スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > ラグビー

▼前回のおさらい「昔のラグビー~選手はプロはNGでアマチュアでなければならなかった」(2023年10月01日)https://gazinsai.blog.jp/archives/50167186.html

 アマチュアリズムを墨守していたラグビー(ラグビーユニオン)では、そのため試合中も選手たちに振る舞いは抑制的でなければならないという不文律があった。

 だから、ラグビー選手たちは試合中にトライやゴールをしても喜びの表現、つまりサッカーで言う「ゴールセレブレーション」に相当する行為をしてはいけなかった。トライやゴールをしても表情ひとつ変えずに自陣に戻り、次のキックオフに備えていた。

サッカーのゴールセレブレーション
【サッカーのゴールセレブレーション】

 むしろ、そのことを「美学」にしていた。ラグビー評論家・中尾亘孝はそのデビュー作『おいしいラグビーのいただきかた』(1989年)の中で、抑制的な振る舞い「トライの美学」について、内外のラガーマンの言葉を紹介している。<1>
  • トライして喜びをかみしめる抑えた姿が〔ラグビーの〕いいところなんだ。(金野滋)
  • トライっていうのは、ノーサイドの笛を聞いて、ドレッシング・ルームに戻ってから、ジワジワとこみ上げてくるものなんだ。(G・デイヴィス/『BRUTUS』1982年12月1日号)

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』(1989年)19頁


おいしいラグビーのいただきかた―時代はもうスポーツ・グルメ
ラグビー・ウォッチング・クラブ
徳間書店
1989-10T


 こうしたラグビー(ラグビーユニオン)の習慣は、サッカーの習慣とは対照的である。ラグビー関係者の中には、その「美学」を盾にサッカーのやり方を否定する人が出てくる。

 ラグビーファンで有名だった、また草ラグビーのプレーヤーでもあった小説家の野坂昭如(故人)が大のサッカー嫌いだった。
  • 参照:相川藍「『作家・文学者のみたワールドカップ』野坂昭如・高橋源一郎・星野智幸・野崎歓・関川夏央・藤野千夜ほか/文學界2002年8月号」(2002.07.09)https://www.lyricnet.jp/kurushiihodosuki/2002/07/09/983/
 ゴールした後、派手なガッツポーズで抱き合い喜ぶサッカー(ゴールセレブレーション)は醜くて、トライの後、表情ひとつ変えずに黙って自陣に引き上げるラグビーこそ美しい……と、野坂昭如は言うのである。

 もっとも、英国人の立ち振る舞いは、イタリアや南米等と比べてもともと抑制的なもので、英国のサッカー界でも感情を抑制することを良しとし、ゴールセレブレーションの類には否定的であった。

 しかし、イタリアなどラテン系の国々の選手がゴールセレブレーションをすることに影響されて、英国でもゴールセレブレーションは受け入れられ、当たり前のことになっている。それが自然なことだからだ……。

 ……と、デズモンド・モリスの『サッカー人間学』(1983年,原題:The Soccer Tribe)には書かれている。<2>

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02T


The Soccer Tribe
Morris, Desmond
Rizzoli Universe Promotional Books
2019-03-26


 ラグビーでは、ラテン系諸国の習慣が英国圏ラグビー国に影響を与えることはなかった。

 1991年の第2回ラグビーワールドカップ(英国,アイルランド,フランスで共同開催)に出場したアルゼンチン代表「ロス・プーマス」(Los Pumas)の選手たちは、トライした後、ゴールセレブレーション(トライセレブレーション?)をしていた。

 この時は、まだ国際ラグビーフットボール評議会(IRFB,現在のワールドラグビー)のアマチュア規定が生きていた当時でもあるし、ロス・プーマスの選手たちの振る舞いは少し意外なことに思えた。この辺はラテンアメリカらしい、あるいはサッカー強国らしい行為だなとも考えた。

 得点した喜びを表現しないことをもって良しとするラグビー界の「美学」も、1995年にIRFBのアマチュア規定を撤廃するとしだいに変わっていき、素直に喜びを表現するようになっていった。

 その文化変容を野坂昭如はどう思ったか? 伝わっていないようである。

つづき
▼「昔のラグビー~監督は試合中,選手たちに指示を出してはいけなかった」(2023年10月03日)https://gazinsai.blog.jp/archives/50189280.html




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

 サッカーもラグビーもフットボールは、19世紀、英国で学歴も財力も余裕がある階級が創り、始め、行ったので、選手は当然のように「アマチュア」……つまりそれを職業ではなく趣味としてプレーする人々だった。

 プレーすることはあくまで趣味であり、アマチュアは金銭その他の物質的報酬を受け取らない。その思想を「アマチュアリズム」という。

 しかし、フットボールが普及すると貧しい労働者階級の選手たちが台頭、すると仕事を休んで試合に出場する場合が増えてくる。彼らの休業保証はどうするのか?

 サッカーのザ・フットボール・アソシエーション(The FA,イングランド・サッカー協会)は選手の休業補償を認めた。やがてプロ化も容認するようになり、現在のプレミアリーグの前身「ザ・フットボール・リーグ」が1888年にスタートする。

 プロもアマチュアも包括するスポーツ……サッカーが惑星規模の世界的な人気スポーツになった理由のひとつがこれである。<1>

 反対にラグビー・フットボール・ユニオン(RFU,イングランド・ラグビーフットボール協会)は休業補償を認めなかった。

 支払いを認めるべきだいう立場は袂(たもと)を分かち、同じラグビーでもルールを変更してラグビーリーグ(Rugby League,13人制)となり、プロ化も容認し、独自の道を歩むようになる。

 休業補償の支払いを認めなかった立場はラグビーユニオン(Rugby Union,15人制)として残った。そして、頑なに(頑迷に?)アマチュアリズムの「美風」を墨守するようになっていった。
  • 参照:笹川スポーツ財団「ラグビーリーグ(13人制)~シンプルながら,激しいぶつかり合いも見られる格闘系球技」https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/dictionary/rugbyleague.html
  • 参照:中村亮一「2つのラグビー~ラグビーユニオン(15人制)とラグビーリーグ(13人制)ニッセイ基礎研究所」(2019年11月15日)https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=63008?site=nli
 ラグビーユニオンの国際統括団体=国際ラグビーフットボール評議会(IRFB,現在のワールドラグビー)には、かつて、次のようなアマチュア規定の条文があり、世界のラグビーユニオンをさまざまに拘束してきた。
 (ラグビーの)ゲームはアマチュアのゲームであり、何人もこれに参加することで金残やその他の物質的報酬を得ようと努めたり、受け取ってはならない。

規則2-1 アマチュア基準
 しかし……というべきか、だから……というべきか、ラグビーユニオンの選手たちの中にも、生活上の不安などからラグビーリーグのプロへ転向する例も相次いだ。

 ひるがえって、日本のラグビー(ラグビーユニオン)は「企業アマチュア」(企業の社員として在籍し,その企業が全面的に援助・育成している企業内の部活動のスポーツ選手)という世界的には珍しい在り方で歴史を歩んできた。

 海外のラグビー国のように、生活上の不安からアマチュア(ラグビーユニオン)からプロ(ラグビーリーグ)への転向という事態は起こらなかった。

 だから、日本でラグビーといえば、もっぱらラグビーユニオンのことで、ラグビーリーグはごく稀にしか行われていない。

 そのため、日本ラグビーフットボール協会(JRFU,ラグビーユニオンの統括団体)は選手たちにはアマチュア規定の厳格な運用を一貫して課してきた。

 海外のラグビーユニオンでは、実はアマチュア規定の適用は意外と柔軟で、アマチュア資格喪失の対象となるプロスポーツは、あくまでラグビーリーグだけである。

 クリケットやアメリカンフットボールなど、その他のスポーツのプロだったアスリートでも、ラグビーユニオンの選手として試合に出場することは構わなかったらしい。

 対して日本のラグビー(ラグビーユニオン)では、あらゆるプロスポーツに参加した選手はアマチュア資格、すなわちラグビー選手としての資格を喪失していた。

 ラグビー日本代表からプロレスに転向した草津正武(グレート草津)原進(阿修羅原)のアマチュア資格喪失を、日本のラグビー関係者は当然のように受け取っていた。
  • 参照:グレート草津=草津正武(ミック博士の昭和プロレス研究室)http://www.showapuroresu.com/bio_j/ka/great_kusatsu.htm
  • 参照:阿修羅原=原進(ミック博士の昭和プロレス研究室)http://www.showapuroresu.com/bio_j/a/ashura_hara.htm
 上田昭夫(慶應義塾大学―トヨタ自動車工業)のように、マスコミのフジテレビに転職し、ニュースキャスターを務めた(つまり「プロ」のような目立つ職業に就いた)というだけで、アマチュア資格を疑われ、JRFUから一時「破門」されていたラガーマンの例すらある。

 こうしたラグビーユニオンのアマチュアリズムは、さすがに時代に合わなくなって、1995年南アフリカW杯の直後にIRFBがアマチュア規定を撤廃するまで続いた。

つづき
▼「昔のラグビー~選手たちはトライやゴールをしても喜んではいけなかった」(2023年10月02日)https://gazinsai.blog.jp/archives/50181297.html




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

[文中敬称略]

ラグビー芸人スリムクラブ真栄田,サッカーをヘイトして炎上
 「ラグビーワールドカップ2023 フランス」がたけなわだが、高校時代ラグビー選手だったお笑い芸人スリムクラブの真栄田賢が、またまたラグビーを褒め上げるためにサッカーをヘイトした……とSNSが炎上している。

スリムクラブ真栄田「ラグビーファンは渋谷の交差点で騒がない」(3)
【スリムクラブ真栄田「ラグビーファンは渋谷の交差点で騒がない」】

 同じ高校時代ラグビー選手だったお笑い芸人でも、サンドウィッチマンの2人(伊達みきお,富澤たけし)はこんなことを言わないから、人にもよる。

 しかし、一般論としてラグビーファン、ラグビー関係者の中には、むやみやたらとサッカーをヘイトしたがる人が悪目立ちするのも、また事実である。

ラグビーフットボールの何が特別なのか?
 サッカーこそ地球規模で人々が熱狂する世界のスポーツだ!

 アメリカンフットボールこそ最も進化した究極のスポーツだ!

 クリケットこそ公平と自治の精神を養う人格陶冶のスポーツだ!

 ベースボールこそアメリカの精神が根底に流れる民主主義的なスポーツだ!
  • 参照:鈴木透「野球から見えるアメリカ〈NHK 視点・論点〉」(2018年05月09日)https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/297204.html
 大相撲こそ神代の昔から伝統がある「神事」であって、そんじょそこらのスポーツ・格闘技とはワケが違う!

 ……等々、各々の競技のファンや関係者は、自身が信奉するスポーツを特別に価値があるものだと思いがちである。

 これらはそれぞれに厄介だが、最も厄介なのはラグビーフットボールかもしれない。

 敵・味方、勝った側(side)も負けた側(side)も無く、対戦相手の垣根を越えて、互いの健闘を称え会う「ノーサイド」(no side)の文化。

 献身的な「ワン・フォー・オール,オール・フォー・ワン」の精神。

 審判の判定を絶対として潔く受け入れる「紳士のスポーツ」

 トライやゴールをしても「ガッツポーズをしない」控えめな振る舞い。

 プロ化や商業主義を拒んだ清廉な「アマチュアリズム」

 試合中、監督は観客席から見守るだけで選手たちに指示はできず、その判断は選手たちが自主性をもって行い、最終意思決定はキャプテンが行う「キャプテンシー」

 早稲田大学、慶應義塾大学、明治大学、同志社大学といった、競技の実力においても強豪であり、新興校の安易な追随を許さない「伝統校」

 英国のオックスフォード大学vsケンブリッジ大学の定期戦に範をとった、毎年同じ日程で開催される、早慶戦、早明戦といった「伝統の一戦」

 選手権、なかんずく世界選手権(W杯)の開催を避け、誰がいちばん強いか? ……よりも、どちらが強いか? ……という価値観にこだわった「対抗戦思想」

 接近・展開・連続の理念で知られ、海外の強豪との試合で日本のチームが肉迫してみせた、日本独自のプレースタイル「大西鐡之祐理論」

 ……等々、ラグビーフットボールというスポーツには、以上のような仰々しい修飾がついてまわった。

ラグビーファン,ラグビー関係者によるサッカーヘイト慨史
 こうしたラグビー観は、1970年代に始まり、1980年代に隆盛を極め、1990年代前半まで続いた、本邦スポーツ界の「ラグビーブーム」の時代にもっぱら喧伝された。

 当時はJリーグ(1993年より)以前だから、日本のサッカーは長い長い低迷期にあった。「ラグビーブーム」の時代と同時期、同じフットボールでもに日本ではサッカーよりラグビーの方が人気があった。

 日本のラグビーファン、ラグビー関係者のこじらせたラグビーへの愛情、こじらせたラグビーへの自尊心は、低迷していた一方のラグビーならざるフットボール=サッカーへのヘイトという形で表出する。

 高貴なラグビー、ひるがえって下賤なサッカー。

 例えば、ラグビーファンで有名だった、また草ラグビーのプレーヤーでもあった小説家の野坂昭如(故人)が大のサッカー嫌いだった。
  • 参照:相川藍「『作家・文学者のみたワールドカップ』野坂昭如・高橋源一郎・星野智幸・野崎歓・関川夏央・藤野千夜ほか/文學界2002年8月号」(2002.07.09)https://www.lyricnet.jp/kurushiihodosuki/2002/07/09/983/
 サッカーは手を使えない、おかしい……と、野坂昭如は言うのである(しかし,それならばラグビーはボールを前に投げられない,おかしい……となる.野坂昭如の言い分はつまらないイチャモンである)。

 ゴールした後、派手なガッツポーズで抱き合い喜ぶサッカー(ゴールセレブレーション)はよろしくなくて、トライの後、表情ひとつ変えずに黙って自陣に引き上げるラグビーこそ正しい……と、野坂昭如は言うのである(あくまで「ラグビーブーム」の時代の習慣)。

 また、釜本邦茂にサッカーをやらせておくのはもったいないから(ちなみに釜本邦茂も野坂昭如も早稲田大学出身)、ラグビーでプレースキッカーをやれ! ……などとも野坂昭如は放言していた。

 例えば、文藝春秋の総合スポーツ誌『スポーツグラフィック ナンバー』は、1980年代は完全にラグビー寄りの雑誌だった。
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue December 1983「THE RUGBY」(1983年12月16日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/582
 一方でサッカーをヘイトするようなことを平気で書いていた。

 当時の文春ナンバーは、1986年のサッカーワールドカップ・メキシコ大会をほとんど黙殺し、同時期、サッカーともスポーツとも関係ない「猫の写真集」(!?)を刊行して、心あるサッカーファンと読者の顰蹙を買った……という話は、以前、当ブログが書いた。
  • 参照:マラドーナ急逝と文春ナンバー1986年メキシコW杯黙殺事件(2020年12月30日)https://gazinsai.blog.jp/archives/42688152.html
  • 参照:Sports Graphic Number Special Issue July 1986「ネコと友達物語」(1986年7月15日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/630
 ところが、文春ナンバーは翌1987年に初めて開催されたラグビーワールドカップ(ニュージーランドとオーストラリアの共催)は、きわめて好意的に扱った(次のリンク先の目次に「観戦ガイドシリーズ(7)第1回ラグビーW杯」あり)。
  • 参照:Sports Graphic Number 171号「プロレス交響楽」(1987年5月6日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/471
 緊急増刊で1冊まるごとラグビーW杯を特集したりもした。前年のサッカーW杯の扱いの冷淡さと比べて何たる違いか!
  • 参照:Sports Graphic Number 緊急増刊 June 1987「ニュージーランド 初の世界王座に」(1987年6月29日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/844
 それはまあ、いいのだが、この時、主なライターだった大西郷(おおにし ごう)という共同通信のラグビー記者は「W杯なんか始めたら,ラグビーもサッカーのようにプロ化と商業主義に毒される」……などと「高貴なラグビー,ひるがえって下賤なサッカー」という図式に基づいたサッカーヘイトを再三再四にわたって書いていた。

 これを読んだ時は、とても嫌な気分になった。当時の文春ナンバーはサッカーに対するデリカシーを欠いていた。

 例えば、「ラグビーブーム」の時代が生んだ最も怪物的で悪質なサッカーヘイターは、ラグビー評論家ではなく「フルタイムのラグビーウォッチャー」を自称していた中尾亘孝である(今回は詳述しないが,この人物については次のリンク先を参照してください)。
  • 参照:絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥〈1〉(2019年09月10日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38505231.html
  • 参照:絶対に謝らない反サッカー主義者…あるいは日本ラグビー狂会=中尾亘孝の破廉恥〈2〉(2019年09月17日)https://gazinsai.blog.jp/archives/38567232.html
 これら一連の言動は、SNS全盛の現在では大炎上必至であろう。

 ラグビー芸人スリムクラブ真栄田賢がSNSでサッカーをヘイトした件は、こうした嫌な「歴史」と「伝統」の延長線上にある。

サッカーとラグビーの仲が悪いのは日本特有の現象?
 もちろん、ラブビーファン、ラグビー関係者のすべてがサッカーヘイターではない。

 公平を期すために書いておくと、音楽学者、フランス現代思想家にしてサッカーファンでもある細川周平は、著書『サッカー狂い~時間・球体・ゴール』(1989年初版)の中で、そのこじらせたサッカーへの愛情から、きわめて醜いラグビーヘイトを放っていた。<1>

 こうして見ると、サッカーとラグビーの仲が悪いことはほとんど宿命的なものにも思えてくる。

 否、サッカーとラグビーの仲が悪いのは日本特有の現象である。フットボールの本場、英国ではサッカーとラグビーの仲は悪くない……。

 ……と、日本ラグビー評論界の重鎮にして良心である小林深緑郎や、サッカーもラグビーも取材・執筆するスポーツライターの島田佳代子(夫がラグビー選手)は主張してきたのであった。

小林深緑郎
【小林深緑郎】

i LOVEラグビーワールド
島田 佳代子
東邦出版
2007-08T


 特に小林深緑郎は、これは1991年か1992年頃の『ラグビーマガジン』だったと記憶しているが、英国でラグビーと険悪だったスポーツは(サッカーではなく)、19世紀末に同じラグビーから分裂した「ラグビーリーグ」の方だったと言うのである。

 さて、ここで「ラグビーリーグ」とは何ぞや? ……という問題が出てくる。

「ラグビーユニオン」と「ラグビーリーグ」
 実は「ラグビーフットボール」は、世界的には、日本でふつうに「ラグビー」と呼ばれている15人制の「ラグビーユニオン」(Rugby Union)と、日本では稀にしかプレーされていない13人制の「ラグビーリーグ」(Rugby League)の2つの流派がある。
  • 参照:笹川スポーツ財団「ラグビーリーグ(13人制)~シンプルながら,激しいぶつかり合いも見られる格闘系球技」https://www.ssf.or.jp/ssf_eyes/dictionary/rugbyleague.html
  • 参照:中村亮一「2つのラグビー~ラグビーユニオン(15人制)とラグビーリーグ(13人制)ニッセイ基礎研究所」(2019年11月15日)https://www.nli-research.co.jp/report/detail/id=63008?site=nli
 ラグビーリーグは、キック以外はボールを持って前進する、ボールより前でプレーしない……といったラグビーフットボールの本質は踏襲しつつも、ラグビーユニオンのスクラム、モール、ラインアウトなどの密集的な肉弾接触のあるルールを事実上廃止し、バックスのオープンプレーに特化したようなルールのスポーツになっている。

 ラグビーユニオンとラグビーリーグが分裂したキッカケは、1895年、仕事を休んで試合に出場する選手に対する休業補償を支払うことを認めるか否かの問題である。支払いを認めるべきだいう立場がラグビーリーグとして袂(たもと)を分かち、認めなかった側がラグビーユニオンとして残った。

 その後、ラグビーリーグがプロ化を容認していったのに対し、ラグビーユニオンは頑なに(頑迷に?)アマチュアリズムの「美風」を墨守するようになっていった。しかし、アマチュアリズムを掲げるラグビーユニオンの選手たちの中にも、生活上の不安などからラグビーリーグへ転向する例が相次いだ。

 以上のような経緯から、ラグビーユニオンとラグビーリーグは長らく対立状態にあった。

 小林深緑郎が言及した、英国でラグビーと仲が悪かったのは(サッカーではなく)「ラグビーリーグ」というのはこういうことである。

 だが、ラグビーユニオンもラグビーワールドカップの開催などをキッカケに1995年以降にプロ化を認めたことから、両者の対立は緩和していき、今日に至っている。

ラグビーリーグ無き日本のフットボール文化とは?
 そもそも日本におけるラグビーは、慶應義塾大学、同志社大学、早稲田大学、明治大学(ラグビー部の創部順)……といった大学のスポーツとしてはじまった。学制は戦前の旧制だから、当時の大学生は本当のエリートである。

 また、社会人ラグビー=企業アマチュア(実業団スポーツ)という世界的には珍しいスポーツの在り方は、生活上の不安からアマチュア(ラグビーユニオン)からプロ(ラグビーリーグ)への転向という事態を起こさせなかった。

 したがって、日本でラグビーといえば、もっぱら「ラグビーユニオン」のことで、ラグビーリーグはごく稀にしか行われていない。

 その分、ラグビー(ラグビーユニオン)のアマチュアリズム(その他のラグビー的価値観)はいよいよ絶対視され、その気位の高さを醸成していった。

 だから、日本ではラグビーユニオンとラグビーリーグの対立は出来(しゅったい)しなかったが、その分、ラグビーユニオン側のヘイトの感情はプロ化や商業主義を認めるサッカーに向かっていった(都合がよいことに当時の日本ではサッカーは低迷していた)。

 ……というのが、当ブログの仮説である。

 とまれ、繰り返すが、ラブビーファン、ラグビー関係者のすべてがサッカーヘイターではない。また、後藤健生や武藤文雄のようにラグビーも熱心に応援するサッカー狂の人間もいる。
  • 参照:後藤健生「[日本代表考察]イングランドとフランス,日本だけが成し遂げている〈偉業〉~2種類のワールドカップで上位を狙う〈フットボールネーション〉日本」〈2〉(2022.07.12)https://soccerhihyo.futabanet.jp/articles/-/93770
 日本でふたつのフットボール、サッカーとラグビーとの間で軋轢(あつれき)があるということは、やはり遺憾である。

 フットボール専用スタジアムの建設など、日本のスポーツ環境にあっては両者が協力できるところは協力した方がいいのではないかと常々思う。

 サッカーとラグビーの仲が悪いのはあくまで日本特有の現象である。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

サッカーは「日の丸」「君が代」のイメージをポジティブにした!?
 まず紹介するのは、1995年(平成7)に刊行された後藤健生(サッカージャーナリスト)の著作『サッカーの世紀』の一節である。
第8章 FCバルセロナはナショナルチーム!?
 日本だって、ヨーロッパの基準からいえば独立運動が起こってもまったく不思議はないほどの独自性を持った沖縄もあり、北方民族〔アイヌ民族ほか〕もあり、決して単一民族単一国家ではないのだが、しかし、「日の丸」「君が代」を国旗、国歌として認めるかどうかは別として、日本人は日本という国に忠誠心あるいは帰属意識を持っていて、東北とか九州といった地域や地方に対する帰属意識、郷土意識が国家意識と置き換えられるようなことはまずないだろう。

 日本人にとっては、東北人、九州人という前に、まず日本人なのである。〔以下略〕

後藤健生『サッカーの世紀』(1995年)第8章より


サッカーの世紀 (文春文庫)
後藤 健生
文藝春秋
2000-07T


 この時点では、日本のナショナリズムのシンボルである国旗「日の丸」、国歌「君が代」について、以上のような慎重な記述が必要であった。<1>

 明治時代から「日の丸」「君が代」は国旗・国歌として使われてきたが、昭和戦前・戦中、1931年(昭和6)年から1945年(昭和20)までの、いわゆる「十五年戦争」という忌まわしい記憶がまだまだ生々しく、しかし、戦後になっても「日の丸」「君が代」は慣習的に国旗・国歌として使われ続けたことから、その適切さや正当性を疑う考え方があった。(これはたぶん2023年の現在でも一定数あるはずである)。

 日本で「国旗・国歌法」(国旗及び国歌に関する法律)が法制化されたのは、20世紀も末になった1999年(平成11)のことであった。

 1990年代前半から2020年代にかけては、それまで日本でマイナースポーツであったサッカーが人気スポーツとなった時代である(だいたい「平成」の年号と重なる)。このスポーツには「ナショナルチーム=日本代表チーム=が〈世界〉に挑む」という、従来の日本の人気スポーツであった野球や相撲にはない楽しみ方があった。

 ナショナルチーム同士の国際試合では、キックオフ前に両国国歌を演奏するセレモニーがある。日本代表チームのために演奏される国歌は「君が代」である。会場には国旗として「日の丸」が掲げられ、スタンドでは沢山のサポーターが日本代表を応援するために「日の丸」を振る。

 「平成」が年を重ねるごとに「十五年戦争」の記憶もうすらいでいった。同時に日本でサッカー人気が定着していった。そして、それまでネガティブな印象を持たれがちだった「日の丸」「君が代」が人々にポジティブに受けとめられるようになっていった。

 日本のサッカー文化は「日の丸」「君が代」を復権させ、カジュアルなイメージすらもたらすようになったという評価まである。

「君が代」を歌わないのは悪なのか?
 サッカー、ラグビー、野球、バスケットボール……と、各競技における日本代表チームの国際試合、その試合開始前の両国国歌演奏のセレモニーを概観してみた。

 どうやら、サッカー日本代表とラグビー日本代表は選手・スタッフ全員が「君が代」を歌わなければならない「縛り」(不文律?)があるらしい。

 バスケットボール日本代表では「君が代」を歌っていない選手もいた。野球日本代表(侍ジャパン)では「君が代」を歌わない選手が目立った。

 昨今「君が代」を歌わないことが「悪いこと」であるかのような風潮が一部にある。

 例えば、アンチ野球的な言動をとるサッカーファンたちは、侍ジャパンの選手たちが「君が代」を歌わない様子を差して、不真面目だ、日本代表チーム……ひいては「日本」という国へのロイヤリティ(loyalty,忠誠心)が無いといった批判をSNSに書いている。

NIPPON
椎名林檎
ユニバーサルミュージック
2014-06-11


 本稿は「必ずしもそうではない」ということを述べるのが目的である。

 なぜなら、1970年代から1980年代にかけて、各国のサッカー代表選手たちは国際試合の前に演奏される国歌を歌う習慣がなかったからだ。

ベッケンバウアーはドイツ国歌を歌っていない
 例えば、1974年W杯決勝「オランダvs西ドイツ」の試合前、主将フランツ・ベッケンバウアーをはじめ、ゼップ・マイヤー、ゲルト・ミュラー、パウル・ブライトナー……といった西ドイツ代表の歴々は、ドイツ国歌を歌っていない。


【Anthems of the Netherlands and Germany - 1974 WC Final】

ベッケンバウアー1974W杯決勝
【フランツ・ベッケンバウアー(1974年W杯決勝)】

ゼップ・マイヤー1974W杯決勝
【ゼップ・マイヤー(1974年W杯決勝)】

ゲルト・ミュラー1974W杯決勝
【ゲルト・ミュラー(1974年W杯決勝)】

ブライトナー1974W杯決勝
【パウル・ブライトナー(1974年W杯決勝)】

 オランダ代表の選手は、やや遠慮がちにオランダ国歌を歌っている選手とそうでない選手とがいる。主将のヨハン・クライフは、なぜか口をモゴモゴ動かしている。

 また、1986年のメキシコW杯の際に学研が出した『瞬間(とき)よ、止まれ!』という写真集(ムック)がある(マラドーナが表紙のこの写真集は本当に素晴らしい)。

学研ムック「瞬間(とき)よ、止まれ!」表紙
【学研『瞬間(とき)よ、止まれ!』表紙】

 この中にディフェンディング・チャンピオン(1982年スペインW杯優勝)として出場したイタリア代表(アッズーリ)のリポートが掲載されている。クリックして誌面上の写真の部分を拡大し、そのキャプションをとくと読まれたい。そこには「▲国歌を聴きながら手をつなぎ決意を表すイタリアチーム。」とある。

学研ムック「瞬間(とき)よ、止まれ!」74頁
【学研『瞬間(とき)よ、止まれ!』74頁より】

 サッカーの国際試合前のセレモニー、両国国歌演奏は「歌う」ものではなかったのだ。

 アッズーリのゴールキーパーを長らくつとめ、イタリア国歌「Inno di Mameli(マメーリの賛歌)」を高らかに歌っていたジャンルイジ・ブッフォンのイメージからすると、少し意外なことかもしれないが、イタリアは比較的最近まで、少なくとも1998年W杯の頃までは「国歌を歌わない」派が多かった。

国歌を歌わない・歌えない代表選手たち
 それが変わってきたのは、1980年代後半からである。

 1988年サッカー欧州選手権の1次リーグ「イタリアvs西ドイツ」の試合前のセレモニーを見ると、この時点で西ドイツ代表の選手はドイツ国歌を歌わなければいけない「縛り」があったらしい。一方、イタリア代表の選手はイタリア国歌を歌っていない選手が多い。


【Italy and Germany national anthem in Duesseldorf (Euro 1988)】

 これがさらに変化してきて、21世紀には選手たちが全員肩を組んで大声で国歌を歌うナショナルチームが多くなってきている。

 国歌を全員が歌わなければならないという「縛り」ができると、メスト・エジル(ドイツ代表)やクリスティアン・カランブー(フランス代表)のように、ナショナリズムへの複雑な心情や苦悩を内面に抱え、したがって自国の国歌を歌わない・歌えない選手が出てきてしまう。

 国歌を歌わない・歌えない選手は、不真面目だ、ナショナルチーム……ひいては国家へのロイヤリティ(loyalty,忠誠心)が無いといった批判をされる。

 特に、トルコ系ドイツ人でイスラム教徒であるドイツ代表メスト・エジルは、ドイツ国歌を歌わないことで大変な差別にもさらされた。

 似たような問題は、ラグビーフットボールでも起きている。

 周知のように、ラグビーでは英国領の北アイルランドとその南にあるアイルランド共和国が合同してひとつの「アイルランド」として国際試合(W杯を含む)に参加している。

 試合前に演奏される「国歌」も、ラグビー「アイルランド」代表チーム専用の歌「Ireland's call(アイルランズコール)」である。

 2019年ラグビーワールドカップ日本大会に「アイルランド」代表の主将として出場したローリー・ベストは、「国歌」である「Ireland's call(アイルランズコール)」を歌わなかった。


【ラグビーワールドカップ2019でアイルランドの国歌】

 ローリー・ベストが「Ireland's call(アイルランズコール)」を歌わない理由は諸説あるが、一節には彼が北アイルランド出身で「アイルランド」のナショナリズムに複雑な心情を持っているからだとも言われる。

在日コリアンが「君が代」を歌う???
 事程左様に「国家」と「国歌」そして「スポーツ」との関係は難しい。これは日本にも当てはまる。
モザイクの一方で国歌は一つ
 1998年W杯で優勝した〔サッカー〕フランス代表は、人種のモザイク、フランス社会融合の象徴とされ称えられた。が、同時に国歌を歌う、歌わないというレベルでは、決して融合はなされていない。フランスだけではなく、ドイツだってスペインだってそう。現代国家が民族の文化や多様性を認める一方で、国歌は一つなのだ。

 植民地支配や民族間紛争を経ず成立した国は、世界にほとんどない。つまり大半の国の代表チームで、この国歌を歌うか歌わないかというのは、問題になる可能性があるわけだ。

 みなさんも日本代表だったら、「君が代」だったらと想像してほしい。おそらく意見が分かれる一筋縄ではいかないテーマだとわかるはずだ。

木村浩嗣「サッカーと政治との微妙な関係.国歌を歌わない選手を許すべきか」(2017.02.24)https://www.footballista.jp/special/34847
 モザイク……多様性と融合の象徴と捉えられたのは、2019年W杯日本大会でベスト8に勝ち上がったラグビー日本代表も同様であった。ラグビーのナショナルチームでは、原則として国籍は問わない。そしてラグビー日本代表には、さまざまなルーツを持った選手たちが参加する。

 そんなラグビー日本代表にも「国歌」(君が代)とは微妙な立場にある選手が、2023ラグビーW杯の日本代表に選ばれた。在日コリアン3世で朝鮮学校出身の李承信(リ=スンシン)である。
桜のジャージに誇りを込めて~ラグビー日本代表・李承信
 ラグビーの熱狂が再びやってくる!秋に開催されるフランスW杯、日本の新たな司令塔として活躍が期待される在日コリアンの李承信。道なき道に挑む若武者の激闘の姿を追った。

 フランスW杯で日本の攻撃の要として期待される在日コリアン3世の李承信(22)。パス、ラン、キック、闘志あふれる攻撃的プレーが持ち味だ。朝鮮学校出身者として初の代表入りを果たした李、在日の仲間たちから大きな期待がかかる。

 だが代表のレギュラーの座をつかむには、リーグ戦の中で圧倒的な存在感を示さなければならない。激闘の中で待っていたものとは……。新たな歴史を切り開こうと奮闘する姿に密着。(語り:高橋克典)

NHK「スポーツ×ヒューマン」(初回放送日:2023年6月5日)https://www.nhk.jp/p/ts/KQ8893GKX6/episode/te/ZGJQR4N15L/
 先にラグビー日本代表は選手・スタッフの全員が「君が代」を歌うことになっているらしい……と書いたが、その時、李承信も唇を動かしていたように見えた。

 李承信に「君が代」を歌わせるのは酷ではないか……と個人的には思ってたが、どうやら本人や在日コリアンの同胞たちも同じような複雑な心情を抱いていたようだ。

 NHKの番組「スポーツ×ヒューマン」では、李承信が在日コリアンたちが集まる講演会に登場して、聴衆と質疑応答をする場面がある。
「君が代」を歌うことにあまりよくない意見を言う方もいた
 質問者 日本代表は日本の勝利のために戦う選手じゃないですか。そういったことも含めて、朝鮮人としてのアイデンティティを持ちながら日本代表として戦う葛藤は無かった?

 番組ナレーション なぜ、在日コリアンである承信(スンシン)が日本代表を目指すのか。問われた。

 李承信 正直、いろんな意見言われる方もいて……自分(李承信)が国歌(君が代)を歌うことにあまりよくない意見を言う方もいた。自分は日本でラグビーを始めて、もちろん在日コミュニティの方たち、日本人の方たちに支えられてここまで成長できた。そういう思いで常に日本代表を目指してきた……っていう思いが一番強いですね。

 司会者 ありがとうございました。

2022年12月10日「第11回KYC京都(在日本朝鮮京都府青年商工会)特別講演会」より
 個人的には、1968年メキシコ五輪の時の「ブラックパワーサリュート」のような極端な意思表示をしない限り、国歌を歌おうが歌うまいがその人の考えに委ねて構わないのではないかと思う。

ブラックパワーサリュート@1968メキシコ五輪
【ブラックパワーサリュート(1968年メキシコ五輪)】

 ナショナリズムの発露に関しては、この程度に寛容であっていいのではないか。





続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

日野レッドドルフィンズの「酒乱」騒ぎ
 ジャパンラグビーリーグワン2部に属する「日野レッドドルフィンズ」(日野自動車のラグビーチーム)が、2022年10月、大分県別府市の飲食店で、シーズン前の合宿の打ち上げを行った。

 だが、この時、選手の一部が「酒乱」して、服を脱いで裸になったり、女性店員の体を触ったり、グラスや備品を破壊したり、店のレジを勝手に開けて中のお金を数えたり……といった「乱痴気騒ぎ」を繰り広げた。

 日野レッドドルフィンズと日野自動車は、この事件を隠蔽しようとしたが、2023年2月になって週刊誌報道で発覚。結果、日野レッドドルフィンズは不祥事があったとことを認め、チームの活動を無期限で停止すると発表した。

実は「酒乱」とノーサイド精神は表裏一体?
 広尾晃氏のような(頭の悪い)スポーツライターは、日野レッドドルフィンズの一件を「ラグビーのイメージがガラガラと音を立てて崩れるような事件だった」と嘆いている。
  • 参照:広尾晃「ラグビーのイメージが瓦解するような事件ではないか」(2023年02月03日)http://baseballstats2011.jp/archives/60165145.html
 しかし、この感想は必ずしも正しい認識ではない。海外のラガーマンもまた同様の問題を起こしている。

 2019年に日本で開催されたラグビーW杯日本大会では、出場したウルグアイ代表選手の一部が、夜に訪れた熊本市の飲食店で、飲み物をこぼしたり、壁や鏡を殴ったり、ぬいぐるみを引き裂いたり、店員にタックルをしたり……という不祥事を起こしている。
  • 参照:AFP「ウルグアイ代表選手の暴行騒ぎ,主催者側が店に謝罪 ラグビーW杯」(2019年10月17日)https://www.afpbb.com/articles/-/3249938
 むしろ、ラグビーってこの手の不祥事が、国の内外を問わず多いなぁ……というイメージである。時々、海外からも聞こえてくるラグビー絡みの嫌な話題である。

 実はラグビーというスポーツは、「酒乱」という忌まわしい風潮と、ノーサイド精神<1>という麗しい文化とが表裏一体の関係にある。

アフターマッチファンクションとは?
 同じく英国生まれの「フットボール」でありながら、サッカーになくてラグビーにある習慣のひとつに「アフターマッチファンクション(after-match function)」がある。ラグビーの試合後、両チームの選手やレフェリーなどが参加するの交歓会のことである。

 アフターマッチファンクションは、酒と食事が出され、それらを飲食しながら、互いの健闘を称え合い、ねぎらいの言葉を掛け親睦を深める「酒宴」である。
  • 参照:岸川貴文「ラグビー選手には試合後,全員参加の飲み会(アフターマッチファンクション)が待っている」(2019.07.16)https://www.news-postseven.com/archives/20190716_1410537.html?DETAIL
 ラグビーの母国イングランドで、ホストとなったチームが対戦チームを歓迎するために始められたのが、アフターマッチファンクションの起源とされている。ラグビーが伝わった明治時代に、この習慣もまた、日本に一緒に入ってきたという。

 少し前まで激しいぶつかり合いをしていた選手同士が一緒に語り合う、まさに「ノーサイドの精神」または「紳士のスポーツ」を謳(うた)うラグビーらしい文化である。

中尾亘孝の言及から
 1989年の日本ラグビーといえば、宿沢ジャパン(宿沢広朗氏麾下のラグビー日本代表)が日本に遠征してきたスコットランドXV(正規のフル代表ではないが)から歴史的勝利を挙げた、歴史的な年である。


【1989年 日本代表vsスコットランドXV フルマッチ】

 その1989年、あの中尾亘孝(なかお のぶたか)が『おいしいラグビーのいただきかた~時代はもうスポーツ・グルメ』をひっさげてラグビー評論家としてデビューした。

中尾亘孝(プロフィール付き)
【中尾亘孝】(本当の学歴は早大中退らしい)

 この本の中に、ラグビーにおけるアフターマッチファンクションについて説いた箇所がある。
 ラグビーとは、ゲーム〔試合〕を楽しむだけでラグビーを楽しむことにはならないのです。アフター・ゲーム・ファンクション〔アフターマッチファンクション〕こそはウラ〔裏〕のラグビー、プレイヤー、ラガーメンだけの本当の秘かな楽しみで、絶対に欠かせないものなのです。〔…〕ラグビーをラグビーたらしめている特別な慣習です。

 ラガーメンは他の競技と比べて特に結束が固いと自他共に認めています。そしてその固い友情が築かれる場〔…〕アフター・ゲーム・ファンクションは日本人には想像もつかないほどの重要な意味を持っているのです。〔中略〕

 ゲームで〈男らしさ〉を発揮したあと、裸でシャワーを浴びて、こんどは乱痴気騒ぎ〔アフターマッチファンクション〕でもう一度〈男らしさ〉を競う。これがラグビーを楽しむ際のフル・コースです。〔中略〕

 ジェントルマン・シップの本音の部分なしに男の友情は生まれません。〔略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』206~207頁


おいしいラグビーのいただきかた―時代はもうスポーツ・グルメ
ラグビー・ウォッチング・クラブ
徳間書店
1989-11T


 アフターマッチファンクションこそ、ラグビーのアイデンティティであること。

 それは単なる交歓会ではなく、〈男らしさ〉を競う乱痴気騒ぎの場でもあること。

 だからこそノーサイド精神を象徴する「酒宴」と暴力的な「酒乱」が背中合わせの関係にある場になっていること。
 ラガーメンと酒イコール、プッツン〔…〕〔アフターマッチ〕ファンクションではむしろプッツンする方がかつては正しかったのです。

 〔…〕D・リチャーズ(イングランド代表)と、J・ジェフリー(スコットランド代表)が五か国対抗〔現在のシックスネーションズの前身〕のイングランドvsスコットランド戦の後、酔った勢いで由緒あるカルカッタ・カップ〔イングランドvsスコットランドの定期戦に賭けられたトロフィー〕を街頭に持ち出して毀〔こわ〕したとか毀さないとかで新聞沙汰になったことがありました。

 これも20~30年前なら笑ってすまされたことかもしれないのです。

 フットボールにおいて、ファンのプッツン(サッカー)とプレイヤーのプッツン(ラグビー)は歴史始まって以来のつきものだったのです。

 いきすぎたプッツンは当然許されません。けれども、〔アフターマッチ〕ファンクションにおけるある程度のプッツンは紳士のたしなみでもあるのです。〔以下略〕

中尾亘孝『おいしいラグビーのいただきかた』208頁
 引用文中に頻々と出てくる「プッツン」とは「自制心や緊張感などが突然なくなり狂気じみた行動・言動をとる」という意味の俗語。最近はあまり使われない。サッカーにおける「ファンのプッツン」とは、当時問題になっていたフーリガンのことを示している。

根絶すべき「ラグビーのプッツン」
 中尾亘孝の言及を信じれば、やはりラグビー文化において「酒宴」と「酒乱」は表裏一体だった。それは元々「紳士のたしなみ」(!)であり、しかも「世界的」な風潮(?)だった。日野レッドドルフィンズの酒乱事件とは、そうした忌まわしい傾向の現代日本における表出だったりする。

 今回の一件を、真面目なラグビーファンほど憂慮している。一部のラガーマンの問題ではなく、日野レッドドルフィンズという1クラブの問題でもなく、日本のラグビー界全体の問題である。それはラグビーというスポーツ全体が「酒乱」のイメージで社会的に低く評価されてしまうからである。

 中尾亘孝は「フットボールにおいて,ファンのプッツン(サッカー)とプレイヤーのプッツン(ラグビー)は歴史始まって以来のつきものだった」と書いた。

 サッカーのプッツン=フーリガンについては当局の努力でかなり弱体化した。ならば、ラグビーのプッツン=選手の「酒乱」癖について、ラグビー側でも対策に乗り出すべきではないのか。

 少なくとも日本の当局、公益財団法人日本ラグビーフットボール協会や一般社団法人ジャパンラグビーリーグワンはそうするべきだろう。

(了)




続きを読む
このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

↑このページのトップヘ