スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:サッカー

はじめに…
 ラグビーワールドカップ2019日本大会まで、あと1か月となりました。

 まず、はじめに……。当ブログの趣旨は、ラグビーフットボールというスポーツそのもの、また日本におけるラグビーフットボールそのものを貶めるものではありません。

 かつて、Jリーグ以前、1970年代初めから1990年前後にかけて、国内スポーツシーンにおける人気や日本代表の国際的な活躍の度合いについて、ラグビーがサッカーを上回っていた時代がありました。

▼THE RUGBY Sports Graphic Number Special Issue December 1983

 サッカーとラグビーは、同じ「フットボール」を祖としています。しかし、片や、サッカーはいち早いプロフェッショナル化やワールドカップ(世界選手権)の創設。こなた、ラグビーは従前のアマチュアリズムの維持や世界選手権の否定(対抗戦思想)……と、大きく思想を異にしていました。

 その当時、一部の心ないラグビー関係者が、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、時流に乗じて、自身たちとスポーツの在り方に関する考え方が違うサッカーに対し、悪口雑言罵詈讒謗を放つことが間々ありました(逆の例もありましたが)。


 今回のエントリーの目的は、こうした言説の一部をインターネット上に保存し、後学のための覚書とすることです。その意図を斟酌(しんしゃく)の上で、ご笑覧いただけると、幸甚であります。

ラグビー評論家・中尾亘孝(なかお・のぶたか)とは何者か?
 ラグビーフットボールに関心は薄くとも、サッカーファンがラグビー評論家・中尾亘孝の名前を憶(おぼ)えているとしたら、1998年フランスW杯の少し後、佐山一郎さんが『サッカーマガジン』誌の連載コラムの中で「ラグビーの後藤健生」だなどと評して、中尾が同年に出した著作『リヴェンジ』を推奨していたことではないだろうか(「兄弟フットボールライターからの助言」として,後に佐山一郎著『サッカー細見』に所収)。

サッカー細見―’98~’99
佐山 一郎
晶文社
1999-10-01


 この「ラグビーの後藤健生」を本気にして『リヴェンジ』を読んだら、著者・中尾の、サッカーに対する、なかんずく同年のフランスW杯で1次リーグ3戦3敗で終わったサッカー日本代表=岡田ジャパンに対する悪口雑言罵詈讒謗があまりにも酷くて著しく不快となり、当ブログ(の中の人間)に問い合わせの電話をかけてきたサッカーファンが2人いる(いずれも界隈では相応のポジションにあるサッカーファンである)。

 事ほど左様、この人物こそは、ラグビーへの歪んだ愛情のあまり、サッカーに対して悪口雑言罵詈讒謗をさんざんぱらぱら放言してきたインチキラグビー評論家であり、札付きの反サッカー主義者なのである。

 それでは「中尾亘孝」とは何者なのか? 1950年、愛知県生まれ。ラグビー評論家。早稲田大学商学部中退(らしい)。ラグビーブームの時代の最後半、1989年に『おいしいラグビーのいただきかた』でデビュー。主な著作に『15人のハーフ・バックス』『リヴェンジ』『英国・フランス楕円球聖地紀行』ほか。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】

 1990年ごろから、反サッカー主義者にもかかわらず、鈴木良韶(すずき・りょうしょう)和尚率いる日本最古のサッカーファン・サポーター集団「日本サッカー狂会」の許しもなく、勝手に「日本ラグビー狂会」を名乗り始める。

日本サッカー狂会
国書刊行会
2007-08-01


 以後、この「狂会」を事実上「主宰」し、他の「会員」とともに、ラグビーファンから「狂会本」と言われるアンソロジーのラグビー本を、実に20冊以上刊行してきた。主な著作に『頭にやさしいラグビー』『ラグビー黒書』『ラグビー・サバイバー』『ラグビー構造改革』ほか。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


ラグビー構造改革
日本ラグビー狂会
双葉社
2001-12


 現在は、愛知県豊橋市の、東海道新幹線・東海道本線と蒲郡街道が立体交差する付近のアパート1階を「寓居」とし、ブログを中心に放言している。

中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」
【中尾亘孝のブログ「楕円系萬週報」】

 この辺りの情報は、中尾のブログ自身にそれとなく分かるように書いてある。ラグビーが好きな人は、直接、中尾にラグビー談義を聴きに行くのも一興であろう。

サッカーこそラグビーの矮小な傍流にすぎない?
 その中尾亘孝の反サッカー言説の代表例が、「サッカーから枝分かれしたラグビー」という世間一般のイメージを逆転させた、ラグビーこそが英国前近代のフットボールの正統なる継承者であり、サッカーはその矮小な傍流にすぎないとするフットボール正閏(せいじゅん)論「ラグビー本流/サッカー傍流」説である。

 1823年のある日、英国の名門パブリックスクール「ラグビー校」でのフットボール(サッカーと誤記されることが,間々ある)の試合中、ウィリアム・ウェッブ・エリスなる生徒が、プレーに熱中するあまりボールを抱えて走る(ランニングイン)という「反則」をしでかした……。

ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)
【ウィリアム・ウェブ・エリス(肖像画)】

 ……しかし、ラグビー校ではその「反則」プレーの精神を尊重し、ゲームの骨子として受け入れ、新たな独自の球技「ラグビーフットボール」の誕生を促(うなが)した……。

 ……というのが、ラグビーの創世物語「エリス神話」である。

 対して、中尾亘孝のラグビー・サッカー正閏論では、英国のラグビー関係者の所説などを参照しつつ、「エリス神話」は事実ではなく、捏造・デッチ上げによる虚構、あるいは政治的プロバガンダ(英国エリート的なスポーツの価値観を護持するための?)にすぎないと断定した。そして、フットボールの正統をサッカーに簒奪(さんだつ)された……などと繰り返し扇動してきた。

 この当時(1989年~1990年代初め)は、ラグビーの人気や日本代表の活躍の度合い(ラグビー日本代表=宿沢ジャパン平尾組)がサッカーに優越していた時代であり、風潮に気圧されるというか、勢いに乗じた中尾亘孝の説ももっともらしく聞こえた。

日本ラグビー激闘史 2011年 2/9号 [雑誌]
ベースボール・マガジン社
2011-01-26


 「ラグビー本流/サッカー傍流」説を読者(スポーツファン)に焚(た)き付けることで、サッカーに対して優位性を誇示しようとしてきたのである。

中尾亘孝説がラグビージャーナリズムに与えた影響
 中尾説の影響は、侮れない。2000年に出た永田洋光さんの『ラグビー従軍戦記』では、近代フットボール制定の経緯が、一般の常識とは正反対の視点、中尾のラグビー・サッカー正閏論に則って、いわばラグビー中心史観で描かれている(167~169頁)。

ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


 通説では、1863年、共通のフットボールルールを制定する会議で、ルールをサッカー式にするかラグビー式にするかで揉めた時、サッカー式に反対して退席していったのはラグビー側ということになっている。ところが『ラグビー従軍戦記』では、何とサッカー側が退席したことになっている(え!?)。

 しかも、新興の「サッカー」は、競技人口が劣勢であり、それを拡大する必要性に迫られて選手権大会=FA杯をスタートさせた……とか、選手のプロ化を容認した……とか。一方のラグビーは競技人口の大半を占める英国のエリート層が、厳格なアマチュアリズム規定を定め、選手権大会を否定するいわゆる対抗戦思想にこだわり……などと書かれてある。

 従来のフットボール史は、なるほどサッカー寄りだったかもしれないが、永田さんの叙述の方はラグビーに寄りすぎ……と言うよりは、完全に中尾亘孝説に「洗脳」されたものである。

 そういえば、ラグビー史研究家の秋山陽一さんにも、どことなくサッカーへの敵愾心を感じるところがある。秋山さんその「海軍兵学寮で行われたフットボールはサッカーではなくラグビーである」という問題提起もまた、中尾が仕掛けたラグビー・サッカー正閏論のバリエーションのようにも読める(秋山さん自身はそれを否定しているが)。

中尾亘孝の「ラグビー・サッカー正閏論」を疑う
 ラグビーが「サッカー」から分派したものではないこと、サッカー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものでないことは、多くのサッカー関係者も(例えば後藤健生さんも)認めている。

 しかし、中尾亘孝が主張しているのは、ラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、サッカーもアメフトもオーストラリア式もゲーリック式も、これすべてラグビーの傍流である……という極端なものだ。容易に納得はできない。

 しかも、中尾説にはひとつの疑問がある。

 例えば、ボールを前に投げてはいけないという「スローフォワード」という反則。ボールを手で叩いて前に進めてはならないという「ノックオン」という反則。これらはサッカーでいう「ハンドリング」の反則に相当する、その球技をその球技たらしめる重要なルールだ。

 ラグビーにとっては「オフサイドはなぜ反則か」よりも「ノックオンはなぜ反則か」や「スローフォワードはなぜ反則か」の方が重要な課題なのである。



 この2つの反則は、前近代の英国のフットボールに広範に存在したのだろうか? そこが証明されない限り、中尾説は妥当とはいえない。ところが、中尾の「ラグビー本流/サッカー傍流」説は「ノックオン」や「スローフォワード」がなぜ反則なのか……という疑問に対する解答=論証が弱い。

 もうひとつの疑問は、本当にラグビー「だけ」が英国前近代のフットボールを「正統」に継承したものであり、他のフットボールがその傍流にすぎないと言うならば、最初からラグビー関係者が、そう主張すればよいのである。

 なぜ「エリス神話」なるものが存在するのか? 中尾もあれこれ述べているが、この件に関しては歯切れがよいとは言えない。

自爆する「ラグビー本流/サッカー傍流」説
 2006年ドイツW杯を当て込んで刊行されたサッカーの蘊蓄(うんちく)本に、加納正洋(かのう・まさひろ)著『サッカーのこと知ってますか?』がある。著者・加納の正体は、まさに中尾亘孝のことで、だから、文面には中尾の反サッカー主義があちこちに滲(にじ)み出ていて、肝心の読者であるサッカーファンが読んでいてかえって不快な思いをするという、実に奇妙なサッカー本である。

 加納正洋=中尾亘孝は、『サッカーのこと知ってますか?』の中で、サッカーファンを挑発するかのように、フットボール正閏論「ラグビー本流/サッカー傍流」説で一席ぶっている(100~116頁)。

 しかし、一方で「19世紀初頭のラグビー・スクールのフットボールは、ランニングイン(ボールを持って相手ゴールに走ること)は許されていなかった」ことは認めている(103頁)。認めざるを得ない。……と言うか、それを「ラグビー」と呼ぶのである。

 『サッカーのこと知ってますか?』は、サッカー式ルールを定めたFA創設後も傘下のクラブを含めて各フットボールクラブは、独自のルールで試合をしていた……という(157~158頁)。しかし、それは全部が全部掛け値のない「ラグビー式」なのか? ノックオンとスローフォワードの反則はどうなっていたのか?

 また、英国前近代のフットボールには、例えばシェフィールド式やオーストラリア式のルールなど、「オフサイド」のないものも存在した(71頁)という。しかし、それではノックオンとスローフォワードを認めることになり、ランニングインを旨とするラグビーフットボールにはならないのではないか?

 中尾亘孝は、実は「ラグビーフットボール」のことをキチンと定義できていないのである。サッカーでなく、何らかの形で「手」を使っているフットボールがあったら、みんなラグビーの仲間に入れている感がある(ひょっとしたら、それは意図的なものかもしれない)。

 サッカーは「ラグビーとは違うフットボールだという差異を強調するあまり、手の使用禁止、厳格なオフサイド・ルールなど……が出すぎた感があった」(102頁)などと中尾(加納)は言う。

 それならば「ラグビーは、ノックオンとスローフォワードを反則とし、サッカーよりもさらに厳格なオフサイドルールを採用することで、〈ランニングインのフットボール〉として他のフットボールにはない独自性を強調している」のである。

 それで、ノックオンやスローフォワードは、いつ、どのように反則として成立したのか? 例によって中尾亘孝(加納正洋)は説明不足である。

再評価される「エリス神話」の史実性
 「エリス神話」についても、ラグビー評論界の良心、小林深緑郎(こばやし・しんろくろう)さんが、独自の取材調査で、19世紀前半、ラグビー校でラグビー式のフットボールを行った最初の世代で唯一名前が判明している生徒がウィリアム・ウェッブ・エリスであるとしている(小林深緑郎『世界ラグビー基礎知識』)。つまり「エリス神話」にも一定の史実性があることを認めているのである。

世界ラグビー基礎知識
小林 深緑郎
ベースボールマガジン社
2003-10


 要するに、「サッカーからラグビーが派生した」という世間一般の認識は間違いだが、「ラグビーだけが英国前近代フットボールの正当な継承者」であるという中尾説も正しくない。「エリス神話」より、むしろ「ラグビー本流/サッカー傍流」説の方こそ、ラグビー派の反サッカー主義者(中尾亘孝)による政治的プロパガンダなのである。

 サッカーも、ラグビーも、いくつもあるフットボールのローカルルールのひとつに過ぎなかった。

 老舗和菓子の元祖・本家争いのような、唯一の正統なるフットボールとは何かを標榜する中尾亘孝のアジテーションこそ意味がない。

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

「明治」をスルーした日本サッカー史?
 2021年は公益財団法人日本サッカー協会(JFA)の創立100周年である。JFAは「正史」として大型本の『JFA 100年史』(仮称)を公刊するはずだ(JFAは創立50周年の時も,75周年の時も「正史」を刊行している)。

財団法人日本サッカー協会 75年史―ありがとう。そして未来へ
財団法人日本サッカー協会75年史編集委員会
日本サッカー協会
1996-10-01



 しかし、いかに本が売れない時代とはいえ、有為な書き手による、手ごろな一冊のサイズにまとまった日本サッカー通史を、サッカーファンやスポーツファンに送り出す企てはないのだろうか。

 相撲(「大相撲」に限定されない格闘技としての相撲)や、マラソン・駅伝などには優れた通史は存在するのだから、サッカーでもそういった、いい意味での「外史・稗史・野史」を当然読みたいのである。

相撲の歴史 (講談社学術文庫)
新田 一郎
講談社
2010-07-12


相撲の歴史
新田 一郎
山川出版社
1994-07-01


マラソンと日本人 (朝日選書)
武田 薫
朝日新聞出版
2014-08-08


 果たして、その先駆けなのか、佐山一郎さんによる『日本サッカー辛航紀』が上梓された。

 もっとも、この著作は「私小説」的な性格が色濃いうえに、日本サッカー史を謳(うた)いながら、日本サッカー界は歴史を大事にしていないと批判しながら、そして蹴鞠も話題まで採り上げながら、しかし、肝心要の明治時代、草創期の日本のサッカー事情について全く触れていないという、実に不思議な一冊である。

 やっぱり、明治時代、海外から日本へのサッカーの伝来、普及、野球やラグビーなど他競技との関係等々について全く言及しないというのは、違うのではないか。

 それこそが、日本サッカーの原点だからである。日本のサッカーの文化や歴史などの総体を理解するためには、原点である「明治」を知らなければならない。書名が『日本サッカー辛航紀』であるならば、なおさら、その「辛」い「航」海の船出が明治時代だったからである。

明治最初のフットボールはサッカーか? ラグビーか?
 意地の悪いことを言うと、『日本サッカー辛航紀』はこの重苦しいテーマから逃げたのではないかと邪推する。野球に普及や人気でサッカーが先んじられたこともある。もうひとつは、そもそも日本で最初に行われたフットボールが、サッカーなのか、ラグビーなのか、最近になって論争になっているためでもある。迂闊(うかつ)なことが書けないのだ。

 今でも、JFAの公式サイトの「沿革・歴史」、1873年(明治6)の項には「イングランドサッカー協会(The FA)創設から10年後、英国海軍教官団のA・L・ダグラス少佐(中佐とも)と海軍将兵が来日。東京築地の海軍兵学寮(のちの海軍兵学校)で日本人の海軍軍人に訓練の余暇としてサッカーを教えた(これが、日本でサッカーが紹介された最初というのが定説になっている)」とある。これが従来の定説というか、通説であった。

▼日本サッカー協会(JFA)沿革・歴史

 後藤健生さんも『日本サッカー史 代表編』では、特に吟味することもなく、この通説を掲載した。


秋山陽一
【秋山陽一氏】

 秋山さんの主張をまとめたのが、日本ラグビー狂会編『ラグビー・サバイバー』所収の「フットボールの憂鬱」という論考である。

ラグビー・サバイバー
日本ラグビー狂会
双葉社
2002-11


 後藤さんは、ある程度、秋山さんの批判を受け入れている。当時の海軍兵学寮の様子を調べていくうちに、なるほど、これが完全なるサッカーだったとは言い難い。もっとも、それがラグビーだったと証明することもできないのだが……。

 後藤さんの後の著作『サッカー歴史物語』では、持論が修正されてある。

 イングランドでFAルール(サッカー)が普及するのは、実は「The FA」が創設された1963年よりも少し後のことだ。また、イングランドのラグビー協会(RFU)の創設も1871年である。あの当時は、サッカーとラグビーはそれほど隔たりのある球技ではなかった。

 当ブログから加えるに、当時は、サッカー、ラグビー以外のルールのフットボールもいくつか混在していた。フットボールが両者どちらかに収斂(しゅうれん)していくのも、後々のことである。

 明治初期の海軍兵学寮では、キッチリしたルールではなく、フットボールの真似事のような遊びを英国海軍将兵と日本人学生らはやっていたのではないか。

 後藤さんといっしょに「日本サッカー史研究会」を主宰している牛木素吉郎さんも、この立場を支持している。

 牛木さんは、明治初期に日本で行われたフットボールを「サッカー」でも「ラグビー」でもなく、「フットボール」と表記しようと提案している。FAルールで行われたことが確実なものだけを「サッカー」と呼び、RFUルールで行われたことが確実なものだけを「ラグビー」と呼ぶ。

▼牛木素吉郎「明冶初期のフットボール@日本サッカー史研究会」(2007年2月19日)

 そうすることによって、無意味な論争を避けることができる。

後藤・牛木説をあくまで突っぱねる秋山陽一氏
 しかし、秋山陽一さんは、この後藤・牛木説にもあくまで異を唱える立場をとる。

 秋山さん曰く……。後藤健生氏は『サッカー歴史物語』で、当時のルールについて、相変わらず「サッカーともラグビーとも特定しがたく」という見解を披歴しているが、根拠を示していない(これは指摘どおりかもしれない)。一方、イギリスの研究者(誰?)は海軍兵学寮のフットボールについてラグビーとしている。

A_Footbll_Match_in_Japan
【A Football Match in Japan(19世紀)】

 イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こさない(本当か?)。論拠となる資料はある(それが知りたい)。

 後藤健生氏と牛木素吉郎氏の説を支持するサッカーファンが理解できない。

 ……。何というか。秋山さんのスタンスからは、サッカーファンに対して「マウントを取りに行く」感じをヒシヒシと感じる。さすがに最近はそんな人も少なくなったが、どうして日本のラグビー関係者はサッカーを目の敵にするのだろうか。

 いちど「日本サッカー史研究会」の会合で後藤さんと秋山さんの「直接対決」があったというが、秋山さんの態度がかなり挑発的だった、との噂もある。

 秋山さんがいう「イギリスの研究者」が誰かは分からないが、2019年6月に英国の歴史学者、ラグビー史研究家のトニー・コリンズ(Tony Collins)による『ラグビーの世界史~楕円球をめぐる二百年』が上梓された。

 現時点で未読だが、この著作では海軍兵学寮の「フットボール」を「ラグビー」としているかもしれない。確認できれば当ブログで紹介するかもしれない。

工部大学校の「フットボール」は「サッカー」
 もうひとつ、秋山氏が批判・指摘しているのは、明治初期の海軍兵学寮とはほぼ同時期に「フットボール」が行われていた工部省工学寮(工部大学校)は、昭和初期に刊行された当時の学生の回顧談にハッキリと「アソシエーション式」(サッカー)であることだ。

 これについては、サッカー史研究ブログの「蹴球本日誌」が詳しい。『旧工部大学校史料』(1931年)、『旧工部大学校史料・同附録』(1978年復刻)を参照しながら、次のように説明する。
 古川阪次郎〔OB〕「工部大学に於ける運動其他」には、

 〈…それから上の組の頭が玉木弁太郎君及田辺朔郎君であったと記憶して居るが、玉木君は丈が高い(後には肥ったが)ので、フットボールの時分には、いつでも玉木君がゲートキーパーであった。〉(p.137)

 とあり、GKを置いた「サッカー」だったことがわかります。弱冠20代で琵琶湖疎水を完成させるという偉業をなしとげた田辺朔郎もサッカーをしていたようです。

 門野重九郎〔OB〕「工部大学に於けるスポーツ」には、

 〈四、フートボール

 此のゲームは溜池運動場にて盛なりしが今日のアッソシエーション〔FAルール=サッカー〕の前身とも云ふべく其のルールも至って簡単にして今日の如く前営〔FW〕、中堅〔HBまたはMF〕、後営〔BKまたはDF〕などと確然と定まった陣営も無く唯早く球をゴールに蹴込むに勉めたるものなり。〉(p.142)

 とあり、「サッカー」だったことを〈証言〉しています。

蹴球本日誌「『旧工部大学校史料』におけるサッカー」July 09, 2005


▼旧工部大学校史料~国立国会図書館デジタルコレクション

▼旧工部大学校史料・同附録(青史社)1978|書誌詳細|国立国会図書館
 後藤健生さんは、なぜか工部大学校の「フットボール」にしても、サッカーなのかラグビーなのか曖昧にしている。海軍兵学寮と違って、こちらは「サッカー」であることがほぼ確定しているのだから、堂々とサッカーと書いてもいいのではないかと思う。

 後藤さんは、わざと曖昧にしているのだろうか。

海軍兵学寮=ラグビー説の矛盾
 ブログ「蹴球本日誌」は、サッカーかラグビーかという論争に、別の立場から「参戦」している。「蹴球本日誌」は、秋山陽一さんと同じ史料、沢鑑之丞著『海軍兵学寮』(1942年)などを参照しながら、しかし、海軍兵学寮のフットボールは「サッカー」であるという立場をとる。

 該当するエントリー「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」(2005年7月18日)では、秋山さんの史料の見落としや持説の矛盾点を突いている(引用文は,読みやすいように適宜編集してある)。
 秋山陽一氏の著作「フットボールの憂鬱」@『ラグビー・サバイバー』p.212に〈澤鑑之丞の別の著書「海軍兵学寮」でも、午後に毎日砲術訓練が取り入れられた当初、生徒たちは身体が大いに疲労を感じたが、後には次第に活気を増し愉快に外業を学ぶようになったと述べている。〉とあり、澤(沢)の『海軍兵学寮』(興亜日本社,1942)を読んだことが記されています。

 この本(『海軍兵学寮』)の明治7年〔1874〕の部分に〈また、「フットボール」(蹴球)もイギリス教師より教を受けて、寮内馬場に於て、甲乙両部にわかれ仕合を致しました。〉という一行があり(p.248-250のうちのどこか)、1874年当時の在籍者が〈フットボール(蹴球)〉をしていたとの「証言」があるのですが、不思議なことに(笑)秋山氏はこの部分に言及していません。

 また秋山氏は、「フットボールの憂鬱」で〈日本では、明治から大正時代にかけてア式とラ式といういい方で2つのフットボールを区別してきたが、昭和に入ると、ア式は蹴球を名乗り、一方は単にラグビーとなった。〉(『ラグビー・サバイバー』206頁)とも述べています。1942(昭和17)年に出版された『海軍兵学寮』に〈「フットボール」(蹴球)〉と記されていて、〈「フットボール」(ラグビー)〉でないのは、秋山氏の説に従えば、海軍兵学寮はサッカーをしていたことになってしまいます。これは秋山氏のオウン・ゴール……(笑)。

蹴球本日誌「秋山陽一『フットボールの憂鬱』を読んで」July 18, 2005


▼海軍兵学寮(興亜日本社):1942|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
 読んでいて、当ブログも笑ってしまった。

 秋山さんの「フットボールの憂鬱」は、私も読んだが、何というか、あれを確実にラグビーであるとするには、今ひとつ決定打に書くのではないかという気はした。

もっと活発な議論の応酬を!
 話を戻すと、秋山陽一さんは「イギリス人の特徴としてスポーツ組織を作るときにそこで行われるルールを何にするかを決めずに行動を起こしません.論拠となる資料はあります」と唱える。

 一方、後藤健生さんは「YC&AC〔横浜カントリー・アンド・アスレチック・クラブ,外国人居留地のクラブ,かつての通称「横浜外人クラブ」〕で、アソシエーション式(つまりサッカー)にするか、ラグビー式にするかという議論が行われたのは1880年代になってからのことだ」と唱える(『サッカー歴史物語』143頁)。

 これは重要な指摘だ。何がしかの根拠=資料(史料)がなければならない。

 ここでも、後藤さんと秋山さんの意見の相違は争点になる。野次馬としては、このサッカーvsラグビー論争で、もっと活発な議論の応酬を見たい。そうすることが、むしろお互いをよく知ることになり、お互いのためになる……のではないか。邪馬台国論争や、法隆寺再建論争みたいに、もっと派手にやってほしいのである。

 そのためには後藤健生さんvs秋山陽一さんのセカンドレグを、ぜひとも実現させるべきであろう。

(了)



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

国ごとの文化の違い=多様性に寛容な「サッカー」と非寛容な「野球」
 サッカーのワールドカップなどで、ナイジェリア、カメルーン、セネガル、コートジボワール……といった、ブラックアフリカまたはサブサハラアフリカの国々のサポーターの応援・観戦のやり方を見聞きしていると、日本はむろん、ヨーロッパとも、ラテンアメリカとも違う、独特の、かなり耳慣れないリズムである。

 しかし、それがこれらの国々の人々のやり方=文化なのであって、自分たちのやり方と違うから、あるいはヨーロッパやラテンアメリカのやり方と違うからおかしい……と非難するのは、非常に失礼なことである。むしろ、世界の国や民族のさまざまな文化の違い=多様性に寛容なのが、サッカーの素晴らしいところであり、グローバルスポーツたる所以(ゆえん)である。

 ところが「野球」(ベースボール)というスポーツは、そうはならない。

 日本の野球ジャーナリズムでは、発祥国たるアメリカ合衆国(米国)の野球、すなわち大リーグ(メジャーリーグ,MLB)の流儀と何か異なっていると、それがスポーツとして、スポーツ文化として、犯罪的に間違っていることとして否定的な評価が下される。

スポーツ文化として犯罪的に間違っている(?)日本野球の「応援団」
 例えば、日本のスポーツの、なかんずく日本野球の「応援団」についてである。よく知られるように、米国の野球に「応援団」は見られないが、日本の野球……大学野球、高校野球、社会人野球、プロ野球には「応援団」の存在が特徴的である。

 この「応援団」、特にプロ野球(NPB)の「応援団」を、アメリカのプロ野球リーグである大リーグの流儀を唯一絶対の判断基準として繰り返し断罪してきたのが、スポーツライターの玉木正之氏である。その玉木氏の「応援団」批判の中から、最も本音に近く、かつ先鋭的と思われる1990年刊の新潮文庫『プロ野球大事典』から引用する。
おうえんだん【応援団】
  1.  野球を見るよりも、グラウンドに背を向けてドンチャン騒ぎをするほうが好きな観客たちが集まってつくった集団。
  2.  自分では何もできないくせに、何かをできる人物たちに声援を贈ることによって、彼らが何かをできるようになった、思い込むことができる幸運な連中が集まってつくった集団。
  3.  その発祥は、明治時代にスポーツをすすんで取り入れた大学と旧制高校であり、早慶戦の野球や隅田〔すみだ〕川レガッタといった試合が人気を集めはじめるとほぼ同時に、応援団の歴史は日本のスポーツの歴史と歩みをともにしている。
  4.  それは、スポーツを「やる人」と「見る人」が完全に分離した後の近代スポーツが分離していないスポーツの歴史、飛び入り自由の時代のスポーツの歴史が欠落しているため、「見る人」が専門化してしまったもだ。しかも応援団には、所詮〔しょせん〕主流(スポーツをやる人)ではなく、傍流(スポーツをやらない人)であるというコンプレックスだけは存在し、そのため、バンカラ、はぐれ者、あるいはヤクザといった、社会の傍流としての存在と似通った体質を持つまでになる傾向が生じた、といえるようにも思われる。*
玉木正之『プロ野球大事典』(新潮文庫)92頁


 悪し様な、まったく悪し様な表現の連発は、読んでいてかえってウンザリさせられる。玉木正之氏は、ただただ「応援団」が嫌いなのである。今、玉木氏が、NPBの「応援団」やJリーグのサポーターに向けて、ネット上で特に「2.」のような明白な嫌悪を著(あらわ)したら炎上必至である。

 引用文中のスポーツを「やる人/見る人」云々のくだりは、『オフサイドはなぜ反則か』で知られるスポーツ社会学者・中村敏雄氏(なかむら・としお,故人)の『メンバーチェンジの思想』を参考にしたとの由(よし)である(遺憾ながら,当ブログは未読)。

 玉木氏が、ここまで断定的にNPBの「応援団」を非難できるのは、何より、アメリカ大リーグの流儀とはハッキリ違うからである。大リーグは常に正しく、大リーグは常に正しいのだから決して間違っていない……という思考である。

日本野球の「応援団」は悪なのか?
 アメリカ大リーグ目線による日本野球の「応援団」文化への否定について、米国イェール大学教授(社会人類学,日本研究)で『虎とバット~阪神タイガースの社会人類学』の著者ウィリアム・W・ケリー氏は次のようにまとめている。
 こうした派手で熱狂的な〔NPBの〕ファンの解釈について、〔ロバート・ホワイティング氏のような〕アメリカの記者や訪日客は、……ある種の定型にはめて考えてきた。観光客はただそのスタイルを楽しみ、一方で〔玉木正之氏のような〕専門家は、ノンストップで騒ぎ続ける彼ら〔応援団〕のせいで〔アメリカ大リーグのように〕野球を〈正しく〉楽しめないと愕然とした。そして両者ともに、やはり日本人は集団に溶け込み、狂信的と言えるレベルにまで指示に従わないと安心できないたち〔国民性〕なのだとよく口にした。〔朱太字部分は原文では傍点付き〕

ウィリアム・W・ケリー『虎とバット~阪神タイガースの社会人類学』159頁


虎とバット 阪神タイガースの社会人類学
ウィリアム・W・ケリー
ダイヤモンド社
2019-06-20


 ケリー教授という人は、日本野球の解釈に関して「論敵」に当たるロバート・ホワイティング氏(日本在住の米国人ジャーナリスト,著書に『菊とバット』『和をもって日本となす』ほか)が「日本異質論」のリビジョニストだとすると、いわば「知日派」的なスタンスの人である。



 しかし、……と、ケリー教授は続ける。「ところがスタンドにじっくり腰を下ろして〔応援団が繰り出す〕応援に耳を傾け、〔阪神タイガースの〕ファンの話を聞くと、もっと複雑なタイガースファンの在り方が見えてきた」(同書159頁)。とにかく、「応援団」の観戦様式の実態は違う。
 それは(欧州サッカーのような)バリエーションと調和を兼ね備えた応援で、一本調子の退屈なものではなかった。打者から打者、イニングからイニングへと応援歌がスムーズに切り替わる流れが、試合終了まで続いた。確かに歌詞はありきたりで、選手を英雄視する言葉に凡庸〔ぼんよう〕な激励の文句を組み合わせたものだ。洗練性と独自性はあるが絶賛はしたくない。それでも、〔甲子園球場の〕ライトスタンド応援の意図や効果を無個性で退屈な文化だと断じるのは明らかな間違いだ。

ウィリアム・W・ケリー『虎とバット~阪神タイガースの社会人類学』160頁
 ひょっとしたら、ケリー教授も米国人であるから、日本野球の観戦スタイルに違和感があるのかもしれない。しかし、ここに描かれた世界こそ、英国の動物学者デズモンド・モリスが『サッカー人間学』(原題:The Soccer Tribe)で描き出した「サッカー部族の随行者」(サポーター)の姿に類似したものである。

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


 ヨーロッパやラテンアメリカのサッカーのサポーターもまた、「自分では何もできないくせに,何かをできる人物たちに声援を贈ることによって,彼らが何かをできるようになった,思い込むことができる幸運な連中」ではないのか。

 日本野球の、少なくともNPBの「応援団」の生態はサッカーのサポーターに近い。アメリカ大リーグの観客とは違う。

 そう言えば、サッカージャーナリストの後藤健生氏は「サッカーのサポーターや観客と比べたら,野球をはじめとするアメリカのメジャースポーツの観戦は,日本の小学校の運動会の見物みたいなもの」などと『サッカーの世紀』に書いていた。

サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07


 その辺りを認めたくない、あくまで日本野球の独自の文化を悪習として断罪したいから、玉木氏はモリスの『サッカー人間学』が嫌いなのである。

日本の「応援団」文化はアメリカ起源
 ところで、玉木正之氏も、玉木氏と関係の深いロバート・ホワイティング氏も、日本の野球やスポーツ界の「応援団」の出現が、明治時代の大学・旧制高校であることは知っている。しかし、その起源については調べがついていないようだ。

 玉木正之氏、ひょっとしたら、先に引用したように「近代以前のスポーツ史が欠落した,日本のスポーツの観客のコンプレックス(嫉妬と書くこともある)が,〈応援団〉を発生させた」とでも、本気で思っているのだろうか(いかにも,実証やエビデンスを軽んじる玉木氏らしい「仮説」であるが)。

 あるいは、玉木氏、ホワイティング氏ともども、日本野球の「応援団」=日本的集団主義の表れだと無邪気に信じているのだろうか。

 それはともかく、先のケリー教授は興味深い説を紹介している。
 ……〔日本の〕野球の応援の原点は……、スポーツそのものと同じく海外に由来する。二〇世紀初頭、早稲田大学と慶應大学の野球部がアメリカに遠征し、そこで現地の大学の(特にアメフトの)応援に感銘を受け、使っているパターンや道具を詳細に書き留め、帰国後に自分たちの応援に採り入れた。やがて応援団は一つの部活動として独立し、激しくも規律正しい応援を通じて愛校心を示す伝統は、日本の高校や大学に広く受け継がれている。

ウィリアム・W・ケリー『虎とバット~阪神タイガースの社会人類学』162頁
 野球ではないが、日本野球の「応援団」のルーツは米国の大学フットボールにあったという話は、玉木正之氏やロバート・ホワイティング氏にとっては「不都合な真実」かもしれない。

マードックの入場曲『テキサス・ファイト』を聴いて納得する
 ケリー教授の説がおそらく正しいのだろう……と感じたのは、『ザ・プロレスリング完全版~日本プロレス激闘60年史』というCDを聴いた時だった。これは、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、アブドーラ・ザ・ブッチャー、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ……といった、往年の名プロレスラーの入場曲を集めたアルバムである。

ザ・プロレスリング完全版~日本プロレス激闘60年史
インストゥルメンタル
ビクターエンタテインメント
2012-12-19


 その中に、ディック・マードック(Dick Murdoch,故人)の曲も収録されていた。


 その入場曲は、アメリカ民謡で、テキサス大学アメリカンフットボール部「ロングホーンズ」の応援歌という触れ込みの『テキサス・ファイト』という曲だった。

 なるほど、これを聴いたら、日本野球の「応援団」文化は、米国の大学フットボールの影響にあるというのが、非常によく分かるのである。


【theme dick murdoch】


【TEXAS FIGHT University of Texas Fight Song2】


【Texas Longhorns Fight Song (The Eyes of Texas/Texas Fight)】


【University of Texas Longhorns Fight Song】


【ディック・マードック入場テーマ曲「テキサスファイト」MonkeyFlipLIVE2016】

 軽快な曲の間奏部分でエールの掛け声が入るのも、日本の野球の応援で言う「チャンステーマ」や「ヒッティングマーチ」とよく似ている。

 ちなみに日本では、『テキサス・ファイト』は、NPBの西武ライオンズや社会人野球の西濃運輸の応援に使われている。

 また、スタンドが一体となった米国各大学のアメフトの応援は、日本野球の応援によく似ている。特に東京六大学野球リーグの、なかんずく早慶戦の応援・観戦文化は、たしかにアメリカ起源なのだろうと思わせる。


【Top 20 College Football Traditions/Chants】


【Top 10 College Fight Songs】

 米国のアメフトの応援を、日本の野球に移植して、何か悪いのか分からない。**

 それでも日本野球の「応援団」文化は、スポーツとして、スポーツ文化として間違っているとして、玉木正之氏はこれを断罪し続けるのだろうか?

世界に紹介された日本の「応援団」
 日本の「応援団」は野球のみならず、サッカーや駅伝など他のスポーツにも派生している。かなり古くなるが、先述の高校サッカーの「応援団」の姿が、先のデズモンド・モリスの『サッカー人間学』に掲載されている(見開きの「のど」にかかって見難いので,クリック→拡大してご覧ください)。

高校サッカーの学ラン応援団「サッカー人間学」88~89頁
【デズモンド・モリス『サッカー人間学』88~89頁より】

 モリス博士は、日本のスポーツ文化にある種の先入観がないのが面白い。玉木正之氏があれほど忌み嫌った日本の「応援団」を、著書を通じて
世界に紹介したのである。

The Soccer Tribe
Desmond Morris
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 だから、玉木氏はモリスの『サッカー人間学』が嫌いなのである。

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

東京五輪でなかったら野球は採用されなかったし…
 もし、2020年の夏のオリンピックが日本の東京でなかったら、野球がオリンピックの正式種目に採用されることはなかったはずである。

 すなわち、雑誌『東京人』2019年8月号の特集「近代スポーツことはじめ」に、ロバート・ホワイティング氏(日本在住の米国人ジャーナリスト)が「アメリカ人は犠牲バントを好まない」などという奇妙な一文を寄稿することはなかった。

 内容は今さら紹介の必要もありますまい……。

菊とバット〔完全版〕
ロバート ホワイティング
早川書房
2005-01-01


和をもって日本となす
ロバート ホワイティング
角川書店
1990-04-01


 ……いつもの、ホワイティング氏の、日本と日本人に対するステレオタイプと偏見に満ちた日本野球論・日本文化論である。

サッカーの視座ならば「菊とバット」を解体できる…できるはず…
 「野球」の枠の中にいると、「ホワイティング氏の日本野球観」の何が歪(いびつ)なのか今ひとつ分かりにくい。むしろ「サッカー」の視座からこそ「それ」は見えてくる。すべからくサッカー側の人間はホワイティング氏の日本野球観を批判するべきである。なぜなら、この人の日本野球観は、当ブログがしつこく問題にしてきた「自虐的サッカーな日本サッカー観」と深いところでつながっているからだ。

 してみると、逆説的ではあるが、サッカー側の人間からもなかなか「ホワイティング氏の日本野球観」への批判がなかなか登場しないのも分からないことはない。なぜなら、サッカー側の人間には「自虐的サッカーな日本サッカー観」に染まっている人が多いからだ。

 具体的には、塩野七生氏や山崎浩一氏のような人たちのことであるが、野球とサッカー、お互いのために、いずれこの問題には触れなければならない。

明治以来150年の「日本野球の到達点」が… えッ,イチロー!?
 さて、くだんの「アメリカ人は犠牲バントを好まない」なる一文は、最初から最後までツッコミどころばかりなので逐一付き合っていたら、それこそ、いつまで経っても終わらない。そこで、2つの部分に絞って話を進める。

 はじめに、文章冒頭の2段落である。
 〔二〇一九年〕三月二十一日、東京ドームでイチロー(本名・鈴木一朗)の引退セレモニーが開催された。その野球人生の締めくくりにふさわしい、感動的なイベントだった。ニューヨーク・ヤンキースのゼネラルマネージャー、ブライアン・キャッシュマンが「世界の野球史上で最高の選手」と称賛したイチローは、日本人選手として初めて、アメリカのメジャーリーグで殿堂入りするに違いない。

 こうしたイチローの輝かしい成功は、むろん彼個人の才能と努力の賜物である。と同時に、それは約百五十年前に日本政府がアメリカ〔合衆国〕から招聘した〔お雇い外国人〕教師たちによって、日本に野球が紹介されて以来の、長い歴史の到達点でもあった。

ロバート・ホワイティング「アメリカ人は犠牲バントを好まない」@『東京人』2019年8月号


ホワイティング「アメリカ人は犠牲バントを好まない」見出し
【ホワイティング「アメリカ人は犠牲バントを好まない」の見出し部分】
 いや、これ、おかしいでしょう?

ホワイティング氏の「まなざし」=アメリカ野球界一国主義の「まなざし」
 明治このかた約150年の歴史を持つ「日本に野球が紹介されて以来の,長い歴史の到達点」が、日本野球を代表するナショナルチーム(代表チーム)の実績、その世界大会で優勝したことだとか、日本代表が発祥国であるアメリカ合衆国代表を国際試合で打倒したとか、そういうことではないからである。なんと、それがひとりの選手で「代表」されてしまうことである。それは、よいとしても……。

 ……イチロー選手が日本野球史上随一の選手のひとりなのは間違いないにしても、その評価と言及は、形式論的にはたかだか1か国のプロリーグにすぎないアメリカ大リーグ(MLB,メジャーリーグ)での実績に限られてしまっているからである。イチローが日本代表として活躍したこと。具体的にはワールドベースボールクラシック(WBC)で連覇したことに、ホワイティング氏は一言も触れられてのであるからである。

 例えば、ペレの功績をブラジル代表とワールドカップでの活躍に全く触れないで、サントスFCとニューヨーク・コスモスの活躍だけで考察したら、本当におかしな評価になるだろう(当然,これは突飛な連想であるが)。

 むろん、ホワイティング氏のイチロー選手の評価が「クラブチーム」に偏ってしまう理由は、野球の世界地図では、サッカーやラグビー、クリケット(野球と同類のバット・アンド・ボール・ゲームのひとつ)のように、ナショナルチームによる国際試合や世界大会が全くオーソライズされていないためである。複数の国にプロリーグがある、チームで行う対戦型球技で、そのようなスポーツはほとんど野球だけではないかと思う。

 ロバート・ホワイティング氏のイチロー評が、アメリカ大リーグのそれに偏ってしまうこと。それは、実はアメリカ大リーグからみた「その他の世界」への想像力の狭さ、度量の狭さとほとんど重なる。すなわちアメリカ合衆国野球界の体質であり、ホワイティング氏は、その「まなざし」を体現して、日本人なり、日本の野球界なりに向けて、講釈を垂れているのである。

 しかし、そうした体質が改められないのであれば、大リーグは、英国・ヨーロッパや、クリケットの大国インドに進出することなど止めた方がいいだろう。


 英国・ヨーロッパしかり、インドしかり(英連邦諸国もヨーロッパと含めると,インドもヨーロッパである)、ナショナルチームによる国際試合、世界大会が、その国のスポーツ文化の大きな地位を占めているからである。それを認めようとしない野球は、少なくとも大リーグは、その枠内でやっておればよろしい。

 それにしてもホワイティング氏は、あの底が割れたようなイチロー選手の引退試合を「感動的なイベント」などと仰(おっしゃ)るのですね。 

 あれだけ日本野球に辛辣なホワイティング氏にしては、ずいぶんと寛大ではありませんか。

野球を選んでしまった日本近代史150年の不幸
 真面目な話に戻ると、スポーツは、特に代表チーム同士の対戦は、感情的な対立を抱えた2か国、あるいは「宗主国」と「従属国」といった、複雑な両国の政治的な関係を、たとえ一時であっても乗り越えるという「機能」がある。

 すなわち、ラグビーにおける英国(なかんずくイングランド)とニュージーランド、またはイングランドとスコットランド、アイルランド、ウェールズ。あるいはクリケットにおける英国(なかんずくイングランド)とインド、英国(なかんずくイングランド)とオーストラリアといった試合である。


 ところが、前述の理由で野球に限ってはその「機能」がないのであります。こうした問題に米国=大リーグはすこぶる鈍感だが、日本にとっては大いなる不幸である。これは日本の近代史、あるいは戦後史、平成史に少なからず影響を与えているかもしれない。


 ロバート・ホワイティング氏の日本野球観。その言説は、米国野球界の鈍感さと同様に発せられる。

間違いだらけのホワイティング氏の日本野球史考察
 次いで、この1段落である([ ]数字は引用者が付けたもの)。
 [1]日本人が野球を好んだのは、野球がおそらく日本初のチームスポーツだったからだろう。そして日本人はチーム優先の戦術を愛するようになった。たとえば[2]犠牲バント〔送りバント〕。これはパワー志向のアメリカ人選手には嫌われる手法だ。こうした集団戦の側面に加えて、[3]投手と打者の一対一の対決図式は、剣道や相撲などの試合を思わせる。その上、[4]時間制限もないため、試合の展開について議論する時間がたっぷりあった。[5]野球はまるで日本人の国民性に誂〔あつら〕えたかのようなスポーツだったのだ。

ロバート・ホワイティング「アメリカ人は犠牲バントを好まない」@『東京人』2019年8月号


早大vs一高野球戦(1909=明治42年)
【早大vs一高野球戦(1909年=明治42)】
 いや、これ、おかしいでしょう?

 ほとんど間違いだらけだし、例によって、ホワイティング氏のステレオタイプと偏見に満ちた日本観・日本野球観が全開している。

ホワイティング氏の持説を1本1本折っていく
 [1]について……。明治初年に欧米人によって紹介された、チームで行う対戦型球技スポーツは野球だけではない。これについては、当ブログはしつこく説いてきた。

 サッカーなのかラグビーなのかはよく分からないが、1873~1874年(明治6~7)ごろ海軍兵学寮に「フットボール」が、クリケットなどのスポーツとともに紹介されている。また、1984年(明治7)ごろ、工部省工学寮(工部大学校)にサッカーが、クリケットなどのスポーツとともに紹介されている。

 つまり、ホワイティング氏の説明は正しくない。

 [2]について……。これも当ブログの前のエントリーで書いたが、アメリカ野球も最初から「パワー志向」で、「犠牲バント」(送りバント)を嫌っていたわけではない。タイ・カッブが大活躍していた昔は、大リーグも「スモールベースボール」(スモールボール)志向だった。



 せめてホワイティング氏は「ベーブ・ルース以降のパワー志向のアメリカ人選手」とか、昨今の「セイバーメトリクス≒ビッグボール以降のパワー志向のアメリカ人選手」と言うべきだったのではないか。

 つまり、ホワイティング氏の説明は正しくない。

 [3]について……。これは、ホワイティング氏のオトモダチのスポーツライター・玉木正之氏が、かねがね持説としていた「1対1の勝負説」である。日本人は集団やチームによる戦い(サッカーやラグビー)よりも、投手と打者の1対1の対決(野球)にスポーツの面白さを見出したのだ……という仮説。この仮説に対しても、当ブログはしつこく批判してきた。


 簡単に言えば、明治初年、日本に最初に入ってきた時の野球のルールは、現在と大きく異なっており玉木氏の「1対1の勝負説」は成り立たない。例えば、当時のルールでは、劇画「巨人の星」の物語も成り立たない。

 つまり、ホワイティング氏の説明は正しくない。

 [4]について……。ホワイティング氏が言わんとしているのは、日本人には、独特の「間」(ま)の文化というものがあるために、日本人はサッカーやラグビーのような時間制限の中で絶えず動き続けるスポーツではなく、野球のようなプレーとプレーの「間」があるスポーツが好まれたというものだ。ちょうど比較文学者・剣持武彦の『〈間〉の日本文化』という日本文化論の著作がある。

「間」の日本文化
剣持 武彦
朝文社
1992-06-01


 しかし、「間」のあるスポーツは何も野球だけではない。明治初年、野球とともに同じバット・アンド・ボール・ゲームである「クリケット」も日本に紹介されている。

野球
【野球(ベースボール)】

クリケット
【クリケット】

 ホワイティング氏も、玉木正之氏も、他の誰でも「なぜサッカーではなく野球だったのか」という「答え」は出してはみせる。しかし、「なぜクリケットではなく野球だったのか」という「答え」を、どの考察も出してはくれない。

 つまり、ホワイティング氏の説明は正しくない。

 [5]について……。端的に「国民性」がその国の人気スポーツを決定するという仮説は成り立たない。例えば、米国人のお雇い外国人教師が学生たちに野球を紹介しても、ついにそこには定着せずに消滅した開拓使仮学校(後の札幌農学校~北海道大学)の例が、池井優氏の著作『白球太平洋を渡る』などには紹介されている。

 ホワイティング氏は、自著『和をもって日本となす』(前掲)の参考文献に、野球評論家としても有名な池井優氏の『白球太平洋を渡る』を挙げている。しかし、こういった都合の悪い事実は無視している。

 つまり、ホワイティング氏の説明は正しくない。

精神の奴隷にさせる日本野球論
 それにしても、ホワイティング氏は、引用した短い文章の中だけでも、よくこれだけのデタラメを書けるものである。

 こうした歪んだ日本野球観は、日本人を「精神の奴隷」とさせる。

 これに抗うか、奴隷のままでいるかは、野球ファンにせよ、サッカーファンにせよ、けっこう重要な問題ではないかと考えてしまう。

(了)



このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

犬も卒倒するホワイティング氏の日本野球論
 ロバート・ホワイティング氏(日本在住の米国人ジャーナリスト)の、『菊とバット』『和をもって日本となす』のような日本・日本人に対するステレオタイプと偏見に満ちた日本野球論・日本文化論は、どうにも苦手だ。むしろ、ゲンナリさせられる……という人は、スポーツライター・武田薫氏をはじめ意外に多い。

 そんな、犬も卒倒しそうな、ゲンナリさせられるホワイティング氏の日本野球論を、私たちスポーツファンは、またまた読む羽目になった。雑誌『東京人』2019年8月号の特集「近代スポーツことはじめ」である。


 そのタイトルは「アメリカ人は犠牲バントを好まない」である。翻訳を担当したのは、なぜか徳川宗家の徳川家広氏であった。それはともかく、内容は今さら紹介の必要もありますまい。いつもの、ホワイティング氏の、日本・日本人に対するステレオタイプと偏見に満ちた日本野球論・日本文化論である。

アメリカ人は犠牲バントを好まない…だから何なのだ!?
 「犠牲バント」とは、いかにもホワイティング氏が好んで採り上げそうな、きわめて「日本的」で「滅私奉公」的なニュアンスだが、実は英語の「Sacrifice bunt」の翻訳であって、昨今の日本語ではあまり用いられない。要するに「送りバント」のことだ。事実、Googleの検索ヒット数では「犠牲バント」よりも「送りバント」の方が多い。

送りバント(犠牲バント)を試みる打者
【送りバント(犠牲バント)を試みる打者】

 不思議なのは「〈アメリカ人〉は〈犠牲バント〉を好まない」という命題である。なぜなら、これは「華麗で攻撃的なサッカーを好む〈ブラジル人〉はイタリア的な〈カテナチオ〉の守備的サッカーを好まない」、または「勇敢なサッカーを好む〈イングランド人〉はイタリア的な〈カテナチオ〉の守備的サッカーを好まない」と同じくらい、ほとんど意味のない命題だからである。

 あるいは、日本経済新聞電子版には、スポーツライター・丹羽政善氏による「メジャーはなぜバントをしないのか 日米野球比較」という論評が掲載されている。
  • 参照:丹羽政善「メジャーはなぜバントをしないのか 日米野球比較(1)」2010/12/6
 これまた、「サッカーブラジル代表〈セレソン〉は,なぜ〈カテナチオ〉をしないのか?」とか、「サッカーイングランド代表〈スリーライオンズ〉は,なぜ〈カテナチオ〉をしないのか?」とかと同じく、ほとんど意味のない命題である。

 所変われば品かわる。国が違えば物事に関する好みが違うのは当たり前のことだ。ましてや、シングルスやダブルスではなく、9人、11人、15人……とチーム単位で、広いフィールドで行われる球技スポーツでは、国ごとにプレースタイルの好みが違ってくるのは、むしろ当然のことではないか。

 別の譬(たと)え方をすると、イタリアのサッカースタイルをブラジルやイングランドと異なるというだけで、これを上から目線で断罪しているのが、ロバート・ホワイティング氏(や玉木正之氏)の手口なのである。

イタリア・サッカーと日本野球の意外な(?)共通性
 イタリアのサッカーといえば、(超)守備的戦術にカウンターアタックでゴールを仕留めるスタイル「カテナチオ」である。最近はそのイメージもずいぶん様変わりしたというし、それ自体がステレオタイプの偏見に満ちた「まなざし」かもしれない。しかし、それでも、イタリア・サッカーといえば「カテナチオ」。「カテナチオ」といえばイタリア・サッカーなのである。

 サッカージャーナリストの後藤健生さんは、1994年アメリカW杯の取材から帰った後のトークイベントで「今回のアリゴ・サッキ監督のイタリア代表は,攻撃的で魅力的なサッカーをしていたが,それはまったく〈イタリア的〉でなくて,ちっとも魅力的ではない(笑)」などとジョークを嘯(うそぶ)いては笑いを取っていた。むろん、後藤さんはイタリア・サッカーに敬意を表して、そんな冗談を飛ばしたのだ。

 片や、日本野球の送りバントを多用するプレースタイル(仮に「日本型スモールベースボール」と呼ぶ)。こなた、イタリア・サッカーの守備的なプレースタイル「カテナチオ」。ともに「消極的」で「勝利至上主義」の好ましからざるプレースタイルのようにも言われることがある。

 少し脱線するが、細川周平氏や今福龍太氏といったポストモダン思想系(現代思想系,ポモ)のサッカー評論が跋扈(ばっこ)するようになり、ドイツのサッカーを「勝利至上主義」の権化として大袈裟に悪罵する以前は……すなわちベッケンバウアーらがプレーしていた頃は、西ドイツ(当時)のサッカーが「好ましいサッカー」をしていて、反面、イタリアのサッカーこそ「勝利至上主義の好ましからざるサッカー」だと非難さわれていた。



 事ほど左様、世上のイメージとはいい加減なものである。

 話を戻す。なぜ「カテナチオ」には今では悪いイメージがなく、しかし、なぜ「日本型スモールベースボール」には悪いイメージがついて回るのか。

 イタリアのサッカースタイル「カテナチオ」のルーツは諸説あるが、最も興味深いのは、日本在住のイタリア人文化人類学者ファビオ・ランベッリ氏が紹介しした説である。
 ……戦後イタリアのもっとも偉大なサッカー・ジャーナリストであるジャンニ・ブレーラ……によると、イタリアン・サッカー独特の技能・カテナッチョ(守備固め、文字通りには「ドアの掛け金」)は、劣勢の意識から始まったものだった。〔一九〕五〇~六〇年代には、ブレーラが言うようにイタリア人選手は栄養の少ない食事をとり、背が低く、北欧〔ドイツほか〕や南米〔ブラジルほか〕のチャンピオン・チームの試合では、身体的にも技術的にも劣位であった。この劣勢を乗り越えるために、カテナッチョという方法が工夫されたのである。

ファビオ・ランベッリ『イタリア的』222~223頁


 ジャンニ・ブレーラは、日本で言えば賀川浩氏と牛木素吉郎氏と金子勝彦氏(3人とも日本サッカー殿堂入り)を足したくらいの、本当に偉大なサッカージャーナリストである。
  • 参照:ダニエーレ・マヌシア(翻訳 片野道郎)「サッカージャーナリズムは最新戦術用語をどう扱うべきか?」2018.05.23
  • 参照:白鳥大知「伝統のイタリア・ダービーは激しい肉弾戦に。狙い通りの結果を手にしたのは?」2015年10月19日
 そんな人だけに、その考察は非常に重い。とにかく「カテナチオ」がイタリア人の、サッカーにおけるフィジカル(身体)やテクニック(技術)の劣等意識から始まったという説は面白い。「日本型スモールベースボール」もまた、アメリカ野球に対するフィジカルやパワーの劣勢・劣等意識から始まったのが、その起源のひとつとされているからである(玉木正之「4番打者論」@『プロ野球の友』など)。

 その意味では、イタリア・サッカーと日本野球には意外な(?)共通性がある。

日本野球こそ本来の「ベースボール」正統な継承者である!?
 アメリカ合衆国(米国)においても、もともと野球は「スモールベースボール」(スモールボール)こそが好ましいプレースタイルとされていた。スポーツライター・玉木正之氏『プロ野球の友』(1988年)に所収の「4番打者論」には、以下のような記述がある。
 アメリカのベースボール〔野球〕も、かつては……〈短打主義〉と、バント、ヒットエンドラン、スチールといった細かい作戦〔スモールベースボール〕が正統とされていた。ベーブ・ルースが投手としてデビューした1914年の新聞には、スポーツ欄のバッティング記録に、打率、犠打数、盗塁数の記載はあっても、ホームラン数など記録されていなかったくらいなのだ。さらに、ベースボール〔野球〕の正統派を自認するスポーツライターたちは、ホームランを姑息な手段と断じ、ホームランが増えれば作戦の面白さが失われ、野球が堕落すると警告し続けていた。

玉木正之「4番打者論」@『プロ野球の友』279~280頁
朱太字部分は原文では傍点(次の引用文も同じ)


プロ野球の友 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1988-03


 例えば、この「スモールベースボール」時代の、アメリカ大リーグ野球のスター選手が「球聖」ことタイ・カッブであった。玉木氏はさらに続ける。
 ところが、ベーブ・ルースが打者に転向し、1918年に11ホーマーの新記録(それ以前の記録は8ホーマー)、19年にファンの肝を抜く29ホーマーを打って、事態は一変した。白球が空高く舞い上がる美しさに対して、一般大衆が圧倒的な拍手で歓迎の意を表し、保守派の理屈は敗れ去ったのである。そして1920年に〔MLBの2大リーグのうち一方の〕アメリカン・リーグはボールの反発力を高めた〈飛ぶボール〉〔ライブボール〕の使用を決定。ルースが、その年54ホーマーを放ち、大リーグ〔MLB〕は、ホームラン時代、強打者〔スラッガー〕時代、「4番打者」〔クリンナップ・ヒッター〕による〈英雄時代〉の幕を開けたのだった。

 しかし、〔東京〕六大学野球の〈精神主義〉と〈短打主義〉のため、この大リーグの時代の流れは、一部の野球ファンの胸をときめかせただけで、日本の野球界にはまったくといいほど影響を及ぼさなかったのだ。

玉木正之「4番打者論」@『プロ野球の友』280頁
 しかし、この辺の事情は、野球ファンとしても有名な米国人の古生物学者スティーヴン・ジェイ・グールドの、これまた有名な科学評論「妥当な打者~四割打者の絶滅と野球技術の向上」(『フルハウス~生命の全容』所収)を読むと少し違う。

 それによると……。保守的なアメリカ野球界は、ベーブ・ルース台頭による「ホームラン時代」の到来を苦々しく思っており、本来であれば思慮深いルール改正を行って、これにストップをかけていたであろう。だが、当時は米国球界を揺るがした八百長スキャンダル「ブラックソックス事件」の最中であり、米国球界は人気回復のために大衆迎合路線を取らざるを得ず、これを許容してしまった。

 だから「スモールベースボール」は下火になっていった……というのだ。

 これをもって、グールドは「タイ・カッブもうんざり」と書いている。

ベーブ・ルース(左)とタイ・カッブ(1920年)
【ベーブ・ルース(左)とタイ・カッブ】

 米国と地続きではない日本で、かつサッカーやラグビーのような英国系球技のような活発な国際交流もない野球のようなスポーツ(後述)で、日本野球が単純に「ホームラン時代」へと移行しなかったのは、むしろ当然と言える。

 ちなみに、米国人の日本野球観と言うと、ホワイティング氏のようなステレオタイプと偏見に満ちたものばかりと思われがちだが、そうでもない。この故グールド教授や、『虎とバット』の著者ウィリアム・W・ケリー教授(イェール大学,文化人類学,日本研究)のように、歪みのない「まなざし」で日本野球をとらえる人もいる。

虎とバット 阪神タイガースの社会人類学
ウィリアム・W・ケリー
ダイヤモンド社
2019-06-20



プロ野球観戦学
時事通信社
1999-07


 すなわち「日本型スモールベースボール」の起源のひとつとして、米国にあった「スモールベースボール」が、変容しつつも保存されていたという仮説も成り立つのである。

セイバーメトリクスによる「送りバント」批判は机上の空論(?)である
 あらためて、なぜイタリア・サッカーの「カテナチオ」には悪いイメージがなく、なぜ「日本型スモールベースボール」には悪いイメージがついて回るのか。

 要するに、サッカーにはオーソライズされたナショナルチーム(代表チーム)による国際試合や世界大会(FIFAワールドカップ=W杯)があるけれども、野球にはそのような国際試合や世界大会が存在しないからである。

 イタリア・サッカーは昨今こそ低迷気味とはいえ、何のかんの言ってもW杯で優勝4回。勝負強いサッカーのドイツには不思議と強く、華々しいサッカーのブラジルの攻撃をガッチリ受け止めては、しばしばこれらのサッカー大国に勝ってきた。だから、守備的だろうが勝利至上主義だと言われようが、イタリアのサッカーは世界的な敬意を受ける。

 一方、野球には「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)なる、ナショナルチーム同士の対戦による世界大会があることにはあるし、日本はこの大会を、第1回(2006年)、第2回(2010年2009年)と連覇はしている。

 しかし、WBCは、権威づけられた大会ではない。第1回開催が21世紀に入ってからと、歴史的に遅く始まったためもある。しかし、それ以上に、WBCの事実上の「主催者」であるところの「アメリカ大リーグ」(MLB)に、WBCを権威的な大会にしようという姿勢がまったく見られないためでもある。だから、日本野球は国際的な評価を受けることは少ない。

 従来の打率や打点、防御率といった従来の野球の指標より、さらに精緻な統計である「セイバーメトリクス」の観点から分析しても「送りバント」は、やはり不合理な戦法だという指摘=批判もある。
  • 参照:菊田康彦「送りバントは〈消えゆく戦術〉なのか!? MLBで激減する理由を探る」2017年9月14日
 敢えて言うが、「実践」もないまま、こうした議論をいくら積み重ねても所詮は「机上の空論」にすぎない。「実践」とはひっきょう「オーソライズされたナショナルチームによる国際試合,世界大会」のことであり、その「場」において有効性なり無効性なりが「実証」されないかぎり、日本野球から送りバントが減ることはない。

各国ごとの「多様性」を認めないアメリカ・メジャーリーグ
 繰り返すが、イタリア・サッカーの「カテナチオ」に悪いイメージがないのは、サッカーというスポーツが、プレースタイルや観戦文化などで「多様」な在り方を併せ呑み、かつW杯などナショナルチームの「実践」の場において有効性が「実証」されていたからである。

 翻って「日本型スモールベースボール」にどこか後ろめたいイメージがついて回るのは、野球というスポーツがアメリカ大リーグ(MLB,メジャーリーグ)の流儀以外を「異端」と見なす風潮があり、かつWBCなどナショナルチームによる国際試合や世界大会がオーソライズされておらず、「実践」の場として機能していないからである。

 日本の野球ジャーナリズムでは、日本がアメリカと違っていると、そのこと自体がスポーツとして犯罪的に間違っていることにされてしまう。しかし、それは世界的で多様な「サッカー」的な視座からすると、ずいぶんとおかしな話である。

 独善的な一国主義で視野狭窄的なアメリカ野球界、そして米国人のロバート・ホワイティング氏には、そうした問題性は理解できないのであろう。

(了)



続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote

↑このページのトップヘ