スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > 中田英寿

世界の非常識が日本の常識
 「どんなにベーブ・ルースが偉大であろうと野球そのものより偉大ではない」。

 このように喝破したのは、アメリカ・メジャーリーグベースボールの名監督スパーキー・アンダーソンだった。<1>

スパーキー!―敗者からの教訓
イーウォルド,ダン
NTT出版
1991-11-01


 サッカーでも同様。ペレやヨハン・クライフがどんなに偉大でも、サッカーそのものより偉大ではない。

ペレ自伝
ペレ
白水社
2008-05-01




 しかし、ここは世界の常識が通用しない日本である。日本サッカー界には、日本サッカーそのものより偉大な人物が存在する。

 中田英寿である。

中田英寿@NHK「NHK日本サッカーの50年」第4話
NHK「日本サッカーの50年」第4回で発言する中田英寿

中田英寿が偉大な理由
 そんな中田英寿神話の創出に加担した著作のひとつが、中田英寿の『中田語録』(1998年5月)である。

中田語録
文藝春秋
1998-05-01


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 日本サッカー界の若きリーダー、中田英寿初の公認発言集。物議を醸した彼の言動の真意がここにある。初めて明かされるエピソードも多数。……と惹句にある。

 実際にコンテンツをまとめたのは、金子達仁、馳星周、増島みどり、村上龍、今福龍太らとともに中田英寿の幇間役を担ってきたライターの小松成美。<2>

中田英寿 鼓動 (幻冬舎文庫)
小松 成美
幻冬舎
2000-08-01




中田英寿 誇り
小松 成美
幻冬舎
2007-06-01


 その『中田語録』、中田英寿が曰(のたまわ)く……。
  • 「みんな喜ぶのが早すぎる」~ゴールの時、何で喜ばないの、と不思議がられて。(003)
  • 「熱くなっても、得することないから」~試合中、いつも冷静な態度でいることについて尋ねられて。(007)
  • 「俺にはお手本はいらない」~サッカーの上達法を問われて。(012)
  • 「ジコチューでいきます」~どうして厳しいパスを出すのか、と聞かれて。(013)
  • 「俺は勝っても泣きませんね。もちろん、負けても泣きませんけど」~サッカーで泣いたことがあるか、と尋ねられて。(021)
  • 「振り返ることは、評論家のすること」~ゲームが終わった後、自分のプレーについてなぜコメントしないのか、と言われて。(025)
 ……等々、やはり目立つのは、低劣なるニッポンサッカーを易々と乗り越え、唯ひとりサッカーの世界標準を弁えている(とされる)中田英寿との対比である。
  • 「サッカーしか知らない人間にはなりたくない」~好奇心旺盛な理由を聞かれて。(004)
  • 「メダルより図書券が欲しい」~アトランタ・オリンピック直前「メダルが欲しいか?」と尋ねられて。(006)
  • 「年齢や経験を問題にするなんて、ナンセンス」~チームや代表での先輩・後輩関係について尋ねられて。(009)
 ……等々、また、反知性主義、スポーツ馬鹿、先輩・後輩のタテ社会、根性論・精神論、悲壮感など、日本の運動部や体育会にありがちな悪習も、中田英寿は否定する。

 まったく、中田英寿は「日本的」ではない。

 長らく低迷を続けてきた日本サッカー界には「日本的であること」は「サッカー的でないこと」であり、反対に「サッカー的であること」は「日本的でないこと」である……という度し難い劣等感が定着してきた。

日本人論の危険なあやまち ―文化ステレオタイプの誘惑と罠―
髙野陽太郎
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-10-21


日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)
小谷野 敦
幻冬舎
2010-05-01


 中田英寿は、サッカー日本代表のワールドカップ本大会初出場にプレーの面で絶大な貢献をした。……のみならず、中田英寿の「日本的」ではない言動・立ち振る舞いは、日本サッカー界の劣等感を絶妙に刺激した。

 当時、日本史上空前のサッカー人気にあって、サッカーファンや読者は、中田英寿に狂喜してしまった。中田英寿に肩入れすることで「日本的な旧弊」を打破するかのような痛快さに酔ってしまった。

 かくして、日本サッカーそのものより偉大な中田英寿……という神話は成立した。

実は少しも新しくない中田英寿
 しかし、抑圧的な「日本的なるもの」に抗い、あるいは乗り越えたと見なされた日本人アスリートをむやみやたらと褒めそやす風潮、中田英寿が初めてではない。

 野球界では、1980年代から1990年代にかけての、長嶋茂雄のいわゆる「浪人時代」がそうである。当時、長嶋茂雄は「チマチマした,抑圧的な日本野球」を打破する存在として期待されていた。

定本・長嶋茂雄 (文春文庫)
玉木 正之
文藝春秋
1993-03-01




 1980年代に隆盛を極めたラグビーブーム、話題の中心は、早稲田大学でも、明治大学でもなく、実は「選手たちの自主性,自由奔放なプレー」などを掲げて大学選手権を3連覇した関西の同志社大学だった。

 関東にはないラグビーテイストを口にして、マスコミは舞い上がってしまった。中田英寿の時と似て、美意識から倫理観まで、同志社ラグビーをダシにして、その他のラグビーを否定するキャンペーンが張られた。

 それらは、同志社大学ラグビー部の指導者・岡仁詩(おか・ひとし)のコメントを引用する形で活字化され、「岡イズム」と呼ばれ、喧伝された。……というあたりは『中田語録』の持てはやされ方とソックリである。

 同志社ラグビー黄金時代の中核にいた選手が平尾誠二だった。彼は「ラグビーは遊びだ,ラグビーを楽しむ」と公言する人で、このような発言をする人の常として、平尾誠二は「日本的なるもの」への屈託が強い。


「日本型」思考法ではもう勝てない
平尾 誠二
ダイヤモンド社
2016-06-06


 この屈託を何十倍何百倍とこじらせると、中田英寿というパーソナリティが出来上がる。

 つまり、中田英寿は少しも新しくないのである。

『中田語録』が歪めた日本サッカー
 長嶋茂雄は、1993年から2001年まで読売ジャイアンツの監督を務めた(いわゆるひとつの第2次長嶋政権)。しかし、その野球は「チマチマした,抑圧的な日本野球」を打破するようなプレーぶりだったとはとても評価できない。

 岡仁詩や平尾誠二は、外国の目新しい方法を取り入れることには熱心だったが、海外のラグビー強豪国に本気で勝とうという発想には乏しかった。ラグビー日本代表監督としての実績も十分とは言えない。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12-01


 「日本的なるもの」を超克していると見なされているアスリートだからといって、そのパフォーマンスが必ずしも「世界的」だったというわけではない。

 中田英寿も、本当のところはワールドクラスのサッカー選手への階梯からは脱落した人である。

 しかし、サッカーに詳しくない人の多くは「中田英寿は世界的なサッカーの名選手なのだろう」と信じ込んでいた。『中田語録』など中田英寿神話の影響である。

 そのことが中田英寿を増長させた。

 サッカー日本代表を率いて海外の強豪に勝つ、勝ってみせる、勝てないまでも善戦・健闘に持ち込む……といった、サッカーファンが中田英寿に抱いた夢は裏切られた。

 むしろ、日本サッカーは低劣だが、中田英寿だけは別格で世界レベルだ……と、いたいけな人々に信じ込ませることが、中田英寿にとっての利益となった。

 その挙句の果てが、ジーコ・ジャパン(2002年~2006年)における、他の日本代表選手を見下した一連の言動であった。そのジーコ・ジャパンで臨んだ2006年ドイツ・ワールドカップ(日本代表は惨敗)における身勝手で醜い引退劇であった。

フットボールサミット第2回「中田英寿という生き方」目次
英国大衆紙は酷評した2006年W杯における中田英寿の身勝手な引退パフォーマンス

 これらすべて、中田英寿を日本サッカーそのものよりも偉大な存在にしてしまったための猿芝居である。

 『中田語録』をはじめとする中田英寿神話は、日本サッカーを、そして有望なサッカー選手であった中田英寿を、大いに歪めてしまった。

 「ジョホールバルの歓喜」のプレイヤー・オブ・ザ・マッチ……中田英寿への賞賛はこれだけで十分である。





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サッカー版「江夏の21球」!?

本の雑誌466号2022年4月号
本の雑誌社
2022-03-10


 驚いたのは、このベスト50の名著の中でも選りすぐりの歴史的傑作として、山際淳司の『スローカーブを、もう一球』(「江夏の21球」所収)や、沢木耕太郎の『敗れざる者たち』と並んで、金子達仁の『28年目のハーフタイム』(1997年)が選ばれていたことだ。

敗れざる者たち (文春文庫)
沢木 耕太郎
文藝春秋
2021-02-09


28年目のハーフタイム (文春文庫)
金子 達仁
文藝春秋
2012-09-20


 しかも『本の雑誌』2022年4月号は、『28年目のハーフタイム』のことを「『江夏の21球』のサッカー版」とまで絶賛するのである!

江夏の21球 (角川新書)
山際 淳司
KADOKAWA
2017-07-10


 狂気! 絶句! ……と、『本の雑誌』の評価に素直に首肯できないのは、金子達仁がサッカーライターとして非常に毀誉褒貶の激しい人だからである。金子達仁がサッカーライターとして極めてバランスを欠いた発言をする、いわゆる「電波ライター」だからである。

 そんな金子達仁が『28年目のハーフタイム』でだけ「電波ライター」ではないということなど、ありえない。

金子達仁の出世の伏線「ドーハの悲劇」
 1996年夏のアトランタ五輪、28年ぶりに五輪出場を果たしたサッカー日本代表は、初戦のブラジル戦で奇跡的な勝利をあげ世界を驚かせる。しかし、躍進の陰で矛盾と亀裂を抱えた日本代表は、続くナイジェリア戦のハーフタイムでついに崩壊する……。

 その内幕を(良く言えばニュージャーナリズム風に)明らかにしたノンフィクションが『28年目のハーフタイム』である。このアトランタ五輪モノが金子達仁の出世のキッカケとなったと思われているが、少し違う。

 1993年、専門誌『サッカーダイジェスト』の特派記者として、「ドーハの悲劇」に際し、オフト・ジャパンに対して下した一連の「厳しい批判」こそ、金子達仁の名をサッカーファンに刻み付けた最初の機会である。

 ところが、日本のサッカー論壇のおける「厳しい批判」なるものは、実は少しも「批評的」ではない。日本のサッカーを無暗矢鱈と貶めているだけだからである。

 金子達仁も同様。その主張はオフト・ジャパンを「〈個の力〉の欠落を組織と戦術で補っただけの低劣なサッカー」と決めつけ、日本がひたすら弱かったから負けたのだと、憑かれたように自虐的に畳み掛けた内容だった。<1>

 だが、大方のサッカーファンは、こういう書き方をすると、金子達仁はとても「批判的なサッカーライター」なのだと思って共感してくれる。ここで名前が覚えられていたことが、アトランタ五輪以降、効いたのだ。

オフト・ジャパン全否定の誤り
 では、金子達仁によるオフト・ジャパン=日本サッカーの全否定は妥当だったのだろうか? これは怪しい。

 例えば、彼は「厳しい批判」にこだわるあまり、ドーハの第4戦、日本対韓国戦の三浦知良(カズ)の決勝ゴールには「カズのシュートはオフサイドに見えた.しかし、審判は旗を上げなかった」とまで書いている。

 ところが、これはトンデモない難癖で、カズのゴールは堂々たるオンサイドである。金子達仁は「日本サッカーの低劣さ」を強調したいばかりに、オフト・ジャパンが上げた成果(W杯アジア最終予選における対韓国戦の勝利)まで歪曲してしまったのである。

カタール…それでもオフサイドに見えた夜(1-2)
カタール…それでもオフサイドに見えた夜(1/2)

カタール…それでもオフサイドに見えた夜(2-2)
カタール…それでもオフサイドに見えた夜(2/2)

 金子達仁は、なぜこんなデタラメを書いたのか?

 『28年目のハーフタイム』第9章を読むと、その辺が分かってくる。ここで金子達仁は「個人の権利が重要視された近代英国とサッカーというスポーツの密接な関係.翻って,個人の権利が確立されていない日本人のサッカーにおける桎梏」についてひとくさり随想している。つまり、彼もまた日本サッカー界をさんざん苦悩させてきた日本人論・日本文化論に屈託を抱いてきた。

日本人論の危険なあやまち 文化ステレオタイプの誘惑と罠 (ディスカヴァー携書)
高野 陽太郎
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2019-10-19


日本文化論のインチキ (幻冬舎新書)
小谷野 敦
幻冬舎
2010-05-01


 言い換えると、金子達仁は日本のサッカーファン・関係者が陥りがちな「日本人であることの劣等感」を抱えた人である。これを人一倍こじらせた彼は、日本サッカーを是々非々で評価できなくなっていたのである。

 これこそ金子達仁のサッカー観の歪みと偏り、「電波ライター」たる所以である。読者であるサッカーファンも「日本人であることの劣等感」を大なり小なり抱えているから、たやすく彼に共感する。

 それは『28年目のハーフタイム』でも変わらない。

金子達仁の謎理論
 アトランタ五輪で浮上のキッカケをつかんだ金子達仁は、中田英寿、川口能活、前園真聖らアトランタ世代の若手選手に食い込み、感情移入し、そこから日本代表や日本サッカーのあり方を批判するようになっていった。

 『28年目のハーフタイム』第5章では、より高次の勝った「経験」を持つ者に、それ以下の「経験」しか持たない者は勝つことができないという謎理論を披露している。だから、フランスはドイツに、コロンビアはウルグアイに長らく勝てないのだと金子達仁は言う。

 アトランタ五輪の対ナイジェリア戦のハーフタイムで衝突した(結果,チームが崩壊した)中田英寿と監督・西野朗の関係でも同様、世代別の世界大会に2度も参加してきた中田英寿の「経験」の方が、アトランタ五輪が初めての世界大会だった西野朗の「経験」よりも優越していると、金子達仁はこの理論を元に言っている。

 その伝で言うならば、1999年にナイジェリアで開催されたワールドユース選手権で決勝に進出した小野伸二、稲本潤一、遠藤保仁らの「経験」の方が、中田英寿らの「経験」よりも優越しているはずである。

日本ユース代表、サバンナを駆ける
後藤 健生
マガジンハウス
1999-07T


 ところが、別の場所で金子達仁は、「厳しい批判」に拘るあまり、あるいは仲の良い中田英寿らの優越を説きたいばかりに、ワールドユースで活躍した選手は大人の選手として大成しないなどと言い出した。それが証拠にスペインの○○○○選手は……などと例をあげてみせる。

 これでは話の辻褄が合わない。

 もうひとつ金子達仁の謎理論。同じく『28年目のハーフタイム』第5章では、若手選手の育成システムが確立された現在では、サッカーの世界的実力はその国の人口に比して決まるという説も展開していた。

 ところが、これも人口大国の中国(約14億人)があれだけ金をかけてサッパリ強くなっていないことなど、サッカー界では金子達仁の独創的な理論に合致しない現象がさまざま起こっている。

金子達仁のトリセツ抄
 要するに、金子達仁は「日本人であることの劣等感」の極端な裏返しとして、親しい選手を身びいきし、話を単純化し、ご都合主義で物事を論じているに過ぎない。

 『28年目のハーフタイム』をそれだけ読めば、いかにも歴史的なサッカー本・スポーツ本の傑作に思える。

 しかし、視界を広げてサッカーライターとしての金子達仁を見極めれば、彼は「電波ライター」としての側面も強く、それは『28年目のハーフタイム』でもあちらこちらで露呈している。

 そこはきちんと心得て読んだ方がいい。





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[文中敬称略]

トッティと中田英寿の「現代サッカー批判」
 2023年11月、中田英寿がテクニックよりもフィジカル重視になった現代サッカーの現状を憂いている、だから彼はもうサッカーは一切見ていない……というニュースが流れ、サッカー界隈に衝撃(?)を与えたらしい。
トッティは「サッカーと走ることは別もの」
 日本代表のレジェンドである中田英寿氏が、DAZNで配信中の『22YEARS』で、ASローマ時代にチームメイトだった元イタリア代表MFのフランチェスコ・トッティ氏と対談。当時の思い出話や現在のサッカーについて語り合っている。

 そのなかで、2人が嘆いたのが現代サッカーのスタイルだ。稀代のファンタジスタだったトッティ氏が「いまはフィジカル重視だから、俺らの頃と比べれば難しくなっている。いまはもうテクニックじゃなくて、フィジカルなんだ」と話すと、中田氏は「どれぐらい走れて、どのぐらい速いか、強いか…」と反応する。

 さらに、アッズーリで10番を背負った名手が「GPSを使って100キロ走ったとか100回ダッシュしたとか。サッカーと走ることは別ものだ」と主張すると、中田氏は「そうだね。そこが問題なのに分かっていない人が多い」と共感。こう言葉を続けている。

 「ファンタジーのあるプレーはもう見られない。だから俺〔中田英寿〕はもうサッカーは一切見ない」

中田英寿@NHK「NHK日本サッカーの50年」第4話
NHK「日本サッカーの50年」第4回で発言する中田英寿

 この言葉を聞いたトッティ氏は、「ある意味、もう楽しくなくなったかもな。熱狂しなくてなって以前とは別ものだ」と寂しそうにこぼしている。

 洗練されたテクニックでファンを魅了した両雄にとって、今のサッカーは〈楽しさ〉が失われていると感じているようだ。

サッカーダイジェストWeb編集部「〈俺はもうサッカーは一切見ない〉~中田英寿が指摘する現代フットボールの問題点〈分かっていない人が多い〉」(2023年11月15日)https://www.soccerdigestweb.com/news/detail/id=142904
 こういう中田英寿の発言を読んで、やっぱり中田英寿は凄いなぁ~鋭いなぁ~などと思っているサッカーファンがいたら、それはサッカーに対するリテラシーが低い人である。

 なぜなら、中田英寿のような発言は別に珍しくない、昔からあることだからである。

エリック・バッティの「現代サッカー批判」
 サッカージャーナリストの後藤健生は、自身が中高生だった頃、英和辞典を頼りに英国のサッカー誌『ワールドサッカー』を読み、英語を学びながら海外サッカーの情報を入手していたという思い出話をたびたび書いている(次のリンク先参照)。
  • 参照:後藤健生「バイエルンのサッカーは面白かったか? プレッシング・スタイルを凌ぐ新たな動きに期待」(2020年8月31日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20190310219022/
  • 参照:後藤健生「勝点の桎梏から開放された結果の〈5対4〉 ケイン,ヴァーディーの2ゴールはイングランド代表への朗報?」(2018年5月15日)https://news.jsports.co.jp/football/article/20180515155523/
 これによく登場するこぼれ話である。『ワールドサッカー』誌にはエリック・バッティという、英国サッカージャーナリズムを代表する名物記者がいた。

 このバッティが当時(1960年代後半)よく書いていたのが「昔のサッカーは面白かった.今はハードワークばかりで守備的で面白くない」だとか「最近のサッカーはフィジカル重視,守備重視で面白くない」だとかいった「現代サッカー批判」だった。<1>

 当時はジョージ・ベストの全盛期で、例えばベストにボールが渡ると、彼はゆっくりと前を向いてドリブルに移り相手DFと勝負を始める。DFもベストが前を向くまではむやみに仕掛けない。

 アヤックスやオランダ代表のように、全員がボールハンティングに行くようなサッカーが一般的になるのはこれより後。アリゴ・サッキ監督のACミランが、プレッシングを前面に押し立てたサッカーをするのはこれより20年数年後のことである。

 そんな時代だったのに、バッティは「昔のサッカーは攻撃的でよかった」と言っていたのである。

 この後も、現代サッカーはフィジカル重視でつまらなくなった、現代サッカーは守備的でつまらなくなった、現代サッカーは科学的と称してつまらなくなった、現代サッカーは勝利至上主義でつまらなくなった……といった「現代サッカー批判」は、折に触れてサッカー評論に登場している。

 つまり、中田英寿らの「現代サッカー批判」は約60年前(1960年代)から存在する、ベタなネタなのである。

中田英寿の発言の信憑性を疑う
 「ファンタジーのあるプレーはもう見られない.だから俺はもうサッカーは一切見ない」という中田英寿の発言を読んで、当ブログは「はて?」と首を傾げた。そもそも中田英寿は、そんなに(特に他人の)サッカーの試合を見る人物ではなかったはずだ。

 それを確認するために、彼の著作『中田語録』(構成:小松成美)に目を通してみた。

中田語録
文藝春秋
1998-05-01


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09-10


 その中の『「俺にはお手本はいらない」~サッカーの上達法を問われて。012』という項目のページには、次のようなことが書かれてあった。

 中田英寿は、他のサッカー選手のプレーには全く興味が無い。憧れの選手もいなければ、ワールドカップの試合も見たことも無い。世界的に有名な監督やコーチの名前も知らない。週1回(郷里の山梨県で)テレビ放送していた『ダイヤモンドサッカー』も見たことが無い……。

 そんな中田英寿に「だから俺はもうサッカーは一切見ない」などと言われても信憑性がない。アンタ、もともと(プロのサッカー選手なのに)サッカーの試合を見ていないって言ってたんじゃないか? ……とツッコミを入れたくなるのである。

ワールドクラスの階梯からは脱落した中田英寿
 もうひとつ、中田英寿はワールドクラスのサッカー選手になれなかった人である。

 イタリア・セリエAで地方クラブのペルージャからビッグクラブのASローマに移籍した時は、こりゃ凄い、一体どこまで伸びるんだか……と期待させた。ところが、ここからつまずく。

 ASローマの同じポジションにはフランチェスコ・トッティがいた。中田は同じ地位を争うことになるが、これに敗れてトッティの控えに甘んじる。

 巻き返しをねらって2001~2002年シーズンからパルマに移籍するものの、成績は低迷。イタリアのマスコミからは酷評され、チームの絶対的な「司令塔」の地位を築けず、監督と対立してレギュラーから干される。

 その後、3つほどクラブを転々とするが、一時期の輝きはなかった。レギュラーですらなく、多くは控えに甘んじた。2006年にそのまま引退。国際クラスのサッカー選手としては尻すぼみで終わった。

 ジョージ・ベストや、ヨハン・クライフや、フランチェスコ・トッティが「現代サッカー批判」をするのならばともかく、こんなショボいキャリアしかない中田英寿が「現代サッカーはフィジカル重視でつまらなくなった」などと言われても、本来、そんなに有難みはない。

NAKATA神話はときどきメンテナンスされる
 中田英寿は、俺の時代のサッカーは凄かった、素晴らしかったと言うことで「俺も凄かった,素晴らしかった」と言いたい。しかし、現代のサッカーはサッカーとして駄目になったと言うことで「今の(日本人の)サッカー選手は凄くない」と言いたいのである。

 中田英寿は、今の日本サッカー総体にマウンティングを仕掛けてきたのである。

 しかし、欧州サッカーやワールドカップ本大会で、中田英寿以上の活躍をした日本人サッカー選手ならザラにいる。

 にもかかわらず、中田英寿が日本サッカー界であたかも神話的・特権的な存在に見えてしまうのは、イメージ戦略に成功したからだ。

 早々と現役引退し、今は日本サッカー界とも距離を置いている中田英寿だが、その「権威」の源泉はやはりサッカーにあるのだから、ときどきイメージ戦略でサッカー界隈に「お出まし」になる。日本サッカー総体にマウンティングを仕掛けてくる。
  • 参照:NAKATA神話は時々メンテナンスされる~フランチェスコ・トッティと中田英寿(2020年02月08日)https://gazinsai.blog.jp/archives/39853481.html
 今回、中田英寿がフランチェスコ・トッティとの対談に応じたということは、そのような意味であると解釈するべきである。

 賢明なサッカーファンは、これに幻惑されてはならない。





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『季刊サッカー批評』編集長の意外な評価
 今福龍太氏(文化人類学者)の著作『ブラジルのホモ・ルーデンス』(2008年)。初出は、1998年創刊の旧『季刊サッカー批評』誌の連載「サッカー批評原論」である。今福氏に執筆の機会を与え、重用したのは、その初代編集長・半田雄一氏であった。

 その昔、たまさか半田氏にお会いする機会があり、「どうして今福氏のような人の連載があるのですか?」とあえて不躾な質問を試みた。すると半田氏からは「いやぁ,アレはあくまで〈文学〉ですから……」という意外な答えが返ってきた。

 とどのつまり、今福龍太氏の『ブラジルのホモ・ルーデンス』はあくまで「文学」である。今福氏が修めた文化人類学は、少なくともサッカーへの言及については「学問」ではなく「思想」であり、それは「学問」を踏まえた「評論」ではなく、「思想」から発せられた「批評」または「文学」である。

「勝利至上主義」批判とは何か?
 中でも今福龍太氏が拘ってきたことは、近代主義や現代文明を執拗なまでに批判する「現代思想」である。それはスポーツの批評においては「勝利至上主義」(時に「勝敗原理」とも呼ぶ)への執拗な批判という形で発揮されてきた。

 ここで言う「勝利至上主義」とは、一般的に思われている「勝つためには時にアンフェアになっても手段を選ばない」といったような軽い意味ではない。サッカーや野球など競技スポーツにおいて「勝ち負けを争うこと、勝利を求めること」それ自体(!)を表す。

 本格的には「近代」になって成立した文物であるスポーツ。その「勝利至上主義」を「抑圧」とみなし、「近代」または現代文明の「抑圧」を重ね合わせ、これを徹底して否定し、嫌悪し、断罪することを、今福氏の「サッカー批評」は続けてきた。

 ちょうどそれは、1980年代、蓮實重彦氏(時に「草野進」名義も使用)や渡部直己氏らといった人たちが展開していた、現代思想やそれに触発された文芸批評に乗じた「野球批評」と通じる。

どうしたって、プロ野球は面白い
草野 進
中央公論新社
1984-09-01


 実際に今福氏の「サッカー批評」は蓮實氏や渡部氏の影響を受けている。なおかつ彼らの衣鉢をサッカー論壇で継承したいと願い、望み通りその座に就いたのが今福氏である。

 現代思想をテコにサッカーを語り、サッカーをタネに現代思想を語る。

 今福氏の『ブラジルのホモ・ルーデンス』は、これも蓮實氏(草野進)や渡部氏の「野球批評」と同様、いかにも現代思想的で難解な文体で、「これは知的に高尚で深遠であるはず」「自分は頭が悪いと思われたくない」と自らに強迫したサッカーファンや読書人によって正当化され、称揚されてきた。

「高見」の論説に感じた居心地の悪さ
 しかしながら、「現代思想」は世の中の実際の在り様にきちんと対応していないという批判をたびたび受けてきた。したがって、現代思想やそれに触発された文芸批評に乗じた野球批評というのも、本来は狭い内輪の「お約束事」の世界にすぎないのである。

 だから、20世紀の間は蓮實重彦氏(草野進)や渡部直己氏の野球批評をあれほど称揚していた玉木正之氏(スポーツライター)ですら、21世紀に入って、実は彼らの言説には一方で「〈高見〉の論説に感じた居心地の悪さ」も感じたと正直に告白するようになっている。
  • 参照:玉木正之「〈高見〉の論説に感じた居心地の悪さ」(2004-05-03)→http://www.tamakimasayuki.com/sport/bn_13.htm
 また「狐の書評」こと山村修氏(書評家)は、これらは所詮「スポーツを種に知的な批評を装って自らを輝かせようとする文芸評論家の書きもの」であると揶揄している。

狐の書評 (活字倶楽部)
本の雑誌社
1992-05T


 あるいは藤島大氏(スポーツライター)は、「スポーツそのものの美こそが絶対」として勝利至上主義を否定する蓮實氏の価値観は、あくまで他分野の一級批評家が遊んだ余技にすぎないことを指摘。その上で「勝つか負けるかは,どうしたってスポーツの醍醐味なのである」と、蓮實氏のスタンスを批判している。<1>

中田英寿にまつわる「資本主義」には無頓着な人
 今福龍太氏の『ブラジルのホモ・ルーデンス』もまた同様。ブラジル・サッカーやジーコ・ジャパン、あるいは中田英寿といった対象への、現代思想的な過剰な思い入れや贔屓の引き倒しが過ぎて「〈高見〉の論説に感じた居心地の悪さ」があり、何より、サッカーの実際の在り様にきちんと対応していない。

 例えば、今福氏による中田英寿礼賛論の論旨は、今福氏一流の晦渋な言い回しを一皮めくれば、実は氏が常々軽蔑している通俗スポーツマスコミ、その中田英寿礼賛論とは大差がない。海外リーグやワールドカップで同等以上の実績を上げた日本のサッカー選手ならザラにいるが、今もって中田英寿ばかりが称揚されるのは、それら言説の氾濫の余慶でもある。

 『ブラジルのホモ・ルーデンス』では、ジーコ・ジャパン(2002~2006年)における中田英寿の一連の不遜な立ち振る舞いこそ、サッカーの原理にかなったものと称揚し、他の日本代表メンバーや日本サッカー総体を見下げている。しかし、実際の中田の言動は、他のメンバーとの対立を乗り越え、その上で日本代表のチーム力を向上させるような性格のものではなかった。
  • 参照:藤島大「ジーコのせいだ」(2006年7月27日)→https://www.suzukirugby.com/column/column984
 中田英寿自身はそれでもかまわない。

 ワールドクラスの選手としての階梯からは脱落した中田英寿ではあったが、しかし、中田英寿礼賛論の文脈に則って、他の日本人選手や日本サッカー総体と自身との差異化を徹底すれば、日本市場相手に莫大な経済的利益を得られることが中田側には分かっていた。だから、ジーコ・ジャパンの中でも同じ手法をとった。その結実が2006年ドイツW杯における中田英寿の醜い引退パフォーマンスだった。

 これは、もはやサッカーではない。

フットボールサミット第2回「中田英寿という生き方」表紙
【2006年ドイツW杯における中田英寿の見苦しい引退パフォーマンス】

 何より、それこそが「資本主義」のやり口だ。「資本主義」によるサッカーへの侵蝕について常々批判する今福龍太氏ではあるが、こと中田英寿についてまわる「資本主義」に関しては全く盲目となり、かえってこれに掉(さお)さしてしまった。そこに今福龍太氏のサッカー「批評」あるいは「文学」の限界がある。

いやぁ、あくまであれは「文学」ですから…
 サッカージャーナリズムやサッカー論壇で、文化人類学者である今福龍太氏は何かと重用されてきた。凡百なサッカーライターたちの上に立って、「文化人類学」という高い次元の視点から、サッカーにまつわる現象・事象を分析し、その本質を私たちサッカーファンの前に示してくれる……という期待がなされてきた。

 しかし、その期待は正しいものではなかったようだ。

 『ブラジルのホモ・ルーデンス』はじめとする今福龍太氏のサッカー批評は、あくまで「文学」として読み味わうべきものである。





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 2022年6月は2002年日韓ワールドカップから20年ということで、各所で回顧記事が見られた。2002年W杯というと、楽しい思い出もあったが、韓国代表の「疑惑のベスト4」など、思い出したくない記憶もあり、なかなか複雑な気分になる。

2002年W杯「韓国vsイタリア」戦
【2002年W杯,韓国代表「疑惑のベスト4」】

 そんな中で、多くの人が忘れているだろうトピックとして「中田英寿(ヒデ)代表引退報道事件」というのがあった(詳細は次のリンク先を参照されたい)。
  • 参照:【日刊?日韓W杯10】「ヒデ引退」報道2(2002年06月13日)https://plaza.rakuten.co.jp/suzukitatam/diary/200206130000/?scid=wi_blg_amp_diary_next
 あの事件は、いったい何だったのだろうか?

 まずもって、中田英寿にとってサッカー日本代表とは「勝たせる必要のないチーム」である。日本代表を率いて海外の強豪に勝つ、勝ってみせる、勝てないまでも善戦・健闘に持ち込む……といったことは、中田英寿にとって意味はない。それでは、他の日本人選手と差別化できないからだ。

 そうではなくて、日本サッカーはクソだが、中田英寿だけは世界レベルで本物だ……と、いたいけな日本サッカーファンに信じ込ませた方が、中田英寿にとって利益になる。

 中田英寿は、実は日本のガラパゴス的なサッカー環境こそマーケットだからだ。

 日本のサッカーファンの根源的な劣等感の心の襞(ひだ)を、巧妙に刺激したのが中田英寿というサッカー選手なのである。

 だから差別化の対象は、海外のワールドクラスのサッカーやサッカー選手ではなくて、他の日本人サッカー選手、あるいは「日本サッカー」そのものである。自身も日本人のサッカー選手でもあるにもかかわらず……だ。

 1998年フランスW杯がそうであった。アウェーで大敗した国際試合、2000年のフランスvs日本戦もそうであった。極めつけは、無能なブラジル人ジーコ率いるジーコ・ジャパン(2002~2006年)における傍若無人の振る舞いだった。

フットボールサミット第2回「中田英寿という生き方」表紙
【英国紙は酷評した2006年W杯、中田英寿の引退パフォーマンス】

 しかし、地元で開催される2002年W杯はそのような行動はとり難い。日本代表は勝たなければならない。そこで、それでも2002年W杯において中田英寿(と中田英寿の所属会社サニーサイドアップ)が「日本サッカー」そのものとの差別化するべく図って仕掛けられた陽動作戦が「中田英寿(ヒデ)代表引退報道事件」だったのである。

 まぁ、野球の江川卓とか、ラグビーの平尾誠二とか、日本のスポーツ環境において、才能あるアスリートがその競技に秀でていることで多大なメリットを得ているのにもかかわらず、その競技そのものを邪険にし、現役生活に固執しない例は、結構見られる。

 サッカーの中田英寿もその系譜に連なる人物である。そんな、いかにも中田英寿らしい陽動作戦「中田英寿(ヒデ)代表引退報道事件」だったが、2002年日韓ワールドカップの盛り上がりに水を差した。きわめて不快なトピックであった。

(了)




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