[文中敬称略]
1970年代から1990年代にかけて、欧州を中心に世界サッカー界で猖獗(しょうけつ)を極めた「フーリガン」。
フーリガンに関しては、かつて近代以前の古いフットボール、暴力的な性格もはらんでいたマス・フットボール(群衆のフットボール)の伝統を継承した存在や現象として、いささかロマンチックにとらえる人がいた。
- 参照:街全体が競技場、英国一クレイジーなフットボール大会(2009年2月26日)https://www.afpbb.com/articles/-/2575865
例えば、有名な『オフサイドはなぜ反則か』(初版1985年)の著者であり、今なおカリスマ視されるスポーツ学者・教育学者である中村敏雄(1929年-2011年)がそうである。
中村敏雄がフーリガンへの共感(?)を展開している著作は『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』(初版1989年)の方である。
実は、中村敏雄がこの著作の中で「メンバーチェンジ」というルールの思想や文化背景以上に、そして執拗に拘っていたのは、次のような話である。
近代以前のスポーツ(例えばマス・フットボール)は競技者と観客の境界が曖昧であった。競技は屋外の〈自然〉な条件のもとで行われ、人々は出入り自由、すなわち競技への参加と離脱が自由であり、そこには両者が喜びや楽しみを共有する共同体の親近感・一体感があった。しかし、近代スポーツ(サッカーやラグビーなど)が成立されるに従い、競技は〈人工〉の競技場で行われるようになり、競技者と観客が明確に分断されるようになった。共同体は後退し、両者の間にあった親近感・一体感は希薄になってしまった。中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』より要約
中村敏雄のスポーツ評論は現代思想的な「近代文明批判」に通じる要素があり(例えば,近代スポーツで勝敗を争うこと,あるいは勝利を求めることを相対化するかのような発言をする)、それだけ論壇などのウケも良かったようなところがある。
その上で、この評論文の最後の部分になって著者が1985年のフーリガンの絡んだ大惨事「ヘイゼルの悲劇」に言及した箇所が登場する。
1985年5月、ベルギーのエーゼル〔ヘイゼル〕競技場で行われたサッカーのヨーロッパ・カップ〔UEFAチャンピオンズカップ〕の試合〔決勝〕で、〔イングランドのリヴァプールとイタリアのユヴェントスの〕応援団の対立から死者39名、負傷者425名を出すという惨事〔ヘイゼルの悲劇〕があった。ロンドン高裁はイギリス〔イングランド〕側の応援団の26名に対して執行猶予の判決を下したが、ベルギーの司法当局は彼らの出頭を命じ、ローマの検察局は殺人と傷害の罪で逮捕状を出している(朝日新聞,1986年4月17日)。この事件は「暴動」とも呼ばれているが、しかしそれはまた、観衆とプレーヤーの親近感・一体感の共有・共感を分断するという抑圧に対する、十分には「文明化」されていない観衆の反乱、またスポーツで進行している「人工性・人為性」に対する人間的「自然」の名状しがたい、あるいはそれとは自覚されていない報復と見ることもできなくはない。換言すれば、現代のコロシアムのなかでプレーする剣闘士たちに、人間への復帰を呼びかける行為であったかもしれないと見ることもできる。中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』111~112頁
えーーーーーーーーーーッ!? ……と、まず、一読してこのフーリガン理解には驚愕し、そして、しばし唖然とした(何だか今福龍太が書きそうな内容だなぁ~とも思ったが)。
「……と見ることもできなくはない」とか、「……であったかもしれないと見ることもできる」とか、あくまで断定を避けた遠回しな表現ではある。
……だが、中村敏雄は、近代以前の古いフットボール(マス・フットボール)の競技者と観客の境界さの曖昧さ、観客の競技への参加の自由……を理由に、その歴史や伝統を引きずっているものとして、ある意味でフーリガンを称揚している。
しかし、このフーリガンへのロマンチックな思い入れは、2024年時点の常識では、これは十分に「不謹慎」なものである。
サッカーの本場であるヨーロッパは、中村敏雄のフーリガン観を受け入れないだろう。
フーリガンの実態を、また「ヘイゼルの悲劇」の実態を知れば知るほど、それは「人間(人間性)への復帰」ではなく「人間(人間性)の否定」でしかないからだ。
観客の競技への参加の自由……というけれども、フーリガンの中には暴れることそれ自体が目的であって、試合の観戦はどうでもいいという層すら存在する。
こうした連中はサッカーファンではない。フーリガンはサッカー文化の一部(の継承)ではなく、サッカー文化から完全に逸脱してしまっているのである。
『メンバーチェンジの思想』の初版は1989年である。まだ、Jリーグのスタート(1993年)以前のことであり、世界のサッカーに関する十分な情報が日本では行き渡らなかった。その分、中村敏雄のようなフーリガンへの奇妙でロマンチックな思い入れが存在しえた。
しかし、さすがに現在では許されなくなっている。
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