スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ:サッカー > 中田英寿

デズモンド・モリス『サッカー人間学』の装丁への不満
 佐山一郎氏の『日本サッカー辛航紀』を読んでいると、1983年に邦訳・刊行された、英国の動物行動学者デスモンド・モリスの著作『サッカー人間学 マンウォッチングII』(原題:THE SOCCER TRIBE,岡野俊一郎監修,白井尚之訳)の話が出てくる。

サッカー人間学―マンウォッチング 2
デズモンド・モリス
小学館
1983-02


 モリスには既に『マンウォッチング』という有名な著作があり、まだ日本サッカーが「冬の時代」だった1983年に、あれだけサッカーの浩瀚な著作が刊行できたのは、その続編という位置付けだったからではないかと考えていた。

 佐山氏の『日本サッカー辛航紀』の解するところでは「新種の学術書として受け入れられたようだ」(138頁)とのことである。

 ところで、佐山一郎氏は『サッカー人間学』の装丁(表紙のデザイン)が、ひどく気に入らないようである。
 問題は(『サッカー人間学』の)装丁です。たとえ裏事情があるにせよ、写真カバーに日本リーグ〔Jリーグ以前の旧JSL〕の、三菱重工‐ヤンマーディーゼル戦を持って来るセンスに目まいがしました。

 今でいう浦和対セレッソ大阪戦なのかもしれないけれど、ヤンマーFW堀井美晴のドリブルを赤いゲームシャツの三菱DF斉藤和夫キャプテンが左から止めにかかる図でよいものかと。カバー写真はもっと選びようがあったはずです。〔以下略〕



 ちなみに、当ブログが所有している英語の原書『THE SOCCER TRIBE』の表紙がある(ペーパーバック,マスマーケット版かもしれないが)。あらためて日本語版と比べてみる。

「The Soccer Tribe」cover
【『THE SOCCER TRIBE』表紙】

デズモンド・モリス『サッカー人間学』表紙
【『サッカー人間学』表紙】

 原書の表紙は、イングランドのリバプールFCが欧州チャンピオンズ杯(当時)で優勝した時の写真である。比べてみると、たしかに日本語版は見劣りするかもしれない。

「知の再発見」双書『サッカーの歴史」装丁への不満
 同じような不満なら、当ブログにもある。

 フランスのガリマール出版社の「ガリマール発見叢書」(Decouvertes Gallimard)を、日本の出版社である創元社が翻訳出版権を獲得して、1990年から『「知の再発見」双書』としてシリーズ刊行した。

知の再発見双書_創元社(1)
【「知の再発見」双書(創元社のウェブサイトより)】

 さすが、この双書は知的好奇心をくすぐるテーマが多い。当ブログとしては、紋章学者ミシェル・パストゥロー著『紋章の歴史 ヨーロッパの色とかたち』(原題:Figures de l'heraldique)が面白かった。

 フットボール(サッカー,ラグビー)のデザインと、紋章学のデザインが深く結びついていることについて、ヒントになるところがいろいろあったからである。
 2002年、ワールドカップの年、同双書から『サッカーの歴史』(原題:La balle au pied:Histoire du football)が出た。原著者はフランスのサッカー史家アルフレッド・ヴァール(Alfred Wahl)、日本語版監修は大住良之氏。書店で、この本の背表紙を見た途端「これは買わねば!」と手を伸ばした。が、しかし……。

 ……表紙を見て脱力した。な、なんでやねん……。

サッカーの歴史 (「知の再発見」双書)
アルフレッド ヴァール
創元社
2002-01


 問題は「知の再発見」双書『サッカーの歴史』の装丁です。たとえ裏事情があるにせよ、写真カバーに中田英寿を持って来るセンスに目まいがしました。

 当時、サッカー日本代表のエース格だったのかもしれないけれど、サッカーの世界史的な深遠さも、サッカーの全世界的な熱狂の広がりもまったく感じない、中田英寿みたいなちょっと前に台頭した程度の、それも日本の若手選手でよいものかと。

 カバー写真は、ペレでも、クライフでも、マラドーナでも、ベッカムでも、昔のワールドカップの名場面でも……、もっと選びようがあったはずです。

 ちなみに、アマゾンに〈La balle au pied:Histoire du football〉の書誌情報があった。

 詳しい事情は調べなかったが、「知の再発見」双書は、フランスのガリマール出版社と日本の創元社では表紙の装丁が違うのかもそれない。そうだとしても……。

 ……創元社のウェブサイトに、「知の再発見」双書の各書の表紙を並べた集合写真がある。チンギス・ハン、オスマン帝国、イースター島、シルクロード、アンコール・ワット等々の装丁(表紙デザイン)と比べると、中田英寿が表紙の『サッカーの歴史』(左下)だけは、明らかに違和感があり、フランス書からの邦訳という有難みがなく、かえって安っぽいのである。

知の再発見双書_創元社(2)
【「知の再発見」双書の表紙(創元社のウェブサイトより)】

 で、結局、その本は買いませんでした。

(了)



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中田英寿,衝撃のイタリアデビューから20年
 中田英寿は「過去は振り返らない」ことをモットーにしているらしいが、『中田語録』(1998年5月刊,文・小松成美)という本には、ハッキリとそのような文言は見つけられない。そこにあるのは以下のような表現である。
「振り返ることは、評論家のすること」
ゲームが終わった後、自分のプレーについてなぜコメントしないのか、と言われて。(114頁)

中田語録
文藝春秋
1998-05


中田語録 (文春文庫)
小松 成美
文藝春秋
1999-09


 そんな「過去は振り返らない」はずの中田英寿が……、2006年にサッカー界を(なかんずく日本のサッカー界を)足蹴にして去っていったはずの中田英寿が……。
英紙も酷評した中田英寿2006ドイツW杯での猿芝居
【英紙も酷評した2006年ドイツW杯における中田英寿のパフォーマンス】

 ……2018年9月にもなって、ひょっこりサッカージャーナリズムに顔を出してきたのである。
 何だと思ったら、中田英寿がイタリア・セリエAのクラブ「ペルージャ」に移籍してちょうど20年。そのシーズン初戦、名門ユベントス相手に中田英寿本人が2得点(!)という、衝撃のデビューの20周年記念であった。

 もっとも、この試合自体はペルージャは負けている。2000年の国際試合フランスvs日本戦もそうであるが、中田ヒデは、ひとりの選手としては評価されるプレーをしても、チームとして強豪相手にアップセット(番狂わせ)を演じて見せたという展開は、意外に少ないのではないかという「偏見」がある。

 インターネットのみならず、紙媒体も中田英寿をイタリアデビュー20周年を特集している……。



 ……なるほど、出たがりではないと言いながら、こうやって中田ヒデ本人が時おり「お出まし」になることで《中田英寿神話》が再生産されていくのだなと思った。

 それでは、中田英寿がイタリアでプレーしていた時、イタリアで一番有名な日本人、少なくとも日本人アスリートは中田ヒデだったのか? これが違うのである。

 当時、イタリアで一番有名な日本人は原田哲也(はらだ・てつや)という、オートバイレーサー(ロードレースライダー)である。

原田哲也とイタリアのモータースポーツ人気
 イタリアで中田英寿より有名な日本人、原田哲也とは何者なのか? 日本本国よりも海外で有名な日本人とはよくいるが、原田哲也はその代表みたいな人物である。
原田哲也のライディング(左)と表彰台
【原田哲也 ライディング(左)と表彰台】

 1970年千葉県生まれ。10歳でポケットバイクを始め、1986年ロードレースデビュー。1993年から世界選手権250ccクラスに参戦、同年最終戦、劇的な逆転劇で世界チャンピオン(年間総合優勝)のタイトルを獲得。1997年よりイタリアのバイクメーカー「アプリリア」と契約していた。世界チャンピオン1回、世界選手権グランプリレース17勝(日本人タイ)、世界選手権グランプリレース表彰台55回(日本人最多)。
 世界チャンピオン(年間総合優勝)こそ1回限りだが、巡り合わせがよければもっとタイトルを穫れたはずだという評価も高い。
 そして、イタリアは欧州の中でも英国と並んでモーターレーシングの人気が高い国である。四輪車ならばアルファロメオ、フェラーリ、ランチア、マセラティ……、二輪車(バイク)ならばドゥカティ、モトグッチ、MVアグスタ、アプリリア……。世界的に有名なスポーツカーメーカー、バイクメーカーがたくさんある。

 林信次(はやし・しんじ)氏というモーターレーシングジャーナリスト兼編集者が『時にはオポジットロック』という本の中で書いていたことである。林氏は欧州からモーターレーシングやレーシングカー・スポーツカー関係の写真集をよく購入するのだが、そうした本には、英語とイタリア語を併記する場合が多いそうだ。

 かようにモーターレーシングの人気が高いイタリアであるから、彼の地で一番有名な日本人が中田英寿ではなく原田哲也だという説にもうなづけるわけである。

中田英寿礼賛本の編集長が原田>中田と認めた
 中田英寿と、原田哲也と、イタリアで、知名度が高い日本人はどちらか? インターネットを覗いてみても議論はつきないが、ある意味、この「論争」は決着が付いている。

 奥付には1998年9月1日発行とある。だから、実際の発売はもう少し早いはずで、同年6~7月に行われたサッカー・フランスW杯のすぐ後だった。

 月刊誌『新潮45』(昨今,自民党・杉田水脈議員のLGBT差別発言で世間を騒がせているあの雑誌)が、『アッカ!! ヒデとNAKATA全記録』という中田英寿を特集する別冊を出した。当時、話題になった本だから、覚えているサッカーファンも多いのではないか。

 全編これ、中田ヒデに対する幇間(ほうかん:太鼓持ちの意味)で、テストを受けさせたら中田英寿は平均よりIQが高いだとか、当時人気の女性タレント・中山美穂と対談してデレデレしてみせるお茶目な中田ヒデだとか、各界名士による中田英寿へのヨイショ談話だとか……。

 今読み直すと、とにかく『アッカ!!』はよく出来たトンデモ本である。

 ……いかに才能があるとはいえ、まだまだ未完成な二十歳(はたち)前後のガキ若造を甘やかせていたら、サッカー選手として駄目になってしまうだろう。実際、甘やかせたために中田ヒデは駄目になった。中田英寿はワールドクラスのアスリートとして成功したわけではない(そこが原田哲也とは大きく違うところである)。

 で、この『アッカ!!』は、名目上、中田英寿が編集長と言うことになっているが、中田ヒデが編集の実務をするはずもなく、実際には版元・新潮社のスタッフが本を制作している。中田英寿の役割は、正確には「監修」であろう。

 この実質的な『アッカ!!』編集長、奥付を見ると「寺島哲也」という男性である(違っていたらゴメンナサイ)。この人が、1999年初め、東京は新宿・歌舞伎町にあるトークライブハウス「LOFT/PLUS ONE」(ロフトプラスワン)で、中田英寿をテーマにしたトークライブを行った。

 「寺島」編集長は、中田英寿の話をひとくさり終えると、観客から質問タイム。ミーハーっぽいお姉さんが「イタリアで一番有名な日本人は,やっぱり〈ヒデ〉なんですかぁ?」と質問があった。

 すると「寺島」編集長。「違います.イタリアで一番有名な日本人は,オートバイレーサーの原田哲也です」とアッサリ回答。

 当ブログは、この辺の事情を知っていたので思わずニンマリしたが、質問をしたお姉さんをはじめ観客は、原田哲也のことが分からずキョトンとしていた。

 そんなわけで、イタリアで(延いては欧州で)一番有名な日本人(のアスリート)は、中田英寿ではなく、原田哲也だということが確定しました。

 こうした日本人が存在すること自体、《中田英寿神話》は文字通り神話でしかない……ということを傍証するものだ。

 それにしても、中田英寿礼賛本を作った人が意外と冷静な中田ヒデ評をしていたというのは、なかなか興味をかき立てられる話ではある。

(了)



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  • 差別問題などで揺れている元ドイツ代表メスト・エジル選手は、国際試合のキックオフ前に行われる国歌演奏のセレモニーで「国歌を歌わない」ことを問題視されていた。
  • しかし、もともとサッカーの国際試合では「国歌を歌う習慣」はなかった。例えばイタリア代表(アッズーリ)などは、かなり最近までそうであった。
  • 今後のサッカー界は余計なトラブルを避けるために、ナショナルチームの選手・スタッフは国歌を敢えて歌わないよう、FIFAが指導した方がいいのではないか。
メスト・エジル(左)とフランツ・ベッケンバウアー
【メスト・エジル(左)とフランツ・ベッケンバウアー】

中田英寿と「君が代」をめぐる美しい誤解
 サッカー日本代表で国歌を歌わない選手と言えば、俺たちの中田英寿である。
俺たちの中田英寿1
俺たちの中田英寿2
【中田英寿】

 1997年のフランスW杯アジア最終予選において、中田が「君が代」を歌わなかったことはいろいろと物議をかもした。
 かつて、中田英寿が「君が代」〔日本国の国歌〕を歌わないということで街宣右翼に脅迫や嫌がらせを受けたことを思い出す。日の丸〔や君が代〕は得体のしれない引力があるのだ。スポーツとはまったく違う強度を持った力が。彼らは、目の前のスポーツではなくて、日の丸をまとった〔そして君が代を歌う〕日本の代表が戦う姿を見たい。柔道でもフィギュアスケートでもスノーボードでも、日の丸があがる〔そして君が代が流れる〕ところ以外でそのスポーツを楽しんだことがある人はごくごく少数だろう。本当にスポーツが好きなのか、ただ単に日の丸〔や君が代〕が好きなだけではないか。

清義明『サッカーと愛国』56~57頁

サッカーと愛国
清 義明
イースト・プレス
2016-07-16


 「中田英寿は『君が代』を歌わなかった」に関しては、こんな「美しい誤解」が世間に流布している。

中田英寿は「君が代」を歌わなかったから…ではない
 そもそも、中田英寿は「君が代」を歌わなかったから問題にされたのではない。1997年のフランスW杯アジア最終予選の各試合の録画を保存している人は、再生してじっくり見てほしい。「君が代」を歌っていない選手なら他にもいる。

 いくつかの試合の映像を見てみたが、その選手はずっと「君が代」を歌っていなかった。かなり意志的な選択ではないかと憶測する。

 前回「サッカーの国際試合と国歌(1)~メスト・エジルの場合」(2018年08月09日)でも書いたが、もともと国際試合の前に流される両国国歌演奏のセレモニーでは、選手たちが国歌を歌う習慣はなかった。それが普通だった。国歌を歌うようになったのは、かなり後になって、ごく最近になって定着したものだ。

 国歌を歌う・歌わないは、「愛国心」や「ナショナルチームへの忠誠心」とは何の関係ない。

 1997年当時は、国際的にも日本代表でも国歌を歌う選手・歌わない選手とが混在していた。とにかく「君が代」を歌っていないのは中田だけではないのである。

意図的に日本のカメラから顔を背け続けた中田英寿
 それでは、なぜ中田英寿だけが「君が代を歌わない」と言われたのか?

 国際試合の両国国歌演奏の時には、ハンディカメラが寄って選手の顔をアップする。その時、中田だけが(わざとらしく)意図的に顔をそむける仕草をしていた。それを再三再四くりかえしたからである。
中田英寿19971117君が代1
【国歌演奏に際してカメラから意図的に顔をそむける中田英寿】

 これでは、中田が「君が代」を歌わないことが嫌でも目立ってしまう。

 こんなことをしていたのは(世界でも)中田英寿だけである。そもそも中田がこんな不審な行動をとらなければ、「君が代」を歌っていないなどと問題視されることもなかった。つまり、翌1998年1月に起こる『朝日新聞』とのイザコサもなかったのである。
中田英寿「朝日新聞」1998年1月4日
【「朝日新聞」1998年1月4日付より】

 この件に関しては、中田英寿(と彼のマネージメント会社サニーサイドアップ)にも問題がある。
不本意にも君が代を歌わされる中田英寿@1998フランスW杯
【不本意にも「君が代」を歌う羽目になった1998年W杯の中田英寿】

「反日」ではないが「嫌日」の中田英寿
 中田英寿が「君が代」を歌わなかったのは、右から見て「反日」、左から見て「ナショナリズムへの抵抗」……といった、すなわち政治的な理由ではない。それとは違う社会的・文化的な理由である。

 ゼノフォビア(xenophobia,外国人恐怖症または外国人嫌悪)という概念があるが、中田英寿には、いわば「日本フォビア」「日本(人)嫌悪」とでも言えそうな感覚がある。換言すれば「反日」ならぬ「嫌日」である。

 例えば、Jリーグ時代はほとんどサインに応じなかったという中田英寿は(増島みどり氏がそう書いていた)、しかし、欧州では気軽にサインに応じる(これはテレビで大写しにされていた)……といったことである。

 その他、逐一引用はしないが、中田の言動・立ち振る舞いの端々からコレを感じとることができる。

 外国人嫌悪ならともかく(よくないが)、自国(人)嫌悪とはいかにも不思議な感じがする。だが、少なくとも日本においては「自国(人)嫌悪」という気質は一定の存在意義がある。日本という国、日本人という人々は、欧米の主要国のそれに比べて何かとよろしくないという観念が強いからだ。

 なかんずく日本のスポーツ界はそうだとされている。

 だから「日本的な(スポーツの)在り方」をはみ出したり、批判的な言動・立ち振る舞いをしたりするアスリートが時々出てくる。野球の江川卓とか、ラグビーの平尾誠二とかがそんな感じだった。江川も、平尾も、その分、少し過剰評価されたような感がある。

 これを徹底的にこじらせると中田英寿というパーソナリティーが出来上がる。したがって中田は、さらに過剰な評価をされている。

 ずいぶんと〈ヒデ〉も「君が代」騒動で嫌な思いをしただろう。しかし、その厄介は一義的には中田自身が招き入れたものだ。

 つまり、中田英寿が「君が代を歌わなかった」という問題は、元ドイツ代表メスト・エジルや元フランス代表クリスティアン・カランブーのように、ナショナリズムへの複雑な心情や苦悩を内面に抱え、したがって自国の国歌を歌わなかった選手たちとは同列に論じる性格のものではない。

(了)



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ベッケンバウアー発言の信憑性
 メスト・エジル選手のドイツ代表引退問題&トルコ系ドイツ人への差別問題が大変こじれている。不勉強なので私見は控えるが、ひとつ気になったのは、エジル選手が国際試合キックオフ前のセレモニーで演奏される「国歌」(ドイツ国歌)を歌わないからケシカラン云々という話だ。

 例えば、Wikipedia日本語版の「メスト・エジル」の項目(2018年8月4日閲覧)には、以下のようなエピソードが掲載されている。
メスト・エジル
イスラム教を信仰しており、代表戦の試合前にドイツ国歌ではなく「心の平穏が得られる」としてクルアーン〔コーラン〕を心の中で唱えたことが話題になった。これに関してフランツ・ベッケンバウアーが「私が現役時代の頃は、皆で国歌を歌って士気を高めたものだ」と批判したが、エジルは「特に必要と感じない」とコメントしている。また、サッカー選手として支障がない範囲でラマダーン〔ラマダン〕も行っている。

メスト・エジル(左)とフランツ・ベッケンバウアー
【エジル(左)とベッケンバウアー】
 ……と、ベッケンバウアーが言ったというのだが、この発言の根拠に関してWikipedia日本語版には出典が記されていない。Wikipediaの説明にあてにならないものがあるのは「玉木正之氏と沢村賞とサイ・ヤング賞」に関連する記載を読んでも分かる。くだんのベッケンバウアー発言は信憑性が薄い、ガセネタかもしれない。なぜなら……。

1974年西ドイツW杯決勝から
 ……なぜなら、ベッケンバウアーの現役時代、各国の代表選手たちは国際試合の前に演奏される国歌(ナショナルアンセム)を歌う習慣がなかったからだ。

 論より証拠。1974年W杯決勝「西ドイツvsオランダ」の試合前、主将ベッケンバウアーをはじめ、ゼップ・マイヤー、ゲルト・ミュラー、パウル・ブライトナー……といった西ドイツ代表の歴々は、ドイツ国歌を歌っていない。

【Anthems of the Netherlands and Germany - 1974 WC Final】

ベッケンバウアー1974W杯決勝
ゼップ・マイヤー1974W杯決勝
【ベッケンバウアー(上),マイヤー】

ゲルト・ミュラー1974W杯決勝
ブライトナー1974W杯決勝
【G・ミュラー(上),ブライトナー】

 オランダ代表の選手は、やや遠慮がちにオランダ国歌を歌っている選手とそうでない選手とがいる。主将のヨハン・クライフは、なぜか口をモゴモゴ動かしている(この人はよく分からない)。

 かつては「サッカーの国際試合前のセレモニーでは,選手(やスタッフ)は国歌を歌わなければならない」という縛りはなかった。

1986年メキシコW杯の写真集から
 これは決定的証拠になるかもしれないが、1986年のメキシコW杯の際に学研が出した『瞬間(とき)よ、止まれ!』という写真集(ムック)がある。
学研ムック「瞬間(とき)よ、止まれ!」表紙
【学研『瞬間(とき)よ、止まれ!』表紙】

 この中にディフェンディング・チャンピオン(1982年スペインW杯優勝)として出場したイタリア代表のリポートが掲載されている。クリックして誌面上の写真の部分を拡大し、そのキャプションをとくと読まれたい。そこにはこうある。「▲国歌を聴きながら手をつなぎ決意を表すイタリアチーム。」と。
学研ムック「瞬間(とき)よ、止まれ!」74頁
【学研『瞬間(とき)よ、止まれ!』74頁より】

 サッカーの国際試合前のセレモニー、両国国歌演奏は「歌う」ものではなかったのだ。

 例えば、フットボリスタ誌の木村浩嗣氏は「国歌を歌わない選手を許すべきか」といった内容のコラムを書いている……。
 ……しかし、もともと国歌を歌う習慣などなかったのだから、許すも許さないもヘッタクレもない。

国歌を歌わないイタリア代表の選手たち
 意外なことかもしれないが、イタリアはかなり最近まで「国歌を歌わない」派だった。1994年アメリカW杯での、ブラジル代表、ドイツ代表、そしてイタリア代表を動画で比べてみる(それにしてもアメリカの軍楽隊の生演奏は素晴らしい)。


【ブラジル代表と国歌】


【ドイツ代表と国歌】


【イタリア代表と国歌】

 遠慮がちに小さく口を動かしている選手は何人かいるが、基本的にイタリア代表のメンバーは国歌を歌っていない(深呼吸するフランコ・バレージがまた素晴らしい)。

 ドイツ代表(西ドイツ代表)は、遅くとも1990年イタリアW杯の頃には国歌を歌うことになっていたらしい。

【1990年イタリアW杯での西ドイツ代表】

 ベッケンバウアーが「ワシが若い頃は、(国際試合では)皆で国歌を歌って士気を高めたものだ」などと言ったというのは、実はこの時の事が誤って伝えられたからなのだろうか? いずれにせよ、現役時代の話ではない。

 一方、イタリア代表は1998年フランスW杯の頃までは国歌を歌う習慣がなかったようだ。

【1998年フランスW杯でのイタリア代表】

 ここでも、イタリア国歌を歌っていない選手の方が目立つ。

 選手たちは肩を組んで大声で国歌を歌うという習慣は伝統的ではない。創られた伝統ですらなく、つい最近定着した習慣である。

アッズーリは「反イタリア」だろうか?
 しつこく、昔のサッカーの国際試合のキックオフ前の両国国歌では、選手は国歌を歌うものではなかったと書いた。国歌は歌うべきものだ、歌わない選手はケシカランと固く信じている「右でも左でもない普通の日本人」が多いからである。

 ツイッターにも、ドイツ国歌を歌わないエジル選手を難じるつぶやきを見かける。
 しかし、イタリア国歌を歌わないイタリア代表、フランコ・バレージ、パオロ・マルディーニ、ロベルト・バッジョ、ルイジ・ディビアッジョ、アレッサンドロ・デルピエロ……といったアッズーリの歴々は「反イタリア」で「パヨク」の「売国奴」なのだろうか?

 おそらく違うだろう。少なくとも、彼らが込み入った政治思想の持ち主であるとは聞いたことがない。

 趣味の問題だろうが、昨今の、選手が肩を組み大声で国歌を歌う習慣はかえってハシタナク思える。ベッケンバウアーが現役時代ドイツ代表(西ドイツ代表)や、少し前までのイタリア代表選手の方が好ましく見える。

選手・スタッフは国歌を歌わないようにした方がいい
 国歌を歌う・歌わないは、「愛国心」や「ナショナルチームへの忠誠心」とは関係ないものだ。かつては国歌を歌う習慣がなかったので何のイザコザもなかった。しかし、国歌を歌う習慣が定着したために、歌わない選手のその態度が問題視されるようになった。

 基本的には、国歌を歌おうが歌うまいが(1968年メキシコ五輪の「ブラックパワーサリュート」のような示威行為ならまだしも)不問にするべきである。。
山本敦久@a2hisa
【ブラックパワーサリュート:山本敦久・成城大学准教授のツイッターから】

 今回のエジル選手の代表引退問題はが意外なのは、「個人」や「多様性」を尊重するはずのヨーロッパの、なかんずく「ドイツ」代表チームだからである。

 あれだけナチスで懲りてナショナリズムには慎重なドイツが(いかにサッカーやW杯は別とはいえ)、同調圧力で(むろん「同調圧力」なるものは,日本のみならず世界中あちこちに存在する)国歌を歌わない選手を精神的に追い詰めていたのだのは、何とも不思議である(エルドアン・トルコ大統領の件はエジル選手の方も軽挙だったかもしれないが)。

 今後は面倒なトラブルが起こらないよう、国際試合の前の両国国歌演奏のセレモニーでは、選手とスタッフは国歌を歌わせないよう、また選手は胸に手を当てたり、肩を組んだりしないようにFIFA(国際サッカー連盟)は指導したらどうか。




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1997年11月16日は、サッカー・フランスW杯アジア最終予選第3代表決定戦(於ラルキンスタジアム,ジョホールバル,マレーシア)、日本代表がワールドカップ本大会初出場を決めた、いわゆる「ジョホールバルの歓喜」の試合からちょうど20年となる記念すべき日である(岡野雅行のゴールデンゴールによる試合終了は日本時間では日付をまたいで17日)。
ジョホールバルの歓喜_岡野雅行のゴールデンゴール
 この試合の録画映像(VHS)を見直して気が付いたことを書き留めてみた。

何と!NHKの解説が松木安太郎だった
 試合の中継を担当したのは、地上波はフジテレビ、衛星波がNHK(BS1)であった。あらためて見直してみて意外だったのは、NHKの解説が松木安太郎氏だったことである。

 松木安太郎氏といえば、民放地上波のサッカー中継(日本代表の国際試合)のメイン解説の常連で、その賑々しくて大仰な実況にふさわしい熱血漢的な解説、応援団長的なキャラクターというイメージがある。これはかなり「公的」なもので、松木氏は厚生労働省のキャンペーンポスターにも「ニッポンの中小企業応援団長」として起用されている。
松木安太郎_厚生労働省ポスター
 ところが、NHKでこの試合のコメンテーターを務めた松木安太郎氏は、時折「熱血漢」的な発言はするものの(「ケガなんか関係ないですよ!」みたいな)、終始冷静な口調に徹して解説していた。これがまず意外だった。

 松木氏は、実は民放地上波のサッカー中継の趣向に合わせてキャラクターを作っているという噂があるが、ジョホールバルの試合の中継を見ているかぎり本当かもしれない。

「君が代」を歌わないのは中田英寿だけではなかった
 「ジョホールバルの歓喜」の事実上のマン・オブ・ザ・マッチは、中田英寿で異論がないところだ。中田といえば、この時のW杯予選、試合前の対戦する両国国歌演奏の際に「君が代」を歌わない・歌っていないことが話題もしくは問題になっていた。ジョホールバルの試合でもそうである。このことで少し後、1998年1月にひと悶着起こす。
中田英寿19971117君が代1
 しかし、事の本質は「君が代」を歌わない・歌っていないことではない。知らない日本人が多いようだが、そもそも代表選手が試合前のセレモニーで国歌を歌わなければならないという「縛り」は、サッカーの国際試合には存在しない。こういうご時勢で差しさわりがあるから名前は出さないが、あの試合、あのW杯予選の各試合で「君が代」を歌っていない日本代表選手は他にもいる。
中田英寿「朝日新聞」1998年1月4日
【『朝日新聞』1998年1月4日付より】

 では、なぜ、中田英寿が「君が代」の絡みでそんなにマスコミの耳目を引いたのかというと……、この件は長くなるから、エントリーを改めて解説したいと思う。

ジョホールバルの旭日旗
 ラルキンスタジアムのバックスタンドに手描きの旭日旗の横断幕が掲げられているのを見つけた。ジョホールバルは、アジア太平洋戦争(大東亜戦争)の折、山下奉文(やました・ともゆき)将軍指揮下の日本軍がシンガポールを攻略するために上陸した、サッカーのみならず日本にとって因縁のある場所だった。
ジョホールバルの旭日旗(決定版)
 スポーツの場における「旭日旗掲示反対運動」をしている清義明(せい・よしあき)氏と木村元彦(きむら・ゆきひこ)氏は、何と思うだろうか? 別に是が非でも旭日旗を掲げさせろという立場ではないのだが、是が非でも旭日旗を封じ込めたい清・木村両氏のやり口は、かえってバックラッシュを生み、新たな憎悪を生むだけではないかと懸念する。

NHK版とフジテレビ版の異同
 いささか感情移入の強いフジテレビ・長坂哲夫アナウンサーの実況と比べると、NHKの山本浩アナウンサーの実況はいたって冷静、対照的である。NHKのスポーツ中継は試合会場の音声を低く抑えて放送する傾向もあって、はじめはNHKは日本のスタジオからモニターを見ながら実況しているのかと思った。

 しかし、試合後にラルキンスタジアムの放送ブースから、山本アナウンサーと解説の松木氏の姿が映って、何だ、現地から実況していたのかと、これまた意外に思ったくらいである。2人とも半袖のワイシャツだったが、ネクタイをしていた。クールビズ以前の話。

 この試合のテレビ中継には、名場面・名セリフがたくさんあるが、NHKとフジテレビの違いで放送されていないものもある。例えば、延長前半のキックオフ直前に日本代表の出場選手、控え選手、監督・コーチ、さらには女性の栄養士(浦上千晶氏)まで、スタッフ全員が加わった大きな円陣を組んでサイキングアップアップを図ったシーン。
ジョホールバルの円陣
【最後に円陣に加わるのが浦上千晶栄養士】

 この場面は、NHKには映っているがフジテレビでは放送されていない(CMが入ったためと思われる)。……と、いうことは、圧倒的に多い地上波(フジテレビ)の視聴者はこの円陣を直接見ていない。多くの日本人は後に放送されたり出版されたりした、ニュース番組の映像や雑誌か何かの写真で知ったのだ。
このピッチの上、円陣を組んで、今散った日本代表は……私たちにとっては「彼ら」ではありません。これは、私たちそのものです。
 延長戦前半キックオフの直前、NHK・山本浩アナウンサーの名セリフである。これも多数派のフジテレビ版の視聴者は直接には知らない。画面はちょうどセンターマークに置かれたボールをアップで映したところで、セリフと画面がピッタリと合った名場面でもあった。録画で見ていても、気障(きざ)なセリフだとは思いながら、まあ、しびれる。

地上波中継に空白地帯があった
 日本代表のフランスW杯本大会出場決定直後、日本列島は狂騒状態になった。NHKの中継では、静岡、青森、横浜、大阪、名古屋、広島……と、歓喜に沸く日本各地の様子を伝えている。キックオフから試合終了まで日付をまたいでいることから、盆と正月が一緒に来た「ゆく年くる年」といった趣であった。

 その中に、パブリックビューイングをやっていたNHK青森放送局からの放送があった。当地のアナウンサーの言葉から「青森のサポーターも熱く燃えています! 青森県内では、今日のこの試合の模様、通常の地上波の放送がありませんでしたので、NHKの衛星第一テレビでの視聴ということになりました……」。

 そうなのである。民放地上波で放送する場合、関東・関西・中京圏と違い(あるいはNHKと違い)、東京に5局あるキーステーションに対し、県によっては民放が3つ、あるいは2つしかないというところがある。つまり、この試合は地方によってはフジテレビ系のネット局が存在しない地上波放送の空白地帯が生じていたのだ。

 この試合のフジテレビの平均視聴率は47.9%だったというが、あくまで関東圏の視聴率である。日本の総人口が仮に1億人として、国民のうちおよそ4800万人が視たという喩(たと)えは正確な表現とは言えない。

 詳しく調べたわけではないが、サッカー日本代表の試合を民放の地上波に独占中継をさせると、今でも空白県ができるのだろうか? もっとも、一部で唱えられているように、東京に5つあるテレビ民間放送のキーステーションを3つくらいに再編・統合すれば、こうした問題もなくなるのかもしれないが。

 今の地上波テレビ、なかんずく民放の番組はつまんないからね。

中田英寿神話の虚実
 スポーツマンシップではなく「ゲームズマンシップ」にあふれ、日本サポーターを大いに苛立たせたイランのGKアベドザデはプロレスの悪役レスラーになっても成功しそうだ。

 そのアベドザデに「フライングヘッドバッド」を食らわして、自分も脳震盪になった日本のFW城彰二。その城の側頭部に両手をかけて中田英寿が何事かを語り掛けるシーン。
中田英寿が城彰二に何事かを語りかけるシーン
 これもジョホールバルの名場面で「中田英寿神話」の形成にもひと役買っている。一説に、岡田武史監督以下、日本代表のメンバーの誰もが城彰二の異変に気が付かない中、中田英寿だけは(この文言を何度も聞かされ読まされてきた)城の脳震盪に気が付いたのだという……というあたりが、いかにも「中田英寿神話」である。所詮、神話は神話に過ぎないのだが。

 こちらの場面はフジテレビにあって、NHKにはないものである。
試合後は興奮したり泣きながらインタビューに応じる選手が多い中で、中田〔英寿〕は落ち着いてインタビューに応じ、「代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにか盛り上げてください」とコメントした。

ジョホールバルの歓喜@ウィキペディア20171106
【ウィキペディア「ジョホールバルの歓喜」より(2017年11月13日閲覧)】
 ウィキペディア日本語版にこんなことが書いてあるが、大嘘である。

 NHKの中継に試合後にインタビューに登場した選手は、順に岡野雅行、井原正巳、相馬直樹、山口素弘……。みな冷静、意外なほどサバサバしていてである。中田英寿はNHKのインタビューには登場しない。

 「まあ……、代表はうまく盛り上がったんで、あとはJリーグをどうにかしてください」という中田のコメントは、NHKでは年末の再放送で流れた。もっとも、その後のサッカー人生を見ても、中田本人は「Jリーグ(日本のサッカー)もよろしく」という人間では全然なかったのだが。

 これまた、数ある「中田英寿神話」のひとつだろう。しかし、《「〈沢村賞は米大リーグのサイ・ヤング賞を真似して作られた〉という嘘」をスポーツライター玉木正之氏が吹聴しているという嘘》を平気で掲載している件といい、今回の中田英寿のコメントの件といい、どうしてウィキペディアの執筆者たちは事実を確認しないで書くのだろうか?

本当にひとりになりたかったのは誰?
 試合終了直後、中田英寿だけは喜びの表情を見せなかった……とか。ビクトリーランの列に中田英寿だけは加わらなかった……とか。試合後の記念の集合写真撮影の際にひとりだけ後ろでクーリングダウンしていた……とか。これらの逸話も、この試合から伝えられる「中田英寿神話」である。

 こうやって「意識高い系」(という言葉は当時存在しなかったが)を演出することによって、中田英寿は神話的に称揚されることになる。日本のジャーナリズムもサッカーファンも、それでかえって中田を甘やかすことになり、結局、中田は国際クラスのサッカー選手としては伸び悩み、尻すぼみで終わってしまった。

 しかし、フジテレビのカメラは、試合終了直後、名波浩と喜んでみせる中田英寿の姿をハッキリと映し出している。
試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)
【試合終了直後、人並みに喜んでいる中田英寿(右は名波浩)】

 さらに、NHK実況担当の山本浩アナウンサーは「ひとりになりたかった名良橋の姿もピッチの上に見られます」と語っている。本当に集団から離れてひとりになりたかったのは名良橋晃の方だったようだ。

 テレビは、虚心に見れば、思い込みとは違う「真実」が見られるメディアである。

(この項,了)


【追記】国際映像と日本の独自映像
 さらにあらためて、この試合のNHK版の録画を見直してみた。1997年当時はあまり気にならなかったことだが、おそらくは国際映像と思しき試合の映像の間にNHKの独自映像がバンバン入る。被写体は主に日本のベンチ、なかんずく岡田武史監督である。イランのベンチの様子などはほとんど映らない。
ベンチから戦況を見つめる岡田武史監督
 一喜一憂する岡田監督の様子や、延長戦直前に選手起用や戦術について考えに考え抜く岡田監督の様子などが映し出されてそれはそれで興味深いものがあった。一方、国際映像ではどうなっていたのだろう? 

 日本がワールドカップ本大会に出られなかったときは、NHK(20世紀のW杯の各国の放映権はもっぱら公共放送優先であった)は、国際映像をほぼそのまま放映していた。だが、日本がアジアの代表としてW杯本大会の常連となると、日本代表の試合では、この手の「独自映像」を多用するようになる。

 こういう「悪癖」は、この時すでに確立されていたのかもしれない。国際映像とは、言わば国際的な評価である。反面、日本のテレビ局の独自映像は、それを日本でのみ通用する価値観に変換してしまう。すべてが「日本目線」なのであって、「視点の第3者性,国際性」が損なわれてしまう。

 こうした習慣が、2006年ドイツW杯での中田英寿の醜悪な引退パフォーマンスにつながっていった……かもしれない。



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