スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:サッカー日本代表

反サッカー言説をアーカイブする
 けっして日本のラグビー人は、他競技、なかんずくサッカーに敵対的な感情を抱く人たちではないのだけれど、以前は、必ずしもそうではない人がスポーツメディア上で目立っていたことも、また悲しい事実である。


 当ブログは、中尾亘孝(なかお・のぶたか)という、いささかならずヘソの曲がった、反サッカー主義者のラグビー評論家の言動を洗い出してきた。
  •  前回のおさらい:絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥_2(2019年09月17日)
 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

佐山一郎氏が「ラグビーの後藤健生」と紹介した中尾亘孝
 ラグビーに関心は薄くとも、サッカーファンが中尾亘孝の名前を憶(おぼ)えているとしたら、1998年サッカー・フランスW杯の少し後、佐山一郎氏が『サッカーマガジン』連載のコラム〔その後『サッカー細見』に転載〕の中で「ラグビーの後藤健生」だなどと評して、中尾が同年に出した著作『リヴェンジ』を推奨していたことではないだろうか。
中尾亘孝『リヴェンジ~強いジャパンが帰って来た!』1998/12/1
 商品の説明:意気軒昂なれど、波高し! ラグビーW杯〔1999年ウェールズ大会〕の勝敗のゆくえは? 145失点のあの屈辱は雪げるか? 平尾ジャパン〔1998年当時のラグビー日本代表〕と岡田ジャパン〔1998年当時のサッカー日本代表〕を辛口に検討しながら、御存じ目利き・中尾が〔二つの〕日本代表を一刀両断に斬る。

中尾亘孝2
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)
兄弟フットボールライターからの助言
 〔書店での〕サッカー本のコーナーが活況を呈している。ひと昔前ならすぐにコレクター・ノリで飛びついたものだが、さすがに収納にも限界が来た。

 これはと、ややあってから手が伸びたのは、中尾亘孝〔のぶたか〕*割注*『リヴェンジ』(マガジンハウス)だった。49歳〔当時〕の中尾さんはラグビー〈観客〉の立場からの鋭い評論で鳴らすラグビー・フットボール界の後藤健生さんのような人。私〔佐山一郎〕は〔19〕91年に出版された『15人のハーフ・バックス』(文藝春秋)以来の愛読者で、ちょっと気になる兄弟フットボール〔ラグビー〕の動向は、だいたい中尾さん〔さん付けするほど価値のあるではないが〕の本で教わってきた。

 本の表紙……〈ラグビーW杯〔1999年大会〕の勝敗のゆくえは? 145失点のあの屈辱は雪〔そそ〕げるか?〉という帯コピーに目が行くばかり。

 ……そうだったなあ、〔19〕95年の第3回〔ラグビーW杯〕南アフリカ大会ではニュージーランドに145失点も取られるギネスブック的大敗があったなあ……と。ひとりごちた直後に、小さな文字による2行が目に入った。

 〈平尾ジャパンと岡田ジャパンを辛口に検討しながら/御存知目利き・中尾が日本代表を一刀両断に斬る!〉

 おおっ! これはまたずいぶん思い切ったフルマイに、俄然興味をそそられたのである。

 〈なぜサッカー日本代表はワールドカップで勝てなかったのか〉という問いに対する解答は意外なことにF1レースとも通底している。〔中略〕

 ……ゴルフの丸山茂樹プロも「日本にゴルフのツアートーナメントがあるかぎり、世界に通用するプロゴルファーは出てこない」と語ったそうだ〔出典不明〕。たしかに年がら年中正月三が日のように緊張を欠く日本(1)では、Jリーグもゴルフもじつによく似た競技環境である。サッカーはしかも11人でやる競技。今のヒデ中田〔中田英寿〕クラスが少なくともあと2人出てこない限り、いくら名監督踊れど、ワールドカップ初勝利はおぼつかない。

 話をラグビー・フットボールの専門家〔中尾亘孝〕からから見た〔サッカーW杯〕フランス大会に戻そう。ディティールはさておき、基調としてあるのは、〔日本のスポーツ〕ジャーナリズムがつい最近までアジア予選突破に四苦八苦していたことを忘れ、初出場という謙虚さを完全に見失っていたという考え方だ。〔黒太字は原文ママ,以下同じ〕〔中略〕

 専門外の場所に身を置く謙虚さゆえに、物の本質がかえってよく見えるケースが多々ある〔小林深緑郎氏や藤島大氏ならともかく,中尾亘孝に関してそれはありえない〕。

 本の前半を費やしたサッカー〔日本〕代表についての文章で筆者〔中尾亘孝〕は、岡田〔武史〕バッシングや中田〔英寿〕のマスコミ不信の問題にも言及し、その上でなお「サッカーをラグビーに置き換えてみた場合、自分〔中尾亘孝〕も平尾ジャパンに対して同様なことをしているのではないかとの思いがこみあげてきたのです。自戒の意味を込めて〔反省しない男=中尾亘孝が自戒だって!?〕、サッカーのワールドカップ〔1998年フランス大会〕をめぐる一連のトラブルを検証してみたというわけです」とその発端と帰結を記し、爽やかだ〔陰湿な男=中尾亘孝が爽やかって!?〕。

佐山一郎『サッカー細見』(1999年)185~188頁


サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


  •  *割注* 1950年生まれ。早大卒〔正しい学歴は早大中退らしい〕。観客の立場によるラグビー評論を展開
 果たして、佐山一郎氏が語ったように、中尾亘孝の『リヴェンジ』は「兄弟フットボールライターからの〔ありがたい〕助言」だったのだろうか? これが違う。フランスW杯3戦3敗、1次リーグ敗退に終わった日本サッカー(岡田ジャパン)に対する嘲笑と悪口雑言罵詈讒謗で貫かれているのである。

中尾亘孝は(佐山一郎氏を除く)サッカーファンを不快にさせる
 くだんの佐山一郎氏の連載コラムが掲載された少し後に、「誰だい? この中尾亘孝って奴は!」と、当ブログに問い合わせの電話をかけてきたサッカーファンが2人いる。いずれも界隈では相応のポジションにあるサッカーファンである。

 「gazinsaiさん! 何なんすか? この中尾とかいうヤローは!? 酷い本ですよ! 冗談だけど殺意すら感じますよ! 中尾には(笑)」

 こんな調子で息巻いて電話をかけてきたのは……本人がハンドルネームを出していいと言ったので公表すると……レイジフットボールコレクティブというサッカーファンのサークルの発起人「ミノブ」氏である。

 レイジフットボールコレクティブは、ガブリエル・クーンの大著『アナキストサッカーマニュアル』の邦訳(あの浩瀚な!)に一役買った人たちである。同書巻末のサークルメンバーの座談会にも「ミノブ」氏が登場している。

 もう1人……。「中尾ナントカというラグビー評論家は何者なんだ? たまたま本屋で立ち読みしたけど,この人の本はサッカーの悪口ばかりで酷すぎる」

 ……と、訝(いぶか)しげに電話をかけてきたオールドサッカーファン氏。この人は、1980年、香港で行われたスペインW杯アジア予選で3人だけいた日本人サポーターのうちの1人である。

 佐山一郎氏が、老舗の専門誌『サッカーマガジン』で、中尾亘孝の嫌らしい部分に全く触れること無く、中尾亘孝のことを「ラグビーの後藤健生」などと紹介したものだから、2人は興味を持ち、かつ本気にして著書『リヴェンジ』を読んだ。

 しかし、中尾亘孝の正体は札付きの反サッカー主義者であり、その反サッカー言説が余りにも酷すぎて、たいへんな不快感・違和感を感じた。

 当ブログに直接問い合わせをしてきたのは2人である。1件のクレームの背後に100件の同様の不満があるという俗説に従えば、佐山一郎氏の「ラグビーの後藤健生」という触れ込みに「騙された!」と感じる人が少なく見積もって200人以上はいる。

 とにかく中尾亘孝は、(佐山一郎氏を除く)サッカーファンを不快にさせる。

サッカー日本代表は絶対にW杯本大会には出られない!?
 佐山一郎氏は、Jリーグ以前、まだラグビーがサッカーに優越していた時代、1991年刊の『15人のハーフ・バックス』から中尾亘孝を愛読してきたという。それでは『15人のハーフ・バックス』で中尾亘孝は何を書いていたのか? 例の「サッカー日本代表は未来永劫ワールドカップ本大会には出られない」という尊大な放言である。
サッカーはW杯に出られるか
 ここで……看過できない問題が発生したので触れてみようと思います。

 それはサッカーのプロ化〔Jリーグ〕です。〔略〕

 ……サッカー〔日本代表〕がW杯に出られるかどうかという疑問に答えておきましょう。まことにご同情にたえない次第ですが、ノーです。ジャパン〔ラグビー日本代表〕がオールブラックス〔ラグビー・ニュージーランド代表〕に勝つより確率は低いといえそうです。それはどうしてか、現場に限って原因を追究すると、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合いが激しい。
 日本サッカー唯一の成功が、メキシコ五輪〔1968年〕銅メダル獲得です。しかし、五輪のサッカーが選手権としてはマイナーである事実は、当のサッカー関係者が一番よくわかっていることです。その上、指導者は西ドイツ(当時)人のクラマー氏でした。ファースト・ステップとしてはこれでいいでしょう。でもその後、日本独自の理論が生まれたという話は聞きません。人材については、決定力のあるプレーヤーが釜本邦茂以来出ていません。現有の数少ない才能〔海外組〕を外国プロ・チームから呼び戻すことすらできません。最後の派閥争いに関しては、ただただお疲れさまというしかありません。〔中略〕

 当面の大問題をさし置いて、ほとんど無謀ともいえるプロ化に取り組むサッカー協会〔JFA〕は、意外な決断力と実行力を見せてくれました。これほどのリーダー・シップがどうして代表チーム強化の際に発揮できないのか、傍目からはさっぱりわからないのですが、それでも現状改革に心掛けているだけマシです。

 プロ化構想発表から実行までの移行期間が短すぎる点に、ナニやら公表されていない背景がありそうです。とまれここは、大いに手心を加えて前向きに考えてみましょう。サッカー界がこれほどまでに劇的な改革を必要とする理由は「もっと強くなりたい」という願望からなのはだれの目にも明らかなのですから。

 でも、「日本のサッカーをもっと強くして、W杯に出る」――この目標めざして、具体的な戦術、戦略を示さずに、サッカーをプロ化すればいいのだといささか飛躍した結論にとびついたかのように見えることは否めません。こうすれば、あれよあれよという間に、規格外れの天才がどんどん生まれてくるというわけでしょう。〔以下略〕



 サッカーへの敵意丸出し、上から目線にはウンザリさせられる。中尾亘孝は、さらにこの後「Jリーグは必ず失敗する」という話を延々続けるが割愛(下記リンク先参照)。
  •  参照:サッカー「Jリーグ」は絶対に失敗すると1991年に放言していたラグビー狂会=中尾亘孝(2019年09月14日)
 時勢に乗じた、反サッカー主義者による、まことに傲岸不遜な「ご託宣」であった。

中尾亘孝の「謝ったら死ぬ病」
 ところが、周知にとおり、この「ご託宣」は「未来永劫」どころか、1997年11月17日の「ジョホールバルの歓喜」で、たった6年で覆(くつがえ)されてしまったのである(本来は1993年に「証明」されるべきであった.後述)。

岡野雅行_ジョホールバルの歓喜
【ジョホールバルの歓喜】

 とにかく横柄が過ぎる中尾亘孝に求められたのは、ラグビーファン、サッカーファン、スポーツファンの読者に対する潔い謝罪であった。ところが、この人物が取った対応は、読者の予想の斜め上をいくものだった。

 「ジョホールバルの歓喜」後、中尾亘孝のサッカーに対する本格的な言及が、1998年12月刊行、佐山一郎氏が無批判に紹介した、あの『リヴェンジ』だったのである。
 今を去る7年前〔1991年〕、フットボール・アナリストを自称するおやぢ〔オヤジ=中尾亘孝〕は、「〔日本の〕サッカーは未来永劫ワールド・カップ〔本大会〕には出られない」と断定したことがあります。軽率のそしりはまぬがれない放言であります。周知のように、J-リーグ→ドーハの悲劇→ジョホール・バルの歓喜という風にステップ・アップして、目出たくワールド・カップ・フランス大会に出場したわけです。活字だけでなく、文章も読める人が読めば分かることですが、これには前提があったのです。それは、
  1. 日本独自の理論がない。
  2. 人材が揃わない。
  3. 学閥、派閥の足の引っ張り合い。
 以上の三点がクリアされない限り、世界の檜舞台〔W杯〕には絶対立てないという結論は、今でも正しかった〔!?〕と思っているし、現時点でも同じことを書けば、「4.運、ツキに恵まれる」と、もう一項目付け加える必要さえあるとさえ考えています。

 〔日本〕サッカーの場合、……ヨレヨレヘロヘロの状態だったとはいえ、ワールド・カップ〔本大会〕出場への道を拓いたのだと思う。

 要するに、俺は間違ったことは書いていない。それが分からないのは読解力のないお前ら読者がバカだからだ……と、中尾亘孝は見苦しく居直り、責任を転嫁したのだ。こういう憎まれ口を平然と書くのがこの人物の品性の下劣さなのだが、同時にこうした中尾亘孝の下劣さにまるで鈍感なのが佐山一郎氏なのである。

 こんな感じで過去の「ご託宣」の間違い、その「みそぎ」をチャチャっと済ませた(つもりの)中尾亘孝は、今度は『リヴェンジ』で、1998年サッカー・フランスW杯で3戦3敗1次リーグ敗退に終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンや日本人サポーターを愚弄し、嘲笑する「ご高説」を垂れるようになったのである(目次と「まえがき」をPDFのデータにしたので参照されたい)。
 ふつうのサッカーファンが、例えば前出の「ミノブ」氏やオールドサッカーファン氏のような人物が、このような悪口雑言を読んだら当然立腹する。中尾亘孝の罵詈讒謗を「兄弟フットボールライターからの(ありがたい)助言」だと思っているのは、佐山一郎氏のような(ふつうのサッカーファンではない)いたいけなお人よしだけである。

中尾亘孝説3か条の検証
 それならば、先に掲げた中尾亘孝の引用文2本をもう一度読み比べてみよう。

 1991年の『15人のハーフ・バックス』では、日本サッカーが未来永劫W杯本大会に出場できない「原因」として、例の3か条を挙げている。だが、1998年の『リヴェンジ』では、この3か条は日本サッカーがW杯本大会に出場すらために「クリア」するべき条件だと、いつの間にか勝手に改変している。

 つまり、読者をはぐらかし、ごまかしているのは、中尾亘孝の方だ(その他の中尾説については,バックナンバーを参照されたい)。
  •  参照:カテゴリ:サッカー>反サッカー主義者&日本ラグビー狂会=中尾亘孝
 今回、細かく検証するのは第2条「2.人材が揃わない」についてである。

 この項目は、中尾亘孝が『リヴェンジ』で「サッカー日本代表は〈ヨレヨレヘロヘロの状態〉でフランスW杯本大会へ出場できた」と言及したこと、あるいは、佐山一郎氏による「日本サッカーは〈つい最近までアジア予選突破に四苦八苦していたことを忘れ〉ている」と言及したことにも通じる。

 つまり、サッカー日本代表は大した実力もないのにW杯本大会には出場できた……という中尾亘孝(や佐山一郎氏)による誹(そし)りを批評的に検証するのである。

冬の時代の底を打った「1980年のサッカー日本代表」とは?
 Jリーグ以前の日本サッカー低迷期、いわゆる「冬の時代」は、1971年(ミュンヘン五輪アジア予選惨敗)から、1992年(オフト・ジャパンの広島アジア大会優勝)まで、およそ20年余に及ぶが、その時期は、前半約10年と後半約10年に分かれる。

 1970年代の前半、日本サッカー、特にサッカー日本代表は、メキシコ五輪世代以降の人材が枯渇し、技術レベルが大きく落ち込みんで、国際舞台では「蹴って走って頑張るサッカー」しか出来なくなっていった。

 しかし、1980年12月末、香港で行われたスペインW杯アジア予選から、非常に緩やかな角度ではあるが上昇に転じる。全国的な少年サッカーの指導が実って、技術のある選手が育ち、少しずつではあるが「パスをつなぐサッカー」が出来るようになっていった。負けはしたものの、香港予選では日本代表は素晴らしいサッカーをした。日本サッカーの将来の光明が(少しだけだが)見えた。

 その時、それを見ていた、香港のスタジアムに3人だけいた日本人サポーターの1人が、サッカージャーナリストの後藤健生氏である。氏は、この時の観戦記と感慨を1997年3月刊の『日本サッカーの未来世紀』に書いている(その1その2.担当編集者のY氏とは柳澤健氏のこと)。中尾亘孝が『リヴェンジ』を出す2年近くも前だ。

 後藤健生氏が、けして後出しジャンケンで「1980年のサッカー日本代表」(監督は川淵三郎氏!)を高評価したワケではないことは、1981年、だいたい同じ内容の観戦記を、古いサッカーファンの団体である「日本サッカー狂会」の会報『FOOTBALL』誌に、寄稿・掲載されていることからも分かる。

 『FOOTBALL』誌は一般に流通しないミニコミ誌であるが、この時の後藤健生氏の観戦記「香港に日本サッカーの夜明けを見た」は、2007年に国書刊行会から出た『日本サッカー狂会』という本に再掲載され、一般のサッカーファンでも読めるようになっている。日本サッカー史を振り返る時に非常に重要な資料(史料)である。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


 佐山一郎氏は、後藤健生氏とも昵懇(じっこん)の関係にあり、こうした情報にいち早く接しうる立場にあった。だが、氏の日本サッカー評論にそれが反映されることはない。また、日本サッカーを肯定する気が全くない中尾亘孝は、日本サッカーを評価するための材料に後藤健生氏の著作が持ち出されることはない(少なくとも『リヴェンジ』巻末の参考文献に,後藤健生氏の名前はなかった)。

森→石井→横山→オフトの流れからサッカー日本代表を再検証する
 日本サッカーは、オフト・ジャパン(1992~1993年)になってから急に強くなったようにも見えるが、これは正しくない。

 1980年代、日本のサッカーは、1985年にメキシコW杯アジア最終予選まで進出した森孝慈監督の日本代表(森全日本)、1987年にソウル五輪アジア最終予選まで進出した石井義信監督の日本代表(石井全日本)……と、曲がりなりにも「良い流れ」を作っていた。ところが、これを継承した横山謙三監督のサッカー日本代表(横山全日本,1988~1992年)は「良い流れ」を停滞させてしまった。(2)

 横山謙三監督は、日本の実情を無視して、欧州最先端の戦術を形式通り導入しようとして失敗した。山っ気に走らず、しかるべき指導力を発揮していれば、日本代表は1989年のイタリアW杯アジア最終予選には進出できた。

 最終予選は6か国総当たりで、たとえ全敗でも5試合経験できる。それだけの「経験値」を積めば、サッカー日本代表は1993年の「ドーハの悲劇」もなく、1994年のアメリカ合衆国W杯本大会に出場できていたかもしれない。(3)

 オフト・ジャパンの総括と評価については、金子達仁氏の論評(専門誌『サッカーダイジェスト』から単行本『激白』に転載)に代表される、次のような評価が半ば「天下の公論」のように定着している。

 すなわち「日本サッカーは,アジアの中でも〈個の力〉が大きく劣っており,オフト・ジャパンはそれを〈組織,戦術〉で誤魔化してきたにすぎない.その限界を露呈した出来事こそが〈ドーハの悲劇〉だった」という、きわめて否定的で自虐的なものである。

 むろん、佐山一郎氏の「ドーハの悲劇」の評価も、金子達仁氏らのそれに近い。

 しかし、小川智史氏(成城大学サッカー部監督.余談だが佐山一郎氏は成城大学卒)の「ハンス・オフトの失敗~なぜ日本代表はワールドカップにいけなかったか?」という評論を読むと、それまでのネガティブなオフト・ジャパン観が一変する。

 当時のサッカー日本代表は、W杯本大会出場に足るだけの実力も内容も備えていた。敗因=「ドーハの悲劇」の原因は、第一に監督ハンス・オフト氏の指揮官としての数々の判断のミス、そして選手たちの経験不足である……と。

 小川智史氏の「ハンス・オフトの失敗」は、これも日本サッカー協会の会報『FOOTBALL』誌1995年12月号に掲載され、2007年刊の国書刊行会『日本サッカー狂会』に再掲載されている。『日本サッカー狂会』の編者は「1993年アメリカW杯アジア最終予選の戦評と敗因分析について,どの新聞・雑誌よりも的確な論評で〈ドーハの悲劇〉再考のキッカケになる」と自讃している。この表現に誇張はない。

 後藤健生氏の「香港に日本サッカーの夜明けを見た」と、小川智史氏の「ハンス・オフトの失敗」。この2つの優れたサッカー評論が、一部の人しか読めないミニコミ誌から、きちんとした形で公刊されたという意味でも、国書刊行会『日本サッカー狂会』の意義は大きい。日本サッカー史を振り返る時に非常に重要な資料(史料)である。

 実は、佐山一郎氏も、この辺の情報にいち早く接しうる立場にあった。だが、氏の日本サッカー評論にそれが反映されることはない。

日本のサッカー評論を陰鬱なものにした佐山一郎氏
 要するに、ここで述べてきた、中尾亘孝が日本サッカーについて下した評価、また佐山一郎氏がインチキ・ラグビー評論家の中尾亘孝をサッカーファン向けに推奨したことは、全部間違っているのである。

 佐山一郎氏(に限らないが)は、日本のサッカーを否定的かつ自虐的に論じれば「批評的」であると思い込んでいる節がある(例えば下記リンク先参照.しかし酷い)。
  •  『サッカー細見』著者・佐山一郎インタビュー「スポーツジャーナリズムが存在しない国でサッカーの全体真実を描く」:聞き手・永江朗
 しかし、例えば、前章では議論のたたき台として、1980代以降の歴代監督によるサッカー日本代表を検証してみた。その中でも特に横山全日本の不振を再検証してみた。未だ書かれざる「1989年のサッカー日本代表」……。こういった検証や想像力を働かせることこそ、本来の「批評」であろう。もっとも、佐山一郎氏には、それだけの気概も能力もないのだが。

 横山全日本=横山謙三監督は、1991年、あまりの不振ぶりに、サッカーファン・サポーターから「監督更迭要求運動」を起こされた、日本で最初のサッカーチームだった。サッカーファンが「モノ言うスポーツファン」になったのは、この時以来だ。

 当時の週刊誌『朝日ジャーナル』は、この「事件」を報じた数少ないメディアだった。もっともレポーターは佐山一郎氏だったが。そして、そのコンテンツは、いつもの佐山一郎氏の文学青年的こねくり回し文体だったので、第3者的には客観的に何が起こっているのかサッパリ分からないという、実に奇妙な代物だった。

 この辺に、サッカージャーナリストとしての佐山一郎氏の駄目さ加減が現れている。

 はっきり言って、日本のサッカー評論を陰鬱なモノにしたのは佐山一郎氏である。氏は、いかにも「日本でサッカーを語ることは,とても難しい」などと、たびたび陰鬱に書いているが、そんなことはない。

 日本で「サッカー」で語ることを殊更に難しくしているのは、佐山氏自身の「体質」や「思想」そのものである。もし、佐山一郎氏の地位に富樫洋一氏がいたら……ダジャレ厳禁という条件付きであるが(笑)……日本のサッカー評論は、もう少しは明朗になっていたのではあるまいか?

反サッカー主義者=中尾亘孝に対する佐山一郎氏の「非サッカー的」寛容さ
 それにしても、中尾亘孝みたいなあからさまな反サッカー主義者に、何の痛痒も感じることがなく、全く「日本的」な寛容さで、しかも「ラグビーの後藤健生」などという誤解を生じる惹句で紹介する佐山一郎氏の感覚は、ちょっと理解しがたい。

 まあ、佐山一郎氏に関しては、戦前期日本のスポーツ界ではサッカーよりラグビーの方が人気が高かったらしいことに、相当な劣等感を抱いてきたことは、これまで何度も書いては来たのだが(下記リンク先参照)。
  •  参照:『日本サッカー辛航紀』を読む(4)~未だラグビーへの劣等感が抜けない佐山一郎氏(2019年02月24日)
 一方、サッカーファンならば、佐山一郎氏が日本のサッカーに関して怪しい話をいろいろ書いてきたことを知っている。例えば「サッカーは欧米の厳しい契約社会・一神教社会の産物である。翻って日本は寛容な非契約社会・多神教社会である。ゆえに日本人はサッカーに適していない」……みたいな日本人論・日本文化論である。

 その最たるものは「日本人は米や味噌を食べているからサッカーは強くなれない」などというトンデモ理論を雑誌『ブルータス』に書いていたことである(下記リンク先参照)。
  •  参照:『日本サッカー辛航紀』を読む(5)~レイシズムと佐山一郎,島国・農耕民族・日本人(2019年05月18日)
 実は、佐山一郎氏も中尾亘孝も、自虐的な日本人論・日本文化論のビリーバーであるという共通点、その上での自虐的日本サッカー観&自虐的日本ラグビー観の持ち主であるという共通点がある。

 直接の面識はないだろうが、佐山一郎氏と中尾亘孝は、その意味でウマが合う関係なのだ(その精神的なズブズブ関係については,エントリーをあらためて言及する予定)。反サッカー主義者=中尾亘孝を「ラグビーの後藤健生」と呼ぶ佐山一郎氏の蒙昧は、ここから発する。

 しかし、常々「サッカーならざるニッポン人」を嘆き憂いてきた佐山一郎氏が、実は最も「サッカーならざるニッポン人」だったことは、大いなる皮肉である。

(つづく)




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中田英寿にまつわる仰天エピソード
 2020年2月3日、ヤフー!ジャパンが、Goal.comからの配信として「トッティ氏,仰天エピソードに中田英寿氏を選出〈なぜそんなことを.彼は本当に特別な人〉」なる、サッカー元イタリア代表フランチェスコ・トッティのインタビュー記事を公開した。
  •  トッティ氏、仰天エピソードに中田英寿氏を選出「なぜそんなことを.彼は本当に特別な人」
 彼とサッカー元日本代表・中田英寿は、かつてイタリア・セリエAの名門ASローマでチームメイトであった。ASローマは、2000-2001シーズンにセリエAで18シーズンぶりに優勝した。

 その快挙、ASローマの選手やスタッフたちによる歓喜の輪の中にあって、中田英寿だけは「優勝が決まった直後,ロッカールームの隅で読書をしていた」という逸話を、トッティは「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」として紹介している。
 「私〔トッティ〕は〔現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソードとして〕ナカタ〔中田英寿〕を選ぶ。なぜならナカタは、スクデットのお祭り騒ぎの中、本当に読書していたんだよ。なぜそんなことをしていたのかは分からない。彼〔中田英寿〕は本当に特別な人だよ」

Goal.comより
 この珍記事を受けて、中田英寿を素朴に信奉する、いたいけな人たちの反応がSNSやヤフー!ジャパンのコメント欄に現れている。以下は、そのマンセ~、ハラショ~のほんの一例であるが……。




 ……なるほど。「中田英寿神話」はこうやってメンテナンスされていくのだ。

英国における「大卒」サッカー選手の苦悩
 読めば分かるのだが、トッティは、あくまで「現役時代を通じ,最も驚いた仰天エピソード」を語ったのであって、「現役時代を通じ,最も驚いたサッカー選手やそのプレー」を語ったわけではない。

 該当記事を読む限り、トッティは中田英寿をそのように評価したわけではない。

 この「仰天エピソード」を読んで、むしろ、思い出したことがある。サッカーとサッカーカルチャーのことならおおよその事柄が書いてある、デズモンド・モリス博士の『サッカー人間学』(1983年,原題:The Soccer Tribe)に登場する話だ。

 英国イングランドのプロサッカー選手で、数少ない「大学卒」のインテリだったリバプールFCのスティーブ・ハイウェイ(Steve Heighway,1947年生まれ,ウォーリック大学卒)の「苦悩」である。
 大学教育まで受けた数少ない一流選手の一人で、リバプールで活躍するスティーブ・ハイウェイには,このような〔低学歴のプロサッカー〕選手〔たち〕の態度は大変な驚きであった。

スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁
【スティーブ・ハイウェイ@『サッカー人間学』183頁】

 リバプール・チームに入った当初,彼〔ハイウェイ〕は相手チームと対戦する時と同じように,自チームの仲間との交際が怖かったという。あるスポーツ解説者は「彼はこの社会〔プロサッカー選手たちの世界〕の不適応者だった」といい,「遠征先でトランプ〔≒少額の賭け事〕が始まると,ハイウェイは抜け出して観光団に加わった。

 仲間には,明らかにインテリを鼻にかけた生意気な態度と映った。彼が戻ると,みんなは威嚇〔いかく〕的な視線を送って,トランプに仲間入りする気があるかどうか尋ねた」と伝えている。

 ハイウェイは変人扱いを受けるのがたまらず,何とか順応しようとした。

デズモンド・モリス『サッカー人間学』183頁


サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 チームの雰囲気に馴染めなかったという意味では、スティーブ・ハイウェイと中田英寿は、ある意味で似ている(まだハイウェイはチームに馴染もうとしていたのだが)。

サッカー選手は「ハマータウンの野郎ども」である!?
 デズモンド・モリスが『サッカー人間学』で描き出した、プロサッカー選手のイメージ(ステレオタイプ)を抄出してみると……。
  •  芸術や科学や政治に関心がなく、サッカーにしか興味がない。
  •  暇な時、特に遠征時の移動中は、トランプのゲーム≒少額の賭け事を楽しんでいる。
  •  映画やテレビをよく見るが、(高尚な作品ではなく)スリラーやアクションが多い。
  •  読書も、サッカー関係の雑誌か、タブロイド紙の推理小説やスリラーの域を出ない。
  •  挑発的で威圧的なキャラクターの女性は好まれない。
  •  好きな音楽はロックやポップに限られている(クラシックではない)。
  •  遠征先の有名な観光地の見学には興味が薄く、つまりは知的好奇心に乏しい。
 ……等々。ものの見事にサッカー馬鹿であり、粗にして野であり、けして「知的」とはいえない。これでは、スティーブ・ハイウェイが馴染めないのは当然だ。

 これには、英国という社会のしくみが絡んでいる。いわゆる「階級社会」である。例えば、単純な計算で、英国の大学の数は日本の4割程度しかない。しかも進学率が低い。

 英国の子供は11歳(!)で学力試験を受けて、そのうち所定の成績を上げた3割程度しか高等教育の学校(大学など)に進学できない。残り7割のほとんどはステートスクール(公立中学)を卒業したら、そのまま労働者として社会に出る(この段落の知識は,林信吾『これが英国労働党だ』によるもの)。

 現在の英国でも、欧州の他の国も、おおむね事情は似たようなものである。

 サッカー選手は、労働者階級のスポーツである。選手の出身も労働者階級が多い。

 すなわち、サッカー選手は、なかんずくプロサッカー選手は。大学に進学するような知的エリート≒上流階級(的な)がやるスポーツだとは思われていない。そして、選手の言動や立ち振る舞いも労働者階級的であることを求められる。
 世の中には知的ならざる、しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層があるのだという単純な事実……。

 知性をバカにすることによってプライドを保つ人たちが、そしてそういう人によってしか担われない領域の仕事というものがこの世には存在するのである。

 〔英国の〕社会学者ポール・ウィリスはその辺の事情を見事に明らかにしている〔ポール・ウィリスの著作『ハマータウンの野郎ども』のこと〕。

ハマータウンの野郎ども (ちくま学芸文庫)
ポール・E. ウィリス
筑摩書房
1996-09-01






 世の中は……知的エリートによってだけ動いているのではない。……知的であることによってプライドを充足できる。他方に反知性によりプライドを充足する人々がいる。

 人間はプライドなしには生きられないという観点からすれば、どちらも等価である。

三浦淳「捕鯨の病理学(第4回)」http://luna.pos.to/whale/jpn_nemo6.html
 すなわち、プロサッカーとは「知的ならざる,しかしそれなしでは社会が動かない人たちの分厚い層」あるいは「反知性によりプライドを充足する人々の」ための、基本的に「そういう人によってしか担われない領域の仕事」なのである。

 サッカー選手たちとは、とどのつまり「ハマータウンの野郎ども」なのだ。

 スティーブ・ハイウェイの「苦悩」の背景がここにある。「大学卒業」の学歴を持つハイウェイが馴染めないのは、プロサッカーが「労働者階級」の社会だからである。

「体育会系」という反知性的なコミュニティ
 その昔、1960年代、サッカー日本代表がヨーロッパに遠征した。そのスコッドの選手たちは、大学生や大学卒業の選手がほとんどだった。例えば、杉山隆一は明治大学卒業、釜本邦茂は早稲田大学卒業である。

 そのため、学歴のないサッカー選手が多いヨーロッパの現地では、珍しく受け取られたという。

 だからと言って、日本のサッカー選手やアスリートが、真に「知的」かどうかは微妙である。

 日本の大学スポーツの体育会・運動部には「体育会系」という言葉(概念)があり、それは「体育会の運動部などで重視される,目上の者への服従根性論などを尊ぶ気質.また,そのような気質が濃厚な人や組織」(デジタル大辞泉)と解釈される。

 すなわち、あまり「知的」とは見なされない。日本においてもサッカーを含むスポーツ選手は、あまり賢くないというイメージ(ステレオタイプ)があり、当事者もそこに充足しきっているというところがある。

 洋の東西を問わず、サッカー選手は敢えて「知的」でないことを誇っている節がある。

 そういえば、フランチェスコ・トッティは「知的」ではなく「間の抜けた男の愛嬌」を感じさせる逸話が多い。日本で言えば、プロ野球の長嶋茂雄のそれに通じるものがある。

 対して、中田英寿の逸話は対照的である。世界最高峰のサッカーリーグであるセリエAで優勝したにもかかわらず、ひとり「ロッカールームの隅で読書をしていた」というのは、そうしたサッカー界の風潮には順応できなかった……ということである。

中田英寿は「真に知的なアスリート」なのか?
 所詮、スポーツなど馬鹿がやる仕事なのか? 否。スポーツライターの藤島大は、スポーツこそ「知的」な営為であると説き、中田英寿のような安易なアンチテーゼ的振る舞いの方を批判している(下記リンク先参照)。曰く……。
 スポーツとは、そもそも高等な営みである。一流選手が経験する真剣勝負の場では、緊急事態における感情や知性のコントロールを要求される。

 へばって疲れてなお人間らしく振る舞う。最良の選択を試みる。この訓練は、きっと戦争とスポーツでしかできない。

 だからアスリートは、机上では得られぬ知性をピッチやフィールドの内外に表現しなければならない。

 常識あるスポーツ人が、非日常の修羅場でつかんだ実感を、経営コンサルタントや自己啓発セミナーもどきの紙切れの能弁ではなく、本物の「詩」で表現する。そんな時代の到来を待ちたい。

 「片田舎の青年が、おのれを知り、世界を知り、やがて、おのれに帰る。だからラグビーは素敵なのだ」

 かつてのフランス代表のプロップ、ピエール・ドスピタルの名言である。バスク民謡の歌手でもある臼のごとき大男は、愛する競技の魅力を断言してみせたのだ。

 ……たしかにドスピタルの言葉に比べると、中田英寿の『中田語録』などは「机上の知性」あるいは「紙切れの能弁」でしかない。

中田語録
文藝春秋
1998-05


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 知的とは思われていないフットボーラーだが、フットボールを極めると、むしろ、だからこそ真に知的な言葉が出てくる。一見すると、矛盾している。矛盾しているが、真理である。

 その真理を、ついに理解できなかったのが中田英寿である。

中田英寿から透けて見える日本サッカー界の「知性」
 藤島大が「真に知的なアスリートの到来」を期待したのは、2001年1月のことである。

 あれから、20年近くたった2020年2月。しかし、未だに「中田英寿の仰天エピソード」が出てくる。未だに「中田英寿神話」のメンテナンスが行われる……。

 ……ということは、日本サッカー界の知的レベルが更新されていないということでなる。

 中田英寿は「サッカー馬鹿」になるべき時になれない体質だった。そこにサッカー選手として才能の限界があった。中田英寿は、だから、ワールドクラスのサッカー選手としてのキャリアを形成できたわけではない。

 代わりに、中田英寿は、日本のサッカー界の知性の低劣さを巧妙に刺激する才能には長(た)けている。2000年のアウェー国際試合「フランスvs日本」戦のパフォーマンスなどは、そうである。

 そこで錯覚してしまう、いたいけな日本人が多い。残念でならない。

中田英寿は「特別な人」ではなく「特殊な人」である
 ところで、くだんのトッティのインタビュー記事。イタリア語原文がどうなっていたのかは分からないが、日本語の翻訳をちょっとだけ改変してみると、がぜん面白くなる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特別な人」
 ここから単語をひとつ置換してみる。
  •  トッティ「なぜそんなことを.彼〔中田英寿〕は本当に特殊な人」
 フランチェスコ・トッティが「なぜそんなことをしていたのかは分からない」というくらいだから、後者の方がニュアンスが通じる!?

 ことほど左様、日本にとっても、国際的にも、中田英寿は「特別なサッカー人」ではない「特殊なサッカー人」なのである。

 こちらの方が、中田英寿という人間の本質を言い当てている。

(了)




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毒をもって毒(セルジオ越後)を制す
 日本のサッカーばかりか、日本の他のスポーツ(例えばラグビー)にまで、これを貶める暴言を吐くようになったセルジオ越後にムカついて、そういや、セルジオ越後には経歴詐称疑惑があったな……と、いろいろネット検索をいじくっていたら、rulli-coco氏という人のブログに当たった。

 セルジオ越後の経歴詐称疑惑について、しつこく批判しているわけだが、まさに毒を以て毒を制す……。rulli-coco氏は癖の強い、相当変な面白い人である。

 この人のブログは、挑発的なモノ言いや、場合によってはかなり極端な主張で、これはハッキリ好悪が分かれる。むろん、その言い分に全て共感することはない。しかし、そんなおかしなことばかり言っているわけでもない……とは思う。*

サッカー「辛口批評」というフィクション
 それはともかく、そのrulli-coco氏によるセルジオ越後批判である。氏は、セルジオ越後の経歴詐称問題のみならず、セルジオ越後が日本に定着させた「サッカー強豪国,ことに南米のブラジルやアルゼンチンなどのサッカー評論は,選手や監督,チームを徹底的に批判する」という話も間違いである……と説く。
強豪国は辛口が常識というウソ。評論家によって違い、幅がある
 この男〔セルジオ越後〕は、「海外では失敗した選手を叩いている」と主張し、自分〔セルジオ越後〕が選手を攻撃するのを正当化していますが、これは大嘘です。

 日本人は、海外の新聞を原文で読まないアホが多いので大嘘がまかり通っています。

 海外の新聞を読めば優しい評論家は居り、人それぞれです(当たり前ですよね)。

 アルゼンチンの名将カルロス・ビアンチ監督(クラブ・チームで世界一3回。世界最多記録を持つ名将)などは、ミスを犯した選手にも目線が優しい人物です。

【カルロス・ビアンチ氏(写真中央の人物)】

 W杯2018年、ロシア大会のGL第2戦のクロアチア戦で、大ミスをし、クロアチアのFWに間違ってパスをしてしまい、それで失点したアルゼンチン代表のGKウィルフレード・カバジェーロに対して、日刊紙クラリンのコラムで、ビアンチは、「今は、彼のメンタルを回復させる事が最も重要だ」と述べ、失敗した選手を擁護する評論をしました

 (ビアンチは、アルゼンチンでは大尊敬されており、このコラムは敗戦翌日に見出し記事のすぐ下、まるで「クラリン」の社説のように紹介されていました。日刊紙クラリンは、アルゼンチンで最も発行部数の多い一般新聞紙です。試合は0-3の歴史的惨敗でしたが、ビアンチはGKを擁護しました。「彼は、他でピンチを救っていた」、「次の試合も絶対に彼を起用すべきだ」とも述べ、ミスを犯したGKを批判から守っていました])。

【カルロス・ビアンチ氏】

 故に、南米が誰でも(特に評論家が)「失敗した選手を叩きまくっている」などというこの男〔セルジオ越後〕の話は、大嘘ですよ。

 日本のマスコミは、ろくに海外の新聞もコラムも読まないアホが仕事しているので、セルジオ越後の話を「常識」だと信じ、それを「強豪国の常識だ」と紹介しているんです。
そして、それが日本社会にまかり通っているのです。

 (セルジオ越後が一人で環境作りをし、それに成功したという感じです)。

 この男(元3流以下選手)が日本人に対し、偉そうに侮辱や難癖を言いたいので、「叩くのが当たり前」とか、「叩くから強くなる」と主張し、自分の酷いやり方を、自己正当化しているだけに過ぎないのですが、日本人は、それを全く読み取れていません。

 これも日本人が、「ブラジル人詐欺師」〔セルジオ越後〕にだまされている事の1つでしょう。

 強豪国に厳しい評論家が居る事は事実です。

 日本でも有名なオズワルド・アルディレス(アルゼンチン代表。W杯1978優勝メンバー)はこの敗戦翌日、同じ新聞上で「史上最低のアルゼンチン代表チームだ」と猛批判しました(ビアンチよりかなり小さな扱いでしたが)。

 故に、強豪国では、この様に容赦なく批判する元選手も居ますが、(ビアンチの様に)擁護する人も居て、人それぞれです。

 つまり強豪国は、「人それぞれ」が常識で、色々な意見を各評論家が述べ、幅があります。

 この男〔セルジオ越後〕が、「叩くのが常識」と日本人に説明しているのは「大ウソ」という事です。

「セルジオ越後、史上最悪の経歴詐欺師」
(2019-03-02)
 例えば、こうした間違った「海外サッカー強豪国の常識」を鵜呑みにして出世した人物が、かの花形スポーツライター・金子達仁氏である(『激白』参照)。そして、金子達仁氏の読者たちも、セルジオ越後の影響下にある。

 金子達仁氏は、セルジオ越後の弟子筋の人間に当たる。だから、武藤文雄氏サッカー講釈師さんによる「セルジオ越後の言うことなんか誰も本気にしていない」などというセルジオ越後擁護論は的外れである。

奥寺康彦をベタ褒めするベッケンバウアー
 しかし思うに、ここでもう一押しして欲しかったのである。

 例えば、その海外の新聞(アルゼンチン「クラリン」紙)に出た、カルロス・ビアンチ氏のインタビュー記事のWEB版があったらリンクを貼ってほしかったし、紙媒体だけならば、(差し障りのない範囲で)紙面をスキャンしてアップするなり、テキストを文字起こししてほしかったのである。

 引用元・出典を明らかにして、読者が「追試」し、確認できるようにしてほしかったのである。

 しっかりした「裏付け」があれば、その分だけ説得力を増すからである。

 こういう例はほかにもある。rulli-coco氏は、日本人初のブンデスリーガ選手として長く活躍した奥寺康彦選手の再評価をライフワークにしている。中田英寿が過大評価されている一方で、奥寺康彦が過小評価されているというのは、たしかに本邦サッカー界、サッカー文化の問題である。
  • 「奥寺康彦と中田英寿。」(2019-12-02)
 では、奥寺康彦は何が凄かったのか? くだんのブログでは、サッカー界の皇帝ベッケンバウアーは、奥寺康彦を次のように高く評価したと紹介している。
皇帝フランツ・ベッケンバウアーから認められた、奥寺康彦
 フランツ・ベッケンバウアーは、ドイツのマスコミに向かって、奥寺康彦について話した。

 「残念だが、奥寺の良さは、君らには理解できないし、説明しても分からない。私や〔オットー・〕レーハーゲルのような人物にしか分からないよ」とだけ述べた。


「名将、名選手による奥寺康彦への評価。~歴史、第16回[最終回]」
(2019-10-11)
 いや、いい……。カッコイイ。男なら(女でもいいが)こんな凄いセリフを吐ける人間になってみたい。また、こんな凄いセリフで評価される人間になってみたいものだ。

 それはともかく、このベッケンバウアー発言の出典はどこだろうか? それがハッキリしないので、rulli-coco氏のエントリーの主張も、いまひとつ説得力に欠ける。疑い深い人は、該当のコメントは氏の「捏造」ではないかと勘ぐってしまうかもしれない。

ベッケンバウアー発言の元ネタはどこか?
 実は、佐波拓也(さば・たくや)氏の著作『プロフェッショナル・ドリーム~奥寺康彦サッカー・ドキュメント』(1986年)に、くだんのベッケンバウアー発言そっくりのコメントが登場する。そこで、あらためて紹介すると……。
 奥寺〔康彦〕は……ブンデスリーガで「東洋のコンピューター」とまで称されるようになった。

 あの西ドイツ〔当時〕の皇帝フランツ・ベッケンバウアーは、ブレーメン〔当時の奥寺康彦の所属クラブ〕が一躍優勝戦線に登場したとき、マスコミの取材に応じて語ったことがある。

 「残念だが、奥寺の良さは、君らには理解できないし、説明してもわからない。私やレーハーゲル〔ブレーメン監督〕のような人物にしかわからないよ」

 ある日本人――奥寺の可能性を見つけ、見守ってきた三村恪一氏〔みむら・かくいち,1931年生,サッカー指導者〕は、それをうけて言った。

 「私〔三村恪一〕は、おそれおおくてベッケンバウアーが言ったことがどういうことか、わかりません。ただ私なりに、奥寺君を見てきた経験からすると、サッカーの試合中は……〔以下略〕



 ……漢字か平仮名かという細かい用字以外は、rulli-coco氏が引用したコメントとほとんど一緒である。元ネタは佐波拓也氏の本で間違いないはずだ。

マルクスが説く「共産主義」とは,幽霊か? 妖怪か?
 なぜなら、ベッケンバウアーが奥寺康彦をこう評価した発言は、ドイツ語で発せられたものだろうから、外国語を翻訳した場合、単純な文章でも翻訳者によって日本語の文言が微妙に変わって来るものだからだ。

 カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの共著『共産党宣言』の、あの有名な冒頭部分も、翻訳者の違いによって異同がある(なお直接の引用は,呉智英の『言葉につける薬』からである)。
マスクスとエンゲルス『共産党宣言』冒頭の一節
 "Ein Gespenst geht um in Europa - das Gespenst des Kommunismus"(ドイツ語の原文)

 「ヨーロッパに幽霊が出る――共産主義という幽霊である」(大内兵衛・向坂逸郎訳,岩波文庫)

 「ヨーロッパをひとつの妖怪がゆく。共産主義という妖怪が」(相原成訳,新潮社,マルクス・エンゲルス全集)

 「一つの妖怪がヨーロッパをさまよっている――共産主義という妖怪が」(村田陽一訳,大月書店,マルクス・エンゲルス全集)

 「一つの妖怪がヨーロッパを歩きまわっている――共産主義という妖怪が」(宮川実訳,平凡社,世界教養全集)

 「一個の怪物がヨーロッパを徘徊してゐる。すなはち共産主義の怪物である」(堺利彦・幸徳秋水共訳,青空文庫

 「亡霊はヨーロッパに出没している-共産主義の亡霊」(Google翻訳)


 ことほど左様に違うわけである。

 だから、rulli-coco氏が引用したベッケンバウアー発言が、佐波拓也氏の著作のそれとほとんど同じということは、くだんの発言の元ネタが『プロフェッショナル・ドリーム~奥寺康彦サッカー・ドキュメント』と見て、まあ、間違いないのである。

本当に「革命」を起こしたいのであれば…
 ところで、rulli-coco氏の自己紹介におけるキャッチフレーズは「たった1人で,革命を起こす男」である。しかし、本当に「革命」を起こしたいのであれば、少しでもその主張の説得力を高めるべく鋭意するべきではないかと思う。

 「革命」と言えば、前出のマルクスであり、その代表作といえば『資本論』である。

 共産主義・社会主義が間違っていたのかは否かはここでは問題とはしないが、なぜマルクスの『資本論』は、20世紀の世界史をあれだけ引っ掻き回したのか? 『資本論』は観念的な理屈をこねていただけでなく、瑣末だが具体的な事実に異様なまでにこだわり、その分、説得力を高めているからだ……との指摘がある。
具体的なことを
 有名な大論文と言えば、マルクスの『資本論』などは代表的なものであろう。

 これを読んでみてもわかるように、もう全篇が具体的記述で充満している。

 イギリスの陶器製造業の労働者たちが極度に寿命が短いことの詳細な背景とか、合州国〔アメリカ合衆国〕の南北戦争のおかげでイギリスの木綿工業界はどのように機械の改良・大規模化がすすんでいったのかといったことが、実にこまかな具体的記述ですすめられる。

 あれだけの具体的記述で支えられているからこそ、世界をひっくり返すほどの説得力を持つにいたったとさえいえよう。〔以下略〕

本多勝一『日本語の作文技術』第10章より


【新版】日本語の作文技術 (朝日文庫)
本多勝一
朝日新聞出版
2015-12-07


 ましてや、マルクスでもヘーゲルでもない、一介のブロガーである。

 日本のサッカー文化に本当に「革命」を起こしたいであれば、その主張に対する裏付けをもっと徹底させるべきだろう。

(了)




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アディダスジャパンのマーケティングが当たった!

 ……コアなサッカーファンには、あれだけ酷評され、嫌悪されていた、アディダスジャパン(サッカー日本代表のサプライヤー兼スポンサー)デザインの、日本代表ユニフォーム最新モデル=俗称【迷彩】が、これまた酷評されていた先代モデル【ジンベエザメ,千人針などとも】の2.5倍以上(!)の売れ行きだという話が、なかなか受け入れられない。
  • 〈日本晴れ〉の日本代表新ユニは大人気! 初動売り上げがW杯モデル以外では過去最高(2020.01.15)
  • アディダスジャパンのサッカー日本代表ユニフォーム【迷彩】が売れているらしい(2020年01月16日)
 その昔、「♪コアなファンを捨ててでもタイアップでヒット曲が欲しい……」と皮肉って歌ったのは、筋肉少女帯の大槻ケンヂだった。
  • 筋肉少女帯「タイアップ」歌詞(アルバム「UFOと恋人」より)
 要は、コアなサッカーファンを切り捨ててでも、ファッション性(?)を優先し、2020東京オリンピックをも見込んだライト層向けのマーケティング(?)を敢行した、アディダスジャパンのサッカー担当=西脇大樹氏のビジネスが当たったということになる。*

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【迷彩ユニのプレゼンに臨むアディダスジャパンの西脇大樹氏】

 西脇大樹さん、おめでとう。

 しかし、コアなサッカーファンの生き霊はなかなか成仏できないだろうが。

自衛隊広報誌『MAMOR(マモル)』のコスプレ・グラビアから
 サッカーファンは、あの青い【迷彩】ユニフォームにはどうしても馴染めない。そこで少しでも目を慣らすために、一計を案じることにした。

 産経新新聞社系の版元=扶桑社が、『MAMOR(マモル)』という防衛省・自衛隊の広報誌を月刊で出版している。

 この雑誌に「防人たちの女神」という、若手女性アイドル・モデル・女優に自衛隊の制服や作業服を着せるという、これはどう見ても「特殊な趣向を満足させる」という意図(しかし否定できない)があるとしか思えないコスプレ・グラビアページがある。

 このページの歴代モデルを探ると、前田敦子、眞鍋かをり、壇蜜……などといった大物がおり、足立梨花、逢沢りな、丸高愛実といった、サッカーファンにもなじみのある人たちも名を連ねている。

 ……で、この月刊『MAMOR(マモル)』2016年3月号に登場したのが、グラビアアイドル(今や女優と言わないと御本人の御機嫌を損ねてしまうか?)の柳ゆり菜さんだったのである。

柳ゆり菜と岩渕真奈の青い迷彩服
 ちょうど青い【迷彩】服を着た若い女性の写真を探していたら、偶然に行き当たったのが柳ゆり菜さんだった。


  • 『MAMOR(マモル)』2016年3月号(1月21日発売)FEATURE
 その中から、これは……と思う写真を選んでみる。

グラビア:柳ゆり菜『MAMOR』2016年3月号
【青い迷彩服:柳ゆり菜『MAMOR(マモル)』2016年3月号より】

 次に、なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)の青い【迷彩】ユニフォームを着た美形の選手、例えば岩渕真奈選手の写真を選んでみる。

岩渕真奈「なでしこジャパン迷彩ユニフォーム」アディダス提供
【青い迷彩ユニフォーム:岩渕真奈(なでしこジャパン)】

 この2つを見ていくことで、少しは青い【迷彩】ユニフォームを受け入れられるのではないか……と考えたのである。

 さらに両者を並べてみた……。

迷彩ユニフォーム女子(岩渕真奈&柳ゆり菜)
【青い迷彩服:岩渕真奈(左)と柳ゆり菜】

 ……うーむ。若く美しい女性の海上自衛隊の青い作業服(右)はとても素晴らしいが、若く美しい女性フットボーラーの青い迷彩ユニフォームの方は、やっぱり受け入れられない。個人的には。

 これを南野拓実選手(!)たちが着用して、2020東京オリンピック(?)やカタールW杯アジア予選の試合でプレーするのかと思うと、どうしても気の毒に思えてしまう。

 ひとつだけ分かったのは、岩渕真奈選手が海上自衛隊の作業服を着たら、別の意味でカッコイイのではないか……ということであった。

(了)




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西脇大樹さん,おめでとう!
 2019年11月の発表当初、サッカーファンから轟轟たる非難を浴びていた、サッカー日本代表のユニフォーム【迷彩】モデル……。

迷彩柄(サッカー日本代表ユニフォーム2020)
【2019年11月からのサッカー日本代表ユニフォーム】

 ……もとい! サプライヤーのアディダスジャパンに言わせると「日本晴れ(にほんばれ)」モデル*、または「スカイコラージュ」モデルの売れ行きが、あにはからんや! 極めて好調なのだという。
  • 〈日本晴れ〉の日本代表新ユニは大人気! 初動売り上げがW杯モデル以外では過去最高(2020.01.15)
 報道によると、W杯が行われない年のモデルとしては、初動1カ月のユニフォームの売り上げが過去最高を記録(!)。2018年のロシアW杯に向けて発売された「勝色(かちいろ)」モデルの初動で上回っており(!)、これはアディダスとして快挙とのことだ。

サッカー日本代表ユニ2018
【サッカー日本代表ユニフォーム「勝色」モデル】

 一説に、アディダスが直接販売している分だけでも、初動1カ月の売れ行きが前回比250%以上と考えられ、一般からの評価は高いと考えられる。さらには、2020年の東京オリンピックに関わる需要もあるのではないか?

 マーケティングの専門家ではないので、本当のところはよく分からないのだけれど。

 この「報道」は、おそらくアディダスジャパンからのリークなのだろう。しかし、この「一般からの評価は高い」という表現は微妙だ。つまり、「一般」ではない、コアなサッカーファンからの評判はやっぱり悪いのではないか、とも考えられるのだが……。

 とにかく、アディダスジャパンのサッカー開発担当の西脇大樹さん、おめでとう!

サカダイ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」2
【「迷彩」のプレゼンに臨む西脇大樹氏】

デューダ「アディダス西脇大樹氏インタビュー」
【転職サイトでインタビュー記事に登場した西脇大樹氏】

 その昔、「♪コアなファンを捨ててでもタイアップでヒット曲が欲しい…」と皮肉って歌ったのは、筋肉少女帯の大槻ケンヂだった。
  • 筋肉少女帯「タイアップ」歌詞(アルバム「UFOと恋人」より)
 つまり、コアなサッカーファンからあれだけ反発を買っても、結局のところ、一般に【迷彩】ユニが商品として売れれば、何の痛痒も感じないのでしょう。きっと。

サンフレッチェ広島「#紫を取り戻せ」問題にも悪影響?
 これでアディダスジャパンはますます調子づいて……、もとい! 自信を深めていくのではないか。

歴代のサッカー日本代表ユニフォーム(「Wikipedia」より)
【歴代のサッカー日本代表のユニフォーム】

 何よりサッカー日本代表のユニフォームのデザインは、大仰なコンセプトを具象化してデザインに盛るトンデモ奇天烈路線が、今後とも継続しそうな気がする。

 アディダスジャパンも、本来のクライアントであるはずの日本サッカー協会(JFA)も、ライト層のサッカーファンも、完全に「薬が回っている」状態だ。

 さらにJリーグ・サンフレッチェ広島のサポーターを悩ませる「#紫を取り戻せ」問題にも悪影響を与えるのではないか?

サンフレッチェ広島2020年アウェイユニフォーム
【サンフレッチェ広島2020年セカンドカラー】

 もっとも、コアサポとライト層の比率が日本代表とは違うから、Jリーグのクラブはまた違うのかもしれないが。

結束の一本線~後藤健生さんの嘆き
 アディダスジャパンのサッカー日本代表のユニフォームのデザインで、トンデモ奇天烈路線が確立したのは、2012年の悪名高き【結束の一本線】モデルである。

結束の一本線_サッカー日本代表
【サッカー日本代表の「結束の一本線」モデル】

 今回、パソコンをいじくっていたら、後藤健生さんが【結束の一本線】モデルの論評している記事をサルベージした。
 そもそも、日本代表のユニフォームがどうしてブルーなのかといえば、元は東京大学(かつての東京帝国大学)のシンボルカラーだった。

 それが、日本代表(全日本選抜)がブルーのユニフォームになった理由だったのだ。

 つまり、本来なら、日本代表のシャツはライトブルーであるべきなのである。

 日本代表のユニフォーム……そう簡単に色調は変えないで、伝統を大事にしてもらいたいのである。

 もう色調の変化はストップしよう!

後藤健生「日本代表ユニフォームのブルーはなぜどんどん濃くなっていくんだろう?」
(2012年01月12日)
 昔からサッカーを見ているファン、コアなサッカーファンほど、アディダスジャパンのサッカー日本代表のデザインには不満を持っているのである。

サッカー文化~イタリアの洗練と日本の野蛮
 【迷彩】モデルの売れ行きを伝える、くだんのアディダスジャパンのリーク報道である)では、海外からの評価も非常に高く、外国人の訪日観光客(インバウンド)の売り上げも多いとの由……。

 ……さはさりながら。このインバウンドの中には、イタリア人やフランス人も含まれるのだろう。イタリア代表、フランス代表ともに、チームカラーは日本と同じ「青」である。

 しかし、イタリアやフランスが、日本みたいな【迷彩】柄にするなどと言われたら、嫌だろう。所詮は、東アジアのサッカー弱小国の代表チームだから「Fackin' Cool!」とかテキトーなことを言っていられるのである。

 例えば、アズーリ=サッカー・イタリア代表のユニフォームを見ていこう。

azzurri1968
【サッカー・イタリア代表1968年】

azzurri1990
【サッカー・イタリア代表1990年】

azzurri2006
【サッカー・イタリア代表2006年】

2019年U20W杯イタリア代表
【サッカー・イタリアU20代表2019年】

 イタリア代表のユニフォームは、いつの時代も見事なまでにイタリア代表としてのアイデンティティ=一貫性を持持っている。

 翻って、日本代表のそれは無節操きわまりない。

 当ブログは、本来「自虐的な日本サッカー観」を揶揄・批判するサイトである。

 しかし、ことデザインに関しては、日本のサッカー文化は浅薄なのではないかと暗澹たる思いになる。

(了)




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