スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:モンテディオ山形

サッカーかラグビーかという論争に野球が入ってこない
 ラグビーワールドカップ2019日本大会の盛り上がりで、ネット上では「サッカー日本代表の国際試合と,ラグビー日本代表の国際試合,本当に面白いのはどちらか?」などという議論が起こったらしい(当ブログは未見)。

 しかし、なぜか比較対象に「野球の日本代表戦」が入らない。サッカーの日本代表戦と、ラグビーの日本代表戦、どちらが面白いかの優劣をつけることは難しいが、野球の日本代表戦は、この2つよりはかなり落ちる。

 むろん、野球そのものがつまらないはずがない。サッカーであれ、ラグビーであれ、野球であれ、それぞれの球技スポーツは固有の面白さを持つ。各々を比較して、面白い・面白くない、美しい・美しくない……などと優劣をつけることはできない。

 野球の国際試合がつまらないのは、世界の野球界を事実上コントロールしている、アメリカのメジャーリーグベースボール(MLB,大リーグ)に、ナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界大会を権威あるものにしようという、努力やアイデアに乏しいからだ。日本の野球界は不憫である。

 何にしろ、日本のスポーツ界では野球が顕然たる力を持っている。それを視界に入れず、サッカーかラグビーか……と言い争っている関係は、どこか滑稽である。
 日本におけるサッカーとラグビーの関係は、幕末の政局において、もっと強大な「徳川幕府」(野球,あるいは陸連)という勢力がいるのに、これを乗り越えようとしないで、小さなところで対立・反目している薩摩藩と長州藩の関係を連想してしまう。

地元高校野球の上位進出を好まぬサッカー人の話
構造的欠陥が多い日本のスタジアム~競技場はただの入れ物?
 日本にはバックスタンドの中央に観客席のない不思議なスタジアムがある。たとえば、平塚陸上競技場〔湘南ベルマーレの本拠地〕のその場所にはスコアボードみたいな建造物が、名古屋の瑞穂陸上競技場〔名古屋グランパスの本拠地〕には炬火(聖火)台と一般観客の使えぬ階段があって、一番チケットの高く売れる席を大量にふさいでいる〔モンテディオ山形の本拠地にも,同様の構築物がある〕。

 こういうものを観客席のど真ん中に置きたがる人がいつになったら一掃されるのだろう。

小林深緑郎『世界ラグビー基礎知識』112~113頁
(初出『ラグビーマガジン』1994年6月号)

世界ラグビー基礎知識
小林 深緑郎
ベースボールマガジン社
2003-10


 日本ラグビー論壇の良心、温厚そうな小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)さんが、珍しく憤懣やるかたない心情を吐露している。あるいは……。

 ……数年前、高校野球が弱小である地方の○○県の高校が、夏の甲子園で上位に勝ちあがって、マスコミ的には大いに盛り上がったことがあった。当ブログは、当地に少年サッカーの指導をしている知人がいたので「どうですか? 地元は盛り上がってますか?」と電話したら、「いや,オレはさっぱりだ」とのつれない返事。なぜか……。

 ……その人、曰く。○○県のサッカー関係者は、地元の高校が甲子園で勝ち上がって盛り上がることを、本音では良いことだと思っていない。地元のサッカーには、かえって悪い影響を与えるからだ……。

 ……○○県には、高校野球で使う立派な野球場(収容人員5千人~1万人程度)が沢山あるのに、同規模のJ2規格のサッカー(フットボール)専用のスタジアムを作ろうという構想が出ると、行政や議会やマスコミから厳しく異論が出る……。

 ……なぜ、サッカーのため(だけ)に、そんな便宜を図らなければならないのか? と難色を示される。

 高校野球に使用する球場に関しては、首都圏在住の人には、思い当たる節があるだろう。毎年7月になると、神奈川県、埼玉県、千葉県の独立系ローカルテレビ局(テレビ神奈川,テレビ埼玉,千葉テレビ)は、ほとんど1日中、高校野球の地方大会(予選)の試合を放送している。すると……。

 ……ああ、こんないい野球場があったのか、と嘆息する。これと同程度のサッカー(フットボール)専用のスタジアムがあったら、どんなにいいだろうと思う……。

 ……しかし、いざ、こうしたサッカー(フットボール)専用のスタジアム建設構想が出ると、行政や議会やマスコミから厳しく異論が出る。なぜ、サッカーのため(だけ)に、そんな便宜を図らなければならないのか? と難色を示される。

 かくして、日本の地方のサッカー(やラグビー)は、交通の便が悪く、狭いピッチの外側を陸上競技用のトラックが囲み、さらにその外側をダダッ広いスペースが覆い、さらにその外側の観客席には、(先の小林深緑郎さんが指摘の指摘のように)観戦の邪魔をするナンセンスな構築物があるという、不健全な環境の下で行わなければならないハメとなる。

サッカーとラグビーは犬猿の仲…だというのは本当か?
 これも小林深緑郎さんが、1991年頃の『ラグビーマガジン』で書いていたことだが、本場英国では、日本で思われているほど、サッカーとラグビーの仲は悪くないのだという。*

 島田佳代子さんも同様の趣旨を書いていた。日本と違って、英国では両方を応援するファンは多いし、サッカーでは感情を発散させるように観戦するその同一人物が、ラグビーではその流儀を受け入れ、しおらしく観戦するといった話を紹介している。

i LOVEラグビーワールド
島田 佳代子
東邦出版
2007-08


 簡単に断言はできないが、サッカーとラグビーは仲が悪いというのも、多分に日本的に誇張された「虚構」である。

日本のサッカーとラグビー…恩讐の彼方に
 日本にも、サッカーとラグビー両方見るというフットボールファンがいる。だが、これまでの経緯もあるから、そうでないフットボールファンもいる。後者に、無理矢理もう一方も見ろとか、両者仲良くしろとは強要できない。

 けれども、日本のサッカーとラグビーは、幕末の政局において、小さなところで対立・反目していた薩摩藩と長州藩みたいな関係に見える。しかし、その外にはもっと強大な「徳川幕府」(野球,あるいは陸連)という勢力がいる。

 だから、統括団体(JFA=日本サッカー協会,JRFU=日本ラグビーフットボール協会)は、提携して事に当たった方がいいのではないかと思うことがある。フットボール専用スタジアムの建設や芝生のピッチの普及など、プレーヤーや観戦者のための環境の整備に関しては、両者はかなりの程度まで利益を共有するからである。

 要するに、フットボール系球技の業界団体(ロビー団体)みたいなものを作って、いろいろ活動するのである。過去の恩讐を超えて「薩長同盟」を結ぶわけだ。


 ……このツイートが、長らく「ラグビー不毛の地」であった、山形県を本拠地とするJリーグのクラブから発信されたものだというのも興味深い。

 サッカー側のメリット=行政サイドなどから「なぜ,サッカーのため(だけ)に,そんな便宜を図らなければならないのか?」と言われにくくする。ラグビー側のメリット=競技人口の多いサッカーに便乗できる。

 文春ナンバーの、昔のどの号だったかは忘れたが、サッカーの川淵三郎氏と、ラグビーの宿沢広朗氏で、友好的な対談が出来たのだから(両氏については,早稲田大学の同窓という接点もあったが)、できない相談ではないと思う。

ここはいったん「ノーサイド」にして…
 できれば、アメリカンフットボールや、13人制のラグビーリーグ、オーストラリアンフットボール、あとはクリケットの日本協会も抱き込んだら面白いかもしれない。なぜ、クリケットかというと、英国筋からの「外圧」を期待するのである。妄想が膨らむ。

 一応、日本のスポーツ界には「日本トップリーグ連携機構」という団体があるが、室内競技もあるし、野球に近いソフトボールの団体もあるし……で、以上のような意味でサッカーやラグビーのためになっているか、傍目からは、よく分からない。

 日本には、オリンピック(五輪)を模した国民体育大会(国体)という総合スポーツ大会が行われ、その開会式・閉会式には、陸上競技場が使われる。先に述べたように、この時に作られた、不便なスタジアムをサッカーは(ラグビーも)押し付けられて、大変迷惑している。

 しかし、オリンピックの開会式・閉会式にトラック付きの陸上競技場を使う必要がないことは、当のフットボール(サッカー)大国であるブラジルのリオデジャネイロ五輪(2016年)が証明してくれた。この大会の開会式・閉会式は、サッカー専用スタジアムのマラカナン・スタジアムが使われた。聖火台も常設のものは必要ないわけだ。**

 いずれにせよ、サッカー(JFA)とラグビー(JRFU)が手を結ぶのは悪いことではないと思う。関係筋への殺し文句は「野球や国体では,もはや国民的な一体感を作ることはできない.その役割りは,サッカーやラグビーといった〈フットボール〉の日本代表が担う」。

 ラグビーワールドカップ2019日本大会は、「国民的な期待を背負った日本代表」がサッカーとラグビーで並び立った、記念すべき出来事だったと言える。

 だから、まず、ここはいったん「ノーサイド」にしてですね……。***

(了)




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前回のおさらい:玉木正之『彼らの楕円球(彼らの奇蹟)』の謎(1)

山形県出身の元ラガーマン「Q」は実在するのか?
 玉木正之氏の作品「彼らの楕円球」(新潮文庫『彼らの奇蹟』所収)の鍵を握る人物が元ラガーマン「Q」である。



 山形県出身。平尾誠二より2歳年下。地元・山形県のP高校1年の時に花園(全国高校ラグビー全国大会)に出場。超高校級の逸材、平尾2世と騒がれた。2年の時に東京の名門ラグビー名門校・X工業高校に転校。ここでプレーに磨きをかけ、平尾がいた同志社大学に進学する。しかし、黄金時代の同志社大学ラグビー部、キラ星のような選手たちの中に埋もれて伸び悩み、選手を引退。郷里・山形に帰ってしまった……。

 ……というのが、「Q」のプロフィールであるが、ここに嘘(虚構)がある。

 山形県は、長い間ラグビー空白県「不毛の地」であり、1987年度まで県予選を行って花園に代表校を送り込んだことがなかった。その後もずっと弱小県である。平尾の2歳下ということは「Q」は1964年生まれということになり、高校1年で地元の高校から花園に出場したのは1980年ということになる。ラグビーブームの最中であるが、この時代、山形県でほとんどラグビーは行われていない。

 つまり、「Q」の経歴はありえないのである。そもそも彼は実在するのだろうか? ひょっとてモデルになる選手ならいたのか? 当時を知る熱心な同志社ラグビーのファンならば「それはあいつのことやで」と教えてくれるかもしれない。いずれにしても、「Q」がラグビーがまったく盛んではない山形で生まれ育ったというのは虚構(嘘)である。

 ラグビー選手を引退後「Q」は郷里で家業を継いだことになっている。山形で将棋の駒の卸売販売をしているという設定だが、将棋の駒は山形ではなく天童市である。細かいことだが。

 それにしても、なぜ山形なのか? 否、その前になぜ「Q」は伸び悩んだのか? 彼は同志社のラグビー(さらには神戸製鋼のラグビー、平尾誠二選手のラグビー)に関する考え方・やり方との相性が悪く、なじめなかったのだという。同志社ラグビーのモットーといえば、自主的で自由奔放、楽しく遊ぶようにラグビーをしているというもの。むしろ、彼らはラグビーを「遊んで」いる! そのノリに「Q」はついていけなかったのだ。

 彼らは心からラグビーを楽しんでいる、そしてラグビーを真剣に遊んでいる(だからこそ、勝つ)。だけど、僕は遊べなかった……と、「Q」は取材者の玉木氏に語っている。

 「遊ぶ」「楽しむ」こそ、玉木正之氏そして平尾誠二選手のスポーツ観の肝である。スポーツとは本質的に(語源的にも)遊ぶもの楽しむもの、理不尽な苦痛や上下関係など陰湿で抑圧的なものを伴う日本的なスポーツ観とは違うもの……。玉木氏はスポーツライターの立場から、平尾選手はアスリートの立場から、こうした主張を繰り返していた。

 玉木氏はスポーツの理想を体現する平尾選手を称揚し、彼の発言の媒体となった。ラグビーを言葉で表現することに熱心だった平尾選手も玉木氏と共鳴した。同じ京都人同士でもあり、そのよしみでも意気投合。2人の出会いは互いに相乗効果を生んだのである。

 そうしたスポーツ観、ラグビー観を引き立たせる「隠し味」として登場するのが、東北は山形県出身の元ラグビー選手「Q」なのである。

つづく
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