スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:ラグビー

中田英寿にまつわる仰天エピソード
 2020年2月3日、ヤフー!ジャパンが、Goal.comからの配信として「トッティ氏,仰天エピソードに中田英寿氏を選出〈なぜそんなことを.彼は本当に特別な人〉」なる、サッカー元イタリア代表フランチェスコ・トッティのインタビュー記事を公開した。
  •  トッティ氏、仰天エピソードに中田英寿氏を選出「なぜそんなことを.彼は本当に特別な人」
 彼とサッカー元日本代表・中田英寿は、かつてイタリア・セリエAの名門ASローマでチームメイトであった。ASローマは、2000-2001シーズンにセリエAで18シーズンぶりに優勝した。

 その快挙、ASローマの選手やスタッフたちによる歓喜の輪の中にあって、中田英寿だけは「優勝が決まった直後,ロッカールームの隅で読書をしていた」という逸話を、トッティは「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」として紹介している。
 「私〔トッティ〕は〔現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソードとして〕ナカタ〔中田英寿〕を選ぶ。なぜならナカタは、スクデットのお祭り騒ぎの中、本当に読書していたんだよ。なぜそんなことをしていたのかは分からない。彼〔中田英寿〕は本当に特別な人だよ」

Goal.comより
 この珍記事を受けて、中田英寿を素朴に信奉する、いたいけな人たちの反応がSNSやヤフー!ジャパンのコメント欄に現れている。以下は、そのマンセ~、ハラショ~のほんの一例であるが……。




 ……なるほど。「中田英寿神話」はこうやってメンテナンスされていくのだ。

英国における「大卒」サッカー選手の苦悩
 読めば分かるのだが、トッティは、あくまで「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」を語ったのであって、「現役時代を通じ,最も驚いたサッカー選手やそのプレー」を語ったわけではない。

 該当記事を読む限り、トッティは中田英寿をそのように評価したわけではない。

 この「仰天エピソード」を読んで、むしろ、思い出したことがある。サッカーとサッカーカルチャーのことならおおよその事柄が書いてある、デズモンド・モリス博士の『サッカー人間学』(1983年,原題:The Soccer Tribe)に登場する話だ。

 英国イングランドのプロサッカー選手で、数少ない「大学卒」のインテリだったリバプールFCのスティーブ・ハイウェイ(Steve Heighway,1947年生まれ,ウォーリック大学卒)の「苦悩」である。
 大学教育まで受けた数少ない一流選手の一人で、リバプールで活躍するスティーブ・ハイウェイには,このような〔低学歴のプロサッカー〕選手〔たち〕の態度は大変な驚きであった。

スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁
【スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁】

 リバプール・チームに入った当初,彼〔ハイウェイ〕は相手チームと対戦する時と同じように,自チームの仲間との交際が怖かったという。あるスポーツ解説者は「彼はこの社会〔プロサッカー選手たちの世界〕の不適応者だった」といい,「遠征先でトランプ〔≒少額の賭け事〕が始まると,ハイウェイは抜け出して観光団に加わった。

 仲間には,明らかにインテリを鼻にかけた生意気な態度と映った。彼が戻ると,みんなは威嚇〔いかく〕的な視線を送って,トランプに仲間入りする気があるかどうか尋ねた」と伝えている。

 ハイウェイは変人扱いを受けるのがたまらず,何とか順応しようとした。

デズモンド・モリス『サッカー人間学』183頁


サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 チームの雰囲気に馴染めなかったという意味では、スティーブ・ハイウェイと中田英寿は、ある意味で似ている(まだハイウェイはチームに馴染もうとしていたのだが)。

サッカー選手は「ハマータウンの野郎ども」である!?
 デズモンド・モリスが『サッカー人間学』で描き出した、プロサッカー選手のイメージ(ステレオタイプ)を抄出してみると……。
  •  芸術や科学や政治に関心がなく、サッカーにしか興味がない。
  •  暇な時、特に遠征時の移動中は、トランプのゲーム≒少額の賭け事を楽しんでいる。
  •  映画やテレビをよく見るが、(高尚な作品ではなく)スリラーやアクションが多い。
  •  読書も、サッカー関係の雑誌か、タブロイド紙の推理小説やスリラーの域を出ない。
  •  挑発的で威圧的なキャラクターの女性は好まれない。
  •  好きな音楽はロックやポップに限られている(クラシックではない)。
  •  遠征先の有名な観光地の見学には興味が薄く、つまりは知的好奇心に乏しい。
 ……等々。ものの見事にサッカー馬鹿であり、粗にして野であり、けして「知的」とはいえない。これでは、スティーブ・ハイウェイが馴染めないのは当然だ。

 これには、英国という社会のしくみが絡んでいる。いわゆる「階級社会」である。例えば、単純な計算で、英国の大学の数は日本の4割程度しかない。しかも進学率が低い。

 英国の子供は11歳(!)で学力試験を受けて、そのうち所定の成績を上げた3割程度しか高等教育の学校(大学など)に進学できない。残り7割のほとんどはステートスクール(公立中学)を卒業したら、そのまま労働者として社会に出る(この段落の知識は,林信吾『これが英国労働党だ』によるもの)。

 現在の英国でも、欧州の他の国も、おおむね事情は似たようなものである。

 サッカー選手は、労働者階級のスポーツである。選手の出身も労働者階級が多い。

 すなわち、サッカー選手は、なかんずくプロサッカー選手は。大学に進学するような知的エリート≒上流階級(的な)がやるスポーツだとは思われていない。そして、選手の言動や立ち振る舞いも労働者階級的であることを求められる。
 世の中には知的ならざる、しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層があるのだという単純な事実……。

 知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。

 〔英国の〕社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らかにしている〔ポール・ウィリスの著作『ハマータウンの野郎ども』のこと〕。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
1996-09-01






 世の中は……知的エリートによってだけ動いているのではない。……知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。

 人間はプライドなしには生きられないという観点からすれば、どちらも等価である。

三浦淳「捕鯨の病理学(第4回)」
 すなわち、プロサッカーとは「知的ならざる,しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層」あるいは「反知性によりプライドを充足する人々の」ための、基本的に「そういう人によってしか担われない領域の仕事」なのである。

 サッカー選手たちとは、とどのつまり「ハマータウンの野郎ども」なのだ。

 スティーブ・ハイウェイの「苦悩」の背景がここにある。「大学卒業」の学歴を持つハイウェイが馴染めないのは、プロサッカーが「労働者階級」の社会だからである。

「体育会系」という反知性的なコミュニティ
 その昔、1960年代、サッカー日本代表がヨーロッパに遠征した。そのスコッドの選手たちは、大学生や大学卒業の選手がほとんどだった。例えば、杉山隆一は明治大学卒業、釜本邦茂は早稲田大学卒業である。

 そのため、学歴のないサッカー選手が多いヨーロッパの現地では、珍しく受け取られたという。

 だからと言って、日本のサッカー選手やアスリートが、真に「知的」かどうかは微妙である。

 日本の大学スポーツの体育会・運動部には「体育会系」という言葉(概念)があり、それは「体育会の運動部などで重視される,目上の者への服従根性論などを尊ぶ気質.また,そのような気質が濃厚な人や組織」(デジタル大辞泉)と解釈される。

 すなわち、あまり「知的」とは見なされない。日本においてもサッカーを含むスポーツ選手は、あまり賢くないというイメージ(ステレオタイプ)があり、当事者もそこに充足しきっているというところがある。

 洋の東西を問わず、サッカー選手は敢えて「知的」でないことを誇っている節がある。

 そういえば、フランチェスコ・トッティは「知的」ではなく「間の抜けた男の愛嬌」を感じさせる逸話が多い。日本で言えば、プロ野球の長嶋茂雄のそれに通じるものがある。

 対して、中田英寿の逸話は対照的である。世界最高峰のサッカーリーグであるセリエAで優勝したにもかかわらず、ひとり「ロッカールームの隅で読書をしていた」というのは、そうしたサッカー界の風潮には順応できなかった……ということである。

中田英寿は「真に知的なアスリート」なのか?
 所詮、スポーツなど馬鹿がやる仕事なのか? 否。スポーツライターの藤島大は、スポーツこそ「知的」な営為であると説き、中田英寿のような安易なアンチテーゼ的振る舞いの方を批判している(下記リンク先参照)。曰く……。
 スポーツとは、そもそも高等な営みである。一流選手が経験する真剣勝負の場では、緊急事態における感情や知性のコントロールを要求される。

 へばって疲れてなお人間らしく振る舞う。最良の選択を試みる。この訓練は、きっと戦争とスポーツでしかできない。

 だからアスリートは、机上では得られぬ知性をピッチやフィールドの内外に表現しなければならない。

 常識あるスポーツ人が、非日常の修羅場でつかんだ実感を、経営コンサルタントや自己啓発セミナーもどきの紙切れの能弁ではなく、本物の「詩」で表現する。そんな時代の到来を待ちたい。

 「片田舎の青年が、おのれを知り、世界を知り、やがて、おのれに帰る。だからラグビーは素敵なのだ」

 かつてのフランス代表のプロップ、ピエール・ドスピタルの名言である。バスク民謡の歌手でもある臼のごとき大男は、愛する競技の魅力を断言してみせたのだ。

 ……たしかにドスピタルの言葉に比べると、中田英寿の『中田語録』などは「机上の知性」あるいは「紙切れの能弁」でしかない。

中田語録
文藝春秋
1998-05


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 知的とは思われていないフットボーラーだが、フットボールを極めると、むしろ、だからこそ真に知的な言葉が出てくる。一見すると、矛盾している。矛盾しているが、真理である。

 その真理を、ついに理解できなかったのが中田英寿である。

中田英寿から透けて見える日本サッカー界の「知性」
 藤島大が「真に知的なアスリートの到来」を期待したのは、2001年1月のことである。

 あれから、20年近くたった2020年2月。しかし、未だに「中田英寿の仰天エピソード」が出てくる。未だに「中田英寿神話」のメンテナンスが行われる……。

 ……ということは、日本サッカー界の知的レベルが更新されていないということでなる。

 中田英寿は「サッカー馬鹿」になるべき時になれない体質だった。そこにサッカー選手として才能の限界があった。中田英寿は、だから、ワールドクラスのサッカー選手としてのキャリアを形成できたわけではない。

 代わりに、中田英寿は、日本のサッカー界の知性の低劣さを巧妙に刺激する才能には長(た)けている。2000年のアウェー国際試合「フランスvs日本」戦のパフォーマンスなどは、そうである。

 そこで錯覚してしまう、いたいけな日本人が多い。残念でならない。

中田英寿は「特別な人」ではなく「特殊な人」である
 ところで、くだんのトッティのインタビュー記事。イタリア語原文がどうなっていたのかは分からないが、日本語の翻訳をちょっとだけ改変してみると、がぜん面白くなる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特別な人」
 ここから単語をひとつ置換してみる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特殊な人」
 フランチェスコ・トッティが「なぜそんなことをしていたのかは分からない」というくらいだから、後者の方がニュアンスが通じる!?

 ことほど左様、日本にとっても、国際的にも、中田英寿は「特別なサッカー人」ではない「特殊なサッカー人」なのである。

 こちらの方が、中田英寿という人間の本質を言い当てている。

(了)




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前回,前々回のおさらい
  • 【前々回】RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月23日)
  • 【前回】続・RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールドインユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月26日)
 いきものがかりの吉岡聖恵が歌った、ラグビーW杯2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)は、世間では無視され、黙殺され、忘れ去られた。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2019-10-01


 なぜか? 「ワールド・イン・ユニオン」とは別に、独自のラグビー関連のタイアップ曲を持ってビジネスをしているNHK、日本テレビ、TBSといった日本ラグビー界をPRしてくれるマスメディア、独自のCMタイアップ曲を持つ、ラグビー日本代表のスポンサー・大正製薬「リポビタンD」に対して、日本ラグビー界が【忖度】したからである。

 タイアップ曲によるビジネスは、欧米の音楽業界には見られない因習であり、日本の音楽業界、テレビ業界が孕(はら)む構造的な、好ましからざる慣習である。

 この風潮が、ラグビー界を含めた日本のスポーツ界、日本のマスメディアによるスポーツ番組、スポーツ中継にも及ぶようになっている。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうことで、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうことを、恐れたからである。

 吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は、「タイアップ曲」という日本的な因習の犠牲になり、存在を隠蔽され、潰された。

ゆず「栄光の架橋」とNHKのステマ
 例えば。2004年アテネ・オリンピックの公式テーマ曲は、ゆず「栄光の架橋」……ではない。

 同大会の体操競技の中継で、NHKの刈谷富士雄アナウンサーが「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」と実況した。1936年ベルリン五輪の「前畑ガンバレ」に匹敵する、本邦スポーツ中継史における名セリフ、だと言われている。しかし……。

 この刈谷アナウンサーの実況は、放送法にある「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」という規定に抵触するのではないか? ……と批判されている。

 NHKは、子会社のNHK出版が「栄光の架橋」の原盤権(著作権とは別の音源に関する権利)を持っていて、この曲を流せばNHK出版にカネが下りる。つまり、刈谷アナウンサーの実況は「栄光の架橋」のステマ(ステルスマーケティング)をしたものではないか……との疑惑を指摘されているのだ(速水建朗『タイアップの歌謡史』215~216頁)。


 例えば。2010年サッカーW杯南アフリカ大会の公式テーマ曲は、Superflyの「タマシイレボリューション」……ではない。

 日本人のあるお笑いタレントが、この曲をBGMにして、同大会でアルゼンチン代表監督をつとめたディエゴ・マラドーナの物まね振りマネをしていたが、国際的には通用しない。外国人には、マラドーナの真似をするのに、なぜこの曲でなければならないのか意味不明である。

 例えば。2012年ロンドン・オリンピックの公式テーマ曲は、いきものがかりの「風が吹いている」……ではない。

 いきものがかりのボーカルの吉岡聖恵は、2019年のラグビーW杯日本大会の正真正銘の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」を歌いながら、他のテレビ局・他のスポンサー会社のタイアップ曲ビジネスに隠蔽されて、世間的には黙殺された。しかし、この時は公共放送たるNHKの強力なバックアップを受けていた。

 皮肉と言えば、皮肉である。

椎名林檎のブラジルW杯NHKタイアップ曲「NIPPON」は何が駄目か?
 例えば。2014年サッカーW杯ブラジル大会の公式テーマ曲は、椎名林檎の「NIPPON」……ではない。

 この楽曲は、好悪の別がハッキリと分かれたが、何が駄目なのか? 当ブログには、よく分かる。当シリーズでは、楽曲それ自体への評価はしないつもりだったが、この作品に関しては例外とする。「NIPPON」は、何が駄目なのか?

 ウィキペディア日本語版の記述をそのまま信じれば、椎名林檎の「NIPPON」は、NHKから「日本代表を応援する歌を作ってほしい」と依頼されたという。しかし、英米などとは違い、ナショナリズムがデリケートな問題になっている日本で、これでは歪な楽曲しか生まれない(RADWIMPSの「hinomaru」なども同様である)。

 むしろ、NHKは「国籍や民族にかかわらず,世界中のどこのサッカーチームであっても,ファンやサポーターが応援に使える曲を作ってほしい」と依頼するべきであった。

 事実、JリーグのFC東京のサポーターは「You'll Never Walk Alone」(俗称:ユルネバ,元はリバプールFCのサポーターソング)、モンテディオ山形は「Blue Is The Colour」(俗称:ブルイズ,元はチェルシーFCのサポーターソング)と、英国のサポーターソングを使っている。

 ……というか、日本製のサッカー関連の楽曲が余りにも貧困なので、そうせざるを得ない。*

 この辺が、「六甲おろし」(阪神タイガース)や「東京音頭」(東京ヤクルト スワローズ)といった応援歌が定着している、土俗の臭いが(いい意味で)ぷんぷんするNPB=日本プロ野球に対して、Jリーグ(日本サッカー)の劣っている点である。

六甲おろし~阪神タイガースの歌
立川清登
ビクターエンタテインメント
1992-07-22


 椎名林檎が本当に優れたシンガーソングライターならば、NHKの依頼など鵜呑みにせずに、こうした「情況」に風穴をブチ開ける楽曲を創るべきであった。

 それとも、Jポップのアーティストの創作力なんて、所詮こんな程度のモノなのですかね?

W杯も五輪も日本ではテレビ局のイベント!?
 ……等々、こうした事例には枚挙に暇がない。これらは、あくまでNHK(他の民放でも同様)が自局のスポーツ中継を利用した原盤権ビジネスのために、勝手に制定した私的な「タイアップ曲」であって、大会それ自体の「公式テーマ曲」ではない。

 つまり、1964年東京オリンピックにおける三波春夫(ほか競作)の「東京五輪音頭」や、1972年札幌冬季オリンピックにおけるトワ・エ・モア(ほか競作)の「虹と雪のバラード」といった、公的なテーマ曲とは性格の異なる楽曲である(椎名林檎の「NIPPON」以外は,楽曲そのものへの評価ではない)。

東京五輪音頭~世界の国からこんにちは(舞踊ガイド付)
三波春夫
テイチクエンタテインメント
2019-10-10


虹と雪のバラード (MEG-CD)
トワ・エ・モワ
株式会社EMIミュージック・ジャパン
2012-10-31


 あまつさえ、NHKなどは、テレビやラジオの番組で。こうした大会の公的なテーマ曲と私的なタイアップ曲を混同して、「W杯や五輪のテーマ曲」として紹介する詐術を行っている。許し難い。

 かくして日本人は、ワールドカップであれ、オリンピックであれ、テレビ局の私的な「タイアップ曲」をいうフィルターを付けさせられて、あたかもそのテレビ局のスポーツイベントであるかのように、これを見るハメになる。

 日本人は「世界」とは違ったものを見せられている。

 このことは、日本におけるスポーツの文化的価値を著しく下げている。

紅白で「ワールド・イン・ユニオン」が歌われなかった愚かなニッポン
 2019年12月31日、大晦日(おおみそか)恒例の歌番組「NHK紅白歌合戦」(紅白)で、吉岡聖恵が属するいきものがかりは、「ワールド・イン・ユニオン」ではなく、前述の「風が吹いている」を歌った……というか歌わされた。ゆずもまた前述の「栄光の架橋」を歌った。

 ともに2020年東京オリンピックの前景気を煽るためである。

 Little Glee Monster(リトグリ)は、NHKのラグビー関連番組タイアップ曲「ECHO」を歌った。また、松任谷由実は、ラグビーを題材にした「ノーサイド」を歌った。

ノーサイド
UNIVERSAL MUSIC LLC
2018-09-24


 同年、日本で開催されたラグビーW杯の感動を振り返り、その余韻に浸るためである。曲が流れている間、番組では、ラグビーW杯2019日本大会の試合の映像をふんだんに使っていた。

 他方、他のラグビー関連のタイアップ曲の歌い手、例えば「馬と鹿」(TBS系テレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」主題歌)の米津玄師や、「兵、走る」(ラグビー日本代表スポンサー「リポビタンD」CMソング)のB'zは、「紅白」に出演しなかった。

 「紅白」には、いかにもNHK的な権威主義や、番組独特の野暮ったさがあり、こだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手たちには、出演することに抵抗のある歌番組である。出演するにしても、さんざんな勿体を付けて出演する(何のかんのいっても「紅白」は視聴率は高いからPRの効果は高い.だから音源は売れる)。**

 松任谷由実は、以前はそんなこだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手だった。以前はそんなこだわりを持つ「アーティスト」的な歌い手では必ずしもなかった桑田佳祐のサザンオールスターズは、今やそんな人たちになってしまった。

 そして、ネットという巷間には、そんな米津やB'zを盾にとってNHKや「紅白」を揶揄しては得意げな人がいるらしい。さらには米津「馬と鹿」の作風をもってB'z「兵、走る」の作風まで揶揄しては、得意げな人もいるらしい。だが……。

 ……全部間違っている。

 吉岡聖恵が「NHK紅白歌合戦」で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことが出来なかったこと。これが一番の問題である。間違いである。

 わたくしたちの祖国ニッポンは、そのことを知らない人の方が多い。間違っている。

 日本人は本当に馬鹿な民族である……などと書くと、釜本邦茂の日本代表得点記録は捏造(そうなのかもしれない)だと常々主張している某ブロガー氏と一緒になってしまう。

 しかし、日本人の多くがいたいけな情況なのは事実だからしょうがない。

 日本は「世界」に向けて恥をさらしているッ……と書くと、誤字脱字事実誤認悪口雑言罵詈讒謗の常習犯であるインチキ野球ブロガー・広尾晃氏のようになってしまう。

 しかし、「世界」に対して日本が恥ずかしい情況なのは事実だからしょうがない。

RWC2019…その玉に瑕
 ラグビーW杯2019日本大会は、本当に素晴らしい大会だった。そのことは誰も疑いようはない。

 台風19号の被害で3試合が中止になったこと。これは天災であるし、いたしかたない。

 しかし、ラグビーW杯2019日本大会の本来の公式テーマ曲である、吉岡聖恵が歌った「ワールド・イン・ユニオン」が、ここまで蔑(ないがし)ろにされたこと。

 この恥ずかしい事実は、大会唯一の汚点となっている。

(了)




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前回のおさらい
  • 【前回】RWC2019日本大会の公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」はなぜ黙殺されたのか?(2020年01月23日)
 歴代のラグビーW杯で歌い継がれてきた大会公式テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)。2019日本大会では、いきものがかりの吉岡聖恵が歌った。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2018-10-05


 しかし、世間では、吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は無視され、黙殺され、忘れ去られた。なぜか?

 通説では、日本ラグビー界の首領(ドン)こと元首相・森喜朗が、吉岡聖恵よりも、平原綾香の方を依怙贔屓(えこひいき)したために、日本ラグビー界がその意向を【忖度】したからだ……と伝えられている。

 しかし、おそらく元首相・森喜朗の存在は隠れ蓑(かくれみの)に過ぎない。日本ラグビー界の真の【忖度】の対象は他にある。

 独自のラグビー関連のタイアップ曲を持ってビジネスをしているNHK、日本テレビ、TBSといった日本ラグビー界をPRしてくれるマスメディア、独自のCMタイアップ曲を持つラグビー日本代表のスポンサー・大正製薬「リポビタンD」に対する【忖度】である。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうと、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうからである。

 タイアップ曲によるビジネスは、欧米の音楽業界には見られない慣習であり、日本の音楽業界、テレビ業界、スポーツ業界が孕(はら)む構造的な、好ましからざる慣習である。

 吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」は、「タイアップ曲」という日本的な悪習*によって存在を隠され、潰されたのだ……。

世界的スポーツイベントとタイアップ曲
 ……こうした日本のタイアップ曲の慣習は、日本のスポーツ文化という観点から見て大いに弊害がある。

 例えば、2018年のサッカー・ロシアW杯の場合、その公式曲は、ドイツ人の作曲家ハンス・ジマー(Hans Zimmer)とスコットンド人の作曲家ロアン・バルフェ(Lorne Balfe,ローン・バルフとも)が作曲した「Living Football」という曲である。


【Hans Zimmer & Lorne Balfe - Living Football (The original 2018 FIFA World Cup soundtrack)】


【Hans Zimmer, Lorne Balfe - Living Football (Official FIFA Theme)】


【Hans Zimmer & Lorne Balfe - Living Football [FIFA 2018 Theme Music Visualization]】

 ところが、日本の公共放送たるNHKは、これとは別に日本のロックバンドSuchmos(サチモス)の「VOLT-AGE」(ボルテージ)なる楽曲を「2018年NHKサッカーテーマ」として(勝手に)選び、2018FIFAワールドカップ・ロシア™のテレビ中継のオープニングやエンディングにも被せてきた。


【FIFA ワールドカップロシア2018 NHK オープニング】

 NHK……に限らず日本のテレビ局は、公式のテーマ曲を蔑(ないがし)ろにすることで、サッカーW杯やオリンピックを、あたかも自局独自のスポーツイベントであるかのように、視聴者に印象付けようとしてきた。

 タイアップ曲というフィルターによって、日本のスポーツファン、テレビ視聴者は、日本のテレビ局によって、W杯でも五輪でも「世界」とは違ったものを見せられてきた。

 さすがにFIFAは、こうした事態を防ぐために、昨今、W杯公式曲をBGMとした、オリジナルのオープニング&エンディング用のアニメーションを制作し、これを試合中継や関連番組の前後に挟んで放送するようになっている(これはラグビーW杯でも同様である)。


【2018 FIFA World Cup Russia - OFFICIAL TV Opening (EXCLUSIVE)】


【2014 FIFA World Cup - OFFICIAL TV Opening】

 日本のテレビ局(NHKや民放)による、自局のビジネスのために発生した、W杯や五輪という世界的なメガイベントへの不遜や矮小化は、目に余るものがある。





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松任谷由実の「ノーサイド」ではなく…
 大晦日(おおみそか)恒例のテレビ番組「NHK紅白歌合戦」を視聴することが、さまざまな理由で個人的にも苦痛になって久しい。それでも、次のツイートをしたいばっかりに、松任谷由実が「ノーサイド」を歌ったパートのみをピンポイントで視聴した。



 要するに、ツイッターに当てこすりを投稿したかったのだが、では、そもそも「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)とは、いかなる楽曲なのか?

歴代のラグビーW杯で歌い継がれてきた名曲
 余程いたいけな人でもない限り、ラグビーワールドカップ2019日本大会(RWC2019)の公式テーマ曲は、いきものがかりのメインボーカル・吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」(World In Union)であったことを知っている。


【[ラグビーワールドカップ]この感動は一生に一度だ/オフィシャルソング『World In Union』/吉岡聖恵(いきものがかり)】(2019年 第9回ラグビーW杯)

 昔からのラグビーファンならば、「ワールド・イン・ユニオン」が、1991年の第2回大会(イングランドほか5か国で開催)から歌い継がれた、ラグビーW杯のテーマ曲であることを知っている。

 1991年大会は、ニュージーランド出身のオペラ歌手・声楽家のキリ・テ・カナワによって歌われた。


【Kiri Te Kanawa - 'World In Union' Music Video】(1991年 第2回ラグビーW杯)

 2011年の第7回ラグビーW杯ニュージーランド大会では、同国出身の歌手ヘイリー・ウェステンラが歌った。


【RWC 2011 Official Song - Hayley Westenra Recording World In Union】(2011年 第7回ラグビーW杯)

 いずれも素晴らしい。

 ところが、吉岡聖恵は、ラグビーW杯の開会式・閉会式を含めて、公衆の面前で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことは、ついぞなかった。そして、この曲がマスメディアを通じて流れることも、またなかったのである。*

異常なまでに詳しい『東京スポーツ』電子版の記事
 この辺の不可解な事情については、夕刊紙『東京スポーツ』電子版の2019年11月10日付で、無署名ながら、非常に詳しく、かつ拘(こだわ)った記事が掲載されている。
いきものがかり・吉岡聖恵 ラグビーW杯公式ソング〈消えた〉生歌 当日会場にいたのに
 なぜ肉声披露はなかったのか。大盛況で幕を閉じたラグビーW杯日本大会にあって、一部で疑問や残念な思いを呼んだのが、オフィシャルソング「WORLD IN UNION(ワールド・イン・ユニオン)」の歌手を務めた人気グループ「いきものがかり」の吉岡聖恵(35)が一度も公の場で歌わなかったこと。過去には著名歌手らが開会式を美声で彩ってきた中、吉岡が登場しなかった理由を大会組織委員会に尋ねた。

 W杯の「アンセム(祝歌)」と呼ばれ、1991年の第2回イングランド大会から歌い継がれてきた「ワールド・イン・ユニオン」。吉岡は昨年〔2018年〕9月、栄誉ある公式ソングの歌い手として発表された。ところが、閉幕まで公の場で歌ったことは「ございません」と組織委の広報担当者は本紙〔『東京スポーツ』〕の書面質問に答えた。

 英語による吉岡の歌唱は昨年10月に配信が始まり、今年9月にはジャケットを新調した開幕バージョンが流された。この間、大会PR映像を通じてウェブ、イベントなどで歌声が聞かれ、開幕後もPR映像とともに各スタジアムで響き渡った。

World In Union
Sony Music Labels Inc.
2018-10-05


 一方で生歌唱を期待していたファンからは「聖恵ちゃんのワールド・イン・ユニオンが聞きたかった」といった声や、実現しなかったことに「残念です」との反応がSNSで発せられた。

 公式ソングは今回、日本対ロシアの開幕戦直前に会場の東京・味の素スタジアムで行われた開会式で少年少女たちが合唱した。2011、〔20〕15年大会では女性シンガーが、〔19〕99年ウェールズ大会は世界的に有名なシャーリー・バッシーと男性バリトンが登場するなど、開会式で地元出身歌手によって歌われるのが恒例。吉岡は開幕戦を観戦した写真をインスタグラムに投稿しており、試合会場にはいたにもかかわらず、歌わないという状況だった。

 いわば異例のケース。開会式について組織委広報は「大会ビジョンから導き出したテーマ『Rugby For Tomorrow』を基調に演出プランを作成しています」としてこう続けた。

 「『World In Union』の歌詞にもある、団結した、一つとなった世界。新しい時代。このことをラグビーの、そして世界の明日を担う様々な人種の子供たちに声を合わせて歌ってほしい。この思いから、『子供たちによる大合唱』という演出スタイルをワールドラグビー(注・国際統括団体)及び組織委員会、開催都市を含む検討会議体との協議を経て選択しました」

 99年大会でも、当時の報道などによると子供と大人計1000人の合唱団が、サビの部分でバッシーらと声を合わせた。日本大会は「子供たちによる大合唱」を打ち出したことで、公式歌手の出番がなかったということになる。吉岡は決勝戦も観戦したが、閉会式はもともと歌手によるアトラクション等は設けられていなかった。

 この曲を巡っては、その存在感も一部で問われた。もっぱら話題を呼んだのは、開幕直前まで放送されたラグビー部を舞台とする人気ドラマ「ノーサイド・ゲーム」〔TBS系列〕の主題歌〔米津玄師の〕「馬と鹿」や、代表選手が出演のCMで使用された〔B'zの〕「兵、走る」、代表チーム発の「ビクトリーロード」など。SNSでは「間違いなくW杯を象徴する曲なのに」と公式曲の影の薄さを指摘する声もみられる。

 これまで恒例の大会公式アルバムも現時点では発売されていない。〔20〕11年大会盤には、公式曲の歌唱歌手による日本語バージョンも収録されている。

 本人のアルバムに収録されている吉岡バージョンは、日本語への翻訳版も出ていない。

 大会のマッチデープログラムでは「日本中のラグビーファンや彼女(注・吉岡)のファンを中心に支持を集め、ヒットすることでしょう」と紹介された。一方で、ネット上では「ラグビーソングといえば『馬と鹿』」なる見方も少なくない。

 組織委は「吉岡さんの素晴らしい歌声は、日本の皆様に広く届いたと思います」。吉岡はインスタグラムに「微力ながらこの大会に関わらせて頂けた事を嬉しく思います!!!」とつづった。

『東京スポーツ』電子版(2019年11月10日)
 どうしてこうなってしまったのか? 次のような不穏な「噂」が流布している。

定説…あるいは元首相・森喜朗の「鶴の一声」
 今度は週刊誌『フライデー』の電子版2019年11月10日付、同誌の芸能記者によるかなり具体的な署名記事である。
スクープ:森喜朗元会長「ツルのひと声」でラグビーW杯の国歌斉唱が平原綾香
 まさに「老いてますます盛ん」である―。
 〔2019年〕9月20日から日本で開催されるラグビーワールドカップ(W杯)。大会のオープニングゲームとなるのは、東京スタジアムで行われる地元・日本対ロシアの試合だ。

 その栄えある試合で国歌斉唱をするのが、『Jupiter』などのヒット曲で知られる平原綾香に決まったという。そこには、水面下で何やら「ラグビー界のドン」への〈忖度〉があったという。

 「W杯のオープニングゲームでの国歌斉唱を歌うことは、世界中から注目を集める大役です。そこに平原さんが決まったのは、ラグビー協会元会長で元総理でもある森喜朗さんの強いプッシュがあったからですよ。森さんが彼女の大ファンというのは、ラグビー界では良く知られた話。例えば、〔20〕18年8月に行われた釜石スタジアムのオープニングに平原さんを招待するくらい、彼女に〈お熱〉を上げていますよ」(ラグビー関係者)

 そんな森だが、今年4月にラグビー協会の名誉会長を突然、辞任。W杯誘致に先頭を切って働いてきた〈ドン〉の大会直前での退任には、様々な憶測が流れた。

 「協会内の〈若返りを図る〉ためとか、体調不安説などもささやかれたりしました。ですが、名誉会長を退任したとはいえ、協会内での森さんの発言力は絶大です。いまだに彼に対して忖度する協会幹部は多いですよ」(前出・ラグビー関係者)

 実はラグビーW杯を巡り、平原の名前が挙がったのは、これが初めてではない。ワールドカップの公式ソングである『World in Union』の歌手として彼女が取りざたされたことも…。

 「『World―』は91年の英国大会から開催国を代表する歌手が歌うことになっているのですが、実はこの曲は、平原綾香が歌った『Jupiter』と同じで、歌詞だけが違うんです。当然、森さんは彼女を強力にプッシュしたのですが、大会を取り仕切る広告代理店サイド〔電通?〕が、『Jupiter』で有名な平原が歌うことに〈新鮮味に欠ける〉と反対したのです。そこで、〈いきものがかり〉の吉岡聖恵に正式決定したのですが、森さんとしては、かなり納得いない様子だったようですよ」(レコード会社関係者)

 4年に1度のW杯で、公式ソングを歌えるのは世界でたった1人。しかも、日本とは比べものにならないほどラグビー熱の高い欧米やオセアニアへのアピールは絶大で、世界進出への足掛かりにもなる。

 それだけに、公式ソングの歌手選定では、かなり揉めた。本来なら18年春ころに発表のはずが、同年9月に発表にずれ込んだことからも、そのドタバタぶりがうかがえる。

 そこで、平原が所属するレコード会社にラグビーW杯での国歌斉唱の件と森氏の強力プッシュについて質問すると、メールにて、

 「ご質問の件ですが、両質問ともそのような事実はございません」

 という回答が寄せられたのだが…。

 「〈公式ソング歌手〉を平原にさせることができなかったことを、森さんはかなり悔やんでいたそうです。だからこそ、同じように世界的に注目されるオープニングゲームでの国歌斉唱に、なんとしても彼女を押し込みたかったのでしょう。それ以上に不思議なのは、吉岡さんが大会中に出演する予定がないこと。公式ソングを歌う場面でも、吉岡さんは出演しないそうです。過去の大会でも〈公式ソング歌手〉が出てこなかったというのは、ほとんどありませんよ。もしかしたら、森さんの気持ちを〈忖度〉して、あえて周囲が吉岡さんをW杯から遠ざけているのかもしれませんね」(大会関係者)

 いずれにせよ、日本を代表する2組のアーティストが、全く知らないところで行われた〈せめぎ合い〉。それが、ファンの声ではなく、森元会長への〈忖度〉で決まっていたとなれば、あまりに横暴ではないだろうか…。

文:荒木田範文(FRIDAYデジタル芸能デスク)
『フライデー』電子版(2019年08月05日)
 ……というわけで、世上の風聞では、吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」が黙殺されたのは、老害と揶揄される元首相・森喜朗のせいであるということになっている(この記事が本当なら,電通の意向を突っぱねる森喜朗という人もある意味凄いが)。

 しかし、ラグビーファン、スポーツファンが吉岡聖恵に歌ってほしい曲は、基本的に「ワールド・イン・ユニオン」の方である。開会式で吉岡聖恵が「ワールド・イン・ユニオン」を歌い、開幕戦で平原綾香が「君が代」を歌っても、別にかまわない。

 それとも、この2曲を2人の歌手で歌い分けてはいけない、日本の芸能界的事情(テレビ業界の「裏被り禁止」の不文律みたいなもの)でもあるのだろうか?

 いすれにせよ、ラグビーやスポーツを愛する善男善女には関係ない話なのだが……。

やはり「ワールド・イン・ユニオン」は日本では黙殺されたはず?
 否。仮に平原綾香が歌っていたとしても、彼女が開会式で「ワールド・イン・ユニオン」を歌うことはなかったであろう。また、仮に平原綾香が歌っていたとしても、本来のラグビーW杯テーマ曲「ワールド・イン・ユニオン」は、日本では黙殺されていたであろう……。

 ……どうして、こんな憶測が言えるのか?

 ここで陰謀論を大きく広げて邪推を飛躍させてみよう。日本ラグビー界(この場合,公益財団法人日本ラグビーフットボール協会,およびラグビーワールドカップ2019組織委員会)にとって【忖度】の対象は別にある。元首相・森喜朗は、そのことから目を逸(そ)らすための体のいい風除けでしかない。

 むしろ、こういう時に悪役になれる森喜朗は、その意味では優れた政治家である……。

 ……それは一体どういうことなのか?

 日本ラグビー界が「ワールド・イン・ユニオン」を隠蔽することで、誰が得することができたのか? ……を考えるのである。

タイアップ曲とテレビのスポーツ中継
 日本の大衆音楽=ポピュラーミュージック(歌謡曲,ニューミュージック,Jポップ等々)の歴史は、蓄音機とSPレコードの時代から(インターネットによるデジタル音源配信の時代まで)、映画やテレビドラマ、企業や商品、CMと提携(タイアップ)し、これを宣伝する「タイアップ曲」の歴史であった……。

 ……とは、速水建朗著『タイアップの歌謡史』(2007年)が鋭く指摘するところである。

 この「タイアップ曲」の提携対象に、1980年代後半以降、オリンピックやサッカーW杯、各種競技(陸上,水泳,卓球など)の世界選手権といったスポーツのメガイベントのテレビ中継番組が加わるようになっている。

 何と言っても、スポーツ中継は視聴率が高いからだ。特に「日本代表」が「世界」と戦う……というシチュエーションならば、なおさら多くの日本人が感情移入しやすく、視聴率を獲得できる。特にネット時代に入って低迷が止まらない地上波テレビにとっては、スポーツは有力コンテンツである。

 ちなみに、こういうことをやって最も成功した(……というか,唯一成功した)のは、フジテレビのF1グランプリ中継である(日本のメーカーであるホンダ製エンジン搭載車に乗るブラジル人レーサーのアイルトン・セナは,いわば「日本代表代理」であった)。

TRUTH
Sony Music Direct(Japan)Inc.
2014-04-11


 ことわっておくが、あくまで「スポーツのメガイベントのテレビ中継番組」のテーマ曲であって「スポーツのメガイベント」そのもののテーマ曲ではない……ということである。読者諸兄は、くれぐれもこのことを念頭に置いて欲しい。

 この慣習を決定的にしたのは、1988年のソウル・オリンピックで、よりによって公共放送たるNHKが、自局のソウル五輪中継番組のタイアップ曲に、浜田麻里の「Heart and Soul」を採用したことである。

 以降、他の民放各テレビ局とも右に倣(なら)えで、五輪、サッカーW杯、各種スポーツイベントのテレビ中継の度に、有象無象のタイアップ曲で溢れるようになったのである。

他のタイアップ曲と「ワールド・イン・ユニオン」の微妙な関係
 この流れが、もともと商売っ気に乏しい、むしろ、これを遠ざけていた印象がある日本ラグビー界にも、遅まきながら及んできた。

 すなわち、2019年ラグビーW杯日本大会で言えば、NHKとのタイアップ曲は、Little Glee Monster(リトグリ)の「ECHO」という曲である。ラグビー日本代表(ジャパン)のスポンサーである大正製薬「リポビタンD」とのタイアップ曲は、B'zの「兵、走る」である(リーチ マイケル選手と堀江翔太選手のCMは,とても良かった)。

 あるいは、日本ラグビー界との直接のタイアップ曲ではないが、2019年のラグビーブームの地ならしをしたテレビドラマ「ノーサイド・ゲーム」(TBS)の主題歌は、米津玄師の「馬と鹿」である。

 これら……NHKも、日本テレビも、TBSも、大正製薬「リポビタンD」も、日本ラグビー界およびラグビー日本代表(ジャパン)をPRしてくれる重要で大切なマスメディア、または重要で大切なスポンサーである。


 ……と、ここまで来れば「なぜ〈ワールド・イン・ユニオン〉がイチ押しされないのか?」という疑問の、おおよその見当は付く。

 日本ラグビー界が吉岡聖恵の「ワールド・イン・ユニオン」を前面に押し立ててしまうと、他の日本ラグビーとのタイアップ曲が目立たなくなってしまうからである。

テレビ局のステマとタイアップ曲
 こうしたタイアップ曲が放送等で流れると、各テレビ局は傘下に音楽出版社を抱えていて、その楽曲を流せば流すほど、音楽出版社に金が入ってくる仕組みになっている。

 NHKとラグビーW杯(および,その他のラグビー中継)のタイアップ曲、リトグリの「ECHO」の場合、傘下の出版社=日本放送出版協会(NHK出版)が「ECHO」の原盤権(著作権とは違う,音源に関する権利)を持っていて(たぶん)、これを流すたびにNHK出版にカネが入ってくるのである(たぶん)。

 こうしたことは音楽著作者間の公正な競争を阻害するとして、例えばアメリカ合衆国などでは禁じられている。この「タイアップ曲」の慣習こそ、日本のポピュラーミュージックが世界的になれない理由のひとつだとも言われている(そもそも,欧米の著名なアーティストがCMに出演したり,タイアップ曲を歌ったりする例は,非常に少ない)。

 なかんずく公共放送たるNHKは、放送法で「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。法に抵触しかねない。

 実際、NHKは、2004年のアテネ五輪・体操競技の中継で、アナウンサーが、自局のタイアップ曲の題名に結び付けた実況をして、それは違法性を孕(はら)んだ「ステルスマーケティング(ステマ)ではないか?」との疑惑を指摘されている。
テレビ局のタイアップ商法の行きすぎが問題視されている
 「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」

 2004年のアテネオリンピック、体操競技の決勝の中継で、実況を担当していたNHKの刈谷富士雄アナウンサーが叫んだ言葉だ。これはアテネ五輪の名シーン、名セリフとして何度ものちに繰り返し放送された。

 しかし、これは決してアナウンサーの咄嗟の思いつきで生まれた言葉ではない。NHKはオリンピックを中継番組のテーマソングとして、ゆず「栄光の架け橋」という楽曲を起用しており、このテーマソングの題名と結びつけた実況だったのだ。

 それも、単に番組のテーマソングとして使ったというだけではない。上記楽曲の原盤権はNHKの子会社である日本放送出版協会が取得している。つまり、番組中で「栄光の架け橋」がかかるたびにNHKの子会社にお金が入る仕組みになっていたのだ。

 これを民放が行うのならタイアップにまつわる一般的なビジネスとして容認されるが〔本当にそうですかね?〕、〔公共放送たる〕NHKの場合は放送法により「他人の営業に関する広告の放送をしてはならない」と規定されている。

 音楽ライターの高橋健太郎はITジャーナリストの津田大介との対談の中で現在の音楽ビジネスとタイアップの現状についてこう指摘している。

 「米国では放送局が音楽出版を持つのは禁止されているのに、日本は大丈夫だからタイアップビジネスが主流になっちゃう。そりゃテレビやラジオ局は自分の子会社が出版やってる音楽をガンガン流せば使用料が発生して収益になるわけですから、レコード会社に対して、タイアップしてやるから出版権〔原盤権〕よこせって話になりますね」

 これは……〔19〕60年代の「帰ってきたヨッパライ」の時代からすでに行われたきたビジネスの手法ではあるが、昨今はその行き過ぎが問題視されるところまで来ている。

速水建朗『タイアップの歌謡史』215~216頁
 とにかく、日本ラグビー界としては、日本ラグビー界をサポートしてくれる、かつ独自のラグビー関係のタイアップ曲を持っているNHK様や日本テレビ様、TBS様、大正製薬「リポビタンD」様……等々のビジネスの邪魔をしたくない。ご機嫌を損ねたくない。



 だから、吉岡聖恵が歌った「ワールド・イン・ユニオン」は隠蔽されたのである。**

日本のスポーツ文化とタイアップ曲…
 こうした日本の慣習は、日本のスポーツ文化という観点から見て大いに弊害がある。

 ……と、これからもう少し続くのだが、長くなるので以降は次の機会に譲ります。

つづく




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早稲田大学のカラーはエンジか? えび茶か?
 「新国立競技場」で早稲田大学が「大学ラグビー日本一」なんて、あまりにもよく出来た話である。スポーツの強豪大学ではない名門大学、なかんずく早稲田大学のスポーツにおける勝利を欲していたマスコミの皆さんは大喜びだろう。

 ところで、あの早稲田大学のスクールカラー(大学のイメージカラー)……。あの黒みを帯びた赤い色は何と言うのか? インターネットを含めたマスメディアで一番多い表記は「臙脂」(エンジ)である。
  • 臙脂色(えんじいろ)
 ラグビーブームだった1986年の文春ナンバーのラグビー早慶戦特集には「臙脂」と表記されてある。(2020年1月15日追記)
  • Sports Graphic Number 160号《「臙脂」と「黒黄」》1986年11月20日発売
 次いで多いのが、臙脂色とよく似た色である「海老茶」(えびちゃ)である。
  • 海老茶(えびちゃ)
 早稲田大学のサッカー部(ア式蹴球部)では、この色を「海老茶」と認識している。例えば、早大サッカー部の新人歓迎の「紅白戦」は、紅組ではなく「海老茶組」と「白組」に分かれて試合をするようである。
 また、早大サッカー部のOBチームは「早稲田大学WMWクラブ」(早稲田マルーン&ホワイト,Waseda Maroon & White)という。英語の「Maroon」という色は、ふつうは「海老茶」、たまに「栗色」と訳される(早大OBのスポーツライター・藤島大氏は栗色としていた)。

 さらに、ネットで「早稲田大学,スクールカラー」でGoogle検索すると「Maroon」と出てくる。……ということは、早大のカラーは「海老茶」で正しいのだろうか?

早稲田カラー=海老茶説に猛烈に反発してきた中尾亘孝
 ところが、これには異論があるらしい。早稲田大学のカラーは、臙脂でも海老茶でもなく、茜色(あかねいろ)だというのだ。
  • 茜色(あかねいろ)
 主張した人は、誰あろう……。「日本ラグビー狂会」を自称する、サッカーが嫌いで嫌いでたまらない偏執的な反サッカー主義者にして、早稲田大学出身(中退らしいが)の、あの中尾亘孝(なかお・のぶたか)である。

中尾亘孝2
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)

 彼の言い分をたどっていく。1980年代のラグビーブームの余韻がまだ残っていた1993年11月刊行の『早明ラグビー 神話の崩壊』(マガジンハウス)である。
 極東ローカルの〔ラグビー〕フットボール界には、依然として黴〔かび〕のように誤解がはびこっています。

 有名な「ラグビーはサッカーから生まれた」という語訳は、いまも幅をきかせています。北島忠治から宿沢広朗まで……〔中略〕*

 まったくもってどうでもいい誤解があります。でも、この際だから言ってしまいます。

 ワセダのジャージィ〔ユニフォーム〕を「エンジ」とか「エビ茶」と形容するのもおかしいことです。通称アカクロこと、茜〔あかね〕と黒の横縞ジャージィは早稲田茜という染料で色付けされます。茜とはもちろん紅花〔べにばな〕を原料としています。ところがエンジ色は「臙脂虫」を原料とした染料なのです。エビ茶に至っては言語道断

 現在では、染料はすべて化学的に合成されたものが使われています。したがって、茜という言おうとエンジと呼ぼうと、大した違いはありません〔←それでも海老茶と呼ぶのは言語道断かね,中尾亘孝よ:引用者註〕

 それでも、茜に拘るのがトリヴィアリスト(瑣末=さまつ=主義者)のトリヴィアリストたる所以〔ゆえん〕でしょうか。〔以下略〕

中尾亘孝『早明ラグビー 神話の崩壊』170~171頁


早明ラグビー神話の崩壊
中尾 亘孝
マガジンハウス
1993-11


 余談だが、中尾亘孝の前著『おいしいラグビーのいただきかた』や『15人のハーフ・バックス』が好評だったことを受けてか、『早明ラグビー 神話の崩壊』では少し調子づいており、中尾亘孝の異様な語彙、異様な文体、異様な思想が鼻につく、きわめて不快な読後感である。

 それはともかく、サッカー部が採用している「海老茶」については「言語道断」などと言いきってしまうところが、反サッカー主義者=中尾亘孝の反サッカー主義者たる所以だろうか。

茜色=中尾亘孝説の致命的な間違いとは?
 茜色説の詳しい出典について、中尾亘孝は明らかにしていない。だから、その正否を確かめようがない。

 一方、海老茶説については、かなりハッキリしている。早稲田大学学生部が発行する学生向け週刊広報紙『早稲田ウィークリー』のWEB版がかなり詳しく論じている。
 早稲田大学の色といえばエンジ(えび茶色)。応援部の早稲田の旗に、体育各部のユニホームや、早慶戦のメガホンに、そして早稲田ウィークリーの紙面まで…。

 でも、どうして? 大変な筆まめで知られる本学の初代図書館長・市島謙吉が残した記録・手記でその謎を探ることができた。

 遡ること95年前。1905(明治38)年に安部磯雄を団長とした早稲田大学野球部が、日本初の海外遠征(米国)を行った。その際、新調されたユニフォームは、薄い小豆色の地にえび茶色で「WASEDA」と浮き出させたものであった。

 このユニフォームの文字の色になったえび茶色は、早大チームをコーチしたといわれるメリーフィールド氏の母校、シカゴ大学の校色〔Maroon≒海老茶〕からとったものであったという。この時に、早稲田とえび茶色の結びつきが始まったと言える。〔中略〕

 そして、大隈講堂が竣工された1927(昭和2)年。講堂の舞台には、高島屋よりえび茶色の緞帳が調製された。これに関して市島は再び、手記『雅間録(がかんろく)』八(1927年11月25日の条)に、次のように記載している。

 「この色が校色である。偶然シカゴ大学の校色と同一であるのも一奇だ。此色はマルーンというのだが、早稲田の各科には、紅・白・紫・緑さまざまある。それを交ぜ合わせると、此の海老茶、即ちマルーンの色(えび茶色)になるのである」と。

 このことから、明治末にはまだえび茶と決定していなかったスクールカラーは、大隈講堂竣工の1927年には確定し、周知されていたことが知られる。

早稲田大学探検隊「スクールカラーはなぜエンジ(えび茶色)?」
(2000年頃)
 これに従う限り、早稲田大学のカラーは一義的には「海老茶」と呼ぶのが正しいようだ。「茜色」や「早稲田茜」の話は少しも出て来ない。

 想像だが「東京・早稲田近辺で早稲田茜と称する〈茜草〉が取れて染物が行われていた.そして早稲田大学のラグビー部(やサッカー部?)のジャージも,その茜色で染められていた」……という事実(史実)はあったのかもしれない。

 (仮に,こういった事柄に詳しい人がいるのだとしたら,小林深緑郎氏よりも秋山陽一氏の方になるのか?)

 しかし、ふつうの早稲田大学の関係者はこれを「茜色」ではなく、海老茶でなければ臙脂色として認識していたのではないか。海老茶も、茜色も、臙脂色も、どれも皆似た色であり、カラーコーディネーターみたいな人でもない限り、そんなに拘るものではない。

 ちなみに、中尾亘孝の言うように「茜とはもちろん紅花〔べにばな〕を原料」とするというのは、間違い。茜と紅花は全く別の植物で、紅花から採れる赤系の色は「紅色」(べにいろ)である。昔は現在の山形県で生産が盛んであった。
  • 紅色(べにいろ)
 トリヴィアリスト(瑣末主義者)と本人が言う割には、中尾亘孝はつまらない瑣末な間違いをおかしている。

三木谷浩史さんの大好きなクリムゾン≒臙脂色
 ちなみに、臙脂色(えんじいろ)はどうなったのか?

 中尾亘孝が言う「〈臙脂虫〉を原料とした染料」すなわちエンジ色は、ウィキペディアの日本語版や英語版の記述をそのまま信じればれば、クリムゾン(Crimson)と呼ばれ、日本語では臙脂色(えんじいろ)と訳される。

 クリムゾン(≒臙脂色)は、一橋大学のスクールカラーにして、同校アメリカンフットボール部のニックネームである。また、米国アイビーリーグのハーバード大学のスクールカラーにして、同校アメリカンフットボール部のニックネームである。
  • これが本当のアイビーリーグ〈大学のアメリカンフットボール〉2016年12月12日
 サッカーJリーグ・ヴィッセル神戸、プロ野球NPB・東北楽天ゴールデンイーグルスの会長・三木谷浩史さんは、一橋大学とハーバード大学の両方を卒業している。

 つまり、三木谷さんにとってクリムゾン(≒臙脂色)は大変愛着のある色である。だから、ヴィッセルやゴールデンイーグルスのチームカラーがクリムゾン(≒臙脂色)なのは当然である。

 とまれ、似た色であっても、早稲田大学は海老茶、ヴィッセル神戸や東北楽天ゴールデンイーグルスは臙脂色と呼ぶことが「より」正しい色の呼称ということになる。

以下,余談ながら…チームカラーをないがしろにする人たち
 三木谷浩史さんは、財政難に陥っていたヴィッセル神戸を買収してクラブを救済した人である。しかし、一方、ヴィッセル神戸のそれまでのチームカラー(白と黒の縦縞)を強引にクリムゾン(≒臙脂色)に変更させたという、禍根を残した人でもある。

 例えば、早稲田大学や一橋大学やハーバード大学のスクールカラーを、スポンサー企業の意向で突然「チェリーピンク」(Cherry Pink)にすると……ということは、ほぼありえない。
  • チェリーピンク/Cherry Pink
 同様、紫紺と称されている明治大学のスクールカラーを、スポンサー企業の意向で突然、淡い紫色にする……ということも、ほぼありえない。

 大学関係者やOB・OGの大反対に合うことは必至である。

 ところが、こういう悪習が平然と行われているのが日本のサッカー界であって、なかんずくサッカー日本代表は酷い。最も酷かったのは、2019年11月、藍色から空色(実は「迷彩」)に変更させたアディダスジャパンのモデルチェンジである。

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(1)

山口智久氏(アディダスジャパン)インタビュー(2)
【藍色:2019年11月までのサッカー日本代表カラーと担当の山口智久氏】

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」1

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【空色:2019年11月からのサッカー日本代表カラーと担当の西脇大樹氏】

 日本のサッカー界は「チームカラーという文化」が蔑(ないがし)ろにされているのである。酷い国である。

 ここに来て、当代サッカー日本代表「森保ジャパン」の雲行きが怪しくなったのは、ちょうど、アディダスジャパンの西脇大樹氏が担った現行の「迷彩」モデルになってからである。

 スポーツにおけるチームカラーやデザインは、そのチームの勝ち負けにも深く影響する。……今回もまた、そのような強引な結論で落ち着いてしまうのであった。

(了)




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