980-07
もうひとつの野球―バルセロナ五輪序曲 (集英社文庫) [文庫]
軍司 貞則
集英社
1991-03

 しかし、1929年の世界大恐慌でダメになったらしい。似たような話でアメリカ合衆国のプロサッカーリーグが同じく大恐慌で活動休止に追い込まれたという。本質的に、ヨーロッパは野球不毛の地ではないし、アメリカ合衆国はサッカー不毛の地ではない。

 むろん、日本だってサッカー不毛の地ではないし、野球とベースボールの違いが云々などというのはつまらないレトリックである。

 野球も、サッカーも、バスケも……スポーツ各種目はそれぞれゲームとしての「固有の面白さ」を持っており、比べてどちらが面白い、どれが面白いかという議論は愚劣である。

 しかしながら、どんなスポーツを面白く感じるかどうかは、そうした「固有の面白さ」とは別の要素もある。

 日本サッカー冬の時代にファンを引き付けた要素に、世界で最も人気があるスポーツであるという、サッカーの世界選手権=ワールドカップはオリンピックより人々を熱狂させるという触れ込みがあった。

 してみると、ヨーロッパ人が野球の持つ「固有の面白さ」を理解するかどうかとは別の問題をはらんである。

 国内リーグであるMLBだけで「ワールドシリーズ」(世界選手権)を自称し、本音ではMLBがWBCをに敬意を示していない「野球」という競技を、国家・民族の代理戦争(笑)を一世紀半も繰り返してきた英国・ヨーロッパが、享け入れるのか否か。

 この点は非常の興味がある。スペインのレアルマドリードだって、Jリーグの鹿島アントラーズに勝って初めて世界選手権となったのである。

(了)


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野球の記録で話したい : え?WBCが来年を最後に終わりそうだって?

 近代スポーツの二大流派といえば、英国(文化圏としては欧州、中南米、英連邦など広範囲)と米国とがある。この2つのスポーツ文化の比較は、昔から行われてきた。

 例えば、片や質素で勝負にシリアスな英国・欧州流のサッカー・ラグビー文化、こなたショービジネスのような趣向の米国スポーツ文化……。
サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02

 上記の比較論の代表が、動物学者デズモンド・モリスの『サッカー人間学‐マンウォッチング2』である。ちなみにスポーツライター玉木正之氏は、この本があまりお気に召さなようである。その理由はいずれ論じてみたい。

 あるいは、片やオープンリーグの英国スポーツ、こなたクローズドリーグの米国スポーツという比較論もある。

 日本が直接の比較対象にならない比較論なら面白い。さまざまあるが、当ブログはあることを思いついた。
  • 片や、国内だけで「国際試合」をやってしまう=英国のスポーツ
  • こなた、国内だけで「世界選手権」をやってしまう=米国のスポーツ
 サッカーはイギリス(英国)生まれのスポーツ……と聞いて育った。しかし、サッカーのワールドカップにはなぜかイギリスが出ていなかった。とても不思議だった。その代わりイングランドやスコットランドの名前を見つけた。

 昔、五ヶ国対抗ラグビー(シックスネーションズの前身)の試合のテレビ中継が、土曜日の昼下がりにNHKで気まぐれに土曜日で放送されていた。その五ヶ国って……? フランス以外は、アイルランドを含めた英国で4ヶ国だった。とても不思議だった。

 一方、アメリカ合衆国。たかだか国内リーグのプレーオフを「世界選手権」、その勝者を「世界チャンピオン」と呼ぶのは、不思議を通りこして考えれば考えるほど異常である(異論は認めない)。

 どちらも不遜なのだろうが、他国にとっては英国流の方がはるかにましである。代表チーム(ナショナルチーム)による国際試合・国際大会(世界大会)がオーソライズされ、成果をあげれば正当に評価されるからだ。

 最近のラグビー日本代表のように、南アフリカに勝ったり、ウェールズにもう少しで引き分けたりの善戦をしたりすれば、その分、敬意を表される。

 一方、米国で育まれたバット&ボールゲーム=野球は、2006年まで代表チームによる国際試合・国際大会=ワールドベースボールクラシック(WBC)がなかった。しかし、オーソライズされていない。負けたら負けたで駄目だと言われ、勝ったら勝ったでむしろ冷笑的な評価を下されるという、まことにもって不思議な世界大会なのである。

 それどころか、その機会すら消滅するかもしれないという。

 この手の話題を見るたび聞くたびに、野球を国民的スポーツにしてしまった日本の近現代史150年は壮大な無駄だったのではないか。そんな徒労感がわく。今からでも遅くないから日本はスポーツの人材をサッカー、ラグビー、バスケットその他に注ぐべきであろう。

 あるいは、どうしても日本にバット&ボールゲームを残したいなら、今からでも遅くないからクリケットに転向するのがいいだろう。がんばって成果をあげればラグビー日本代表みたいになれるだろう。

 野球が日本人の国民的スポーツになった理由が歴史的・文化的な必然であったなら、日本そして日本人は呪われた民族なのかもしれない。

 スポーツライター玉木正之氏は必然派の代表である。だから、例えば大化の改新のキッカケも蹴鞠ではないのだと断言する……。

 ……それは違いますよ、野球が日本随一の人気スポーツになったのは単なる歴史の偶然ですよというのが当ブログの立場である。この点についてはこれからもしつこく続けていくつもりである。

(了)


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