中条一雄さんを悼む
- 参照:尾崎和仁「中条一雄さんとの思い出」(2024年1月9日)https://blog.goo.ne.jp/sports-freak1960/e/fee8d4c721c3b3b825eaa55573dc735f
エリック・バッティの逸話あるいは神話
私は非国民
話は変わる。「ヤイヤイ、お前は非国民か」という投書をもらった。先ごろ〔1979年8月‐9月〕、東京で開かれた世界ユース・サッカー選手権〔現在のFIFA U-20ワールドカップ〕のとき、私〔中条一雄〕が新聞〔朝日新聞〕で日本チームを批判したのが気にさわったらしく、その読者はプンプン怒っている。「日本の若者は1年半青春を傾けて練習し、持てる力をせいいっぱい出し切ってがんばった。それなのに、お前、ケチをつけやがって、非国民め」。<1>非国民とは、これまたなつかしい。戦時中、意にそぐわぬ人物を抹殺するためにさかんに使った言葉、それをいま、若者らしいサッカー・ファンから聞こうとは……。日本チームは1敗2分けで、ベスト8にも入れなかった。私は率直に書いた。「日本チームが一段上のサッカーをやるためには、あまりにも欠陥が多すぎる。ウンヌン」。それがお気に召さなかったのか。一勝もできないのに、ほめろというのか。それではあまりにも夢が小さすぎやしないか。サッカーには偏執狂ともいうべきファンが多い。サッカーには、それだけ人を熱狂させる要素が多いということかもしれないが、熱狂することは反面視野を狭くするということでもある。〔中略〕1966年、イングランドがサッカーのワールドカップで初優勝し、ロンドン中が喜びに浮かれている時に、エリック・バッティという英人記者がこう書いた。「イングランドがこんな旧式の戦法を用いて地元優勝したことは、世界サッカー界にとっても、イングランドにとっても不幸なことだ」と。この勇気ある発言に対し、当然、英国中から非難と抗議が殺到した〔21世紀の現在で言えば「炎上」か?〕。だが数年後、彼の予言は早くも的中した。旧式サッカーから脱し切れないイングランドは'74年と'78年〔のワールドカップ〕には〔欧州〕地区予選すら突破できず、不振のドン底にあえぎ〈サッカーの母国〉という名称は今や語り草になりつつある。〔中略〕〔ワールドカップで〕優勝したイングランドを批判したバッティ記者、〔世界ユースで〕ベスト8にも入れない日本チームを批判した私。それなのに非国民といわれなくてはならないとは。バッティ〔≒サッカーの本場〕との差があり過ぎて泣けてくる。こんなに甘くて、やさしくて、早トチリするファンがいるようでは、日本のサッカーは永久に勝てぬと思うが、いかが。〔下線部,原文では傍点〕中条一雄『たかがスポーツ』77~80頁
- 参照:セルジオ越後 オフィシャルサイト https://www.sergio-echigo.com/
セルジオ越後「辛口」サッカー評論の嘘
エリック・バッティの「神話」は、実はいつもの繰り言?
- 参照:後藤健生「バイエルンのサッカーは面白かったか? プレッシング・スタイルを凌ぐ新たな動きに期待」(2020年8月31日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20190310219022/
- 参照:後藤健生「勝点の桎梏から開放された結果の〈5対4〉 ケイン,ヴァーディーの2ゴールはイングランド代表への朗報?」(2018年5月15日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20180515155523/
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