スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う

大化の改新と蹴鞠(けまり)問題など、日本のサッカーカルチャーについてさまざま論じていきたいと思っています。

カテゴリ: 玉木正之

タマキの蔵出しコラム「スポーツ編」
 この原稿は、2015(平成27)年に新潮文庫より出版した『彼らの奇蹟 傑作スポーツアンソロジー』に続き、同じく新潮文庫として翌年の2016年(平成28)年10月に出版した『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の解説として書いたものです。…これがどんなアンソロジーなのかを知っていただくために、解説の前半部分を(一部省略して)“蔵出し”させていただきます。御一読下さい。
――玉木正之(2019年4月10日)


 この本、新潮文庫『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』の品質を著しく下げている、最低最悪の部分が編者・玉木正之氏による巻末の「解説」。日本では、なぜ、サッカーよりもラグビーよりも(つまりフットボール系の球技よりも)、野球(ベースボール)の人気が出て、国民的スポーツになったのか……という難問の、玉木氏による疑似科学的回答である。

 日本人は歴史的・文化的にチーム戦(団体戦)が苦手な民族であり、一方、宮本武蔵vs佐々木小次郎のような1対1の勝負を好んできた。だから、サッカーやラグビーのようなチーム戦のスポーツよりも、投手vs打者の1対1の勝負である野球の方が日本人に人気が出たのだ……と、玉木氏はこの本で唱えている。

 玉木正之氏は、ことあるごとにこの説を吹聴している。持説を世間一般に普及させることで、玉木氏の世界観、日本において野球こそが国民的スポーツになったのは歴史的必然性があったからだ……という歴史観に読者に誘導させようという目論見なのである。

 しかし、この玉木説は完璧に間違っている。野球が日本に入ってきた当時のルールは、現在の野球のルールとは大きく異なっており、それによると野球を投手vs打者の1対1の勝負が基本となったゲームとは、とても認められないからだ。例えば、明治初期、日本野球黎明期の選手である正岡子規の「現役時代」は、現在とは違う当時のルールでプレーされていた。

 玉木正之説の批判は、スポーツライター・牛木素吉郎氏(元『読売新聞』運動部,編集委員)や、当ブログからも、公開に近い形で展開され、そのコンテンツは玉木氏にも伝えられている。


 日本の野球界、延いては日本のスポーツ界が、いかにさまざまな深い問題を抱えていようと、間違ったところから批判しても、かえって間違ったことになるだけである。実際、玉木正之氏と親交のあった平尾誠二氏は、玉木氏に影響されたおかげで日本ラグビーに悪い効果を及ぼしている(1995年ラグビーW杯での日本代表の大惨敗など)。

 今からでも遅くないから、新潮社は『9回裏2死満塁 素晴らしき日本野球』を回収、一度絶版し、編者・玉木正之氏による問題部分を削除したうえで、改めて刊行するべきである。

(了)



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ウィキペディアより信用できない玉木正之氏の話
 玉木正之氏とは何者なのかと人問わば、「ウィキペディア程度の浅薄で信憑性の低い情報を,ウィキペディアやグーグル検索ですら確認せずに,ドヤ顔で垂れ流すスポーツライター」と答える。

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【玉木正之氏】

 最近は「スポーツライター」ではなく、「スポーツ文化評論家」を名乗っているらしい。玉木氏は、かねがね「ろくに現場で取材もしないのに,上から目線で偉そうにピント外れの能書きを垂れるスポーツライター」などと批判されていた。良くも悪くも「鈍感力」が強いのが玉木氏なのだが、そんな批判に耐えかねて「肩書」を変更したのだろうか(爆)

 とにかく、玉木氏の話は、原典や出典を確かめようともせず、いつも、うろ覚えと思い込みで物を書くから、おかしな点や間違いが多い。

 それにもかかわらず、マスコミは玉木氏を重用する。例えば、明治11年(1878)創業の名門出版社・春陽堂書店が、玉木正之氏を起用して「スポーツって、なんだ?」というコラムの連載をやっている……。
 ……が、しかし、これもなかなか怪しい。

玉木正之氏の「スポーツって、なんだ?」第3回を読む
 今回は、この「スポーツって、なんだ?」より、当ブログのメインテーマである「大化の改新と蹴鞠(けまり)問題」に絞って話をする。採り上げるのは、連載第3回である。
玉木正之「スポーツってなんだ?_#3」春陽堂書店
【玉木正之の「スポーツって、なんだ?」第3回より】

 ただし、当ブログが問題視するのは、玉木氏のくだんのコラムの主要テーマである「バスケットボールは,なぜボールを持って3歩以上歩いてはいけないのか?」ではない。リンク先に書かれてある話は、おおむね間違いはないだろうからだ(たぶん)。

 バスケットボールは、「2チーム対戦型で,両チームが向かい合い,両チームの選手が入り混じって,ボールを奪い合い,これをつないで,ゴールを狙う球技」を、すなわち古来から存在するフットボール系(玉木氏に配慮して,ホッケー等も含むこととする)の球技を、19世紀に人為的に改良して生まれたスポーツである。

 論(あげつら)うのは、このバスケ前史に関する玉木氏の言及だ。以下、引用する。

サッカー,ラグビーの元祖は「太陽の奪い合い」? 本当か?
 とにかく、おかしい、変だ……と思ったところは、片っ端から頭に数字を振り、該当部分を朱太字にして、注釈または批判する。
 【1】サッカー、ラグビー、ホッケーなど、フットボールの仲間の球戯は、すべて古代メソポタミアの太陽の奪い合いから始まった──ということを前回〔第2回〕まで書いてきた。そのメソポタミアから西へ伝わった【2】「球戯文化」は、もちろん東にも伝わり、中国で「毬門(きゅうもん)」というホッケーとサッカーを組み合わせた遊びになったり、陶器で作った丸いモノを地面に転がせて、大地に太陽の恵みを与える遊びになったりしたようだ。
 【1】まず、すべてフットボール系の球技が「古代メソポタミアの太陽の奪い合い」(に見立てた宗教儀式)に由来、収斂される……という話は、かねてより玉木氏の持説なのだが、この出典が不明である。

 例えば、さまざまな大学で教科書として用いられ、版を重ねている『体育・スポーツ史概論』(市村出版)。その「古代メソポタミア」のスポーツについて解説した部分には、そのような情報は、一切、書かれていない。

 玉木正之氏は、古代メソポタミアのプロの学者ではないし、むろん、あの楔形(くさびがた)文字の膨大なテキストを解読したわけではない。だから、どこか、誰かの研究家の成果を下敷きにしている……はずなのである。

 それを明らかにしないと、後学の者(読者)が「追試」できない。……で、ある限り、この所説は、玉木氏の思いつきか、何か中途半端な聞きかじりではないかという「疑惑」が常に付いて回る。

 この点、玉木氏は非常に不親切な著者である。事実、読者から貴方の持説の出典は何かと、読者に質問されると、資料を片付けてしまった、正確な出典は覚えていないなどと平気で宣(のたま)う「スポーツ文化評論家」が、玉木正之氏なのである。

玉木正之氏が「球技」を「球戯」と読み替えたらスポーツが堕落した
 【2】「球技」ではなく、わざわざ「球戯」と書きたがるのは、スポーツの本義は遊びであること、楽しむこと、日本の体育会が陥りがちな艱難辛苦や、陰湿な上下関係などとは違うものである……という玉木正之氏の「イデオロギー」に由来する。

 これには「勝利至上主義」にこだわった、近現代スポーツの「イデオロギー」への否定という含みもある。文化人類学者の今福龍太氏が、やたらと「勝利至上主義」を嫌悪してみせるのと同根だ。「フットボールの元祖は古代の宗教儀式である」という出典不明の見解に玉木氏こだわるのも、近現代スポーツの「勝利至上主義」批判の一環である。

 しかし、これらが何をもたらしたのかというと、むしろ、スポーツの堕落である。より具体的には、玉木正之氏と、ラグビー日本代表の選手・監督であった故平尾誠二氏との、馴れ合い関係である。

 かねがね「スポーツは遊びだ,ラグビーを楽しむ」と公言していた平尾誠二氏。ラガーマンの平尾氏と、スポーツライターの玉木氏は、同様の思想、同郷の京都人として意気投合。2人で「イデオロギー」を煽りまくった。平尾が属した神戸製鋼ラグビー部で、日本国内のラグビー大会で勝ち続けている間は、それでよかった。

 しかし、ラグビー日本代表で自ら指導的立場に立ち、海外の列強と対峙せざるを得なくなった時、平尾誠二氏のスポーツ観は、間違った方向に作用した。

 その結果が、1995年ラグビーW杯南アフリカ大会のおける日本の大惨敗である。特に日本vsニュージーランド戦での145失点! ラグビーの国際試合で100失点というのはたまにあるが、前後半80分の間にさらに45失点を重ねるのは空前にして絶後の世界的な恥辱だ。名付けて「ブルームフォンティーンの惨劇」である。

ブルームフォンティーンの惨劇
【ブルームフォンティーンの惨劇】

 平尾誠二は、この大会、この試合の「超A級戦犯」だった。そのため、日本ラグビーは20年も低迷を続けるはめになっている。そして、平尾氏とラグビー日本代表をめぐる経緯は、ラグビー評論家・ラグビーライターによって、さまざまに批判されている。

ラグビー黒書―145点を忘れるな!
日本ラグビー狂会
双葉社
1995-12


ラグビー従軍戦記
永田 洋光
双葉社
2000-06


 いずれにせよ、これは、もはやスポーツとは言えない。

 ところで、玉木正之氏が平尾誠二氏を描いた本に『平尾誠二 八年の闘い~神戸製鋼ラグビー部の奇蹟』がある。要は、玉木氏を平尾氏が称揚した文章の集成なのだが、奥付を見ると、1995年10月とある。同年5月~6月に、例の日本が大惨敗したラグビーW杯が開催されたのだが、玉木氏の著作には、何と、その件について何も触れられていない!?

 玉木氏は「球技」を「球戯」と読み替えることによって、日本のスポーツが国際舞台でがどんなに惨敗しようと、何の痛痒も感じない鈍感な「スポーツライター」になってしまった。玉木氏は、実存としてのスポーツの在り方が分からなくなってしまったのである。

 いずれにせよ、これは、もはやスポーツとは言えない。

ホッケー風球技を「蹴鞠」と紹介したマヌケな玉木正之氏
 玉木正之氏は初歩的なエラーを繰り返す人で、読んでいてウンザリさせられる。
 それ〔フットボール系の球技〕が飛鳥時代の日本にも伝わり、【3】「打毬(くゆるまり)」と呼ばれるホッケーのような遊びになったという説もある。【4】高松塚古墳の西壁北側に描かれた〔壁画の〕女子群像には、ホッケーのスティックのような先の曲がった棒を持っている飛鳥美人が描かれている。見ようによっては、フットボール文化がユーラシア大陸の全てを覆い、日本という東端まで伝わった証拠ともいえる。
 【3】上代日本の球技事情を示す史料として、『日本書紀』皇極天皇紀に、中大兄皇子と中臣鎌足が邂逅(かいこう)し、胸襟を開くきっかけとなった「打毱」の記事がある(毱は鞠,毬の意)。一般に、打毱は「蹴鞠」だと思われているが、異説があり、スティックでボールを打つホッケー風の球技(打毬)ではないかと唱える人もいる。

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【打毱】

 岩波文庫の『日本書紀』(校注:坂本太郎)では「蹴鞠」説を、小学館の『日本書紀』(校注:西宮一民)では「ホッケー風球技」説を採用している。また、『日本書紀』に脚色・潤色の類がいくつか見られることから、この逸話自体を虚構ではないかと見なす立場もある。いずれにせよ、学術上の決着はついていない。

日本書紀〈4〉 (岩波文庫)
坂本 太郎
岩波書店
1995-02-16




 ところが、玉木正之氏は、学術上の吟味もなしに、これを「ホッケー風球技」であると強硬に吹聴している。これは、玉木氏が自身の都合の良い話……すなわち、日本でサッカーより野球の人気が先行したのは、皇極天皇紀に登場する古代日本の球技が蹴鞠ではなく「ホッケー風球技」だからであるというスポーツ史観に、読者を誘導したいがためだ。

 しかし、これがデタラメだらけなのである(この点は,さんざん論じてきたのでここでは繰り返さない.以下のリンク先をじっくり読んでいただければと思う)。


 ……で、玉木氏は「打毬」に「くゆるまり」とルビをふっているが、「くゆるまり」とは、実は「蹴鞠」(けまり)の古語の訓なのである。この点は、先に紹介した岩波文庫版『日本書紀』で、校注者の坂本太郎氏が解説を書いている。つまり、打毱を「ホッケー風」球技だと主張している玉木氏は、勘違いして「蹴鞠」として紹介しているのである。

 マヌケとしか言いようがないが、そもそも玉木氏は『日本書紀』皇極天皇紀の該当部分すら、真面目に読んだことがないことがないのではないかと疑われる(後述)。

高松塚古墳の壁画の人物まで間違える玉木正之氏
 【4】高松塚古墳(7世紀末~8世紀初めに築造)の石室の壁画で「ホッケーのスティックのような先の曲がった棒を持っている」人物が描かれているのは、「西壁北側に描かれた女子群像」ではない。正しくは「西壁南側の男子群像」、その右から1番目(右端)の人物である。

高松塚古墳の石室壁画の展開図
【高松塚古墳の石室壁画の展開図】

 飛鳥美人として非常に有名な「西壁北側に描かれた女子群像」、その右から2番目の人物が持っている、耳かきが巨大化したような道具は「如意」(にょい)と言い、もともとは読経・説法・法会などの際に僧侶が手に持つ仏具である。

 これまたマヌケなことに、玉木正之氏は、この点を確認しなかったために、両者を混同しているのだ。

 「西壁南側の男子群像」の右端の人物が持っている「ホッケーのスティックのような先の曲がった棒」が「打毬の杖」であるとは、吉川弘文館『国史大辞典』の「高松塚古墳」の項目にも、たしかに書いている。

国史大辞典(全十五巻・全十七冊)
国史大辞典編集委員会
吉川弘文館
1999-01-20


 玉木氏は、これをもって『日本書紀』皇極天皇紀に出てくる打毱が「ホッケー風球技」だという「証拠」としたいようだ。話の飛躍でしかないと思うが、高松塚古墳の壁画の男子と女子を間違えるようでは、その説得力に欠けようというものである。

中臣鎌足と中大兄皇子を取り違えている玉木正之氏
 ようやく、今回の「本丸」に迫ることができた。
 【5】『日本書紀』には、中臣鎌子(なかとみのかまこ)、のちの藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が「打毬」に興じながら、それを見守る中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)の近くへ沓(くつ)を飛ばし(「打毬」では棒で毬を打つと同時に足で蹴ってもよかったようだ)、【6】皇子のそばに近寄って、「近々、蘇我入鹿(そがのいるか)を伐つ」旨を相談したとも記されている。【7】「蹴鞠」=「けまり」と解説した書籍も多いが、「蹴鞠」が中国大陸から日本に伝わったのは平安時代ともいわれている。〔以下略〕
 【5】玉木正之氏の『日本書紀』の解説が間違いだらけである。まず「打毬」(打毱)に興じていたのは中臣鎌子(中臣鎌足)ではなく、中大兄皇子(後の天智天皇)。履(は)いていた鞋(くつ,『日本書紀』皇極天皇紀の表記)が脱げたのも中大兄。この鞋を拾った鎌足は、謹んで中大兄に届けたとある。

 読んでいてイライラするが、そもそも玉木正之氏は話の基本を間違えている。

 また、この時の打毱を、何としても「ホッケー風の球技」にしたい玉木氏は「〈打毬〉では棒で毬を打つと同時に足で蹴ってもよかったようだ」と書いている。しかし、古代メソポタミアの話と同様、このルールの存在も確証・出典が不明である。

 【6】通常の『日本書紀』皇極天皇紀の解釈では、中大兄と鎌足は、打毱(打毬)の場では無言で友誼(ゆうぎ)を通じて、場を改めて「〈蘇我入鹿(そがのいるか)を伐つ〉旨を相談した」ことになっている。

 一方で、打毱(打毬)に興じていたその場で、鎌足と中大兄は「蘇我入鹿打倒」を話し合ったようにも読める。この部分のように、玉木氏の記述は少し分かりにくいモノが多い。玉木氏の解釈は後者である。なぜなら別のところで、そのように述べているからである(下記引用文,リンク先参照)。
 ……稲垣正浩さんの『スポーツを読む』。これは古今東西のスポーツに関する本を選んで解説した本です。例えば、『日本書紀』のくだりでは、中大兄皇子と中臣鎌足が打くゆる鞠まりというホッケーのようなスポーツのプレー中に蘇我入鹿の暗殺を企てる、という有名な場面も出てきます。

 つまり、玉木氏のこの記述は正しくはない。繰り返すが「打くゆる鞠まり」とは「蹴鞠」の古語の訓のことであって、「ホッケーのようなスポーツ」のことではない。これは、スポーツ人類学者の故稲垣正浩氏が『スポーツを読む』の中で、『日本書紀』皇極天皇紀の内容を間違って解釈していたのを、玉木氏がそのまま鵜呑みにしたためだ。

 要するに、玉木正之氏は、小学館版でも岩波文庫版でも、原典である『日本書紀』皇極天皇紀の該当部分をまともに読んだことがないのである。

 【7】この部分の根拠・出典も不明。玉木氏は別のところで「そのことについては百科事典等にも書かれていて、明らかです」と書いているが、どの百科事典も、あるいは吉川弘文館『国史大辞典』も、小学館『日本歴史大事典』も、ハッキリとは書かれていない。この種の事典(辞典)は分からないことは、安易に明言しないものである。

 玉木氏本人が明確に出典を覚えていないから「……ようだ」とか「……ともいわれている」とか、あいまいな表現がどうしても多くなるのである。

真のスポーツにおける「知」とは? リテラシーとは?
 玉木正之氏は、春陽堂書店のサイトで「スポーツって、なんだ?」を始めるにあたって「日本のスポーツ関係者は,スポーツのことをあまりにも知らない(無知).それが昨今のスポーツ界に不祥事が続出する理由である」などと述べている。

 しかし、以上に説明してように、そもそもスポーツに関しての「無知」を曝(さら)出したのは、玉木氏の方である。そのスポーツ評論の、ほんの一部分を採り上げただけでも、たくさんの間違いや首をかしげるところが発見されるのである。

 むしろ、玉木正之氏のウソやデタラメを見抜くリテラシーを身につけることこそ、スポーツに関する真の「知」を獲得することになり、不祥事続きの日本スポーツ界の問題を乗り越える武器になるだろう。

(了)



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 神武紀元2679年(笑)2月11日「建国記念日」に寄せて……。

大化の改新のきっかけはサッカー? ホッケー?
 日本上代史に名高い「大化の改新」のクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の主役、中大兄皇子と中臣鎌足の2人は、蹴鞠(けまり)の会で邂逅(かいこう)したと、巷間、信じられている。

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【神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより『中大兄皇子と中臣鎌足』作:小泉勝彌】

 ところが、その経緯を記した『日本書紀』皇極天皇紀にはハッキリ「蹴鞠」とは書かれていない。そこにあるのは「打毱」という謎の文字列である。この「打毱」をめぐっては、学者によって解釈が分かれてきた。

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【打毱】

 つまり、この古代日本の球技は、足でボールを蹴るサッカーに近い「蹴鞠」であるという説。一方、そうではなくて、スティック状の杖でボールを叩くホッケー風の球技(打毬=だきゅう=とも,毬杖=ぎっちょう=とも表記される)ではなかったかという説。ただし、両説ともに決定打を欠き、真相は現在も確定していない。

 ところが、スポーツライターの玉木正之氏は、具体的な証拠が乏しいにもかかわらず、一面的にホッケー説の方が正しいと、強硬に主張してきた。

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【玉木正之氏】

 なぜなら、玉木氏は、このことが日本のスポーツの在り方を規定しているのだと唱えているからである。なぜなら、玉木正之氏は「日本人はサッカーが苦手な民族である」という強い思想の持ち主だからである。

 日本では歴史的にサッカーより野球の方が人気があったこと、サッカー日本代表が国際舞台で「弱い」こと……等々、すべて、大化の改新のキッカケが蹴鞠ではなくホッケー風競技であった「史実」に拘束されている(!?)からなのだという。

「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」の間違い
 玉木正之氏は知名度の高いスポーツライターであり、スポーツ界への影響力も強い。つまり「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」も、玉木氏の「啓蒙」によって「天下の公論」になってしまうかもしれない。

 すると、それに付随している「日本人は日本人はサッカーが苦手な民族である」というイメージも、人々の間に常識化してしまいかねない。日本のサッカーにとっては、まったく迷惑な話である。

 一方で、玉木氏は、自分にとって都合の良い結論のために事実(史実)を歪曲する癖が強いと、これまでにも批判されてきた(ラグビー史研究家・秋山陽一氏による)。実際、よくよく吟味してみると「大化の改新のキッカケは蹴鞠ではなかった説」も同様、間違いだらけで、玉木史観のためのご都合主義の産物でしかない。

 当ブログ「スポーツライター玉木正之氏の知的誠実さを問う」本来の目的は、その玉木正之史観のデタラメさを告発し、かつ徹底的に批判することである。その成果は「大化の改新と蹴鞠(40)~玉木正之説の総括,批判,あるいは超克」(2017年10月26日)として、まとめた(下記リンク先参照)。
大化の改新と蹴鞠(40)~玉木正之説の総括,批判,あるいは超克(2017年10月26日)


 玉木正之説が妥当なものならば、私たちはこれを受け入れるしかない。しかし、玉木氏の持説は、徹頭徹尾、間違っているのである。そして、これは日本のサッカーにとって明らかに不利益なものだ。日本のサッカー関係者は、玉木正之氏のデタラメを徹底的に批判して、これを超克しなければならない。

描かれた「中大兄と鎌足の出会い」の謎
 このブログを展開するに際して、大化の改新における中大兄皇子と中臣鎌足の出会いを描いた絵画を探したが、意外に古いものが見つからなかった。当ブログが見つけたもので最も古いものは、天理図書館蔵『南都法興寺蹴鞠図』嘉永6年(1853)。この年の起きた出来事は「黒船来航」、すでに江戸時代末期「幕末」である(下記リンク先参照)。
「大化の改新と蹴鞠」問題(02)~描かれた「蹴鞠の出会い」その1(2016年10月09日)

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【天理図書館蔵『南都法興寺蹴鞠図』嘉永6年(1853)】
 このことから、ひょっとしたら、大化の改新、特に「中大兄と鎌足の出会い」のエピソードは、それまであまり注目を浴びていなかった。それが、幕末の国学や明治の皇国史観の時代に、つまり近代になって、勤皇愛国を称揚・奨励するために強調され、視覚化(絵画化)され、人々に刷り込まれたのではないか……という仮説を思いついた。

 伝統だと思われていたものが、意外にも近代の産物だったというのもよくあることだ。だから、我と思わん人文系・社会学系のスポーツ学専攻、あるいはカルスタ(?)専攻の学生・院生は、このテーマで研究して、論文を書いてみませんか? ……と煽ったこともある(下記リンク先参照)。


 当エントリー前掲の神宮徴古館所蔵『中大兄皇子と中臣鎌足』(筆:小泉勝彌)などは、その視覚化のツールだったのかもしれない……などと考えたりもする。

幕末~明治に「再発見」された大化の改新???
 以上のような仮説を漠然と考えていたところ、それを「裏付ける」……かのような記述をインターネットで見つけた。

 Wikipedia日本語版の「大化の改新」の項目である。
この大化の改新が歴史家によって評価の対象にされたのは、幕末の紀州藩重臣であった伊達千広〔だて・ちひろ,国学者〕(陸奥宗光の実父)が『大勢三転考』を著して、初めて歴史的価値を見出し、それが明治期に広まったとされている。[3]

[3]『歴史とは何か: 世界を俯瞰する力』著者: 山内昌之

Wikipedia日本語版「大化の改新」より(2019年2月11日閲覧)
 もっとも、この記述に飛びついて、仮説が「証明」されたとしてはいけない。

 Wikipediaは間違いの多い「百科事典」であり、出典になっている山内昌之氏(やまうち・まさゆき.歴史学者,中東・イスラーム地域研究,国際関係史)の著作『歴史とは何か~世界を俯瞰する力』に、何が書いてあるか確認しないといけない。

歴史とは何か (PHP文庫)
山内 昌之
PHP研究所
2014-10-03


 それを怠ると、「慶應義塾大学ではサッカー部のことを〈ア式蹴球部〉と呼んでいる」などという、トンデモない間違いを「フォーラム8」というIT企業の機関紙やWEBサイトに書いている玉木正之氏と同じになってしまう(下記リンク先参照)。


 そこで、山内昌之氏の『歴史とは何か~世界を俯瞰する力』を取り寄せて、ざっと目を通すことにした。

Wikipediaの記述の信憑性
 結論を先に言うと、山内昌之氏は前掲のWikipediaのようなことをハッキリと書いているわけではない。

 山内氏が自著で紹介する伊達千広の『大勢三転考』とは、古来(神代の昔以来?)、日本史において、日本という国の在り方(大勢)が3度大転換(三転)したという話である。その2番目が「聖徳太子による冠位十二階の制度や十七条の憲法から大化の改新にかけて」(171頁)だとあるが、今ひとつ印象に弱い。

 それとも……。
古代の氏姓制度,律令による官人(官僚)支配〔大化の改新?〕,次いで武家支配という三区分は,現在の基準では常識すぎるかもしれません.しかし,近代歴史学の成立以前に,千広が大胆に時代を三区分したことは,岡崎久彦氏〔元外交官,評論家〕が語るように,日本史学史上,画期的な意義をもつのです(『陸奥宗光』上)。この評価は筑摩書房版の注解にも共通します。

山内昌之『歴史とは何か~世界を俯瞰する力』170~171頁
 ……この部分のことだろうか?

 いずれにせよ、Wikipediaの記述とは、やはりニュアンスが違う。

 この辺は、Wikipediaの飛躍した拡大解釈ではないかと思う。とにかく、国学者・伊達千広が大化の改新の価値を「再発見」「再評価」し、明治になってこれを啓蒙したとか、山内昌之氏が自著でそのことを紹介したとかいうのは、違うのではないかと思う。

玉木正之氏のスポーツ史観には疑いがある
 残念なことだが、何事も確認である。

 大化の改新、なかんずく中大兄皇子と中臣鎌足の出会いの場面(蹴鞠?)が有名になったのは、皇国史観の幕末~明治以降……という裏付けは取れなかった。したがって、当ブログの仮説は保留である。

 しかし、歴史観は時代によって変わってくる。「江戸時代以前」「明治・大正・昭和戦前」「戦後」では、歴史上の事件や人物の評価が違っている。

 例えば、織田信長。明治・大正・昭和戦前の「皇国史観」の時代において、信長は、戦国の風雲児、革新的な天下人という「戦後」のイメージとは違い、戦乱で荒廃した京都御所を再建し、天皇の権威を大いに盛り上げた勤皇の人という評価で語られていた。

国史絵画『織田信長の勤皇』作:岩田正巳
【神宮徴古館蔵「国史絵画」シリーズより『織田信長の勤皇』作:岩田正巳】

 大化の改新、あるいはその主役、中大兄皇子と中臣鎌足は「皇国史観」を大いに刺激する歴史的な事件・人物である。だから、その話は「皇国史観」によって「再発見」されたのではないかという仮説の真相については、今後の研究の成果を待ちたい。

 どうして、こんな事に拘泥しているのか。

 仮に、かつて「大化の改新」という歴史的事件が、江戸時代以前はそれほど評価されていなかったとすると、その「大化の改新」をもって、後々まで(21世紀の現代まで)の日本のスポーツの在り方を拘束している……という玉木正之氏は、かなり間抜けな議論をしていることになるからである。

 こういう話をしたかったが、ちゃんと山内昌之氏の著作で調べたら、いささか無理筋になってしまった。

 もっとも、玉木正之氏は、先に紹介した「慶応大学のサッカー部の名称の話」のように、そのちょっと調べて確認する……ということすらしない人なのだが。

(了)



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国策大河ドラマ「いだてん」の視聴率惨敗
 鳴り物入りで始まった2019年のNHK大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺(ばなし)」(脚本・宮藤官九郎)の視聴率が壊滅的に低迷している。

 第1回が関東・首都圏で15.5%の低視聴率、地方になると軒並み「爆死」状態。その後も視聴率低落が続き、1月最終週の第4回の関東・首都圏の視聴率は11.6%まで下がった。「花燃ゆ」(2015年)や「平清盛」(2012年)といった視聴率ワースト作品を、さらに下回る歴代最低視聴率大河ドラマになるという観測がなされている。


 つまり「いだてん」は大失敗作である。この作品は、脚本の宮藤官九郎(クドカン)がNHKに企画を持ち込んだということになっているが、事実上、翌2020年の東京オリンピックを盛り上げるための「国策」に、NHKが迎合・忖度した大河ドラマであることは衆目の一致するところである。

 国策大河ドラマに傑作なし。明治維新100年にあやかった1967~68年の「三姉妹」しかり、「竜馬がゆく」しかり。松下村塾のユネスコ世界遺産登録に当て込んだ2015年の「花燃ゆ」しかり。明治維新150年に当たる2018年の「西郷どん」しかり。視聴率でも(コンテンツとしても?)みな失敗している(以上、歴史学者・一坂太郎氏の指摘による.下記リンク先参照)。
 同じく国策大河である「いだてん」も、ご多分にもれず、すでに大コケの烙印を押されている。そればかりか、「いだてん」の視聴率を通じて、2020年の東京オリンピックに関する全国的・国民的関心が、実はまったく無い(薄い)ことが暴露されてしまった。

 とんだヤブヘビであった。

大河ドラマより面白い(?)歴史リアルの「大河ドラマ批評」
 21世紀に入ってからの、なかんずく2010年代の大河ドラマは、軒並みつまらない作品が多い。ああ、今年の大河もつまらない。さりとて民放の裏番組を見る気もしない。なぜツマラナイのか? それを理解して納得したい。あるいは、どうせ面白くないのならば、いろいろツッコミを入れながら見てみたい。

 そんな視聴者のために、大河ドラマのサブテキストの役割りを果たしてきたのが、洋泉社・歴史リアルWEBサイトのブログ、週刊「大河ドラマ批評」の辛口コラムであった(下記リンク先参照)。
 主な書き手は、平安時代末期の源平争乱期や、戦国・安土桃山時代は歴史学者の渡邊大門氏、幕末・明治維新は同じく歴史学者の一坂太郎氏。どちらも学者としては在野に近い。大河ドラマ各週のストーリーにある史実と虚構(創作)の違いをきちんと指摘したうえで、鋭い批評を展開していく。味気ない料理(=出来の悪い大河ドラマ)にスパイスを効かせてくれるのである(下記リンク先参照)。
 むろん、史実と違うからダメだというのではない。傑作ぞろいの往年の大河ドラマは、史実とは違っていたり、史実の空白を埋めたりしていた部分(創作=虚構)が、物語世界をより豊かにしてくれた。しかし、昨今の駄作大河は、史実から逸脱している部分(創作=虚構)が、物語をますますツマラナクしている元凶であることの方が多い。


 その結果、渡邊大門氏(「平清盛」「軍師官兵衛」「真田丸」「おんな城主 直虎」)や一坂太郎氏(「花燃ゆ」「西郷どん」)の大河ドラマ批評の方が、大河ドラマそのものよりも面白くなるという、興味深い逆転現象が生じる。

大河ドラマと時代考証
 ところが、歴史リアルは、今年の大河ドラマ「いだてん」では大河ドラマ批評の連載をやらないようである(2019年2月3日現在)。まったく残念なことだ。

 大河ドラマは、歴史リアル(洋泉社)や歴史街道(PHP研究所)といった歴史系出版社、歴史学者・歴史作家にとって、飯のタネでもあった。例えば、2008年の大河ドラマは「篤姫」だったが、その前後には、番組枠の知名度などに当て込んで、主人公である「天璋院」や物語の舞台となる「江戸城大奥」の関連本がたくさん刊行される……といった具合にである。

 「いだてん」は時代が近現代であり、かつテーマがオリンピックやスポーツである。歴史系出版社の守備範囲とは見なされなかったのか? それでも「いだてん」の登場人物である金栗四三や嘉納治五郎、田畑政治の関連本は、他の版元からいろいろ出ているし、歴史リアルも「いだてん」やオリンピック関連のムックを出しているのだが。

 歴史劇である大河ドラマといえば、時代考証(監修)を担当する歴史学者がいる。小和田哲男氏とか、本郷和人氏とか、原口泉氏とか、磯田道史氏とか……。「いだてん」は、スポーツ人類学で、オリンピックの歴史などを研究する真田久氏と大林太朗氏。ともに筑波大学。筑波は旧制東京高等師範学校(東京高師)だから、ドラマ前編の主人公・金栗四三は両先生の遠い遠い先輩、嘉納治五郎はその当時の校長であった。


 ところで、渡邊大門氏や一坂太郎氏の立ち位置から考えると、NHK大河ドラマの作品批評は、学界・学会の主流にいない人の方がいいのかもしれない。さらに言えば、何も学者である必要もない。ジャーナリストでもいいのだ。

 つらつら考えていくと、「いだてん」の辛口批評コラムの担い手として、スポーツライターの武田薫氏が適任ではないかと思い当たった。

武田薫氏のプロフィールと『朝日ジャーナル』
 武田薫。1950年、宮城県仙台市出身。1974年に報知新聞社に入社し、野球、陸上、テニスを担当、1985年からフリー。著書に『オリンピック全大会』『サーブ&ボレーはなぜ消えたのか』『マラソンと日本人』など。……というのがネット上にあるプロフィールであるが、これでは不十分な説明である。

 フリーランスとしては、週刊誌『朝日ジャーナル』が主催するノンフィクション朝日ジャーナル大賞で、ポルトガルのマラソンランナー カルロス・ロペス(1984年ロサンゼルス五輪金メダル)を題材にした作品で佳作となる。以後、『朝日ジャーナル』の常連となり、1980年代後半から、廃刊する1993年まで、同誌でスポーツ時評やスポーツノンフィクションを担当した。

 ちなみに『朝日ジャーナル』とは、ある意味で最も『朝日新聞』的であるが、しかし、決して『朝日新聞』そのものではないという、朝日新聞社が発行する週刊誌である。同社が発行する週刊誌『AERA(アエラ)』の前身という認識は間違い。

 それ以前の『朝日ジャーナル』のスポーツ時評と言えば、セクハラ文芸評論家の渡部直己あたり出てきては「清原和博はシニフィエ=記号内容=なきシニフィアン=記号表現=である」みたいな、やたらポモ臭え評論を掲載していた(『朝日ジャーナル』1986年10月31日号)。

 そんな文言を嬉々として紹介していたのが、文学・思想方面にコンプレックス丸出しのスポーツライター玉木正之氏だったりする(玉木正之『プロ野球の友』403頁,416頁)。

プロ野球の友 (新潮文庫)
玉木 正之
新潮社
1988-03


 それに比べれば、武田薫氏の起用によって『朝日ジャーナル』のスポーツジャーナリズムは随分とマシになったと言える。

サッカーと武田薫氏の因縁
 日本のサッカーやJリーグの悪口をいろいろ書いてきたので、サッカーファンは武田薫氏にいい印象を持っていない。しかし、かつてはポルトガル語を使える数少ないスポーツライターだったため、サッカー関連の仕事もいくつかしている。

 『朝日ジャーナル』のスポーツノンフィクションの連載では、日本に帰ってきたばかりの、あの水島武蔵選手(マンガ『キャプテン翼』の主人公のモデル)、あるいは同じく風間八宏選手について書いている。このうち水島選手のルポルタージュは、連載をまとめた、朝日新聞社刊行の『ヒーローたちの報酬』に収録されている。

ヒーローたちの報酬
武田 薫
朝日新聞社
1990-10


 1987年、日本で開催されていたトヨタカップにFCポルトが出場した。その時、かつて同クラブの陸上競技部門に所属していた、ポルトガルの往年のマラソン女王ロザ・モタ選手に、武田氏がコメントを取りに行った。するとモタ選手、「ポルトガルでは男性がサッカーに熱中しすぎて家庭に金を落とさない.サッカーは女を不幸にする.ポルトガルでサッカーが強くなっても,いいことはひとつもない」と言い放った。

 トヨタカップのテレビ中継を担当していた日本テレビの依頼だったと思うが、日本のメディアは、モタ選手の「FCポルト,がんばれ!」的なコメントを希望していた。しかし、その意図にかなったものではなく、やむなくボツにしたという。この話は『ロザ・モタ~ソウル五輪マラソンの女王』に登場する。


 ポルトガルの近現代はかなり複雑な歴史を歩んでいるし、かつては男尊女卑の習慣も強かったとも聞いている。21世紀の現在も同じような状況なのかは、分からない。また『ロザ・モタ~ソウル五輪マラソンの女王』には、サッカーが第一であるFCポルトとマラソン選手であるロザ・モタ選手とは、いろいろ諍(いさか)いがあったようにも書いてある。

 とかく日本では理想化され、Jリーグが目標にし、玉木正之氏がひたすら称揚する「地域に根差した総合スポーツクラブ」であるが、「本場」ヨーロッパではさまざまな実相があるようだ。

「いだてん」の辛口批評にふさわしい理由
 今年の大河ドラマ「いだてん」は、すでにあれこれ酷評されている。話が取っ散らかりすぎている。古今亭志ん生(5代目)役のビートたけしの演技や滑舌が悪すぎる。宮藤官九郎の脚本に散りばめられた小細工の類がかえって白ける……。要するにつまらない。それは視聴率に表れている。ツマラナイからこそ「いだてん」の辛辣な批評が読みたい。

 その担い手に、武田薫氏が適任である理由はいくつかある。

[理由その一]武田薫氏は、オリンピックの通史『オリンピック全大会』を書いていて、五輪大会の歴史に通暁している。番組後編の主人公・田畑政治のパートの解説もできる(はず)。

[理由その二]武田薫氏は、マラソン・駅伝が専門分野のひとつであり、マラソンランナーたちの優れたノンフィクションをいくつも書いている。また『マラソンと日本人』という本も上梓している。番組前編の主人公・金栗四三にも詳しい。

マラソンと日本人 (朝日選書)
武田 薫
朝日新聞出版
2014-08-08


 どちらの著作も版元が朝日新聞社なのは、かつての『朝日ジャーナル』のコネだと思われる。ネットを検索していたら、日刊ゲンダイDIGITALのサイトに武田氏の連載があり、金栗四三と「いだてん」について解説していたコラムがあった(下記リンク先参照)。
 こういうことが書けるスポーツライターは少ない。そして当ブログが武田氏を推す、もうひとつの理由がある……。

「いだてん」のとっても「スイーツ大河」な場面
 最近の大河ドラマをつまらなくしている大きな要因が、封建社会で戦乱の時代であるにもかかわらず、きわめて現代的な平和主義・民主主義・自由主義あるいは恋愛至上主義で物語が描かれてしまうことだ。

 例えば、戦国時代の武将が「儂(わし)の願いは,戦(いくさ)のない平和な世の中を作ることじゃ」と宣(のたま)ったり、その奥方が「戦は嫌でござります」とか宣ったりするヤツ。こういう大河ドラマは「スイーツ大河」などと呼ばれて、熱心な大河ドラマ視聴者には非常に軽蔑される。

 果たして「いだてん」第1回にも、そんな「スイーツ」なシーンがあった。

 平和と「スポーツ」の意義を説き、1912年ストックホルム五輪への日本代表選手派遣に向けて奔走する嘉納治五郎(演:役所広司)と、富国強兵のため日本人の体力・体格向上を重視する「体育」の立場から、これに反対する加納久宜(演:辻萬長)や、永井道明(演:杉本哲太)とが対立する場面である。

 「スポーツ」は「遊び」で解放的、「体育」すなわち抑圧的な「教育」とは違うもの。あるいは「スポーツ」と「体育」の概念を過度に対立的なものと見なし、前者を称揚し、後者を否定する考えは、多分に現代的な価値観である。例の玉木正之氏が再三にわたって力説・啓蒙してきた価値観である。

「スポーツ」か「体育」か…は,玉木正之的スポーツ観の影響
 この場面が疑わしいことは、ネットでも議論になっていた。
409日曜8時の名無しさん2019/01/27(日) 18:54:24.99ID:94KkDt2Q>>412>>426
今更だけど嘉納治五郎が「スポーツ」で、文部省が「体育」という描写って完全な間違いだな。
嘉納は「国民体育」という概念を使って水泳と陸上の普及を説いているし、
「個人は心身を練磨し、社会に貢献することを期す」と言ってる。

412日曜8時の名無しさん2019/01/27(日) 19:17:32.57ID:GDczlAXz>>423
>>409
間違いではなく脚色ってやつじゃないの。大河ではよくあるよ

423日曜8時の名無しさん2019/01/27(日) 21:01:26.52ID:94KkDt2Q
>>412
「体育」を国家統制色が強いものとして描き、
嘉納自身は精神論と無縁みたいに言ってる点で違うだろ。

426日曜8時の名無しさん2019/01/27(日) 22:06:33.62ID:+dVZ6OpD>>436
>>409
嘉納治五郎は国民体育を推奨したけど、同時にそれを続けるためには楽しみの要素の必要性も説いている
面白みがなければ、学校教育が終わってしまえば続ける者がいないため意味がないと
ストックホルムオリンピックの翌年には、柔道でも慰心法と言う楽しむことも目的とする概念も唱えている
まあ、体育とスポーツの対立ではなく両方の必要性を説いている

427日曜8時の名無しさん2019/01/27(日) 22:50:56.34ID:twaNzqLW
体育もスポーツも平和のためではなく、
体力ある兵士を育成するためだったはずだけどな。

436日曜8時の名無しさん2019/01/28(月) 16:56:03.59ID:bVtVkuMW
>>426
いずれにせよ嘉納治五郎が「体育」を叩く描写は筋違いだよね。
 あらためて「いだてん」の時代考証(スポーツ史考証)は筑波大学の真田久氏で、同氏は嘉納治五郎の研究者でもある。少し探してみたら「オリンピックと嘉納治五郎」という、真田氏の講演録のPDFファイルが見つかった(下記リンク先参照.於:平成29年度 第14回 東京都高等学校体育連盟研究大会)。
 これを読む限り、嘉納治五郎が「スポーツ」と「体育」をに類別するような人だったとは思えない。また、真田久氏がそのような二項対立的な価値観の持ち主とも思えない。

 大河ドラマで時代考証を担当する学者には、脚本の内容を指図する権限はない。「ドラマを面白くするため,そうしたいというものもある」「違うという証拠もない.可能性がゼロではないものは修正しない」と、真田久氏も話している。歴代の大河ドラマ監修の学者たちもだいたい同じことを述べている。


 「体育」ではなく「スポーツ」だと主張する「いだてん」の嘉納治五郎像は、史実というよりも、多分に脚本家の宮藤官九郎の意向、現代的な価値観を反映した創作(虚構)と憶測する。そのクドカンの意向に大きく影響を与えた価値観とは、玉木正之氏が啓蒙したスポーツ観である。これはまず間違いない。

嘉納治五郎,クーベルタン男爵の思想
 当の玉木正之氏は、問題の「いだてん」の場面をどう見ていたか?
玉木正之「ナンヤラカンヤラ」2019年1月6日
1月6日(日)
 ……NHK大河ドラマ『いだてん』の第1回目。五輪関連のドラマですから見なければ。宮藤官九郎の脚本はチョットバタバタしすぎかなぁ。嘉納治五郎はこんな剽軽だったのかなぁ。志ん生の若い時ってこんなだったのかなぁ。明治時代の嘉納のスポーツ論(体育ではないという認識)がこんなに確固としていたのかなぁ。イロイロ首を傾げながら見ましたがまだマァ1回目ですよねぇ。〔以下略〕

 だから、それは、おそらくは史実ではなく創作で、玉木氏自身が啓蒙したスポーツ観の反映なのはないのか。何とも呑気な反応である。

 嘉納治五郎は、必ずしも「スポーツ」と「体育」を類別する人ではなかった。これは日本だけではない。そもそも、嘉納をIOC(国際オリンピック委員会)委員に引き入れた、近代オリンピックの創設者であるフランスのクーベルタン男爵もそうであった。さらに、そのクーベルタン男爵に影響を与えたのは、英国パブリックスクールのスポーツを採り入れた教育である(下記リンク先参照)。
 クーベルタン男爵は、特に英国のパブリックスクール「ラグビー校」でラグビーフットボールの魅力に取りつかれ、ラグビーのレフェリーの資格を取り、試合で笛を吹いたこともある。これは割とよく知られた話だ。

 日本サッカーはアマチュアリズムを克服するのにかなり大変な思いをしたが、15人制ラグビーユニオンとオリンピックのアマチュアリズムの重視は、クーベルタン男爵でつながっているのではないか、などと邪推したこともある

 いずれにしても「スポーツ」が善で「体育」が悪という人たちではない。

 玉木正之氏は、もともと野球畑のスポーツライターで、野球(ベースボール)はフットボール系の球技(サッカー,ラグビー,アメフト)と違って、歴史的に教育の場から生まれたスポーツではない。だから、何かと「スポーツ」と「体育」区別したがるのだろうか?

玉木正之氏には「同業者」のアンチが多い
 玉木正之氏が「スポーツ」と「体育」を概念操作するのは、日本スポーツ界の旧弊を「体育」という記号に込めて、これを批判し、克服した地平を「スポーツ」として表徴せんがためである。

 しかし、玉木氏の価値観は、そんなに素晴らしい、いいものなのだろうか。

 なぜなら、玉木正之氏が従来の「体育」を乗り越え、日本に「スポーツ」をもたらしてくれると期待した存在は、たいていスポーツとして失敗で、日本のスポーツをかえって混迷させてしまったからである。野球の「長嶋茂雄」しかり、ラグビーの「平尾誠二」および「平尾ジャパン」しかり、サッカーの「ジーコ・ジャパン」しかり。

 もう、この辺は、当ブログがしつこく書いてきたことだから、ここでは繰り返さない。詳しくは下記のリンク先等を参照して、じっくり読んでいただければ幸甚である。
大化の改新と蹴鞠(39)~体育の日,スポーツの日,玉木正之


続・林舞輝さん,河内一馬さんについて~あるいはジーコ・ジャパンの総括


 つまり、玉木正之氏は「〈スポーツ〉そのもの」を唱えながら、しかし「〈スポーツ〉そのもの」を理解していないのではないかと、根本的な疑念が生じるのである。

 実は同様の理由で、玉木正之氏にアンチの念を抱くスポーツライターの「同業者」は多い。たしかに玉木氏の、あの中学二年生のような青臭い議論は、かえって敬遠したくなる。分かっている範囲で名前を挙げると、藤島大氏、岡邦行氏、永田洋光氏、美土路昭一氏、秋山陽一氏、牛木素吉郎氏、梅田香子氏(順不同)。その他、ここでは名前が出せない大物など。

 ……ようやく、伏線を回収できそうだ。

これでは「いだてん」の視聴率,ますます下がる?
 そのアンチ玉木正之陣営のスポーツライターのひとりに、武田薫氏がいるからである。

[理由その三]武田薫氏は、玉木正之氏を批判できる。「いだてん」を批評するためには、玉木氏のスポーツ観を相対視できるリテラシーも必要になる。

 武田氏は、これまでにも玉木氏を揶揄する文章を何度も書いており、実名で批判したこともある。それを面白がって読んできた人もいる。あらためていろいろ探してみたら、「激辛スポーツ歳時記~長嶋ジャパンを援護せよ」という文章が見つかった。
武田薫「長嶋ジャパンを擁護せよ」2003年6月2日

 ある人〔玉木正之氏〕が「日本で最初にスポーツライターを名乗ったのは自分」と自慢げに書いているのを見て笑ってしまった。知らないのは怖いものだ。かつては虫明亜呂無などを相手にしない書き手が、スポーツ紙〔報知新聞など〕にはゴロゴロしていた。目は鋭く物怖じせず物知りで、金も家庭も頭にない無頼の輩の理詰めの主張――近寄り難いほど迫力があった。かと思えば、酒好きなロマンチスト。「スポーツライター」などという肩書きが流布するようになって、スケールが小さくなった。若い人が、新聞記者ではなくスポーツライターを憧れるとは、嘆かわしい時代だ。

 虫明亜呂無は、玉木正之氏のスポーツ観に絶大な影響を与えた評論家である。しかし、玉木氏の批判はするが、その川上に位置する虫明亜呂無の批判をするという人となると、なかなかいない。ところが、権威があったころの昔のスポーツ新聞の記者は、虫明亜呂無の小癪なスポーツ評論を小馬鹿にしていた。これは、ちょっとした驚きである。

 玉木正之氏はクラシック音楽やオペラの評論もやるが、武田薫氏はジャズの話をよく書く。上のリンク先のコラムには、古今亭志ん生(5代目)が、若い頃、ジャズ喫茶に足繁く通っていた話も出てきた。志ん生と言えば「いだてん」のもうひとりの主人公のような人だから、歴史リアルが「いだてん」の批評コラムに武田薫氏を起用したら、なかなか面白くなっただろう。

 繰り返すが、歴史系出版社にとって大河ドラマは飯のタネである。今年の作品「いだてん」の批評記事を連載しないのは、もったいない。その適任者もいる。「いだてん」自体は駄作だが、ツッコミのツールすらないのでは視聴率はますます下がる。来年以降の大河ドラマを鑑みても、それは歴史系出版社にとって、かえってマイナスではないだろうか。

 今カラデモ遅クナイカラ……。

(了)



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「高校野球総選挙」の順位から見えるもの…
 今年2018年、夏の甲子園「全国高等学校野球選手権大会」は、前身の「全国中等学校優勝野球大会」から数えて第100回を数えた。これを記念して、8月5日、テレビ朝日系列では「高校野球総選挙」を放送した。最近、地上波民放テレビで流行りの「総選挙」と銘打った各ジャンルの人気投票番組のひとつである(同じテレビ朝日系の「プロレス総選挙」はなかなか面白かった)。
テレビ朝日系「高校野球総選挙」番組ホームページから
「高校野球総選挙」
夏の甲子園100回目を迎えるメモリアルイヤーの今年、
禁断の企画が解禁…!!

番組では高校野球ファン10万人にアンケートを実施!
記憶に残る、歴代のスゴい高校球児を貴重映像とともにランキング形式で発表します!
 番組で発表された人気投票の順位は以下の通り(校名は選手の在籍当時のもの)。

高校野球総選挙1位~10位
順位 P 選手 高校
1   松井秀喜 星稜
2 松坂大輔 横浜
3 江川卓 作新学院
4   清原和博 PL学園
5 田中将大 駒大苫小牧
6 大谷翔平 花巻東
7 王貞治 早稲田実業
8 桑田真澄 PL学園
9   清宮幸太郎 早稲田実業
10 ダルビッシュ有 東北

高校野球総選挙11位~20位
順位 P 選手 高校
11 斎藤佑樹 早稲田実業
12 鈴木一朗 愛工大名電
13 太田幸司 三沢
14   原辰徳 東海大相模
15 板東英二 徳島商業
16 荒木大輔 早稲田実業
17   中村奨成 広陵
18   オコエ瑠偉 関東一
19 松井裕樹 桐光学園
20 藤浪晋太郎 大阪桐蔭

高校野球総選挙21位~30位
順位 P 選手 高校
21 菊池雄星 花巻東
22 工藤公康 名古屋電機
23 尾崎行雄 浪商
24   中田翔 大阪桐蔭
25   香川伸行 浪商
26 定岡正二 鹿児島実業
27 愛甲猛 横浜
28 安樂智大 済美
29 島袋洋奨 興南
30 水野雄仁 池田

うして概観してみると、一定の傾向に気が付く。

高校野球のスターやアイドルは投高打低
 エクセルで作成した順位表に少しばかりの解説をする。「P」とある列は「ポジション」または「ピッチャー」の意味で、★印は高校野球では打者としてではなく、投手として評価されている選手である。王貞治や鈴木一朗(イチロー)は、その意味で★印(投手)として分類した。大谷翔平も同様(もっとも,甲子園で大して勝ち上がっていないイチローが,この番組にノミネートされるのは変なのだが)。
 高校野球のスター選手、アイドル選手は投手の方が多く、打者が少ない。これは(大いに不満であるが,番組の中では全く触れられなかった)大正~昭和戦前期の旧制中等学校の時代からそうであって、小川正太郎、楠本保、中田武雄、吉田正男、沢村栄治、川上哲治、野口二郎、嶋清一……みな投手である(追加:水原茂も、藤村富美男も、投手である)。打者(クリーンアップまたはスラッガー,強打者)として名前を残している山下実(和製ベーブ・ルースと呼ばれた)や宮武三郎といった選手は、少数派だ。

 現在の高校野球は、金属バットやウェイトトレーニングなどの効果でホームランや長打が増加した「打高投低」の野球になっているが、それでも選手の注目度では、やはり「投高打低」である。今年2018年の第100回大会で最も注目を浴びた選手、秋田県立金足農業高校(準優勝)の吉田輝星(よしだ・こうせい)もまた投手であった。

 余談ながら、当ブログは一応サッカーブログなのでサッカーの話も書いておくと、金足農業にはサッカー部がないそうである。

玉木正之氏「1対1の勝負説」と高校野球
 ところで、なぜ高校野球は「日本人」にこれほどまでに人気があるのだろうか? なぜ、「日本人」にはサッカー(などフットボール系の球技)ではなく、野球の人気の方が高いのだろうか? これには、スポーツライター玉木正之氏が繰り返し唱えている「1対1の勝負説」とでも呼ぶべき俗説が、半ば「天下の公論」として世間に流通している。
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【玉木正之氏】

 すなわち、欧米人は集団的戦闘(≒チームプレー)を好む。一方、「日本人」は軍記物語や講談などにあるように「やあやあ我こそは……」と武士同士が互いに名乗りを上げて戦う「1対1の勝負」を好む。この違いは、欧米と日本の歴史や文化、国民性の違いに裏付けられている(下記リンク先参照)。
 明治初期、野球(ベースボール)、サッカーなど、実にさまざまなスポーツが日本に伝来した。その中で、日本人の好みや美学に最も合致したのは、11人vs11人のチームプレー(集団的戦争)がゲームの基本となるサッカーよりも、投手vs打者の「1対1の勝負」がゲームの基本となる野球だった……というものである。。

 6月、NHKの「ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』という番組を見ていたら、明治大学(だったと思う)のスポーツ社会学の教授(名前は失念)が、日本の歴史上、サッカーより野球の人気が先行した理由として、この「1対1の勝負説」を述べていた。玉木氏の影響力の強さには恐れ入るところがある。

 しかし、である……。
  1. 明治初期(19世紀後半)、正岡子規が野球選手だった頃の野球のルールは現在のそれと根本的に異なっていること。
  2. 例えば、当時のルールは投手に非常に厳しいもので、ピッチングの技量・力量で打者を打ち取るケースが希少であったこと。
  3. つまり、当時の野球のゲームの基本は「1対1の勝負」とは見なし難いこと。
 ……これらの理由から、玉木正之氏の「1対1の勝負説」は正しくないと言えるのだ。

 当ブログは、以上のような内容で玉木氏の「1対1の勝負説」に対する反論を、繰り返し繰り返し、しつこくしつこく書いてきた(下記リンク先参照)。
 本当に投手vs打者の「1対1の勝負」が好きだから「日本人は野球が好き」なのだろうか?

高校野球が語り継いできた「物語」とは?
 この問題を考える絶好の事例が、実は高校野球なのである。「日本人」は甲子園=高校野球でどんな物語を語り継いできたのだろうか?
第1回全国中等学校優勝野球大会始球式
『朝日新聞』のウェブサイトから



【アマゾンの古書情報から】

 玉木正之氏が常々唱えてきた「1対1の勝負説」が正しいならば、甲子園=高校野球の名勝負物語は、Aチームのエース投手vsBチームのクリーンアップ打者の物語という図式が多くなりそうだが、そういう例は少ない。

 実際に、高校野球の名勝負の物語、ライバル物語として語り継がれるのは「両チームのエース投手同士の投げ合い」といったパターンが多い。ざっと例を挙げてみると(以下の例は各チームで先発したエース投手.左側が勝者)。
  • 昭和8年(1933)夏:吉田正男(中京商業)vs中田武雄(明石中):延長25回
  • 昭和33年(1958)夏:板東英二(徳島商業)vs村椿輝雄(魚津高):延長18回再試合
  • 昭和36年(1956)夏:尾崎行雄(浪商高)vs柴田勲(法政二高):前年夏から3季連続対決して尾崎の1勝2敗
  • 昭和44年(1969)夏:井上明(松山商業)vs太田幸司(三沢高):延長18回再試合
  • 昭和55年(1980)夏:愛甲猛(横浜高)vs荒木大輔(早稲田実業):不良vsエリート
  • 平成10年(1998)夏:松坂大輔(横浜高)vs上重聡(PL学園):延長17回
  • 平成18年(2006)夏:斎藤佑樹(早稲田実業)vs田中将大(駒大苫小牧):延長15回再試合
 ……と、まあ「野球から遠く離れて」の当ブログでもこれくらい思いつく。詳しい人なら、もっといろんな試合を挙げるかもしれない。

 ちなみに、2018年9月25日閲覧のウィキペディア「第88回全国高等学校野球選手権大会決勝」(2006年の斎藤佑樹=早稲田実業vs田中将大=駒大苫小牧)の項目では、斎藤・田中両エースの投げ合いをもって「一騎打ち」と表現されている。投手vs打者の物語ではないのだ。

 そうでなければ、江川卓(作新学院)の「孤高のエース」像か。これも余談だが、板東英二(夏)も、江川(春)も、甲子園の奪三振のレコードホルダーは「打てないチーム」のエース投手であった。

 いずれにせよ「日本人」は甲子園=高校野球を「投手の物語」として語り継いできた。

 つまり、玉木正之氏の「1対1の勝負説」はここでも怪しい。有り体に言えば間違っているのである。

 サッカーファンは、自身を持っていいです。

(了)



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