スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:ラグビーW杯

〈ラグビーの虚構〉の崩壊,〈サッカーの虚構〉の継続と呪縛?
 ノーサイドの文化。ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワンの精神。紳士のスポーツ。アマチュアリズム。対抗戦思想……等々、従来、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しくも重苦しい修飾≒〈虚構〉がついてまわった。

 むしろ、それがために、ラグビーは、日本ではコアなファン以外は見向きもされないスポーツになる原因を作ってしまった。しかし、この度のラグビーワールドカップで〈ラグビーに関する虚構〉は完全に崩壊した。多くの人々がラグビーフットボールそのものの面白さに触れた。


 その上で、改めてラグビーの持つ特徴的な文化を知るところとなった


 サッカーとは違うフットボールカルチャーがあることを、日本の多くの人々が新鮮に感じている。反面、〈サッカーに関する虚構〉は未だ継続し、日本のスポーツ界やメディアを呪縛している。

 例えば。応援するチームが屈辱的な負け方をすると、選手や監督はファンやサポーターがに罵声を浴びせられ、場合によっては水やら生卵やら腐ったトマトやらが投げつけられる……などという誇張された話。

 敗れたアイルランド代表フィフティーンが、勝った日本代表のフィフティーンに対し、花道を作って出迎えた「静岡の衝撃」の退出の場面。……とほぼ同時期に、天皇杯で格下相手に敗れた浦和レッズのサポーターが、いわゆる「バス囲み」事件が起きたことは、何とも対照的なピクチャーではある。

 むろん、不甲斐ないチームを叱咤すること自体がイケナイと言っているのではない。そして、今回のテーマはそこにはない。

 例えば。欧米のサッカー強国では、サッカー評論家の評価は選手・監督・チームに対しても、極めて厳しい。その口調もまた極めて「辛口」である。サッカー強国の評論家はチームが勝つまで(場合によっては英国のエリック・バッティ記者のように,勝っても)、選手・監督・チームを批判し続ける。その国のサッカーは、厳しく「辛口」で批判し続けることで成長する……などという誇張された話

 「静岡の衝撃」という日本ラグビーの快挙に対する反応で、最も不快にして、かつ呆れ果てた事件は、先に掲げた「誇張された話」=〈サッカーに関する虚構〉を日本で吹聴し、実行してきた、あの「セルジオ越後」(少なくとも今回は敬称トルツメ)が出しゃばってきたことである。

目に余るセルジオ越後の放言とその間違いの数々
 2019年9月30日、テレビ東京スポーツの公式サイトが、サッカー評論家(?)のセルジオ越後による「静岡の衝撃」に対するコメントを動画とテキストで配信した。
セルジオ越後がラグビー日本代表に提言~継続的に勝たないと意味がない
――2大会連続の大金星について

セルジオ越後 強いチームに勝っている間のフィーバーはまだ強くないということだと思う。今日は座布団飛んだね〔たまさか平幕が横綱に勝った程度の試合という意味〕。日本が負けてニュースになるということがまだまだ宿題じゃないかと思う。

 競合〔強豪〕に勝った・負けたとか、予選〔1次リーグ〕突破したとか〔ラグビーも,サッカーも〕両方とも似てるところがある。ラグビーも予選だけじゃなくもっともっと上〔優勝〕を狙っやってほしい。〔以下略〕

セルジオ越後「テレビ東京/追跡LIVE!SPORTSウォッチャー」(2019.9.30)
 いや、これは本当に酷い。セルジオ越後の放言は、極めて醜悪で、ラグビーフットボール、そして日本のラグビーに対する最大級の侮辱になっている。

 だいたい、ラグビーの国際試合レベルで世界的に継続的に勝ち続けているチームは、ニュージーランド代表=オールブラックスだけである。負けてニュースになるのも、オールブラックスと、あとは南アフリカ(南ア)代表=スプリングボクスあたりか(だから,2015年ラグビーW杯で日本が南アに勝ったら世界中で大騒ぎになった)。

 たいていのラグビー国は、普通のテストマッチでも、オールブラックスに勝ったら大喜びする。イングランドでも、アイルランドでも、皆そうである。そして、勝ったり負けたりしながら、4年に一度のラグビーW杯を目指す。

 2015年ラグビーW杯以降の、ラグビー日本代表=ジェイミー・ジャパンは、継続的な成績・成果……と言ってよくないならば、相応の「手応え」をつかんできた。その延長線上でのアイルランドからの勝利である。

 その流れを、海外のラグビーメディアは的確に評価している。2015年ラグビーW杯の日本vs南アフリカ戦(34-32)=「ブライトンの奇跡(The Miracle of Brighton)から、2019年ラグビーW杯の日本vsアイルランド(19-12)=「静岡の衝撃(The Shock of Shizuoka)へ。ニュアンスを違えた海外メディアの命名は、けだし絶妙である。

 セルジオ越後は、国際ラグビー界の実情を全く知らないで放言している。

ラグビー3等国の人間=セルジオ越後が2等国による対1等国勝利を見下す愚
 また「勝っても喜んではいけない」式のセルジオ越後の「辛口批評」であるが、スポーツは難行苦行ではない。こういう時に喜ばなくて、いつ喜ぶのか?

 ……と言うのは、この人物は、いわゆる「日本のスポーツ界の悪しき抑圧性」を批判してきたからである。ところが一方で、先のように「日本のスポーツ界を抑圧する悪しき放言」をしている。皮肉である。矛盾している。

 あるいは。今回のラグビーW杯では、南米ウルグアイも有力ラグビー国のフィジーを破る、殊勲の星を挙げた。ここで、日系ブラジル人のセルジオ越後が、ウルグアイのラグビー関係者に「継続的に勝たなければ意味がない」だの「勝っても喜ぶな」だの放言したら、どうなるか。

 ウルグアイのラガーマンから「テメエは何様のつもりだ.いい加減にしろ!」と当然ボコられる。なぜなら、ブラジルはW杯に出場したこともないラグビー弱小国(ティア3=発展途上国)だからである。

 セルジオ越後は、国際ラグビー界にはナショナルチームの強さによる格付け(ティア1>ティア2>それ以下ティア3=発展途上国)があることが分からない。国際ラグビー界のティア2(2等国,日本が属する)の国が、ティア1(1等国,アイルランドが属する)の国に勝つことがどれだけ大変かということも、分からない。

 しかし、日本のスポーツメディアは、ラグビー弱小国(=ティア3)のブラジル出身のセルジオ越後による、日本ラグビーの快挙を貶(おとし)める放言を「批評」として有難がっている異常な情況である。ダサい。

多様なスポーツ中継のパイオニア=テレビ東京の変節
 もともと、テレビ東京(旧東京12チャンネル)は、かつてのプロ野球人気全盛にあって、ラグビーやサッカーを積極的に取り上げてきたテレビ局であった。サッカーは言わずもがな。ラグビーでは、1973年の日本代表の英仏遠征を、金子勝彦アナウンサーによる実況、大西鐡之祐氏(!)による解説で中継している。

 ところが、現在のテレビ東京はあの当時の「志」を忘れ、変節してしまった。同局は、「FOOT×BRAIN」(フットブレイン)というサッカー情報・啓蒙番組を持っているが、この番組は、脳科学者(自称)の中野信子氏や、運動科学者(自称)の高岡英夫氏といった、素性がハッキリしない人物を登場させてきた。
▼なでしこジャパンと森保ジャパンの敗退で再着火する自虐的日本サッカー観(2019年06月29日)

▼やっぱり高岡英夫はいかがわしい???(2018年01月21日)

 素性がハッキリしないといえば、経歴詐称が噂されるセルジオ越後である。

▼「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師」(2019-03-02)

▼「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師 2」(2019-03-02)

 何とテレビ東京「FOOT×BRAIN」は、本当は三流のプロサッカー選手にすぎなかった(と言われている)セルジオ越後が、ブラジル本国ではいかに凄い選手であったかのように視聴者を騙(だま)す「ヤラセ」を放送したとの由である。

サッカーの現場に不要なストレスを与えるセルジオ越後
 実態と違うといえば、「サッカー強豪国,ことに南米のブラジルやアルゼンチンなどのサッカー評論は,選手や監督,チームを徹底的に批判する」というのも間違いであるらしい。実際には、そのスタンスは是々非々であり、論者によって幅があるという。

 ブラジル時代の経歴が疑わしいセルジオ越後がもたらした「間違った常識」は、サッカーの現場に不要なストレスを与えている。

 フィリップ・トルシエ(サッカー日本代表監督,任期1998~2002)は、私に「あの〈セルジオ越後〉とかいう奴は何者なんだ?」と、質問してきた……。フットボールアナリスト・田村修一氏が、初代サポティスタ・浜村真也氏が催したトークイベントでこんな裏話を紹介していた。

 その場では、笑い話になった。……が、実際には、笑い話ではなかったかもしれない。セルジオ越後の放言は、歴代のサッカー日本代表の現場に無駄なストレスを与えていた可能性がある。

セルジオ越後ほど日本人の自虐的サッカー観に

 要するに、セルジオ越後の数々の放言は「批評として全く機能していない」のである。

セルジオ越後をツケ上がらせたオールドサッカーファンたち
 同様のストレスは、日本代表の選手たちも感じている。セルジオ越後の日本サッカーに対する放言に対して、業を煮やした日本代表・乾貴士選手や岡崎慎司選手が些(いささ)かな反発を発信してみせた。




 彼らがセルジオ越後を批判したというから、いったいどんな過激で不穏当な発言をしたのかと思いきや……。それ自体は抑制の利いたものだ。むしろ、放埓で不穏当な発言を繰り返してきたのはセルジオ越後の方なのだが。

 では、なぜ、乾選手や岡崎選手の方が一面的に悪いかのように、評されるのか? この倒錯した「空気」は何なのか? 例えば、有名なサッカーブロガーでオールドファンの「サッカー講釈師」さんが、セルジオ越後の日本サッカーに対する放言を、擁護するかのようなツイートをしている。


 この「サッカー講釈師」さんの「セルジオ越後の発言など〈誰も参考にはしない〉」という指摘は、端的に間違っている。なぜなら、この人物の弟子筋の人間に、セルジオ越後を本気で参考にした人間に、あの金子達仁氏がいるからだ。

 金子達仁氏については、スポーツライターとして売れっ子になった一方で、日本人のサッカー観・スポーツ観を大きく歪めた、いわゆる「電波ライター」だとして、さんざん批判されてきた。その金子達仁氏の師匠筋がセルジオ越後である。

 えてして「弟子」は「師」の悪いところを拡大する。すなわち、金子達仁氏はセルジオ越後の悪いところを拡大したのである。

 後藤健生さんなどもそうだが、こうしたオールドサッカーファンの鷹揚な態度が、セルジオ越後を付け上がらせ、暴走させたのだ。

 少なくとも、この人物の「流儀」をラグビーにまで越境させるのは間違っている。

妖怪的人物「セルジオ越後」を生んだ日本人の深層心理
 ラグビーとサッカー、ふたつのフットボールで、両方とも(それなりに)応援しがいのあるナショナルチーム(代表チーム)を持っている国というのは意外に少なく、その意味で日本はなかなか素敵な国である。

 これまでは、ラグビー日本代表が好調だとサッカー日本代表が不調だったりした。例えば、1989年~1991年の宿沢ジャパン平尾組と横山全日本の時代である。あるいは、その逆の時代も長く続いた。

▼後藤健生「日本は世界一流のフットボール・ネーション? サッカーとラグビーと、ともに世界王者を目指そうではないか」(2019年10月5日)

 2019年ラグビーワールドカップ日本大会は、ラグビーとサッカー、ふたつのフットボールの国民的期待が並び立った、画期となったイベントかもしれない(ちなみに,同時期にサッカー日本代表のW杯アジア予選も行われる)。

 世界の舞台で、世界の強豪に立ち向かう日本代表……という図式は、幕末・明治このかたの日本の歴史とも重なり、国民的な感情移入がしやすい(余談ながら,これが出来ないのが「野球」である)。

 しかし、その場合、「欧米」列強に対する劣等感をどうするか? ……という思想的大問題があり、そうした「日本人の心のスキマ」に入り込んだのが、セルジオ越後という「商売人」もしくは「詐欺師的人物」だった。セルジオ越後を過剰に有難がってきたのが、日本のいたいけなサッカーファンたちだった。

 この人物を評して「辛口」と言う。しかし、その実は、スパイスを効かせた美味なる料理ではなく、テレビ番組の「激辛王選手権」にでも出てくるような、ゲテモノとしての辛口料理である。

 その代償として、私たちは「日本サッカーへの〈味覚〉」というものを、大きく後退させてしまった。完全に批評眼が麻痺しているのである。

 私たちサッカーファンは、このポストコロニアルな時代に、セルジオ越後に象徴される卑屈なコロニアル根性に、一体いつまで浸(ひた)り続けるのだろうか?

(了)




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 試合が終わると敵・味方の区別がなくなる「ノーサイド」の文化。献身的な「ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワン」の精神。審判の判定を絶対として潔く受け入れる「紳士のスポーツ」。得点しても「ガッツポーズをしない」控えめな振る舞い。プロ化を拒んだ「アマチュアリズム」。ワールドカップの開催を避ける「対抗戦思想」……。

 ……等々、従来、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しい修飾≒「虚構」がついてまわった。しかし、それがために……。


 ……日本のラグビーは、一度ダメになった。ところが、この度のラグビーW杯で……。


 ……「ラグビーに対する虚構」の数々が崩壊し、一方で多くの人々がラグビーフットボールそのものの面白さに触れた。そして、その上でラグビーの持つ特徴的な文化を知るところとなった。


 サッカーとは違うフットボールカルチャーがあることも知って、多くの人々驚いている……という様子を見るのは、なかなか新鮮だった。

 一方、「サッカーに対する虚構」は未だ継続し、日本のスポーツ界やメディアを呪縛しているような気もする。

 「静岡の衝撃」とほぼ同時期に、天皇杯で格下相手に敗れた浦和レッズのサポーターによる「バス囲み」事件が起こったのは、何かと対照的なピクチャーではある。

 むろん、不甲斐ないチームを叱咤することは必要であるが。

 否。本当に気になったのは、「静岡の衝撃」の快挙に、あの「セルジオ越後」が出しゃばってきたことである。*


 読んでいて、非常に嫌な気分になった。間違いも多い。

 この不快さについては次の機会に考えていきたい。

つづく




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「明治」をスルーした日本サッカー史?
 2021年は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)の創立100周年である。JFAは「正史」として大型本の『JFA 100年史』(仮称)を公刊するはずだ(JFAは創立50周年の時も,75周年の時も「正史」を刊行している)。

財団法人日本サッカー協会 75年史―ありがとう。そして未来へ
財団法人日本サッカー協会75年史編集委員会
日本サッカー協会
1996-10-01



 しかし、いかに本が売れない時代とはいえ、有為な書き手による、手ごろな一冊のサイズにまとまった日本サッカー通史を、サッカーファンやスポーツファンに送り出す企てはないのだろうか。

 相撲(「大相撲」に限定されない格闘技としての相撲)や、マラソン・駅伝などには優れた通史は存在するのだから、サッカーでもそういった、いい意味での「外史・稗史・野史」を当然読みたいのである。

相撲の歴史 (講談社学術文庫)
新田 一郎
講談社
2010-07-12


相撲の歴史
新田 一郎
山川出版社
1994-07-01


マラソンと日本人 (朝日選書)
武田 薫
朝日新聞出版
2014-08-08


 果たして、その先駆けなのか、佐山一郎さんによる『日本サッカー辛航紀』が上梓された。

 もっとも、この著作は「私小説」的な性格が色濃いうえに、日本サッカー史を謳(うた)いながら、日本サッカー界は歴史を大事にしていないと批判しながら、そして蹴鞠も話題まで採り上げながら、しかし、肝心要の明治時代、草創期の日本のサッカー事情について全く触れていないという、実に不思議な一冊である。

 やっぱり、明治時代、海外から日本へのサッカーの伝来、普及、野球やラグビーなど他競技との関係等々について全く言及しないというのは、違うのではないか。

 それこそが、日本サッカーの原点だからである。日本のサッカーの文化や歴史などの総体を理解するためには、原点である「明治」を知らなければならない。書名が『日本サッカー辛航紀』であるならば、なおさら、その「辛」い「航」海の船出が明治時代だったからである。

明治最初のフットボールはサッカーか? ラグビーか?
 意地の悪いことを言うと、『日本サッカー辛航紀』はこの重苦しいテーマから逃げたのではないかと邪推する。野球に普及や人気でサッカーが先んじられたこともある。もうひとつは、そもそも日本で最初に行われたフットボールが、サッカーなのか、ラグビーなのか、最近になって論争になっているためでもある。迂闊(うかつ)なことが書けないのだ。

 今でも、JFAの公式サイトの「沿革・歴史」、1873年(明治6)の項には「イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA・L・ダグラス少佐(中佐とも)と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)」とある。これが従来の定説というか、通説であった。

▼日本サッカー協会(JFA)沿革・歴史

 後藤健生さんも『日本サッカー史 代表編』では、特に吟味することもなく、この通説を掲載した。


秋山陽一
【秋山陽一氏】

 秋山さんの主張をまとめたのが、日本ラグビー狂会編『ラグビー・サバイバー』所収の「フットボールの憂鬱」という論考である。

ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


 後藤さんは、ある程度、秋山さんの批判を受け入れている。当時の海軍兵学寮の様子を調べていくうちに、なるほど、これが完全なるサッカーだったとは言い難い。もっとも、それがラグビーだったと証明することもできないのだが……。

 後藤さんの後の著作『サッカー歴史物語』では、持論が修正されてある。

 イングランドでFAルール(サッカー)が普及するのは、実は「The FA」が創設された1963年よりも少し後のことだ。また、イングランドのラグビー協会(RFU)の創設も1871年である。あの当時は、サッカーとラグビーはそれほど隔たりのある球技ではなかった。

 当ブログから加えるに、当時は、サッカー、ラグビー以外のルールのフットボールもいくつか混在していた。フットボールが両者どちらかに収斂(しゅうれん)していくのも、後々のことである。

 明治初期の海軍兵学寮では、キッチリしたルールではなく、フットボールの真似事のような遊びを英国海軍将兵と日本人学生らはやっていたのではないか。

 後藤さんといっしょに「日本サッカー史研究会」を主宰している牛木素吉郎さんも、この立場を支持している。

 牛木さんは、明治初期に日本で行われたフットボールを「サッカー」でも「ラグビー」でもなく、「フットボール」と表記しようと提案している。FAルールで行われたことが確実なものだけを「サッカー」と呼び、RFUルールで行われたことが確実なものだけを「ラグビー」と呼ぶ。

▼牛木素吉郎「明冶初期のフットボール@日本サッカー史研究会」(2007年2月19日)

 そうすることによって、無意味な論争を避けることができる。

後藤・牛木説をあくまで突っぱねる秋山陽一氏
 しかし、秋山陽一さんは、この後藤・牛木説にもあくまで異を唱える立場をとる。

 秋山さん曰く……。後藤健生氏は『サッカー歴史物語』で、当時のルールについて、相変わらず「サッカーともラグビーとも特定しがたく」という見解を披歴しているが、根拠を示していない(これは指摘どおりかもしれない)。一方、イギリスの研究者(誰?)は海軍兵学寮のフットボールについてラグビーとしている。

A_Footbll_Match_in_Japan
【A Football Match in Japan(19世紀)】

 イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こさない(本当か?)。論拠となる資料はある(それが知りたい)。

 後藤健生氏と牛木素吉郎氏の説を支持するサッカーファンが理解できない。

 ……。何というか。秋山さんのスタンスからは、サッカーファンに対して「マウントを取りに行く」感じをヒシヒシと感じる。さすがに最近はそんな人も少なくなったが、どうして日本のラグビー関係者はサッカーを目の敵にするのだろうか。

 いちど「日本サッカー史研究会」の会合で後藤さんと秋山さんの「直接対決」があったというが、秋山さんの態度がかなり挑発的だった、との噂もある。

 秋山さんがいう「イギリスの研究者」が誰かは分からないが、2019年6月に英国の歴史学者、ラグビー史研究家のトニー・コリンズ(Tony Collins)による『ラグビーの世界史~楕円球をめぐる二百年』が上梓された。

 現時点で未読だが、この著作では海軍兵学寮の「フットボール」を「ラグビー」としているかもしれない。確認できれば当ブログで紹介するかもしれない。

工部大学校の「フットボール」は「サッカー」
 もうひとつ、秋山氏が批判・指摘しているのは、明治初期の海軍兵学寮とはほぼ同時期に「フットボール」が行われていた工部省工学寮(工部大学校)は、昭和初期に刊行された当時の学生の回顧談にハッキリと「アソシエーション式」(サッカー)であることだ。

 これについては、サッカー史研究ブログの「蹴球本日誌」が詳しい。『旧工部大学校史料』(1931年)、『旧工部大学校史料・同附録』(1978年復刻)を参照しながら、次のように説明する。
 古川阪次郎〔OB〕「工部大学に於ける運動其他」には、

 〈…それから上の組の頭が玉木弁太郎君及田辺朔郎君であったと記憶して居るが、玉木君は丈が高い(後には肥ったが)ので、フットボールの時分には、いつでも玉木君がゲートキーパーであった。〉(p.137)

 とあり、GKを置いた「サッカー」だったことがわかります。弱冠20代で琵琶湖疎水を完成させるという偉業をなしとげた田辺朔郎もサッカーをしていたようです。

 門野重九郎〔OB〕「工部大学に於けるスポーツ」には、

 〈四、フートボール

 此のゲームは溜池運動場にて盛なりしが今日のアッソシエーション〔FAルール=サッカー〕の前身とも云ふべく其のルールも至って簡単にして今日の如く前営〔FW〕、中堅〔HBまたはMF〕、後営〔BKまたはDF〕などと確然と定まった陣営も無く唯早く球をゴールに蹴込むに勉めたるものなり。〉(p.142)

 とあり、「サッカー」だったことを〈証言〉しています。

蹴球本日誌「『旧工部大学校史料』におけるサッカー」July 09, 2005


▼旧工部大学校史料~国立国会図書館デジタルコレクション

▼旧工部大学校史料・同附録(青史社)1978|書誌詳細|国立国会図書館
 後藤健生さんは、なぜか工部大学校の「フットボール」にしても、サッカーなのかラグビーなのか曖昧にしている。海軍兵学寮と違って、こちらは「サッカー」であることがほぼ確定しているのだから、堂々とサッカーと書いてもいいのではないかと思う。

 後藤さんは、わざと曖昧にしているのだろうか。

海軍兵学寮=ラグビー説の矛盾
 ブログ「蹴球本日誌」は、サッカーかラグビーかという論争に、別の立場から「参戦」している。「蹴球本日誌」は、秋山陽一さんと同じ史料、沢鑑之丞著『海軍兵学寮』(1942年)などを参照しながら、しかし、海軍兵学寮のフットボールは「サッカー」であるという立場をとる。

 該当するエントリー「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」(2005年7月18日)では、秋山さんの史料の見落としや持説の矛盾点を突いている(引用文は,読みやすいように適宜編集してある)。
 秋山陽一氏の著作「フットボールの憂鬱」@『ラグビー・サバイバー』p.212に〈澤鑑之丞の別の著書「海軍兵学寮」でも、午後に毎日砲術訓練が取り入れられた当初、生徒たちは身体が大いに疲労を感じたが、後には次第に活気を増し愉快に外業を学ぶようになったと述べている。〉とあり、澤(沢)の『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)を読んだことが記されています。

 この本(『海軍兵学寮』)の明治7年〔1874〕の部分に〈また、「フットボール」(蹴球)もイギリス教師より教を受けて、寮内馬場に於て、甲乙両部にわかれ仕合を致しました。〉という一行があり(p.248-250のうちのどこか)、1874年当時の在籍者が〈フットボール(蹴球)〉をしていたとの「証言」があるのですが、不思議なことに(笑)秋山氏はこの部分に言及していません。

 また秋山氏は、「フットボールの憂鬱」で〈日本では、明治から大正時代にかけてア式とラ式といういい方で2つのフットボールを区別してきたが、昭和に入ると、ア式は蹴球を名乗り、一方は単にラグビーとなった。〉(『ラグビー・サバイバー』206頁)とも述べています。1942(昭和17)年に出版された『海軍兵学寮』に〈「フットボール」(蹴球)〉と記されていて、〈「フットボール」(ラグビー)〉でないのは、秋山氏の説に従えば、海軍兵学寮はサッカーをしていたことになってしまいます。これは秋山氏のオウン・ゴール……(笑)。

蹴球本日誌「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」July 18, 2005


▼海軍兵学寮(興亜日本社):1942|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
 読んでいて、当ブログも笑ってしまった。

 秋山さんの「フットボールの憂鬱」は、私も読んだが、何というか、あれを確実にラグビーであるとするには、今ひとつ決定打に書くのではないかという気はした。

もっと活発な議論の応酬を!
 話を戻すと、秋山陽一さんは「イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こしません.論拠となる資料はあります」と唱える。

 一方、後藤健生さんは「YC&AC〔横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ,外国人居留地のクラブ,かつての通称「横浜外人クラブ」〕で、アソシエーション式(つまりサッカー)にするか、ラグビー式にするかという議論が行われたのは1880年代になってからのことだ」と唱える(『サッカー歴史物語』143頁)。

 これは重要な指摘だ。何がしかの根拠=資料(史料)がなければならない。

 ここでも、後藤さんと秋山さんの意見の相違は争点になる。野次馬としては、このサッカーvsラグビー論争で、もっと活発な議論の応酬を見たい。そうすることが、むしろお互いをよく知ることになり、お互いのためになる……のではないか。邪馬台国論争や、法隆寺再建論争みたいに、もっと派手にやってほしいのである。

 そのためには後藤健生さんvs秋山陽一さんのセカンドレグを、ぜひとも実現させるべきであろう。

(了)



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