スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:オフサイドはなぜ反則か

[文中敬称略]

 1970年代から1990年代にかけて、欧州を中心に世界サッカー界で猖獗(しょうけつ)を極めた「フーリガン」。

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)
ドミニック・ボダン
白水社
2005-11-25


 フーリガンに関しては、かつて近代以前の古いフットボール、暴力的な性格もはらんでいたマス・フットボール(群衆のフットボール)の伝統を継承した存在や現象として、いささかロマンチックにとらえる人がいた。
  • 参照:街全体が競技場、英国一クレイジーなフットボール大会(2009年2月26日)https://www.afpbb.com/articles/-/2575865
 例えば、有名な『オフサイドはなぜ反則か』(初版1985年)の著者であり、今なおカリスマ視されるスポーツ学者・教育学者である中村敏雄(1929年-2011年)がそうである。

 中村敏雄がフーリガンへの共感(?)を展開している著作は『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』(初版1989年)の方である。

 実は、中村敏雄がこの著作の中で「メンバーチェンジ」というルールの思想や文化背景以上に、そして執拗に拘っていたのは、次のような話である。
 近代以前のスポーツ(例えばマス・フットボール)は競技者と観客の境界が曖昧であった。競技は屋外の〈自然〉な条件のもとで行われ、人々は出入り自由、すなわち競技への参加と離脱が自由であり、そこには両者が喜びや楽しみを共有する共同体の親近感・一体感があった。

 しかし、近代スポーツ(サッカーやラグビーなど)が成立されるに従い、競技は〈人工〉の競技場で行われるようになり、競技者と観客が明確に分断されるようになった。共同体は後退し、両者の間にあった親近感・一体感は希薄になってしまった。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』より要約
 中村敏雄のスポーツ評論は現代思想的な「近代文明批判」に通じる要素があり(例えば,近代スポーツで勝敗を争うこと,あるいは勝利を求めることを相対化するかのような発言をする)、それだけ論壇などのウケも良かったようなところがある。

 その上で、この評論文の最後の部分になって著者が1985年のフーリガンの絡んだ大惨事「ヘイゼルの悲劇」に言及した箇所が登場する。
 1985年5月、ベルギーのエーゼル〔ヘイゼル〕競技場で行われたサッカーのヨーロッパ・カップ〔UEFAチャンピオンズカップ〕の試合〔決勝〕で、〔イングランドのリヴァプールとイタリアのユヴェントスの〕応援団の対立から死者39名、負傷者425名を出すという惨事〔ヘイゼルの悲劇〕があった。

 ロンドン高裁はイギリス〔イングランド〕側の応援団の26名に対して執行猶予の判決を下したが、ベルギーの司法当局は彼らの出頭を命じ、ローマの検察局は殺人と傷害の罪で逮捕状を出している(朝日新聞,1986年4月17日)。

 この事件は「暴動」とも呼ばれているが、しかしそれはまた、観衆とプレーヤーの親近感・一体感の共有・共感を分断するという抑圧に対する、十分には「文明化」されていない観衆の反乱、またスポーツで進行している「人工性・人為性」に対する人間的「自然」の名状しがたい、あるいはそれとは自覚されていない報復と見ることもできなくはない。

 換言すれば、現代のコロシアムのなかでプレーする剣闘士たちに、人間への復帰を呼びかける行為であったかもしれないと見ることもできる。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』111~112頁
 えーーーーーーーーーーッ!? ……と、まず、一読してこのフーリガン理解には驚愕し、そして、しばし唖然とした(何だか今福龍太が書きそうな内容だなぁ~とも思ったが)。

 「……と見ることもできなくはない」とか、「……であったかもしれないと見ることもできる」とか、あくまで断定を避けた遠回しな表現ではある。

 ……だが、中村敏雄は、近代以前の古いフットボール(マス・フットボール)の競技者と観客の境界さの曖昧さ、観客の競技への参加の自由……を理由に、その歴史や伝統を引きずっているものとして、ある意味でフーリガンを称揚している。

 しかし、このフーリガンへのロマンチックな思い入れは、2024年時点の常識では、これは十分に「不謹慎」なものである。

 サッカーの本場であるヨーロッパは、中村敏雄のフーリガン観を受け入れないだろう。

 フーリガンの実態を、また「ヘイゼルの悲劇」の実態を知れば知るほど、それは「人間(人間性)への復帰」ではなく「人間(人間性)の否定」でしかないからだ。

 観客の競技への参加の自由……というけれども、フーリガンの中には暴れることそれ自体が目的であって、試合の観戦はどうでもいいという層すら存在する。

 こうした連中はサッカーファンではない。フーリガンはサッカー文化の一部(の継承)ではなく、サッカー文化から完全に逸脱してしまっているのである。

 『メンバーチェンジの思想』の初版は1989年である。まだ、Jリーグのスタート(1993年)以前のことであり、世界のサッカーに関する十分な情報が日本では行き渡らなかった。その分、中村敏雄のようなフーリガンへの奇妙でロマンチックな思い入れが存在しえた。

 しかし、さすがに現在では許されなくなっている。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

ある逸話
 中村敏雄著『オフサイドはなぜ反則か』。初版は1985年7月。ゴールを目指しながらゴールへの先回りを禁じたサッカーやラグビーの「不合理」なルール=「オフサイド」の発祥を中世英国の村祭りにたどり、その「心」を描いた名著としてきわめて高く評価されてきた。





 半田雄一編集長時代の旧『サッカー批評』誌で、後藤健生氏と中村敏雄氏との対談が企画された。その冒頭、後藤健生氏はこの本の初版本を持ち出して、中村敏雄センセイにサインをおねだりした……という逸話があるくらい、『オフサイドはなぜ反則か』は名著なのである。

 だからといって、今なお、この本を神棚の御札のようにただただ有難がっているだけでいいのだろうか?

オフサイドの「心」
 中世英国、街頭や村で大規模に行われていた「フットボール」は時代を下り、空き地や校庭で限られたスペースで行われるようになった。その「フットボール」では、自陣より前に出て待ち伏せのようにプレーすること、つまり「オフサイド」を卑怯な反則として禁じた。

 その理由とは? 当時、ほとんどのルールでは、1点先取か2点先取で勝敗が決まるルールだったので、時間いっぱいフットボールのゲームを楽しむためには、簡単に得点が決まってはかえって困るからである……。

 ……というのが『オフサイドはなぜ反則か』という著作の「心」である。

 この「心」は、刊行当時、1980年代に流行っていた「近現代の競技スポーツにおいて勝ち負けを争うこと勝利を求めること,それ自体を卑しめる」現代思想系のスポーツ評論(否,今福龍太氏のように2020年代に入ってもそんなスポーツ評論を書く現代思想家はいるが)の精神とも共鳴するところが多々あった。

 こうした時代背景が『オフサイドはなぜ反則か』を歴史的な名著としている。

加納正洋による批判
 しかし、この仮説には弱点がある、と中村敏雄説を大胆に批判したのは、フットボール・アナリストを自称する加納正洋……数々の反サッカー主義的言動で知られる中尾亘孝(なかお のぶたか)<1>という偏執的なラグビー評論家の別名……の著作『サッカーのこと知ってますか?』(2006年)である。

サッカーのこと知ってますか?
加納 正洋
新潮社
2006-05-25


 加納正洋の主張は、要するにサッカーやラグビーが形成されていく当時(19世紀後半)の英国のフットボールには「オフサイドがないフットボール」も多数あったというのである。

 すなわち、シェフィールド・ルール、ウィンチェスター・カレッジ・フットボール、オーストラリアン・ルールズ・フットボール、ゲーリック・フットボールなどのフットボールには、オフサイドが無かったという。

 特にオーストラリアン・ルールズ・フットボール(オーストラリアの国技)やゲーリック・フットボール(アイルランドの国技)は、オフサイドが無くても何の不自由もなく、競技が成立・発展してきた。

 こうしたことは19世紀末に「フットボール」を室内向けに改良、考案され、オフサイドを意図的に無くしたとされるバスケットボールに限らないのである。

 中村敏雄説では「オフサイド」を他の反則ルールの中でも特別視する傾向にあるあるが、こうして見てくると、オフサイドはそんなに特別で特異なルールなのだろうか? ……と思えてくる。

 例えばラグビーなどは、オフサイドだけなく、ノックオンやスローフォワードをも反則としないと、そのゲーム性は成立しない。そうしないと、オーストラリアン・ルールズ・フットボールか、ゲーリック・フットボールみたいな球技になってくるからだ。

 これは、ラグビー・フットボールの創生譚「ウェッブ・エリスの伝説」とも関わってくる。

世界ラグビー基礎知識
小林 深緑郎
ベースボールマガジン社
2003-10T


膀胱ボールと「農耕民族」
 近代以前のフットボールで使用されるボールは、ゴムの代わりに牛や豚の膀胱が用いられたという、有名な話があるが、『オフサイドはなぜ反則か』初版の78~79頁には、これについて次のような話が書かれてある(本文の引用では長すぎるので要約を載せる)。
 膀胱のボールを作るためには牛や豚が屠畜されなければならない。昔の英国人(欧米人)は血まみれの膀胱ボールを蹴っていたのではないか? また膀胱ボールは破れやすかったという。昔の英国人(欧米人)は膀胱ボールが破れるたびに牛や豚を屠畜していたのではないか?

 血まみれの膀胱ボールを蹴り合い、楽しみ、それが破れるたびに牛や豚を殺していた昔の英国人(欧米人)の感覚はまさに荒々しい狩猟民族の精神そのものであり、対照的に温和な「農耕民族=日本人」にはサッカーやラグビーの本質は理解できないのではないか?

中村敏雄『オフサイドはなぜ反則か』初版の78~79頁より
 このように、中村敏雄氏は、日本でサッカーを語る人にはありがちなのだが、「日本」と「世界」の間に越えられない「文化の壁」や「人種の壁」を構築する癖の強い人で、この点、非常に頑迷であった。

膀胱ボールは実用に耐えない
 ただし、このくだりは何かの根拠をもって書かれたものではない。あくまで著者・中村敏雄氏の想像である。2022年の今日、農耕民族と狩猟民族の対比などといったありふれた文化論は、とても知的には見えない。だが、中村敏雄氏の存命中はこれが通用していた。

 加納正洋は、この説も批判する。

 どんな本にも出てくる「膀胱ボール説」だが、これは机上の空論である。なぜなら……。実物の膀胱ボールは、紙風船とビーチボールを足して二分したような華奢(きゃしゃ)なもので、大人が蹴れば一発で破れる。とてもフットボールの実用に耐えるものではない。

 フットボール用のボールは丈夫な動物の皮をアウター(外皮)として使い、インナー(内皮)には、よく洗い乾燥させた豚や牛の膀胱を使った(血まみれではない)。

 中世英国では、人々の間で荒々しいフットボールが行われていた。しかし、そこに血まみれの膀胱ボールが使われていたというイメージは正確ではない……と。

中村敏雄説もアップデートを
 中尾亘孝は嫌いだが、中村敏雄氏の権威におもねることなく批判した点は評価できるのではないか。

 とまれ『オフサイドはなぜ反則か』の所説もアップデートが必要な時期に来ているのだと思う。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

玉木正之氏の起用は企業の信頼性を損ねる?
 スポーツライター玉木正之氏のスポーツコラムやスポーツ評論を読んでいると、嘘やデタラメ、事実誤認が多くて本当にウンザリさせられる。

 なぜなら、玉木正之氏は、自身が執筆、主張する事柄について、よりどころとなる原典で確かめないでモノを書く人だからである。それどころか、「ネットで検索」すらしない、ウィキペディアすら引かない人なのである。嘘やデタラメが多いのは、そのためだ。ところが、玉木氏はスポーツライター業界の大物であるから、彼の文章を掲載する媒体では、編集や校正・校閲といったものが機能しない。したがって、嘘やデタラメがそのまま公に発表される。
この原稿は、我が国のIT企業のトップランナーのひとつFORUM8が発行する機関紙(で季刊誌)の『UP&COMING No.117』2017年春号に書いたものです。スポーツの根本的なテーマを書かせていただける機会があるのは、とっても嬉しいことで、その機会を与えてくださったFORUM8さんに感謝しつつ“蔵出し”します。
 ……と、いう触れ込みで玉木氏の公式サイト「カメラータ・ディ・タマキ」に転載されたコラムが「ちょっと教えたいお話・スポーツ編(2)スポーツ(サッカー)を語ることは、世界史や日本史を語ることにもつながる」である。やっぱり、これも酷い。
ちょっと教えたいお話(2)スポーツ
【「FORUM8」の公式サイトより】

 FORUM8という会社は「我が国〔日本〕のIT企業のトップランナーのひとつ」だそうである。それだけの企業の機関紙や広報誌に、嘘やデタラメ、事実誤認だらけの文章、あるいは「ネットで検索」すれば、すぐに分かるような話を掲載するのは、かえって企業としての信頼性を損ねるのではないだろうか?
何を今さらな「ちょっと教えたいお話」
常日頃は誰も意識しないことだが、スポーツには不思議なことが山ほど存在する。たとえばサッカー。そもそもサッカーとはどういう意味か?フットボールならFoot(足)ball(球)で何となくわかる。が、サッカーは意味不明。〔中略〕

〔近代に入って〕……オックスフォードやケンブリッジの大学やパブリック・スクール……ルールの統一と制定が進み、足だけを使うフットボールを行う連中がフットボール・アソシエーション(協会)を設立。そこで行われた手を使わないフットボールがアソシエーション・フットボール(Association Football)と呼ばれるようになり、それが、Assoc Football(アソック・フットボール)→Asoccer(アソッカー)→Soccer(サッカー)と略されたのだ。
 この程度のことは、サッカーの観戦入門書の類には必ず出てくる話である。それどころかネット検索やウィキペディアにも出てくる話だ。この程度のことで「ちょっと教えたいお話・スポーツ編」などとは、何を今さらの感がある。

中世フットボール=膀胱ボール説
〔中世のフランスや英国におけるフットボール〕はクリスマスや復活祭などの宗教的記念日に、村中をあげて「丸いモノ」〔=ボールのこと〕を奪い合った遊びで、聖職者も貴族も騎士も農民も、身分を超えて千人以上の村人が2組に分かれ、村はずれにある教会や大木など、ゴール(目的地)と決めた場所へ運ぶのを競った。

そのとき用いられた「丸いモノ」〔ボール〕は、豚や牛の膀胱〔ぼうこう〕を膨らませて作られた。遊びの最中にそれが破れると、すぐさま豚や牛を殺して膀胱を取り出し、中を洗って穴を紐で縛り、群衆の中に投げ入れたというから、かなり血の気の多い遊びで、実際大勢の負傷者や死者まで出たという。
 これも、何を今さらの話である。伸縮性の高い「ゴム」が存在しなかった前近代のフットボールでは、代わりに豚や牛の「膀胱」をふくらませてボールとして使っていた……と、いう話もよく聞く話だ。一般に名著と言われる中村敏雄の『オフサイドはなぜ反則か』はそうした著作の代表例である。


 特に、中村敏雄は同著の中で「殺した牛や豚の血まみれの膀胱をボールにしたように、フットボール(サッカーやラグビーなど)は狩猟民族=欧米人の荒々しいスポーツである。対照的に日本人は温厚な農耕民族である。したがって日本人は荒々しい狩猟民族=欧米人のスポーツであるフットボールの神髄を根本的に理解することができない」(大意)などと述べている。

 これもよく聞く話で、日本あるいは日本人の歴史・文化・精神・伝統……etc.は、サッカーフットボールの本質とは相容れないとする、自虐的な「サッカー日本人論」と呼ばれる言説の、ひとつの表出である。

膀胱ボールは使い物にならない?
 ここからは、当ブログが紹介するスポーツの「ちょっと教えたいお話」になる。フットボール・アナリストという肩書の「加納正洋」という人物が著した『サッカーのこと知ってますか?』という本に、膀胱を素材にしたボールの常識を覆す話が登場する。

 どんな本にも出てくる「膀胱ボール説」だが、これは机上の空論である。なぜなら……。
  • 実物の膀胱ボールは、紙風船とビーチボールを足して二分したような華奢(きゃしゃ)なもので、大人が蹴れば一発で破れる。とてもフットボールの実用に耐えるものではない。
  • フットボール用のボールは丈夫な動物の皮をアウター(外皮)として使い、インナー(内皮)には、よく洗い乾燥させた豚や牛の膀胱を使った(血まみれではない)。
  • 中世英国では、人々の間で荒々しいフットボールが行われていた。しかし、そこに血まみれの膀胱ボールが使われていたというイメージは正確ではない。
 ちなみに、加納正洋の正体は、ラグビー評論家の中尾亘孝(なかお・のぶたか)だと言われている。加納と中尾は、ピコ太郎と古坂大魔王くらいには別人である。
中尾亘孝
【加納正洋こと中尾亘孝】

 中尾は、非常に悪質な反サッカー主義者、かつ英国でも廃れたラグビー原理主義思想の持ち主、さらに贔屓の引き倒し的な早稲田大学ラグビー部のファンであり、ラグビーファンからもかなり評判の悪い人物でもある。それでも、こういう話を紹介してくれるのは面白い。「ちょっと教えたいお話」というならば、玉木正之氏も、これくらい驚きに満ちた事を書いてほしいものである。

慶應と早稲田を混同している玉木正之氏
明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。
 これも、まともなサッカーファン、ラグビーファンならば唖然とするような事実誤認の文章である。まず、慶應義塾大学のラグビー部とサッカー部の正式名称を紹介する(創立順の紹介)。
 つまり、玉木正之氏の説明はいずれも間違いである。かの学校法人では、ラグビー部を「蹴球部」サッカー部を「ソッカー部」と呼ぶ。soccerのカタカナ表記が定着していなかったこともあって「ソッカー」である。

 「ア式蹴球部」を名乗っているのは、早稲田大学の方である。
 玉木正之氏は、慶應と早稲田を混同したまま読者に誤った知識を伝えているのである。

 慶應義塾大学がラグビーを「いち早く取り入れた」、日本ラグビーのルーツであるのは確かである。ラグビー部を「蹴球部」と呼ぶことについても、そうした伝統が表れているようだ。一方、日本のサッカーの直接のルーツは、慶應ではなく筑波大学(当時の東京高等師範学校、のちに東京文理大学、東京教育大学を経て、筑波大学)である。ちなみに、筑波大学のサッカー部も、「蹴球部(筑波大学蹴球部)」(創立1896=明治29年)である。

 この程度のことも、ネットで検索すればすぐにわかることである。

『日本書紀』の誤読を鵜呑みにしている玉木正之氏
古代メソポタミアから西洋に広がった「太陽の奪い合い」〔ここではフットボールのこと〕は東洋へも広がり、中国を経て日本の飛鳥時代には「擲毬〔くゆるまり〕」と呼ばれ、中臣鎌足と中大兄皇子が「擲毬」の最中に蘇我入鹿の暗殺(乙巳の変=大化の改新)の密談を交わしたことが『日本書紀』にも書かれている。
 これも間違い。『日本書紀』の記述では、中大兄と鎌足は「打毱」の会で面識を得ただけである。蘇我入鹿の暗殺の密談を交わしたのではない(しかし、玉木氏が採用している「擲毬」とは何であろうか? 『日本書紀』にあるのは「打毱」という表記である)。

 玉木正之氏がなぜこんな間違いをおかすのかというと……。スポーツ人類学者の稲垣正浩氏が『スポーツを読む』で『日本書紀』の問題の箇所をを誤読していたものを、玉木正之氏がそのまま鵜呑みにしていたからである。

 玉木正之氏は原典に当たって内容を確認することを怠る。そのため、玉木氏のスポーツ評論やスポーツコラムの信頼性は著しく低い。

玉木正之氏の文章を読んでもスポーツを理解できない
つまりサッカーというスポーツを語れば、世界史や日本史を語ることにもつながり、そのような「知的作業(知育)」を含むスポーツは「体育(身体を鍛える教育)」だけで語られるべきではないのだ。
 お説ごもっとも。しかし、このコラムを読む限り、玉木正之氏の文章を読んでもスポーツにかかわる豊かな「知」が身につくか、はなはだ怪しい。

 むしろ、玉木正之氏のデタラメを見抜くリテラシーを身につけることこそ、スポーツの「知」を獲得することになるだろう。

(つづく)


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ