自著への酷評に反論できない(?)玉木正之氏
 2020年に上梓した、玉木正之氏入魂の一冊『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』……。

 ……しかし、当ブログは、その内容に疑問を感じ、アマゾンに次のようなカスタマーレビューを書いた。
 鷹揚な玉木正之氏だが、当ブログが徹底的に酷評したことは気にしているらしい。
拙著『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』(春陽堂書店)
 クリックするとRakutenブックスへ跳びます。Amazonよりもこっちの評価のほうが正しいですね(笑)。どうぞ、お買い求めを!

玉木正之氏公式ウェブサイトから

玉木正之公式ウェブサイト(2020年7月4日閲覧)
【玉木正之公式ウェブサイト(2020年7月4日閲覧)右下参照】
 当ブログの評価に玉木正之氏の異論反論があったら、是非とも読みたい。……のであるが、それが確認できないのが残念である。

「史実の曲解」ではなく,あくまで「エピソードの紹介」?
 まあ、Amazonのレビューでも、玉木正之氏に好意的な評価の方が多いのだから自信を持てばいいのにとは思う。しかし、その中にも首を傾げたくなるものがある。
★★★★☆ 体育とは異なる「スポーツ」というものを考えるきっかけになる一冊(2020年4月14日に日本でレビュー済み)
 ……興味深く読むことができました。「史実を歪曲するスポーツライター」とのレヴューもあったのでどうかと思いながら読みましたが、エピソードを集めたような本ですし、著者のスポーツへの熱い思いも伝わってくるので、この分野の初心者にはそれだけで面白く読める本です。史実云々については自分で考えながら読めば済む話でしょう。次回は書下ろしで掘り下げてもらえたらと思いました。
 このレビュワーさんは知らないのだ。玉木正之氏による「エピソードの紹介」それ自体が自分にとって都合のいい結論のための「史実の歪曲」であり、それを見破るためには相応のリテラシーが必要だということを。

 具体的な例を上げよう。
 欧米から我が国へ「スポーツ」が伝播〔でんぱ〕したのは文明開化の明治10(1877)年前後だったが、それ以前の日本にも〈スポーツに相当する〉「身体文化」は存在した。〔中略〕

 皇極〔こうぎょく〕には、中大兄皇子と中臣鎌子〈中臣鎌足〉が「打毱」〔ちょうきゅう〕に興じるなかで結ばれ、やがて蘇我入鹿を打つことになる描写がある。打毬〈ママ〉は、後の蹴鞠〔けまり〕とは別の球戯。「今日のポロまたはホッケー風の競技」(小学館版『日本書紀』註釈)とされ……〔以下略〕<1>

玉木正之「スポーツと文学~古典に描かれた競技は日本人の個人技好みを映している?」
日本経済新聞「スポーツと文学1」(2014年10月2日)を元に加筆修正
 引用文中の〔 〕は原文ではルビ、〈 〉は引用者(当ブログ)による補足であるが……。この短い「エピソード」の紹介自体に、玉木正之氏による意図的な「史実の歪曲」がある。読者諸兄はお気付きですか?

『日本書紀』…小学館版と岩波文庫版の異同
 まず、現在、一般に流通している『日本書紀』のテキストには、小学館=新編日本古典文学全集版と、岩波文庫版の2つがあって、皇極天皇紀の中に登場する「打毱」という古代球技の解釈が分かれている。

 小学館=新編日本古典文学全集版(西宮一民氏校注)は、玉木正之氏が述べる通り「打毱」を「ちょうきゅう」と読み、「今日のポロまたはホッケー風の競技」だとしている。

 一方、岩波文庫版(坂本太郎氏校注)には「打毱」を「まりくゆる」または「くゆりまり」と読ませ、一般のイメージ通り「蹴鞠」(けまり)だとしている。ただし、現在に伝わる非対戦型の平安風の蹴鞠ではなく、現在のサッカーやフットサルと似た、両チームに分かれての対戦型球技である可能性も示唆もしている。

日本書紀 (4) (ワイド版岩波文庫 (233))
坂本 太郎
岩波書店
2003-10-16


 「今日のポロまたはホッケー風の競技」が正しいのか? それとも、現在のサッカーやフットサルに似た球技(蹴鞠)が正しいのか? 学問的な決着は付いていない。少なくとも学問的な決着が付いたという話は、当ブログは知らない。<2>

だから玉木正之氏は史実を歪曲する
 学問的な決着が付いていないというのであれば、両論を併記するのが話の筋というものである。しかし、玉木正之氏は、小学館版の「今日のポロまたはホッケー風の競技」のみを採用し、援用している。

 なぜならば、玉木正之氏の世界観の中では、皇極天皇紀に出てくる「打毱」が「蹴鞠」ではなく「今日のポロまたはホッケー風の競技」であったことが、自分にとって都合のいい結論につながるからである。

 その辺りのアクロバチックな論理の展開は省略するが、以下のリンク先を参照されたい。
 とにかく、玉木正之氏が論じるスポーツ史・スポーツ文化は、デラタメなスポーツ史観で読者を誤導する愚論ばかりである。

 それは「史実云々については自分で考えながら読めば済む話」どころの問題ではない。それこそ一段落一段落、あるいは一行一行、一字一句、すべからく疑って読むべき低劣なレベルのお粗末なお話なのである。

 玉木正之氏にとって、学問的に検証された事実・史実よりも「自分にとって都合のいい結論のために史実を歪曲する」ことの方が大事。だから、玉木正之氏はラグビー史研究家・秋山陽一氏を初めとする良心的な人々から酷評され続けているのである。

(了)





【註】
 <1> よく読めば分かるように、『古事』ではなく『日本書』なのだから、「皇極天皇」ではなく「皇極天皇」が正しい。これは玉木正之氏の勘違いだけでなく、版元の春陽堂書店の担当編集者も間違いを見抜けず、これを世に出してしまったということになる。

 <2> ただし『日本書紀』と同時代の重要史料である『藤氏家伝』には「蹴鞠」と表記されてある。