スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:ロシアW杯


「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」への変更
 2018年12月8日、地上波の総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒 日本vs.ベルギー 知られざる物語」。放送当初から傑作の呼び声高く、同年12月30日、衛星波のBS1スペシャルで、放送時間を2倍に延長した「完全版」(ディレクターズカットとの説もあり)として放送されると触れ込みだった。

 しかし、サブタイトル(副題)等、なかなか決定が出ず、12月25日にようやく「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」とネット上で発表された。テレビの電子番組表(EPG)にその情報が反映されたのは、さらに1日経ってからである。
12月30日(日) 午後9時00分
BS1スペシャル「ロストフの死闘 日本vs.ベルギー 知られざる物語」
7月、ロシア・ロストフアリーナで行われたサッカーW杯ベルギー戦。日本は2点を先制するが、終了間際の超高速カウンターでベスト8の夢を打ち砕かれた。選手や監督の証言から浮かび上がってきたのは、一瞬のうちに交錯した判断と世界最高峰の技術、巧妙なワナと意外な伏線。人生を賭けた男たちが全力を尽くし生まれた壮絶なドラマだった。NHKスペシャル「ロストフの14秒」に未編集素材を加えた完全版であの死闘を再現する。

【語り】松尾スズキ

NHK-BS1スペシャル「ロストフの死闘」トップ
【BS1スペシャル「ロストフの死闘」ウェブサイトより】
 サブタイトルは「ロストフの14秒」から「ロストフの死闘」に変更となった。番組のナレーション担当も「14秒」の山田孝之氏(俳優)から、「死闘」では松尾スズキ氏(俳優)に変わった。

 二番煎じな感じを逸(そ)らすためなのか? 「14秒」では、最後の失点ばかりに視聴者の注目がいくと制作側が判断して「死闘」と変えたのか? 「ロストフの14秒」というタイトルは、かつてのNHK特集のスポーツドキュメンタリーの傑作「江夏の21球」のオマージュだと言われたが、実は制作側にそのような意図はなく、あえて敬遠したのか?

 いずれにせよ、この辺の事情は外部の一介の視聴者にはよく分からない。

「ロストフの14秒」の過大視は日本サッカーのミスリードを招く???
 それにしても、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表を、決勝トーナメント1回戦のベルギーvs日本戦「ロストフの14秒」のみをクローズアップしてしまうのは、実は危ういのではないか。日本サッカーにミスリードを招くのではないかと、余計な心配をしてしまう。

 思い出してほしいのだが、2018年のサッカー日本代表は(柳澤健氏みたいだね)、4月、フランス国籍の外国人監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏が突然更迭されるという「事件」から始まった。ハリル氏更迭の裏には「陰謀」があったのではないか? その力学に担い手は、日本サッカー協会? 電通? アディダスジャパン? キリン? KDDI? 本田圭佑? 香川真司? ……??? サッカーファンはみんな疑心暗鬼になった。

 事の真偽はともかく、ともかくこの一件で熱心なサッカーファンほど白けてしまった。ロシアW杯でも、前回の2014年ブラジルW杯のように3戦全敗するだろう。日本代表は、どうせ惨敗して逃げ帰ってくるさ(本田圭佑は,また逃亡するさ)。1次リーグの対戦相手、コロンビアも、セネガルも、ポーランドも、みんな日本を圧倒する。敵国のエース、ハメス・ロドリゲスも、マネも、レバンドフスキも、みんな日本の守備陣をズタズタにするだろう。みんな、そう思っていた。

 ところが、日本代表は下馬評をくつがえし、初戦コロンビアに勝ち、次戦でセネガルと引き分け、第3戦ポーランドとは一か八かのギャンブルと驚くべき「ゲームズマンシップ」を発揮して、1次リーグを突破した。その延長線上に、あのベルギー戦「ロストフの14秒」が来るのである……。

 ……だとすれば、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の総括と検証の対象は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきだ。個人的には、ベルギー戦よりポーランド戦の方がずっと興奮した。あのポーランド戦の「談合試合」は、スポーツマンシップとゲームズマンシップがせめぎ合う非常に興味深い試合だった。NHKスペシャルは、この試合も採り上げるべきだった。

 この「談合試合」には、いろんな意見があっていい。しかし、日本代表はスポーツマンシップに悖(もと)ると一面的に避難している日本の有識者たちは、「ゲームズマンシップ」という概念を、そもそも知らずに論評しているのではないかと思う。

 また、日本はポーランドに勝ち切る力量がなかったと、自嘲気味に日本代表を非難している日本の有識者たちは、そもそもポーランドが既に2敗していて「せめてもの1勝」を確保するために、日本との談合に応じたことを忘れている。

 話を戻して、ベルギー戦は日本にとって「兵站線〔へいたんせん〕が伸びきった試合」であった(1936年ベルリン五輪の「日本vsイタリア」戦も同様の情況)。両国の位置づけも、車のレースにたとえれば、片やベルギーは本気で総合優勝を狙ってくるプロトタイプのワークスマシン、こなた日本は市販車改造クラスでエントリーするプライベーターくらいの違いがあった。

 つまり、「ロストフの死闘」とは言うが、1970年メキシコW杯の「イタリアvs西ドイツ」戦、1982年スペインW杯の「西ドイツvsフランス」戦、1986年メキシコW杯の「フランスvsブラジル」戦のような、ワールドクラス同士の「死闘」とはまた違うのである。

 やはり、2018年ロシアW杯のサッカー日本代表(西野ジャパン)の検証は、1次リーグ3試合+ベルギー戦であるべきではなかったか。ベルギー戦のみの過大視は日本サッカーのミスリードを招きかねないのではないか。

 次回のW杯、カタール大会の本大会には出場すると仮定しても、日本代表は1次リーグを突破できる確度は、まだまだ低いからである。

「オシムの言葉」は正しくないと言ったら正しくない
 NHKスペシャル「ロストフの14秒」、BS1スペシャル「ロストフの死闘」では、いろんな人がコメントしていたが、最も印象強く、しかし違和感があったのはイビチャ・オシムさんのコメントだった。

 試合終了間際、ベルギーのカウンターアタックを受けた時、守りに入っていた日本代表の山口蛍選手がなぜファウル覚悟でタックルに行かなかったのか? ……という問題のシーンについてのオシムさんの発言である。

 以下、該当する発言を「ロストフの14秒」の字幕からテキストに起こす。
〔山口蛍は〕足元に飛び込んで ファウルするしかなかった
それはスポーツマンシップに反する行為で レッドカードになったと思うが
故意のファウルは日本人らしくない
確かにフェアプレーを重視することで 日本人は損をすることが多い
多すぎるかもしれない いや 間違いなく多いだろう
望ましい結果〔勝利〕が得られなくても それが日本人なのだ

元日本代表監督 イビチャ・オシム

イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から
【イビチャ・オシム「ロストフの14秒」から】
 日本人はスポーツにおいてフェアプレー(スポーツマンシップ)重視で、「ゲームズマンシップ」が欠落しており、それで損をすることが多い。これは日本人の国民性である(だから,克服できない?)というのだ。

 しかし、2011年女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」の岩清水梓(いわしみず・あずさ)選手のように、実に感慨深い「ゲームズマンシップ」(故意のファウル)を発揮して、日本を勝利に導いた例がある。

 こうした事例を検証することなく、オシムさんは「間違いなく多い」などと断言してしまうのだ。

 もっと深刻なのは、ツイッターなどを観察すると、オシムさんの発言を鵜呑みにしている日本人が多いことだ。これこそ「権威に従順な日本人の国民性」で、サッカーにふさわしくないメンタリティである。

 日本の将来が心配になる。

 日本人はコレコレといった国民性、日本人らしく、日本人らしさ……という決め付けが、かえって日本サッカーの可能性を狭めている(狭めてきた)のだ。

 オシムさんの発言を批判した人がはいないのかと思って探したら、少なくとも1人いた。サッカーファンのたまり場としても有名だった、ペルー料理店「ティアスサナ」の江頭満店長である。
オシム監督、それって日本人に対する観察が浅くないですか?




 流石である。いかに「オシムの言葉」でも「日本人」はもう少し、それを批評的に受容するべきではないのか。

 ティアスサナは、2018年いっぱいで閉店してしまう。実に残念なことである。

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

「ロストフの14秒」と「江夏の21球」
 2018年12月8日にNHK総合テレビで放送したNHKスペシャル「ロストフの14秒~日本vs.ベルギー 知られざる物語」は、スポーツドキュメンタリー番組の傑作として早くも評判が高い。年末12月30日には、BS1スペシャルとして放送時間拡大の完全版として放送されるという。一説に、そのタイトルは1983年に放送したNHK特集「スポーツドキュメント~江夏の21球」を意識した命名だと言われいている。

 NHK特集「江夏の21球」は、ドキュメンタリー番組の傑作としての評価が非常に高く、これまで何十回も再放送され、また市販のソフト化も何度もなされてきた。

NHK特集 江夏の21球 [DVD]
ドキュメンタリー
NHKエンタープライズ
2010-10-22


江夏の21球 [VHS]
江夏豊
ポニーキャニオン
1989-11-21


 何の因縁か、今年2018年もまた「江夏の21球」は、10月28日にNHK総合テレビ「あの日あのときあの番組~NHKアーカイブス」の枠で再放送された。しかも、あの江夏豊氏本人がゲストとしてNHKの番組に出演、コメントするという素晴らしい特典つき。これは絶対に視聴せねばならないとならぬと、録画予約をした。


 実際「江夏の21球」は何度見ても面白い。視聴した後、ツイッターで番組の反応を見てみた。すると、おそらく初回放送当時は知らない若い人だと思うが「こんな凄いスポーツドキュメンタリー番組は、NHKだから制作できるのであって、民間放送(民放,特に地上波)には出来ないのではないか」というツイートがあった。


 おっしゃる通り。「江夏の21球」」でも「ロストフの14秒」でも、(少なくとも昨今の)地上波民放テレビは、これだけの番組は作れなくなっている。それが証拠に……。

日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかった
 それが証拠に……。あなたは今年2018年のサッカーW杯ロシア大会の「総集編」を、テレビで御覧になりましたか? いや、そう言えば見ていないな、という人が多いはずだ。日本のテレビ局は「事実上」ロシアW杯総集編を放送しなかったからである。





 サッカーファン・視聴者の中には、実際にNHKにW杯総集編の放送をしないのか問い合わせた人がいる。しかし、帰ってきた返事は「ワールドカップの総集編につきましては、総合的な判断から、今回放送する予定はございません」という冷淡なものだった。


 NHKは何をやっているのか! 否、そもそも今回のロシアW杯、大会総集編番組を割り当てられたのは、公共放送たるNHKではなく民放のTBSテレビだったのである(えっ!?)。NHKの言う「総合的な判断」とは、担当局がNHKではなかったからということである。

 通常、サッカーW杯やオリンピックといったスポーツのメガイベントは、NHKの民放が連合した「ジャパンコンソーシアム(Japan Consortium)」という体制でFIFA(国際サッカー連盟)やIOC(国際オリンピック委員会)などと放映権料等の交渉にあたる。そして、どの局がどの試合を担当し放送するかは、かなり早い時点で決まっている。いかなる理由かは不明だがロシアW杯総集編の担当局はTBSテレビに決められた。

 大会直前には発行させるテレビ情報誌の「W杯観戦ガイド」の類に掲載される番組表は、テレビ局側から内々に提示された放送予定を反映したものである。

 当ブログは、ロシアW杯のテレビ視聴と録画に関しては、テレビ雑誌『月刊ザテレビジョン』増刊の観戦ガイド「ロシアワールドカップ2018テレビ観戦パーフェクトBOOK」に掲載された「番組表」を参考にした。こういう時はインターネットではなく、パッケージ化された紙媒体の方がまだまだ役に立つ。値段が手ごろで、読み応えもありました(感謝)。

 このムックの付録の番組表には、ロシアW杯総集編番組はTBSテレビが放送すると書かれていた(下記,掲載写真参照)。

ザ・テレビジョン「ロシアW杯特集号」放送予定表
【『月刊ザテレビジョン』増刊W杯パーフェクト番組表(部分)】

 この時点で、実にイヤ~な予感がした。

 果せるかな、TBSテレビは本来放送するべき「ロシアW杯総集編」を放送しなかった。放送当日、W杯決勝翌日の2018年7月16日、公共の電波で全国に流されたのは「緊急放送!西野Jも生登場!日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」(以下,適宜「サッカー総選挙」と略す)なる、何ともふざけた番組であった(下記,掲載写真参照)。

TBSテレビ_ロシアW杯サイトより「サッカー総選挙」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」ロシアW杯公式サイトより】

TBS「日本人が選んだ歴代カッコいいサッカー選手ランキング」
【TBSテレビ「サッカー総選挙」】

 これには視聴者のサッカーファンも口あんぐり、ドッチラケ。ワールドカップはどこへ行った? 4年に1度のサッカーの感動も台無しになる。いずれにせよ、場違いな感じは否めなかった。サッカーファン・視聴者が本当に見たかったのはこんな番組じゃない。

 番組司会で、サッカーには相当の心得のあるタレント・加藤浩次氏(と俳優・竹内涼真氏)ですら、番組冒頭で語気を強めて不満と違和感を隠さなかった。
加藤浩次 ……ということで、ねえ、今日フランスが優勝決まったんですけれど、TBSはトリッキーな企画から始まりました。今日、僕、総集編全体みられると思っていたんですけど、こういったトリッキーな企画で、竹内君ビックリしているんだよねえ。

竹内涼真 ビックリしていますね。

加藤浩次 ねえ、ビックリなんだよ。こんな企画を最後にやるかっていうのは。私、今日聞いて本当にビックリしているんですよ! なぜなんだ!? ワールドカップの凄いプレーが見たかったんだ! ……っていうのがあるんですけど、TBS的にはこれで行こうということになっております。皆さんよろしくお願いします。〔以下略〕」

TBSテレビ「サッカー総選挙」録画より文字起こし
 この時、スタジオ内の出演者はゲラゲラ笑っていたが(これまたふざけた話だ)、これは加藤氏の本音であろう。

 いろいろ調べてみると、TBSテレビは深夜のレギュラー番組「スーパーサッカー」の中でアリバイ的に放送はしたらしい。ネット上にその痕跡が残っていた。
 当ブログは未見。しかし、あくまでレギュラー枠扱いであり、CMなどで放送時間が正味30分にも満たず、他の話題(フェルナンド・トーレス選手来日会見)も取り上げたらしく、本当にロシアW杯の総集編にふさわしいコンテンツだったのか、非常に疑わしい。しかも、深夜枠だから地方によっては放送されない地域があったかもしれない。

 日本のテレビ局は、民放地上波テレビは、なかんずく担当局のTBSテレビは、2018年サッカーW杯ロシア大会の総集編を「事実上」放送しなかったのである。

TBSテレビの「A級戦犯」プロデューサーたち
 当ブログはFIFAとジャパンコンソーシアムとの映像使用権などをめぐる取り決めだとか、NHKと各民放の関係だとかは掘り下げない。一介の視聴者には知りようがないことだし、これら問題はあくまでテレビ局をはじめとした送り手の都合であって、受け手である視聴者(=サッカーファン)には知ったことではないからだ。

 ロシアW杯は面白い大会だった。フランスが2度目の優勝。若きスター、Mbappeも輝いた。ブラジルもドイツも負けた。日本代表は、大会直前にハリルホジッチ監督を更迭して大騒ぎになったが、下馬評を覆して1次リーグを突破した。日本は大いに盛り上がった。テレビ中継は、日本代表だけでなく、他国同士の試合でも高い視聴率を獲得した。

 このロシアW杯の総集編ならば、1か月にわたった大会の面白さを凝縮した番組ならば、確実に視聴率が取れるコンテンツになる。それが、なぜ「サッカー総選挙」に差し替えられてしったのか? 「TBSはトリッキーな企画」でいい。「TBS的にはこれで行こう」と決めたのはいったい誰なのか?

 番組情報をみると、「サッカー総選挙」制作のチーフプロデューサー(CP)はTBSの横山英士氏、プロデューサー(P)は同じく御法川隼斗氏である(名前で察しの通り,この人はフリーアナウンサーみのもんた氏の令息.多分にコネ入社である)。

TBSテレビ「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより
【TBS「横山英士チーフプロデューサー」ツイッターより】

 第一義的に批判されるべきなのは、この人たちなのであろう。横山CPは同局の「炎の体育会TV」という番組を手がけている。これまたスポーツではあるがバラエティ色の強い番組だ。一方、「ロシアW杯総集編」はドキュメンタリー番組としての性格が強くなる。

 この横山CPや御法川Pといった人たちは「バラエティ」番組は作れても、真面目な「ドキュメンタリー」番組は作れなくなっている。昨今の民放地上波テレビに対する視聴者の「テレビ離れ」が進み、制作者たちの番組(コンテンツ)制作能力が著しく劣化している。だから「ロシアW杯総集編」ではなく「サッカー総選挙」になったのだ。

「サッカーW杯総集編」を作る能力を喪失した民放地上波テレビ
 現在5つある民放地上波テレビのキー局を再編成し「民放3 NHK1の4大ネットワーク」への大転換を提唱する、元テレビ東京常務・石光勝(いしみつ・まさる)氏の著作『テレビ局削減論』は、なかなか興味深い。これを元に昨今の「テレビ離れ」の原因を図式化すると、だいたい次の通りになる。
 インターネットやBS・CSなどの台頭などによって……、

 [1]CM広告費など収入が減る⇒[2]番組制作予算が減る⇒[3]安直な番組作りが増える⇒[4]良質の番組を作るスタッフが育たなくなる⇒[5]ますます番組がつまらなくなる⇒[6]視聴率が低下する⇒[7]ますます視聴率獲得に躍起になるが⇒[1]に戻る……という悪循環、負のスパイラル。

 こうして地上波テレビ、特に民放のコンテンツの質はますます落ちていく。

 かくして地上波テレビは、長丁場の放送時間を使って、タレントが空騒ぎする「ひな壇バラエティ」(まさに「サッカー総選挙」がそうしたノリだった)か、「喰ってばかり」の番組か、そうでなければ通販番組が大半を占めるようになる。

 他方、報道番組や硬派のドキュメンタリー番組はコストがかかる割には、視聴率が取れないとされ、特に後者は民放キー局では敬遠される。おまけに民放のテレビ制作者は、こんな難しいコンテンツには喰いつかないだろうと視聴者のことを馬鹿にしている。かつて民放の雄、報道のTBS、民放のNHKとまで言われたTBSテレビには、もはやドキュメンタリー番組を作る能力やノウハウが喪失している。

 さらに『テレビ局削減論』が指摘するところでは、「テレビ界には,柳の下に5匹の泥鰌〔どじょう〕がいる」(85頁)という。5匹とは民放キー局5局のこと。つまり、視聴率を取る番組を作る手っ取り早い方法は、他局でヒットした番組をまねることだ。

 そもそも「プロレス総選挙」とか「高校野球総選挙」とか、「○○○○総選挙」という人気投票番組はテレビ朝日の企画・番組だった。TBSテレビ「サッカー総選挙」は、テレビ朝日のパクリなのである。

テレビ朝日系「高校野球総選挙」番組ホームページから
【テレビ朝日「高校野球総選挙」番組ウェブサイトから】

 ドキュメンタリー番組としての「ロシアW杯総集編」を作る能力もノウハウもない。企画はテレビ朝日のパクリ……。こうしてTBSテレビに割り当てられた貴重な放送枠は、「ロシアW杯総集編」から「サッカー総選挙」に差し替えられたのである。

 やる気も能力もないのであれば、TBSテレビはNHKに権利を譲渡するべきだった。あるいは、サッカー関連のドキュメンタリーでは実績のある番組制作会社「テレビマンユニオン」とタッグを組み(元々この会社はTBS出身者によって設立された)、これを委ねるという手段だってあった。

 放送局としての責務を放棄した番組を作り、流したTBSテレビには怒りを禁じえない。

「サッカー総選挙」の弊害~スターシステムの温床
 TBSテレビが「サッカー総選挙」を制作・放送したということは、日本のサッカー界とサッカーマスコミのある種の体質を表している。「サッカー総選挙」は、サッカーそれ自体よりも選手個人に焦点を当てる番組である。こうした体質は、例えばサッカー日本代表ならば、チームよりも特定の選手に焦点が当てられ、その知名度が優先される、日本サッカーに特異な現象「スターシステム」の温床になる。

 今年2018年4月、日本代表監督ヴァイド・ハリルホジッチ氏(フランス国籍)が突然解任された。ロシアW杯本大会、日本の初戦まで2か月あまりしかない! 日本サッカー界は騒然となった。なぜ、ハリル氏は解任されたのか? 一説にハリル氏は香川真司や本田圭佑といった、日本サッカーの「スターシステム」に乗っかった選手を、ロシアW杯日本代表から外しかねなかったからだという。

 日本サッカーの「スターシステム」においては、W杯本大会で日本が勝つことよりも、否、日本が勝とうが負けようが、たくさんのスポンサーを抱えた「スターシステム」の選手が試合に出る方が重要なのである。そこで「スターシステム」の力学が働き、日本サッカー協会(JFA)田嶋幸三会長を動かし、ついにハリル氏は解任されたというのである。

 その力学の中心にいたのは、JFAやサッカー日本代表と深いかかわりがあり、これらを「牛耳る」大手広告代理店=電通であるとの、もっぱらの「噂」であった(電通陰謀論,電通はFIFAともつながりが深い)。これら一連の事の真偽については何とも言いかねるが、少なくとも日本サッカーに「スターシステム」という現象は存在する。

 例えば、日本代表の公式スポンサー兼サプライヤーの「アディダスジャパン」は、日本代表メンバーからエースナンバー「背番号10」の選手を、事実上指名している。このことは「スターシステム」の表れであり、広い意味でのスポンサーの圧力である。

 ここでひとつ冗談。もし、TBSテレビが真面目に「ロシアW杯総集編」を制作し放送してしまうと、日本代表のハリルホジッチ氏更迭にまつわるゴタゴタを、あらためて「国民」に思い出させてしまう。そこで「電通」は、国民がハリル氏更迭事件を忘れるように、TBSテレビに命じて「サッカー総選挙」という場違いな番組を作らせた……などというのは、むろん冗談である

ビジネスとしての「サッカー総選挙」の欠陥
 テレビ局は、国民の財産である「公共の電波」を預かる、きわめて公共性の高い企業であって、その免許数も限定されている。だから、他のメディアにない格段の「責務」が求められるわけで、TBSテレビが「ロシアW杯総集編」を制作・放送しないで「サッカー総選挙」などというフザケタ番組を流したことはケシカラン……というのは、きれいごとの建前論なのかもしれない。

 しかし、「サッカー総選挙」という番組はテレビ局のコンテンツビジネスとしても、非常によろしくないのである。

 これも石光勝氏の『テレビ局削減論』からの援用になるが、日本以外の諸外国、アメリカ合衆国や韓国などのテレビ界では、番組(コンテンツ)の2次利用・3次利用……が盛んで、それでより儲かる仕組みになっているのである。具体的には、テレビ放送後のネット配信、DVDの発売、コンテンツ市場に出品しての再放映権の売買などである。

 当然、そのビジネスモデルが成立するためには、番組(コンテンツ)が面白くなければならない。それこそNHK特集「江夏の21球」のように、あるいはこれもNHKだが、DVDとして発売された「伝説の名勝負 '85ラグビー日本選手権 新日鉄釜石vs.同志社大学」のようにである。

 ハッキリ言えば、「サッカー総選挙」などという番組は1回見れば充分。何度も見返す価値もない、刹那的な番組である。横山CPや御法川Pも、せっかくのチャンスを与えられたのだから後々まで残る、2次利用・3次利用が可能なコンテンツを作るべきだったのに、この人たちはその気も能力もなかったのである。

 2018年、ロシアW杯の総集編が日本のテレビにおいて「事実上」制作・放送されなかったことは、日本のサッカー文化において大きな損失である。ただ、それは日本のサッカー文化が一面的に劣っているというよりは、昨今の民放地上波テレビの駄目さ加減、そのトバッチリを受けたものだと言えよう。そう思えば、日本のサッカーファンも少しは心が楽になる。

 TBSテレビのスポーツ部門、なかんずく横山英士CPや御法川隼斗Pが因果応報を食らっても、サッカーファンからは同情されないだろう。

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

今福『薄墨色の文法』:思わせぶりな修辞の本。
今福の文はすべてそうだけれど、オリエンタリズム的なエキゾチズムを、青少年を堕落させる気取った修辞に包んだ本。叙情的な書きぶりは、ときにいいなーと思えることもあるんだけれど、それはむしろオカルト的な方向に流れる不健全な叙情性で、読んでるうちにだんだんうでを思いっきりのばして、あまりこの文がすり寄ってこないようにしたくなる感じ。自分でもそうなので、書評なんかして人に勧めたいとはなおさら思わない。



ミネイロンの惨劇と今福龍太氏の再登場
 ジャーナリスト・神保哲生氏と社会学者・宮台真司氏が主宰する、ニュース専門インターネット放送局「ニュース専門ネット局 ビデオニュース・ドットコム」の番組『マル激トーク・オン・ディマンド』の第692回、2014年7月19日、ブラジルW杯の時に放送された「今福龍太氏:ブラジルサッカー惨敗に見る〈世界の危機〉」が再放送されている(下記リンク先参照)。


【YouTube版より】

 ブラジルW杯といえば、印象的なのが準決勝のドイツvsブラジル戦。ブラジルがドイツに1対7という信じられないスコアで大惨敗した試合「ミネイロンの惨劇(または悲劇,衝撃)」である。

ミネイロンの惨劇(ドイツ7-1ブラジル)
【ミネイロンの惨劇:メスト・エジル(左,ドイツ)とダビド・ルイス】

 日頃、息をひそめて生活しているアンチ・ブラジルのサッカーファンも痛快……を通り越して呆気にとられる試合であった。ドイツは決勝でもアルゼンチンに勝って4回目の優勝を遂げる。

 このブラジルの大惨敗とドイツの優勝。同番組のゲストで文化人類学者(東京外国語大学教授)の今福龍太氏が語るところでは、これこそブラジルサッカーの危機……のみならず、サッカーの危機、スポーツの危機、それどころか「世界の危機」の反映なのだという。
今福龍太「ビデオニュースドットコム」(小)
【今福龍太氏(番組より)】

 それは、一体どういうことなのだろうか。

今福龍太氏が言わんとするところ
 動画サイトで見られる今福龍太氏のインタビューはプレビュー(導入部分)だけで、課金しない限り全体を視聴することはできない。

 それでも番組ウェブサイトのイントロダクションの文章だけでも十分な情報量がある。加えて2014年7月に刊行された文芸誌『en-taxi〔エンタクシー〕』第42号に掲載された今福氏のエッセイ「フチボルの女神への帰依を誓おう」とを読み合わせてみれば、今福氏が番組で何を言わんとしていたかは、おおよそ分かる(いずれも下記リンク先参照)。
 詳しくはリンク先の文章をじっくり読んでいただくとして、今福氏の言う「世界の危機」を強引に要約すると、次のような感じになる。
 勝利至上主義に徹した膨大なデータの集積と科学的な分析、高度に統制された戦術、そして近現代的な「合理性」を重んじるドイツサッカー。

 一方、ラテン的な即興性や遊戯性、美しさといった数字に表れない、勝敗を超越した価値を尊(たっと)ぶ、「偶然性」にあふれたブラジルサッカー。

 2014年のブラジルW杯で、ブラジルはドイツに惨敗し、ドイツは優勝した。

 今回、顕在化したのは、この2つの価値観、「合理性」対「偶然性」の対立である。それは実際はサッカーの枠を遙かに超え、今日われわれの社会生活の至るところで衝突している価値対立と共通している。

 効率、スピード、コンビニエンス、収益性といった合理的な(ドイツ的な)価値を無批判に受け入れるあまり、私たちは、社会からも、人生からも、(ブラジル的な)偶然性や非合理性という「別の大切なもの」を消し去ってはいないか。

 それは果たして本当に私たちの生活を豊かにすることにつながっているのか。いや、そもそも豊かさとは何なのか?

 それが「世界の危機」なのだ。
 いかにももっともなことを述べているが、今福龍太氏の言い分をよくよく読んでみるとおかしなところだらけなのである。

世界の危機,嫌ドイツ思想,科学的サッカー批判…
 そもそも今福龍太氏は、遅くとも1990年代からサッカーの危機だ、スポーツの危機だ、時代や社会の(延いては「世界」の)危機だという話を、オオカミ少年よろしく繰り返してきたのである(参照:今福龍太『フットボールの新世紀』94~123頁)。



 1990年代は守備的サッカーの時代で、W杯やユーロなど主要な国際大会ではスコアレスドローやPK戦が頻出した。だから、今福氏の言い分ももっともらしく聞こえた。それが解消された2000年代以降、今度は国際大会でコンスタントに好成績を上げるドイツを、勝利至上主義、近代合理主義、科学主義などの象徴として非難の対象とするようになったのである。

 いわば「嫌ドイツ思想」であるが、その更なる源流は、1989年刊、現代思想系の音楽学者・細川周平氏の『サッカー狂い』まで遡(さかのぼ)ることができる。細川氏と今福氏はオトモダチ同士であり、この2人のサッカー評論のテイストはとても近しい。そして、今福氏がサッカー論壇で重用されているのと同様、『サッカー狂い』は一部でカリスマ・サッカー本扱いされている。



 だが、「日本人は農耕民族だからサッカーでは……」という与太話から始まり、自虐的な日本サッカー観を繰り返し吐露している『サッカー狂い』過剰に賛美することは危うい。

 日本サッカー界の本流は1960年代から「親ドイツ」であった。その成果で日本代表は1968年のメキシコ五輪で銅メダルを獲得する。しかし、その後、1970年代初めから1992年ごろまで日本サッカーは長い長い低迷期に入る。細川氏の「嫌ドイツ思想」は、そうした時代背景、サッカー界主流への反動の表出も勘案するべきである。だから『サッカー狂い』を「サッカー冷遇時代のひがみ根性丸出しの一冊」と辛辣に評価する向きもある。

 さらに「最近の〈科学的サッカー〉とやらは、守りを固くして逃げ切るサッカーなので面白くない」という程度の話なら、実は1966年(!)のW杯イングランド大会の頃からある(参照:堀江忠男『わが青春のサッカー』123~124頁)。



 つまり、今福龍太氏の持論は昔から存在する陳腐なネタなのである。

サッカーブラジル代表の現実的側面
 勝利至上主義(ちなみに今福氏が言う「勝利至上主義」とは,競技スポーツにおいて勝敗を争うことそのものを指す)と科学的サッカーに徹したドイツは、美しいサッカーを重んじるブラジルから大量7得点をあげた。また、オランダは前回王者のスペインから5得点をあげて大勝した。ブラジルW杯では、サッカーというゲームの意味を度外視して、手段を選ばず貪欲に得点を狙いに行く醜いサッカーが横行している……。

 ……ブラジルではこんなことありえない、と今福龍太氏は言うのだが、これはいずれも正しい指摘とは言えない。

 だいたい、昨今の高度に科学化・データ化されたサッカーというのはドイツのだけがやっているのではない。当然、ブラジルだって、スペインだって……やっている。「〈ドイツの合理性〉対〈ブラジルの偶然性〉の対立」といった単純な図式は成り立たない。

 「ミネイロンの惨劇」の試合自体も、前半に1~2失点する間にブラジル守備陣が完全なパニックに陥り、負のスパイラルから更なる失点を重ねたものだ。
 主力選手2人(ネイマールとチアゴ・シウバ)の欠場という不運はあったが、この惨劇はブラジルが自壊自滅して招いたもので、ドイツをに八つ当たりする性格のものではない。

 今福氏は、ドイツの勝利至上主義の背景には勝利することによって得られる莫大な経済的利益があるとも言う。しかし、それを言うならば、サッカードイツ代表がビッグビジネスである以上に、サッカーブラジル代表の方こそ、動く金が大きいビッグビジネスである。

 ブラジル代表は貪欲に大量得点を狙いに行くようなサッカーはやらないのかというと、記録を見る限りこれも怪しい。例えば、2016年6月8日、コパアメリカ・センテナリオ(大陸選手権)でブラジルはハイチに7対1で大勝している。また、同年10月6日のロシアW杯南米予選では、ホームのブラジルはボリビアに5対0で大勝している。
 後者については説明が必要であろう。当時、ブラジル代表はW杯予選の成績不振でロシア本大会出場が危うい状況にあった。そこでそれまでのドゥンガ監督を解任し、チッチ監督に交代。巻き返しに必死の状況にあり、ブラジル代表は是が非でも勝たなければならなかった。しかも、W杯予選はリーグ戦だから得失点差で1点でも上乗せが必要だった……。

 ……ブラジルはブラジルで勝利至上主義なのである。そして、よもやブラジル代表がロシアW杯本大会の出場を逃せば、莫大な経済的損失が出る。

 今福氏には、サッカーブラジル代表のそうした現実的側面が見えていないのではないか。

ブラジルW杯反対デモに見る今福龍太氏の問題点
 現実が見えていないといえば、2014年W杯に際してブラジル各地で頻発したW杯反対デモについてもそうである。あれだけのサッカー大国なのになぜ……。この問題でも今福龍太氏はおかしなことを述べている。
 今回ブラジルでは自国でのワールドカップ開催に反対するデモや抗議行動が各地で起きた。サッカー王国ブラジルでのワールドカップ開催に反対運動が起きたことに違和感を覚えた方もいたかもしれない。しかし、今福氏はあのデモはワールドカップがFIFA(国際サッカー連盟)や大手スポンサーにお金で買われてしまったことに抗議するデモだった面が大きいと指摘〔!〕する。自分たちがこよなく愛するサッカーをカネで売り渡してなるものかというブラジル市民の意思表示だった〔!〕と〔今福氏は〕いうのだ。

 これには唖然とした。

 むろん、現実は今福氏の解釈とは違う。W杯反対デモ頻発の理由は、ブラジル社会の極端な格差と貧困、庶民の生活の苦しさである。サッカーW杯に巨額な費用を注ぐくらいなら、教育・医療・福祉などに予算を割いて私たちの生活を少しは良くしてくれ! ……というブラジル庶民の切実な声である。
 この人は、自身の思い入れのある対象を、事実・現実を歪曲して何かとロマンチックに美化して語る傾向があって、ブラジル社会の深刻な貧困問題などについて語るときなどは特にそうである(参照:今福龍太『スポーツの汀〔なぎさ〕』114~130頁)。

スポーツの汀
今福 龍太
紀伊國屋書店
1997-11


 この点は、今福氏の深刻な問題点ではないか。

今福龍太氏の「研究」と「意見」
 2018年のロシアW杯に際して、今福龍太氏の登場回を再放送するにあたり、神保哲生氏は「4年前のW杯時の番組の再放送です。今回ドイツもダメっぽいのはなぜだろう」などと、何とも呑気な(失礼ながら)ことを述べている(先に引用したツイート参照)。

 こんなコメントが出るのも、起用する側が今福龍太氏を買いかぶりすぎているからである。今福氏の言う通り「世界の危機」なら、2014年ブラジルW杯以降もあらゆる国際大会でドイツ代表が勝ち続けるはずである。

 しかし、2018年ロシア大会でドイツは1次リーグで敗退した。世界最大級のイベントとはいえ、FIFAワールドカップは所詮はサッカー、所詮はスポーツにすぎない。サッカーなり、W杯なりは、今福氏が思っているような意味での「世界の縮図」ではないのである。
 日本人の間に、人文学における「研究」と「意見」の区別ができていない……。カントからフッサール、ハイデッガーに至る面々は、哲学者、フィロソファーであって、哲学という学問をやっている。ニーチェやキェルケゴールになると、これは学問というより、自分の考えを述べている人たちである。

 日本人は、どうも「事実」と「意見」の区別が苦手らしく、ために時おり、混乱が起こる。

小谷野敦「評論家入門」27~28頁

 サッカージャーナリズムやサッカー論壇で、文化人類学者の今福龍太氏は何かと重用される。凡百なサッカーライターの上に立って、あたかも「文化人類」という高い次元の「研究」成果や学識から、サッカーにまつわる現象・事象を分析し、その本質を私たちの前に示してくれる……という期待がなされている。

 しかし、これは期待外れの間違いである。

 この場合、今福氏は学者というより、良くも悪くも「思想家」なのであって、自分の考え(意見)、自分の過剰な思い入れ(意見)を述べているにすぎない。「ビデオニュース・ドットコム」の2014年のブラジルW杯の評価に関して言うと、今福氏は実際にあることを「思想」によって捻(ね)じ曲げて解釈し、ブラジル贔屓の引き倒しをしているだけなのだ。

 この時に、今福龍太氏を起用したひとり、神保哲生氏はリアルなジャーナリストであり、名門・桐蔭学園でラグビーにいそしんだリアルなフットボーラーである。その神保氏が、今福氏の「知の欺瞞」(言い過ぎだろうか)に突っ込めないのは、何とも残念である。

 ありていに言えば、今福龍太氏はミスキャストである。

サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07











 それでも「ワールドカップ,サッカー,そして世界」などという大風呂敷な議論をしたいなら、慶応の大学院で政治学を修めたサッカージャーナリスト・後藤健生氏の方が適任だったのではないか。

(了)



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

杉山茂樹氏の問題提起
 壊れた時計でも1日2回は正確な時を刻む……。

 ……などという言い方は明らかに失礼だが、金子達仁氏と並ぶ電波ライター(死語か?)の2トップ(これも死語か?)ともいうべき杉山茂樹氏のメールマガジンである。が、これから紹介するコラムに関しては、そんなにおかしいことは言っていないと思う。
2017年09月19日発行

杉山茂樹のたかがサッカー、されどサッカー。

(348)ブラジルやフランスと親善試合を戦うよりも大事なこと

 10月と11月。日本代表は立て続けに親善試合を行う。10月がハイチとニュージーランド。11月はフランスとブラジルになりそうだとか。
ハリルジャパン2017年11月欧州遠征
 ハリルジャパンがこれまで戦った親善試合の数はわずかに8。過去に比べて異常なほど少ない。ジーコジャパン時代は年平均9試合。岡田ジャパン、ザックジャパン時代はともに約7試合。それがハリルジャパンは2年半で8試合だ。年平均3試合に満たない。それにこれから戦う5試合を追加しても、少ないという事実に変わりはない。

 アウェー戦に至っては、現状1試合。テヘランで行われたイラン戦(2015年10月)のみだ。2試合目となる11月のフランス戦で打ち止めになる可能性が高い。これはハリルホジッチの問題ではなく協会の問題だ。マッチメーク能力に問題ありと言いたくなる。

 とはいえ、対ブラジル、対フランスと聞けば、そうした批判は生まれにくい。報道も、腕試しには願ってもない機会、これ以上は望めない相手と、両国との対戦を大歓迎する声が大勢を占めている。だが、それは本当に喜ぶべき話しだろうか。

 ブラジル、フランスは、W杯本大会で第1シードに属する優勝候補だ。グループリーグを戦う4チームの中では最強の相手。一方の日本は4チームの中では3番目、いや今回は4番目だろう。

 日本が番狂わせを狙う対象は、現実的に考えて2番目のチームだ。ブラジル、フランスは、彼らに本番で1度勝とうと思えば、最低でも10試合は費やさなければならない相手だ。

 日本のライバルは3番手。番狂わせを狙う相手は2番手。前回ブラジルW杯に置き換えれば、コートジボワールでありギリシャだ。

 このクラスの相手を向こうに回し、どんな戦いができるか。その手応えが欲しい。W杯アジア予選で戦った相手は、言ってみれば4番手以下だ。5番手か6番手。10月に対戦するハイチ、ニュージーランドもそこに属する。敗戦は許されない格下だ。ところが、翌11月になると、今度はいきなり1番手と対戦する。2番、3番とはいったい、いつ戦うのか。番狂わせのシナリオは見えていない。

 チュニジア、ウズベキスタン、イラク、イラン、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、オマーン、シリア。これは、ハリルジャパンがこれまで戦った8試合の内訳だが、本番までに戦いたいのは、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チュニジアだ。それらとのアウェー戦の方が、フランス戦、ブラジル戦より現実的だ。

 ブラジル戦、フランス戦はいわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合だ。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。同等あるいは日本より少し強いチームには、そうした選手は多くいない。それでは前景気は煽れない。視聴率……〔続きは有料〕
 サッカー日本代表、現在の「ハリルホジッチ・ジャパン」にいちばん達成してほしいことは、2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会で好成績を上げることである。さしあたっては、4ヶ国総当たりで行われるグループリーグ(1次リーグ)の突破だ。

 そのための蓋然性(可能性ではなく)を少しでも高めるためには、現時点でどうするべきなのか? W杯本大会でグループリーグ第1シードになるワールドクラスのサッカー超大国との対戦よりも、2番手・3番手の国々との試合経験を積んで手応えをつかんだ方がいいのではないか……という問題提起には、なかなか抵抗できない。

 杉山茂樹氏の面白いところは、「日本」と「世界」の二分法ではなく、「世界」の中での「日本」の位置について重層的多面的にアタリを付けて、最終的な成果を上げるためにどうするかを説いているところである。
 たとえ、それがこの人特有の日本サッカーに対する軽侮の念が混じっているとしても……である。杉山茂樹氏とか後藤健生氏とかを除いて、フランスからブラジルからギリシャからコートジボワールから、十把ひとからげにして「世界の壁」などと称しているのが日本人の大方のサッカー観である。まったく戦略性が欠落している。

シギーこと故金野滋氏の功罪
 例えば、昔のラグビー日本代表(ジャパン)のことを思い出す。諸般の事情からラグビーは1987年まで世界選手権(ワールドカップ)が行われなかった。それ以前、1970年代~80年代半ばまで、ジャパンはイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドあるいはフランス……といったワールドクラスのラグビー一流国とばかり国際試合を行っていた。
 ラグビー弱小国の日本がどうしてこんな国々と、次々と試合ができたのか? ……とか、サッカー以上に国際ラグビー界は格式にうるさくて実は日本が対戦した一流国のチームは正規のナショナルチームではなく正規の国際試合でもなかった……とか。こういう話に首を突っ込んでいると話が前に進まなくなるので割愛する。
金野滋氏
【金野滋氏が死去:日本ラグビーの地位向上 国際派 84歳】

 一方、アジア選手権というのもあるにはあったが、80年代の韓国をのぞいて日本の難敵は存在せず、ジャパンの独走状態が続いた。当時、世界ラグビーの2番手・3番手の国々となると、アルゼンチン、イタリア、ルーマニア、旧ソ連(現在のロシア、ジョージアなど)、カナダ、アメリカ合衆国、トンガ、フィジー、サモア(西サモア)あたりが思い浮かぶ。だが、
戦前からのよしみがあるカナダ以外の国とは積極的に交流を行わなかった。

 そして、一流国との対戦では、時々善戦、多くは大敗惨敗を繰り返し、日本ラグビーにとってジャパンにとって実になる経験となったかというと何とも微妙である。

華やかな国際交流がアダとなる…第1回ラグビーW杯のジャパン
 これが1987年第1回ラグビーW杯(ニュージーランドとオーストラリアの共催)でアダとなる。この辺の事情と批判は、日本ラグビーフットボール協会の公式サイトで、ラグビージャーナリストの永田洋光氏が書いているので、そこから抜粋する。
2015/08/04(火)

過去のワールドカップ ‐ 第1回大会 キッカー不在など、課題をさらした日本代表

宮地克実監督・林敏之主将の体制で大会に臨んだ日本代表は、予選でアメリカ〔合衆国〕、イングランド、オーストラリアの順に対戦。大会前には「アメリカには勝って当然」とか「イングランドには相性がいい」といった発言がメディアに躍った。

しかし、初戦のアメリカ戦ではトライ数が3―3と同数ながらトライ後のゴールキックがことごとく不成功。PGも、7本中成功したのは2本のみで18―21と競り負けた。プレースキックの拙さ、安易なディフェンスミスからの失点など、W杯という真剣勝負の恐ろしさを体感したのが、このアメリカ戦だった。
アメリカ合衆国戦
【記念すべき第1回W杯の初戦、日本は米国に惜敗した】

続くイングランド戦では……イングランドの猛攻に為す術もなく8トライを奪われて7―60と完敗。出発前の壮行試合で東京社会人を相手に力づくのトライを積み重ねたチームは、本気のイングランドの力業には為す術もなかった。

〔最終戦の対オーストラリア戦では〕日本は終始前に出るタックルと果敢なボール展開でオーストラリアを苦しめたが、それでも力の差は埋められず、終了間際に2トライを奪われて、23―42で試合を終えた。

それまで“親善試合”でしか世界各国と交流してこなかった日本にとって、世界の本当の強さ、パワーを体感して、厳しい教訓を得られたのが第1回W杯の収穫だった。

Text by Hiromitsu Nagata〔永田洋光〕
 ジャパンが「身の丈」に合った相手との対戦を重ねていれば、競(せ)った場面での正確なプレースキッカーの存在の重要性などを身に染みて経験できたはずである。第1回ラグビーW杯初戦、対アメリカ合衆国戦で負けることはなかったかもしれない。

 そして、同格の国々に勝った上で、いざワールドクラスの一流国に挑戦する……日本ラグビーはそういった過程を踏むことがなかった。

 サッカー日本代表も、ラグビーのそうした失敗の轍(わだち)を踏まなければいいのだが、と思う。

やっぱり,あの大手広告代理店…ですか???
 ところで、今回、2017年11月の日本vsフランス戦、日本vsブラジル戦をマッチメイクしたのは「誰」なのだろう。

 この2試合は「いわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。前景気……視聴率……」と杉山茂樹氏は論評している。

 こうした見た目の華やかさに走るとなると、またぞろ電通のような大手広告代理店の介在とか、サッカー日本代表のスポンサー企業の意向とか、あらぬ邪推が聞こえてきそうだ。

(了)


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ