スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:ジョホールバルの歓喜

中田英寿にまつわる仰天エピソード
 2020年2月3日、ヤフー!ジャパンが、Goal.comからの配信として「トッティ氏,仰天エピソードに中田英寿氏を選出〈なぜそんなことを.彼は本当に特別な人〉」なる、サッカー元イタリア代表フランチェスコ・トッティのインタビュー記事を公開した。
  •  トッティ氏、仰天エピソードに中田英寿氏を選出「なぜそんなことを.彼は本当に特別な人」
 彼とサッカー元日本代表・中田英寿は、かつてイタリア・セリエAの名門ASローマでチームメイトであった。ASローマは、2000-2001シーズンにセリエAで18シーズンぶりに優勝した。

 その快挙、ASローマの選手やスタッフたちによる歓喜の輪の中にあって、中田英寿だけは「優勝が決まった直後,ロッカールームの隅で読書をしていた」という逸話を、トッティは「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」として紹介している。
 「私〔トッティ〕は〔現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソードとして〕ナカタ〔中田英寿〕を選ぶ。なぜならナカタは、スクデットのお祭り騒ぎの中、本当に読書していたんだよ。なぜそんなことをしていたのかは分からない。彼〔中田英寿〕は本当に特別な人だよ」

Goal.comより
 この珍記事を受けて、中田英寿を素朴に信奉する、いたいけな人たちの反応がSNSやヤフー!ジャパンのコメント欄に現れている。以下は、そのマンセ~、ハラショ~のほんの一例であるが……。




 ……なるほど。「中田英寿神話」はこうやってメンテナンスされていくのだ。

英国における「大卒」サッカー選手の苦悩
 読めば分かるのだが、トッティは、あくまで「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」を語ったのであって、「現役時代を通じ,最も驚いたサッカー選手やそのプレー」を語ったわけではない。

 該当記事を読む限り、トッティは中田英寿をそのように評価したわけではない。

 この「仰天エピソード」を読んで、むしろ、思い出したことがある。サッカーとサッカーカルチャーのことならおおよその事柄が書いてある、デズモンド・モリス博士の『サッカー人間学』(1983年,原題:The Soccer Tribe)に登場する話だ。

 英国イングランドのプロサッカー選手で、数少ない「大学卒」のインテリだったリバプールFCのスティーブ・ハイウェイ(Steve Heighway,1947年生まれ,ウォーリック大学卒)の「苦悩」である。
 大学教育まで受けた数少ない一流選手の一人で、リバプールで活躍するスティーブ・ハイウェイには,このような〔低学歴のプロサッカー〕選手〔たち〕の態度は大変な驚きであった。

スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁
【スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁】

 リバプール・チームに入った当初,彼〔ハイウェイ〕は相手チームと対戦する時と同じように,自チームの仲間との交際が怖かったという。あるスポーツ解説者は「彼はこの社会〔プロサッカー選手たちの世界〕の不適応者だった」といい,「遠征先でトランプ〔≒少額の賭け事〕が始まると,ハイウェイは抜け出して観光団に加わった。

 仲間には,明らかにインテリを鼻にかけた生意気な態度と映った。彼が戻ると,みんなは威嚇〔いかく〕的な視線を送って,トランプに仲間入りする気があるかどうか尋ねた」と伝えている。

 ハイウェイは変人扱いを受けるのがたまらず,何とか順応しようとした。

デズモンド・モリス『サッカー人間学』183頁


サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 チームの雰囲気に馴染めなかったという意味では、スティーブ・ハイウェイと中田英寿は、ある意味で似ている(まだハイウェイはチームに馴染もうとしていたのだが)。

サッカー選手は「ハマータウンの野郎ども」である!?
 デズモンド・モリスが『サッカー人間学』で描き出した、プロサッカー選手のイメージ(ステレオタイプ)を抄出してみると……。
  •  芸術や科学や政治に関心がなく、サッカーにしか興味がない。
  •  暇な時、特に遠征時の移動中は、トランプのゲーム≒少額の賭け事を楽しんでいる。
  •  映画やテレビをよく見るが、(高尚な作品ではなく)スリラーやアクションが多い。
  •  読書も、サッカー関係の雑誌か、タブロイド紙の推理小説やスリラーの域を出ない。
  •  挑発的で威圧的なキャラクターの女性は好まれない。
  •  好きな音楽はロックやポップに限られている(クラシックではない)。
  •  遠征先の有名な観光地の見学には興味が薄く、つまりは知的好奇心に乏しい。
 ……等々。ものの見事にサッカー馬鹿であり、粗にして野であり、けして「知的」とはいえない。これでは、スティーブ・ハイウェイが馴染めないのは当然だ。

 これには、英国という社会のしくみが絡んでいる。いわゆる「階級社会」である。例えば、単純な計算で、英国の大学の数は日本の4割程度しかない。しかも進学率が低い。

 英国の子供は11歳(!)で学力試験を受けて、そのうち所定の成績を上げた3割程度しか高等教育の学校(大学など)に進学できない。残り7割のほとんどはステートスクール(公立中学)を卒業したら、そのまま労働者として社会に出る(この段落の知識は,林信吾『これが英国労働党だ』によるもの)。

 現在の英国でも、欧州の他の国も、おおむね事情は似たようなものである。

 サッカー選手は、労働者階級のスポーツである。選手の出身も労働者階級が多い。

 すなわち、サッカー選手は、なかんずくプロサッカー選手は。大学に進学するような知的エリート≒上流階級(的な)がやるスポーツだとは思われていない。そして、選手の言動や立ち振る舞いも労働者階級的であることを求められる。
 世の中には知的ならざる、しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層があるのだという単純な事実……。

 知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。

 〔英国の〕社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らかにしている〔ポール・ウィリスの著作『ハマータウンの野郎ども』のこと〕。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
1996-09-01






 世の中は……知的エリートによってだけ動いているのではない。……知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。

 人間はプライドなしには生きられないという観点からすれば、どちらも等価である。

三浦淳「捕鯨の病理学(第4回)」http://luna.pos.to/whale/jpn_nemo6.html
 すなわち、プロサッカーとは「知的ならざる,しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層」あるいは「反知性によりプライドを充足する人々の」ための、基本的に「そういう人によってしか担われない領域の仕事」なのである。

 サッカー選手たちとは、とどのつまり「ハマータウンの野郎ども」なのだ。

 スティーブ・ハイウェイの「苦悩」の背景がここにある。「大学卒業」の学歴を持つハイウェイが馴染めないのは、プロサッカーが「労働者階級」の社会だからである。

「体育会系」という反知性的なコミュニティ
 その昔、1960年代、サッカー日本代表がヨーロッパに遠征した。そのスコッドの選手たちは、大学生や大学卒業の選手がほとんどだった。例えば、杉山隆一は明治大学卒業、釜本邦茂は早稲田大学卒業である。

 そのため、学歴のないサッカー選手が多いヨーロッパの現地では、珍しく受け取られたという。

 だからと言って、日本のサッカー選手やアスリートが、真に「知的」かどうかは微妙である。

 日本の大学スポーツの体育会・運動部には「体育会系」という言葉(概念)があり、それは「体育会の運動部などで重視される,目上の者への服従根性論などを尊ぶ気質.また,そのような気質が濃厚な人や組織」(デジタル大辞泉)と解釈される。

 すなわち、あまり「知的」とは見なされない。日本においてもサッカーを含むスポーツ選手は、あまり賢くないというイメージ(ステレオタイプ)があり、当事者もそこに充足しきっているというところがある。

 洋の東西を問わず、サッカー選手は敢えて「知的」でないことを誇っている節がある。

 そういえば、フランチェスコ・トッティは「知的」ではなく「間の抜けた男の愛嬌」を感じさせる逸話が多い。日本で言えば、プロ野球の長嶋茂雄のそれに通じるものがある。

 対して、中田英寿の逸話は対照的である。世界最高峰のサッカーリーグであるセリエAで優勝したにもかかわらず、ひとり「ロッカールームの隅で読書をしていた」というのは、そうしたサッカー界の風潮には順応できなかった……ということである。

中田英寿は「真に知的なアスリート」なのか?
 所詮、スポーツなど馬鹿がやる仕事なのか? 否。スポーツライターの藤島大は、スポーツこそ「知的」な営為であると説き、中田英寿のような安易なアンチテーゼ的振る舞いの方を批判している(下記リンク先参照)。曰く……。
 スポーツとは、そもそも高等な営みである。一流選手が経験する真剣勝負の場では、緊急事態における感情や知性のコントロールを要求される。

 へばって疲れてなお人間らしく振る舞う。最良の選択を試みる。この訓練は、きっと戦争とスポーツでしかできない。

 だからアスリートは、机上では得られぬ知性をピッチやフィールドの内外に表現しなければならない。

 常識あるスポーツ人が、非日常の修羅場でつかんだ実感を、経営コンサルタントや自己啓発セミナーもどきの紙切れの能弁ではなく、本物の「詩」で表現する。そんな時代の到来を待ちたい。

 「片田舎の青年が、おのれを知り、世界を知り、やがて、おのれに帰る。だからラグビーは素敵なのだ」

 かつてのフランス代表のプロップ、ピエール・ドスピタルの名言である。バスク民謡の歌手でもある臼のごとき大男は、愛する競技の魅力を断言してみせたのだ。

 ……たしかにドスピタルの言葉に比べると、中田英寿の『中田語録』などは「机上の知性」あるいは「紙切れの能弁」でしかない。

中田語録
文藝春秋
1998-05


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 知的とは思われていないフットボーラーだが、フットボールを極めると、むしろ、だからこそ真に知的な言葉が出てくる。一見すると、矛盾している。矛盾しているが、真理である。

 その真理を、ついに理解できなかったのが中田英寿である。

中田英寿から透けて見える日本サッカー界の「知性」
 藤島大が「真に知的なアスリートの到来」を期待したのは、2001年1月のことである。

 あれから、20年近くたった2020年2月。しかし、未だに「中田英寿の仰天エピソード」が出てくる。未だに「中田英寿神話」のメンテナンスが行われる……。

 ……ということは、日本サッカー界の知的レベルが更新されていないということでなる。

 中田英寿は「サッカー馬鹿」になるべき時になれない体質だった。そこにサッカー選手として才能の限界があった。中田英寿は、だから、ワールドクラスのサッカー選手としてのキャリアを形成できたわけではない。

 代わりに、中田英寿は、日本のサッカー界の知性の低劣さを巧妙に刺激する才能には長(た)けている。2000年のアウェー国際試合「フランスvs日本」戦のパフォーマンスなどは、そうである。

 そこで錯覚してしまう、いたいけな日本人が多い。残念でならない。

中田英寿は「特別な人」ではなく「特殊な人」である
 ところで、くだんのトッティのインタビュー記事。イタリア語原文がどうなっていたのかは分からないが、日本語の翻訳をちょっとだけ改変してみると、がぜん面白くなる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特別な人」
 ここから単語をひとつ置換してみる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特殊な人」
 フランチェスコ・トッティが「なぜそんなことをしていたのかは分からない」というくらいだから、後者の方がニュアンスが通じる!?

 ことほど左様、日本にとっても、国際的にも、中田英寿は「特別なサッカー人」ではない「特殊なサッカー人」なのである。

 こちらの方が、中田英寿という人間の本質を言い当てている。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

1997年11月16日は、サッカー・フランスW杯アジア最終予選第3代表決定戦(於ラルキンスタジアム,ジョホールバル,マレーシア)、日本代表がワールドカップ本大会初出場を決めた、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」の試合からちょうど20年となる記念すべき日である(岡野雅行のゴールデンゴールによる試合終了は日本時間では日付をまたいで17日)。
ジョホールバルの歓喜_岡野雅行のゴールデンゴール
 この試合の録画映像(VHS)を見直して気が付いたことを書き留めてみた。

何と!NHKの解説が松木安太郎だった
 試合の中継を担当したのは、地上波はフジテレビ、衛星波がNHK(BS1)であった。あらためて見直してみて意外だったのは、NHKの解説が松木安太郎氏だったことである。

 松木安太郎氏といえば、民放地上波のサッカー中継(日本代表の国際試合)のメイン解説の常連で、その賑々しくて大仰な実況にふさわしい熱血漢的な解説、応援団長的なキャラクターというイメージがある。これはかなり「公的」なもので、松木氏は厚生労働省のキャンペーンポスターにも「ニッポンの中小企業応援団長」として起用されている。
松木安太郎_厚生労働省ポスター
 ところが、NHKでこの試合のコメンテーターを務めた松木安太郎氏は、時折「熱血漢」的な発言はするものの(「ケガなんか関係ないですよ!」みたいな)、終始冷静な口調に徹して解説していた。これがまず意外だった。

 松木氏は、実は民放地上波のサッカー中継の趣向に合わせてキャラクターを作っているという噂があるが、ジョホールバルの試合の中継を見ているかぎり本当かもしれない。

「君が代」を歌わないのは中田英寿だけではなかった
 「ジョホールバルの歓喜」の事実上のマン・オブ・ザ・マッチは、中田英寿で異論がないところだ。中田といえば、この時のW杯予選、試合前の対戦する両国国歌演奏の際に「君が代」を歌わない・歌っていないことが話題もしくは問題になっていた。ジョホールバルの試合でもそうである。このことで少し後、1998年1月にひと悶着起こす。
中田英寿19971117君が代1
 しかし、事の本質は「君が代」を歌わない・歌っていないことではない。知らない日本人が多いようだが、そもそも代表選手が試合前のセレモニーで国歌を歌わなければならないという「縛り」は、サッカーの国際試合には存在しない。こういうご時勢で差しさわりがあるから名前は出さないが、あの試合、あのW杯予選の各試合で「君が代」を歌っていない日本代表選手は他にもいる。
中田英寿「朝日新聞」1998年1月4日
【『朝日新聞』1998年1月4日付より】

 では、なぜ、中田英寿が「君が代」の絡みでそんなにマスコミの耳目を引いたのかというと……、この件は長くなるから、エントリーを改めて解説したいと思う。

ジョホールバルの旭日旗
 ラルキンスタジアムのバックスタンドに手描きの旭日旗の横断幕が掲げられているのを見つけた。ジョホールバルは、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)の折、山下奉文(やました・ともゆき)将軍指揮下の日本軍がシンガポールを攻略するために上陸した、サッカーのみならず日本にとって因縁のある場所だった。
ジョホールバルの旭日旗(決定版)
 スポーツの場における「旭日旗掲示反対運動」をしている清義明(せい・よしあき)氏と木村元彦(きむら・ゆきひこ)氏は、何と思うだろうか? 別に是が非でも旭日旗を掲げさせろという立場ではないのだが、是が非でも旭日旗を封じ込めたい清・木村両氏のやり口は、かえってバックラッシュを生み、新たな憎悪を生むだけではないかと懸念する。

NHK版とフジテレビ版の異同
 いささか感情移入の強いフジテレビ・長坂哲夫アナウンサーの実況と比べると、NHKの山本浩アナウンサーの実況はいたって冷静、対照的である。NHKのスポーツ中継は試合会場の音声を低く抑えて放送する傾向もあって、はじめはNHKは日本のスタジオからモニターを見ながら実況しているのかと思った。

 しかし、試合後にラルキンスタジアムの放送ブースから、山本アナウンサーと解説の松木氏の姿が映って、何だ、現地から実況していたのかと、これまた意外に思ったくらいである。2人とも半袖のワイシャツだったが、ネクタイをしていた。クールビズ以前の話。

 この試合のテレビ中継には、名場面・名セリフがたくさんあるが、NHKとフジテレビの違いで放送されていないものもある。例えば、延長前半のキックオフ直前に日本代表の出場選手、控え選手、監督・コーチ、さらには女性の栄養士(浦上千晶氏)まで、スタッフ全員が加わった大きな円陣を組んでサイキングアップアップを図ったシーン。
ジョホールバルの円陣
【最後に円陣に加わるのが浦上千晶栄養士】

 この場面は、NHKには映っているがフジテレビでは放送されていない(CMが入ったためと思われる)。……と、いうことは、圧倒的に多い地上波(フジテレビ)の視聴者はこの円陣を直接見ていない。多くの日本人は後に放送されたり出版されたりした、ニュース番組の映像や雑誌か何かの写真で知ったのだ。
このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。
 延長戦前半キックオフの直前、NHK・山本浩アナウンサーの名セリフである。これも多数派のフジテレビ版の視聴者は直接には知らない。画面はちょうどセンターマークに置かれたボールをアップで映したところで、セリフと画面がピッタリと合った名場面でもあった。録画で見ていても、気障(きざ)なセリフだとは思いながら、まあ、しびれる。

地上波中継に空白地帯があった
 日本代表のフランスW杯本大会出場決定直後、日本列島は狂騒状態になった。NHKの中継では、静岡、青森、横浜、大阪、名古屋、広島……と、歓喜に沸く日本各地の様子を伝えている。キックオフから試合終了まで日付をまたいでいることから、盆と正月が一緒に来た「ゆく年くる年」といった趣であった。

 その中に、パブリックビューイングをやっていたNHK青森放送局からの放送があった。当地のアナウンサーの言葉から「青森のサポーターも熱く燃えています! 青森県内では、今日のこの試合の模様、通常の地上波の放送がありませんでしたので、NHKの衛星第一テレビでの視聴ということになりました……」。

 そうなのである。民放地上波で放送する場合、関東・関西・中京圏と違い(あるいはNHKと違い)、東京に5局あるキーステーションに対し、県によっては民放が3つ、あるいは2つしかないというところがある。つまり、この試合は地方によってはフジテレビ系のネット局が存在しない地上波放送の空白地帯が生じていたのだ。

 この試合のフジテレビの平均視聴率は47.9%だったというが、あくまで関東圏の視聴率である。日本の総人口が仮に1億人として、国民のうちおよそ4800万人が視たという喩(たと)えは正確な表現とは言えない。

 詳しく調べたわけではないが、サッカー日本代表の試合を民放の地上波に独占中継をさせると、今でも空白県ができるのだろうか? もっとも、一部で唱えられているように、東京に5つあるテレビ民間放送のキーステーションを3つくらいに再編・統合すれば、こうした問題もなくなるのかもしれないが。

 今の地上波テレビ、なかんずく民放の番組はつまんないからね。

中田英寿神話の虚実
 スポーツマンシップではなく「ゲームズマンシップ」にあふれ、日本サポーターを大いに苛立たせたイランのGKアベドザデはプロレスの悪役レスラーになっても成功しそうだ。

 そのアベドザデに「フライングヘッドバッド」を食らわして、自分も脳震盪になった日本のFW城彰二。その城の側頭部に両手をかけて中田英寿が何事かを語り掛けるシーン。
中田英寿が城彰二に何事かを語りかけるシーン
 これもジョホールバルの名場面で「中田英寿神話」の形成にもひと役買っている。一説に、岡田武史監督以下、日本代表のメンバーの誰もが城彰二の異変に気が付かない中、中田英寿だけは(この文言を何度も聞かされ読まされてきた)城の脳震盪に気が付いたのだという……というあたりが、いかにも「中田英寿神話」である。所詮、神話は神話に過ぎないのだが。

 こちらの場面はフジテレビにあって、NHKにはないものである。
試合後は興奮したり泣きながらインタビューに応じる選手が多い中で、中田〔英寿〕は落ち着いてインタビューに応じ、「代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにか盛り上げてください」とコメントした。

ジョホールバルの歓喜@ウィキペディア20171106
【ウィキペディア「ジョホールバルの歓喜」より(2017年11月13日閲覧)】
 ウィキペディア日本語版にこんなことが書いてあるが、大嘘である。

 NHKの中継に試合後にインタビューに登場した選手は、順に岡野雅行、井原正巳、相馬直樹、山口素弘……。みな冷静、意外なほどサバサバしていてである。中田英寿はNHKのインタビューには登場しない。

 「まあ……、代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにかしてください」という中田のコメントは、NHKでは年末の再放送で流れた。もっとも、その後のサッカー人生を見ても、中田本人は「Jリーグ(日本のサッカー)もよろしく」という人間では全然なかったのだが。

 これまた、数ある「中田英寿神話」のひとつだろう。しかし、《「〈沢村賞は米大リーグのサイ・ヤング賞を真似して作られた〉という嘘」をスポーツライター玉木正之氏が吹聴しているという嘘》を平気で掲載している件といい、今回の中田英寿のコメントの件といい、どうしてウィキペディアの執筆者たちは事実を確認しないで書くのだろうか?

本当にひとりになりたかったのは誰?
 試合終了直後、中田英寿だけは喜びの表情を見せなかった……とか。ビクトリーランの列に中田英寿だけは加わらなかった……とか。試合後の記念の集合写真撮影の際にひとりだけ後ろでクーリングダウンしていた……とか。これらの逸話も、この試合から伝えられる「中田英寿神話」である。

 こうやって「意識高い系」(という言葉は当時存在しなかったが)を演出することによって、中田英寿は神話的に称揚されることになる。日本のジャーナリズムもサッカーファンも、それでかえって中田を甘やかすことになり、結局、中田は国際クラスのサッカー選手としては伸び悩み、尻すぼみで終わってしまった。

 しかし、フジテレビのカメラは、試合終了直後、名波浩と喜んでみせる中田英寿の姿をハッキリと映し出している。
試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)
【試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)】

 さらに、NHK実況担当の山本浩アナウンサーは「ひとりになりたかった名良橋の姿もピッチの上に見られます」と語っている。本当に集団から離れてひとりになりたかったのは名良橋晃の方だったようだ。

 テレビは、虚心に見れば、思い込みとは違う「真実」が見られるメディアである。

(この項,了)


【追記】国際映像と日本の独自映像
 さらにあらためて、この試合のNHK版の録画を見直してみた。1997年当時はあまり気にならなかったことだが、おそらくは国際映像と思しき試合の映像の間にNHKの独自映像がバンバン入る。被写体は主に日本のベンチ、なかんずく岡田武史監督である。イランのベンチの様子などはほとんど映らない。
ベンチから戦況を見つめる岡田武史監督
 一喜一憂する岡田監督の様子や、延長戦直前に選手起用や戦術について考えに考え抜く岡田監督の様子などが映し出されてそれはそれで興味深いものがあった。一方、国際映像ではどうなっていたのだろう? 

 日本がワールドカップ本大会に出られなかったときは、NHK(20世紀のW杯の各国の放映権はもっぱら公共放送優先であった)は、国際映像をほぼそのまま放映していた。だが、日本がアジアの代表としてW杯本大会の常連となると、日本代表の試合では、この手の「独自映像」を多用するようになる。

 こういう「悪癖」は、この時すでに確立されていたのかもしれない。国際映像とは、言わば国際的な評価である。反面、日本のテレビ局の独自映像は、それを日本でのみ通用する価値観に変換してしまう。すべてが「日本目線」なのであって、「視点の第3者性,国際性」が損なわれてしまう。

 こうした習慣が、2006年ドイツW杯での中田英寿の醜悪な引退パフォーマンスにつながっていった……かもしれない。



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ