スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > スポーツ社会学,カルチュラルスタディーズ

 当ブログでは、たびたび次のようなことを書いてきました……。

 スポーツには、アメリカ野球(MLB)、ラグビーフットボール、大相撲など「応援団が存在しないスポーツ」と、日本野球(NPBほか)、バスケットボール、アメリカンフットボールなど「応援団が存在するスポーツ」に大別される。

 それは、「前近代」から存在し、長い歴史を持つスポーツ、すなわちアメリカ野球(MLB)、ラグビーフットボール、大相撲などと、「近代」以後に外来文化として輸入された、あるいは人為的に作られたスポーツ、すなわち日本野球(NPBほか)、バスケットボール、アメリカンフットボールなどとの違いである。

 「前近代」から存在し、長い歴史を持つスポーツは、競技者と見物人の境目は曖昧であり、見物人(観客)には「飛び入りの自由」が許された長い歴史があった。そうしたスポーツでは、見物人が「応援」などという、競技者がそのスポーツを競技することとは直接関係ないパフォーマンスに興じることはない。

 だが、「近代」以後の歴史しかない新しいスポーツは、競技者と見物人(観客)が最初から区別されている。そのため「見るだけの人」(観客)の欲求不満が募り、独自のパフォーマンス(応援)を行う「応援団」を生み出したのだ。

 ……というものです。この説は、玉木正之氏(スポーツライター)の持説として、折に触れて主張してきたものです。

玉木正之「スポーツに応援団は不要?!」
玉木正之「スポーツに応援団は不要?!」

 当ブログは、この「説」のさらなるオリジナルは中村敏雄氏(スポーツ学者,教育学者,故人)の『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』だと紹介してきました。

 しかし、当ブログは2024年2月になって初めて『メンバーチェンジの思想』を読みました。そこで確認できたのは、中村敏雄氏が言及したのは「前近代のスポーツには競技者と見物人の区別が曖昧で見物人には〈飛び入りの自由〉があった.だが、スポーツが近代化されると両者は人工的に区別されるようになってしまった」というくだりだけです。

 そこから「応援団が存在しないスポーツ/応援団が存在するスポーツ」の比較文化論に発展させたのは、あくまで玉木正之氏のオリジナルです。

 結果として間違ったことを書いてしまいました。ここにお詫びし、訂正をいたします。

 検索で分かった過去のエントリーについては、「お詫びと訂正」の文を入れてあります。次にリンクしておきます。
  • 参照:アメリカ民謡『テキサス・ファイト』に日本の「応援団」文化の原点を感じた(2019年08月04日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38168790.html
  • 参照:玉木正之氏の持論「スポーツに応援団は不要?!」を批判する(2020年08月18日)https://gazinsai.blog.jp/archives/41544016.html
  • 参照:玉木正之氏のスポーツでたらめ5大学説〈爆〉(2021年04月11日)https://gazinsai.blog.jp/archives/43557884.html
  • 参照:フーリガンとサポーターと応援団~玉木正之氏の奇怪な認識(2022年03月10日)https://gazinsai.blog.jp/archives/46123655.html
  • 参照:九州大学附属図書館の知性を疑う~玉木正之著『スポーツとは何か』をめぐって(2023年04月25日)https://gazinsai.blog.jp/archives/49013697.html
 まぁ、当ブログの読解力に問題があるのは当然だが、玉木正之氏も曖昧な書き方をするんですよねぇ……。
 この原稿は2020年6月26日付『北國新聞』夕刊の月イチ連載『スポーツを考える・第53回』で書いたものです。応援団の存在については、スポーツ誕生時の「前近代/近代」という事情による……というのは、故・中村敏雄先生の展開された卓見ですが、その考えを引用しながら最近の喧しすぎる日本野球について考え直してみました。チョイと加筆(カッコ内です)して〈蔵出し〉します。

玉木正之「無観客試合に応援は必要? 開幕日に思う日本野球の不思議」(2020-07-08)http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_329.htm
 いやいや! ……中村敏雄氏はスポーツの「前近代/近代」についてはシツコク拘って論じているが、「応援団」の有無については論じていない。それは玉木正之氏のオリジナルだ。

 玉木正之氏は、中村敏雄氏が論じたところと自身が考えたところを混同し、両者の区別がつかなくなっているのではないか?





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『スポーツとは何か』はトンデモ本である
 玉木正之氏(スポーツライター)の主著であり、九州大学附属図書館が選定した「九大100冊」にまで選ばれた『スポーツとは何か』(1999年)。

スポ-ツとは何か (講談社現代新書)
玉木 正之
講談社
1999-08-20

  • 参照:九州大学附属図書館「九大100冊: no.81 - no.100」(2009年7月)https://guides.lib.kyushu-u.ac.jp/qu100/qu100_5
 しかし、この本は「トンデモ本」であり、日本のスポーツ界・日本のスポーツ文化を大きく惑わす一冊である。なぜか……。

「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説
 玉木正之氏のスポーツ史論・スポーツ文化論にはいくつかの定番ネタ(珍説)があるが、そのひとつに「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説、あるいは「野球(またはアメリカンスポーツ)=中断のスポーツ」説ともいうべきものがある。

 それはどういうものか? まず、この珍説のオリジナルは虫明亜呂無(作家,評論家ほか,故人)の「芝生の上のレモン~サッカーについて」(『時さえ忘れて~虫明亜呂無の本3』所収,初出『スポーツへの誘惑~現代人にとってスポーツとは何か』1965年)である。
 アメリカ〔合衆国〕ではサッカーも、ラグビーもさかんではない。

 さかんなのは、アメリカン・フットボール、野球、そしてゴルフ。

 いずれもゲームの合間合間に時間を必要とするスポーツである。合間はスポーツをスポーツとしてたのしませるよりも、むしろ、ドラマとしてたのしませる傾向に人を持ってゆく。合間の、間のとりかたに、選手はいろんなことを考える。彼の日常の倫理がすべて投入される。間をいれることで、ゲームはクライマックスにちかづいていく。観客はそれをたのしむ。実際、無造作にポン、ポン、ポンと投手が投げて、打者がバッティング・マシンのように、そのボールを打ちかえしていたのでは、およそ、つまらない野球になってしまうであろう。

 反面、間の取りかたに、不必要な思いいれが入ってくる余地をのこしている。プロのように、見せることが第一条件のスポーツでは、その傾向が特に強調される。スポーツとしての要素よりも、芝居としての要素がどうしても強く要望されるわけである。

 野球やアメリカン・フットボールは芝居の伝統のない国〔アメリカ合衆国〕が作った。土や芝生のうえの、脚本も背景も、ストーリーも必要としない単純な芝居ではないだろうか。演劇の文化的基盤のない国〔アメリカ合衆国〕、それがプロ野球を楽しむ。スポーツとしてではなく、ドラマとしての野球を。それも素人の三流芝居を。

 日本のプロ野球も、この傾向を追っている。〔以下略〕

虫明亜呂無「芝生の上のレモン」@『時さえ忘れて』162~163頁


時さえ忘れて (虫明亜呂無の本 3)
虫明 亜呂無
筑摩書房
1991-06-01


 玉木正之氏は、この珍説を無批判に踏襲し、さまざまな著作や大学・大学院の講義、テレビやネット動画の番組などで吹聴している。虫明亜呂無氏を深く崇拝し、学問的・実証的な思考ができない玉木正之氏にとって、彼の言葉は「科学的真実」なのである。

 しかし、『つくられた桂離宮神話』『法隆寺への精神史』などの著作があり、NPB・阪神タイガースのファンとしても有名な井上章一氏(建築史,風俗史,国際日本文化研究センター所長)も、著書『阪神タイガースの正体』の中で「虫明亜呂無の説はあまりにも文学的すぎて(学問的ではなく)社会史などの資料(史料)として扱うことは危うい」と警鐘を鳴らしている。

阪神タイガースの正体
井上 章一
太田出版
2001-03-01


 つまり、虫明亜呂無氏の「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説は、そもそも与太話であり、学問的・実証的な裏付けの無い珍説にすぎない(これは改めて後述する)。

 しかし、玉木正之氏は進撃を止めない。

ドラマと「間」とアメリカンスポーツ
 アメリカンフットボールやバスケットボールでは、ルール上、タイムアウトやハドルといった作戦会議の時間を取ることが認められており、プレーが絶えず動き続けるサッカーやラグビーのような英国生まれヨーロッパ育ちのスポーツとは違って、プレーの中断、インターバル、言い換えれば「間」(ま)が非常に多い。

 また野球(ベースボール)では、ピッチャーが投げる投球ごとの「間」、バッターから次のバッターへの「間」、イニングとイニングの「間」、選手交代の「間」、作戦タイムの「間」などがある。NPB日本シリーズやMLBワールドシリーズ、早慶戦などの大学野球ともなると、試合と試合との「間」というものまである。

 こうしたアメリカとヨーロッパのスポーツ文化の違いを、玉木正之氏は『スポーツとは何か』の中で、虫明亜呂無氏の「芝生の上のレモン」を援用しつつ、次のように述べる。
 これほど「間」が多いのは、アメリカが〈演劇の文化的基盤のない国〉だったから、という指摘がある。開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった。演劇を楽しめなかった分、その役割を広場でプレイされるボールゲームに求めた。観客は、プレイがとぎれる「間」のうちに、プレイヤーが何を考えているのか、次は何をしようとしているのか、といったことを想像し、頭の中でドラマを楽しんだ。

 一方ヨーロッパでは、シェークスピアやモリエール以来の演劇、モーツァルトやロッシーニ以来のオペラが、大衆に楽しまれていた。そこでドラマは演劇やオペラにまかせ、スポーツでは「間」がなく、終始動きつづけるプレイ〔サッカーやラグビー〕が好まれるようになった。

玉木正之「〈間〉でドラマを楽しむ」@『スポーツとは何か』34頁
 引用文中の「開拓時代は原住民との闘い等で劇場を造る余裕がなく、演劇が発達しなかった」云々のくだりは、虫明亜呂無氏のオリジナル説には無く、玉木正之氏によるさらなる付け足し(創作)である。また「一方ヨーロッパでは、シェークスピアやモリエール以来の……」云々のくだりも、玉木正之氏の付け足し(創作)である。

 これが2020年刊の玉木正之氏の著作『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』になると、話はこうなる。
 このヨーロッパとアメリカの違いは、劇場文化の有無によるもの、とされている。ヨーロッパでスポーツが誕生・発達したころは、すでに劇場文化も存在し演劇やオペラが日常的に上演されていた。

 古代ギリシア〔ギリシャ〕では、アイスキュロス、ソフォクレス、アリストパネスといった悲劇作家や喜劇作家が数多く活躍していた。またラシーヌ、コルネイユ、モリエール、シェイクスピア、ボーマルシェ、モーツァルトなどを挙げるまでもなく、ルネサンス以降のヨーロッパでも、演劇やオペラの上演が盛んだった。

 しかし、インディアンと呼ばれたアメリカ先住民との戦いや、開拓のための労働に明け暮れたアメリカ大陸の街や都市では、教会は建設されても劇場の建設にまでは手が回らなかった。

 アメリカの人々は、ドラマの楽しみを広場さえあれば行うことのできるスポーツの中に求めるようになった。その結果、アメリカ生まれのスポーツにはドラマ(演劇,芝居)のような「間(ま)=試合の中断」が多くなったというのだ。

 劇場でドラマを楽しむことの少なかったアメリカの人々は、ピッチャーが投球動作に入り投げるまでのあいだに様々なことを思い浮かべた。あのピッチャーは最近調子が悪い。何があったのか? 新聞によると恋人にフラれたそうだ。だったらその悔しさをぶつけろ! バッターは恋人に逃げられるようなピッチャーなんかに抑えられるなよ……。

 スポーツ映画は、ベースボール〔野球〕やアメリカンフットボール、バスケットボールやアイスホッケーなど、アメリカのスポーツがほとんどだ。それに比べてヨーロッパ生まれのボールゲームは、試合の中にドラマを入れることが難しいのだ。

 『巨人の星』の主人公の星飛雄馬は、ピッチャーズマウンドで目の中でメラメラと炎を燃やし、「俺はオヤジに負けない!」などと叫びながら投球する。その時間、ドラマを演じる時間はタップリある。それに比べて、『キャプテン翼』の大空翼……〔以下略〕

玉木正之「星飛雄馬は、なぜ投球の時に目から炎を出すのか?」@『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』58~60頁


 劇画『巨人の星』の主人公・星飛雄馬は父(星一徹)のことを「父ちゃん」と呼ぶのではなかったか? ……とか、細かいツッコミはさておき。

 今度は「古代ギリシャ」の悲劇・喜劇にまで話が拡大している。要は、読者は玉木正之氏の衒学に付き合わされているのだ。

ベースボールの日本普及と「間」の日本文化
 さらに重要なのは、玉木正之氏が、明治時代、日本でサッカーよりもラグビーよりも野球の人気が先行した理由のひとつに、野球が「間」のスポーツであることと、大いに関係があると主張していることだ。
 欧米から日本にスポーツが伝播したのは明治時代初期。文明開化の明治4〔1871〕~20〔1877〕ごろに、西洋の様々なスポーツが伝わってきたと言われている。〔中略〕

 ありとあらゆるスポーツ競技が、文明開化の波に乗って日本に雪崩れ込んできたが、庶民のあいだで瞬く間に圧倒的な人気を獲得したのが、ベースボール〔野球〕だった。〔中略〕

 なぜ日本では多くのスポーツ(ボールゲーム)の中で野球〔ベースボール〕だけが突出した人気を博したのか?〔中略〕

 本書をお読みの読者は気づかれたと思うが、野球のように試合中の中断〔間=ま=〕の多い球技は、その時間を利用して観客が様々な「ドラマ」〔演劇,芝居〕を思い浮かべることができる。

 だから少々野球のルールがわからなくても、苦しんでいると思われる打者に「がんばれ!」と声援を送ったり、チャンスだと思える打者に「それいけ!」と励ましたりすることができる。

 つまりベースボールのようなアメリカ型のドラマ性の高い球技は、競技のルールや選手の技術、試合の戦略や戦術などを知らない人々にとっても、とっつきやすいスポーツと言えるのだ。〔以下略〕

玉木正之「アメリカの球技とヨーロッパの球技は、どこが違うのか?」@『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』60~62頁
 一方、日本にも、有名な日本文化論として剣持武彦氏(比較文学者,故人)の『「間」の日本文化』という著作がある。日本人には「間」を愛(め)で、楽しむ文化がある。

間の日本文化 (講談社現代新書 495)
剣持 武彦
講談社
1978-01-01


 「間」のアメリカンスポーツ文化と、「間」の日本文化。まさに野球は、日本人の国民性や民族性、歴史、文化、伝統、精神とピッタリ相性のいいスポーツなのである???

プロの学者・鈴村裕輔氏による玉木正之批判
 玉木正之氏のこの持説は、2021年2月に連載された『日本経済新聞』のシリーズ「美の十選」でも展開された。
 野球だけでなく、アメリカン・フットボール、バスケットボール、バレーボールなど、アメリカ生まれの球戯ボールゲームは、総じて試合の中断が多い。ヨーロッパ生まれのサッカーやラグビーやホッケーはできるだけ試合を継続させる。が、アメリカの球戯〔球技〕は、作戦タイムを設けてまで試合を中断させる。

 それは長かった開拓時代に、なかなか劇場を建てることができなかったからとされている。ドラマやオペラを劇場で楽しむことができなかった代わりに、スポーツのなかにドラマを求めたアメリカ人は、ゲームの中断中に様々なドラマを想像するようになったのだ。

 「最近、あの選手の調子がいいのは恋人ができたからだろう」「あの選手の調子が悪いのは監督と喧嘩〔けんか〕したからか?」……〔以下略〕

玉木正之「日経 美の十選/アート・オブ・ベースボール(7)ベン・シャーン〈National Pastime〉」(2021-08-11)http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_220.html
 しかし、これはおかしい! ……と批判した人こそ、プロの学者である鈴村裕輔氏(名城大学外国語学部准教授,野球史研究家,法政大学博士=学術=ほか)である。
 ……野球などの米国生まれの球技が〔サッカーやラグビーなどイギリス・ヨーロッパ生まれの球技と違って〕「作戦タイム」を設けてまで試合を中断させるのは、開拓時代に劇場を建てられなかったため演劇や歌劇の代わりにスポーツの中に「ドラマ」を求めたからという説が唱えられているものの、こうした説は野球史の研究において実証的に支持されているものではありません。

 いわば珍奇な説があたかも定説であるかのように紹介されることは、読み手に不要な誤解を与えかねないものです。

鈴村裕輔「隔靴掻痒の感を免れ得なかった玉木正之氏の連載~アートオブベースボール十選」https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/9a7f93942afb88bf7cbe9f37ae33d509?frame_id=435622
 左様、「野球(またはアメリカンスポーツ)=演劇文化代替物」説は、学問的な吟味と実証を経ていない、読者(スポーツファン)に不要な誤解を与える与太話なのである。<1>

学問的吟味が必要な玉木正之氏の「学説」
 玉木正之氏は(虫明亜呂無氏も)、アメリカ生まれの球技のみに「中断」があると考えているが、イギリス生まれの球技には、イギリス・英連邦諸国で人気があるクリケットという、野球の親戚である「バット・アンド・ボール・ゲーム」が存在していることを忘れている。この球技には頻繁に「中断」がある。

クリケット
クリケット

野球
野球(ベースボール)

 事実誤認が多い玉木正之氏はともかく(笑)、イギリスの国技クリケットという「中断」の多いスポーツを忘却した虫明亜呂無氏は相当な失当をおかしたのではないだろうか。

 また、ハリウッドの映画やブロードウェイのミュージカルなどが盛んなアメリカが、ヨーロッパと比べて演劇文化が乏しいなどとはとても信じられない。イギリス生まれの喜劇俳優・映画俳優チャールズ・チャップリンは、アメリカの演劇や映画に大きな可能性を見出して渡米したはずだ。

チャップリン自伝: 若き日々 (新潮文庫)
チャップリン,チャールズ
新潮社
2017-03-29


 何より、野球(ベースボール)固有のゲーム性と日本人固有の国民性が見事に合致したからこそ、野球がサッカーやラグビーなどに先んじて日本で国民的人気を得た……という玉木正之氏の「学説」は疑わしい。

 そもそも球技スポーツの伝播や普及が、明治時代初め(1872年頃)のお雇い外国人の一時的な紹介でごく自然に達成されたかのような、玉木正之氏が吹聴するイメージは間違いだ。

 日本における野球の普及の第一歩は1878年(明治11)、平岡凞(アメリカ留学帰りの鉄道技師)による新橋アスレチック倶楽部の創設から。
  • 参照:平岡凞「我国初の野球チームを結成」(野球殿堂博物館)https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-002/
 また、日本におけるサッカーの普及の第一歩は1896年(明治29)、東京高等師範学校(現在の筑波大学の前身)のフートボール部(蹴球部)の創設から。そして、日本におけるラグビーの普及の第一歩は1899年(明治32)、慶應義塾が蹴球部(ラグビー部)の創設から……である。

 どれも、それなりの人手と手間暇を掛けなければ普及しなかったのである。そして、野球とサッカー・ラグビーには20年くらいの時間的な開きがある。野球の人気が日本で先行したのは、以上のような事情で説明できる。けして、玉木正之氏が主張するような理由からではない。

 ちなみに玉木正之氏のスポーツ史論・スポーツ文化論には、平岡凞のような草創期日本野球の最重要人物の名前が全く出てこない。このような人物が筑波大学や立教大学、国士舘大学といった高等教育機関で「スポーツ学」を講じたことは、滑稽にすら思える。

 一説に、玉木正之氏は肝心なスポーツ学界(学会)からはマトモな「学者」扱いされていないという。しかし、むしろ(鈴村裕輔氏の批判のみならず)玉木正之氏のスポーツ「学説」には、学問的な吟味とその公開の必要があるだろう。





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▼前回のおさらい:中村敏雄を疑う(1)ドイツ映画「コッホ先生と僕らの革命」から考える(2024年02月21日)https://gazinsai.blog.jp/archives/51189999.html

中村敏雄氏の癖
 スポーツ研究書の中では名著と言われる『オフサイドはなぜ反則か』や、『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』を書いた中村敏雄氏(1929年‐2011年,スポーツ学者,教育学者)。

 一方で、氏は、「日本」(日本人)と「欧米」または「西洋」との間に越えられない壁を構築する癖の強い人で、この点、かなり頑迷であったと思う。

中村敏雄氏と後藤健生氏の対談
 そんな中村敏雄氏は、季刊『サッカー批評』2004年1月第21号で後藤健生氏と対談を行っている(対談:中村敏雄×後藤健生「日本人はほんとうにサッカーを必要としているのか」)。対談記事のリード文では「サッカー関連書籍の読者にとっては夢の顔合わせ,ドリームマッチ」と煽っていた。<1>

季刊『サッカー批評』2004年1月第21号表紙
季刊『サッカー批評』2004年1月第21号表紙


サッカーの世紀 (文春文庫 こ 24-1)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07-01


ワールドカップの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2012-09-20


 その中で実に奇妙なやり取りがあった。

 その前年、2003年のJリーグカップ(当時のヤマザキナビスコカップ)で浦和レッズが初優勝した。Jリーグのスタート以来(1993年)、ずっと負け犬だった(失礼!)浦和レッズがついに初タイトルを獲得したのである。

 これを見た中村敏雄氏は「先日の国立競技場(ナビスコカップ決勝)で浦和レッズの応援団〔サポーター〕で真っ赤に染まっていたけれど,あの人たちは競技〔サッカー〕の何を見ていたのでしょうか,それを知りたいと思います」と話を振る。

 後藤健生氏は「僕も違う立場から見ているので彼らが何を見ているかはなかなかわからないのですが」と前置きしながら「ひとつは勝負だと思います.いまのスポーツの場合、勝ち負けが非常に重要ですから〔勝利至上主義〕.この間のレッズ・ファンにとっては、10数年間負け続けた末に勝ったというのが一番嬉しかったのでしょう.もちろん人それぞれですし,〔略〕でも一番大きかったのは勝負だったと思います〔略〕」と答える。

 すると、中村敏雄氏は「勝ち負けだけだったら,翌日の新聞でもテレビでもいい.わざわざ競技場にまで出かけて行って応援している人たちの心理や要求は何なのだろうということで,その実像がわからない限り,川淵(三郎,日本サッカー協会会長)さんがいくらがんばってもサッカーは根なし草,そんな気がします」と返ってきた。

 ここで詳細な紹介は避けるが、中村敏雄氏は、1970年代から1990年代にかけて、欧州を中心に世界サッカー界で猖獗(しょうけつ)を極めた「フーリガン」に対して、何とも奇妙でロマンチックな思い入れを示し、ある意味で肯定していた。そのことは当ブログが以前に書いた。
  • 参照:フーリガンとその解釈~中村敏雄の奇妙でロマンチックな思い入れ(2024年02月02日)https://gazinsai.blog.jp/archives/51053142.html
 だが、日本のサッカーに関しては「根なし草」だ……と実に低い評価を下したのである。

 ふたりの対談記事「日本人はほんとうにサッカーを必要としているのか」というタイトルには、こうした含みがある。サッカーを必要にしている「欧米」または「西洋」と違って日本人にとって本当はサッカーなど必要ではない。

 だから日本のサッカーは「根なし草」なのである。

サッカー文化に近代と前近代の「断絶」はない
 さて『メンバーチェンジの思想』の中では、中村敏雄氏が非常に高い熱量で論じていた事柄があった。それは……。
 近代以前のスポーツ(例えばマス・フットボール=群衆のフットボール)は競技者と観客の境界が曖昧であった。競技は屋外の〈自然〉な条件のもとで行われ、人々は出入り自由、すなわち競技への参加と離脱が自由であり、そこには両者が喜びや楽しみを共有する共同体の親近感・一体感があった。
  • 参照:AFPBB News「街全体が競技場,英国一クレイジーなフットボール大会」(2009年2月26日)https://www.afpbb.com/articles/-/2575865
 しかし、近代スポーツ(サッカーやラグビーなど)が成立されるに従い、競技は〈人工〉の競技場で行われるようになり、競技者と観客が明確に分断されるようになった。共同体は後退し、両者の間にあった親近感・一体感は希薄になってしまった。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』より要約
 しかし、浦和レッズなど、特にJリーグクラブのコアサポーターをやっている人などは、こうしたモノの見方には首をひねると思う。

 すなわち、サッカーにおけるサポーターとは単なる観客ではない。それは「12番目の選手」と呼ばれる。文字通り、競技者(クラブや選手)を支える。ホームの試合には足しげく通い、アウェイにも遠征。試合中はあらん限りの声援やチャントを選手たちに送り続ける。(プライベートな領域には踏み込まないけれども)サポーターは選手のプレーぶりや人となりをよく知っている。サポーター同士、試合の後先には酒食を共にする……。

 ……等々、競技者(クラブや選手)とサポーター(観客)との間には濃密な親近感・一体感があるからだ。それを共同体と言い換えてもいい。まさにデズモンド・モリス博士が『サッカー人間学』(1983年初版)で説いたところの「サッカー部族」の世界である。

サッカー人間学―マンウォッチングII
デズモンド モリス
小学館
1983-02T


The Soccer Tribe
Morris, Desmond
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 そこに「近代以前」と「近現代」の、本質的な違いはない。あるいは「近代以前」に存在したスポーツ文化が、少なくともサッカーには形を変えて「近現代」にも息づいているのだとも言える。

今だったら中村敏雄氏は「炎上」するのではないか?
 どうも、後藤健生氏は中村敏雄氏をリスペクトしすぎて、あまり良くない返答をしてしまったのではないか。

 ここは日本のサッカーファンを代表して、そしておそらくは後藤健生氏も『メンバーチェンジの思想』は読んでいただろうから、その内容を踏まえて「クラブと選手(すなわち競技者)とサポーター(観客)は喜びや楽しみを共有する共同体なのです.浦和レッズとレッズ・サポーターは一心同体なのです」とでも答えるべきであった。

 冷淡な日本人観を持つ中村敏雄氏に、それで納得していただけるかどうかは分からないけれども。

 だいたい、ひいきのクラブが勝つところ「だけ」を見たくてサポーターをやっている人など、Jリーグでも海外のサッカーファンでもほとんどいない。2003年~2004年当時の浦和レッズであれば、なおさらそうである。

 この意味で、サポーター文化は中村敏雄氏が批判的に見ている「勝利至上主義」ではないのだ。

 浦和レッズとそのサポーターについては、既に1998年、大住良之氏による『浦和レッズの幸福』という著作が世に出ており、独特のサポーター文化が確立されてもいた。

浦和レッズの幸福
大住 良之
アスペクト
1998-02-01


 それに分け入ろうともせず、ただただ日本のサッカー文化を「根なし草」だと軽んじるかのような中村敏雄氏の言い様は、SNS全盛の現在ならば「炎上」してしまうのではないだろうか。

日本人はサッカーを必要としていた
 まあ、2003年~2004当時ならばまだまだJリーグの歴史も10年程度であり、底の浅いものだと思われても致し方なかったのかもしれない。

 しかし一方、プロ野球にも、大相撲にも、大学ラグビーにも飽き足らない日本のスポーツファンの層をJリーグは開拓したのだとも言える。

 そこに「何か」を感じて日本のサポーター文化に参入してきた浜村真也氏(初代サポティスタ)のような人物もいたのだ(笑)。

浜村真也・初代サポティスタ
浜村真也氏(初代サポティスタ)活動初期の写真

 日本人はサッカーを必要としていたのである。





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日本人論・日本文化論への傾倒
 スポーツ研究書の中では名著と言われる『オフサイドはなぜ反則か』や、『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』を書いた中村敏雄氏(1929年‐2011年,スポーツ学者,教育学者)。


 氏は、一方で、「日本」(日本人)と「欧米」または「西洋」との間に越えられない壁を構築する癖の強い人で、この点、かなり頑迷であったと思う。

 例えば、『メンバーチェンジの思想』の第2章「スポーツ・ルールの不平等性」章末の註を読んでみると、土居健郎氏(精神科医)の『「甘え」の構造』だとか、角田忠信氏(脳科学者)の『日本人の脳~脳の働きと東西の文化』だとか、何とも怪しげな日本人論・日本文化論の著作が参考文献として挙げられている。

「甘え」の構造
土居 健郎
弘文堂
1991-10-01


日本人の脳―脳の働きと東西の文化
角田 忠信
大修館書店
1978-01-01


 これらの著作(日本人論・日本文化論)は、純粋に学問的な検証には堪えられない、その妥当性はきわめて疑わしいものだとして、例えば杉本良夫氏やロス・マオア氏(ともにオーストラリア在住の比較社会学者)などから否定的な評価を受けている。

日本人論の方程式 (ちくま学芸文庫 ス 1-1)
ロス マオア
筑摩書房
1995-01-01


 これらを勘案すると、中村敏雄氏の所説もそろそろアップデートが必要なのではないかと思うのである。

『サッカー批評』誌に中村敏雄氏が登場
 その中村敏雄氏が、半田雄一編集長時代の季刊『サッカー批評』2003年7月第19号の対談に登場した。相手は永井洋一氏(サッカージャーナリスト)である。タイトルは「スポーツ(あるいはサッカー)をできる幸せ」。

季刊『サッカー批評』2003年7月第19号表紙
季刊『サッカー批評』2003年7月第19号表紙

 ここでも「日本」(日本人)と「欧米」または「西洋」との間に越えられない壁を構築する中村敏雄氏の傾向は、よく読み取れる。

 欧米人は文化的に(あるいは人種的にも?)スポーツをしなければならない必然性があるけれども、しかし、日本人にとってスポーツなど所詮は輸入文化であり、そんな必然性もエネルギーも無い……と言わんばかりの、きわめて冷淡な日本人観なのである。
 中村敏雄 日本にとって、スポーツは外来文化なんです。シュトラッツに18~19世紀イギリスの民衆スポーツに関する著作があって、陸上競技系やボールゲーム系、それにマジックのようなものまでいろいろと取り上げられているのですが、そのなかのボールゲーム系だけでも20種目もある。

 ところが酒井欣の『日本遊戯史』や増田靖弘が編集した『遊びの大辞典』で日本の庶民がどのような遊びをしていたかを見てみると、スポーツといえるものが全然ない。武士も含めると流鏑馬〔やぶさめ〕が出てくるけれども、それでも数は少ない。

日本遊戯史
酒井欣
第一書房
1983-10-01


遊びの大事典
東京書籍
1989-07-01


 永井洋一 やはり、相撲や力比べになるのですか?

 中村 ボールを使うようなものは、子供の遊戯になってしまう。庶民の大人が行事としてではなく余暇に、アウトドアで、近隣の人たちといっしょに、という条件で探すと、なにもないんです。ところが、イギリスにはあった。あちら〔欧米〕ではやっていたのに、なぜこちら〔日本〕ではなかったのか。

 それには、たとえば向こう〔欧米〕は金持ちでこちら〔日本〕は貧乏だったという理由が考えられる。それが明治時代になって、サッカーだ野球だ陸上競技だと次々と日本に紹介された。それを庶民がやったかというと、やる条件がない。やったのは子供や志賀直哉など白樺派に属した人間たち。

 つまり、国民の1パーセント以下の人数しかいなかったわけです。しかもこの伝統は続いていて、今日まで〔21世紀まで〕引きずっているのではないでしょうか。〔以下略〕

対談:中村敏雄×永井洋一「スポーツ(あるいはサッカー)をできる幸せ」@季刊『サッカー批評』2003年7月第19号


中村敏雄(季刊『サッカー批評』2003年7月第19号より)
季刊『サッカー批評』第19号で語る中村敏雄氏
 ……この対談では、中村敏雄氏のかなり冷めた日本人観が続いて、通俗的な比較文化論(日本人論・日本文化論)に懐疑的な当ブログは、かなりウンザリしてしまった……というのが正直な感想であった。

 この対談の中でも中村敏雄氏は、加藤周一氏(評論家,医学博士ほか)の『雑種文化~日本の小さな希望』だとか、増田義郎氏(文化人類学者)の「ケロリ主義」(@『日本人が世界史と衝突したとき』)などといった日本人論・日本文化論を援用している。

 中村敏雄氏の冷淡な日本人観、冷淡な「日本人とスポーツの関わり」観は、やはり日本人論・日本文化論のベストセラー・ロングセラーに大きな影響を受けているのだと思った。

「コッホ先生」から考えること
 しかし、中村敏雄氏の考えるところは案外と正しくないのではないか?

 前近代のイギリスには存在し、だが前近代の日本には存在しなかったと中村敏雄氏が言う「ボールゲーム」系のスポーツであるが、それでは前近代のドイツには「それ」は存在していたのか?

 個人的に考えさせられたのは、あらゆるスポーツが中止に追い込まれた、2020年のいわゆる「コロナ禍」のことであった。

 この時、放送するコンテンツに困った、ケーブルテレビのスポーツ専門チャンネル「Jスポーツ」が、ドイツのサッカー映画「コッホ先生と僕らの革命」(原題:Der ganz grosse Traum)を放送した。
映画「コッホ先生と僕らの革命」
 〈ドイツ・サッカーの父〉と呼ばれる実在の教師コンラート・コッホを主人公に、サッカーを通じて封建的な学園に自由と平等の精神を植え付けた型破りな教師と生徒たちとの心の交流を描く感動の学園ドラマ。主演は「グッバイ、レーニン!」のダニエル・ブリュール。



映画『コッホ先生と僕らの革命』予告編


コッホ先生と僕らの革命 [DVD]
カトリン・フォン・シュタインブルク
ギャガ
2018-11-02


コッホ先生と僕らの革命 (字幕版)
ユストゥス・フォン・ドーナニー
2013-05-15


コッホ先生と僕らの革命 (吹替版)
ユストゥス・フォン・ドーナニー
2013-05-15


 いやぁ、面白い映画だった。その昔、1960年代後半から1970年代にかけて、東宝テレビ部が制作し、日本テレビ系で放送された、熱血教師がラグビーやサッカーを通じて生徒たちに人生の生き方を教える「青春学園ドラマ」とは、こんな感じだったのかもしれない。
  • 参照:ミドルエッジ「懐かしの青春ドラマ」(2023年4月2日)https://middle-edge.jp/articles/Wjv7A
 もっと面白かったのは、スポーツや身体活動といえば「ドイツ式体操」しかなかった19世紀後半のドイツの学校で、生徒たちに、主人公のコッホ先生が「フットボール」(サッカー)という、ゲーム性にみちたボールゲーム系のスポーツの面白さや意義を伝える、そのことにかなり苦労しているところが細かく描かれていたことである。

 コッホ先生は、規律と服従を重んじる学校の校長から「(あんな)くだらん球遊び(フットボール=サッカー)は子供たちを堕落させる」だとか「あの〈遊び〉(フットボール=サッカー)を止めさせなければ……貴様はクビだ!」だとか、そんなことまで言われる。

 ドイツですら最初からフットボール(サッカー)に寛容だったわけではなかった。サッカーのナショナルチーム(代表チーム)の実績において、イギリス(イングランド)をはるかに凌駕するドイツにおいてすらそうなのである。<1>

 コンラート・コッホが活躍した時代は、19世紀後半。日本の明治時代前半である。この辺は、日本に英米のスポーツがさまざま紹介、輸入された時代とそんなに変わらない。

 明治時代の日本において、平岡熈が野球を、中村覚之助がサッカーを、田中銀之助とエドワード・B・クラークがラグビーを、それぞれ日本人に伝えていた時も、コッホ先生と似た感じだったのではないかと感じた。

 そしてスポーツ、特にフットボール(サッカーやラグビーなど)やベースボール(野球)といったボールゲームいう概念が薄い、あるいはほとんど無い国で、その面白さや意義を伝えることの大変さは、日本もドイツもそんなに変わらない。

日本人論でスポーツを考究するスポーツ学は絶滅したはず…?
 先に名前を出した、日本人論・日本文化論批判の比較社会学者 杉本良夫氏とロス・マオア氏は「西洋一元論」を批判していた。

 つまり「欧米」だとか「西洋」だとか、あれだけ広くて多様な地域を「均質な一枚岩」ととらえ、その一枚岩と「日本」と対比させる視点は間違いの元だというのである。

 「欧米」や「西洋」の諸社会をひとつひとつ個別に取り上げて比較すれば、社会によって日本と共通する点や異なる点がさまざま発見され、一元化された「西洋」や「欧米」のイメージも崩れていくというのだ(『日本人論の方程式』164~165頁)

 イギリスとドイツは「欧米」または「西洋」という一枚岩なのだから、スポーツ(特にフットボール=サッカー)が伝わる障壁が日本よりは低いというイメージは正しくない。「スポーツは外来文化」という点において、むしろ日本とドイツは似ている。

 そんなことを考えさせられた映画「コッホ先生と僕らの革命」であった。

 繰り返すが、中村敏雄氏は「日本」(日本人)と「欧米」または「西洋」との間に越えられない壁を構築する癖の強い人で、この点、かなり頑迷であったと思う。

 だが、さすがに最近は通俗的な比較文化論(日本人論・日本文化論)でモノを見るスポーツ学者・スポーツ社会学者はいなくなったと思いたい。

つづく
▼中村敏雄を疑う(2)日本のサッカー文化は「根なし草」なのか?(2024年02月22日)https://gazinsai.blog.jp/archives/51197229.html




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[文中敬称略]

 1970年代から1990年代にかけて、欧州を中心に世界サッカー界で猖獗(しょうけつ)を極めた「フーリガン」。

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)
ドミニック・ボダン
白水社
2005-11-25


 フーリガンに関しては、かつて近代以前の古いフットボール、暴力的な性格もはらんでいたマス・フットボール(群衆のフットボール)の伝統を継承した存在や現象として、いささかロマンチックにとらえる人がいた。
  • 参照:街全体が競技場、英国一クレイジーなフットボール大会(2009年2月26日)https://www.afpbb.com/articles/-/2575865
 例えば、有名な『オフサイドはなぜ反則か』(初版1985年)の著者であり、今なおカリスマ視されるスポーツ学者・教育学者である中村敏雄(1929年-2011年)がそうである。

 中村敏雄がフーリガンへの共感(?)を展開している著作は『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』(初版1989年)の方である。

 実は、中村敏雄がこの著作の中で「メンバーチェンジ」というルールの思想や文化背景以上に、そして執拗に拘っていたのは、次のような話である。
 近代以前のスポーツ(例えばマス・フットボール)は競技者と観客の境界が曖昧であった。競技は屋外の〈自然〉な条件のもとで行われ、人々は出入り自由、すなわち競技への参加と離脱が自由であり、そこには両者が喜びや楽しみを共有する共同体の親近感・一体感があった。

 しかし、近代スポーツ(サッカーやラグビーなど)が成立されるに従い、競技は〈人工〉の競技場で行われるようになり、競技者と観客が明確に分断されるようになった。共同体は後退し、両者の間にあった親近感・一体感は希薄になってしまった。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』より要約
 中村敏雄のスポーツ評論は現代思想的な「近代文明批判」に通じる要素があり(例えば,近代スポーツで勝敗を争うこと,あるいは勝利を求めることを相対化するかのような発言をする)、それだけ論壇などのウケも良かったようなところがある。

 その上で、この評論文の最後の部分になって著者が1985年のフーリガンの絡んだ大惨事「ヘイゼルの悲劇」に言及した箇所が登場する。
 1985年5月、ベルギーのエーゼル〔ヘイゼル〕競技場で行われたサッカーのヨーロッパ・カップ〔UEFAチャンピオンズカップ〕の試合〔決勝〕で、〔イングランドのリヴァプールとイタリアのユヴェントスの〕応援団の対立から死者39名、負傷者425名を出すという惨事〔ヘイゼルの悲劇〕があった。

 ロンドン高裁はイギリス〔イングランド〕側の応援団の26名に対して執行猶予の判決を下したが、ベルギーの司法当局は彼らの出頭を命じ、ローマの検察局は殺人と傷害の罪で逮捕状を出している(朝日新聞,1986年4月17日)。

 この事件は「暴動」とも呼ばれているが、しかしそれはまた、観衆とプレーヤーの親近感・一体感の共有・共感を分断するという抑圧に対する、十分には「文明化」されていない観衆の反乱、またスポーツで進行している「人工性・人為性」に対する人間的「自然」の名状しがたい、あるいはそれとは自覚されていない報復と見ることもできなくはない。

 換言すれば、現代のコロシアムのなかでプレーする剣闘士たちに、人間への復帰を呼びかける行為であったかもしれないと見ることもできる。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』111~112頁
 えーーーーーーーーーーッ!? ……と、まず、一読してこのフーリガン理解には驚愕し、そして、しばし唖然とした(何だか今福龍太が書きそうな内容だなぁ~とも思ったが)。

 「……と見ることもできなくはない」とか、「……であったかもしれないと見ることもできる」とか、あくまで断定を避けた遠回しな表現ではある。

 ……だが、中村敏雄は、近代以前の古いフットボール(マス・フットボール)の競技者と観客の境界さの曖昧さ、観客の競技への参加の自由……を理由に、その歴史や伝統を引きずっているものとして、ある意味でフーリガンを称揚している。

 しかし、このフーリガンへのロマンチックな思い入れは、2024年時点の常識では、これは十分に「不謹慎」なものである。

 サッカーの本場であるヨーロッパは、中村敏雄のフーリガン観を受け入れないだろう。

 フーリガンの実態を、また「ヘイゼルの悲劇」の実態を知れば知るほど、それは「人間(人間性)への復帰」ではなく「人間(人間性)の否定」でしかないからだ。

 観客の競技への参加の自由……というけれども、フーリガンの中には暴れることそれ自体が目的であって、試合の観戦はどうでもいいという層すら存在する。

 こうした連中はサッカーファンではない。フーリガンはサッカー文化の一部(の継承)ではなく、サッカー文化から完全に逸脱してしまっているのである。

 『メンバーチェンジの思想』の初版は1989年である。まだ、Jリーグのスタート(1993年)以前のことであり、世界のサッカーに関する十分な情報が日本では行き渡らなかった。その分、中村敏雄のようなフーリガンへの奇妙でロマンチックな思い入れが存在しえた。

 しかし、さすがに現在では許されなくなっている。





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