日本的で抑圧的な野球の場=「保健場」?
 梅田香子(うめだ・ようこ)氏が「ジョークの羅列」と喝破した、玉木正之氏とロバート・ホワイティング氏の『ベースボールと野球道』だが、あらためて読み直してみると、なかなかトンデモないことが書いてある。
ボールパークと野球場
 ベースボールの行われる場所はボールパーク(ballpark=野球公園)と呼ばれ、野球の行われる場所は野球場と呼ばれている。

 すなわち、ベースボールをプレイする場所は公園のように〈楽しい場所〉だが、野球をやるのはただ野球をやる場所にすぎない。また、明治時代初期に日本ではじめて生まれた野球チームである新橋アスレチックスが野球をやるためにつくった野球場は「保健場」と呼ばれた。当時から、野球は理屈抜きで楽しむために行われたのではなく、「保健」(健康を保つ)という〈理屈〉がつけられていたのである。

『ベースボールと野球道』188頁


講談社公式サイトより『ベースボールと野球道』
 同様なことが、玉木正之氏のパロディ野球事典、1990年刊『プロ野球大事典』にも登場する。
やきゅうじょう【野球場】
  1.  明治時代、日本にベースボールが伝わった直後は、「保健場」と呼ばれていた。その名前が野球場にかわったのは、野球が必ずしも健康を保つためにふさわしいものではないとわかったからか?
  2.  アメリカ大リーグ〔メジャーリーグ〕の野球場は、〈ボールパーク〉ball-parkと呼ばれることが多い。そこは苦しむ場所ではなく、本質的に楽しい場所なのだ。
玉木正之『プロ野球大事典』545頁


 ダウト! もうこれは、完全に間違い。

「保健」は堂々たるスポーツである
 玉木正之氏は、「日本=野球=抑圧=非スポーツ的/アメリカ=ベースボール=明朗=スポーツ的」という、一面的な日米善悪二元論に従って、こうした評価を下している。だが、明治初期の日本最初の野球場「保健場」についての認識は、完全に間違っている。

 日本最初の野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を創設したのは、アメリカ留学から日本に野球を持ち帰り、野球人気を(サッカーやラグビーよりも先行して)定着させた平岡熈(ひらおか・ひろし,鉄道技術者・実業家・邦楽作曲家ほか)である。

アメリカ在留時代の平岡熈
【アメリカ留学時代の平岡熈】

 何より、日本の野球殿堂博物館における殿堂入り第1号のひとりが平岡熈である。その顕彰文には「日本の野球の祖」とある。
  • 参照:平岡熈~米から指導書を持ち帰り,初の野球チームを結成(野球殿堂博物館)
 けだし、その評価は正しい。

新橋アスレチック倶楽部の集合写真
【新橋アスレチック倶楽部の集合写真】

 そして、野球評論家としても有名な、慶應義塾大学・池井優(いけい・まさる)教授(政治学,外交史ほか)が、『白球太平洋を渡る』の中で平岡熈がつくった「保健場」についても、キチンと書いてある。
 ……平岡熈が、〔日本初となる野球の〕専用グラウンドをつくったのは明治15年(1882年)であった。場所は新橋駅に近い、品川の八ツ山下の車庫のそばで、これにレクリエーション・パークを訳し「保健場」と名づけた。<1>

池井優『白球太平洋を渡る』20頁


 「レクリエーション」(recreation)とは何か? コトバンクやWeblioなどのインターネット事典(辞典)を引いて、意味を簡潔にまとめると次のようになる。
レクリエーション【recreation】
 re-create、再創造。壊れたものが作りなおされること、人が病から回復すること、仕事の疲れをいやして元気を取り戻すこと。

 転じて、仕事や勉強などの日常生活の疲れをいやすための休養や気晴らし、娯楽のこと。自由時間に行われる自発的・創造的な人間活動
 一方、「スポーツ」(sports)の語源や本来の意味はどうか? この講釈は玉木正之氏のライフワークでもあるのだが、氏の最新刊『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう!』の一節から紹介してみると……。
 ……スポーツは、元々も語源が、ラテン語のデポルターレ(deportare)。日常生活の労働から離れた、遊びの時空間、余暇、余技、レジャーといった意味。その言葉が、中世にはディスポルト(disport)に変化。「dis」も「port」(港,持ち運ぶ)も基本的に「離れる」という意味で、やはり日常生活の労働から離れることを意味する。〔略〕

 その言葉が「スポーツ(sports)」と変化した。そこのは、冗談、慰み、気晴らし、戯れ、巫山戯〔ふざけ〕、遊び半分……といった意味も加わり、あくまでも自発的で命令されないことが、スポーツの大原則と言える。

玉木正之「スポーツと体育はまったく別物、ということをご存じですか?」
@『今こそ「スポーツとは何か?」を考えてみよう』


 すなわち、レクリエーションとスポーツは言わば類義語であり、「スポーツとはまったく別物」ではない。玉木正之氏は、草創期の日本野球について一知半解であることを露呈してしまった上に、誤爆の筆誅を加えてしまったのである。

玉木正之氏は誰のおかげでマンションを買えたのか?
 仕事や勉学など日常生活の憂いから離れ、野球(ベースボール)というレクリエーションに興じて、心と体の「健(すこ)やかさを保つ,回復させる」こと=保健の、いったい何が悪いというのだろうか?

 玉木正之氏が「野球」についてさまざま書いてきて、鎌倉市にマンションを買うことができたのも、これ全部、平岡熈先生のおかげである。

 偉大な先人に対して失礼ではないか。

つづく






【註】
 <1> 池井優教授の『白球太平洋を渡る』では「場所は新橋駅に近い、品川の八ツ山下の車庫のそば」とあるが、実際には新橋と品川の距離は離れているので、記述が混乱している。したがってウィキペディア日本語版では「新橋停車場構内に日本初の野球場〈保健場〉を作り(品川の八ツ山説もある)」になっている。