スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ: 玉木正之

 2023年シーズンのJ1はヴィッセル神戸の初優勝となった。Jリーグから新しいチャンピオンクラブが出たということは、サッカーファンとして嬉しい。

 さて、アンチ・サッカー派の野球ファンから「サッカーの味方」「Jリーグの味方」だと思われているスポーツライターの玉木正之氏。1993年に『Jリーグからの風』という本を刊行し「〈Jの理念〉を支持せよ!!」と煽りに煽っていた玉木正之氏。

 彼は、ヴィッセル神戸のJ1初優勝で何を語ったか?

玉木正之「欧州のサッカーにも応援団はない」
玉木正之氏

 玉木正之氏は、自身の公式サイトできわめて詳細で長文の日記(タマキのナンヤラカンヤラ)を公開している。そこで、ヴィッセル神戸がJ1優勝した2023年11月25日の日記を確認しておきたい。

 当ブログの読者やサッカーファンは、これを全部読む必要はない(読むと疲れるし,ほとんど何も得るものはない)。日記の中で太字・朱字で示したスポーツ、特にサッカーやJリーグへの言及を確認するだけでいい。
2023年11月25日(土)
 内田樹×白井聡『新しい戦前~この国の〈いま〉を読み解く』(朝日新書)読了。一番オモシロかったのは《第6章「暴力」の根底にあるもの》のなかに触れられていた教育論でしたね。《子供たち自身が自分で自分の心身を管理し抑圧している。その典型が「体育座り」です。膝を抱え込んで床に座る「体育座り」は自分の腕と脚を折りにして自分自身を縛り付ける体位です。胸が締め付けられているから深い呼吸はできない。手遊びができない。立ち歩きができない。子供たち自身が自分の身体を身動きできない状態(演出家の)竹内敏晴さんはこの「体育座り」を「日本の学校教育が子どもたちに及ぼした最も罪深い行い」だと批判していました(内田)》《戦わない人生に何の意味があるものか(白井)若者たちに直接「革命をめざせ」と語りかけてゆくしかないと思います。青春期に本気で取り組むことに「恋と革命」以外に何があるんだということをやはり社会的常識として言い続けておかなければいけないと思います(笑)(内田)》文中に(笑)と書かれていたとおり小生も思わず吹き出しましたけどその通りですね(爆)。最後にマスメディア批判がどーっと出てきてメディア(テレビ業界人)の「勇気の無さ」を批判されていた。《放送法の解釈変更で「停波もあり得る」と言われたらテレビ局は「やれるもんならやってみやがれ」と言えばいいだけなんですよね(白井)そうです。やればいいんです。「私どもの放送内容が気に入らないということで総務省の命令により本日ただいまより停波いたします。みなさんさようなら」とアナウンサーが言って画面がプツンと消えて暗転する。メディアが社会的にどういう役割を果たしているかを知らしめる上でこれほど劇的なチャンスはないと思いますよ(内田)》確かにその通りですけど新聞とテレビのクロスオーナーシップの酷さにも触れてほしかったですね。それに「スポーツウォッシング」の最先端としてのテレビの「働き」についても……ワン。ベッドを出て黒兵衛〔玉木正之氏の飼い犬〕と散歩。チョイと仕事をして昼飯後ビデオに溜まった録画番組の整理をしているとライザ・ミネリの来日公演のNHKの再放送なんてのを発見。見てしまう。ヤッパリ超一流のエンターテイナーの舞台は凄いですね。「キャバレー」にも「NYNY」にも感激。そしてJリーグヴィッセル神戸初優勝を見たあと大相撲。ヤッパリ霧島が一枚上手だったですね。まだわからないけど熱海富士との優勝決定戦を見たいですね。晩飯は遊びに来た長女とヨメハンと3人で大船のジビエ料理の店『アジト』へ。鹿の焼き肉と猪のぼたん鍋に舌鼓。アナグマのTボーンステーキは少々脂身が多くて参りいましたね(笑)。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」

 400字詰でほぼ3枚の文章を改行なしブッ続けで書いているが、驚くなかれ! 玉木正之氏が、サッカー、Jリーグ、ヴィッセル神戸J1優勝の話題について触れたのはたったの一言である。

 1行にすら満たない。大相撲(九州場所)を含めてもスポーツに言及したのは2行程度である。

 呆れた。あれだけ推奨しているはずのサッカーやJリーグの記述が、たったコレッポッチとは……。

 よく言われることだが、玉木正之氏はスポーツの現場に足を運ばない。取材しない。そのことでスポーツライターの同業他からの印象はハッキリ言って悪い。プロ野球の取材現場からはパージされたという説(広尾晃氏)があるが、それがいわゆる「取材」である必要はない。

 いわば「フィールドワーク」として、1~2週間に一度でいいから、サッカー・Jリーグ、バスケ・Bリーグ、ラグビー・リーグワンなどに足を運んでいれば、玉木氏のスポーツ観ももっと豊かで説得力を持ったものになっているはずなのだ。

 また、玉木正之のテレビの視聴環境は、どうやら無料で見られる地上波とBSだけらしく、DAZNやJスポーツ、GAORA、日テレジータス、スカイA……といった有料スポーツチャンネルに加入していないらしい。だから現場に行かないだけでなく、テレビでもあまりスポーツを見ていない。

 だから「タマキのナンヤラカンヤラ バックナンバー 2023年2月」を読んでも、DAZNのみで放送した2023年2月17日(金)に開幕したJリーグ(開幕戦:川崎フロンターレvs横浜F.マリノス)の話題には触れていない。

 玉木正之氏がヴィッセル神戸のJ1優勝について、ほんの一言でも触れたのは地上波テレビのNHK総合テレビで放送したからだ。NHKは放送しなかったら、開幕戦の時と同様、J1のヴィッセル神戸優勝に何も発言していなかっただろう。

 そう思うと、またまた呆れる。

 こんな人物が、日本のスポーツジャーナリズム、スポーツ評論の「権威」として発言しているのは、踏み込んだ言い方をしてしまうと……許せない。

 玉木正之氏にとっては「Jリーグの理念」という器さえあれば中身の「サッカー」などどうでもいいのであろう。





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 最近はプロ野球も見なくなっていたが、2023年のNPB日本シリーズ「オリックス・バファローズvs阪神タイガース」は久方ぶりにテレビで観戦した。

 元来、阪神タイガースのファンである玉木正之が、しかし自身の「勝利至上主義」批判の立場から、タイガースの「醜い勝利」よりも「美しい敗北」を願っていた(と思われる)からで、タイガースに少しばかり肩入れして見ていた。<1>

 結果は、めでたく「玉木正之,ザマァァァァァァァァァァァァミロ!!!」とX(旧Twitter)に書くことができた。

 しかし、試合を見るのは難渋した。

 バッターは、打席を外す、何本もファウルを打って粘る。ピッチャーは、牽制球を投げる、2ストライクに追い込んだらほとんど必ず1回ストライクゾーンを外れる球を投げて逃げる……。そんなこんなで試合時間がだらだらと長くなり3~4時間もかかる。

 4時間となると、サッカー、バスケットボール、ラグビーのほぼ2試合分の時間である。

 今年、女子サッカーW杯、バスケットボールW杯、ラグビーW杯、そしてサッカーJリーグの某クラブの試合を、ずっと見続けてきた身には野球の試合の長さはじれったい。キツイ。

 熱心な野球ファンは、これこそ野球のゲーム性だ、駆け引きの妙だというのかもしれないが……。

 NPBも、やはりここはアメリカのMLBに倣って「ピッチクロック」を導入して、試合時間を短縮することを考えた方がいいのではないか。





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【ネタバレあり】

 NHKのテレビ番組「チコちゃんに叱られる!」2023年11月10日(金)放送分に「なぜ静岡県はサッカー王国?」という問題があった。
静岡県はなぜサッカー王国?
 チコちゃんが「静岡県はなぜサッカー王国?」と聞いてゲストらが答えを予想した。

 正解は錦織〔にしごり〕校長が全校生徒にサッカーをやらせたから。

 サッカージャーナリストの後藤健生さんが解説。サッカー日本代表の出身地は静岡県が17人で1位。都道府県別サッカーファンランキングでも静岡県が1位。

 静岡県にサッカーが伝わったのは大正時代の中ごろ。1919年に第1次世界大戦で捕虜になったドイツ兵がサッカーをしていたのを小花不二夫さんが偶然目撃し興味を持ち、その後、静岡師範学校(今の静岡大学)に静岡初のサッカー部を作った。

 しかし日本各地には既にサッカー部があったので静岡県は遅かったぐらいだという。〔当時の日本では〕野球が大人気でサッカーはマイナーなスポーツだった。

 東京高等師範学校〔現在の筑波大学〕は日本で初めて本格的なルールでサッカーに取り組んだ。〔そのOBの〕錦織兵三郎〔にしごり・ひょうざぶろう〕さんは藤枝東高校〔当時の旧制志太中学校〕で静岡サッカー王国の基礎を築いた。

 その経緯〔略〕。〔錦織兵三郎さんは〕サッカーの手軽さと将来性に期待し校技として全校生徒にやらせ創部5年で全国制覇。ベルリンオリンピックでは日本代表に志太中OBが選ばれた。

 昭和39年に藤枝市に日本初のサッカースポーツ少年団が誕生。昭和42年に清水市で日本初の小学生リーグが誕生。志太中学校はその後藤枝東高校となり国体・インターハイ・冬の選手権すべてで優勝し史上初の高校サッカー三冠を達成。

 その他の静岡県勢も大活躍し、いつしか静岡県はサッカー王国と呼ばれるようになった。

文字起こし「TVでた蔵」

NHK「チコちゃんに叱られる!」▽サッカー王国ほか(初回放送日:2023年11月10日)https://www.nhk.jp/p/chicochan/ts/R12Z9955V3/episode/te/Z159965M5X/
 やはりというか、要するに、どんなスポーツも「人為」によって普及・発展し人気が出るのである。「静岡人の県民性」などという得体のしれない代物が、静岡県を「サッカー王国」にしたわけではないのである。

 野球も然り。日本で野球がサッカーやラグビーといった他のスポーツに先駆けて普及・発展し人気が出た理由は、平岡熈(ひらおか・ひろし)というアメリカ留学帰りの鉄道技術者による「人為」である。
  • 参照:平岡熈~我国初の野球チームを結成(野球殿堂博物館)https://baseball-museum.or.jp/hall-of-famers/hof-002/
 ところが、それを認めたがらない。その国でどのスポーツの人気が出るかは、その国の「国民性」などという得体にしれない代物が決定するという、間違った固い信念を崩さない哀れな人物がいる。玉木正之である。

 その持論を「1対1の勝負説」と呼ぶ場合がある。
玉木正之「1対1の勝負説」要約
 世界史的な戦争の歴史では、鉄砲が発明され普及すると刀・剣・槍などを使った1対1の白兵戦から集団的な戦闘に変化する。ヨーロッパでは歴史的にずっと戦争をやってきたから集団戦闘の文化がある。

 しかし、日本では西暦1543年の鉄砲伝来から約半世紀後の1600年の関ヶ原の戦いで戦争の時代が終わってしまい、1868年の明治維新まで250年余り平和な時代が続いたので、日本人には集団戦闘の文化が普及しなかった。戦いと言えば宮本武蔵vs佐々木小次郎の「巌流島の決闘」のような1対1の戦いだという文化が日本人には浸透していた。

 明治に入って、さまざまなスポーツ、特に球技スポーツが日本に輸入されたが、日本人は「野球(ベースボール)における投手vs打者の対決」に自分たちの感覚に合う1対1の戦いの要素を見出した。だから日本では野球が圧倒的な人気スポーツとなった。

 反対に、集団戦闘的な球技スポーツであるフットボール、すなわちサッカーやラグビーは日本人には人気が出なかった。

玉木正之の「スポーツって,なんだ?」#15日本で野球が人気なのはなぜ?(春陽堂書店)https://www.shunyodo.co.jp/blog/2019/02/sports_15/
 端的にこの玉木正之の持論は間違いである。

 日本に野球が紹介され始めた当時、明治20年(1887年)頃までの野球のルールは、現在のそれとは大きく違う。そのゲーム性を、投手vs打者の対決を「宮本武蔵vs佐々木小次郎の〈巌流島の決闘〉のような1対1の戦い」と見なすことはとても出来ないからである。
  • 参照:サッカーと野球をめぐる玉木正之氏のデマ(2023年02月18日)https://gazinsai.blog.jp/archives/48523284.html
 NHKが2009年~2011年にかけて放送したテレビドラマ『坂の上の雲』に、明治18年(1885)頃のこととして、物語の主人公の1人である正岡子規が、ベースボール(日本語名の「野球」はまだない)の試合をやるシーンがある。

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部 DVD BOX
菅野美穂
ポニーキャニオン
2010-03-15


 そこで再現されたベースボールは、まさしく日本に輸入された当時のルールに則ってプレーされている。

 ちなみに玉木正之氏は、2011年までNHKの番組審議委員を務めていた。なのに当ブログが知る限り(インターネットでしつこく検索をかけた限り)、テレビドラマ『坂の上の雲』での正岡子規の野球シーンに言及したところは見たことがない。ダンマリを決め込んでいる。

 玉木正之氏にとっては、この場面は都合が悪いからである。

 とにかく玉木正之氏の「1対1の勝負説」は間違っている。

 だいたい、そのスポーツにある「固有のゲーム性」とその国の国民の「固有の国民性」との相性が云々……という議論は、全てデタラメである。

 そのことをあらためて確認させてくれたNHK「チコちゃんに叱られる!」であった。





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 阪神タイガースのファンである玉木正之は、1985年のタイガース優勝を懐古し、賛美する。
 ……優勝から見放されて21年目となった1985年……甲子園での巨人戦で、バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発が飛び出し、それをきっかけに猛虎打線が大爆発!

 「勝ったァ! 勝ったァ! また勝ったァ! よーわい巨人にまた勝ったァ!」とタイガース・ファンは連日の大合唱。当時「浪人中」だった長嶋茂雄氏も「タイガース・フィーバーで日本列島が揺れている」と表現するほどの大騒ぎとなった。<1>

 何しろシーズン開幕前は、あらゆる野球評論家がBクラスの予想。それが……爆発的猛打で……勝ち進み、日本シリーズで巨人の管理野球の進化形である広岡西武ライオンズまで一蹴した爆発力は、高度経済成長が完全に幕を閉じ、オイルショック後の未来が描けない時代に、幕末の「ええじゃないか騒動」にも似たような乱痴気騒ぎまでも巻き起こしたのだった。

玉木正之「〈アレ〉を喜べない古い虎ファンの嘆き/阪神タイガースは,ただ勝てばいいのか!?」http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_238.html
 一方、2023年の阪神タイガース優勝には冷淡だ。
 その後タイガースは03年(星野監督)、05年(岡田監督)と2度の優勝を果たしたものの「85年のタイガース・フィーバー」ほどの社会的騒動までは至らなかった。

 それは何故か? それは日本シリーズに負けたからというような問題ではない。今年のタイガースの優勝もそうだが、それらは、「ただ勝っただけ」の騒ぎに過ぎないのだ。

 今年〔2023年〕、85年のタイガースの優勝と同じように、道頓堀川に飛び込む連中が現れたところで、それも、03年、05年の飛び込みと同様、「ただ飛び込んだだけ」に過ぎない。そこには、何か世の中に不満が……とか、世の中を変えなければ……という「意志」が感じられないのだ。

 85年のタイガース・フィーバーには、「アレ」ではなく「ソレ」が感じられた。

 ……今春のWBCでの日本の優勝と同じで、勝てば大騒ぎになるが、勝たなければ騒がれず、勝っても勝ったこと以上の社会的インパクトは存在せず、それが未来(の日本の野球文化)につながるものとも言えないのは、非常に悲しいことと言うほかない。

玉木正之「〈アレ〉を喜べない古い虎ファンの嘆き/阪神タイガースは,ただ勝てばいいのか!?」
 「ただ勝っただけ」と玉木正之が否定的なのは、蓮實重彦(草野進)のプロ野球批評にある、狂気じみた「勝利至上主義」批判の精神を玉木正之が継承しているからである。

 ここで言う「勝利至上主義」とは「試合に勝つためには時にアンフェアになっても手段を選ばない」といった軽い意味ではない。もっと極端に、野球やサッカーなどのスポーツにおいて「勝ち負けを争うこと,勝利を求めること」それ自体が反スポーツ的な「勝利至上主義」だとして批判している(!)。だから狂気じみているのである。

 その狂気じみた「勝利至上主義」批判こそ、かえって2023年の阪神タイガースの優勝を評価する感受性を玉木正之から喪失させている。

 だから、2023年の阪神タイガースの優勝を「ただ勝っただけ」にしか見えないのだ。

 また、スポーツの枠を超えた「勝っても勝ったこと以上の社会的インパクト」を与えることができないならば、その勝利は価値は無いなどと玉木正之は言うが、そのような勝利はそうそう頻繁に出現するものではない。

 1985年の阪神タイガースの優勝に匹敵する「勝っても勝ったこと以上の社会的インパクト」をもたらした勝利があるとすれば、1975年の広島カープのリーグ初優勝だろうか。


1975年 広島カープ初優勝の瞬間(TBSラジオ)

 その他にあといくつあるのか?(そんなにない)

 90年近い日本プロ野球の歴史(1936~)でも特異な、1985年の阪神タイガースの優勝をもって、2023年の阪神タイガースの優勝を否定する玉木正之はおかしいのである。





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[文中敬称略]

阪神タイガース優勝を貶しまくった草野進=蓮實重彦
 草野進こと蓮實重彦は、1985年、阪神タイガースがセントラルリーグと日本シリーズで優勝した時に、何が癪に障ったのか、これを貶しまくっては冷や水を浴びせまくっては得意がっていた。
  • 参照:草野進=蓮實重彦「プロ野球批評宣言(6)阪神タイガースの優勝は,文化からははるかに遠いあられもなさの勝利だ」(Sports Graphic Number 134号 1985年10月18日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/189
  • 参照:草野進=蓮實重彦「プロ野球批評宣言(7)'85年度日本シリーズで勝利したのは大洋ホエールズだった!」(Sports Graphic Number 136号 1985年11月20日発売)https://number.bunshun.jp/articles/-/322
  • 参照:草野進=蓮實重彦「蓮實庵~プロ野球批評宣言_年譜」http://okatae.fan.coocan.jp/kusano.html
 時は流れて、2023年、阪神タイガースの18年ぶりのセントラルリーグ優勝(そして38年ぶりの日本シリーズ優勝)に、せこいケチを付けた玉木正之は(スケールはずいぶん小さいけれども)草野進=蓮實重彦の真似をしたのではないかと思わせるところがある。
  • 参照:日刊ゲンダイDIGITAL「スポーツ文化評論家・玉木正之氏が憂う〈勝利至上主義〉~ただの強いだけの阪神なんてオモロない」(2023/10/02)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/329789
 玉木正之も、草野進=蓮實重彦も、その主眼にあるのは野球(スポーツ)における「勝利至上主義」批判である。

「勝利至上主義」批判とは何か?
 ここで言う「勝利至上主義」とは「試合に勝つためには時にアンフェアになっても手段を選ばない」といった軽い意味ではない。もっと極端に、野球やサッカーなどのスポーツにおいて「勝ち負けを争うこと,勝利を求めること」それ自体が反スポーツ的な「勝利至上主義」だとして批判している(!)。

 玉木正之が2023年の阪神タイガース優勝を評しての「勝ち負けを超越した面白さ」「勝ちゃええ風潮は間違っています」「世の中には勝つことよりも大事なものがある」といった文言は、実は玉木正之の「勝利至上主義」批判なのである。

 しかし、藤島大が遠回しに揶揄・批判していたように、草野進=蓮實重彦の「勝利至上主義」批判とは、他分野の一級批評家の「余技の遊び」にすぎない。あくまで狭い内輪の世界の「お作法」でしかない。<1>

 それは、スポーツの評論ではなく、いわばスポーツの文芸批評にすぎない。あるいはいたずらに衒学的で晦渋なだけで、世の中の実際の在り様に真摯に対応していない「絵空事」ではないか……と、しばしば批判されてきたフランス現代思想の、スポーツを種にした展開にすぎない。

 まぁ、蓮實重彦のような浮世離れしたフランス現代思想家が「勝利至上主義」批判に耽溺している分にはまだいい。だが、リアルにスポーツを語るべき玉木正之が「勝利至上主義」批判を展開することは実害がある。

 1995年のラグビーW杯(南アフリカ開催)で日本ラグビーに起きた「ブルームフォンテーンの悪夢」は、玉木正之の「勝利至上主義」批判も一枚噛んだカタストロフィーである。

ブルームフォンテーンの悪夢(RWC1995 日本vsニュージーランド)
ブルームフォンテーンの悪夢(RWC1995 日本vsニュージーランド)

 その詳細は省いて話を戻すと、玉木正之の言う「勝利至上主義」批判とは具体的に何なのか?

玉木正之と2023年の日本シリーズ
 それを知るために、公式サイトの日記「タマキのナンヤラカンヤラ」で、阪神タイガースが出場した2023年の日本シリーズ(対戦相手はオリックス・バファローズ)への言及を読んでいくことにした。
2023年10月27日(金)
 ……を迎えて【どうなる? 59年ぶり関西シリーズ日本一決定戦 その本当の面白さとは?】と題してイロイロ語る。小生〔玉木正之〕の予想は(と言うか希望は)タイガースvsバファローズは3勝3敗3引き分けで両者日本一。コレが最高ですね。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ」

 「勝ち負けを超越した面白さ」「世の中には勝つことよりも大事なものがある」と大見得を切りながら、玉木正之の託宣は「引き分けで両者日本一」が良いなどという、実に浅薄な代物であった。

 まるで小学校運動会の徒競走での「全員で並んでゴールイン」という都市伝説(?)を思いださせる話ではないか! 何より、日本シリーズに際して、野球ファン・スポーツファンをワクワクさせてくれるようなコメントではない。

 そもそもアメリカ大リーグには存在しない、日本プロ野球の「引き分け制度」をさんざん批判していたのが玉木正之ではなかったか。

ユートピア思想としての「勝利至上主義」批判
 玉木正之の日本シリーズ観戦記は、ますます病的になっていく。
2023年10月28日(土)
 タイガース強すぎですね。どないなっとるねん。

2023年10月29日(日)
 タイガース強すぎの8対0の翌日は0対8の惨敗。さすがは関西ダービー。仲の良い両チームですね。コレがベースボールですね。コレがスポーツですね。憎み合ったり戦ったりするのはスポーツじゃないですね。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ 2023年10月」
 「勝利至上主義」批判もここまで来ると、カルト的なユートピア思想みたいになっている。あるいは肉食獣と草食獣が仲良く暮らしている、手塚治虫のマンガ『ジャングル大帝』か。いずれにせよ、これはもはやスポーツじゃない。

 スポーツは、ハッキリ勝敗が付く。だから残酷であり、しかし、だから「美しい」のだ。2023年の日本シリーズで言うと、第5戦、バファローズの投手・宇田川優希とタイガースの打者・森下翔太の対決(宇田川が森下に逆転三塁打を打たれる)には、その「美しさ」を感じた。

 その「美しさ」をスポーツファンに向けて表現するのが「スポーツライター」の仕事なのだが、玉木正之は忘れてしまったのか。

虚仮威しで小林秀雄を出す玉木正之
 玉木正之の日本シリーズ観戦記は、ここで唐突に小林秀雄が登場する。
Back to 2023年10月28日(土)
 夜は日本シリーズを見ながら。山本〔由伸〕投手〔バファローズ〕が日本シリーズで勝てないのは何故かな? プロ野球七不思議の一つ? 「謎は解かれないほうが面白い.説かれないから謎.解かれるような謎は謎ではない」と確か小林秀雄が『モオツアルト』に書いてた。「解かれるような謎」は「謎」ではなくて「なぞなぞ」ですね(笑)。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ 2023年10月」


 蓮實重彦だとか、小林秀雄だとか、あるいは虫明亜呂無もそうなのか? 晦渋な文体のカリスマ批評家を持ってきて、読者向けの虚仮威しにするのが玉木正之の特徴のひとつでもある。こうした玉木正之の「〈測り知れざるもの〉への熱狂症候群」は「勝利至上主義」批判とも親和性が高い。

 しかし、これに読者(スポーツファン)は特別ビビる必要はない。小林秀雄が「謎は解かれないほうが面白い.説かれないから謎.解かれるような謎は謎ではない」と述べたのは、小林秀雄の書くものが非論理的だからでもある。

 小谷野敦という作家・評論家・比較文学者が『評論家入門~清貧でもいいから物書きになりたい人に』という本の中で、小林秀雄のカリスマ性を批判している。
非論理的評論の生みの親
 日本人が書くものが非論理的になったのは、それこそ小林秀雄が「飛躍と断定」をもっぱらとする評論、エッセイを書き、それが多くの読者を獲得したころからのことなのである。

 〔小林秀雄による〕この種の文章を文学者かぶれの教育者たちがありがたがってきたから日本語は非論理的だなどと言われる結果を招いたのである。

小谷野敦『評論家入門~清貧でもいいから物書きになりたい人に』71~72頁


 玉木正之が小林秀雄を引用することに、あまり論理的な意味はない。繰り返しになるが、それは「〈測り知れざるもの〉への熱狂症候群」から来る読者向けの虚仮威しである。

 玉木正之自身は、草野進=蓮實重彦の「勝利至上主義」批判への憧憬やコンプレックスがあり喧伝はしても、その文体を自分の物として書く力はない。1990年のサッカーW杯(イタリア開催)の時にその真似事みたいな文章を『オール讀物』(同じ文藝春秋でも『文學界』ではないw)に書いていたけれども、これが実に読むに堪えない酷い代物であった。

送りバントはチマチマしたつまらない野球(by玉木正之)
 「勝利至上主義」批判の観点から、玉木正之は2023年の日本シリーズで勝敗がつくことがどうしても嫌なようだ。
Back to 2023年10月29日(日)
 日本シリーズは昨日の裏返し。関西ダービーは仲良しダービーですね(2項目前を見てください)。

2023年10月31日(火)
 晩飯はもちろん日本シリーズの関西ダービーを見ながら。バファローズ強い! タイガースも盛り返したけど結局はミスの差が出ましたね。小生〔玉木正之〕の予想3勝3敗3引き分け2チーム日本一……の結果に近づいてますね(笑)。

玉木正之「タマキのナンヤラカンヤラ 2023年10月」
 もうひとつの「勝利至上主義」批判は、日本野球のチマチマした「送りバント」の否定である。
2023年11月1日(水)
 送りバントと監督の采配ばかりが目立つ日本シリーズはアカンで(>_<) 選手が奮起せい! 送りバントばっかりコチョコチョやってナニやっとンじゃあ! 大山〔悠輔〕も情けない三遊間サヨナラ安打で喜んでたらアカン! ホームラン打てとは言わんけど外野犠牲フライくらいはしっかり打てよ(>_<)

 関西の雄の2チームが巨人〔読売ジャイアンツ〕みたいなチマチマした野球やっててどないするねん! まぁ結果は俺〔玉木正之〕の期待通りに3勝3敗3引き分けになりそうでエエけどな( ^o^)ノ

Back to 2023年11月1日(水)
 ……と思ってるうちに晩飯の時間。もちろん日本シリーズを見ながら。岡田〔彰布〕はん! 今季最多安打の中野〔拓夢〕に送りバントはさせんといてほしいなぁ。

2023年11月2日(木)
 森下のフォークボール狙い打ちはホンマに見事でしたが岡田の采配はサイテーですね。1回裏無死一塁でナンデ中野に送りバントやねん? チマチマした野球をするな!(>o<) 選手を信用してガンガン攻めんかい! あ~しんど。

Back to 2023年11月2日(木)
 ふうううう。何とか日本シリーズ第5戦に間に合わせてテレビの前でビール&晩飯。いやぁ宇田川投手の超低目に落ちるフォークボールをすくい上げて打った森下の左中間三塁打はホンマに見事やったですナァ。これで小生〔玉木正之〕の予想(期待)通りに3勝3敗3引き分け両チーム日本一になったら最高なんですけどね(笑)。

2023年11月4日(土)
 ……日本シリーズも観戦。今日は山本投手に花を持たせて仲良く3勝3敗。引き分けは1度だけで2度目となると決着がつくまでやるらしいから「俺〔玉木正之〕の予想(期待)どおり3勝3敗3引き分け2チーム日本一」とはならないらしいけどオモシロい関西シリーズになりましたね。

Back to 2023年11月5日(日)
 チョイと仕事のあと関西シリーズ。3-0になった時点でほぼ勝負の行方は決まって6-0で確信。シーズン最多安打の中野に無死一塁で送りバントをさせ……あと1打者で勝利投手の青柳を交代させる……まぁ勝てばいいという野球をタイガースまでがするようになったわけですね。

 玉木正之は今なお「送りバントはチマチマしたつまらない野球」「送りバントは勝てばいいというつまらない野球」だと思って批判を書いている。

イタリアにブラジル的サッカーをやれという愚論
 ところが……である。インターネットやSNSの野球ファン(阪神タイガースのファン)の反応を読むと、中野拓夢の送りバントにネガティブな反応はない。むしろポジティブなものが多い。

 「あの場面で,きっちり送りバントを成功させる中野も素晴らしい」「ホンマ当たり前のように決めてるけどプレッシャー半端ないよな」「本人もエラーして取り返したいって思ってる中,冷静にチームのためにバント決めたのはすごすぎるわ」……。<2>

 セイバーメトリクスが日本に紹介されたときに「送りバントは無条件でアウトをひとつ献上するだけの有害無益な戦術」だという説が喧伝されて、日本野球で多用される送りバントを批判する人たちを喜ばせた。しかし、そのすぐ後「送りバントは1点を取る確率を上げるかわりに,その1点止まりになる確率も上げる」と訂正、上書きされたらしい。

送りバント(犠牲バント)を試みる打者
アメリカ大リーグにおける送りバント

 もっとも玉木正之は、セイバーメトリクスをあまり知らなそうだがw

 いずれにせよ、日本野球はアメリカ野球よりもロースコア志向が強いのだから、送りバントが多用されるのは当然である。玉木正之はそれに言い掛かりを付けているのである。

 玉木正之の送りバントに対するイチャモンは、イタリア・サッカー界に向かって「お前たちはブラジル的なサッカーをしないから駄目だ」と貶しているに等しい。余計なお世話である。

 サッカーやラグビーのW杯が教えてくれたのは、スポーツにおける各国のプレースタイルにはそれぞれ「お国柄」というものがあり、それは(よほどスポーツマンシップに反するものでもない限り)各々尊重されるべきものであるということである。

 それを野球でやって何がおかしいのか?

 玉木正之の「勝利至上主義」批判は、どれも浅薄である。それこそ蓮實重彦や小林秀雄や虫明亜呂無ならば、持ち前の蠱惑的な文体でいたいけな人々を煙に巻くことができるが、玉木正之にそんな芸当はない。

 阪神タイガースのファンは、文学青年じみた「勝利至上主義」批判に拘泥する玉木正之の戯言など気にせず、堂々と2023年のダブル優勝トリプル優勝を誇っていいのである。





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