スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > サッカー文化

守田英正選手の悲痛なコメント
 2024年1~2月にカタールで行われた「アジアカップ2023」、サッカー日本代表=森保ジャパンは「日本サッカー史上最強」と呼ばれ、優勝を期待されながら、しかし準々決勝(ベスト8)で敗退してしまった。これには多くのサッカーファンの失望している。

 日本が敗れた対イラン戦は、後半、日本が防戦一方になりながら(そして後半終了直前に与えたPKを決められた)、森保一監督は選手交代や守備の指示など、何の手も打たなかった。この森保采配についても多くのサッカーファンの失望している。

 これには選手、例えば守田英正選手からも異論が出ている。
 ……後半10分に追いつかれてから我慢の時間が続き、後半アディショナルタイムにPKで決勝点を献上。そんな試合展開に守田〔英正〕は偽らざる胸中を吐露した。

 「どうすれば良かったのかはハッキリ分からない。考えすぎてパンクというか、もっとアドバイスとか、外からこうした方がいいとか、チームとしてこういうことを徹底しようとかと〔ベンチからの声〕が欲しい。チームとしての徹底度が足りなくて試合展開を握られるということがゼロじゃないし、この大会でも少なからずあった。ボランチとして、プレイヤーとして、チームのために考えないといけないし、その思考は止めないけど、そこの決定権が僕にある必要はないのかなと思う。あくまで僕は最後の微調整だけでいいのかなと。担っているものを重荷には感じないけど、もっと〔ベンチからのアドバイスが〕欲しい

 ピッチ上の選手だけで対応するのにも限界がある。劣勢の展開の中でもっとベンチからの明確な指示があっても良かったのではないか。〔以下略〕

西山紘平/ゲキサカ「苦悩を吐露した守田英正の悲痛な叫び〈考えすぎてパンク〉〈もっといろいろ提示してほしい〉」(2024/2/4)https://web.gekisaka.jp/news/japan/detail/?400971-400971-fl
 一方、これについては、次のような解釈も存在する。
 守田〔英正〕は今回の発言の際、非常に言葉を選びながら絞り出すように思いを口にしていたが、森保一監督を始めベンチ側から「もっと提示して欲しい」というのはこれまでもよく話題に上がっていたこと。〔略〕

 ただ一方で、そういった状況を分かった上で指揮官が〈動かない〉ことを選択している節もある。〔略〕目の前の勝利とともに日本サッカーの発展を考えるが故に、何もしないことで選手たちがどう反応し、どういった解決を図るかを見守っているところがある。そこは森保監督の〈ズルさ〉と表現していい。

林遼平/GOAL「なぜ優勝にたどりつけなかったのか.アジア杯を戦う日本代表にあった2つの〈問題〉」(2024年2月08日)https://www.goal.com/jp/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B9/japan-asian-cup-review-20240208/blt495228c8f255efbc
 それにしても、2024年の今でもこういう奇妙な論理が出てくるのか? ……と(当ブログは)驚く。

 まず、アジアカップの準々決勝はあえて「〈動かない〉ことを選択」して勝たなくてももいいという試合ではなく、何が何でも勝ちにいかなければならない試合である。

 何より、森保一監督はあえて「〈動かない〉ことを選択」した、「ズルさ」の現れなのではなく、試合中、単純にフリーズしてしまい、適切な手が打てなかったのではないか……という批判的な指摘の方が多数派である。

日本のスポーツ界と「ボトムアップ型」の日本代表
 森保一監督はチームに戦術の仕込みをせず、試合中、選手たちに具体的な指示を送ることも少ない。これを「ボトムアップ型」の監督と呼ばれるが、別の(悪い)言い方をすると「戦術やプレーを選手たちに丸投げ」する監督ということである。

 木村浩嗣氏(元フットボリスタ誌編集長)が、小澤一郎氏(サッカージャーナリスト)が主宰するYouTube番組の中で「ボトムアップ型の監督やチームなんてスペインサッカーじゃ有り得ない!!」と語っていたが、なぜ日本にそのような類型が存在するのか?


[冒頭10分公開]スペインから見た日本代表の弱点と敗因。「監督で負けた」「ボトムアップなんてありえない」

 日本のスポーツ界、日本のスポーツ論壇には、「〈日本人〉のスポーツ選手は細かい戦術指導や指示をすると思考の柔軟性を失い、その枠をはみ出てプレーをすることが出来なくなる」という「迷信」がある。特にサッカーやラグビーなどはそう言われる。

 だから、それを乗り越えるため……と称して、日本のスポーツ界は「ボトムアップ型」の日本代表が時として登場してきた。すなわち、1997年~2000年のラグビー日本代表「平尾ジャパン」、2002年~2006年のサッカー日本代表「ジーコ・ジャパン」がそうである。

 平尾ジャパンの平尾誠二監督(故人)は、次のように述べている。
 「多様な局面に対し、多様に瞬時に対応できるのが、現代のいいプレーヤーの条件です。しかし、これは日本人が一番弱い部分。そもそも、そういう教育がされていない」「(ラグビーのゲームは)常に状況が変わり、選手がどうカオス(混とん)に対応するかが問題になる」

『日本経済新聞』1999年11月20日付
 今でこそ、森保ジャパンを鋭く批判している西部謙司氏(サッカー記者)であるが、かつてはこの論理でジーコ・ジャパン(セレクター型監督と称していた)の熱烈な支持者であった。森保一監督は「セレクター型」の監督なのだろうか?

アエラ2004年6月7日号より
ジーコ・ジャパンの風刺画:アエラ2004年6月7日号から

 前掲の林遼平氏(GOAL.COM)の言い分は、実はこの論理をなぞったものである。

「日本人」と「自己決定力」
 そもそも、森保一監督の「雇い主」であるところの田嶋幸三JFA会長(2024年3月で退任予定)自身が、そういう「迷信」を信じているのではないか? ……との見方がある。田嶋幸三会長の著作、2007年に出た『「言語技術」が日本のサッカーを変える』の冒頭にはこうある。<1>
 2007年1月、大坂で「第5回フットボールカンファレンス」が開催されました。

 メインテーマは、06年にドイツで開催されたワールドカップの分析と報告です。このカンファレンスで私〔田嶋幸三〕は「日本代表報告」を担当することになっていました。

 私が壇上に立つ直前、ハッとするような話が耳に飛び込んできたのです。

 ワールドカップの準決勝・イタリア対ドイツ――この大会で何試合かアシスタントレフェリーを務めていた廣嶋禎数〔ひろしま・よしかず〕さんが、こんな話を始めました。

 「イタリアの選手が退場させられて選手が1人減ってしまったその時、イタリアの選手たちは、誰1人として、ベンチを見なかった」

 イタリア・チーム〔2006年ドイツW杯で優勝〕は、状況からして非常に不利な局面を迎えていた。にもかかわらず、選手たちはベンチに指示を仰がなかった。その場で話し合いをはじめ、10人でどのように試合を進めていくのかを即座に決め、お互いに指示を出し合い、発生した問題を解決していった――というのです。

 ピッチ上の選手が、「ベンチを見ない」。

 そのことは、いったい何を示しているのでしょうか? サッカーにとって、どれくらい重要な意味があるのでしょうか?

 イタリアのメンバーたちは、選手が1人欠けてしまった場面に遭遇しても、自分たちで判断し難問を解決する力を持っていました。そうした能力をしっかり養ってきたからこそ、彼らはベンチに対して「指示を求めなかった」のです。

 つまり、「ベンチを見ない」ということは、ピッチ上で発生した出来事をどう処理していくのか、そのために分析力と判断力を発揮して、決定する「力」を持っていたことの「証」〔あかし〕でした。

 究極の状況下で、自ら考えて判断を下す「自己決定力」。その力を備えていない限り、世界で通用するサッカー選手になることはできない、という事実を明確に示している――そうした出来事だと、私〔田嶋幸三〕には思えたのでした。

 でははたして、日本の選手たちはどうでしょう?

 日本のサッカーは、どれくらい「自己決定力」の大切さを意識してきたでしょうか? そうした能力を養っていくための訓練をしてきたでしょうか? 学校や家庭で、そうした能力を育む努力や工夫を、重ねてきたでしょうか? 「自己決定力」を支える、論理や表現力を学ぶシステムは、確立されているでしょうか? それともそうしたことの大切さすら、まだ自覚されていないのでしょうか?

田嶋幸三「ベンチを見ないイタリア・チーム」@『「言語技術」が日本のサッカーを変える』7頁~9頁


 平尾誠二監督と田嶋幸三会長の「日本人観」は、非常によく似ている。そして、ジーコ・ジャパン(や平尾ジャパン)の擁護論として、多用された言い回しでもあった。

 ジーコ・ジャパンは(平尾ジャパンも)、肝心なワールドカップ本大会では惨敗した。しかし、それは田嶋幸三会長が述べるところの「日本人の〈自己決定力〉の欠如」の問題であって、ジーコ・ジャパンの監督であるジーコ氏の責任ではない……ということで片付けられてしまった。

 この度の守田英正選手のコメントは、彼がサッカー選手としてレベルが低いということの「証」なのだろうか? ……それは違う。

「迷信」に斬り込んだスポーツライター
 藤島大氏(スポーツライター)は、あるいは大西鐵之祐氏(ラグビー日本代表監督ほか)の薫陶を受けたためもあるのかもしれない。「ボトムアップ型」日本代表を生み出す、日本スポーツ界の「迷信」を批判してきた。
 なぜかスポーツとなると「型」〔≒指示、戦術〕と「個性」〔≒自己決定力〕の対極へと位置づけるナイーブな論調が跋扈〔ばっこ〕する。しかし、マイク・タイソン〔元プロボクシング世界ヘビー級チャンピオン〕は厳しいパターンに従って戦ったプロデビュー直後こそ、もっともタイソンらしかった。〔略〕

 つまりスポーツに型はあるものなのだ。そして型を実行する過程においても「その人らしさ」は必ず反映されるし、「ここに拠点ができたら必ず右に攻めろ」とパターン化しても、パスをするのか蹴るのか当たるのかは「個人の判断」がしばしば決定する。

藤島大「〈史上最強〉の虚実」@『ラグビーの世紀』104頁


ラグビーの世紀
藤島 大
洋泉社
2000-02-01


 型、パターン、戦術を明快に打ち立てると、個人の判断や力強さが身につかない。とらわれがちな呪縛〔じゅばく〕ではある。少年期なら自由な判断と一般的な基本技術がとことん尊重されるべきだ。しかし〔日本〕代表の具体的なチーム作りにあっては、それでは時間が足りなくなる。それに、一級の指導者は選手の個性を観察した後にふさわしい型を構築するものなのだ。

藤島大「〈史上最強〉の虚実」@『ラグビーの世紀』106頁
 以上、平尾ジャパンを総括した記事である。実に溜飲が下がる。聞いているか!? 田嶋幸三会長! そして宮本恒靖次期JFA会長! ……と言いたくなる。

 藤島大氏は該当記事で、松尾雄治氏(元ラグビー日本代表)から「戦争に行ってさ、個人の判断でいけ、なんて嫌だよ。そんなの。あっちこっちに勝手に弾打ってさ。そんなんで、どうして死ねるんだよ」という、平尾ジャパンをやんわり批判した比喩的なコメントを引き出している。

 守田英正選手のコメント(あるいは三笘薫選手のコメント)は「そんなんで、どうして死ねるんだよ」という気持ちの表明でもあったのかもしれない。

 藤島大氏の筆鋒は、ジーコ・ジャパンの総括にも向けられている。
 ジーコが悪い。ジーコがしくじったから〔サッカー日本代表は2006年ドイツW杯で〕負けた。なぜか。チャンピオンシップのスポーツにおいて敗北の責任は、絶対にコーチ〔監督〕にあるからだ。〔略〕シュートの不得手なFW〔柳沢敦〕を選んで、緻密な戦法抜きの荒野に放り出して、シュートを外したと選んだコーチ〔監督〕が非難したらアンフェアだ。

藤島大「ジーコのせいだ」(2006年7月27日)https://www.suzukirugby.com/column/column984


柳沢敦:急に(Q)ボールが(B)来たので(K)
柳沢敦のQBK:急に(Q)ボールが(B)来たので(K)
 サッカージャーナリストの多くが「迷信」の前にジーコを批判できず、沈黙してしまったのに対し、まことに胸のすく啖呵である。

 あの対イラン戦。ロングボールをゴール前に放り込まれ続けられる「荒野」の中で、しかし、しかるべき守備の指示もなく、なすがままに敗れ去ってしまったのが森保ジャパンだった。

サッカーはアップデートしている
 もうひとつ。そもそも、イタリア代表の選手たちがW杯の準決勝でピンチに陥ってもベンチ(監督)の指示を仰がなかったという逸話は、今から17年半も昔の2006年のことである。

 しかし、2024年現在、サッカーというスポーツは(好むと好まざるとにかかわらず)アップデートしている。

 すなわち、GPSやAIなどを使った膨大なデータの集積と科学的な分析。ドローンを使ったフォーメーションの練習など高度に統制された戦術。そればかりか「個の力」に頼っていた最後の崩し方すら「組織的、戦術的」に練習する。

 試合中はピッチを俯瞰したスタッフがフォーメーションを絶えず観察、状況に応じてスタッフが無線で連絡しあい、それによって選手たちは柔軟にそれを変更する。……等々。

 もはや、ピッチ上の選手たちだけで出来るゲームではなくなっているのだ、サッカーは。

 選手だけでサッカーをしていると、それこそ「考えすぎて頭がパンクする」のである。

 三笘薫、堂安律、久保建英、遠藤航、冨安健洋、守田英正……等々(順不同)、日本代表選手の「個の力」も2006年当時から大幅に向上した。結局、森保ジャパンの活躍は選手たちの「個の力」に頼ったところが大きかったのではないか? ……とまで言われている。

 その「個の力」をチームの力にまとめきれないのは、やはりベンチ(監督)の責任ではないのか? ……と。

 田嶋幸三会長が『「言語技術」が日本のサッカーを変える』の中で称揚した逸話は、昔の日本プロ野球で二日酔いで猛打賞をとったスラッガーを讃える武勇伝と同じ類のアナクロニズムである。<2>

 森保ジャパンの予想外の不振と敗退に、ジーコ・ジャパンの(そして平尾ジャパンの)亡霊を見てしまった気がする。





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[文中敬称略]

 1970年代から1990年代にかけて、欧州を中心に世界サッカー界で猖獗(しょうけつ)を極めた「フーリガン」。

フーリガンの社会学 (文庫クセジュ)
ドミニック・ボダン
白水社
2005-11-25


 フーリガンに関しては、かつて近代以前の古いフットボール、暴力的な性格もはらんでいたマス・フットボール(群衆のフットボール)の伝統を継承した存在や現象として、いささかロマンチックにとらえる人がいた。
  • 参照:街全体が競技場、英国一クレイジーなフットボール大会(2009年2月26日)https://www.afpbb.com/articles/-/2575865
 例えば、有名な『オフサイドはなぜ反則か』(初版1985年)の著者であり、今なおカリスマ視されるスポーツ学者・教育学者である中村敏雄(1929年-2011年)がそうである。

 中村敏雄がフーリガンへの共感(?)を展開している著作は『メンバーチェンジの思想~ルールはなぜ変わるか』(初版1989年)の方である。

 実は、中村敏雄がこの著作の中で「メンバーチェンジ」というルールの思想や文化背景以上に、そして執拗に拘っていたのは、次のような話である。
 近代以前のスポーツ(例えばマス・フットボール)は競技者と観客の境界が曖昧であった。競技は屋外の〈自然〉な条件のもとで行われ、人々は出入り自由、すなわち競技への参加と離脱が自由であり、そこには両者が喜びや楽しみを共有する共同体の親近感・一体感があった。

 しかし、近代スポーツ(サッカーやラグビーなど)が成立されるに従い、競技は〈人工〉の競技場で行われるようになり、競技者と観客が明確に分断されるようになった。共同体は後退し、両者の間にあった親近感・一体感は希薄になってしまった。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』より要約
 中村敏雄のスポーツ評論は現代思想的な「近代文明批判」に通じる要素があり(例えば,近代スポーツで勝敗を争うこと,あるいは勝利を求めることを相対化するかのような発言をする)、それだけ論壇などのウケも良かったようなところがある。

 その上で、この評論文の最後の部分になって著者が1985年のフーリガンの絡んだ大惨事「ヘイゼルの悲劇」に言及した箇所が登場する。
 1985年5月、ベルギーのエーゼル〔ヘイゼル〕競技場で行われたサッカーのヨーロッパ・カップ〔UEFAチャンピオンズカップ〕の試合〔決勝〕で、〔イングランドのリヴァプールとイタリアのユヴェントスの〕応援団の対立から死者39名、負傷者425名を出すという惨事〔ヘイゼルの悲劇〕があった。

 ロンドン高裁はイギリス〔イングランド〕側の応援団の26名に対して執行猶予の判決を下したが、ベルギーの司法当局は彼らの出頭を命じ、ローマの検察局は殺人と傷害の罪で逮捕状を出している(朝日新聞,1986年4月17日)。

 この事件は「暴動」とも呼ばれているが、しかしそれはまた、観衆とプレーヤーの親近感・一体感の共有・共感を分断するという抑圧に対する、十分には「文明化」されていない観衆の反乱、またスポーツで進行している「人工性・人為性」に対する人間的「自然」の名状しがたい、あるいはそれとは自覚されていない報復と見ることもできなくはない。

 換言すれば、現代のコロシアムのなかでプレーする剣闘士たちに、人間への復帰を呼びかける行為であったかもしれないと見ることもできる。

中村敏雄「〈ライン〉の周辺」@『メンバーチェンジの思想』111~112頁
 えーーーーーーーーーーッ!? ……と、まず、一読してこのフーリガン理解には驚愕し、そして、しばし唖然とした(何だか今福龍太が書きそうな内容だなぁ~とも思ったが)。

 「……と見ることもできなくはない」とか、「……であったかもしれないと見ることもできる」とか、あくまで断定を避けた遠回しな表現ではある。

 ……だが、中村敏雄は、近代以前の古いフットボール(マス・フットボール)の競技者と観客の境界さの曖昧さ、観客の競技への参加の自由……を理由に、その歴史や伝統を引きずっているものとして、ある意味でフーリガンを称揚している。

 しかし、このフーリガンへのロマンチックな思い入れは、2024年時点の常識では、これは十分に「不謹慎」なものである。

 サッカーの本場であるヨーロッパは、中村敏雄のフーリガン観を受け入れないだろう。

 フーリガンの実態を、また「ヘイゼルの悲劇」の実態を知れば知るほど、それは「人間(人間性)への復帰」ではなく「人間(人間性)の否定」でしかないからだ。

 観客の競技への参加の自由……というけれども、フーリガンの中には暴れることそれ自体が目的であって、試合の観戦はどうでもいいという層すら存在する。

 こうした連中はサッカーファンではない。フーリガンはサッカー文化の一部(の継承)ではなく、サッカー文化から完全に逸脱してしまっているのである。

 『メンバーチェンジの思想』の初版は1989年である。まだ、Jリーグのスタート(1993年)以前のことであり、世界のサッカーに関する十分な情報が日本では行き渡らなかった。その分、中村敏雄のようなフーリガンへの奇妙でロマンチックな思い入れが存在しえた。

 しかし、さすがに現在では許されなくなっている。





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 細川周平著『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』(1989年初版)。絶賛的なレビューがあちらこちらで目立つが、当ブログは以前からこの本にどうしても納得いかない点があり、Amazonにかなり否定的なレビューを書いた。

 それはいちど採用され、しばらくの間、掲載されていた。その内容は、当ブログで公開した者とだいたい同じである。
  • 参照:そんなに名著か? あのサッカー本(2)細川周平『サッカー狂い』(2022年12月03日)https://gazinsai.blog.jp/archives/47935544.html
 ところが、それはいつの間にか、何の通知もなく削除されていた。

 そこで先日、表現を変えて少しマイルドにして(?)再投稿を試みた。以下は、その文章である。

 *・゜゚・*:.。..。.:*・゜

サッカー本の歴史的名著とまで言われる『サッカー狂い』のもうひとつの顔
 細川周平著『サッカー狂い』の初版は1989年(写真参照)。ドゥルーズ=ガタリをはじめとした晦渋なフランス現代思想を引用・援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った歴史的「名著」としてきわめて高い評価を得てきた。

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
細川周平著『サッカー狂い』初版表紙(1989年)

 これが『サッカー狂い』の【表の顔】である。しかし、この本には【裏の顔】がある。それは……。

 ……フランス現代思想のような思想に没入し、特定の対象(サッカーなど)に耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に憎むようになる。著者が考える「サッカーならざるもの」を徹底的に悪罵するのだ。

 例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(著者は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの誹謗である。

 また、著者が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化、あるいは「愚鈍なサッカー」として執拗に中傷し出したのも『サッカー狂い』からの風潮である。

 さらに、著者の憎しみの矛先は、Jリーグ以前のまだ「冬の時代」(1970年代初めから1990年代初めの約20年間)だった日本サッカーにも及ぶ。

 とにかく、折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。著者曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼくは日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」。

 まるで、そのように断定することが、自身のサッカー観の確かさやサッカーへの批評精神を誇示することであるかのように……である。

 これらはいずれも読むに堪えない。

 この本には、日本のサッカーファンの良くないところも表出しているのである。

 『サッカー狂い』を賛美するサッカーファンは、しかし「この本は知的に高尚で深遠であるはず」「自分は頭が悪いとは思われたくない」と自らを強迫しているので、こうした点に触れたがらない。

 その上で、この本を一面的に肯定してきた。

 実際には『サッカー狂い』という本には【表の顔】【裏の顔】があり、そこを心得て読まないと、真面目なサッカーファンや読者は面食らうだろう。

 *・゜゚・*:.。..。.:*・゜

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中条一雄さんを悼む
 中条一雄さん(朝日新聞)。賀川浩さん(サンケイスポーツ)、牛木素吉郎さん(読売新聞)らと並ぶ、サッカージャーナリスト第一世代の一人。その中条一雄さんが、2023年暮れ12月28日にひっそりとお亡くなりになっていたことを、つい最近知った。
  • 参照:尾崎和仁「中条一雄さんとの思い出」(2024年1月9日)https://blog.goo.ne.jp/sports-freak1960/e/fee8d4c721c3b3b825eaa55573dc735f
 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

エリック・バッティの逸話あるいは神話
 以下、文中敬称略。中条一雄の著作に『たかがスポーツ』(1984年)があるが、その中にこんな逸話が登場する。
私は非国民
 話は変わる。「ヤイヤイ、お前は非国民か」という投書をもらった。先ごろ〔1979年8月‐9月〕、東京で開かれた世界ユース・サッカー選手権〔現在のFIFA U-20ワールドカップ〕のとき、私〔中条一雄〕が新聞〔朝日新聞〕で日本チームを批判したのが気にさわったらしく、その読者はプンプン怒っている。「日本の若者は1年半青春を傾けて練習し、持てる力をせいいっぱい出し切ってがんばった。それなのに、お前、ケチをつけやがって、非国民め」。<1>

 非国民とは、これまたなつかしい。戦時中、意にそぐわぬ人物を抹殺するためにさかんに使った言葉、それをいま、若者らしいサッカー・ファンから聞こうとは……。

 日本チームは1敗2分けで、ベスト8にも入れなかった。私は率直に書いた。「日本チームが一段上のサッカーをやるためには、あまりにも欠陥が多すぎる。ウンヌン」。それがお気に召さなかったのか。一勝もできないのに、ほめろというのか。それではあまりにも夢が小さすぎやしないか。

 サッカーには偏執狂ともいうべきファンが多い。サッカーには、それだけ人を熱狂させる要素が多いということかもしれないが、熱狂することは反面視野を狭くするということでもある。〔中略〕

 1966年、イングランドがサッカーのワールドカップで初優勝し、ロンドン中が喜びに浮かれている時に、エリック・バッティという英人記者がこう書いた。「イングランドがこんな旧式の戦法を用いて地元優勝したことは、世界サッカー界にとっても、イングランドにとっても不幸なことだ」と。

 この勇気ある発言に対し、当然、英国中から非難と抗議が殺到した〔21世紀の現在で言えば「炎上」か?〕。だが数年後、彼の予言は早くも的中した。旧式サッカーから脱し切れないイングランドは'74年と'78年〔のワールドカップ〕には〔欧州〕地区予選すら突破できず、不振のドン底にあえぎ〈サッカーの母国〉という名称は今や語り草になりつつある。〔中略〕

 〔ワールドカップで〕優勝したイングランドを批判したバッティ記者、〔世界ユースで〕ベスト8にも入れない日本チームを批判した私。それなのに非国民といわれなくてはならないとは。バッティ〔≒サッカーの本場〕との差があり過ぎて泣けてくる。こんなに甘くて、やさしくて、早トチリするファンがいるようでは、日本のサッカーは永久に勝てぬと思うが、いかが。〔下線部,原文では傍点〕

中条一雄『たかがスポーツ』77~80頁


たかがスポーツ (朝日文庫 ち 3-1)
中条 一雄
朝日新聞出版
1984-07-01


 中条一雄は、折に触れてこの「エリック・バッティの逸話」を紹介していた。

 そして、この逸話は「サッカーの本場のジャーナリズムは自国のサッカーについてきわめて辛辣な(辛口な)批評をする」という俗説、すなわちセルジオ越後のようなサッカー評論を正当化する根拠とされてきた。
  • 参照:セルジオ越後 オフィシャルサイト https://www.sergio-echigo.com/
 「エリック・バッティの逸話」は、いわば「エリック・バッティの神話」でもあった。

 中条一雄自身も、賀川浩や牛木素吉郎らと比べて、先に引用文にあるように「辛口」な傾向があり、またセルジオ越後のことを非常に高く評価していた。

 セルジオ越後にお墨付きを与えたひとりが中条一雄だった……という言い方もできるのかもしれない。

セルジオ越後「辛口」サッカー評論の嘘
 ところが、セルジオ越後のサッカー評論なる代物は、単なる日本サッカーに対する誹謗中傷悪口雑言罵詈讒謗であり、とても読むに堪えない。そこからは「辛口」本来の「批評としての痛快さ」を全く感じ取ることができない。

セルジオ越後 辛口の真実
セルジオ越後
ぱる出版
2014-05-30


 セルジオ越後のような言動が許容されてきたのは、長らく「サッカー後進国」であり「冬の時代」にあった日本サッカー、その関係者の屈託の心理に付け込んできたからである。<2>

 しかし、今やインターネット・SNS全盛の時代である。嘘がだんだんバレてくる。

 吹聴していたブラジル時代のプロ選手としての華々しいセルジオ越後の経歴が実は詐称らしいとか、旧日本リーグ時代の実績も大して芳しくないとか……といった情報が、インターネット・SNSを通じて発せられるようになった。

 サッカーの本場のサッカー評論も、いつも「辛口」なのではなく、是々非々で評価している。そこで求められているものは、テレビの激辛王選手権に出てくるような「辛口」なのではなく、程よくスパイスが効いた「批評としての痛快さ」なのである……という情報も、インターネット・SNSを通じて発せられるようになった。

 これらの情報は、日本のサッカーを睥睨(へいげい)していたセルジオ越後の「権威」を失墜させる。セルジオ越後には「批評としての痛快さ」がない、ただ不快なだけだ。……という声がサッカーファンからようやく出るようになった。

 「サッカー後進国」であり「冬の時代」にあった日本サッカーという「鳥なき島」に飛来したブラジル蝙蝠(こうもり)、それがセルジオ越後だったのである。

 だが、蝙蝠はあくまで蝙蝠である。鳥ではない。ましてや「カナリア」ではないことが分かってきたのである。

エリック・バッティの「神話」は、実はいつもの繰り言?
 そこで今度は「エリック・バッティの神話」の方である。

 サッカージャーナリストの後藤健生は、自身が中高生だった頃、英和辞典を頼りに英国のサッカー誌『ワールドサッカー』を読み、英語を学びながら海外サッカーの情報を入手していたという思い出話をたびたび書いている(次のリンク先参照)。
  • 参照:後藤健生「バイエルンのサッカーは面白かったか? プレッシング・スタイルを凌ぐ新たな動きに期待」(2020年8月31日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20190310219022/
  • 参照:後藤健生「勝点の桎梏から開放された結果の〈5対4〉 ケイン,ヴァーディーの2ゴールはイングランド代表への朗報?」(2018年5月15日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20180515155523/
 この『ワールドサッカー』誌の名物記者がエリック・バッティだった。

 バッティが当時(1960年代後半)よく書いていたのが「昔のサッカーは面白かった。今はハードワークばかりで守備的で面白くない」だとか「最近のサッカーはフィジカル重視、守備重視で面白くない」だとかいった「辛口」評論だった。

 当時はジョージ・ベスト(マンチェスターユナイテッド所属、北アイルランド代表)の全盛期で、例えばFWのベストにボールが渡ると、彼はゆっくりと前を向いてドリブルに移り相手DFと勝負を始める。DFもベストが前を向くまではむやみに仕掛けない。

 ヨハン・クライフのアヤックスやオランダ代表のように、全員がボールハンティングに行くようなサッカーが一般的になるのはこれより後。アリゴ・サッキのACミランが、プレッシングを前面に押し立てたサッカーをするのはこれより20年数年後のことである。

 そんな時代だったのに、バッティは「昔のサッカーは攻撃的でよかった」と言っていたのである。

 この辺の話から類推すると、エリック・バッティがW杯で優勝したイングランド代表のことを「イングランドがこんな旧式の戦法を用いて地元優勝したことは、世界サッカー界にとっても、イングランドにとっても不幸なことだ」と酷評したという話も、実は彼が「いつもの繰り言」を書いただけに過ぎなかったのではないか?

 そして、中条一雄は、エリック・バッティの逸話を「サッカーの本場のジャーナリズムは自国のサッカーについてきわめて辛辣な(辛口な)批評をする」という「神話」として誤読・曲解してしまったのではないか?

 その分、日本のサッカー文化を歪めてしまったのではないか?

 ……そんなことを考えてしまうのである。





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[文中敬称略]

漫画と日本スポーツ
 日本のスポーツ文化の面白いところは、サブカルチャーでありフィクションであるところの漫画のヒット作品が、虚実の境を越えて現実のスポーツの在り様に影響を与えたところにある。

 すなわち、高橋陽一のサッカー漫画『キャプテン翼』であり、井上雄彦のバスケットボール漫画『SLUM DUNK』である。

 サッカーもバスケットボールも、元来、日本では人気が無く国際的な実力も弱小だっが、『キャプテン翼』や『SLUM DUNK』といった漫画のヒットの影響で大きく変わった。

 プロリーグ(Jリーグ,Bリーグ)が出来て人気スポーツになり、日本人選手は海外の一流リーグでプレーするようになり、日本代表の実力も大いに向上したのである。

高橋陽一,そして細川周平
 その高橋陽一『キャプテン翼』の連載が、原作者の体力の衰えなどを理由に終了するというニュースが入ってきた。
  • 参照:朝日新聞「『キャプテン翼』漫画連載終了へ~物語はネームなどで制作継続」(2024年1月5日)https://www.asahi.com/articles/ASRDX3STCRDWUCVL03L.html
 今後はネーム(絵コンテのような下書き)のような形で物語の制作を続けていくという。

 高橋陽一の名前を聞くと、なぜか個人的に思いだすのは、『サッカー狂い』(1989年初版)の著者・細川周平(音楽学者,フランス現代思想家,日系ブラジル史研究ほか)のことである。なぜなら……。


  • 参照:細川周平(国際日本文化研究センター=日文研=名誉教授)https://www.nichibun.ac.jp/ja/research/staff/s006/
 『サッカー狂い』は、ドゥルーズ=ガタリをはじめとした晦渋なフランス現代思想を引用・援用しつつ、「サッカーそのもの」の美やサッカーへの愛を語った「名著」として過剰なまでに高く評価されてきた。

 だから、今でもカリスマ本扱いされている。これが『サッカー狂い』の「表の顔」である。

 ……話を戻して、なぜなら、『サッカー狂い』では『キャプテン翼』のことを、凡百なサッカー漫画と並べて「熱血漫画,スポ根,紋切り型」として一面的に否定していたからである。

『サッカー狂い』の「裏の顔」と深層
 しかし、はたして、そもそも『キャプテン翼』は熱血漫画やスポ根として受容され、評価されてきたのか? 否、である。

 むしろ『キャプテン翼』は、同じスポーツ漫画でも、努力や根性、重圧、暑苦しさ……といった要素から離れたところで読者を獲得し、評価されてきたはずなのだ。

 細川周平のサッカー漫画観は、単なる好き嫌いの問題ではない。これから説明するのは『サッカー狂い』の「裏の顔」である。

 フランス現代思想のような観念に没入し、特定の対象(サッカーなど)を耽溺するようになると、その対象の外にあるものは強迫的に嫌悪するようになる。

 『サッカー狂い』も同様。例えば、野球、ラグビー、アメリカンフットボール(細川周平は蔑称のように「アメラグ」=アメリカンラグビーの略=と呼ぶ)といった他の球技スポーツへの悪罵である。

 あるいは、細川周平が考える「サッカーならざるもの」への憎しみは、同じサッカーの中にも及ぶ。ドイツのサッカーを勝利至上主義の権化「愚鈍なサッカー」として執拗に嫌悪し出したのも『サッカー狂い』である(今福龍太も同様である)。

細川周平『サッカー狂い』初版表紙(1989)
細川周平『サッカー狂い』初版(1989年)表紙

 さらに、細川周平の嫌悪の矛先は、まだ「冬の時代」(1970年代初め~1990年代初めの約20年間)だった日本サッカーにも及ぶ。

 とにかく折に触れては日本のサッカーを執拗なまでに貶し、卑下する。曰く「サッカーを愛すれば愛するほど,ぼく〔細川周平〕は日本から遠ざかっていく気がする.サッカーはもしかすると反日本的な競技なのかもしれない」……などとスマして語る。

 これにはウンザリさせられる。こういう話を『サッカー狂い』を称揚するサッカーファンはしたがらないが、細川周平は「日本サッカー冬の時代」にあって、日本のサッカーに絶望して「自虐的日本サッカー観」に取り憑(つ)かれていたのだ。

 この人が『キャプテン翼』を酷評したのは、こうした自身の日本サッカーへの嫌悪あるいは「自虐的日本サッカー観」の発露なのである。

サッカーへの沈黙の意味と理由は?
 細川周平は、1990年代初めまではサッカーに関する発言をしていた。例えば、次のリンク先では、1990年イタリアW杯でベスト8まで躍進し、大いに話題になったアフリカのカメルーン代表のサッカーを賛美している。
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue September 1990 ITALIA'90 QUESTO E IL CALCIO! イタリア・ワールドカップの21人(1990年9月11日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/398
 自由奔放なイメージのアフリカのサッカーを讃える辺り、いかにも細川周平らしい(ここでもドイツのサッカーを貶していたが)。

 しかし、その後はサッカーへの言及をほとんどしなくなった。その理由は?

 1998年、『季刊サッカー批評』創刊号で、田村修一(ひっとしたらこの人もフランス現代思想家になっていたのかもしれない)が『サッカー狂い』の絶賛書評を書いた。その中で細川周平が長らくサッカーに関して沈黙していることを、さも意味ありげに書いている。

 ……話を戻して、その理由、何のことは無い。細川周平が『サッカー狂い』であれだけ強迫的に否定した、隆盛することはあり得ないと断じていた日本のサッカーが、本の刊行から3年後にして勃興したからである。

 すなわち、1992年のサッカー日本代表(オフト・ジャパン)のアジアカップ初制覇、1993年のJリーグの開始、1997年のジョホールバルの歓喜、1998年のW杯本大会(フランス大会)初出場……と続く。昨今の森保ジャパンの活躍に関しては言うまでもない。

 細川周平はバツが悪くなったのである。

 2023年、高橋陽一は、日本サッカーの興隆に大いに貢献したとして、日本サッカー殿堂への掲額が決まった。

 実際に日本(や世界)のサッカーに大きな影響を与えたのは、『キャプテン翼』の方だった。正しかったのは細川周平ではなく高橋陽一の方だった。

 細川周平は、ここ30年余りの日本サッカーの成長を素直に認めて何かコメントするべきだ。個人的にそれを知りたい。





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