スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

タグ:日本代表

満田哲彦氏の大谷翔平論
 日本サッカー界にも多大な貢献(?)をしながら、一方で「マスコミ、特にテレビは野球をゴリ押ししていない。それはサッカーファンのバイアスだ」と(ちょっと苦しい)弁明をした満田哲彦氏(元電通本社スポーツ局オリパラ室営推部長、JFAマーケティング担当部長ほか)。

 その満田哲彦氏が2022年に書いた「大谷翔平選手の価値~5つの価値(定量・定性・マーケティング・メディア・社会的)」という大谷翔平論がある。
  • 参照:ミッションスポーツCEO 満田哲彦(元電通)「大谷翔平選手の価値~5つの価値(定量・定性・マーケティング・メディア・社会的)」(2022年9月25日)https://note.com/sportmarketing/n/na7ad4088b4bf
 ざっと読んでみたが、どうもこれは満田哲彦氏が大谷翔平を「批評的」に論じたというよりは、大谷翔平をどこかの大企業のCMに採用してもらえるように書いたプレゼンテーションの文章のように読めてしまう(満田哲彦氏は元電通だから、そうなってしまうのかもしれないが)。

 言い方を変えると、ひょっとしたら満田哲彦氏は大谷翔平を偏愛しているのかもしれない。文体は全く違うが、今福龍太(文化人類学者、現代思想家、批評家)が中田英寿を偏愛しているように……である(笑)。<1>
  • 参照:今福龍太「ゲームの終焉に抗して~中田英寿と反-物語」@『Essays now and then』(1998年6月)http://www.cafecreole.net/corner/essays/soccer/af2-nakata.html
 だから、当然のごとく「大谷翔平選手の価値」には彼の否定的な情報は出て来ない。

大谷翔平の「二刀流」はチームを勝たせられない
 例えば、大谷翔平がMLBで2023年まで所属していたロサンゼルス・エンゼルスだが、成績はアメリカンリーグ西地区5チーム中、彼が移籍した2018年から順に4位、4位、4位、4位、3位、4位……と、ワールドシリーズはおろか、プレーオフにすら出場したことがない。

 大谷翔平がいくら投打「二刀流」の活躍が目覚ましいからと言って、それでチームが勝つ、優勝するわけではないのだ。

 どんなスポーツでも世界的なスーパースターというのは、毎年のように優勝争いをしている伝統と実力と人気を兼ね備えたチームのエース。マークもプレッシャーも厳しい中で、重要な場面でも期待通りの活躍をする……というのが相場である。

 大谷翔平は、そうではない。

 もっとも、野球というのは、チームの成績とはあまり関係のない「個人成績」や「個人記録」が幅を利かせているスポーツでもある。

 例えば、「最後の4割打者」と呼ばれ、打撃三冠王を2度も獲得、通算ホームラン521本など、あれだけ打撃タイトルを獲りまくった強打者テッド・ウィリアムズは、ワールドシリーズ進出はわずかに1回のみ。それも敗退に終わっている。

大打者の栄光と生活: テッド・ウィリアムズ自伝 (SUPER STAR STORY)
テッド ウィリアムズ
ベースボール・マガジン社
1973-03-01


テッド・ウイリアムズのバッティングの科学 新装版
ジョン アンダーウッド
ベースボール・マガジン社
2000-03-01


 これは大谷翔平を「世界的なスーパースター」だと吹聴する、日本のマスコミにとっても都合がいい。

ベーブ・ルースと大谷翔平の違い
 大谷翔平の偉大さは、MLBという世界最高のプロ野球リーグで、投打「二刀流」という異次元の領域を突っ走っているところにある……と言われる。それは、かつてのベーブ・ルースに匹敵するのだという。

 ベーブ・ルースの何が偉大なのかというと、この人は、1920年代、ニューヨーク・ヤンキースに移籍して、それまで「隠し球」同様の珍記録だった「ホームラン」をガンガン打ち出して、それまでの野球の在り方そのものを大きく変えてしまったからである。

 ベーブ・ルースによって、野球はホームランをひとつの主要な勝利の要因とするスポーツへと変化した。野球に革命をもたらした選手がベーブ・ルースなのである。

 それでは、大谷翔平の「二刀流」はどうか? ホームラン打者ベーブ・ルースには、ハック・ウィルソンのような後続のホームラン打者も出たけれども、大谷翔平には後続の「二刀流」メジャーリーガーは出てきていない(MLBのドラフトに「二刀流」枠が出来たらしいけれども……)。

 実は、大谷翔平ひとりが「二刀流」をするために所属チーム(2023年まではロサンゼルス・エンゼルス)には、投・打両面でさまざまとシワ寄せがいく。そんな理由もあって、大谷翔平に続く「二刀流」の野球選手が続出することは、どうやらありそうにない(2025年以降のロサンゼルス・ドジャースはその辺をどう解決するのだろうか?)。

 大谷翔平は、ベーブ・ルースのように野球に革命をもたらしたとは言えない。

 よく大谷翔平のことを「唯一無二」だと褒めそやすが、唯一無二では駄目なのだ。ベーブ・ルースのように歴史を変えなければ、真に偉大だとは言えない。

スーパースターか、それともソフトパワーか
 元々はサッカー畑出身である金子達仁のように、大谷翔平のことを「日本が生んだ史上初の世界的スーパースター」とまで褒めそやす人がいる。
  • 参照:金子達仁「[2021年野球界を総括]大谷翔平は,日本が生んだ史上初の世界的スーパースター」(2021年12月28日)https://media.alpen-group.jp/media/detail/baseball_211228_01.html
 金子達仁は、二宮清純との対談で、大谷翔平のことを「既に歴史上のアスリートと比較するのが不可能な域に達したと思っています」(!)とまで語っている。
  • 参照:対談/金子達仁×二宮清純「大谷翔平と井上尚弥」(前編)https://ninomiyasports.com/archives/110432
 まあ、大谷翔平が「世界的なスーパースター」かどうか? ……はについては議論の余地はあるのかもしれない。しかし、彼が「日本の対外的なソフトパワー」かどうか? ……については議論の余地はない。

 大谷翔平は日本を代表する、対外的なソフトパワーたり得ない。

スポーツ文化とソフトパワー
 ソフトパワー(soft power)とは、何か?

 国家が軍事力や経済力などで無理やり他国を従わせる強制力のことではなく、その国の有する文化や価値観によって支持や理解、共感、敬服を得ることにより、国際社会からの信頼や発言力を獲得しうる力のことである(対義語はハードパワー)。

 例えば、日本のアニメやマンガは単なる輸出品ではなく、ソフトパワーとしても機能している(鳥山明急逝の報に対する世界的な反響を思いだされたい)。

 スポーツの世界にもソフトパワーは多い。ブラジルの「セレソン」(サッカー代表チーム)、ニュージーランドの「オールブラックス」(ラグビー代表チーム)、英国(イングランド)のサッカー「プレミアリーグ」、アメリカ合衆国のバスケットボールリーグ「NBA」……等々、みなその国がソフトパワーとして持つ文化である。

 サッカー・ポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウドや、サッカー・アルゼンチン代表のリオネル・メッシといった偉大な選手たちも、またソフトパワーである。

 サッカー日本代表も、かつて十五年戦争の時代、中国や東南アジア諸国に旧日本軍が攻め込んでいったにもかかわらず、FIFAワールドカップ本大会となると、不思議とこれらの国々で「アジア代表」として人気がある。つまり「サムライブルー」もソフトパワーとしての力を備えている。

 日本の大相撲も、伝統文化&スポーツ(格闘技)として日本のソフトパワーである。本場所には外国人の観客が目立つようになった。

 ……と、こうして見てくると、野球はどうしたって弱い。この球技は世界的人気としてはマイナー過ぎて(2024年パリ五輪では正式種目から外れてしまった)、大谷翔平は「日本の対外的なソフトパワー」たり得ないのである。

 日本のプロ野球(NPB)は、あれだけの経済規模があるのに、ソフトパワーとしての魅力がない。インバウンド需要が見込めない(ホリエモンこと堀江貴文が喝破していた)。

 だから、世界の大多数の国々で「二刀流」のメジャーリーガー「Shohei OHTANI」(大谷翔平)と煽っても、「誰? 何?」という反応しか返ってこない。

 そのことを元電通の満田哲彦氏が知らないはずがない。分かっているからこそ、満田哲彦氏は「大谷翔平選手の価値」という文章には書かないのである。





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守田英正選手の悲痛なコメント
 2024年1~2月にカタールで行われた「アジアカップ2023」、サッカー日本代表=森保ジャパンは「日本サッカー史上最強」と呼ばれ、優勝を期待されながら、しかし準々決勝(ベスト8)で敗退してしまった。これには多くのサッカーファンの失望している。

 日本が敗れた対イラン戦は、後半、日本が防戦一方になりながら(そして後半終了直前に与えたPKを決められた)、森保一監督は選手交代や守備の指示など、何の手も打たなかった。この森保采配についても多くのサッカーファンの失望している。

 これには選手、例えば守田英正選手からも異論が出ている。
 ……後半10分に追いつかれてから我慢の時間が続き、後半アディショナルタイムにPKで決勝点を献上。そんな試合展開に守田〔英正〕は偽らざる胸中を吐露した。

 「どうすれば良かったのかはハッキリ分からない。考えすぎてパンクというか、もっとアドバイスとか、外からこうした方がいいとか、チームとしてこういうことを徹底しようとかと〔ベンチからの声〕が欲しい。チームとしての徹底度が足りなくて試合展開を握られるということがゼロじゃないし、この大会でも少なからずあった。ボランチとして、プレイヤーとして、チームのために考えないといけないし、その思考は止めないけど、そこの決定権が僕にある必要はないのかなと思う。あくまで僕は最後の微調整だけでいいのかなと。担っているものを重荷には感じないけど、もっと〔ベンチからのアドバイスが〕欲しい

 ピッチ上の選手だけで対応するのにも限界がある。劣勢の展開の中でもっとベンチからの明確な指示があっても良かったのではないか。〔以下略〕

西山紘平/ゲキサカ「苦悩を吐露した守田英正の悲痛な叫び〈考えすぎてパンク〉〈もっといろいろ提示してほしい〉」(2024/2/4)https://web.gekisaka.jp/news/japan/detail/?400971-400971-fl
 一方、これについては、次のような解釈も存在する。
 守田〔英正〕は今回の発言の際、非常に言葉を選びながら絞り出すように思いを口にしていたが、森保一監督を始めベンチ側から「もっと提示して欲しい」というのはこれまでもよく話題に上がっていたこと。〔略〕

 ただ一方で、そういった状況を分かった上で指揮官が〈動かない〉ことを選択している節もある。〔略〕目の前の勝利とともに日本サッカーの発展を考えるが故に、何もしないことで選手たちがどう反応し、どういった解決を図るかを見守っているところがある。そこは森保監督の〈ズルさ〉と表現していい。

林遼平/GOAL「なぜ優勝にたどりつけなかったのか.アジア杯を戦う日本代表にあった2つの〈問題〉」(2024年2月08日)https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/japan-asian-cup-review-20240208/blt495228c8f255efbc
 それにしても、2024年の今でもこういう奇妙な論理が出てくるのか? ……と(当ブログは)驚く。

 まず、アジアカップの準々決勝はあえて「〈動かない〉ことを選択」して勝たなくてももいいという試合ではなく、何が何でも勝ちにいかなければならない試合である。

 何より、森保一監督はあえて「〈動かない〉ことを選択」した、「ズルさ」の現れなのではなく、試合中、単純にフリーズしてしまい、適切な手が打てなかったのではないか……という批判的な指摘の方が多数派である。

日本のスポーツ界と「ボトムアップ型」の日本代表
 森保一監督はチームに戦術の仕込みをせず、試合中、選手たちに具体的な指示を送ることも少ない。これを「ボトムアップ型」の監督と呼ばれるが、別の(悪い)言い方をすると「戦術やプレーを選手たちに丸投げ」する監督ということである。

 木村浩嗣氏(元フットボリスタ誌編集長)が、小澤一郎氏(サッカージャーナリスト)が主宰するYouTube番組の中で「ボトムアップ型の監督やチームなんてスペインサッカーじゃ有り得ない!!」と語っていたが、なぜ日本にそのような類型が存在するのか?


[冒頭10分公開]スペインから見た日本代表の弱点と敗因。「監督で負けた」「ボトムアップなんてありえない」

 日本のスポーツ界、日本のスポーツ論壇には、「〈日本人〉のスポーツ選手は細かい戦術指導や指示をすると思考の柔軟性を失い、その枠をはみ出てプレーをすることが出来なくなる」という「迷信」がある。特にサッカーやラグビーなどはそう言われる。

 だから、それを乗り越えるため……と称して、日本のスポーツ界は「ボトムアップ型」の日本代表が時として登場してきた。すなわち、1997年~2000年のラグビー日本代表「平尾ジャパン」、2002年~2006年のサッカー日本代表「ジーコ・ジャパン」がそうである。

 平尾ジャパンの平尾誠二監督(故人)は、次のように述べている。
 「多様な局面に対し、多様に瞬時に対応できるのが、現代のいいプレーヤーの条件です。しかし、これは日本人が一番弱い部分。そもそも、そういう教育がされていない」「(ラグビーのゲームは)常に状況が変わり、選手がどうカオス(混とん)に対応するかが問題になる」

『日本経済新聞』1999年11月20日付
 今でこそ、森保ジャパンを鋭く批判している西部謙司氏(サッカー記者)であるが、かつてはこの論理でジーコ・ジャパン(セレクター型監督と称していた)の熱烈な支持者であった。森保一監督は「セレクター型」の監督なのだろうか?

アエラ2004年6月7日号より
ジーコ・ジャパンの風刺画:アエラ2004年6月7日号から

 前掲の林遼平氏(GOAL.COM)の言い分は、実はこの論理をなぞったものである。

「日本人」と「自己決定力」
 そもそも、森保一監督の「雇い主」であるところの田嶋幸三JFA会長(2024年3月で退任予定)自身が、そういう「迷信」を信じているのではないか? ……との見方がある。田嶋幸三会長の著作、2007年に出た『「言語技術」が日本のサッカーを変える』の冒頭にはこうある。<1>
 2007年1月、大坂で「第5回フットボールカンファレンス」が開催されました。

 メインテーマは、06年にドイツで開催されたワールドカップの分析と報告です。このカンファレンスで私〔田嶋幸三〕は「日本代表報告」を担当することになっていました。

 私が壇上に立つ直前、ハッとするような話が耳に飛び込んできたのです。

 ワールドカップの準決勝・イタリア対ドイツ――この大会で何試合かアシスタントレフェリーを務めていた廣嶋禎数〔ひろしま・よしかず〕さんが、こんな話を始めました。

 「イタリアの選手が退場させられて選手が1人減ってしまったその時、イタリアの選手たちは、誰1人として、ベンチを見なかった」

 イタリア・チーム〔2006年ドイツW杯で優勝〕は、状況からして非常に不利な局面を迎えていた。にもかかわらず、選手たちはベンチに指示を仰がなかった。その場で話し合いをはじめ、10人でどのように試合を進めていくのかを即座に決め、お互いに指示を出し合い、発生した問題を解決していった――というのです。

 ピッチ上の選手が、「ベンチを見ない」。

 そのことは、いったい何を示しているのでしょうか? サッカーにとって、どれくらい重要な意味があるのでしょうか?

 イタリアのメンバーたちは、選手が1人欠けてしまった場面に遭遇しても、自分たちで判断し難問を解決する力を持っていました。そうした能力をしっかり養ってきたからこそ、彼らはベンチに対して「指示を求めなかった」のです。

 つまり、「ベンチを見ない」ということは、ピッチ上で発生した出来事をどう処理していくのか、そのために分析力と判断力を発揮して、決定する「力」を持っていたことの「証」〔あかし〕でした。

 究極の状況下で、自ら考えて判断を下す「自己決定力」。その力を備えていない限り、世界で通用するサッカー選手になることはできない、という事実を明確に示している――そうした出来事だと、私〔田嶋幸三〕には思えたのでした。

 でははたして、日本の選手たちはどうでしょう?

 日本のサッカーは、どれくらい「自己決定力」の大切さを意識してきたでしょうか? そうした能力を養っていくための訓練をしてきたでしょうか? 学校や家庭で、そうした能力を育む努力や工夫を、重ねてきたでしょうか? 「自己決定力」を支える、論理や表現力を学ぶシステムは、確立されているでしょうか? それともそうしたことの大切さすら、まだ自覚されていないのでしょうか?

田嶋幸三「ベンチを見ないイタリア・チーム」@『「言語技術」が日本のサッカーを変える』7頁~9頁


 平尾誠二監督と田嶋幸三会長の「日本人観」は、非常によく似ている。そして、ジーコ・ジャパン(や平尾ジャパン)の擁護論として、多用された言い回しでもあった。

 ジーコ・ジャパンは(平尾ジャパンも)、肝心なワールドカップ本大会では惨敗した。しかし、それは田嶋幸三会長が述べるところの「日本人の〈自己決定力〉の欠如」の問題であって、ジーコ・ジャパンの監督であるジーコ氏の責任ではない……ということで片付けられてしまった。

 この度の守田英正選手のコメントは、彼がサッカー選手としてレベルが低いということの「証」なのだろうか? ……それは違う。

「迷信」に斬り込んだスポーツライター
 藤島大氏(スポーツライター)は、あるいは大西鐵之祐氏(ラグビー日本代表監督ほか)の薫陶を受けたためもあるのかもしれない。「ボトムアップ型」日本代表を生み出す、日本スポーツ界の「迷信」を批判してきた。
 なぜかスポーツとなると「型」〔≒指示、戦術〕と「個性」〔≒自己決定力〕の対極へと位置づけるナイーブな論調が跋扈〔ばっこ〕する。しかし、マイク・タイソン〔元プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン〕は厳しいパターンに従って戦ったプロデビュー直後こそ、もっともタイソンらしかった。〔略〕

 つまりスポーツに型はあるものなのだ。そして型を実行する過程においても「その人らしさ」は必ず反映されるし、「ここに拠点ができたら必ず右に攻めろ」とパターン化しても、パスをするのか蹴るのか当たるのかは「個人の判断」がしばしば決定する。

藤島大「〈史上最強〉の虚実」@『ラグビーの世紀』104頁


ラグビーの世紀
藤島 大
洋泉社
2000-02-01


 型、パターン、戦術を明快に打ち立てると、個人の判断や力強さが身につかない。とらわれがちな呪縛〔じゅばく〕ではある。少年期なら自由な判断と一般的な基本技術がとことん尊重されるべきだ。しかし〔日本〕代表の具体的なチーム作りにあっては、それでは時間が足りなくなる。それに、一級の指導者は選手の個性を観察した後にふさわしい型を構築するものなのだ。

藤島大「〈史上最強〉の虚実」@『ラグビーの世紀』106頁
 以上、平尾ジャパンを総括した記事である。実に溜飲が下がる。聞いているか!? 田嶋幸三会長! そして宮本恒靖次期JFA会長! ……と言いたくなる。

 藤島大氏は該当記事で、松尾雄治氏(元ラグビー日本代表)から「戦争に行ってさ、個人の判断でいけ、なんて嫌だよ。そんなの。あっちこっちに勝手に弾打ってさ。そんなんで、どうして死ねるんだよ」という、平尾ジャパンをやんわり批判した比喩的なコメントを引き出している。

 守田英正選手のコメント(あるいは三笘薫選手のコメント)は「そんなんで、どうして死ねるんだよ」という気持ちの表明でもあったのかもしれない。

 藤島大氏の筆鋒は、ジーコ・ジャパンの総括にも向けられている。
 ジーコが悪い。ジーコがしくじったから〔サッカー日本代表は2006年ドイツW杯で〕負けた。なぜか。チャンピオンシップのスポーツにおいて敗北の責任は、絶対にコーチ〔監督〕にあるからだ。〔略〕シュートの不得手なFW〔柳沢敦〕を選んで、緻密な戦法抜きの荒野に放り出して、シュートを外したと選んだコーチ〔監督〕が非難したらアンフェアだ。

藤島大「ジーコのせいだ」(2006年7月27日)https://www.suzukirugby.com/column/column984


柳沢敦:急に(Q)ボールが(B)来たので(K)
柳沢敦のQBK:急に(Q)ボールが(B)来たので(K)
 サッカージャーナリストの多くが「迷信」の前にジーコを批判できず、沈黙してしまったのに対し、まことに胸のすく啖呵である。

 あの対イラン戦。ロングボールをゴール前に放り込まれ続けられる「荒野」の中で、しかし、しかるべき守備の指示もなく、なすがままに敗れ去ってしまったのが森保ジャパンだった。

サッカーはアップデートしている
 もうひとつ。そもそも、イタリア代表の選手たちがW杯の準決勝でピンチに陥ってもベンチ(監督)の指示を仰がなかったという逸話は、今から17年半も昔の2006年のことである。

 しかし、2024年現在、サッカーというスポーツは(好むと好まざるとにかかわらず)アップデートしている。

 すなわち、GPSやAIなどを使った膨大なデータの集積と科学的な分析。ドローンを使ったフォーメーションの練習など高度に統制された戦術。そればかりか「個の力」に頼っていた最後の崩し方すら「組織的、戦術的」に練習する。

 試合中はピッチを俯瞰したスタッフがフォーメーションを絶えず観察、状況に応じてスタッフが無線で連絡しあい、それによって選手たちは柔軟にそれを変更する。……等々。

 もはや、ピッチ上の選手たちだけで出来るゲームではなくなっているのだ、サッカーは。

 選手だけでサッカーをしていると、それこそ「考えすぎて頭がパンクする」のである。

 三笘薫、堂安律、久保建英、遠藤航、冨安健洋、守田英正……等々(順不同)、日本代表選手の「個の力」も2006年当時から大幅に向上した。結局、森保ジャパンの活躍は選手たちの「個の力」に頼ったところが大きかったのではないか? ……とまで言われている。

 その「個の力」をチームの力にまとめきれないのは、やはりベンチ(監督)の責任ではないのか? ……と。

 田嶋幸三会長が『「言語技術」が日本のサッカーを変える』の中で称揚した逸話は、昔の日本プロ野球で二日酔いで猛打賞をとったスラッガーを讃える武勇伝と同じ類のアナクロニズムである。<2>

 森保ジャパンの予想外の不振と敗退に、ジーコ・ジャパンの(そして平尾ジャパンの)亡霊を見てしまった気がする。





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中条一雄さんを悼む
 中条一雄さん(朝日新聞)。賀川浩さん(サンケイスポーツ)、牛木素吉郎さん(読売新聞)らと並ぶ、サッカージャーナリスト第一世代の一人。その中条一雄さんが、2023年暮れ12月28日にひっそりとお亡くなりになっていたことを、つい最近知った。
  • 参照:尾崎和仁「中条一雄さんとの思い出」(2024年1月9日)https://blog.goo.ne.jp/sports-freak1960/e/fee8d4c721c3b3b825eaa55573dc735f
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

エリック・バッティの逸話あるいは神話
 以下、文中敬称略。中条一雄の著作に『たかがスポーツ』(1984年)があるが、その中にこんな逸話が登場する。
私は非国民
 話は変わる。「ヤイヤイ、お前は非国民か」という投書をもらった。先ごろ〔1979年8月‐9月〕、東京で開かれた世界ユース・サッカー選手権〔現在のFIFA U-20ワールドカップ〕のとき、私〔中条一雄〕が新聞〔朝日新聞〕で日本チームを批判したのが気にさわったらしく、その読者はプンプン怒っている。「日本の若者は1年半青春を傾けて練習し、持てる力をせいいっぱい出し切ってがんばった。それなのに、お前、ケチをつけやがって、非国民め」。<1>

 非国民とは、これまたなつかしい。戦時中、意にそぐわぬ人物を抹殺するためにさかんに使った言葉、それをいま、若者らしいサッカー・ファンから聞こうとは……。

 日本チームは1敗2分けで、ベスト8にも入れなかった。私は率直に書いた。「日本チームが一段上のサッカーをやるためには、あまりにも欠陥が多すぎる。ウンヌン」。それがお気に召さなかったのか。一勝もできないのに、ほめろというのか。それではあまりにも夢が小さすぎやしないか。

 サッカーには偏執狂ともいうべきファンが多い。サッカーには、それだけ人を熱狂させる要素が多いということかもしれないが、熱狂することは反面視野を狭くするということでもある。〔中略〕

 1966年、イングランドがサッカーのワールドカップで初優勝し、ロンドン中が喜びに浮かれている時に、エリック・バッティという英人記者がこう書いた。「イングランドがこんな旧式の戦法を用いて地元優勝したことは、世界サッカー界にとっても、イングランドにとっても不幸なことだ」と。

 この勇気ある発言に対し、当然、英国中から非難と抗議が殺到した〔21世紀の現在で言えば「炎上」か?〕。だが数年後、彼の予言は早くも的中した。旧式サッカーから脱し切れないイングランドは'74年と'78年〔のワールドカップ〕には〔欧州〕地区予選すら突破できず、不振のドン底にあえぎ〈サッカーの母国〉という名称は今や語り草になりつつある。〔中略〕

 〔ワールドカップで〕優勝したイングランドを批判したバッティ記者、〔世界ユースで〕ベスト8にも入れない日本チームを批判した私。それなのに非国民といわれなくてはならないとは。バッティ〔≒サッカーの本場〕との差があり過ぎて泣けてくる。こんなに甘くて、やさしくて、早トチリするファンがいるようでは、日本のサッカーは永久に勝てぬと思うが、いかが。〔下線部,原文では傍点〕

中条一雄『たかがスポーツ』77~80頁


たかがスポーツ (朝日文庫 ち 3-1)
中条 一雄
朝日新聞出版
1984-07-01


 中条一雄は、折に触れてこの「エリック・バッティの逸話」を紹介していた。

 そして、この逸話は「サッカーの本場のジャーナリズムは自国のサッカーについてきわめて辛辣な(辛口な)批評をする」という俗説、すなわちセルジオ越後のようなサッカー評論を正当化する根拠とされてきた。
  • 参照:セルジオ越後 オフィシャルサイト https://www.sergio-echigo.com/
 「エリック・バッティの逸話」は、いわば「エリック・バッティの神話」でもあった。

 中条一雄自身も、賀川浩や牛木素吉郎らと比べて、先に引用文にあるように「辛口」な傾向があり、またセルジオ越後のことを非常に高く評価していた。

 セルジオ越後にお墨付きを与えたひとりが中条一雄だった……という言い方もできるのかもしれない。

セルジオ越後「辛口」サッカー評論の嘘
 ところが、セルジオ越後のサッカー評論なる代物は、単なる日本サッカーに対する誹謗中傷悪口雑言罵詈讒謗であり、とても読むに堪えない。そこからは「辛口」本来の「批評としての痛快さ」を全く感じ取ることができない。

セルジオ越後 辛口の真実
セルジオ越後
ぱる出版
2014-05-30


 セルジオ越後のような言動が許容されてきたのは、長らく「サッカー後進国」であり「冬の時代」にあった日本サッカー、その関係者の屈託の心理に付け込んできたからである。<2>

 しかし、今やインターネット・SNS全盛の時代である。嘘がだんだんバレてくる。

 吹聴していたブラジル時代のプロ選手としての華々しいセルジオ越後の経歴が実は詐称らしいとか、旧日本リーグ時代の実績も大して芳しくないとか……といった情報が、インターネット・SNSを通じて発せられるようになった。

 サッカーの本場のサッカー評論も、いつも「辛口」なのではなく、是々非々で評価している。そこで求められているものは、テレビの激辛王選手権に出てくるような「辛口」なのではなく、程よくスパイスが効いた「批評としての痛快さ」なのである……という情報も、インターネット・SNSを通じて発せられるようになった。

 これらの情報は、日本のサッカーを睥睨(へいげい)していたセルジオ越後の「権威」を失墜させる。セルジオ越後には「批評としての痛快さ」がない、ただ不快なだけだ。……という声がサッカーファンからようやく出るようになった。

 「サッカー後進国」であり「冬の時代」にあった日本サッカーという「鳥なき島」に飛来したブラジル蝙蝠(こうもり)、それがセルジオ越後だったのである。

 だが、蝙蝠はあくまで蝙蝠である。鳥ではない。ましてや「カナリア」ではないことが分かってきたのである。

エリック・バッティの「神話」は、実はいつもの繰り言?
 そこで今度は「エリック・バッティの神話」の方である。

 サッカージャーナリストの後藤健生は、自身が中高生だった頃、英和辞典を頼りに英国のサッカー誌『ワールドサッカー』を読み、英語を学びながら海外サッカーの情報を入手していたという思い出話をたびたび書いている(次のリンク先参照)。
  • 参照:後藤健生「バイエルンのサッカーは面白かったか? プレッシング・スタイルを凌ぐ新たな動きに期待」(2020年8月31日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20190310219022/
  • 参照:後藤健生「勝点の桎梏から開放された結果の〈5対4〉 ケイン,ヴァーディーの2ゴールはイングランド代表への朗報?」(2018年5月15日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20180515155523/
 この『ワールドサッカー』誌の名物記者がエリック・バッティだった。

 バッティが当時(1960年代後半)よく書いていたのが「昔のサッカーは面白かった。今はハードワークばかりで守備的で面白くない」だとか「最近のサッカーはフィジカル重視、守備重視で面白くない」だとかいった「辛口」評論だった。

 当時はジョージ・ベスト(マンチェスターユナイテッド所属、北アイルランド代表)の全盛期で、例えばFWのベストにボールが渡ると、彼はゆっくりと前を向いてドリブルに移り相手DFと勝負を始める。DFもベストが前を向くまではむやみに仕掛けない。

 ヨハン・クライフのアヤックスやオランダ代表のように、全員がボールハンティングに行くようなサッカーが一般的になるのはこれより後。アリゴ・サッキのACミランが、プレッシングを前面に押し立てたサッカーをするのはこれより20年数年後のことである。

 そんな時代だったのに、バッティは「昔のサッカーは攻撃的でよかった」と言っていたのである。

 この辺の話から類推すると、エリック・バッティがW杯で優勝したイングランド代表のことを「イングランドがこんな旧式の戦法を用いて地元優勝したことは、世界サッカー界にとっても、イングランドにとっても不幸なことだ」と酷評したという話も、実は彼が「いつもの繰り言」を書いただけに過ぎなかったのではないか?

 そして、中条一雄は、エリック・バッティの逸話を「サッカーの本場のジャーナリズムは自国のサッカーについてきわめて辛辣な(辛口な)批評をする」という「神話」として誤読・曲解してしまったのではないか?

 その分、日本のサッカー文化を歪めてしまったのではないか?

 ……そんなことを考えてしまうのである。





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世界の非常識が日本の常識
 「どんなにベーブ・ルースが偉大であろうと野球そのものより偉大ではない」。

 このように喝破したのは、アメリカ・メジャーリーグベースボールの名監督スパーキー・アンダーソンだった。<1>

スパーキー!―敗者からの教訓
イーウォルド,ダン
NTT出版
1991-11-01


 サッカーでも同様。ペレやヨハン・クライフがどんなに偉大でも、サッカーそのものより偉大ではない。

ペレ自伝
ペレ
白水社
2008-05-01




 しかし、ここは世界の常識が通用しない日本である。日本サッカー界には、日本サッカーそのものより偉大な人物が存在する。

 中田英寿である。

中田英寿@NHK「NHK日本サッカーの50年」第4話
NHK「日本サッカーの50年」第4回で発言する中田英寿

中田英寿が偉大な理由
 そんな中田英寿神話の創出に加担した著作のひとつが、中田英寿の『中田語録』(1998年5月)である。

中田語録
文藝春秋
1998-05-01


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 日本サッカー界の若きリーダー、中田英寿初の公認発言集。物議を醸した彼の言動の真意がここにある。初めて明かされるエピソードも多数。……と惹句にある。

 実際にコンテンツをまとめたのは、金子達仁、馳星周、増島みどり、村上龍、今福龍太らとともに中田英寿の幇間役を担ってきたライターの小松成美。<2>

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)
小松 成美
幻冬舎
2000-08-01




中田英寿 誇り
小松 成美
幻冬舎
2007-06-01


 その『中田語録』、中田英寿が曰(のたまわ)く……。
  • 「みんな喜ぶのが早すぎる」~ゴールの時、何で喜ばないの、と不思議がられて。(003)
  • 「熱くなっても、得することないから」~試合中、いつも冷静な態度でいることについて尋ねられて。(007)
  • 「俺にはお手本はいらない」~サッカーの上達法を問われて。(012)
  • 「ジコチューでいきます」~どうして厳しいパスを出すのか、と聞かれて。(013)
  • 「俺は勝っても泣きませんね。もちろん、負けても泣きませんけど」~サッカーで泣いたことがあるか、と尋ねられて。(021)
  • 「振り返ることは、評論家のすること」~ゲームが終わった後、自分のプレーについてなぜコメントしないのか、と言われて。(025)
 ……等々、やはり目立つのは、低劣なるニッポンサッカーを易々と乗り越え、唯ひとりサッカーの世界標準を弁えている(とされる)中田英寿との対比である。
  • 「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」~好奇心旺盛な理由を聞かれて。(004)
  • 「メダルより図書券が欲しい」~アトランタ・オリンピック直前「メダルが欲しいか?」と尋ねられて。(006)
  • 「年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス」~チームや代表での先輩・後輩関係について尋ねられて。(009)
 ……等々、また、反知性主義、スポーツ馬鹿、先輩・後輩のタテ社会、根性論・精神論、悲壮感など、日本の運動部や体育会にありがちな悪習も、中田英寿は否定する。

 まったく、中田英寿は「日本的」ではない。

 長らく低迷を続けてきた日本サッカー界には「日本的であること」は「サッカー的でないこと」であり、反対に「サッカー的であること」は「日本的でないこと」である……という度し難い劣等感が定着してきた。

日本人論の危険なあやまち ―文化ステレオタイプの誘惑と罠―
髙野陽太郎
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-10-21


日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)
小谷野 敦
幻冬舎
2010-05-01


 中田英寿は、サッカー日本代表のワールドカップ本大会初出場にプレーの面で絶大な貢献をした。……のみならず、中田英寿の「日本的」ではない言動・立ち振る舞いは、日本サッカー界の劣等感を絶妙に刺激した。

 当時、日本史上空前のサッカー人気にあって、サッカーファンや読者は、中田英寿に狂喜してしまった。中田英寿に肩入れすることで「日本的な旧弊」を打破するかのような痛快さに酔ってしまった。

 かくして、日本サッカーそのものより偉大な中田英寿……という神話は成立した。

実は少しも新しくない中田英寿
 しかし、抑圧的な「日本的なるもの」に抗い、あるいは乗り越えたと見なされた日本人アスリートをむやみやたらと褒めそやす風潮、中田英寿が初めてではない。

 野球界では、1980年代から1990年代にかけての、長嶋茂雄のいわゆる「浪人時代」がそうである。当時、長嶋茂雄は「チマチマした,抑圧的な日本野球」を打破する存在として期待されていた。

定本・長嶋茂雄 (文春文庫)
玉木 正之
文藝春秋
1993-03-01




 1980年代に隆盛を極めたラグビーブーム、話題の中心は、早稲田大学でも、明治大学でもなく、実は「選手たちの自主性,自由奔放なプレー」などを掲げて大学選手権を3連覇した関西の同志社大学だった。

 関東にはないラグビーテイストを口にして、マスコミは舞い上がってしまった。中田英寿の時と似て、美意識から倫理観まで、同志社ラグビーをダシにして、その他のラグビーを否定するキャンペーンが張られた。

 それらは、同志社大学ラグビー部の指導者・岡仁詩(おか・ひとし)のコメントを引用する形で活字化され、「岡イズム」と呼ばれ、喧伝された。……というあたりは『中田語録』の持てはやされ方とソックリである。

 同志社ラグビー黄金時代の中核にいた選手が平尾誠二だった。彼は「ラグビーは遊びだ,ラグビーを楽しむ」と公言する人で、このような発言をする人の常として、平尾誠二は「日本的なるもの」への屈託が強い。


「日本型」思考法ではもう勝てない
平尾 誠二
ダイヤモンド社
2016-06-06


 この屈託を何十倍何百倍とこじらせると、中田英寿というパーソナリティが出来上がる。

 つまり、中田英寿は少しも新しくないのである。

『中田語録』が歪めた日本サッカー
 長嶋茂雄は、1993年から2001年まで読売ジャイアンツの監督を務めた(いわゆるひとつの第2次長嶋政権)。しかし、その野球は「チマチマした,抑圧的な日本野球」を打破するようなプレーぶりだったとはとても評価できない。

 岡仁詩や平尾誠二は、外国の目新しい方法を取り入れることには熱心だったが、海外のラグビー強豪国に本気で勝とうという発想には乏しかった。ラグビー日本代表監督としての実績も十分とは言えない。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12-01


 「日本的なるもの」を超克していると見なされているアスリートだからといって、そのパフォーマンスが必ずしも「世界的」だったというわけではない。

 中田英寿も、本当のところはワールドクラスのサッカー選手への階梯からは脱落した人である。

 しかし、サッカーに詳しくない人の多くは「中田英寿は世界的なサッカーの名選手なのだろう」と信じ込んでいた。『中田語録』など中田英寿神話の影響である。

 そのことが中田英寿を増長させた。

 サッカー日本代表を率いて海外の強豪に勝つ、勝ってみせる、勝てないまでも善戦・健闘に持ち込む……といった、サッカーファンが中田英寿に抱いた夢は裏切られた。

 むしろ、日本サッカーは低劣だが、中田英寿だけは別格で世界レベルだ……と、いたいけな人々に信じ込ませることが、中田英寿にとっての利益となった。

 その挙句の果てが、ジーコ・ジャパン(2002年~2006年)における、他の日本代表選手を見下した一連の言動であった。そのジーコ・ジャパンで臨んだ2006年ドイツ・ワールドカップ(日本代表は惨敗)における身勝手で醜い引退劇であった。

フットボールサミット第2回「中田英寿という生き方」目次
英国大衆紙は酷評した2006年W杯における中田英寿の身勝手な引退パフォーマンス

 これらすべて、中田英寿を日本サッカーそのものよりも偉大な存在にしてしまったための猿芝居である。

 『中田語録』をはじめとする中田英寿神話は、日本サッカーを、そして有望なサッカー選手であった中田英寿を、大いに歪めてしまった。

 「ジョホールバルの歓喜」のプレイヤー・オブ・ザ・マッチ……中田英寿への賞賛はこれだけで十分である。





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日本サッカー界のPR下手
 Jリーグの「秋春制」シーズンへの移行が、2023年12月、本決まりとなった。決まってしまった。
  • 参照:NHK「サッカー Jリーグ〈秋春制〉移行を正式決定 2026年から」(2023年12月19日)https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231219/k10014292481000.html
 その理由についてはいろいろ言われているが、建前論を捨象すると、秋春制に移行したAFCチャンピオンズリーグ(ACL)にJリーグがシーズンを合わせることで、ACLやFIFAクラブワールドカップ(CWC)におけるJクラブのプレゼンスを維持し、またはこれを高め、延いては日本の公衆に対するサッカーというスポーツのパブリックリレーションズ(Public Relations,PR)の構築につなげるためだとされている。

 ……と言う割には、同時期にサウジアラビアで開催された、Jリーグの浦和レッズがACL王者として出場した「FIFAクラブワールドカップ サウジアラビア2023」の情報発信、特にウェブサイトやSNSでのそれに関して、日本サッカー協会(JFA)もJリーグも全く不熱心だった。SNSではサッカーファンからの批判やら落胆やらで渦巻いていた。

 もともと今回のCWCは、日本ではテレビの放送が無かった。野球ばかりを優遇するテレビのスポーツニュースでも、ほとんどCWCの情報は出なかったであろうと思われる。

 熱心なサッカーファンですら、浦和レッズがCWCを戦っていること自体、試合後になってからスマホの小さな記事でたまたま知ったくらいだという。

 とにかく、JFAも、Jリーグも、日本サッカー界のダメなところは、日本の公衆への露出が少なくてPRが下手という点に尽きる……と、サッカーファンは憤慨している。

 実際、日本サッカー界はPR、パブリックリレーションズの構築が非常に下手である。例えば、毎年、正月「元日」(1月1日)の試合開催に拘泥している(こだわっている)ことなどがそうである。

元日にサッカー日本代表が国際試合?
 2023年10月19日、JFAは「史上初,元日開催」と称して、また冠大会「TOYO TIRES CUP 2024」(トーヨータイヤカップ2024)として、2024年元日(1月1日)に日本代表とタイ代表の国際試合を行うことを発表した。
  • 参照:日本サッカー協会「TOYO TIRES CUP 2024」https://www.jfa.jp/samuraiblue/20240101/
  • 参照:トーヨータイヤ「元日のサッカー日本代表 国際親善試合~TOYO TIRES CUP 2024を開催」(2023.11.14)https://www.toyotires.co.jp/press/2023/231114.html
 2024年1月12日~2月10日に、中東・カタールでAFCアジアカップ(アジア杯)が開催されることになっており、その壮行試合という意味合いがある。また「TOYO TIRES CUP 2024」の試合の直後に記者会見を開いて、アジア杯の招集メンバーを発表する予定だという。

 しかし、これではJFAの思惑とは裏腹にサッカー日本代表とアジア杯のPRにはならない。

 なぜなら、元日では、いくら日本代表が面白い試合をしても、翌日は新聞(一般紙,スポーツ紙とも)は休刊日。そしてテレビは特別編成となり、通常のスポーツニュースは放送されない。正月スポーツの話題は翌2日~3日に開催される箱根駅伝にほぼ独占される。正月の日本では、サッカーは物理的に話題にならない。したがって情報が拡散されない。

 ただでさえアジア杯はテレビ(地上波)では放送されないというのに(DAZNはテレビ局にニュース映像をどれだけ提供してくれるのだろうか?)。これでは、日本の公衆というレベルでの日本サッカーの気勢が上がらないことになる。

 JFA、延いては日本サッカー界は、何故こんな頭の悪いことをするのか?

「元日,国立,サッカー」への拘泥と呪縛
 そもそも、2024年1月1日はFIFAが定める国際Aマッチデーではない。だから年末年始にも公式戦のスケジュールが詰まっている、スペインやイングランドのクラブ所属の選手は招集できない。

 また「TOYO TIRES CUP 2024」については、大事なアジア杯を控えて日本代表選手に無理をさせず休養を与えるべきだという意見もある。JFAは金稼ぎの興行に走ったという批判もある。

 ……にもかかわらず、「TOYO TIRES CUP 2024」を開催する理由は、JFAは「毎年,元日に東京・国立競技場でサッカーの試合をすること」に関して特別な思い入れがあるからだ。
 JFAの宮本恒靖専務理事〔次期JFA会長〕は〔10月〕19日に行われた理事会後のブリーフィングで、「1月1日は日本サッカー界に〔とって〕重要な日ですし,アジアカップ前に強化試合をやりたいという〔森保一〕監督の考えもあり,どことやるのかを交渉した結果、タイに決まりました」と経緯を説明している。

サッカーキング「日本代表,史上初となる〈元日決戦〉が決定! 国立競技場でタイ代表と激突」(2023.10.19)https://www.soccer-king.jp/news/japan/national/20231019/1822322.html
 曰く「1月1日は日本サッカー界に〔とって〕重要な日」なのである。

 なぜなら、毎年元日は、東京・国立競技場でサッカー天皇杯の決勝を行うのが「恒例」だからだ(あくまで恒例であって「伝統」ではない.後述)。しかし、日本プロサッカー選手会から選手のオフ期間を確保するための要請もあり、ここ2年間は決勝を前倒しして開催。2023年(2023年度)も12月9日に行われた。

 それでも、JFAは「元日,国立,サッカー」に拘泥している。

 2023年元日(2022年度)は、全日本大学サッカー選手権大会(インカレ)の決勝が行われた。決勝は新潟医療福祉大学vs桐蔭横浜大学が対戦。1万2841人の観客を集めた。大学サッカーについては詳しくないが、いわゆる「伝統校」ではない大学同士の対戦としては、よく集客した方ではないだろうか。
  • 参照:JFA「2022年度 第71回全日本大学サッカー選手権大会 新潟医療福祉大学vs桐蔭横浜大学」(2023/1/1 日・祝)https://www.jfa.jp/match/alljapan_university_2022/match_page/m23.html
 2023年度=2024年の元日もインカレの決勝が行われる予定だったが、日本代表の国際試合「TOYO TIRES CUP 2024」に差し替えられ、これが行われることになったのである。

歴史的正当性が怪しい元日サッカー
 もっとも、天皇杯決勝が元日でなければならない。天皇杯決勝が出来なかったら、何か他のサッカーの試合を東京・国立競技場でしなければならない。それが「伝統」だから……と拘るJFAの言い分の歴史的な正当性や根拠が怪しい。

NHK「サッカー天皇杯」100回の歴史
「NHK〈サッカー天皇杯〉100回の歴史」OP画像

 天皇杯元日決勝は、同じフットボールの、まるでラグビーにおける英国「オックスフォード大学vsケンブリッジ大学」の定期戦(毎年12月第1火曜日開催,剣牛戦)に範をとった「早慶戦」(早稲田大学vs慶應義塾大学,毎年11月23日祝日開催)や、「早明戦」(早稲田大学vs明治大学,毎年12月第1日曜日開催)に似ている。

戦前のラグビー早明戦(1934年12月2日?)
戦前のラグビー早明戦(1934年12月2日?)

 ラグビー「早慶戦」「早明戦」は、この競技独特の「対抗戦思想」と呼ばれる古いフットボール文化(詳細は次のリンク先を参照)に基づいて行われるが、しかし、19世紀にいち早くプロ化が認められ「選手権制度」の下で試合が行われるサッカーには、そのような文化は早々と消滅している。
  • 参照:昔のラグビー~慶應義塾大学vs帝京大学の公式戦が無かった〈対抗戦思想への拘泥[2]〉(2023年10月11日)https://gazinsai.blog.jp/archives/50245564.html
 この試合はこの日でなければならない……という特定の日程への拘り(天皇杯元日決勝)では、日本サッカーそのもののPRにならず、かえって利益を損ねているのである。

 また、ラグビー「早慶戦」「早明戦」は大正時代に始まり、およそ一世紀にわたる名勝負を繰り広げ、スポーツファンの話題になり続けてきた。
  • 参照:Sports Graphic Number 258号 早明終わりなき熱闘(1990年12月20日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/652
 だから歴史的正当性があり、あるいはこの日程で行うことが日本ラグビー界の「聖域」となっている(逆に言えば,これを批判することはタブーとなっている)。

 一方、日本サッカーのカップ戦、現在の天皇杯も大正時代(1921年)に始まったが、「天皇杯」の冠が掲げられたのは1951年5月(昭和26)から。「元日決勝」に至っては1969年(昭和44)1月から(年度としては1968年)から。たかだか50年余りの歴史しかない。

サッカー天皇杯元日決勝:日本髪の女性
サッカー天皇杯決勝を観戦する日本髪の女性(1969年元日)

 満員のスタジアムでの「元日決勝」に至っては、1992年(1991年度)天皇杯決勝「日産自動車vs読売クラブ」からである。せいぜい30年の歴史なのである。

1991年度サッカー天皇杯決勝:日産vs読売
1991年度天皇杯決勝(1992年元旦):日産自動車vs読売クラブ


天皇杯の「元日決勝の伝統」の正体だが、
  1. 学生主体の時代→学期の真ん中あたり
  2. 学生vs実業団の時代→GW開催
  3. 実業団の時代→冬季、元日決勝へ
で、伝統っても実業団時代の伝統でしかないわけだよね。今は各国でリーグが整備されてシーズン末は固まってるが、元日である必要はない
 ラグビー早明戦が本物の伝統であることに比べると、元日サッカーの方は「伝統」とは呼べない。これは偽りの「伝統」に過ぎないのである。

日本サッカー界の賢明でないこと
 その偽りの「伝統」への拘泥と呪縛で、元日に日本代表が国際試合を行う。が、しかし、それは「元日」という固有の事情で大して日本サッカーのPRにはならない。

 このような賢明でないことを、いつまで日本サッカー界は続けるのだろうか? ……と考えると、新春の華やいだ気分にはとてもなれず、いろいろガッカリしてしまうのである。





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