乾貴士選手は浅野内匠頭なのか?
日本サッカーに対して、数多(あまた)の放言を繰り返してきたサッカー評論家(?)のセルジオ越後氏に対して、業を煮やした日本代表・乾貴士選手が些(いささ)かな反発を発信してみせた。
乾 貴士/Takashi Inui@takashi73784537半年でベティスから移籍した俺が言うのもおかしいけど、色んな事を経験して強くなる事は絶対あるから。
2019/02/12 21:25:58
全部を否定しないでほしい。
別に日本のリーグが悪いとは思ってない。けど、海外に出ないとわからない事はいっぱいあるから。
乾 貴士/Takashi Inui@takashi73784537あ、あとそれだけ色々言うならそろそろ現場で監督やってください!笑
2019/02/12 21:27:43
セルジオ越後氏に関して、こうした、選手の側からの反=評論は当然のことだと私たちは思う。……のだけれど、ネットという巷間(特にツイッター)を観察してみると、乾選手の方に非があるかのように受け取る人も、また実に多い。中には、乾選手がセルジオ氏の人格にまで踏み込んだ雑言を浴びせた(!?)かのように語る、いたいけなサッカーファンまで散見される。
gazinsai@gazinsai「日本 #サッカー への批評眼」をさんざん麻痺させてきた #セルジオ越後 氏のような人物の数々の放言を野放しにし、業を煮やした #乾貴士 選手の方に一面的に非があるかのように語って自身の賢しらを気取る人達の、なんと日本的な…余りに… https://t.co/ulCW9J05JZ
2019/02/13 18:25:28
まるで、勅使下向の春弥生、殿中「松之廊下」で小サ刀を抜いて、高家筆頭・吉良上野介(セルジオ越後氏)に斬りつけたのが野暮な田舎大名の浅野内匠頭(乾貴士選手)なのだから、内匠頭の方が咎(とが)を受ける=切腹するのが当たり前と言わんばかりだ。
否、せいぜいこれは「喧嘩両成敗」であるべきではないか。
ONOMIMONO@gokugoku_shoyuというか、間違った反発をした乾選手に苦言を呈してるのが、今まで選手を全く守ろうとしてこなかった層というのが何よりも腹立つんだよな。
2019/02/13 08:44:50
それは俺たちの役目だから下がってろ、なら分かる。
したり顔で「どっちもどっちだな」って、お前何様だよ。
乾選手はどれだけ不穏当な発言をしたのかと思いきや……。それ自体は抑制の利いたものだ。むしろ、放埓な発言を繰り返してきたのはセルジオ越後氏の方なのだが。
では、なぜ、乾選手の方が一面的に悪いかのように、評されるのか? 倒錯したこの「空気」は何なのか?
評論をするのに対象への「愛情」は必要なのか?
セルジオ越後氏を免罪するいたいけなサッカーファンたちの方便のひとつに、この人には「日本サッカーへの深い愛情」があるから……という言い分がある。
【吠えるセルジオ越後氏.『サッカーダイジェスト』1993年11月24日号より】
いつも「辛口」で「厳しい」セルジオ氏の評論も、実は、日本サッカーへの深い愛情の裏返しの表出である。それが証拠に(2006年のアジア杯だったか)日本代表が苦戦の末に勝利した時、セルジオ氏は声を上げて相好を崩してみせたではないか……というのである。
だが、セルジオ越後氏に、本当に、日本サッカーへの「愛情」があるのだとして、しかし、評論をするのに対象への「愛情」などというものが必要なのだろうか?
ここで思い出したのが、先ごろ亡くなった梅原猛氏(哲学者)*である。小谷野敦氏(評論家?)の『評論家入門』からの孫引きになるが、梅原氏による小林秀雄(文藝評論家)への批判がある。
たしかに小林〔秀雄〕氏のいうように対象に惚〔ほ〕れなければ対象は分からない。認識には熱情が必要である。しかし、それとともに認識には冷たい理性が必要である。小林氏は対象を距離を持って眺めるというところがない。それは本当の学問でも批評でもない。梅原猛『学問のすすめ』
この文章を引用した小谷野氏は、さらに進めて、その「愛情」すら不要だと断じる。
梅原〔猛〕は「愛情が必要である」ことを認めているが、それすら私〔小谷野敦〕は疑わしいと思う。たとえば、「文学研究においては、対象に対する真の愛情が必要だ」と言う人がいる。……だが、学問〔あるいは評論〕の当否は、その人に愛情があるかないか……とは、別である。いくら愛情を持っていても……間違っていれば、どうしようもない。……学問〔あるいは評論〕にとって必要な美徳とは、勤勉と誠実〔冷たい理性〕であって、愛情……ではない。小谷野敦『評論家入門』70頁
セルジオ越後氏に、巷間言われるような「日本サッカーへの愛情」があるのかどうか、本当のところは分からない。
しかし、「愛情」があったところで、それは「評論」の内実とは全く関係ないのだし、少なくともセルジオ越後氏には、梅原猛氏の言う「冷たい理性」が決定的に欠落している。
しかし、「愛情」があったところで、それは「評論」の内実とは全く関係ないのだし、少なくともセルジオ越後氏には、梅原猛氏の言う「冷たい理性」が決定的に欠落している。
セルジオ越後氏の無節操なサッカー評論
セルジオ越後氏の、この「冷たい理性」の無さは、例えば、サッカー評論の無節操、無定見として現れる。
1994年、サッカー日本代表・三浦知良(カズ)がイタリア・セリエA「ジェノアCFC」に移籍した。セルジオ越後氏は「まるで,才能の無いレーサーが金でF1チームのドライバーになるようだ」(これをペイ・ドライバーと言う)と侮(あなど)り、酷評した。
そういう評価自体は、あっていいだろう。実際、カズのジェノア移籍にはそういう側面もあった(これは後代の中田英寿や本田圭佑にも,似たような事情があるだろう)。
1年後、イタリアで思うような活躍が出来なかったカズは、日本のJリーグに復帰することになった。セルジオ越後氏は、すると今度は「何だ,たった1年で日本に帰ってくるのか!」などと侮り、酷評したのである。
どちらかの立場に立つならば、どちらかの発言は慎むべきだ。
セルジオ越後氏のこんな節操の無さに、私たちはウンザリしている。前田日明は「アントニオ猪木なら何をやっても許されるのか!?」と批判したが、いたいけなサッカーファンたちは「セルジオ越後なら何を言っても許される」と、思っているらしい。
右とあれば左と言い、上とあらば下と言い、前とあらば後と言いたがるのが、セルジオ越後氏の嫌らしさである。
右とあれば左と言い、上とあらば下と言い、前とあらば後と言いたがるのが、セルジオ越後氏の嫌らしさである。
ちなみに乾選手によるセルジオ越後氏批判は、セルジオ氏が「香川真司の移籍は遅すぎる! 海外移籍するなら試合に出ろ」と難じたことがキッカケだった。そこで、仮に試合に確実に出るために日本のJリーグに戻ってきたら、今度は「日本にいるな! 海外に移籍しろ!」というのが、セルジオ越後氏の「クオリティ」である。
Shinji Okazaki@okazakiofficialセルジオさんの立場だからこそ責任ある発言して欲しいというのはあるな。
2019/02/12 22:27:54
選手はプレーや結果で証明しなきゃいけないけど、それ以上に高いレベルに身を置きたいというのはある。そこでもがく事がその先につながる事もあるはずやし。それを踏まえた… https://t.co/2l1RbxvBFA
乾貴士選手のセルジオ批判に加勢した岡崎慎司選手は、だから、セルジオ越後氏に「責任ある発言して欲しい」と発言したのだ。
日本的な,余りに日本的なセルジオ越後氏
誤解していただきたくないのだが、私たちは、何も、セルジオ越後氏の人格にまで踏み込んだ言及をしたいわけではない。
フィリップ・トルシエ(サッカー日本代表監督,任期1998~2002)は、私に「あの〈セルジオ越後〉とかいう奴は何者なんだ?」と、質問してきた……。フットボールアナリスト・田村修一氏が、初代サポティスタ・浜村真也氏が催したトークイベントでこんな裏話を紹介していた
書いていて思い出し笑いをしてしまったが、このエピソードで分かるように、セルジオ越後氏は、けして「普遍的」ではない。「日本的な,余りに日本的な」現象である。
日本のサッカー評論とは、徒(いたずら)に日本のサッカーを、自ら蔑(さげす)んでみせることが良いとされている。その代表が、例えば「電波ライター」の旗手・金子達仁氏だ。そして、その金子達仁氏の師匠筋に当たるのが、セルジオ越後氏だったりする。
金子達仁氏に関しては、これまでさんざん批判されてきた。えてしてエピゴーネンは「師」の悪いところを拡大する。すなわち、金子達仁氏はセルジオ越後氏の悪いところを拡大したからである。
金子達仁氏に関しては、これまでさんざん批判されてきた。えてしてエピゴーネンは「師」の悪いところを拡大する。すなわち、金子達仁氏はセルジオ越後氏の悪いところを拡大したからである。
日本という、かつては「鳥なき里」だった場所に飛来した「蝙蝠(コウモリ)」が、セルジオ越後氏である(経歴詐称疑惑もあり,カナリアとまでは言い難い)。そんなセルジオ氏を過剰に有難がってきたのが、日本のいたいけなサッカーファンたちだった。
自らのサッカーを徒に蔑んでみせることをもって良しとする、そんな心性を投影した、そんな心性に応える「サッカー評論家」がセルジオ越後氏だった。
彼を評して「辛口」と言う。しかし、その実は、スパイスを効かせた美味なる料理ではなく、テレビ番組の「激辛王選手権」にでも出てくるような、ゲテモノとしての辛口料理である。
その代償として、私たちは「日本サッカーへの〈味覚〉」というものを、大きく後退させてしまった。完全に麻痺しているのである。
私たちサッカーファンは、このポストコロニアルな時代に、セルジオ越後氏に象徴される卑屈なコロニアル根性に、一体いつまで浸(ひた)り続けるのだろうか?
(了)
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