玉木正之氏が、2020年2月28日に上梓した『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』の内容に疑問を感じ、アマゾンに次のようなカスタマーレビューを書いた。
 鷹揚な玉木正之氏だが、当ブログが酷評したことは気にしているらしい。


 玉木正之氏に当方の説への異論・反論があるならば、是非とも、それを知りたい。しかし、単に当てこすりを書いているだけのようだ。残念である。

 また、このレビューにはコメントが付けられていた。
井上信太郎(大学教員|東京都)2か月前
 「豊かなスポーツ文化は非暴力を旨とする民主主義社会でなければ生まれない」。最初にこのような説を主張したのは、ドイツの社会学者ノルベルト・エリアスですよ。玉木氏もそのことを繰り返し指摘しています。だから、玉木氏のスポーツ史観もエリアスの延長上にあると言ってもよいでしょう。玉木氏のスポーツ史観が御都合主義と批判されるのなら、あなた〔当ブログ〕はエリアスの説も根本的に批判しないといけませんよ。

Rugoya 2か月前
 gazinsai氏は自身のブログで以下記載しています。このレビューでは割愛したのだと思います。

 「したがって、一例に過ぎないけれども、ここでは玉木正之氏が熱烈に支持する「豊かなスポーツ文化は非暴力を旨とする民主主義社会でなければ生まれない」という、ノルベルト・エリアス(社会学者,哲学者,詩人.英国籍のユダヤ系ドイツ人)の持論を疑う。

 玉木氏がエリアス説に執心するのは、日本スポーツ界(体育界?)における「体罰」の悪弊を批判する裏付けにしたいという「都合」があるからだ。だが、エリアス説もあくまで諸説のひとつにすぎないし、私たちが簡単に入手できる知識からは、エリアス説とは違ったスポーツの史実がいくつも出てくる。すなわちエリアス説は疑わしい。
 これらコメントの中には「あなたはエリアスの説も根本的に批判しないといけませんよ」と忠告している人もいる。だが、根本的なのかどうかは当事者には分りかねるが、玉木正之氏に書いた「素朴な疑問」(アマゾンレビュー)だけでも、それなりにノルベルト・エリアス説の批判になっているのではないかと思っている。

 また、このノルベルト・エリアス説が学界でどれだけ支持されているのかも、よく分からない。そのことは、玉木正之氏公式サイトの日記「ナンヤラカンヤラ」にも、困惑した様子として登場する。
4月6日(月)
 勉強inベッド『スポーツの世界史』は近代以前の欧州の遊び。なるほど王や国家は軍事訓練(弓術や柔術)を奨励したけど貴族は遊び(狩猟や釣漁)に…庶民はや動物の格闘(闘鶏闘犬など)や球技に…やがてスポーツに収斂していきサッカーやラグビーがイギリスのパブリックスクールと大学を中心に生まれる歴史は知っていたけどエリアスの民主主義社会スポーツ生誕論が出てこないのはちょっと不満。

 玉木正之氏が参照した『スポーツの世界史』(一色出版)で、「第1章 イギリス|近代スポーツの母国」を担当したのは石井昌幸(いしい・まさゆき)早稲田大学スポーツ科学学術院教授(スポーツ史)である。

 しかし、その石井教授の論考には「ノルベルト・エリアス」の名前も所説も出てこない。少なくとも、学界でも積極的に支持していない人はいるらしい。

 繰り返すと「私たちが簡単に入手できる知識からは,エリアス説とは違ったスポーツの史実がいくつも出てくる.すなわちエリアス説は疑わしい」のである。

 そもそも、玉木正之氏が信奉する「ノルベルト・エリアス説」はどこまで真っ当な「学説」なのだろうか? ひょっとして「エリアス説」は学説というより、一種の「イデオロギー」なのではないかと、疑ったりもしている。

(了)





【追記】
 ちなみにサッカーが強い国……この場合はワールドカップで優勝したことがある国という程度の大雑把な定義であるが、サッカーが強い国というのは、必ずしも民主主義的な国とは言えなかった。少なくとも(右傾化した)全体主義を歴史的に経験した国が結構ある。

 ドイツ、イタリア、スペイン、アルゼンチン……みな然り。自由・平等・友愛のフランスもまた、第二次世界大戦時はヴィシー政権という、ナチス・ドイツに迎合した政権があった。