スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:トルシエ

乾貴士選手は浅野内匠頭なのか?
 日本サッカーに対して、数多(あまた)の放言を繰り返してきたサッカー評論家(?)のセルジオ越後氏に対して、業を煮やした日本代表・乾貴士選手が些(いささ)かな反発を発信してみせた。



 セルジオ越後氏に関して、こうした、選手の側からの反=評論は当然のことだと私たちは思う。……のだけれど、ネットという巷間(特にツイッター)を観察してみると、乾選手の方に非があるかのように受け取る人も、また実に多い。中には、乾選手がセルジオ氏の人格にまで踏み込んだ雑言を浴びせた(!?)かのように語る、いたいけなサッカーファンまで散見される。


 まるで、勅使下向の春弥生、殿中「松之廊下」で小サ刀を抜いて、高家筆頭・吉良上野介(セルジオ越後氏)に斬りつけたのが野暮な田舎大名の浅野内匠頭(乾貴士選手)なのだから、内匠頭の方が咎(とが)を受ける=切腹するのが当たり前と言わんばかりだ。

 否、せいぜいこれは「喧嘩両成敗」であるべきではないか。


 乾選手はどれだけ不穏当な発言をしたのかと思いきや……。それ自体は抑制の利いたものだ。むしろ、放埓な発言を繰り返してきたのはセルジオ越後氏の方なのだが。

 では、なぜ、乾選手の方が一面的に悪いかのように、評されるのか? 倒錯したこの「空気」は何なのか?

評論をするのに対象への「愛情」は必要なのか?
 セルジオ越後氏を免罪するいたいけなサッカーファンたちの方便のひとつに、この人には「日本サッカーへの深い愛情」があるから……という言い分がある。

吠えるセルジオ越後『サッカーダイジェスト』1993年11月24日号より
【吠えるセルジオ越後氏.『サッカーダイジェスト』1993年11月24日号より】

 いつも「辛口」で「厳しい」セルジオ氏の評論も、実は、日本サッカーへの深い愛情の裏返しの表出である。それが証拠に(2006年のアジア杯だったか)日本代表が苦戦の末に勝利した時、セルジオ氏は声を上げて相好を崩してみせたではないか……というのである。

 だが、セルジオ越後氏に、本当に、日本サッカーへの「愛情」があるのだとして、しかし、評論をするのに対象への「愛情」などというものが必要なのだろうか?

 ここで思い出したのが、先ごろ亡くなった梅原猛氏(哲学者)である。小谷野敦氏(評論家?)の『評論家入門』からの孫引きになるが、梅原氏による小林秀雄(文藝評論家)への批判がある。
 たしかに小林〔秀雄〕氏のいうように対象に惚〔ほ〕れなければ対象は分からない。認識には熱情が必要である。しかし、それとともに認識には冷たい理性が必要である。小林氏は対象を距離を持って眺めるというところがない。それは本当の学問でも批評でもない。

梅原猛『学問のすすめ』

 この文章を引用した小谷野氏は、さらに進めて、その「愛情」すら不要だと断じる。
 梅原〔猛〕は「愛情が必要である」ことを認めているが、それすら私〔小谷野敦〕は疑わしいと思う。たとえば、「文学研究においては、対象に対する真の愛情が必要だ」と言う人がいる。……だが、学問〔あるいは評論〕の当否は、その人に愛情があるかないか……とは、別である。いくら愛情を持っていても……間違っていれば、どうしようもない。……学問〔あるいは評論〕にとって必要な美徳とは、勤勉と誠実〔冷たい理性〕であって、愛情……ではない。

小谷野敦『評論家入門』70頁

 セルジオ越後氏に、巷間言われるような「日本サッカーへの愛情」があるのかどうか、本当のところは分からない。

 しかし、「愛情」があったところで、それは「評論」の内実とは全く関係ないのだし、少なくともセルジオ越後氏には、梅原猛氏の言う「冷たい理性」が決定的に欠落している。

セルジオ越後氏の無節操なサッカー評論
 セルジオ越後氏の、この「冷たい理性」の無さは、例えば、サッカー評論の無節操、無定見として現れる。

 1994年、サッカー日本代表・三浦知良(カズ)がイタリア・セリエA「ジェノアCFC」に移籍した。セルジオ越後氏は「まるで,才能の無いレーサーが金でF1チームのドライバーになるようだ」(これをペイ・ドライバーと言う)と侮(あなど)り、酷評した。

 そういう評価自体は、あっていいだろう。実際、カズのジェノア移籍にはそういう側面もあった(これは後代の中田英寿や本田圭佑にも,似たような事情があるだろう)。

 1年後、イタリアで思うような活躍が出来なかったカズは、日本のJリーグに復帰することになった。セルジオ越後氏は、すると今度は「何だ,たった1年で日本に帰ってくるのか!」などと侮り、酷評したのである。

 どちらかの立場に立つならば、どちらかの発言は慎むべきだ。

 セルジオ越後氏のこんな節操の無さに、私たちはウンザリしている。前田日明は「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか!?」と批判したが、いたいけなサッカーファンたちは「セルジオ越後なら何を言っても許される」と、思っているらしい。

 右とあれば左と言い、上とあらば下と言い、前とあらば後と言いたがるのが、セルジオ越後氏の嫌らしさである。

 ちなみに乾選手によるセルジオ越後氏批判は、セルジオ氏が「香川真司の移籍は遅すぎる! 海外移籍するなら試合に出ろ」と難じたことがキッカケだった。そこで、仮に試合に確実に出るために日本のJリーグに戻ってきたら、今度は「日本にいるな! 海外に移籍しろ!」というのが、セルジオ越後氏の「クオリティ」である。


 乾貴士選手のセルジオ批判に加勢した岡崎慎司選手は、だから、セルジオ越後氏に「責任ある発言して欲しい」と発言したのだ。

日本的な,余りに日本的なセルジオ越後氏
 誤解していただきたくないのだが、私たちは、何も、セルジオ越後氏の人格にまで踏み込んだ言及をしたいわけではない。

 フィリップ・トルシエ(サッカー日本代表監督,任期1998~2002)は、私に「あの〈セルジオ越後〉とかいう奴は何者なんだ?」と、質問してきた……。フットボールアナリスト・田村修一氏が、初代サポティスタ・浜村真也氏が催したトークイベントでこんな裏話を紹介していた

 書いていて思い出し笑いをしてしまったが、このエピソードで分かるように、セルジオ越後氏は、けして「普遍的」ではない。「日本的な,余りに日本的な」現象である。

 日本のサッカー評論とは、徒(いたずら)に日本のサッカーを、自ら蔑(さげす)んでみせることが良いとされている。その代表が、例えば「電波ライター」の旗手・金子達仁氏だ。そして、その金子達仁氏の師匠筋に当たるのが、セルジオ越後氏だったりする。

 金子達仁氏に関しては、これまでさんざん批判されてきた。えてしてエピゴーネンは「師」の悪いところを拡大する。すなわち、金子達仁氏はセルジオ越後氏の悪いところを拡大したからである。

 日本という、かつては「鳥なき里」だった場所に飛来した「蝙蝠(コウモリ)」が、セルジオ越後氏である(経歴詐称疑惑もあり,カナリアとまでは言い難い)。そんなセルジオ氏を過剰に有難がってきたのが、日本のいたいけなサッカーファンたちだった。

 自らのサッカーを徒に蔑んでみせることをもって良しとする、そんな心性を投影した、そんな心性に応える「サッカー評論家」がセルジオ越後氏だった。

 彼を評して「辛口」と言う。しかし、その実は、スパイスを効かせた美味なる料理ではなく、テレビ番組の「激辛王選手権」にでも出てくるような、ゲテモノとしての辛口料理である。

 その代償として、私たちは「日本サッカーへの〈味覚〉」というものを、大きく後退させてしまった。完全に麻痺しているのである。

 私たちサッカーファンは、このポストコロニアルな時代に、セルジオ越後氏に象徴される卑屈なコロニアル根性に、一体いつまで浸(ひた)り続けるのだろうか?

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 日本人と同じく、横断歩道で赤信号を守るポーランド人から世界レベルのストライカー、レバンドフスキが出た。

そもそも「赤信号文化論」とは何か?
 日本人農耕民族説と並んで、サッカーにおける「日本人ダメダメ論」&「自虐的日本サッカー観」サッカー日本人論,あるいはサッカー文化論)の定番ネタに「赤信号文化論」がある。それは……。
 ……日本人は、赤信号だと車が来なくても横断歩道を渡らない。

 すなわち、日本人は「規則」や「御上の権威」、「組織」、集団が醸しだす「空気」に従順である⇒つまり、日本人は「個人」で物事を判断することができない……。
横断歩道_信号待ち
 ……要するに、ドリブルか、パスか、シュートか、するべきプレーを瞬時に「個人」の責任で決定しなければならないサッカーというスポーツは日本人に向いていないのだ。

 なかんずく、シュートしてゴールを奪うという「決定力」においては……。
 ……というものである。

トルシエの赤信号文化論
 赤信号文化論を日本人に広く周知させたのは、何といっても元日本代表監督フィリップ・トルシエである。在任中2001年に著(あらわ)した『トルシエ革命』に言及がある。
 〔個人の〕責任と判断に関しても、同じことがいえる。日本人はテーマと目標が与えられれば、それを成し遂げるために素晴らしい集中力を発揮する。組織のために自己を犠牲にする精神は、日本社会の大きな力になっているのは間違いない。

 ただその特性が日本人から自らの責任において判断する力を奪っている。赤信号の例などは、まさにその典型であろう。車が来ないことがわかっていても、多くの日本人は赤信号では決して横断しようとはしない。しかし信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ。秩序・規範は社会が定めるものであるが、自己の価値判断とのせめぎあいは常に存在する。それが市民として社会を生きるということなのだから。

 サッカーは自己表現のスポーツだ。

 そして自己表現のためには、自ら判断し責任を引き受ける人間の成熟が求められる。サッカーは大人のスポーツなのである。

フィリップ・トルシエ『トルシエ革命』75~77頁

トルシエ革命
フィリップ トルシエ
新潮社
2001-06


 反対に、フランス人は赤信号でも車が来なければ、平気で横断歩道を渡ると言う。フランスは、歴代のW杯優勝国に名を連ねている世界的なサッカー強豪国である。

 だいたい同時期の赤信号文化論として、これまた日本人論が大好きなサッカー評論家・湯浅健二氏のコラムのリンクするので、参照されたい。

木村浩嗣氏の赤信号文化論
 赤信号文化論が、2010年代でもサッカー論壇に食い込んでいるという実例として、元『月刊フットボリスタ』誌編集長でスペイン在住の木村浩嗣(きむら・ひろつぐ)氏が2016年1月に発表したコラムを採り上げる。
スペイン人は赤信号でも道を渡る
 こちら〔スペイン〕では赤信号でも車が来ていなければ、人はどんどん道を渡る。それだけでも日本人とは違うが、もっと驚くのは警官がその場にいても黙認していること。

 スペイン人が赤信号でも渡り、それに警官が何を言わないのは、ひかれても自己責任だからなのか、車が来ていないのに信号を守るのはアホらしいからなのかは分からない。おそらくその両方だろう。日本ではルールはルールだから、早朝の人っ子一人いない道でも信号は守らなくてはならないが、スペインではルールは破るためにあるから赤信号でも人は渡る。

 この赤信号を渡るか渡らないかは、サッカーにも反映している。
木村浩嗣「赤信号を渡る国で自己責任について考える」2016年1月29日
【木村浩嗣氏のコラムから】

国民性や気質はサッカーにもきっちり反映
 “赤信号を渡るから国だからこそ、強引にシュートを打つFWが生まれる”という意見も聞いたことがある。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と言ったコメディアン〔漫才コンビ・ツービートのビートたけし〕がいたが、スペイン人は一人でも渡るのである。

 “みんなが渡れば渡れる”というのはいかにも日本的な発想だ。スペイン人の方が我が強いのは事実だから、強引さが求められるゴール前で、シュート意識がより強いのもスペイン人の方だろう。

 国民性や気質はサッカーにもきっちり反映しているわけだが、優秀な日本人FWを育てたいからといって、信号無視やルール違反を奨励するわけにはいかないだろう。やはり、その国はその国の国民性や気質の範囲内でサッカーをしていくしかないのだ。


PDF版
 ……こんな感じで、どうにも話が絶望的な方に振れていくのであった。

赤信号文化論の元祖は後藤健生氏
 知っている人は知っていることだが、トルシエ以前、赤信号文化論はもともとサッカージャーナリスト・後藤健生氏の持ちネタだった。

 1980年代初めのことである。某所の横断歩道で「車が来なくとも赤信号だと横断しない日本人」を見た後藤氏は「バカではなかろうか、欧州ではドイツ人だってこんなことはしない」と感じた。

赤信号文化論発祥地の横断歩道
【赤信号文化論発祥地の横断歩道】

 これをキッカケに、後藤氏は赤信号文化論を持論としていく。氏の実質的なデビュー作といえる『サッカーの世紀』にも、その言及がある。

サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07


 詳しくは原典を当たってほしいが、これまた、どうにも話が絶望的な方に振れていくのであった。

赤信号文化論の放棄と撤回
 その後、日本のサッカーも相応に強くなっていたこともあって、後藤氏はこの手のサッカー日本人論から半身脱していく。そして、赤信号文化論を放棄・撤回する決定的な出来事があった。2012年にポーランド(とウクライナ)で開催された欧州選手権である。
 ポーランドという国を2週間ほど旅してみて、びっくりしたことがいくつかあった。

 〔それは〕横断歩道の信号が赤だと、車が来なくても人々が道路を横断しないことだった。本当に、交通量などゼロに近いところでも、信号が変わるまで人々は辛抱強く待っている。時々、アイルランドのサポーターあたりがしびれを切らして渡りだしたりすると、周りのポーランド人は咎めるような目でそれを見ているので、普段、日本では赤信号でも勝手に横断している僕〔後藤健生〕も「郷に入っては郷に従い」の教えに習って我慢に我慢を重ねたのだった。

 あの順法精神はただ事ではない。つまり、こういう点を見てみると、ポーランド人というのは、きめ細やかさという点で、案外日本人と似ている人たちなのかもしれない。

 赤信号といえば、フィリップ・トルシエが日本代表の監督だったころに、「赤信号論争」というのがあったのをご記憶だろうか?

 「日本人は、赤信号だと車が来なくても道路を横断しない。だから、ダメなんだ!」とトルシエが言ったのだ。それに対して「それは、後藤健生が先に言ったことだ。ダバディあたりがそれを読んで入れ知恵したに違いない」という書き込みが現われたという、たわいもない論争だった。たしかに、僕は「赤信号」の話を1995年出版の『サッカーの世紀』(文芸春秋)に書いた……だいぶ昔のことだった。ただし、実際にダバディがそれを読んだのかどうかは、僕は知らない。

 トルシエの言っているのは、日本人は「道路を横断するか否か」を自らの判断と責任で決めることなく、他人(信号)に任せてしまう。それは、ドリブルか、パスか、シュートか、プレーを自分の責任で決定しなければならないサッカーというスポーツには向いていないメンタリティーなのではないか。日本人がなかなかシュートを打たないのもそのせいなのではないか……。「赤信号論争」というのは、そういう、「文化論」の一種である。

 「サッカーが強いかどうか」ということと、「信号を守るかどうか」は、まったく別の問題なのだ。いや、待てよ! ポーランドは1970年代から1980年代まで世界のトップクラスのサッカー強国だった。それが、今ではEUROでもグループステージで敗退してしまったし、ワールドカップでもほとんど予選を勝ちぬくことができなくなっている。ポーランドがサッカー大国の地位を失ったのは、赤信号だと人々が道路を横断しないからだったのか?

 いや、これは冗談です。だいたい、サッカーが弱いとか、シュートを打たないことを、いちいち文化だろか、教育たとかを持ち出して説明するのを、どうして日本人は好きなんだろう? まあ、そんなことを言った張本人として思うのは、当時、日本のサッカーが弱くて、欧米先進国はもちろん、韓国にもぜんぜん勝てないという事態を、なんとか「サッカー以外のせいにしたかった」という心理だったんだろう。

 サッカーが弱かったのは、「育成や普及のための努力をしていないから」だったわけだし、シュートを打たないのは「キックの技術が下手で自信がないから」でしかなかったわけだ。だが、そんな当たり前のことを認めたくなくて、日本サッカーが弱いのは「体格が小さいから」であり、「集団主義教育のせい」であり、「赤信号で道路を渡らないから」であり、「日本人が農耕民族だから」であると説明したかったのであろう。


PDF版
 後藤氏が言うように、けして「たわいもない論争」でないのは、この4年後に木村浩嗣氏が、あらためて赤信号文化論を展開してしまうからだ。この日本人論は、いまだ日本サッカーを呪縛している。

レバンドフスキは赤信号でも横断歩道を渡るのだろうか?
 今度のサッカーW杯ロシア大会、日本代表はグループリーグ第3戦でポーランド代表と戦う。このチームには世界クラスのストライカーで、大会得点王も狙うロベルト・レバンドフスキがいる。

ロベルト・レバンドフスキ(ポーランド代表)
【ロベルト・レバンドフスキ(ポーランド代表)】

 日本人と同じく、赤信号だと横断歩道を渡らないポーランド人から、こうした選手が出てきたこと。これは日本人論とサッカーのつながりを疑い、考えさせる興味深い実例であろう。

 どうせロシアW杯の前後、日本では自虐的なサッカー日本人論で溢(あふ)れかえるだろう。が、レバンドフスキの存在はちょっとした「精神的ワクチン」になる……かも……しれない。

(了)



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

外国人監督が語る「日本人論」を必要以上にありがたがるのは日本サッカー界の悪い癖である(前編) : スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

宇都宮徹壱氏のコラムから「サッカー日本人論」を読む企て
  1. 日本人は(特に欧米出身の)外国人が書いた「日本人論」をありがたがる。
  2. サッカーは「日本人論」あるいは「サッカー日本人論」のネタになりやすい。
  3. サッカー日本代表監督は(欧米出身の)外国人が務めることが多い。
  4. 外国人監督の発言は「日本人論」「サッカー日本人論」としてありがたく受容される。
  5. 外国人監督は「監督」から「評論家」へと変化(へんげ)する。
  6. サッカーメディアは「評論家」になった外国人監督に対して批評精神が働かなくなる。
  7. 結果として日本サッカーに悪い意味でさまざまな影響を与える。

 実際に日本サッカー界が「日本人論」「サッカー日本人論」からどんな影響を受けているのかを具体例で読んでいく。今回、注目したのは宇都宮徹壱氏のコラム「ハリルホジッチを唖然とさせた〈日本固有の病〉。だが、私はそこに〈幸運〉を感じた」(2015年6月19日)である。

 タイトルからして外国人監督の言葉をありがたがった「サッカー日本人論」の感がある。
ハリルホジッチを唖然とさせた「日本固有の病」。
【「ハリルホジッチを唖然とさせた〈日本固有の病〉。」より】

 むろん、当ブログは宇都宮徹壱氏に何の他意もない。当エントリーの目的は宇都宮氏を貶めることではない。

 リンク先を読めばわかる通り、宇都宮氏はまぎれもなく「サッカー日本人論」のビリーバーであり、かつ発信者である。サッカーファンはその受容者である。もちろん、日本サッカー界の住人のほとんどが「サッカー日本人論」のビリーバーであり、発信者,受容者である。それ以前に、日本人のほとんどが「日本人論」のビリーバーである。大げさに言えば日本人のほとんどすべてが「サッカー日本人論」のビリーバーなのである。

 あくまで、その「サッカー日本人論」のワン・オブ・ゼムとして、今回は宇都宮氏のコラムを取り上げるということである。この点、ご了解いただければと思う。

惨敗した調教師の言い訳を鵜呑みにするお人好しの馬主=日本サッカー界
 まず宇都宮徹壱氏は、元サッカー日本代表監督アルベルト・ザッケローニ(在任2010‐2014)が、同じく元日本代表監督,岡田武史(在任1997‐1998,2008‐2010)に対して「それにしても、日本の選手が〔日本人が?〕ワールドカップのピッチに立ってなお、死に物狂いで戦わないとは思わなかった」と慨嘆していた……というエピソードを紹介して、驚いてみせる。
 さらりと言っているが、〔この発言は〕実に恐るべき内容である。ザッケローニに率いられた日本代表は、〔…2014年のブラジル・ワールドカップ〕本大会は戦えるはず、と多くの人々が(そして指揮官や選手たちも)楽観していた。〔しかし、結果は惨敗した〕

 昨年のブラジル〔W杯〕における敗因について、ここで多くを語るつもりはない。が、ここで注目すべきは「W杯のピッチに立って、死に物狂いで戦わない選手がいる」ことにザック自身が驚いたという事実である。死に物狂いで戦わない(あるいは、戦えない?)選手がいたことはもちろん問題だが、〔日本人とは?〕そういう選手〔「国民」または「民族」、ないしは「人種」?〕であることを気付かずにザックが23名のリストに選んでしまっていたこと、そしてかように〔日本人の?〕致命的ミスが本大会の試合になって初めて露見したということについては、われわれ〔日本人?〕はただただ当惑するよりほかにない。
 ここですでに、サッカー日本代表の「監督」を日本人論の「評論家」にしてしまい、その発言をありがたがり、批評に曇りが生じ、評価の方向が「監督」から「われわれ日本人」へと逆転してしまう「サッカー日本人論」の現象を見て取ることができる。

 ザッケローニは、自分が手掛けたチーム(2014年サッカー日本代表)を何か他人事のように語っている……かのように読める。日本人である宇都宮氏は、「評論家」ザックの日本人論をありがたく頂戴し、「監督」ザックにはさして落ち度はなく、むしろ問題は選手の側にあったかのように論じている……かのように読める。

 これには違和感がぬぐえない。

 例えれば、それまでのレースで良い成績を残し、期待をされながら肝心のダービーでは惨敗してしまった競走馬がいたとしよう。ザッケローニは、いわばその競走馬を担当した「調教師」である。その「調教師」はレース後、「それにしても、この馬がダービーのターフに立ってなお、死に物狂いで走らないとは思わなかった」などと嘯(うそぶ)く。

 そんな「調教師」のふざけた言い訳を鵜呑みにする、お人好しで間抜けな「馬主」が日本サッカー界なのである。

 つたない記憶によれば、イタリア語で(イタリアはザッケローニの母国である)サッカーの「監督」と競馬の「調教師」は同じ単語「アレナトーレ」であったはずだ。

 しかし、調教師=監督の責任は、「サッカー日本人論」の作法のしたがって、不問に付されたのである。

「日本人の決定力不足」いちばんの解決法とは?
 ザックの次は、当代日本代表監督ヴァイッド・ハリルホジッチ(在任2015‐)である。2015年6月現在、日本代表はワールドカップ・ロシア大会アジア予選で苦戦していた。その理由は……点が取れないからである。またしても日本サッカーの、否、「日本人の決定力不足」である。

 ハリルホジッチは「日本人」のあまりの決定力不足を見て愕然としたのだという。ハリルの指摘を受けた宇都宮徹壱氏は、これを日本人の、「日本固有の病」であるとして、くだんのコラムで以下のような「サッカー日本人論」を展開する。
 日本人選手は……結果が求められる試合で……決定的な場面でシュートを外しまくったり……ということを繰り返す。……これはある種、国民的な悪しき伝統といっても過言ではないだろう。そしてそれは、歴代の外国人監督を悩ませてきた宿痾(しゅくあ)でもあった。
 1998年フランスW杯でシュートを外しまくった城彰二選手、2006年ドイツW杯の「QBK」で絶好のシュートチャンスを外してしまった柳沢敦選手などの事例から、いかにも日本のサッカー選手は、否、「日本人は決定力不足」であるとのイメージが人々の間に沁(し)みついている。


QBK直後のジーコ(左)と柳沢敦
【ジーコ(左)と柳沢敦:急に(Q)ボールが(B)来たので(K)】


 宇都宮氏は「日本人は決定力不足」のイメージを、(欧米出身の)外国人監督ハリルホジッチによる「日本人論」または「サッカー日本人論」という権威付けで語っているのだ。もちろん、その分、ハリルの責任は軽減される。

 ところで、「日本人は決定力不足」という通念は、宇都宮徹壱氏が言うように(宇都宮氏だけではないのだが)本当に「日本固有の病」なのだろうか?

 サッカージャーナリストの後藤健生氏がこんなことをコラムで書いている(「ヨーロッパで鍛えられる日本人FW 日本がMFの国と思われていたのは過去の話だ」2017年5月1日)。

 2017年、、欧州のサッカーリーグの日本人の若手FWがとても元気だ。大迫勇也、久保裕也、原口元気、武藤嘉紀。2000年代、欧州リーグで通用する日本人選手といえば、中田英寿、中村俊輔,小野伸二と、まずMFと思われていたのに……だ。

 フィジカルコンタクトが激しいゴール前のプレー=FWよりも、日本人には中盤でのプレー=MFの方が向いているのかとも思われた。

 集団主義的な社会,文化である日本からはエゴイスティックな(決定力のある?)FWは育たないとも言われ、画一的な日本の学校教育が原因ではないかとも言われた。さらには「農耕民族の日本人には狩猟民族の欧米人がふさわしいポジション=FWは無理だ」などと馬鹿げた話まで言い出す人までいた。
後藤健生コラム「日本がMFの国と思われていたのは過去の話だ」
【後藤健生「日本がMFの国と思われていたのは過去の話だ】

 しかし、「日本人」のイメージもすっかり様変わりしてしまった。2022年のカタールW杯の時には「日本には優れたFWはいくらでもいるのに、もう少しMFがいたら……」と言われるようになっているかもしれない……。

 ……では、後藤氏をはじめとするオールドサッカーファンは、1970年代には何と考えていたのか? 「日本人からは他人に使われるFWの好選手,釜本邦茂のような決定力のあるストライカーは出てきても、他人を使うようなポジション=MFの好選手は出てこない」などと語り合っていたのである。

 サッカーにおける「日本人」のイメージは、かくもいい加減で、時代によりこれだけ「ゆらぎ」がある。「日本人だから○○」などと安易に決めつけるべきではないのだ。

 それでも、W杯の大舞台で活躍できない限りは「決定力不足」という「日本固有の病」の克服にはならないと「サッカー日本人論」のビリーバーたちは言うかもしれない。

 宇都宮徹壱氏は、そうした立場に立って、くだんのコラムで「メンタルの弱い日本人」「本番に弱い日本人」「決定力不足の日本人」の対策として、メンタル面でケアの出来るスタッフを日本代表に常駐させるべきだ……という具申をしている。

 しかし、日本のサッカー選手にとって、否、日本人にとって一番のメンタルケアは「サッカー日本人論」の通念通説を批判して、その呪縛を解いてあげることではないだろうか。

それでも、やっぱりジーコのせいだ
 宇都宮徹壱氏は「日本人の決定力不足」には大変な屈託があるらしく(むろん宇都宮氏だけではないはずだが)、くだんのコラムを書いた約1年後、2016年9月6日の時点でこんなツイートをしている。

 この「つぶやき」の数日前、2016年9月1日、サッカー日本代表はロシアW杯アジア最終予選の対UAE腺でまさかの敗戦を喫した。苦杯の理由は、追加点がなかなか取れなかったこと。またしても日本サッカーの、否、「日本人の決定力不足」である。

 思い返すに……。ジーコ(在任2002‐2006)は、日本代表の監督としては戦術的指導をほとんど行わず、選手たちにミニゲームやシュートを中心とした練習メニューを課していた。無為無策ではないかと批判されていたジーコは、実は「決定力不足」という日本人の弱点を十分に理解しており、むしろ、正しかったのではないか……。

 宇都宮氏が嘆息したのはそういう含みである。

 こうした思考自体が、宇都宮氏が「サッカー日本人論」に絡めとられていることを意味する。悪いのは監督ジーコではない。決定力不足の日本人の方だ。実際にジーコは「サッカー日本人論」の作法に従い、2006年ドイツW杯で惨敗した責任を不問に付されている。

 それは違う。やはり責任はジーコにあるのだ……と喝破し、サッカージャーナリストよりも筆鋒鋭くジーコを批判したのは、ラグビー系のスポーツライター藤島大氏であった。
「ジーコのせいだ」 藤島大
すべてジーコのせいだ。ジーコが悪い。ジーコがしくじったから負けた。なぜか。チャンピオンシップのスポーツにおいて敗北の責任は、絶対にコーチ〔監督〕にあるからだ。シュートの不得手なFW〔柳沢敦〕を選んで、緻密な戦法抜きの荒野に放り出して、シュートを外したと選んだコーチ〔監督〕が非難したらアンフェアだ。
 藤島大氏は、「〈監督〉が〈評論家〉になってはいけない」と日本スポーツ界を戒めていた、ラグビーの名将,名伯楽,大西鐡之祐(おおにし・てつのすけ:1916‐1995)の直弟子である。サッカー側が尻込みするなか、藤島氏がこの風潮に抗い、鋭くジーコを批判できたのも、けして偶然ではなく、大西とのつながりが関係がある。

自己成就と矛盾の連鎖
 藤島大氏がわざわざ力説しなければならなかったように、サッカーの勝敗において第一に問責されるべきは監督である……という原則が、日本サッカーにおいては、特に日本代表に関してはなかなか働かない。これまで何度も述べているように、日本では、私たちは外国人監督の発言を「サッカー日本人論」としてありがたがってしまうからである。

 日本のサッカー関係者がありがたがる「サッカー日本人論」は、日本人が日本人であるがゆえにサッカーというスポーツへの適性を著しく欠いている……という、きわめて自己否定的,自虐的な日本サッカー観である。こうしたサッカー観が繰り返し語られ、私たちの自己イメージが刷り込まれる。

 そして、その自己イメージを成就させるかのように、私たち日本人を「代表」するサッカー選手たちは、決定機でシュートを外し、肝心なワールドカップの大舞台で負ける。

 そうした「日本人の決定力不足」や「日本人の勝負弱さ」の克服を……と、サッカージャーナリストたちは唱えるが、それらの主張にはたいてい外国人監督への無答責と、外国人監督の言葉による「サッカー日本人論」がセットで付いてくるので、日本サッカー自己否定的なイメージの刷り込みはかえって繰り返される。そして、日本人の決定力不足や勝負弱さもまた繰り返される。

 こうした矛盾の連鎖が「サッカー日本人論」と日本サッカーの関係にはある。

 外国人監督が語る「日本人論」を必要以上にありがたがるのは日本サッカー界の、やはり悪い癖である。サッカージャーナリストたちは矛盾の連鎖に気が付かないのだ。

(了)


続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

読んではいけない本ブックガイドより

ロラン・バルト『表徴の帝国』
 外国人が日本論を書くと必要以上にありがたがるのは日本人の悪い癖である。
小谷野敦『バカのための読書術

表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)
ロラン バルト
筑摩書房
1996-11-01



ラグビーの名将が問う「監督」と「評論家」
 日本ラグビーの名将,名伯楽だった大西鐡之祐(おおにし・てつのすけ:1916‐1995)は「監督が評論家になってはいけない」と語っていたらしい。

 なぜなら、スポーツにおいて監督とは、チームを作り、試合においてはチームを指揮する、あくまで「実践者」「責任者」だから。自身が手掛ける対象(チーム)を、あたかも「評論家」のように他人事として語るのはそもそもおかしいし、いろいろ弊害が出るからだ。

 かえりみるに「監督」を「評論家」にしてしまう現象はラグビーよりもサッカーに顕著である。

スポーツの「監督」を日本文化の「評論家」にしてしまう日本サッカーのカラクリ
  1. 前掲、小谷野敦氏のロラン・バルト評のように、日本人は(特に欧米出身の)外国人による日本人論を必要以上にありがたがる。
  2. 日本人は日本人論を好み、日本のサッカー関係者は、サッカーを日本人論で語り、サッカーで日本人論を語る「サッカー日本人論」を好む。
  3. なかんずく、サッカー日本代表は「サッカー日本人論」のネタにされやすい。
  4. 日本代表の監督は、(欧米出身の)外国人が務めることが多い。
  5. すなわち、日本代表の外国人監督が発する言葉、日本観,日本人観のようなものが日本人論として受容され、読まれるようになる。
  6. すると、適切なスタンスと距離感を保って評価するべきサッカーの「監督」が、日本人論という託宣を賜(たまわ)る外国人の「評論家」に変化(へんげ)してしまう。
  7. 日本サッカー界は、その「監督」を「評論家」として奉ってしまう。
  8. 当然、日本のサッカー関係者の批評眼に曇りが生じる。
  9. 結局のところ、日本サッカーは悪い方向へと向かってしまう。
 ……と、こんな仮説を立ててみた。

 実際、歴代の外国人のサッカー日本代表監督は、日本人論と「サッカー日本人論」の素材を日本人に提供してきのである。
外国人監督が語る日本サッカー論ニッポン再考
【ナンバー768号「外国人監督が語る日本サッカー論 ニッポン再考。」(2010年12月9日号)】

赤信号文化論~フィリップ・トルシエ
 フィリップ・トルシエ(在任1998‐2002)といえば赤信号文化論である。
 組織のために自己を犠牲にする〔日本人の〕精神は、日本社会の大きな力になっているのは間違いない。

 ただその特性が日本人から自らの責任において判断する力を奪っている。赤信号の例などは、まさにその典型であろう。車が来ないことがわかっていても、多くの日本人は赤信号では決して横断しようとはしない。しかし信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ。秩序・規範は社会が定めるものであるが、自己の価値判断とのせめぎあいは常に存在する。それが市民として社会を生きるということなのだから。

 サッカーは自己表現のスポーツだ。そして自己表現のためには、自ら判断し責任を引き受ける人間の成熟が求められる。サッカーは大人のスポーツなのである。

――フィリップ・トルシエ『トルシエ革命』

トルシエ革命
フィリップ トルシエ
新潮社
2001-06


 よく知られるように、もともと赤信号文化論は後藤健生氏の持ちネタだった。後藤氏は、後になって2012年にこの文化論を自己批判し、否定している(「ポーランドサッカー弱体化は、赤信号で道路を横断しないから?」)。

 後藤氏も否定したことだし、もうこの話は出てこないのかと思っていたら、元『フットボリスタ』誌編集長の木村浩嗣氏が、2016年に赤信号文化論を展開していた(「赤信号を渡る国で自己責任について考える スペイン暮らし、日本人指導者の独り言〔3〕」)。

 これには驚いた。同時にガッカリさせられた。赤信号文化論は不滅の定番なのだろうか?

自由? むしろフィジカル~ジーコ
 ジーコ(在任2002‐2006)は、組織,戦術を選手たちに強要したトルシエに対して、個の力を重んじた自由なサッカーを理念としていた……と、されている。だから、あえて日本代表の選手たちに戦術を落とし込まなかったのだ……と、されている。

 こうした論点自体が「日本人=組織,戦術に従順なサッカー<欧米人=自由,自主性,個の力のサッカー」という、昔からある自虐的な「サッカー日本人論」の観念が投影されたものだ。この図式においては、日本サッカーが負けてもジーコには責任はなく、自由が苦手で個に劣った日本人が悪いのだという理屈になってしまう。

 つまり、ジーコにはあらかじめ逃げ道が用意されていた。事実、2006年ドイツW杯で日本は惨敗したものの、「監督」であるジーコの責任を問う声は少なかったのである。

 もっとも、本当にジーコが以上のようなことを考えていたのかは、実は怪しい。

 明らかなジーコの発言としては、2006年6月26日に行われた退任会見がある。ここで、有名な「日本は体格,フィジカルで劣っていた。それがドイツW杯の敗因だ」とった趣旨の発言が出る。
 しかし、前提を敗因としてはいけないはずだ。日本のサッカー選手が体格,フィジカルで劣っているというのであれば、それを前提としたスタイルのサッカーをしなければならない。ジーコはそれがしようとしなかったし、できなかった。

 前提であるはずの要素を敗因としたジーコの言は「監督」のそれではなく、まったく「評論家」のものである。思い返すに在任中のジーコの日本代表に関する発言は、いつも何か他人事のようなものでまさに「評論家」だった。

 ジーコの言い訳を鵜呑みにし、批評することを忘れてしまった日本サッカー界は将来にわたって悪い前例を残すことになった。

イビチャ・オシムはロラン・バルトである
 ジーコの尻ぬぐいをすることになったイビチャ・オシム(在任2006‐2007)は、健康を害してしまったために1年あまりで日本代表監督の座から退くことになった。しかし、以降も日本サッカー界,日本のサッカーマスコミとの関係が切れることはなかった。

 その理由とは? ……オシムを有名にしたのは、Jリーグ,ジェフユナイテッド千葉・市原監督時代の機知に富んだ哲学的なコメントだった。悪く表現すれば持って回った晦渋な言い回しであるが、むしろ人はそこに深遠な魅力を感じとる。

 だから、彼の発言はメディアにこぞって取り上げられるようになる。日本代表監督退任後も多くの書籍や雑誌に掲載され続けることになった。
  • ライオンに追われたウサギが逃げ出す時に肉離れを起こしますか? 要は準備が足らない。
  • 休みから学ぶものはない。
  • アイデアのない人間もサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない。
 アフォリズムとして編集されて読者に届けられる「オシムの言葉」は、やがてサッカーから日本人論へと拡張していく。
  • 日本人は、誰もが責任を回避しようとする。
  • 日本の選手たちは、誰かに何かを言われないと1人で行動できない。
  • 日本人は他人に依存する性質があり、自分で考えて質問する機会はあまり多くない。
 オシムは日本人論の発信者として読まれるようになる。
日本人よ!
イビチャ オシム
新潮社
2007-06

 出版社,編集者も「オシムの言葉」を、あるいはロラン・バルトやルース・ベネディクトらのように外国人が書いた日本人論の著作として読まれたいかのような本の作り方をする。そうすれば広い層から読者を取り込めるのだ。

 日本人論として浸透した「オシムの言葉」は、あらためて日本のサッカー界に下っていき、少なからず影響を与える。



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ