スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > ラグビー

杉山茂樹氏の問題提起
 壊れた時計でも1日2回は正確な時を刻む……。

 ……などという言い方は明らかに失礼だが、金子達仁氏と並ぶ電波ライター(死語か?)の2トップ(これも死語か?)ともいうべき杉山茂樹氏のメールマガジンである。が、これから紹介するコラムに関しては、そんなにおかしいことは言っていないと思う。
2017年09月19日発行

杉山茂樹のたかがサッカー、されどサッカー。

(348)ブラジルやフランスと親善試合を戦うよりも大事なこと

 10月と11月。日本代表は立て続けに親善試合を行う。10月がハイチとニュージーランド。11月はフランスとブラジルになりそうだとか。
ハリルジャパン2017年11月欧州遠征
 ハリルジャパンがこれまで戦った親善試合の数はわずかに8。過去に比べて異常なほど少ない。ジーコジャパン時代は年平均9試合。岡田ジャパン、ザックジャパン時代はともに約7試合。それがハリルジャパンは2年半で8試合だ。年平均3試合に満たない。それにこれから戦う5試合を追加しても、少ないという事実に変わりはない。

 アウェー戦に至っては、現状1試合。テヘランで行われたイラン戦(2015年10月)のみだ。2試合目となる11月のフランス戦で打ち止めになる可能性が高い。これはハリルホジッチの問題ではなく協会の問題だ。マッチメーク能力に問題ありと言いたくなる。

 とはいえ、対ブラジル、対フランスと聞けば、そうした批判は生まれにくい。報道も、腕試しには願ってもない機会、これ以上は望めない相手と、両国との対戦を大歓迎する声が大勢を占めている。だが、それは本当に喜ぶべき話しだろうか。

 ブラジル、フランスは、W杯本大会で第1シードに属する優勝候補だ。グループリーグを戦う4チームの中では最強の相手。一方の日本は4チームの中では3番目、いや今回は4番目だろう。

 日本が番狂わせを狙う対象は、現実的に考えて2番目のチームだ。ブラジル、フランスは、彼らに本番で1度勝とうと思えば、最低でも10試合は費やさなければならない相手だ。

 日本のライバルは3番手。番狂わせを狙う相手は2番手。前回ブラジルW杯に置き換えれば、コートジボワールでありギリシャだ。

 このクラスの相手を向こうに回し、どんな戦いができるか。その手応えが欲しい。W杯アジア予選で戦った相手は、言ってみれば4番手以下だ。5番手か6番手。10月に対戦するハイチ、ニュージーランドもそこに属する。敗戦は許されない格下だ。ところが、翌11月になると、今度はいきなり1番手と対戦する。2番、3番とはいったい、いつ戦うのか。番狂わせのシナリオは見えていない。

 チュニジア、ウズベキスタン、イラク、イラン、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、オマーン、シリア。これは、ハリルジャパンがこれまで戦った8試合の内訳だが、本番までに戦いたいのは、ブルガリア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、チュニジアだ。それらとのアウェー戦の方が、フランス戦、ブラジル戦より現実的だ。

 ブラジル戦、フランス戦はいわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合だ。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。同等あるいは日本より少し強いチームには、そうした選手は多くいない。それでは前景気は煽れない。視聴率……〔続きは有料〕
 サッカー日本代表、現在の「ハリルホジッチ・ジャパン」にいちばん達成してほしいことは、2018年のFIFAワールドカップ・ロシア大会で好成績を上げることである。さしあたっては、4ヶ国総当たりで行われるグループリーグ(1次リーグ)の突破だ。

 そのための蓋然性(可能性ではなく)を少しでも高めるためには、現時点でどうするべきなのか? W杯本大会でグループリーグ第1シードになるワールドクラスのサッカー超大国との対戦よりも、2番手・3番手の国々との試合経験を積んで手応えをつかんだ方がいいのではないか……という問題提起には、なかなか抵抗できない。

 杉山茂樹氏の面白いところは、「日本」と「世界」の二分法ではなく、「世界」の中での「日本」の位置について重層的多面的にアタリを付けて、最終的な成果を上げるためにどうするかを説いているところである。
 たとえ、それがこの人特有の日本サッカーに対する軽侮の念が混じっているとしても……である。杉山茂樹氏とか後藤健生氏とかを除いて、フランスからブラジルからギリシャからコートジボワールから、十把ひとからげにして「世界の壁」などと称しているのが日本人の大方のサッカー観である。まったく戦略性が欠落している。

シギーこと故金野滋氏の功罪
 例えば、昔のラグビー日本代表(ジャパン)のことを思い出す。諸般の事情からラグビーは1987年まで世界選手権(ワールドカップ)が行われなかった。それ以前、1970年代~80年代半ばまで、ジャパンはイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドあるいはフランス……といったワールドクラスのラグビー一流国とばかり国際試合を行っていた。
 ラグビー弱小国の日本がどうしてこんな国々と、次々と試合ができたのか? ……とか、サッカー以上に国際ラグビー界は格式にうるさくて実は日本が対戦した一流国のチームは正規のナショナルチームではなく正規の国際試合でもなかった……とか。こういう話に首を突っ込んでいると話が前に進まなくなるので割愛する。
金野滋氏
【金野滋氏が死去:日本ラグビーの地位向上 国際派 84歳】

 一方、アジア選手権というのもあるにはあったが、80年代の韓国をのぞいて日本の難敵は存在せず、ジャパンの独走状態が続いた。当時、世界ラグビーの2番手・3番手の国々となると、アルゼンチン、イタリア、ルーマニア、旧ソ連(現在のロシア、ジョージアなど)、カナダ、アメリカ合衆国、トンガ、フィジー、サモア(西サモア)あたりが思い浮かぶ。だが、
戦前からのよしみがあるカナダ以外の国とは積極的に交流を行わなかった。

 そして、一流国との対戦では、時々善戦、多くは大敗惨敗を繰り返し、日本ラグビーにとってジャパンにとって実になる経験となったかというと何とも微妙である。

華やかな国際交流がアダとなる…第1回ラグビーW杯のジャパン
 これが1987年第1回ラグビーW杯(ニュージーランドとオーストラリアの共催)でアダとなる。この辺の事情と批判は、日本ラグビーフットボール協会の公式サイトで、ラグビージャーナリストの永田洋光氏が書いているので、そこから抜粋する。
2015/08/04(火)

過去のワールドカップ ‐ 第1回大会 キッカー不在など、課題をさらした日本代表

宮地克実監督・林敏之主将の体制で大会に臨んだ日本代表は、予選でアメリカ〔合衆国〕、イングランド、オーストラリアの順に対戦。大会前には「アメリカには勝って当然」とか「イングランドには相性がいい」といった発言がメディアに躍った。

しかし、初戦のアメリカ戦ではトライ数が3―3と同数ながらトライ後のゴールキックがことごとく不成功。PGも、7本中成功したのは2本のみで18―21と競り負けた。プレースキックの拙さ、安易なディフェンスミスからの失点など、W杯という真剣勝負の恐ろしさを体感したのが、このアメリカ戦だった。
アメリカ合衆国戦
【記念すべき第1回W杯の初戦、日本は米国に惜敗した】

続くイングランド戦では……イングランドの猛攻に為す術もなく8トライを奪われて7―60と完敗。出発前の壮行試合で東京社会人を相手に力づくのトライを積み重ねたチームは、本気のイングランドの力業には為す術もなかった。

〔最終戦の対オーストラリア戦では〕日本は終始前に出るタックルと果敢なボール展開でオーストラリアを苦しめたが、それでも力の差は埋められず、終了間際に2トライを奪われて、23―42で試合を終えた。

それまで“親善試合”でしか世界各国と交流してこなかった日本にとって、世界の本当の強さ、パワーを体感して、厳しい教訓を得られたのが第1回W杯の収穫だった。

Text by Hiromitsu Nagata〔永田洋光〕
 ジャパンが「身の丈」に合った相手との対戦を重ねていれば、競(せ)った場面での正確なプレースキッカーの存在の重要性などを身に染みて経験できたはずである。第1回ラグビーW杯初戦、対アメリカ合衆国戦で負けることはなかったかもしれない。

 そして、同格の国々に勝った上で、いざワールドクラスの一流国に挑戦する……日本ラグビーはそういった過程を踏むことがなかった。

 サッカー日本代表も、ラグビーのそうした失敗の轍(わだち)を踏まなければいいのだが、と思う。

やっぱり,あの大手広告代理店…ですか???
 ところで、今回、2017年11月の日本vsフランス戦、日本vsブラジル戦をマッチメイクしたのは「誰」なのだろう。

 この2試合は「いわば興業。お祭り。強化試合と言うより花試合。相手チームに知られた有名選手はどれほどいるか。その数が多ければ多いほど視聴率は上がる。前景気……視聴率……」と杉山茂樹氏は論評している。

 こうした見た目の華やかさに走るとなると、またぞろ電通のような大手広告代理店の介在とか、サッカー日本代表のスポンサー企業の意向とか、あらぬ邪推が聞こえてきそうだ。

(了)


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2017年丁酉
あけましておめでとうございます。
2017丁酉年賀状

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平尾誠二と岡田武史
 「全国のラグビー場に桜の木を植えてほしい」発言を肯定的に受け止めれば、平尾誠二氏は10年先20年先の夢を語っているのだろう。平尾氏にはそういう仕事がふさわしかった。だからといって、W杯で全敗した日本代表監督が言っていい発言ではないが。監督という仕事は「今、ここ」で与えられた条件で何とか結果(成果)を出さなければならないからである。

 誰がやっても変わらないという意見もある。ここで元サッカー日本代表監督の岡田武史氏を引き合いに出してみよう(平尾氏と岡田氏は親交があったという)。岡田氏は、「今、ここ」で何とかしなければならない状況で何とかしたことが、1997年と2010年、少なくとも2回ある。平尾氏はこうしたことには不得手だった。あの時の岡田氏の仕事を平尾氏が担っていたらと思うとゾッとする。

 状況を打開できず、日本代表の敗北は日本のスポーツ環境の問題だ責任を転嫁し、幇間(失礼)の玉木正之氏は「たしかに、そのとおりだと思います」などと追従し、挙句の果てに「埼玉スタジアムやカシマスタジアムなど、全国のサッカー場にヤタガラスをまつる祠(ほこら)を建ててほしい。我々は、ヤタガラスのジャージーを着て、ヤタガラスのプライドを持って闘ったのですけれど、どのサッカー場にも、なぜかヤタガラスの祠がないんです……」などとまくし立てられたら、サッカーファンは憤懣やるせないだろう。

平尾誠二と玉木正之が忘却したもの
 前段落は冗談だが、玉木氏は岡田武史氏にもすり寄っていったことがある。「スポーツは遊びだ、楽しむものだ」といういつもの玉木氏の路線で岡田氏に吹っ掛けた。平尾氏ならば能弁に応じてくれるだろうに、岡田氏は「そんなことはありません」とにべもない。この場面はとあるテレビ番組で見た。玉木氏は少し気まずそうだった。まあ、岡田氏は玉木氏から逃げてよかったのではないかと思う。

 あるいはラグビーは番狂わせが起きにくい、大差がつきやすい競技だからあまり意味がないという意見もある。平尾氏の次を担った向井昭吾監督のラグビー日本代表(ジャパン)は完全にチーム作りに失敗しており、2003年ラグビーW杯オーストラリア大会では、これは「ブルームフォンティーンの惨劇」の再来になるのではないかと思った。……が、最後に選手たちが奮起して世界的な強豪国であるスコットランド、フランスに善戦・健闘。試合は途中から息切れして大敗したものの、何とか日本ラグビーの面目は保った。

 この大会のジャパンの試合をテレビで見ていた。1999年W杯の平尾ジャパンより2003年W杯のジャパンの方が見ごたえのある、スポーツとして心を揺さぶられる試合ではあった。これだけ選手が奮起してなおかつチーム作りが完璧だったらW杯でも結構やれるではないかなあ……と思った。2015年、それはエディー・ジョーンズの日本代表によって実現されることになる。

 この時ジャパンの選手たちを奮起させたものこそ、平尾氏や玉木氏が忘却し、あるいは日本スポーツ界の旧弊として一緒くたに否定したものであった。

「彼らの楕円球」の真実とは?
 傑作スポーツアンソロジーと銘打たれ、玉木正之氏を編者とし、さまざまなスポーツを採り上げ、新潮文庫から2015年に刊行された『彼らの奇蹟』。この本で玉木氏の筆になり、ラグビーの代表作として所収されている物語が「彼らの楕円球」である。

 このラグビー物語に出てくるのは、1990年代初め、平尾誠二選手をめぐる明るい話。それを玉木正之氏を高らかな共感を持って描いている。その明るさが表裏一体で後に日本ラグビーを襲った惨劇の原因となったこと。それから日本ラグビーがたどった苦心惨憺があったこと……。当然、玉木氏の筆からそうした影は感じとれない。

 「彼らの楕円球」(彼らの奇蹟)をもって日本のラグビーライティングを代表させるのは、やはり危うい。「すべて真実」を謳うこの作品は、しかし、山形県出身で平尾2世と言われた超高校級というありえない設定のラガーマン「Q」を物語に登場させないと成立しえない「フィクション」である。

(了)
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ジーコのプロトタイプ平尾
 1999年、平尾誠二氏は「日本ラグビー再建の切り札」としてラグビー日本代表(ジャパン)監督の立場でW杯ウェールズ大会に臨んだ。

 平尾ジャパンは、型にはまらず自由に選手がプレーを選択するラグビーを目指した……となると、思い当たる人がいるだろう。平尾ジャパンは後のサッカー日本代表ジーコ・ジャパンのプロトタイプだったのである(もっとも、本当のところジーコ本人が何を考えていたのか今一つわからないのだが)。

 ジーコ・ジャパンの時代、「個の力」という(あいまいな)概念が定着、広く使用されるようになっていた。一方、平尾監督は「素の力」という言葉と多用した。ソノチカラと読ませるらしい。個の力も素の力もニュアンスはほとんど一緒である。

 日本的な型、形式、組織、戦術……への隷属、そこからの解放、自由、自主性、個……というテーマは、欧米へのコンプレックスに呪われた日本のスポーツジャーナリストの心根をくすぐる。それゆえ玉木正之氏は平尾ジャパンとジーコ・ジャパン、2つの日本代表の熱烈な支持者であった。
「日本型」思考法ではもう勝てない
平尾 誠二
ダイヤモンド社
2016-06-06

指揮官免罪のカラクリ
 ともに「史上最強」を喧伝されながら、肝心のワールドカップ本大会では1勝もできずに1次リーグ敗退。この点でも2つの日本代表は共通している。

 しかし、平尾ジャパンやジーコ・ジャパンのような「理念」を掲げていると、敗北の原因および責任をチームを統べる監督に問いにくくなる傾向が、日本には往々にしてある。日本人は自由や自主性は不得手、日本人は個の力(素の力)が貧弱……とやられれば、欧米へのコンプレックスに呪われた日本のスポーツジャーナリストは、問題の監督を批判できなくなってしまう。

 ジーコはこれで批判と責任を免れ、逃げおおせた。平尾誠二監督にも、玉木氏をはじめとする熱心な支持派・擁護派がいて、彼らは平尾監督を免罪しようとした。それでもラグビージャーナリズムが素晴らしいのは、永田洋光氏や藤島大氏のように平尾監督をガッツリ批判した人がいることである。
ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06





 サッカー日本代表監督のジーコに関しても然り。自由だの個の力だのという概念を葵の印籠のように見せつけられると、サッカージャーナリストやスポーツライターたちはジーコを批判できずに土下座してしまう。対して、いちばん剛直にジーコ批判をした人が実は本籍ラグビーの藤島大氏だったりする。
ラグビーの世紀
藤島 大
洋泉社
2000-02

脳内は桜で満開
 W杯終了直後、平尾誠二監督は玉木正之氏のインタビューを受けた。その最後に平尾監督が「ひとつだけ、やりたいことがあるんです」として語ったことがある。
 秩父宮ラグビー場や花園ラグビー場など、全国のラグビー場に、桜の木を植えてほしい。我々は、桜のジャージー〔桜花の徽章を付けたラグビー日本代表のジャージー〕を着て、桜のプライドを持って闘ったのですけど、どのラグビー場にも、なぜか桜の木が植わってないんです。だから、あらゆるラグビー場に桜の木を植えて、誰もがその成長を見、きれいな花を見るなかで、桜のジャージーをめざし、桜のプライドを持ち、世界にはばたく気持ちを持つようになってほしい。桜の木を植えるなんて、何の意味があるんだという人がいるかもしれませんが、ラグビー選手もラグビー・ファンも、誰もが桜のプライドのもとに結集するという意識は、意外と重要だと思うんですよ。――平尾誠二インタビュー 聞き手:玉木正之「『大きな壁』は突破できるか?」
 この平尾発言を読んだ時、あまりにバカバカしさに海老反りしそうになった。日本代表の監督がW杯で大敗して帰ってきて、ひとつだけやりたいことが全国のラグビー場に桜の木を植えてほしいだとは……。サッカー日本代表の監督ならこんな現実離れした能天気な発言はできないだろう。

 実際この発言はラグビー界でも顰蹙を買ったらしく、永田洋光氏や美土路昭一氏(朝日新聞)らが憤懣をぶちまけている(『日本ラグビー百年問題』)。

 もちろん、平尾監督がこんな呑気なことを言えるのは相手が玉木正之氏だからだ。まともなラグビージャーナリストとの取材ではもっと緊張感をはらんだものになる。

 要するに平尾監督は敗北の原因は日本の貧しいラグビー環境、スポーツ文化のせいであって、自分の力の及ばないところにあるとしたい。著名なスポーツライター玉木正之氏はそれにお墨付きを与えてくれる存在である。一方、玉木氏にとって平尾監督は自身が常々唱える日本のスポーツ環境、スポーツ文化の貧しさをアスリートの立場から告発してくれる得難い存在である。2人は共生関係にある。

 そんな夢のような豊かなラグビー文化、豊かなスポーツ文化の象徴が「全国のラグビー場に桜の木を植えてほしい」という話なのである。

(つづく)
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都合のよい真実のための「フィクション」
 スポーツライター玉木正之氏には同業者のアンチが多い。その批判の中には「玉木氏は都合のいい結論(真実)のために事実を歪曲している」というものがある(秋山陽一氏,ラグビー史研究家)。

 玉木氏の作品「彼らの楕円球」(『彼らの奇蹟』所収)
これは100パーセント真実だが100パーセント事実ではないと玉木氏がうそぶく、ノンフィクションと小説の境界に位置する不思議なラグビー物語である。

 作品の鍵を握る登場人物「Q」をめぐる謎を探っていくと、「Q」その人はおそらく実在しない。そのフィクションは最終的な真実にを活かすためというよりも、玉木氏にとって都合のいい真実(結論)を導き出すための捏造ではないかという疑惑が湧いてきた。

 その「真実」とは、スポーツとは遊びである。日本でスポーツという遊びの文化を本当の意味で理解できるのは上方=京阪神の洗練された文化を持つ「西」であり、「東」ではない。「西」京都人で、京都の同志社大学、神戸の神戸製鋼でプレーした平尾誠二選手だからこそ、抑圧的な日本のスポーツの現状にあって(掃き溜めの鶴のように)素晴らしいラグビー文化、スポーツ文化が開花したのである……というもの。

 嫌味な思想だが、「東」東北・山形県出身とされた架空の(?)元ラグビー選手「Q」は、その方便とされたのである。

日本ラグビーを転落させた平尾誠二
 しかし、だからこそ平尾誠二選手は日本ラグビーを奈落の底に導いてしまったのである。日本代表(ジャパン)が大惨敗した1995年ラグビーW杯南アフリカ大会、ジャパンの選手兼「事実上の監督」として大会前に復帰した平尾選手の責任は免れない。

 この大会、対ニュージーランド(オールブラックス)戦におけるジャパンの失点が145! 国際試合でも100失点というのはたまにあるが、前後半80分の間にさらに45失点を重ねるのは史上空前にして絶後の世界的な恥辱。開催都市の名を冠して「ブルームフォンティーンの惨劇」と俗称される。
ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームフォンティーンの惨劇】

 あえてサッカーに例えれば、ワールドカップ本大会の1次リーグでブラジルかドイツ相手に前後半90分で22~23失点するようなものだろうか。W杯でサッカー日本代表がこんな試合をしてしまったら、日本国内のサッカー人気は致命的に落ち込むはずだ。日本ラグビーでは実際にそういうことが起きて、ひょっとしたら2度と立ち直れないかのようなダメージを負ったのである。

 とにかく、こんな惨敗はよほどチームの内情がおかしくならないと実現しない。この時のジャパンは、チームとしては機能不全に陥り、選手たちのモラルは低下して……という状態にあった。二日酔いで嘔吐しながら練習している選手がいた。

 「事実上の監督」の本来の役割は、こうした危機的状況にブレーキをかけ、チームを再び戦う集団へと生まれ変わらせることだ。しかし、弛緩しきったチーム内の空気を粛正せずに、平尾選手は南アでの現場では練習もそこそこに、かえって他の選手たちとカジノにゴルフで遊びほうけていた。

 その挙句の果てが対オールブラックス戦の145失点だったのである。なぜこの時、平尾選手はジャパンに手を下さなかったのか? 彼の「監督」責任もさることながら、ジャパンとしてラガーマンとして当事者感覚を欠いていた彼の発言、行動、体質、性格、立ち居振る舞いも惨敗を招来した一因だとしてラグビージャーナリズムからは厳しく批判されている。

 このたびの平尾誠二氏の訃報に際して、マスコミはこの件を蒸し返さない。だが、しっかり歴史に残しておく意味はあるだろう。故人を貶めるためではなく、平尾誠二とは日本スポーツ界の教訓だからである。

 「ラグビーを楽しむ(それで勝つ)」……平尾選手のこの思想は、W杯のような世界大会には適用されないのだろうか? もうひとつ平尾選手は「世界に通用するラグビー」を掲げていたはずだ。しかし、それらのお題目は結局のところ国内向けのエエカッコシイにすぎなかったのだろうか?

 中尾亘孝という癖の強いラグビー評論家は、平尾誠二氏のラグビー人生を「ラグビーの本場のカッコイイところは真似したが、ついに本場に勝とうとは思わなかった」「自分より弱い者には勝てても、強い者には勝てない」(『ラグビー黒書』)と酷評している。
中尾亘孝2
【中尾亘孝】
ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12

 それとも、これが京阪神の上方生活に根づいた伝統だとでもいうのだろうか?

現実を直視できない玉木正之氏の鈍感さ
 一方の玉木氏はどうか。「彼らの奇蹟」(「彼らの楕円球」の改題前のタイトル)が収録された『平尾誠二 八年の闘い~神戸製鋼ラグビー部の奇蹟』は、スポーツライター玉木正之氏がラガーマン平尾誠二選手と同じ京都人として共感共鳴、平尾選手の実践するラグビーに日本スポーツ界の「地上の楽園を見た!」と言わんばかりに狂喜し、喧伝している本である。
平尾誠二ー八年の闘い
 しかし、あまりに盲目的に平尾選手を礼賛するあまり、現実が見えなくなってしまったようだ。

 『平尾誠二 八年の闘い』の「あとがき」の日付は1995年9月(奥付は同年11月)である。南アW杯でのジャパン大惨敗、ブルームフォンティーンの惨劇からまだ4か月。ラグビー界が茫然自失としていた時期にもかかわらず、「あとがき」ではその点にはまったく触れていない。なおかつ(南アの「戦犯」である)平尾選手をただただ称揚している。

 日本ラグビー界が負ったダメージに対してまったく危機感のない著者・玉木氏の鈍感さには唖然とさせられる。

 スポーツは遊びだから国際舞台での勝ち負けなんかはどうでもいい。地域に密着したスポーツクラブで、明るく楽しくラグビーをしていればいい……などと、玉木正之氏は考えているのだろうか。この人は、スポーツ競技で勝ち負けを争うことを卑しむ、近代批判的・現代思想的なスポーツ思想の持ち主でもあるのだ。

 そのナマの感覚の乏しさが、4年後の1999年ラグビーW杯ウェールズ大会のジャパンにも影を落としてくるのである。

(つづく)
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