スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ: 相撲

角界の暴力癖にはやたら寛大な玉木正之氏の不可解な言動
 大相撲の横綱日馬富士による貴ノ岩暴行問題(現時点で「事件」ではない?)の真相はよく分からないが、それ以上によく分からないのがスポーツライター(スポーツ評論家)にして、「スポーツ学者」として立教大学や筑波大学などの高等教育機関で「スポーツ学」を教えている玉木正之氏の言動である。
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 だいたい玉木正之氏は、日本スポーツ界にはびこる「暴力体質」をさんざん批判してきた人である。

 それなのに、今回の日馬富士の一件については、角界(大相撲界)の暴力体質や不祥事を隠蔽する体質を擁護するかのような発言をしている。要するに「喧嘩両成敗」にして当事者である日馬富士と貴ノ岩が握手をして、シャンシャンで事を収めろというのだ。

 そのほんの一例……。
タマキのナンヤラカンヤラ
2017年11月


11月22日(水)
朝5時に起きてイロイロ準備。5時半からRKB毎日放送『インサイト・カルチャー』電話出演の録音を録ってもらう。中味は日馬富士事件について。刑事事件になったこの結論とは別に日馬富士と貴ノ岩の間に八角理事長が入ってファンの前で謝罪。互いに相手を赦し合って手打ち…でいいのでは?と話す。大相撲原理主義革命を起こしたい貴乃花親方は受け入れないだろうな…と思いながら。6時の迎えのクルマに乗って東京六本木テレビ朝日へ。『羽鳥慎一モーニングショー』生出演。暴力絶対否定を訴えるコメンテイターに対して角界の自浄能力向上を訴える。維新力さんも同じ意見。日馬富士の厳罰処分はもちろん免れないがコレをきっかけに角界の暴力否定の「改革」が進んでほしい。ただし革命ではなく…。局のクルマでTBSへ。畳の間の控え室で少し横になって仮眠。途中週末のテレビ出演の依頼の電話が2本入るがどちらも断る。翻訳ができませんからね。『ひるおび!』生出演。銅谷志朗さんと一緒に日馬富士問題。貴乃花親方の革命は成功するでしょうか?無理でしょうねえ。支持者がいないから。だったらクーデターは混乱を招くだけで終わるしかないですね。そうですねえ。貴ノ岩が可哀想ですねえ…。といった会話を放送でしたのか控え室でしたのかは忘れた。大谷宏明さんによると「暴行事件」でも止むに止まれぬ暴行だったというような情状は斟酌されるとか。日馬富士に対する情状は?番組を終えて局のクルマの中で爆睡。神奈川大学へ。毎週の授業。今週もテレビに出演したことをきっかけにテレビというメディアの目的とジャーナリズムの目的の「違い」を某番組の資料とともに解説。そあとあらゆる格闘技を分類する方法を実践として演習。「裸と衣類」「道具を使う・使わない」「打つ(殴る)・投げる(組む)」など。格闘技の中の銃剣道についてもドラマ「私は貝になりたい」を例に解説。それはスポーツと言えるのか?…といったことを講義したあと原稿の書き方を教える。ビデオも用意したけど1時間半たっぷり話してしまう。終わって帰宅。うわっ。白鵬の抗議は最悪!嘉風の立ち会いは後の先を狙った最高の作戦。張り差しを狙って立ったのに双差しで懐に入られたから待っただと思った…などというのは言い訳にもならない。横綱の傲慢。最低。サンケイスポーツから電話で感想を求められたのでテレビで見て思った通り答える。これは理事長が厳重注意しなければダメですね。晩飯食って風呂のあと週末のオペラ講座の予習。ドニゼッティ『ロベルト・デヴリュー』。これは本当に素晴らしいオペラ(前にも書いたかな)でグルベローヴァの歌唱も演技も絶品。他の歌手も現代演出も素晴らしい。焼酎飲みながらオペラの勉強は最高に幸せな瞬間かな。
 あっち(大相撲を除く日本のスポーツ)とこっち(大相撲)で、玉木正之氏の言っていることが180度違っていて、唖然とさせられる。

玉木正之氏は貴乃花親方を否定できるのか?
 上に引用したコラム(日記? エッセイ?)を読んでいて気が付いたのは、かつて1980年代~90年代初めにかけて玉木正之氏は、フランチャイズ(ホームタウン)の全国分散化、親会社の名前を球団名から削除する……などの「日本プロ野球原理主義革命」を繰り返し訴え、煽ってきたことだ。

 それがなかなか受け入れられないとなると、世をすねて一時「スポーツライター」の看板を下ろし、小説執筆やら、クラシック音楽やオペラの評論などをもっぱらとしていた時期があったのだ。

 そんな玉木氏が、「大相撲原理主義革命を起こしたい貴乃花親方」のことを、何で否定的に評価できるのか? これまた理解しがたいことである。

相撲協会を宗教法人に…の玉木正之案はアッサリ撃沈
 あるいは、玉木氏は「大相撲はスポーツではない」とでも言うだろうか? その「スポーツではないものの=大相撲」のために「スポーツライター,スポーツ評論家」である玉木氏が大相撲に口出しするのもまたおかしい。

 大相撲はスポーツではない。真剣勝負の格闘技とは違う。相撲はそもそも神事である。だから「八百長」したって構わない。玉木氏は、こういう理屈をこねていた時期がある。そうだ、日本相撲協会を宗教法人にしてしまえばいい。大相撲は神事なのだから……玉木氏はこんな理屈もこねていた。

 ところが、大相撲の八百長問題を追いかけてきたジャーナリスト鵜飼克郎氏と、その件で対談した際に、鵜飼氏から「大相撲の親方衆には創価学会の会員が多い。選挙になると部屋一同で投票に行くケースが多いので無理でしょう」とかわされ、あっさり撃沈(参照『「大相撲八百長批判」を嗤う』)。取材しないで高みからモノを言う玉木氏と、地道に取材してきた鵜飼氏の違いがハッキリ出た。これには嗤(わら)った。
「大相撲八百長批判」を嗤う
玉木正之
飛鳥新社
2011-06-04

 玉木氏は「そもそもスポーツとは、暴力的な勝負をルール化し、ゲーム化した遊びです」と述べている(「スポーツの本質は『反暴力』スポーツ評論家・玉木正之さんに聞く」)。大相撲をスポーツと呼ぶのかはひとまず措くとして、相撲にもまた「暴力的な勝負をルール化し」たものである。それは、例えば力士の「塵手水(ちりちょうず)」の作法(力士が武器を隠し持っていないことを示す所作)にも残っている。
朝青龍による塵手水(ちりちょうず)
【朝青龍による塵手水(ちりちょうず)】

 
繰り返しになるが、一方(大相撲を除く日本のスポーツ)の世界の暴力の悪癖を徹底的に批判して、もう一方(大相撲)の暴力の悪癖に寛大なのは理解しがたい。

玉木正之氏の発言は信用に値しない
 先の玉木氏のコラムに「サンケイスポーツから電話で感想を求められた」とある。マスコミはスポーツ界で何かあると玉木正之氏にコメントを求めるのである(あれ? 大相撲はスポーツだったのか?)。サッカーのような明らかに専門外の分野にまで、マスコミは玉木氏のコメントを求める。

 評論家の呉智英氏が『現代マンガの全体像』でも書いているが、マスコミのコメント依頼の人選とは実にいい加減なもので、内容が悪くとも乏しくとも、ちょっと有名だというだけで起用される(追記:玉木正之氏がスポーツライターとして面白かったのは1980年代のプロ野球についてである)。スポーツ界では玉木正之氏がそうしたポジションにいる。

 しかし、玉木氏ほどいい加減でデタラメなことを書く人もいない。例えば……。
明治時代初期にフットボールが日本に伝えられたとき、サッカーは「ア式蹴球」と翻訳され、いち早く取り入れた慶應大学には、今も部活動に「ア式蹴球」「ラ式蹴球(ラグビーフットボール)」という名称が残っている。

 ……といった、ちょっとでも日本のサッカー史・ラグビー史を知っている人ならばすぐに見抜かれる大嘘を、フォーラムエイトという著名なIT企業のホームページに書いてまるで恥じない(参照「デタラメだらけの玉木正之コラム」)。

 玉木正之氏は、得体の知れない何かの理解者でも気取っているのだろうか? とにかく、こういう人の言い分は信用に値しない。今回の角界の体質を擁護する玉木氏の姿勢・発言についてもまったく同じである。

(了)


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 明石家さんまの弟は焼死している。はじめ事故(火事)による焼死だと伝えられたが、実は焼身自殺だったらしい。兄・明石家さんまと同じで高校時代はサッカー選手だった。国体への出場歴もある。家庭のことでいろいろ悩んでいたという。亡くなる直前、奈良県の阪奈道路(国道、元有料道路)で交通事故(転落事故)を起こしている。自殺未遂だったのか?
明石家さんまの弟の死を伝える週刊誌記事
【明石家さんまの弟の死を伝える週刊誌記事】

 日本の鹿島アントラーズがスペインのレアルマドリードに対して大善戦をした2016FIFAクラブワールドカップ決勝。テレビ中継で「ゲスト解説」をつとめていた明石家さんまは、この試合後「もし鹿島が2対1で勝っていたら、高速道路でいろいろなことを考えて〔交通事故を起こして?〕しまいそう」だったと語った。

 明石家さんまはスペインのレアルマドリードに勝ってほしかったのだ。

 むろん、日本人だから日本のクラブを応援しなければならない義務などない。それだけならば、別に構わない。しかし、明石家さんまは、世界一流のレヴェルを誇る欧州サッカーをこよなく愛し、それのみならず自身のサッカー観の見識の高さを誇るために日本のサッカーを貶さずにはいられない……という性癖の、いわゆる「海外厨」というカテゴリーのサッカーファンだった。明石家さんまのコメントはそうしたニュアンスを孕(はら)んでいたのである。

 当然、このコメントは顰蹙(ひんしゅく)を買って、ネットは炎上した。

 それにしても「高速道路でいろいろ考えていた」とは、興味深い。ひょっとして、明石家さんまは、死の直前に交通事故を起こした弟のことでも思い出したのだろうか? 死んだ弟も、明石家さんまと同じように「海外厨」だったのだろうか?

 こんなことを明石家さんま本人に面と向かって言うのは嫌がらせだが、明石家さんまが自身の「高尚な」サッカー観を誇示するために、公共の電波たるサッカー中継で日本のサッカーを侮蔑するのも日本のサッカーファンや日本のサッカー界に対する嫌がらせである。

 FIFAクラブワールドカップのテレビ中継を担当する日本テレビが、「ゲスト解説」として明石家さんまを起用し続けているのは、多くのサッカーファンに対する公然としたハラスメントである。


 それでは、(海外厨という性癖は別として)明石家さんまのサッカー解説が素晴らしいかというとそうでもない。この辺はNHKの大相撲中継における「デーモン閣下」の解説と比べると、その差、歴然である。


 民放地上波のスポーツTV中継の劣化・堕落はブラックホール並みに底なしである。

(了)


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