[文中敬称略]
漫画と日本スポーツ
日本のスポーツ文化の面白いところは、サブカルチャーでありフィクションであるところの漫画のヒット作品が、虚実の境を越えて現実のスポーツの在り様に影響を与えたところにある。
すなわち、高橋陽一のサッカー漫画『キャプテン翼』であり、井上雄彦のバスケットボール漫画『SLUM DUNK』である。
サッカーもバスケットボールも、元来、日本では人気が無く国際的な実力も弱小だっが、『キャプテン翼』や『SLUM DUNK』といった漫画のヒットの影響で大きく変わった。
プロリーグ(Jリーグ,Bリーグ)が出来て人気スポーツになり、日本人選手は海外の一流リーグでプレーするようになり、日本代表の実力も大いに向上したのである。
高橋陽一,そして細川周平
その高橋陽一『キャプテン翼』の連載が、原作者の体力の衰えなどを理由に終了するというニュースが入ってきた。
- 参照:朝日新聞「『キャプテン翼』漫画連載終了へ~物語はネームなどで制作継続」(2024年1月5日)https://www.asahi.com/articles/ASRDX3STCRDWUCVL03L.html
今後はネーム(絵コンテのような下書き)のような形で物語の制作を続けていくという。
高橋陽一の名前を聞くと、なぜか個人的に思いだすのは、『サッカー狂い』(1989年初版)の著者・細川周平(音楽学者,フランス現代思想家,日系ブラジル史研究ほか)のことである。なぜなら……。
- 参照:細川周平(国際日本文化研究センター=日文研=名誉教授)https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/staff/s006/
『サッカー狂い』は、ドゥルーズ=ガタリをはじめとした晦渋なフランス現代思想を引用・援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った「名著」として過剰なまでに高く評価されてきた。
だから、今でもカリスマ本扱いされている。これが『サッカー狂い』の「表の顔」である。
……話を戻して、なぜなら、『サッカー狂い』では『キャプテン翼』のことを、凡百なサッカー漫画と並べて「熱血漫画,スポ根,紋切り型」として一面的に否定していたからである。
『サッカー狂い』の「裏の顔」と深層
しかし、はたして、そもそも『キャプテン翼』は熱血漫画やスポ根として受容され、評価されてきたのか? 否、である。
むしろ『キャプテン翼』は、同じスポーツ漫画でも、努力や根性、重圧、暑苦しさ……といった要素から離れたところで読者を獲得し、評価されてきたはずなのだ。
細川周平のサッカー漫画観は、単なる好き嫌いの問題ではない。これから説明するのは『サッカー狂い』の「裏の顔」である。
フランス現代思想のような観念に没入し、特定の対象(サッカーなど)を耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に嫌悪するようになる。
『サッカー狂い』も同様。例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(細川周平は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの悪罵である。
あるいは、細川周平が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化「愚鈍なサッカー」として執拗に嫌悪し出したのも『サッカー狂い』である(今福龍太も同様である)。
さらに、細川周平の嫌悪の矛先は、まだ「冬の時代」(1970年代初め~1990年代初めの約20年間)だった日本サッカーにも及ぶ。
とにかく折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼく〔細川周平〕は日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」……などとスマして語る。
これにはウンザリさせられる。こういう話を『サッカー狂い』を称揚するサッカーファンはしたがらないが、細川周平は「日本サッカー冬の時代」にあって、日本のサッカーに絶望して「自虐的日本サッカー観」に取り憑(つ)かれていたのだ。
この人が『キャプテン翼』を酷評したのは、こうした自身の日本サッカーへの嫌悪あるいは「自虐的日本サッカー観」の発露なのである。
サッカーへの沈黙の意味と理由は?
細川周平は、1990年代初めまではサッカーに関する発言をしていた。例えば、次のリンク先では、1990年イタリアW杯でベスト8まで躍進し、大いに話題になったアフリカのカメルーン代表のサッカーを賛美している。
- 参照:Sports Graphic Number Special Issue September 1990 ITALIA'90 QUESTO E IL CALCIO! イタリア・ワールドカップの21人(1990年9月11日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/398
自由奔放なイメージのアフリカのサッカーを讃える辺り、いかにも細川周平らしい(ここでもドイツのサッカーを貶していたが)。
しかし、その後はサッカーへの言及をほとんどしなくなった。その理由は?
1998年、『季刊サッカー批評』創刊号で、田村修一(ひっとしたらこの人もフランス現代思想家になっていたのかもしれない)が『サッカー狂い』の絶賛書評を書いた。その中で細川周平が長らくサッカーに関して沈黙していることを、さも意味ありげに書いている。
……話を戻して、その理由、何のことは無い。細川周平が『サッカー狂い』であれだけ強迫的に否定した、隆盛することはあり得ないと断じていた日本のサッカーが、本の刊行から3年後にして勃興したからである。
すなわち、1992年のサッカー日本代表(オフト・ジャパン)のアジアカップ初制覇、1993年のJリーグの開始、1997年のジョホールバルの歓喜、1998年のW杯本大会(フランス大会)初出場……と続く。昨今の森保ジャパンの活躍に関しては言うまでもない。
細川周平はバツが悪くなったのである。
2023年、高橋陽一は、日本サッカーの興隆に大いに貢献したとして、日本サッカー殿堂への掲額が決まった。
実際に日本(や世界)のサッカーに大きな影響を与えたのは、『キャプテン翼』の方だった。正しかったのは細川周平ではなく高橋陽一の方だった。
細川周平は、ここ30年余りの日本サッカーの成長を素直に認めて何かコメントするべきだ。個人的にそれを知りたい。
†
続きを読む